翌日の放課後。明嗣は昇降口で靴を履き替えていた。その後、スマートフォンに視線を落としながら校門へ歩いていると、前方に人影が現れる。チラリと顔を上げて確認すると、その正体は澪だった。おそらく、急いで先回りしたのか、少し息が上がっていた。だが、明嗣は無視してスマートフォンへ視線を戻すと、澪を避けて校門を出る。すると、澪は明嗣の背中を追いかけて呼びかけた。
「明嗣くん、今日さ……」
「悪い。今急いでんだ」
明嗣の事務的に突き放すような言い方で、澪は足を止める。そして、肩を落として校内へ戻って行く様子を、明嗣はチラリと横目で見送った。
その後、帰宅して狩りの準備をした明嗣は
「ねぇ、明嗣。ちょっと話しよ」
「そんな時間ねぇよ」
呼びかける鈴音を明嗣は冷たくあしらう。だが、鈴音は明嗣の腕を掴んで引き止めた。
「話、聞いて」
「……」
腕を掴まれては動けないので、明嗣は威嚇するように鈴音を睨む。その視線はまるで氷のように冷たく、よく研がれた刃物のように鋭い。その視線に射抜かれた鈴音は、背筋に冷たい物が走るのを感じた。だが、引き下がる事はせず、明嗣の腕を掴んだまま用件を口にした。
「去年、明嗣に何があったのか聞いたよ」
「だから何だよ。同情でもしたか?」
「しないよ。でも――」
そんなものが欲しいなら、明嗣は「自分が一番可哀想だと思うな」と言って不幸自慢を否定したりしない。だから、同情なんてしよう物なら明嗣を馬鹿にする事になってしまう。だが……。
「アタシ、やっちゃいけない事したんだって気付いた。何も知らないで好き放題言ってて、明嗣の気持ちを考えてなかった」
鈴音の震えが腕を通して明嗣へ伝わる。何も言わないでただ睨む明嗣へ、鈴音はさらに続ける。
「でも、明嗣の言った事はアタシだって傷ついたよ。あんな風に見られてたなんて本当にムカついた」
「お前、何が言いてぇんだよ。ダラダラくっちゃっべってる暇はねぇんだから離せ」
そろそろ我慢の限界が近いのか、明嗣が苛立たしげに腕を振り払おうとする。すると、鈴音は逆に腕を掴む力を強くした。
「ごめん」
「あ?」
「お互い頭冷えただろうし、反省しているから戻って来てよ」
「はっ。何を言い出すかと思えば……。そんなの俺の自由だろ」
「でも、茉莉花の事が終わった後はどうするか決めてないんでしょ? だったら……」
「わざわざ戻らなきゃなんねぇ理由だってない」
「あるよ。なんていうか、張り合いがないんだよね」
「は?」
思っても見なかった言葉に、明嗣は思わず呆けた声を出した。驚きのあまり、何も言えないでいる明嗣。対して、目を逸らす事なくまっすぐに明嗣を見据える鈴音はさらに訴える。
「憎まれ口ばっかり言う嫌な奴だけど、いなかったらいないで物足りないっていうか……。だから、勝手にいなくならないでよ。寂しいじゃん」
「それこそ俺の勝手だろうが。別にいなくても死ぬ訳じゃあるまいし、なんだってそこまで必死に連れ戻そうとすんだよ。いったい何が目的だ」
明嗣は鈴音の真意が掴めず、不信感を露わにする。たまたま一緒の場にいるだけの同業者。明嗣にとっての鈴音とはその程度の存在だ。それは鈴音も同じのはず。ここまでこだわる理由なんてないはずなのだ。なのに何故……?
明嗣の言葉にショックを受けたのか、鈴音は傷ついたような表情を浮かべた。そして……。
「そんなの……」
ついに鈴音は爆発した。
「そんなの後悔したくないからに決まってるじゃん! 今まで普通に話していたのに明日は死んでいるかもしれないんだよ!? そうなったら、あの時仲直りしとけば良かったとか、あんな事言わなきゃ良かったとか、そういうの全部後悔しながら死ぬのなんてアタシは嫌だし、人に後悔させるのも嫌なの! だからこうやって仲直りしようとしてるんじゃん! なのに……なのになんでそれが分かんないの!?」
後半になるつれ、鈴音は涙目になっていた。色んな感情がない混ぜになり、どの感情が主なのか自分自身も分からない、おもちゃ箱をひっくり返した部屋のような状態。それでも、不思議と思ってくれているのは伝わってくる。だからなのか、明嗣は呆気に取られた表情で鈴音を見つめていた。
「アタシより知ってる事多いのに、なんで分かんないの……?」
それは、鈴音が初めて見せた悲しみの表情だった。どうして伝わらないのか。その無力感に押し潰されそうな心境がありありと鈴音の表情に出ている。
対して、悲しむ表情の鈴音を前にした明嗣は、逡巡するように目を泳がせると、顔を逸らして振り払おうとしていた腕の力を抜いた。
「……分かったよ」
「え……?」
「分かったから離せ。どこにも行かねぇから」
明嗣の言う通りに、鈴音は掴んでいた腕を離す。その後、解放された明嗣は今まで抱えていた物を吐き出すように息を吐いた。その後、振り返って抗議するようにじとっした目を鈴音を向ける。
「ったく、ズルいだろ……。そこまで言われちゃ戻るしかねぇじゃねぇかよ……」
「え、それじゃあ……!?」
「戻るよ。戻りゃ良いんだろ……」
渋々と言った表情で明嗣が頷いて見せた。すると、鈴音の表情が一気に明るくなる。
「ほんと!? 嘘じゃない!?」
「嘘吐いたって意味がねぇだろ」
「戻って来てくれるんだ! 良かったぁ……」
「ただし、今回の事が片付いてからな」
今すぐという訳ではない。明嗣が付け加えた一言に、鈴音は不満気な声を上げる。
「なんで? 今じゃダメな理由があるの?」
「
明嗣はポケットから銀貨を一枚取り出すと、親指で弾いてコイントスをした。キャッチして結果を確認すると、明嗣は覚悟を決めた目で続きを口にする。
「これは俺が切れなかった因縁だ。
「そっか……。うん、そうだよね」
納得してくれたようなので、明嗣は残念そうに肩を落とす鈴音へ背を向けてビルの中へ歩いていく。そして、エレベーターへ乗るボタンを押す前に、明嗣は迷うように手を止める。
「あー……」
先ほどまでの突き放した態度を気にしてか、明嗣は言いづらそうに唸り声を出す。
「何? どうしたの?」
何か言い忘れた事があるのか、と鈴音は背を向けたまま唸っている明嗣へ呼びかける。すると、明嗣は恥ずかしそうに頭を掻いて背を向けたまま返した。
「……悪かったな」
「え……?」
「だから、その……言い過ぎて悪かったよ。もう面倒起こさねぇから。だから、これが終わったら元通りだ」
鈴音は驚きのあまり目を丸くした。まさか、あの明嗣が素直に謝ってくるとは。だが、それも明嗣なりの歩み寄る意思表示なのだろう。なので、鈴音は力強く頷いた。
「……うん! あ、でも元通りは嫌かな」
「あ? なんでだよ」
もしかして根に持っているのだろうか。若干不安になった明嗣は表情を伺うように振り返る。その先では鈴音が笑顔を浮かべて返す。
「これからは遠慮なしっ! 良い事も悪い事も全部本音でやり合おっ!」
正直な所、女なんて魔物だと思っていた。一度目を付けたら骨の髄までしゃぶり尽くして、用が済んだら容赦なく捨てる吸血鬼のような生き物。そういう奴らに食い物にされるくらいなら、ずっと独りで生きていこう。いつしかそういう考えが芽生えていた。つまらない事に振り回されたくないから、どんな障害があろうと誰にも頼らずに乗り越えてやる。そう覚悟を決めて歩いてきたつもりだった。だが、それでも……。
「ああ。そうだな」
それでも、今だけはこの笑顔を信じてみよう。明嗣はいつの間にかそう思っていた。