場所は、放課後の空き教室。ドアの廊下側には、関係者以外は立ち入り禁止と書かれた紙が貼り出されていた。さらに覗かれないよう、屋外に面した窓はカーテンを閉め、厳重な体制が敷かれていた。
演劇部の定期公演に向けた練習────軽音楽部に属する
氷のような冷たい瞳でジリジリと対象者に迫るのは、四宮かぐや。対して、逃げる藤原千花は、完全に腰を抜かし、床を這うようにして距離を取ろうとする。物語の終盤、クライマックスのシーンだ。
「────貴女が悪いのよ」
恨みを帯びた低い声。かぐやは藤原を壁際に追い込んだ。その手には包丁。強い殺意を感じられる。藤原は、口をパクパクと動かすだけで、恐怖により助けを呼ぶことが出来ない。まさに危機的状況である。
「私が欲しい物、全部奪ってしまうのだから────」
包丁は、藤原へ振り下ろされた。
「そんな、私・・・・・・は・・・・・・」
そして────藤原は力なく倒れて行く。
関係者一同は息を飲み、ある一人の生徒へ視線を移す。
「はーい、カット!! 今日はここまで、みんなお疲れ様!! 来週は衣装合わせだからね!!」
張り上げた元気な声の主は、演劇部の部長。三年の女子生徒だ。今回、ゲスト枠と言う形で、四宮かぐやと藤原千花を演者として、汐崎才雅を劇伴担当として、声を掛けた。
通常は、演劇部の部員のみで配役が割り振られるが、沢山の人に舞台の良さを知って貰いたい、体験して貰いたい、そんな演劇部のスローガンから、実現したものである。尚、四宮かぐや出演の効果は絶大であり、チケットは即完売し、追加公演として二部のチケットの販売が決定した。ネームバリューとは、正にこのことである。
(四宮に凄味を感じるのは気のせいだろうか・・・・・・)
才雅の手には、『愛憎の女達』と表題の書かれた台本。サスペンス✕ホラーを題材にした作品で、文芸部の部員が脚本を担当したそうだ。高校生がやる内容として、如何なものかと彼は思うが、門戸を広く開け、様々な人間を取り入れようとする姿勢に共感して、今回の参加を決めた。
(さて、帰るか)
椅子から立ち上がり、伸びを一つ。才雅の背中に、先の尖った何かが触れた。反射的に振り向くと、作り物の包丁を手に持つかぐやだった。微笑みを浮かべて、何やら機嫌が良さそうである。
「何、怖いんだけど!!」
「ちょっとした戯れじゃないですか」
「俺は戯れたくない・・・・・・」
実は、幼馴染みの間柄であるこの二人。長らく他人と言って差し支えないくらいに交流が途絶えていたが、冗談を言えるくらいの関係にはなっていた。
「早坂さんを誘ったんですね」
夏休みに海へ行く件だ。メンバーは、才雅、白銀、かぐや、早坂の計四名。各々が己の目的達成のために動いていることを彼は知らない。「白銀と四宮が上手く行くと良いな」と思うのが、せいぜいと言ったところだ。
「うん。断られると思ったんだけどね」
「お、お二人は仲良いんですよね?」
「まぁ、話しはするけど」
才雅の歯切れの悪さに、かぐやは戸惑う。彼女に言わせれば、異性への贈り物、日常的な連絡のやり取りは、仲の良い証拠。それはもう友達以上の関係ではと思う。だが、もし彼に全くその気が無く、思わせ振りなだけだったなんて日には────かぐやの目の色が変わる。
(
かぐやは顔を笑顔のまま、彼へ圧を掛ける。物理的に。
「本物じゃないとは言え、包丁を人に向けるな」
「あら、先端恐怖症だったんですか?」
「違うけどさ。何か怖いって」
やり取りする二人の間に藤原が加わる。
「私も仲間に入れて下さいよー。何の話をしてたんですか?」
「フランス校との交流会についてですよ」
息を吸うようにかぐやは嘘を付いた。そして、彼女の目は話を合わせろと才雅に視線を送る。「え、何。やっぱ、怖っ」と彼は思いながらも、ひとまず相槌を打ち、話を合わせる。
「ああ、そうそう・・・・・・」
「あ、交流会と言えば聞いて下さい!! 酷いんですよ!! 三日前に、いきなり準備しろって言われて大変だったんですから!!」
「確かに三日前は酷いな。あの髭、忘れてたんじゃね?」
彼が指す髭とは、高等部の校長のことである。そして、藤原のマシンガントークが始まってしまった。準備期間から当日までの出来事を意気揚々と語る。
対する才雅は完全に省エネモード。流し聞きしつつ、「早く終わらないかなー」と気を紛らわすように周囲へ意識を移す。先程まで教室に居た生徒だ。廊下から声が聞こえる。「雨降ってるよ!!」「マジで!?」「傘無くても行けそう?」耳に届いた会話に、彼は傘がないことを思い出し、かぐやに問う。
「白銀って、生徒会室いる?」
「一応、オフ日なんですけど、恐らく。何かありますか?」
「いや、傘余ってたりしないかなって」
「それだったら、私の傘を貸しましょうか?」
藤原はニコニコと笑う。
「いいよ、白銀に聞くから」
「遠慮しないで下さい」
彼女により開かれたのは花柄の傘。ベースは淡い水色で、大ぶりなピンクの花がグルリと一周咲き誇る。控え目に言って派手。つまり目立つ。藤原の趣味を知っていて、才雅は断ったのだ。
「キャンセル」
「そんな遠慮しないで」
「好みじゃない」
「可愛いじゃないですか? 黒野くんが差しても似合いますよ」
「それ、褒めてないから。良いって」
「使って下さいよ!!」
「大丈夫だから!!」
「私、教室に置き傘がありますから!!」
「自分で使いなさい!!」
呆れた表情で二人の言い合いを見つめるのは、かぐや。
「ひとまず、生徒会室へ行きませんか?」
かぐやに促されて、一行は生徒会室へ向かう。
生徒会室で、一人仕事をしているのは、白銀御行。外の賑やかな声と開いた扉に反応し、彼は、その先へ視線を移す。
「今日はオフにしたはずだが────何だゾロゾロと」
「白銀。傘、余分に持ってない?」
「傘? 何だ忘れたのか?」
「うん。チャリ置いて電車で帰ろうと思ってさ」
「教室に置き傘がある。使うと良い」
白銀から黒の折り畳み傘が才雅へ手渡される。目的が済んだところで、藤原が口を開く。
「じゃあ、かぐやさん。お迎えの電話しなきゃですね」
「それが、今日は送迎の車がパンクしたとかで迎えは無いんです。なので、歩きで帰ろうかと」
「大丈夫なんですか!? 誘拐されません!? 雨の日は証拠が残りにくいから狙われやすいんですよ?」
「不安になるようなこと言わないで下さい・・・・・・」
「私が送ってあげたいんですが今日は用事が────」
女子二人の会話に、才雅は白銀を肘で突く。
口パクで「送れ」と伝える。
白銀は小さく首を横に振り、同じ口パクで「助けろ」と訴える。貸したはずの折り畳み傘を掴み、助け船を出さなければ、傘は貸さないぞと言う彼なりの脅しだった。才雅は、内心で舌打ちを一つ。取引に応じる。
「なぁ、四宮。心配だって言うなら、白銀をボディーガードにどうだ? 万一があったら大変だろ?」
「か、会長をボディーガードにですか?」
明らかに動揺を見せるかぐや。表情は、まんざらでもない。いつもならば、場を掻き乱す藤原からもアシストが飛び出す。
「あ、それ良いじゃないですか〜。会長がかぐやさんを送るなら、私も安心です。会長の目付きの悪さがあれば、誰も近付きませんからね。では、また明日〜」
「最後のは腑に落ちんが。ま、まぁ、汐崎と藤原の言う通り、
「そ、そうですね。黒野くんと藤原さんが、
何故、ここまで来て両者は素直にならないのだろうか、才雅は思う。藤原は既に帰った、後は二人に任せて自身も帰ろうと決める。去り際に「ちゃんと送れよ」と白銀に駄目押しを決め、生徒会室から撤退した。
●
生徒の中履きと外履きを収納する靴箱が並ぶ、校舎の一階入り口、昇降口。並んで現れた一組の男女、白銀とかぐやである。共に生徒会の一員である両名。仕事を終え、校舎を出るまで一緒に居たとしても、おかしな話ではない。
(あ、出て来た。ここからだと、二人の話が聞こえない・・・・・・。上手く行ったから一緒に出て来たんだよな?)
ストーカーの如く、二人の姿を覗き見るのは、才雅。さっさと生徒会室を後にして来たわけだが、その行方は気になっていた。
(相合い傘。白銀、やるじゃん)
白銀が差した一つの傘に、譲り合うように恥ずかしがるように二人が入った。幸いにも他に生徒は居ない。彼は一人、傍観者を楽しむ。しかし、思わぬ人物の登場により状況は一変する。
「────あの二人、付き合ってるのかなぁ?」
「いや、まだ付き合っては────早坂・・・・・・」
才雅は、凍り付く。隣には、ウキウキした様子の早坂愛。秀知院きっての情報通の彼女に見られたとなれば、今日のできごとは一瞬で広められるだろう。何としても口を封じなければならない。
「ねぇねぇ、何か良い雰囲気じゃなかった?」
「そ、そうか? 四宮が傘を忘れただけだろ」
「でも、四宮さんって車通学のはずだよ。あの二人、きっと一緒に帰る約束をしてたってことだよね。やっぱり、付き合って────」
「待って、早坂ストップ」
お喋りな口を制止する。才雅は「俺がコイツをヤらねば」と、あの二人の背中を押した使命感に突き動かされる。
「早坂。今のは見なかったことにしない? ほら、二人は生徒会の立場もあるし。外野が騒いで気不味くなったら、学校としても困るだろし、俺たちも気分悪いじゃん?」
あくまで、生徒会の立場を強調する。
「才くんは、会長さんと仲良いもんね。黙ってた方が良いって言うなら、そうする」
「助かるよ・・・・・・」
「で、結局、あの二人は良い感じだけど、付き合うのはまだってことだよね?」
「・・・・・・違うんじゃない?」
一呼吸を置き、目を逸らし答える才雅。
「誤魔化すの下手過ぎない?」
全部分かってるから白状して、と言わんばかりの早坂のジト目。普段通りであれば、才雅は隠し通す自信はあった。ただ、彼女の登場は全くの想定外。以前、渡部神童に『早坂と付き合ってるか』と問われた際、緊張状態を強いられたように彼は不意打ちに弱い。
「・・・・・・分かる?」
「うん。まぁ、元々あの二人は噂あったし。海に行くメンバーを聞いた時点で、そうなのかなとは思ってたし」
「・・・・・・広めないでね」
「ウチ、こう見えて口は堅いから」
キラッと効果音が付いて来るようなピースサインと笑顔が才雅に向けられる。彼は思った。うん、諦めようと。
「まぁ、任せるよ。じゃあね」
あっさりと才雅は引き下がる。早坂に別れを告げた後、ささっと自身の靴箱へ向かって行ってしまった。
離れて行く彼の背中。このまま立って見ているだけでは何も変わらない────考える前に早坂愛は動く。
「才くん!!」
「ん?」
黒の折り畳み傘を開いた才雅は、早坂の声に振り向く。
「今日は自転車?」
「いや、チャリは置いて電車で帰るよ」
その言葉に、早坂の心臓の鼓動は早まる。数分前、かぐやから白銀に家まで送ってもらうことになったから、帰宅は別でとメールが来た。つまり、彼女は少しばかりの自由な時間を手に入れたのだ。ならば、自分も想い人と一緒に帰りたい、相合い傘をする二人が羨ましい、そう思った。
「あ、あのさ。駅まで一緒に傘に入っちゃ駄目かな?」
「何、早坂も忘れたの? あ、これ白銀の傘ね」
「・・・・・・うん、そう。だから困ってて」
「良いよ、入りなよ」
躊躇いなく、差し出された傘。早坂が思うに、彼は恋愛には疎い方だ。男女別け隔てなく接すると言えば、聞こえは良いが、少し意識してくれても良いんじゃないかと不満も感じる。それとも、
二人は、一つの傘に入り学校を出た。紳士用とは言え、折り畳み傘に人が二人入るのは、少々無理がある。才雅と早坂は、肩を寄せ合う。ただ、色っぽい雰囲気は無く、肩を寄せ合った上で、互いの反対側の肩は濡れる始末だ。時おり、夏服の袖から出た肌と肌が触れ、その度に早坂は肩を跳ねさせる。
「ごめん。狭いよね」
才雅は、苦笑いで早坂に視線を向けるが、俯き加減の彼女と視線が交差することはない。
「全然、大丈夫だから・・・・・・」
大人しい、早坂は借りてきた猫のように静かだった。先程からずっと目が合わないし、話し掛けても会話が続かず、いまいち盛り上がりに欠ける。そんな彼女の気持ちを才雅は察せるはずもなく、会話をするのが億劫になり、口を閉じた。
(俺、何かした? さっきまで、メッチャ喋ってたじゃん)
一方の早坂は気が気でない。
(せっかく、才くんが沢山話し掛けてくれてるのに!!)
日頃、早坂は『男は下半身で動く生き物』とかぐやに吹聴している。が、彼女は立派な恋愛初心者。且つ、本来は
「・・・・・・怒ってる?」
沈黙を破る才雅の一言。
早坂は、才雅に視線を合わせるように顔を持ち上げると、目を見開く。全く期待をしていなかったと言えば嘘になるが、彼に女心を察しろと言うのは、やはり無理な話だった。「今ここでそれを口にしますか?」と彼女は心の内で突っ込みを入れる。
「別に怒ってないけど。・・・・・・相合傘ってあんまりしたことなかったから」
自ら声を掛けておいて何を言っているんだと思われるかもしれないが、早坂なりの『貴方を異性として見ていますよ』アピール。彼の一言で冷静さを取り戻した今、上目遣いでジッと見つめる。もちろん狙ってだ。ちなみに、歳の近い異性と相合い傘をしたのは、これが初めてだった。
才雅は一瞬の間を置き、交わっていた視線を逸らす。
「そっか。何か意外」
「それ、どう言う意味だし」
「何となく?」
「正直に言うと?」
「男慣れしているようで、男慣れしてな────」
早坂の肘打ちが才雅の腹部を襲う。
「ちょ!! 不意打ちは無いって・・・・・・」
才雅が腹部を擦っている間に、早坂は傘から抜け出し、クルッとステップを一つ。雨は小降りになったが、まだ降っている。
「才くん、ありがと。そこで傘買って帰るから」
「あ、ああ。じゃあ」
手を振り二人は分かれた。
才雅は、小走りにコンビニへ駆け込む早坂の背中を見送った。