ヴァンプスレイヤー・ダンピール   作:龍崎操真

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第5話 路地裏での邂逅

 はぁ……はぁ……ぁ……はぁ……!

 

 街を照らす光が届かぬ裏路地で愛の交わりを彷彿とさせる女の苦悶と悦楽に悶える声が響いている。

 しかし、彼女は実際に相手を受け入れている訳ではない。その証拠に、辺り一面に響く嬌声には、助けを求めるような恐怖も混じっており、その行為は生き死にの境界線を侵し、魂の尊厳を快楽で蹂躙するように犯す物だった。

 

 ぴちゃん、ぴちゃん。

 

 血のしたたり落ちる音と共に()()()()()()()生命(いのち)の冒涜をしている。

 その様子を物陰からひっそりと伺う少女が一人いた。青のポロシャツに白のデニムを着たその少女は、昼間に明嗣が出会った彩城 澪であった。

 

 なぜ、彼女がこのような事になっているのかというと、数分前にまで遡る。

 澪は今日来たばかりの街なので、周辺を散策しておこうと思って商業施設や食事処を見て回っていた。そうしていく内に日が落ちて行き、空も暗くなってきたからそろそろ帰ろうかと思っていた矢先、ドサリと何かが落ちるような音が聞こえたのだ。いったいどうしたんだろう、と音のした方へ様子を伺いに向かうと、そこには向かい合う男女が立っていた。なにやら()()()()()を漂わせているから邪魔してはまずいと思ったけれど、同時にこれからどうなるのか、と気になった澪は物陰に身を潜め、様子を伺うことにした。

 

 女の風体はデートにでも行く予定だったのか、ハーフアップでまとめた黒い髪をバレッタで留めおり、パステルピンクのチュニックにブルーのミニスカートといった出で立ちで、足元に赤い革製のハンドバッグが落ちていた。男の方は黒い革の上着に黒のスキニーパンツ、シルバーのブレスレットを左の手首に身に着けていたが、何よりも目を惹いたのは病的なまでに白い肌と血のような朱い眼だった。今にも倒れてしまいそうなくらい顔色が悪いのに、なぜか力強さを感じさせるような情熱的な眼差しに、バレッタの女は熱に浮かされたように男に釘付けとなっていた。

 見つめ合う内に縮まる二人の距離を、澪は目を離せずに見守っていた。そして、二人の間がもう1cmもあるかという所にまで達した時、男は女を抱きしめた。

 

 突然のことに澪は、体の動かし方を忘れたかのように固まってしまった。自分の前にもあんな風に抱きしめてくれる人が現れるだろうか、と思うほどの情熱的な抱擁に、澪は思わず顔に熱が宿るのを感じる。

 だが次の瞬間、その熱は一気に引いていく事となる。

 女の身体を抱き寄せた直後、黒尽くめの男はまるで肉にかぶりつくかのように大きく口を開き、首筋へ噛み付いた。

 

 え……?

 

 目の前で起きた事に理解が追いつかず呆然と立ち尽くすしかできない澪。対して、傍観者を意に介す事なく男は流れ出す女の血の味を楽しんでいた。

 

「あン……んぅ……はぁ……!」

 

 一方、噛みつかれている女の方も、まるで情欲に火が点いたかのような、熱を帯びた嬌声をあげている。しかし、淫らに歪む表情と声の情熱に反して、顔色の方はみるみる内に青ざめていき、血色が悪くなっていく。

 

 え……え? な、何……!? 何しているのあれ……!?

 

 理解不能。というよりは、目の前で起きている事を理解したくないと言った方が正しいだろうか。血を流しながら嬌声をあげる女を貪る男という構図に澪は、ただただ立ち尽くす事しかできなった。

 そうして何もできないまま時間が経過していき、現在に至るのだ。

 

 あ、警察……! 警察を呼ばないと……!

 

 あまりにも常軌を逸した状況を前に混乱する澪は、市民の味方であるお巡りさんに助けを求める事にした。しかし、身体全体が恐怖で震えてしまい、ポケットから上手くスマートフォンを取り出す事ができない。ようやくスマートフォンを取り出す事ができた澪は、震える指で受話器のアイコンをタップし、通話機能を立ち上げて1、1、0、とたどたどしい手つきで緊急時の短縮番号を打ち込む。回線が繋がり、コール音が一回鳴った後、電話番をしていた警官の声が澪の耳に入ってくる。

 

「はい。交魔市警察署です。どうされましたか?」

「あ、あの! あたしのすぐ側でひ、人が襲われているんです! なんか女の人の首に噛み付いて、血が流れて、それで――」

 

 澪は隠れている事がバレないよう、小声で必死に状況を伝えようとするが、状況が状況なだけに頭が混乱して、上手く言葉を纏めて口に出す事ができない。

 それでも話を聞いている警官はただならぬ雰囲気を感じ取ってくれたようで、すぐに声のトーンが真剣な物へと切り替わる。

 

「分かりました。すぐ近くにいる者をそちらへ送ります。近くに場所の名前が分かる物や、目印になりそうな物はありますか?」

「えっと近くには――」

「こんばんは、お嬢さん」

「――ぁ」

 

 不意に聞こえたその声に、澪は呼吸を忘れたかのように凍りついてしまった。

 同時に力が抜けて、手のひらからスマートフォンが滑り落ちる。

 おそるおそる振り返ると、そこには口元を血で濡らし、仕方ないなと言いたげな苦笑を浮かべる男のような何かが立っていた。

 

「覗き見はいけないなぁ……。とりあえず"電話を切ってもらおうかな"」

 

 え、身体が勝手に……!?

 

 朱い眼に射抜かれた澪は、自らの意思とは関係なく無言でスマートフォンを拾い上げると、「どうしましたか!?」と呼びかける声を無視して通話を切ってしまった。しかも、その動作は先程まで指が震えて上手く動かせなかったのが嘘のように滑らかな物だった。

 口の端に残る血を手の甲で拭い、男は獰猛な笑みを浮かべる。そして、品定めするように澪の周りをぐるりと回り始めた。

 

「クククッ……良い子だ。今夜は運がいい。なんせ二人も美味しそうな女性(ひと)に出会えたのだから……」

 

 どのように料理してやろうか。そう言われているかのような視線を浴びながら、澪はどうやってこの場を脱しようかと思案する。

 だが、先程まで動かせていた身体は金縛りにあったかのように動かすことができなくなっていた。

 

 なんで……!? さっきまで動かすことができたのに……!?

 

 動けと脳が身体全体へ電気信号を送るも、やはり澪の身体が動くことはない。恐怖と焦燥で心臓の鼓動が早くなっていくのを感じる。

 

「あ〜、だめだめだめだめ。そういうのはできないようにしているんだよ」

 

 澪の考えている事を見透かしたのか、男は指を振って注意した。澪の品定めを終えたのか、再び澪の前に現れた男は澪が身体を動かせない理由を語り始めた。

 

「僕の目は特別でね。吸血鬼って知ってるかい? 僕はね、よく血を飲み、女の子を虜にしている()()吸血鬼なんだよ。だから、こうやって視線を向けるだけで、好きなように言うことを聞かせる事ができるんだ。まぁ、僕の目の力が効かない奴もたまにいるけどね」

 

 男はゆっくりと澪へ近付き、そっとガラス細工を扱うように両肩へ手を置く。手が肩に触れた瞬間、澪は背筋に不気味な寒気が走るのを感じた。

 澪に触れる手は、まるで氷で出来ているんじゃないかと錯覚するほどに冷たかった。いや、血の気が引いた皮膚の色からして、石膏の方が的確だろうか。とにかく服越しからでも感じるくらいに冷たく硬い感触だった。

 触れるたびにびくりと反射的に震える澪の反応に、男は愉悦が混じった笑みを浮かべた。

 

「怖がらなくて良い。すぐに怖いという気持ちも消えるよ」

 

 ゆっくりと澪の首筋に血に塗れた唇が迫る。澪はなんとか逃れようとするけれど、やはり身体が強張るだけで動くことができない。

 二人の顔の距離が5cmにまで迫った時、澪は覚悟を決めたように目を固く瞑った。

 だが、澪の首筋に男の唇が触れる事はなかった。その代わりにゴスッ、と鈍い音が澪の耳朶を打つ。

 

 なに……?

 

 何が起きたのか確認するため、澪は恐る恐るとゆっくり目を()けていく。すると視界に映っていたのは、襟から赤いフード垂れている黒いコートの背中だった。

 

「よぉ、色男。ずいぶん熱烈にナンパしていたようだけど、恋愛映画ごっこをやるにはちと顔色が悪過ぎるんじゃねぇの?」

 

 コートの裾を払いながら軽口を叩くその声には聞き覚えがあった。たしかこの街に来た時、駅の前でぶつかった……

 

「め、明嗣くん……?」

 

 確証はなかったため、名前を呼ぶ声は不安げだ。しかし、澪の直感は正解だったようで驚いたように黒い背中が跳ね上がった。素早く振り返った際に揺れる白いカーテンの隙間から覗くのは、黒と紅の特徴的な二色の瞳。間違いなく、交魔駅でぶつかった朱度 明嗣その人であった。

 

「なんで俺の名前を……って、あ! お前、昼の!」

「そんな事はどうでもいいの! 早く逃げて! このままじゃ、明嗣くんが殺されちゃう!」

「グッ……うぅ……」

 

 澪が明嗣へ早くこの場から逃げるように促すと呻く声が聞こえてきた。声のした方へ視線を向けると、いつの間にかできていた瓦礫の山の中から、血色の悪い腕が中から突き出していた。その腕は周囲を確認するように周りを叩く。そして、拳を握り高く振り上げた後、槌を下ろすように振り下ろした次の瞬間。瓦礫の山はたちまち粉塵と化す。

 一連の様子を見守っていた明嗣は、賞賛するように口笛を吹いた。

 

「おーおー……いったいどんな風にやればそんな事できるよ」

「関心している場合じゃないよ!? それより早く……って、あれ? 動ける?」

 

 二人で逃げるために反射的に明嗣の腕を掴もうと手を伸ばした澪は、金縛りが解けている事に気がついた。チャンスだ。今なら二人でこの場から逃れる事ができる。

 

「とりあえず、今のうちに早く逃げよ! あの人、何かおかしいよ」

「あーっと……あいにく、俺はあいつに用があるんだけど……」

 

 申し出を拒否し、申し訳無さそうな表情を作る明嗣。しかし、澪はそんな事は知るかとばかりにがっしりとコートの袖を掴み、明嗣の腕を引っ張る。

 

「なに言ってんの!? 今の見たでしょ!? あんな力で殴られたら明嗣くん死んじゃうよ!?」

「いや、さっきあいつを蹴り飛ばしたのを……あー! もうしゃらくせぇ! “寝てろ”!」

 

 明嗣の左目に宿る紅の瞳が妖しく光った。すると、力強くコートの袖を握っていた澪の両手がぱっと離れた。同時に彼女の身体は糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。前のめりに倒れていく澪の身体を受け止めた明嗣は、頭をぶつけないようにそっと壁に預けた。

 これが明嗣の半分吸血鬼ゆえに与えられた能力(ギフト)の一部、服従の魔眼である。

 

 明嗣の吸血鬼(ヴァンパイア)である部分を象徴する紅の左眼には相手に命令を強制させる能力、そして、吸血鬼(どうるい)を見抜く力が備わっているのだ。しかし、この能力は完全な吸血鬼(ヴァンパイア)であれば誰にでも備わっている物だし、そもそも吸血鬼(ヴァンパイア)に対しては無力なので対吸血鬼(ヴァンパイア)戦においてアドバンテージを得るには至らない。効力も片方だけの瞳ゆえか、両の眼を駆使して能力を行使する吸血鬼(ヴァンパイア)に比べて薄い。なので、こうして端的に「眠れ」などの簡単な命令を下し、実行させる事は可能でも命令遂行後も拘束しておくほどの力を持っていない。その代わり、人に紛れて獲物を狙う吸血鬼を見破る事ができるし、他の吸血鬼からの命令を跳ねのける抵抗力も備わっているのだ。

 

 澪の顔の前で手を振ってしっかりと眠ったかを確認した後、忌々しげな視線を向けてくる男へ向き直る。

 

「よぉ、待たせたな。始めようぜ」

 

 明嗣は拳を握り、上体を(はす)に倒し、左腕で腹部を覆うような構え、ボクシングのヒットマンスタイルを取り、トントンと軽く跳ねてリズムを取り始める。対して、男はそんな明嗣の姿を憐れむように眺めていた。

 

「かわいそうに……。噂は聞いているよ。吸血鬼と人間の間に生まれた半吸血鬼(ダンピール)。実際に見るのは初めてだよ。()()()()が半端、なんだってね?」

 

 男は侮蔑と嘲笑が入り混じった視線と共に、自分が耳にした噂の真偽を確かめるような言葉を投げかける。対して、明嗣はニヒルに口端を吊り上げてはいたものの、面白くないと言いたげに視線を冷たくした。

 

「うるせぇよ。んな事で傷つくようなチョロい奴に見えんのか?」

「ああ、ごめん。別にそんなつもりはなかったんだ。ただね、半吸血鬼の銃撃手(ガンスリンガー・オブ・ダンピール)の名前の方も有名でね。半吸血鬼(ダンピール)のキミは吸血鬼(ぼくたち)と違って、玩具を持って戦わないといけないんだと思うと可哀想で可哀想で……」

 

 油断している吸血鬼の顔面が突如、軽快なパァンという音とともに弾けた。素早く拳が届く距離まで踏み込んだ明嗣が、腕を鞭のようにしならせて放つフリッカージャブを当てたのだ。続いて明嗣は右腕でボディブローを繰り出し、相手の身体をくの字に折り曲げる。その後、グシャッ!っと、顔面に何かがめり込む嫌な音が辺りに響く。これは明嗣が男の頭を掴んで飛び膝蹴りを叩き込んだ音だ。

 

「ンブゥ!?」

 

 相手が油断している隙を突いた奇襲攻撃に、男はたまらず情けない声を上げて後方へ跳ねた。さらに明嗣は、追撃の回し蹴りで腹をサッカーボールを蹴るように蹴り飛ばす。

 コンクリートの壁を破砕しながら飛んでいく肉塊は遥か彼方へと消えた。軽く息を吐いて呼吸を整えた明嗣は、標的を追いかけて行く前にぐっすり眠っている澪を一瞥した。

 

「んじゃ、いい夢見ろよ、ってな」

 

 手を振り返してくれる訳ではないけれど、明嗣はせめてもの礼儀として手を振り、別れの挨拶をする。その後、コンクリートの破片を踏みしめ、狩りの獲物を追いかけていった。

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