「はぁー疲れた」
静まり返った天幕の簡易ベッドの上に寝転がり、イリスは大きく伸びをした。
木の板の上に藁を敷き詰めただけのベッドはとても寝心地が良いとはいえないが、崖の底よりはマシだろう。
仄かに香る藁の香りに実家にあった和室を思い出す。コロニーでの生活がもう遠い昔のことのように感じた。
天井から垂れる布の切れ端がゆらゆらと揺れ動くのをぼーっと眺めながら、イリスは今日という一日を振り返っていた。
濃かった。特濃だった。月本茜としての16年の人生全てを凝縮しても足りないほど濃い一日だった。ポセイドンと戦ったのすら懐かしく感じてしまう。
あれだけ動き回った割に身体はピンピンしているが、精神的な疲労は極限まで溜まっていた。
正直今すぐにでも眠ってしまいたいが、その前に今日手に入れた情報は整理しておきたい。
まず第一にビーストマンはからかうと面白い…というのは置いといて、この世界は地球ともユグドラシルとも関係ない全くの別世界だということだ。
アムドールに聞いた地名はどれも聞き覚えのないものばかりで困惑した。これでユグドラシル2の可能性はほぼゼロになった。もうログアウトという逃げ道は断たれてしまったと言ってもいい。
少しだけ希望が持てるのは、ここから北西に行けば人間達の国々があるということだ。そこに行けばラガーマン達に会える可能性は高い。同じような事態に遭遇したらプレイヤーなら誰だって人間の国に行きたがるはずだからだ。
自分でも意外な程に亜人であるビーストマン達に不快感や恐怖心を感じなかったが、イリスだって元は人間だ。やっぱり人に会いたいと思ってしまう。
問題があるとすればアムドール達ビーストマンが、人間の国である竜王国と戦争中ということだろうか。戦争といってもビーストマンからの一方的な侵略ではあるが。
彼らビーストマンからすれば人間はただの食糧の一つらしい。アムドール曰く人間はとても美味で栄養価も高く、アムドールの国は人間を食べるためだけに国として成り立っていると言っても過言じゃないとか。
人間を食べる種族は他にもたくさんあるが、彼らほど食に熱心な種族は少ないとか。
これを聞いたイリスの感想としては、こっちの人間ってそんな弱いの?である。
ユグドラシルでの人間種は異形種や亜人種と比べても強い。寧ろ異形種狩りなどと言って異形種のプレイヤーをpkしまくるような連中だ。一方的に食糧にされることなんてまずあり得ない。
それにビーストマンのレベルもイリスが見たところお世辞にも高いとは言えない。一万近くいるこの軍も天空城の人魚鮫一匹に全滅させられるレベルだろう。
そんな弱小種族の食糧になっているのが正直信じられなかった。まあ戦争と言っているくらいなのでそこまで一方的な蹂躙ではないのだろうが。
という訳でそんな自分達を食べに来る連中の側から来た奴が、ほいほいと入国させてもらえるだろうか?もらえる訳がない。
完全に人間の形態になれば異形種とバレることはないだろうが、正面きって堂々と入国…というのは難しい気がする。つまり__
「潜り込むしかないかー」
密入国。日本に住んでた頃には考えられない選択肢だ。バレれば間違い無く極刑に処されるだろう。
だが今のイリスなら気づかれずに入国すること自体はさほど難しいことじゃない。国民が皆プレイヤーレベルなら話は別だがそれは考えなくて良い。
問題なのは潜入してからだ。イリスは身分を証明するものを何一つ持っていないから、どこかの組織に所属することが…おそらくできない。
なんとかお金を稼ぐ手段を見つけないとまた飢え死にコースになってしまう。
余談だがユグドラシルのゴールドはこっちでは流通していないらしい。これはショックだった。今持っているゴールドでは何も買えないのだ。
換金所に持っていけば価値を認めて貰えるかもしれないらしいが、密入国の身ではそれは最終手段だろう。
前途多難だ。イリスは小さくため息をついた。
いや、これもラガーマン達を見つけるまでの我慢だ。みんなと合流できれば後は何とでもなるはずだ。難しいことはエルモア辺りに丸投げすれば良い。
平均レベルの低い国ならプレイヤーは確実に目立つ。余程上手く潜入できていれば話は別だがそんな器用なことができるメンバーではない。
現地人に神だなんだと煽てられて調子に乗ってるTKの姿が脳裏に浮かんで少し笑みが溢れた。
そうだ。悲観ばっかりしてもしょうがない。もっと楽しいことを考えないと。
「みんなアホだからなー。無事でいてくれるといいな」
みんなと合流したら何から話そうか。みんなの話も聞きたいし。私の場合は…寝起き蜘蛛?初の話相手がポセイドンだったこと?天空都市の話もしたい!変態ビーストマンの話は外せないなー…。などと考えている内にこくこくと襲ってきた睡魔に身を任せて眼を閉じた。
(そういえば明日はからかったお詫びにアムじいのお願い聞かなきゃいけないんだっけ…まあいいや寝よ)
からかったと言ってもアムドールが勝手に自滅しただけなのだが。バレない様に椅子を少しずつずらしながら近づいてくるワニ頭をみんなに見せてやりたい。
そんな彼の願いを予想するのも億劫になったイリスは、思考を放棄して夢の世界に飛び立った。
朝である。
天幕の隙間から差し込んできた光に顔を歪めつつイリスはモゾモゾと藁の上で寝返りをうつ。
薄目越しに見える景色に、昨日までのことが夢でないことを肯定され、少しだけうんざりした。
「イリスー!起きたか!起きたか!」
天幕の外から甲高い声が聞こえる。この声はガラウムの部下の…確かペンギン頭の…
「ムー。もう起きたよー」
「起きたか!!ガラウム呼んでたからきて!!」
「あー…はいはい。今行くよ」
仕方ないと身体を持ち上げ、眼を擦りながら天幕から出た。照りつける太陽が眩しい。
天幕から出た瞬間がっしりとイリスの手を握ったムーは、グイグイと軍の前方へイリスを引っぱって行く。
「早く!!早く!!!」
「もー…。そんな焦らんでも大丈夫でしょうに」
「イリスはねぼすけ!!ねぼすけだめー!早く!」
ビーストマンの群れをかき分けながら強情なペンギンに引っぱられること数分後、前方に喧騒と共に大きな砦のようなものが見えて来た。
軍の端まで来ると、ガラウムとアムドールが砦の方を見ながら何かを話していた。
2人はイリスとムーに気がつくと会話を止め、小走りで此方に走ってきた。
「おお!イリスやっと起きたか!」
「やっと起床したか!イリス!待ちくたびれたぞ!」
「どいつもこいつも人をお寝坊さんみたいに…君らが早すぎるんだよ」
「イリスはねぼすけ!!ねぼすけダメー!!」
イリスは怒鳴りながらほっぺをつついてくるムーを横目に睨んだ後、視線を砦に移した。
「んー…。アムじぃのお願いってもしかしてあのでっかい砦に関係してるの?」
「おお、察しが良いなイリス。あそこを見てくれるか?」
そう言ってアムドールが指差した先。遥か前方の砦まで続く広大な荒野を所々染める赤黒い物体。
山のように積み上がっている物もあれば寂しくポツンと転がっている物もある。あれは…。
「そう、我ら同胞達の亡骸だ」
イリスが答えるより早くアムドールが震える口で告げた。
ということはつまりあの前方に見える砦こそ、アムドールの言っていた人間の住む国『竜王国』の第3砦で間違いないのだろう。
道中に転がっているのは恐らく、攻めていって返り討ちにあったビーストマン達の死体だ。
一つ疑問に思うのは死体から砦までの距離が結構離れていることだ。弓で射殺したにしては矢が見当たらないし…魔法だとすると距離が遠すぎる上に痕跡が綺麗な気がする。勿論魔法にも超射程高精度のものもあるし、周りに影響を与えず対象を殺す魔法だってある。
だがそうすると…どうしても人間側のレベルがある程度高い設定になってしまうのだ。それこそビーストマン如きではとても侵略できない程に。
イリスが頭を捻っていることに気がついたのか、アムドールは横目でイリスを見やると憎々しげに話を続けた。
「お前の疑問は手に取るようにわかるぞ?我が同胞達がどのように殺されたのか気になっておるのだろう。あれだ」
アムドールが砦の上を指差した。
「あれが同胞達をズタズタに引き裂いたのだ」
アムドールの指差す場所を見て、イリスは少し驚いて眼を見開いた。砦の上から覗く黒い銃身…あれは、
「わーお…こっちにもバルさんあるんだ」
「何?バル?イリス!あれが何だか知っているのか!?」
「知ってるよ。てかあんなもん持ってる奴らに良く喧嘩吹っ掛けたね君たち」
「どんな屈強な同胞でもあれの前には手も足も出なんだ…。イリス、教えてくれ。あの黒い悪魔は一体何なのだ」
怒りか、悲しみか、それとも悔しさか、色々な感情の織り混ざった瞳で砦を…荒野に転がった仲間達を眺めるアムドールがポツリと聞いてくる。
荒野から流れてくる強烈な死臭に思わず手の甲で鼻を抑え、イリスは遠い記憶の引き出しを漁る作業に入った。
『拠点設置型防衛兵器バルカン』これが目の前の惨状を引き起こした黒い悪魔の名称である。
その名の通りイリスのいた世界のバルカン砲という兵器にそっくりの見た目をしている。
ゴールドで購入することでギルド拠点に設置することができ、その数に制限はない。崩壊前の天空城ラヒュテルの外壁にもいくつか設置していたはずだ。
有効射程2km毎分8000発の弾丸を射出できるそれは値段の割に威力が高く、飛び道具に対しての耐性を有していない場合、集中砲火されれば100レベルのプレイヤーでさえ簡単に溶ける。
とはいえ大抵のプレイヤーは飛び道具に対しての完全耐性を持っているので、耐性のない召喚モンスターや傭兵npc相手に使用するのが基本だ。
ゴキブリの如く湧き出てくる傭兵npcやモンスターを片っ端から殲滅してくれるので、イリスは親しみを込めてバルさんと呼んでいた。
そんな兵器がここから確認できるだけで2機。飛び道具に対する完全耐性など持っているはずのないビーストマン達では、文字通り飛んで火に入る夏の虫という奴だ。
はっきり言ってこんなものを用意できる相手を侵略するのは無謀という他ない。此方も同等の武器があるのなら話は別だが、そんな物無いのは目の前に積み上げられた死体の山が嫌というほど物語っている。
「まさか、そんな恐ろしい兵器だったとは!人間供めその様な物をどこから…!」
「龍の神すら殺しかねない程なのか!…私に力を示させるか?」
「やめろ」
イリスの説明を聞いたアムドールの顔が驚愕と憤怒に歪む。ガラウムが目を輝かせているが、尻の穴を増やして死ぬだけなので阻止した。
「イリス。私の頼みを聞いてくれるか」
「どーせあれ壊してこいっていうんでしょ。別にいいけどサ…その後どうするの?まだまだあるかもしれないよ?」
「やはりあれの破壊自体はお前には造作もないことなのだな。流石だな」
さらりと壊してくると言うイリスに少し驚き、だが想定の内と言った様子でアムドールは続けた。
「私はあれで全てだと考える。少なくともこの竜王国に限ってはな。あれを出してくるまでに奴らも相当の犠牲を払っておるしな…。それにあの砦さえ押さえてしまえばもう奴らの国に入ったようなものだ。乱戦になればあのような兵器は使えんだろうよ」
アムドールもただ無闇矢鱈に攻めている訳ではないのだろう。敵の砦の位置や、兵の配置なども計算には入れているようだ。が、どうも人間を弱く見積りすぎている気がする。
イリス自身こっちの人間にまだ遭遇していないからアムドール達の方が詳しいのだろうが…自分達よりも遥かに強力な武器を所持しているのだからもう少し警戒してもいいんじゃないかと思ってしまう。
そんなイリスの心を察したのか、アムドール此方に向き直りニヤリと笑った。
「イリスよ。何も私は人間を見くびっている訳ではないのだぞ?ただ…そうだな。進むしかないのだ。それはたとえ相手がどれだけ強い武器を持っていようとも、どれだけ強い個体がいようともだ。」
「いっぱい死んじゃうかもしれないんだよ?」
「いっぱい死んでもだイリスよ。どれだけ犠牲を払おうとも我々の目標は変わらぬし、それを叶える為ならどの様な手段でも用いる心づもりよ。それがたとえ竜の神の力であったとしてもな」
フフンと鼻を鳴らし胸を張るアムドールを見てイリスは呆れたようにため息をついた。
この種族の人間を食べることに対する執着は常軌を逸している。ここまで突き抜けているのならもう彼らは何を言ったって止まりはしないのだろう。
イリスからしたらバルカンの数が2機しかない訳がないのだが、そんなことはビーストマンには関係ないのだ。
その時できる最善の策でひたすらに突き進むのみ。そこに後退の二文字は無い。それが彼らの一生なのだ。
「もーわかったよぉ。壊してくればいいんでしょ」
「やってくれるか!!信じておったぞ!!」
観念したイリスの言葉にアムドールの表情がパッと明るくなる。
「まあ一宿一飯の恩もあるから。んじゃ行ってくるよ」
そう言ってヒラヒラと手を振ると、イリスは砦の方目指して歩き始めた。
砦までの距離はおおよそ2.5キロくらいだろうか。バルカンの射程を考えると後2分も歩けば怒涛の集中砲火を受けることになるだろう。
これから人間の国に行こうとしてるというのに、初っ端から喧嘩をふっかけるハメになるとは…。
とはいえあの状況でアムドールの願いを断ることは出来なかった。飢え死にの危機を救ってもらった恩もあるし、断ればきっと彼らは己の信念に従って砦に突撃し、死体の山を築くことになるのだろう。ある意味それもビーストマンにとっては本望なのだろうが…イリスとしてはあまりにも寝覚めが悪い。
イリスは歩きながら困難が待っているであろう前途を憂い、小さくため息をついた。
(まあこっちの人間がどんな強さなのか知っとくのもありかな…?)
軽い気持ちで出てきたが、怖くないと言えば正直嘘になる。飛び道具に対しての完全耐性の効果を試す良い機会ではあるが、もしユグドラシルと仕様が違えば蜂の巣にされる可能性も0じゃない。
最悪≪遅延≫の竜眼を使用して全ての弾丸を躱す心構えもしておかなければ。
いずれにせよ逃げると言う選択肢はない。自分でも単純で頭が悪いと思うけれど、あのビーストマン達に情けない姿を見せるのは嫌だった。
ちょっといいなと思ってしまったのだ。恐怖や絶望をものともしない彼らの心の強さを。
少しだけ勇気をもらったのだ。この世界に立ち向かう勇気を。
あまりにも無防備に見えたのだろう。アムドールが警告の言葉を叫んでいる。その横から「ずるいぞ!私も連れて行けー!」などとガラウムが怒鳴っているが、聞こえないふりをした。
今までどうやって生き残ってきたのだろうか、あのニワトリ男は。
後方の軍を任されていたのはアムドールなりの配慮だったのかもしれない。あの男に先陣を切らせれば真っ先に突撃して即死しそうだ。最も今まではその姿勢が勇敢だと評価されていたのだろうが。
次からは違う理由で部隊移動だなー。などと考えている内に最初の死体の元までたどり着いた。
きっとカバの頭をしたビーストマンだろう。身体はもう原型を留めていないが、頭と顔はかろうじて残っていた。光を無くした丸い瞳に青い空が映っている。
イリスは死体に近づくと、しゃがみ込んでカバの瞳にそっと手を添え、瞼を閉じた。
砦の上を見る。幾人かの人間がイリスに気づき、鼻で嗤う様な仕草をみせると、慣れた手つきでバルカンの標準を此方に向けた。
あの兵器を余程信頼しているのだろう。気怠そうに銃身を動かす様は最早ただの作業といった感じだ。
ビーストマン相手ではそうなるのも無理はないかもしれない。実際オーバーキルだし、毎日攻められれば飽きも来ると言うものだ。
まあ、そんな退屈な日常も今日でお終いなのだが。
イリスは身体を起こし、歩き出した。
6つあるの銃口の内一つから火が吹いたと思うと、銃身が高速で回転し銃弾が雨の様にイリスに向かって飛来してくる。
1発目の銃弾がイリスの眉間に直撃する瞬間__硬質な高音と供に弾けて消滅した。
続けて降り注ぐ銃弾の嵐もまた、彼女に命中する寸前で弾け飛ぶ。
濁流の如く飛来する…だが全く阻むことのない銃弾の中、イリスはゆっくりと砦に向かって歩く。
自分達の兵器が効いていないことに気がついたのか、バルカンを使用していた人間が酷く焦った様に周囲に何かを叫んでいる。
いいや、何かではない。
(あら、魔法使えるのもいるんだ)
聴覚も研ぎ澄まされている今であれば2kmくらい先の声など簡単に聴き取ることができた。
どうやらバルカン砲の効きが悪いと判断し、魔法詠唱者達による≪ファイヤーボール/火球≫の爆撃に切り替えるらしい。
バルカンによる攻撃に拘らず、即魔法に切り替える機転の速さは流石人間と感心したイリスだが。
(バルさん効かない敵に三位階魔法打つかなぁ?)
100レベルのプレイヤーでさえ殺し切る武器が無効化されているのだ。様子見にしてもせめて五位階くらいの魔法は使うべきじゃなかろうか。
もしかしたらアムドールの言う通り、人間も大したこと無いのかもしれない。いや、まだ最強化による位階の繰り上げの可能性もある。油断はできない。
謎な決定をする人間に首を傾げながらも歩くことは止めていないので、砦までの距離は既に700メートル程まで縮んでいた。
魔法詠唱者が到着するまで何もしない訳にはいかないのだろう。無駄だと分かっていてもバルカンの銃撃が止まることはなかった。
しばらくすると砦の上に数人集まってきて、イリスの方へ指を向けた。あの構えは…。
砦の周辺ががパッと照らされた瞬間、矢の様に放たれた幾つもの火球が爆発と供にイリスの身体を包みこもうとし…スッと消滅した。
それはもう息を吹きかけた蝋燭の様に。
驚愕と絶望の声が砦から聞こえる。
人間達はあたふたと動き周り、無駄な魔法と銃撃を繰り返す。
あの様子を見るに、人間達にはもう打つ手が無い。
飛び道具と魔法が駄目だったのだ。あとは白兵戦による武器攻撃で来ると思ったのだが…誰も出てくる様子は無い。
イリスもこれ以上彼らに付き合う必要は無いと判断した。
お馴染みの≪竜眼≫シリーズのスキルを発動する。
竜の12の試練、その6番目に値する眼の能力_破壊。
これはその名の通り、その眼で見たアイテムや武器や兵器を破壊するスキルである。勿論問答無用で破壊できる訳ではなく、装備者のレベルやステータス、武器に込められたデータ量などによって弾き出された耐久値が≪破壊≫の竜眼の破壊値を上回ると、レジストされて破壊することはできない。
基本的に100レベルのプレイヤーの装備している防具や武器などはレジストされると思って良い。偶に破壊できることがあるので願掛け程度に使用することもあるが、基本的には不可能だ。
では装備できない防衛用兵器はどうか?この場合装備者のステータスは加味されず、兵器単体での耐久値で計算される。それではバルカンの耐久性はどれ程か…。
血の様に赤く染まったイリスの瞳に睨まれた2つの<黒い悪魔>が内側から風船の様に膨れ上がり、爆音を響かせて木っ端微塵に砕け散った。
砕けた破片が命中し、幾人かの人間が悲鳴を上げて地面に転がる。
バルカンの操縦者も破片による負傷と、目の前で起きたことに対する驚愕で頭が回らないのだろう、額から血を流しながらただ呆然と無惨に破裂した兵器を眺めているだけだった。
そんな人間達にくるりと背を向けると、イリスは来た時と同じ様にビーストマンの陣営へ歩き出した。
歩きながら、イリスは自分の心の変化にゾっとする様な恐ろしさを感じていた。
血を流した人間を見ても…全く何も感じない。自分のしたことで竜王国の人間達は苦境に立たされることになるだろう。そんなこと分かりきっているが、本当に何も感じないのだ。全員ビーストマンに食べられるかもしれない。でも、そうなるのならそれが自然の摂理でありこの世界の理なのだと勝手に理解し納得している自分がいる。
そしてこの感情は強い。悲しみを抱こうと意識してもできない。以前の自分なら、月本茜であれば自然に流れていたであろう涙も…瞳の渇きを癒す程にも出やしない。
怖い。しかしこの怖いと思う心もまた、眼に見えない合理的で冷徹な感情に塗りつぶされていく。
大切なものが切り替わっていく。そしてそれはもうきっと
人間ではない。
イリスはゆっくりと歩く。
その無防備な背中を襲うものは、一つとして無かった。