「澪! 明嗣がいたよ!」
「本当!? どこ!?」
マジで来ていたよ……。
いったい何事かと叫び声が聞こえた方へ目を向けてみれば、そこには息を切らせながら駆け足でこちらへ向かってくる澪と鈴音の姿がそこにあった。公共の場で人の名前を叫ぶ奴の身内とは思われたくないので、明嗣はクルリと踵を返し、急ぎ足で反対方向へ歩き出す。
「ちょ、ちょっと明嗣!? なんで逃げるの!?」
アーアー聞こえなーい。さっさと家帰ってベッドにダイブしよう……。
あくまで他人です、と言わんばかりに明嗣は早歩きでの離脱を試みる。だが、早足と駆け足では当然駆け足の方が早いので、あっさりと追いつかれてしまう。
「やっと捕まえた……! もうなんで逃げるの!」
腕を掴まれた事で振り切れなくなってしまった。逃走失敗である。諦めた明嗣は呆れの表情を浮かべた。
「あのなぁ……。往来が激しいど真ん中で人の名前叫ぶような奴と関わり合いになりたかねぇだろ、普通」
「おう、らい……? 難しい言葉使わないでよ。分かんないじゃん」
「人が行き来する事だよ。ってか、一般常識の単語だろ……」
いったい学校で何を勉強しているんだ。明嗣が頭痛を抑えるようにこめかみへ指を当てると、後から追いかけてきた澪が合流した。
「はぁ……はぁ……追いついた……。鈴音ちゃん、早すぎるよ〜」
「で、2人揃ってここで何してんだよ」
さして興味もないが、社交辞令として明嗣は2人の目的を尋ねる。すると、息を整え終えた澪が質問に答えた。
「明嗣くんがこの辺に用があるって言うから、探しに来たの」
「そうそう。いつもなら明嗣って暇人じゃん? だから何するのかな〜って思って」
「サラッと失礼な事言うな、この野郎……」
鈴音の暇人呼ばわりに、明嗣は頬をヒクつかせた。だが、何となく2人の言い分に違和感を覚えたので、明嗣は探るような目を澪と鈴音へ向ける。
「つーか、別に俺がどこで何してようとどうでも良いだろ」
「うっ、それは……そうだけど……」
もっともな明嗣の指摘に鈴音がたじろぐ。その反応で何かがある事を感じ取った明嗣は追撃をかける。
「なんか俺に用があったのか?」
「え、えーっと……」
今度は澪が誤魔化すように視線を逸らす。この時、明嗣は確信した。あぁ、これはただ探しに来た訳ではないな……と。
「お前ら、
少し脅しつけるような声音で、明嗣は再び用を尋ねる。すると、明嗣が放つ
「鈴音ちゃんから、前に明嗣くんが行ってた所がこの辺にあるって聞いて……。ほら、
「ああ。たしかにあるな」
「もしかしてまた行くんじゃないかな〜って……」
少し後ろめたい気持ちがあるのか、鈴音も両手人差し指をくっつけたり、回したりなどの手遊びをしながら澪に続く。
「ほら、危ない人とかいっぱいいるんでしょ? だから、心配になっちゃって……」
お前らは俺の母親か、と言いたくなったのを飲み込みつつ、明嗣は呆れた表情を浮かべる。
「あのなぁ……。
「明嗣くん」
突如、澪が明嗣の言葉を遮る。
「明嗣くんがどこに行っても自由なのはそうだよ。でもね、ミカエラ先生からそこの話を聞いた時、なんか嫌な感じがした」
「嫌な感じ……ってそりゃまたなんで」
「だって……その……いるんでしょ?
「そういう、っていったいどういう……」
澪の言いたい事を理解した瞬間、明嗣の思考が一瞬止まる。まさか、澪と鈴音は自分が
「いや、
「でも、いつかそうなるかも……」
「だから行くのやめてってアタシらは言ってんの! それでまた変な事に巻き込まれたらどうすんの!」
半ばヤケクソな調子で鈴音が澪の言葉の続きを引き取った。対して、明嗣はどうしたものかと項垂れながら返す。
「それだけはねぇ。絶対にねぇ」
「なんでそう言い切れるの」
ジトッ、と鈴音の疑るような視線が明嗣へ向けられる。澪もじっと「本当だよね?」と言いたげな目を明嗣へ向けた。一方、周りの様子をぐるりと見回した明嗣は、付いてこいと言うように手招きして歩き出した。そして、二人が付いてくるのを確認すると、歩きながら明嗣は話を再開した。
「
「え?」
「何?」
いきなり何を言い出すの、っと言いたげに澪と鈴音が明嗣へ怪訝な表情を明嗣へ向ける。すると、明嗣は相当言いたくないのか、嫌な物を思い出すような表情を浮かべた。
「だから
ここからは真剣な話だと言わんばかりに、明嗣は表情を引き締めて続けた。
「あの情報屋は使える。俺だけじゃ手に入れられなかった情報をあっさりと持ってきたからな。仲良くしとくのに越した事はねぇよ」
実際、その優位性を利用した脅しを受けたばかりなので、なおさら重要性を実感する。
「だから、行くなってのは無理な話だ。
話はこれで終わりだとばかりに、明嗣は謝罪の弁を述べた。こう言われては、鈴音も止める言葉を持ち合わせていないのか、黙り込んでしまう。一方、澪は突然立ち止まると静かに口を開いた。
「明嗣くん」
「どうした」
何事か、と同じように立ち止まった明嗣と鈴音が、澪の方へ目を向ける。すると、そこには少し怒るような表情を浮かべる澪がいた。
「人の事を物みたいに扱う言い方しないで。使えるとか、そういう言い方、すごく……嫌」
「なんだよいきなり……。こんなのよくある言い回し……」
困惑の表情を浮かべて反論しようとする明嗣。だが、澪が真っ直ぐに目を合わせてきた事で、言おうとした言葉が即座に頭から霧散してしまう。
「とにかく嫌なの。だからやめて」
「……あ、ああ。分かった……」
なーんか、澪に見つめられると弱いんだよな……。
いったいなぜだろうか。その理由が分からず、明嗣は首を傾げる。初めて澪に会った時からそうだった。何気ない一言で勘違いした澪が怒り出した時も、じっと見つめられた事があった。その時も頭が真っ白になって、どうしたら良いのか分からなくなってしまったのだ。
なんでだろうな……。
考え込みながら、明嗣が再び歩き出す。うんうん唸りながら離れていくその背中を前に、鈴音が何やら思いついたように手を叩いた。
「ねぇ、澪。ちょっと耳貸して」
「う、うん。良いけど……?」
促されるまま、澪は耳を差し出すように鈴音の方へ顔を寄せて、耳打ちされる鈴音の提案を聞く。やがて、頷いた後、鈴音と2人で明嗣を追いかける。
「明嗣くん」
「え? あぁ、悪ぃ。置いてってたな」
澪の呼びかけで明嗣が思考の世界から戻ってきた。そこへすかさず、鈴音が話に入り込む。
「アタシ達さー、この後ヒマなんだよね」
「で、なんだよ」
なんとなく言いたい事を察しつつ、明嗣は興味無い様子で返す。すると、入れ替わるように澪が用件を口にした。
「それでね、明嗣くんに連れて行って欲しい所があるんだけど……」
「うーっす、操人ー。いるかー」
2人に頼まれてやってきたのは、明嗣がいつもお世話に
「珍しいね、どうしたんだい?」
「コイツに案内を頼まれてな。ったく、一回連れて来てやったっつーのによ」
愚痴っぽく明嗣が簡潔に説明すると、明嗣に続いて鈴音が店内に入ってきた。
「こんにちはー!」
「あれ、君はたしか……鈴音ちゃんだったね。いらっしゃいませ」
と、操人がニコリと柔らかく微笑み挨拶する。続いて、鈴音の後ろに付いた澪が緊張の面持ちで入ってきた。
「こ、こんにちは……!」
「君は初めましてだね。僕は操人。よろしくね」
気さくに挨拶して、操人が手を差し出す。対して、ぎこちなく差し出した手を握り、握手をした澪は安心したように胸を撫で下ろす。
「良かったぁ……。怖い人だったらどうしようって思いました」
「え、そう見える?」
そんな馬鹿な、と操人が自分の格好を確認する。現在の操人は、真っ白なTシャツに真っ青なジーンズといったラフな格好。どこにも威圧感を出す要素はないはずだ。その反応を受け、澪が慌てて補足を加えた。
「あ、いえ……。他の人に会う事があまりなくて。明嗣くんや鈴音と同じ事してる人」
「え、君ってもしかして“こっち”の人?」
「襲われてたのを助けただけだ。それだけのはずだったのに、いつの間にか
勘違いをする前に、今度は明嗣がかいつまんで事情を説明した。本当にどうしてこんな事になってしまったのだろう。首を傾げる明嗣の説明を聞いた操人は、好奇心が湧いたように澪へ目を向ける。
「へぇ、そうなんだ。怖くないの?」
「そんな事ない……とは言えないですけど、でも――」
操人の質問に首を振った澪は明嗣へ目を向ける。
「約束してくれたから信じてます。ねっ、明嗣くん」
「ハズいから言わなくて良いだろ、そういうの」
居心地が悪そうに明嗣は目を逸らした。その後、手に持っていた包みを見せた。
「ドーナツ買ってきたから冷蔵庫に入れとくからな。ついでにじっちゃんに挨拶してくるわ」
「うん……あ、ちょっと待った」
呼び止められた明嗣が振り返ると、操人が興味深げな視線を向けていた。
「表情が明るくなったね。良い事でもあったかい?」
操人の指摘に、明嗣はキョトンとした表情を浮かべる。
「そうか?」
「うん。楽しそうに見えるよ」
「……よく分かんねぇな。けど……」
明嗣は空いた方の手で自分の肩を揉むと、過去を懐かしむかのように小さく笑みを浮かべた。
「最近、肩が軽くなった気がするよ。知らねぇ内に乗ってた荷物が降りたみてぇだ」
「ふーん、何があったのか非常に興味あるけど……。別の機会にしておくよ。お客さんもいるしね」
と、操人が店の一角へ目を向けた。その先ではインテリアの小物を手に取ったり、ショーケースのブローチへ目を向けたりなど、楽しそうに目を輝かせる澪と鈴音の姿がある。同じように目を向けた明嗣が、呆れたようにため息を吐く。
「まったく……。あんなんの何が良いんだか」
「まぁまぁ。明嗣だって新しい武器を前にしたら同じような顔している時あるよ」
操人に
「そうか?」
「うん」
「……まぁ良いさ。ドーナツ入れとくぞ」
「ああ。よろしく」
操人の呼びかけに手を上げて返事した明嗣は、地下工房へ続く階段を降り始めた。その途中、明嗣は以前までの重かった足取りが軽くなっている事に気付き、楽しむように小さな笑みを浮かべていた。