文章追記、セリフ修正しました(2024/1/18)
港区泉岳寺。四宮家別邸。
総資産二百兆円を誇る四宮グループの令嬢、四宮かぐやの住まいであり、一般庶民がひと目見たら開いた口が塞がらないほどの豪華絢爛を体現した豪邸である。
ただし、かぐや自身は物を多く置くことを好まない性格で、自室は選び抜いた家具備品だけを配置している。アンティーク調で統一されたそれらは、落ち着いた空間作りを担っており、今宵も疲れた彼女を癒やす、はずだった。
夕食と入浴を済ませた後の束の間の自由な時間。かぐやは、デスクに向かっていた。手に入れたばかりの本に視線を落とし、読み進めて行く。漫画や雑誌の類とは無縁の生活を送る彼女の読みものは、もっぱら本。活字に限る。
ドアを叩くノックが二回と女性の声が続く。
「かぐや様。お飲み物をお持ちしました」
「入って」
開いたドアの先には、かぐや専属の
「就寝前なので、カモミールティーにしました」
「ありがとう」
トレイの上から空のティーカップがデスクへ移される。早坂は、ティーポッドを傾けカップに注ぐと、かぐやへ差し出した。
「どうぞ」
古くより、カモミールティーはリラックス効果があることで知られ、寝る前に飲むことで安眠効果が得られると言われている。
湯気と共に上がるリンゴに似た甘い匂い。かぐやは、顔を近付け香りを楽しんだ後、ティーカップに何度か口を付け、満足そうな表情を浮かべた。しかし、溜め息混じりに呟いた最後の言葉でぶち壊しにする。
「男ってろくでもないわね」
当然、早坂は聞き逃さなかった。だが、これを独り言と判断し、無視することもできる。しかし、ここで聞き返せば話が長くなることは明白で、早坂の残業、もとい労働時間が伸びることを意味する。それと同時に聞き返さなかった場合に憤慨するであろう主人の姿を想像し、天秤に掛ける。結果は前者を選択、尋ねることにした。
「何かありましたか?」
「うちのクラスに
「はぁ。彼がどうかしました?」
かぐやの静かなる怒りが始まった。
「何なのあの軽薄な男、馴れ馴れしく映画の話をして来たと思えば、最後にデートの誘い? どうしてあんなのが秀知院に居るのよ!? きっと混院ね、同じ外部生でも会長とは天と地の差だわ!!」
「彼、初等部から居ますよ」
「冗談は止めてよ。純院の生徒の顔と名前くらいは把握しています」
記憶力の良いかぐや。接点が無くとも初等部からの生徒は家柄を含め、大まかな情報を
「そもそも、新学期が始まった時点で、新しい人間の情報を渡さなかった貴女の責任じゃなくて? まぁ、あの様子じゃ、家柄も知れたものですけど」
全く持って責任転嫁である。
「まぁ、真面目とは言い難いですけど。才くん、良い子ですよ。普通に」
「さ、才くん!?」
親しげに呼ぶ早坂。かぐやは声を上ずらせる。
「ええ。才雅だから才くんです」
「まさか貴女、彼に何か変なことされたり・・・・・・」
「何もありませんよ。ギャルを立ち振る舞う上で、彼みたいな人間とは仲良くした方が上手く行くんです」
早坂は学校生活ではギャルを演じているわけで、キャラ的には彼と同じ部類なのかもしれない。かぐやは納得しそうになるが、国の心臓たる四宮家に仕える早坂家の人間なのだ。はい、そうですかと簡単に納得できるはずもない。
「貴女が学校で立ち振る舞う上で必要な人材として、目は瞑りましょう。ですが、分別を持って付き合いを持ちなさい。貴女は私の
釘を刺す。しかし、かぐやの顔には不満の色が残る。
この件は一区切り、そんな空気が流れ出すが、早坂には解決しなければならない問題が残っていた。
「かぐや様。クドいようですが、才くんのこと本当に覚えていませんか? 才雅くんですよ」
「知りませんよ、あんな人。同じ才雅でも、私が知っているのは
かぐやの知る才雅の名を持つもう一人の男。その名を口にした時、ある可能性が脳裏を過ぎる。
「そうです。汐崎才雅って、あの黒野才雅ですよ。中等部では、一年の時に私とかぐや様と同じクラスでしたね」
「そ、それは本当なの? あの軽薄な男が黒野才雅? 私が言っているのは
黒野英雄は世界的ヴァイオリニストである。教養を身に付けると言う意味で、五歳から初等部卒業まで、かぐやにヴァイオリンのマンツーマン指導を行っていた。それが縁となり、その息子の彼とは幼馴染みの間柄である。とは言え、年頃の男女。初等部の高学年辺りから交流と呼べるものは無くなり、疎遠になっていた。同じ学校に通ってはいるが。
「だからそうです。事実を受け入れて下さい。名字は、両親が離婚したとかで高等部進学時に変わったみたいですよ」
まさに寝耳に水。かぐやの記憶の彼と昼間の彼は全く印象が違う。かぐやの知る彼は、もっと真面目だった。いや、中等部の学祭のライブステージでは好き放題言って、何やら盛り上がっていたような気もするが。異性に対して、軽々しい態度や言葉を口にするイメージはない。むしろ、タイプとしては群れることを嫌う一匹狼に近い。
「で、でも、眼鏡を掛けてないわ」
「コンタクトにしたんじゃないですか」
「髪だって黒くないし」
「染めたのでは?
「・・・・・・嘘。全然、気付かなかった」
かぐやは、両手で顔を覆いうなだれる。
「一応、幼なじみでしたよね?」
「外見を変えて、名字も違うなんて反則よ!!」
「かぐや様は、白銀会長以外に関心がありませんもんね」
「違いますから!!」
顔を真っ赤にして興奮する主人を前に、早坂は口にこそ出さないが「時々アホになるんだよな、この人」と心の内で悪態をつく。
「そんな、かぐや様に朗報です。彼、白銀会長と仲良いみたいですよ」
「会長と黒野くんが・・・・・・?」
「ええ。去年は同じクラスでしたし、今日は一緒に学食で食べているところを見ましたよ。もしかしたら、映画の件を相談なんかしていたかもしれませんね」
「それ、裏は取れてるの?」
「あー、それは」
早坂は視線を逸し、言葉を詰まらせる。二人の話を直接聞いたわけではないから。でもここで、まどろっこしい主人の背中を押せるならと思い、素直に肯定することにした。
「裏は取れてませんが、状況証拠は充分です。才くんの今のチャラついた性格を踏まえると、もし仮にかぐや様に気があるとしたら、新学期初日にでも声を掛けることでしょう。ですが、今はもう四月の下旬です。突然、映画の話題を振って、最後にはデートの誘い。あまりにも性急過ぎますし、公開終了間際の映画に意中の相手を普通誘うでしょうか?」
「た、確かに。違和感を覚えるわ」
もうひと押しである。
「極め付けは、その直前の昼休みに白銀会長と居たことです。会長は普段生徒会室でお昼を取りますし、そこで何かしらのやり取りがあったと見て間違いないでしょう」
「じゃあ、もしかして黒野くんのあの中身のない会話に何か意味が」
「ええ、恐らく。才くんは、白銀会長が会長に当選した時の応援演説をしていましたから、喋りは上手いです。となると、デートの誘いはフェイク、印象付けのための行動かと」
かぐやの体には、雷に撃たれたような衝撃が走った。白銀の手に映画の優待券が渡って以降、白銀が何処の劇場に赴くか、日々の彼の思考パターンと行動を調査分析し、何度もシミュレーションを重ねていた。だがここに来て、実は大きなヒントが隠されていたのかもしれない、そう思うと居ても立っても居られなかった。
「ちょっと待って、黒野くんと今日話したことを思い出すわ!!」
「では、私もそろそろ休みますので」
会釈を一つ。逃げるようにして、早坂は部屋を後にした。
仕事を終え、身の回りのことを済ませ、早坂が自室へ帰ったのは午後十一時。身を任せるようにして、ベッドへダイブした。
「本当、かぐや様は・・・・・・」
肩には一日の疲れが重く伸し掛かる。目を瞑り次に目覚めたら、また怒涛の一日が始まるのだ。本当に気を休められる時間など無いに等しい。
ふと、サイドテーブルに置かれた一枚のCDを視界に捉えた。体を起こしベッドに腰掛け、CDを手に取る。ジャケットには、ヴァイオリンを右手に、弓を左手に持つ少年の後ろ姿。その背中は、小学生でも通りそうなほど小柄だったが、彼女にとっては、今も昔も大きな背中だ。
「・・・・・・才雅の馬鹿」
言葉にして吐き出し、早坂は少しだけ気持ちが軽くなった。見て見ぬ振りをしていた胸の隅にある苛立ちと嫉妬。どんな理由があろうと、他の女を口説く真似などして欲しくなかったし、そんな彼の話を聞きたくもなかった。でも、早坂は彼にとやかく言える立場ではない。何故なら、
早坂は、深呼吸を一つ。うだうだ考えたところで、現実は何も変わらない。ささっと明日に備えよう、気持ちを切り替えるように、意識を直ぐに手放した。
●
翌朝。学校に登校した才雅は、自席に着く前に、後ろの席のかぐやに何食わぬ顔で挨拶をする。
「四宮、おはよう」
「・・・・・・おはようございます」
かぐやの脳は、未だ彼の情報を整理しきれず、反射的に視線を反らした。そして何より、昨日のデートの誘いは初めから存在しなかったかのように立ち振る舞う彼に苛立ちを覚える。人を振り回すことはあれど、人に振り回されることは少ないかぐや。ただし、ある友人一名を除く。気付くと、彼の背中を睨み付けていた。
(私は、貴方のせいでこんなに頭を抱えているのに、何故貴方はそんなに能天気なんですか!!)
かぐやは感情を内に押し込むと、意を決し、才雅の背に向かって質問をぶつけた。
「────ねぇ。貴方、黒野才雅なんでしょ?」
ビクッと才雅は体を震わす。振り返った彼は、目を瞬かせ、驚いた表情をしたかと思えば堪えるようして笑い出した。
「やっと気付いてくれたんだ」
「それだけ変われば分からないわよ。言ってくれれば良かったのに」
「いや。俺、ずっと嫌われてると思ってたから」
サラッと爆弾を投下する才雅。しかし、かぐやには全くの身に覚えの無い話であった。
「え、嫌うって? どう言うこと?」
「そっちは覚えてるか分からないけど、前にクラス一緒だったの中一だったろ? その時に声掛けたら、名前を呼ぶなって。怖い顔してさ」
「・・・・・・嘘ね」
「嘘なら何だよ、今の間は」
人を寄せ付けない氷のかぐやとして名を馳せた中等部時代。かぐやには身に覚えが無かったが、当時の自分なら言いかねない、そんな二つの考えが交差していた。とは言え、彼は仮にも幼馴染み。縁を切るような返しをしただろうか。いや、彼は「名前を呼ぶな」と言われた。そう、主張をする。
「それ、あれでしょ? 下の名前では呼ばないでってこと」
「・・・・・・今、考えたろ?」
「今、考えたんじゃなくて、今、思い出したの!!」
「じゃあ、そう言うことにしといてやるよ。マジで、周り気にしないと友達居なくなるぞ」
ハハハと笑いながら、才雅は席を座り直す。
(────本当に、この男は!!!!)
かぐやは、その背中を呪うように怒りに満ちた目を向けた。
●
放課後の生徒会室。
沈み行く太陽の光が窓から差し込み、夕暮れが近いことを知らせる。白銀は手に持つペンをデスクの上に転がした。疲れた肩を解すように回しながら、あたかも自然に独り言のように呟く。
「今日は、この辺にしておくか。
即座に反応したのは藤原だった。
「会長、何処か行くんですか?」
「ああ、野暮用だ。
この時、かぐやは白銀の発言を一言一句逃さないよう、藤原との会話に集中をしていた。例の映画の公開は今週末、つまり明日まで。平日は多忙な白銀である、彼の口振りからしてXデーは明日で間違いなさそうだ。そして、仕事の切り上げに同意の意思を示す。
「会長はいつも遅くまで働かれてますから、週末くらい早く帰って宜しいかと」
「ああ。そうさせて貰おうか」
果たして、白銀の口から才雅に報告された結果は成功だったのか。それとも失敗だったのか。