それでも僕らは生き延びたい 作:膳乙
「で、あるからして──」
澱みなく読み進められる教科書、教科書に無い参考資料を表示する投影型ディスプレイに、黙々と重要部分を記載する生徒たち。なんも起伏の無い授業だが、そんな風景とは裏腹にグリフの心情は焦りで大いに揺れていた。
「不味い……これは不味いな……」
グリフの焦りの原因は、授業内容にあった。
まず使用される教科書。これは記述の8割以上が専門用語で埋められており、文章の内容も科学的な話から政治的な内容まで多岐にわたる。ここに関してはまだ良い、開発室で手伝いを行っていたグリフは記載されている半分ほどの知識を事前に得られていたからだ。
「なんて早さだ……」
では何が問題かと言えば、速度である。山田先生は教科書を澱みなく読み進め解説をしてくれるが、始まってからほぼノンストップで続いている。基礎の話をすれば数分で応用まで話し始め、かと思えばいつの間にか別の基礎に話題が移る。
つまり、頭の中で理解できるよう変換しているのでは遅いのだ。専門用語をそのまま理解でき無ければ、そのまま置いてきぼりである。現に、先程から一夏は全く追い付けなくなったのかフリーズしてしまっている。
しかし、ここまで早くしては他にも追い付けない生徒がいるのでは無いだろうか?
否、そんなことは無い。一夏から少し視線を動かして女子生徒を見ても、追い付けてない様子の女子は見つからない。そして更に視線を横に動かすとシルヴィオの姿も見えた。彼も女子生徒達と同じように時折端末に記録しながら、表情を変えることなく先生の説明に耳を傾けている。
そう、追いつけるが当然なのだ。真に賢いものは、誰にでも分かりやすく説明できる人だと聞いた事あるが、ここに存在するのは説明するまでもなく言葉が通じるエリート達なのである。追い付けない人はここにいない事が前提なのだ。
しかしそんな中で、グリフと一夏だけが追い付けてない。焦りを覚えるのは当然である。
「いいや、俺だって研究者の端くれ、授業に追いついてみせますとも」
かぶりを振って、あとからじっくり覚えれば良いという考えを振り払う。自分とてISの派生たるEOSを開発していたのだ。大元のISは、当然のように理解出来るはずだと、ひと握りのプライドで奮い立ち、シャーペンから新たな芯を押し出した。
───────
「だはー……これは大変だ……」
時は進んで休み時間。遅れたりはしまいと張り詰めていた緊張の糸が切れて、グリフは机に突っ伏した。
──これが後5回……
授業には追いつけたものの、精神的な消耗は大きく、これからの時間割を思い出して大きくため息をつく。
「グリフ、授業の範囲教えてくれないか?」
机に突っ伏したグリフの前に現れたのは一夏だった。彼も授業に追いつけない事に焦りを覚えているか、古くからの友人みたいに軽い口振りで教えてと頭を下げる。しかし、追いつくのもやっとなグリフは、他の人に教える余裕が無かった。
「いいや……俺もよく分かんないから無理だ」
首を振って答えれば、一夏はため息をつく。頼れそうなアテがひとつ潰れたのだから落ち込むのは当然だろう。しかし落ち込むのはまだ早い、他のアテならまだあるはずだ。一夏も同じ考えに至ったのか顔を上げ、そのアテに視線を向ける。
視線の先は、シルヴィオだった。
「なあ、シルヴィオ。ちょっと勉強を教えてくれないか?」
「俺からも、頼む。授業の内容、上手く理解出来てるか分からないんだ」
一夏は両手を合わせ懇願する。そしてグリフも便乗して手を合わせて頭を下げた。しかし、シルヴィオの返事は冷たいものだった。
「参考書読めよ」
HR直後の時と同様に言い切ってから、彼は眉間に皺を作って鋭く見つめる。だがそれで一夏を追い払う事は出来なかったようだ。一夏は後出しジャンケンをされたような表情で首を傾げる。
「参考書? そんなの見たことないけど」
「惚けるなよ。あの分厚い本、入学前に貰っておいて忘れるはずがねぇ」
「もしかして、あれか? ……あー、電話帳と間違えて捨てたかも」
参考書を捨てた。まさかのカミングアウトに耳を疑い、一夏の顔を見た。シルヴィオが大きな溜息をついたのでそちらに視線を移し、再び一夏を見た。一夏は状況を分かってないらしく、ちょっとした悪戯がバレてどうにか誤魔化すような照れ笑いを浮かべている。そして、溜息で失った分の空気を取り戻すように息を吸ったシルヴィオが口を開いた。
「……帰れ、もう帰れ」
「えっ、でも教えて……」
「教えることなんて何も無いから、もう帰れ」
「でもこのままじゃ俺……」
「知らなくてもどうにかなる。だから帰れ」
帰れと言うシルヴィオ、でもと食い下がろうとする一夏、しかし取り付く島もなく、繰り返し帰れと言われついに諦めてすごすごと帰っていく。そして場には重い空気だけが残った。居た堪れなくなり、グリフも席に戻ろうとしたが、その前にシルヴィオに呼び止められる。
「ああ、お前……いや、レウムだったか」
「そうだけど……なに?」
「分からなかったんだろ? 授業データのコピー渡すから少し待ってろ」
何か、精神を削られそうな口撃が来ると思っていたが要件は意外で、一夏とは真逆の対応にグリフは呆気に取られた。
「……良いの? 一夏には何もしなかったのに?」
「やれる事があるのと無いのじゃ違うって事だ。それに、あのボンクラはどうしようとも何もされないだろ」
姉がああだ、親も権力者なんだろうな。とシルヴィオが嫌味を吐いた所で、グリフは一夏との扱いの差がある理由に嫉妬が含まれている事を悟り、愛想笑いを浮かべた。
「……そういやあんた、開発機関にいたんだよな? ここに来る前は研究所にいたのか?」
一通り愚痴を吐き出して満足したのか、話題はお互いの身の上話に移る。最初に質問したのはシルヴィオだった。
「いいや、研究所じゃなくて開発室だよ。両親がエンジニアだったから、それを引き継いだんだ」
「ふぅん、よく無事でいれたな」
「それは、どういう意味?」
グリフは、いまいち意図の分からない呟きに首を傾げる。
「そりゃあお前、今国連を仕切ってんのはIS委員会だろ?その直下の組織ってことは、すぐ手が出せる……違うか?」
「なるほど……実は、動かせるって分かった途端、何か口出しされる前に無理やり飛行機に乗せられたんだ。だから何もされてない」
「へぇ、慕われているんだな」
「家族みたいなものだよ」
慕われている、では語弊があるように感じ訂正すると共に、グリフはシルヴィオの経歴について聞いてみる。
「君はここに来る前には何をしていたの?」
「俺か?ここに来る前は布作ってたんだよ。その前はサーカスの劇団員だ」
「布を?」
「ああ、海の見える所の工場でな。昔、国が作った会社で、今でもデカい工場建ててかなり金稼いでんだ。この制服もうちで作った布が使われてるぜ」
「そうなんだ。自己紹介の時は話さなかったのはなんで?」
グリフは昔の話に相槌を打ちながら、ふと浮かんだ疑問をぶつけた。身近に機業がある例は少ないし、制服の布を作ってるなんて、いい話のタネのはずだ。交流の幅を広げるには申し分なく、自分なら話す内容だと思ったのである。
「話す必要は無いと思ったからだ。工場の端で働くガキって肩書きに、どこに優位性がある」
一夏にしたみたいにセリフを吐き捨てたシルヴィオは、端末に刺さった記録媒体を抜いて投げて寄越した。
「ほらよ。コピーするなり自由に使いな」
慌てて手のひらで受け止める。片手で包める程の大きさしかないそれは、新品と言わんばかりの光沢を持っていた。
「ありがとう……昼休み、また返しに来るよ」
「……ああ、待った。」
コピーされてデータとはいえ学習用の媒体、そのまま持っておく訳にも行かないから昼休みにまた来ると伝え、席に戻ろうとした時再び呼び止められる。
「どうしたの?」
「お互い、殺されないようにな」
学園で殺しとは、冗談でしか聞かないような言葉にグリフは首を傾げる。彼がこの言葉の意味を知るのはもう少し後のことだった。
※セシリアとの接触はありませんでした
次回「押し付けるな」
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