銀杖の担い手 ライト版 作:海に流れるアリ
赤い空の下、業火が燃えている。
数刻前から観測された黒い焔は封鎖領域の内部から熾った。それは封印の結界を破損させるという前代未聞の過程を経て加速すらも無視して浸食をしてきている。金色に燃え盛った兆候の後、エーテル体、理が死んだ精神と自我の無い器が黒い炎に包まれて消えていく現象が現時点の映像として送られている。記録をとろうとするのだが、映像媒体が壊れて、そこからも焔が熾る。まさかと思い映像が投影される銀幕を反射するであろう領域にさらしてみれば、黒い楔で封じたはずの怪異化が進んだ、祓い終えてない器が、一瞬にして『黒く』燃え盛る。
内部に閉じ込められて半日、これはもう保てないな、と小さくつぶやきが聞こえた後、同様に封鎖領域の内側に閉じ込められていた人物が周囲に蛍光色の水色の魔方陣をモノリス型に展開しては、自己を閉じ込めるように四面を赤いモノリス型の盾で覆う。
パスラインが閉じられて、何をと問う前に、吐血した人物が目を細め、柔らかく微笑む。盾の領域外、ウィナフレッドを小声で呼ぶ。弾かれるように救難信号を受けて、盾をすり抜けて護衛の兵士と前線を入れ替わったウィナフレッドが此方へ走ってくると、縦の外側にあった包が放り投げられた。
ウィナフレッドが抱き留めた荷物、杖のくるまれた包みを確かに見届けると、ウィナフレッドの目の前の人物は弾丸を込めた拳銃で自身の頭部を打ち抜いた。
共鳴作用が熾る先、白い薄い雲のような細波が天に起こっては、封鎖領域に送った端末とその怪異を身に封じて一気に自壊させる。種々様々、人型の網羅をするがごとく増えていた『怪物』が一斉に姿を消す。領域外の本命の怪異が掻き消えて、外の護衛の兵士が異常を感知して戻ってきた。蛍光色の水色の光に包まれて、またなと囁きが届いては、光が閉じるように掻き消える。その最中、水色の火花が焔を飛ばしたかと思うと、自己の器も強制的に書き換えられて、気が付けばウィナフレッドは『理寄り』の器に戻っていた。
水色の火花が空間に捻じれて、透明な渦を巻く別の領域へ、この世界から消えかけている。
震える体を支えながら、まろぶように駆け寄る最中に消えていく人物の体。ウィナフレッドと同時、一瞬で光環の治癒術を展開した誰かが消失する体に術を掛けるが、すでに死骸すらも灰に変えた弾丸の薬きょうと、服の形が残るのみ。
伝承の存在の対消滅。――火花から焔の輝きが消えた。――灰へと変わった死骸に怪異の残滓が蠢いている。内側に捻るように消えていく情報を馳走を蝕むように鼠型の宵影が群がっては、祓いきれなかった数匹が会得した情報を以て人型になりかけている。会得させた情報を火花が共鳴の作用でさらに上書きして消すと、それは知能が途端に落ちた様に、軍人の如く統率された動きから、小動物の本能の蠢くまま、無秩序に動き始めた。満足げにぱっと火の粉を散らすように、それを最後に、水色の火花は透明な渦巻く『内側』に飲み込まれた。全土で巨大な黒い柱が堕ちる音がして、映像自体に呪いがまき散らされては、中継が途切れる。機器が破損したのだ。
代わりに眼前に現れるのは、祓えずに封じていた味方の器を模した、人型の怪物が四体。
余りにも非情に満ちた光景に口元を抑えてえずく。浄化の術を展開し続けていた護衛の兵士がウィナフレッドの異常を感知して、『黒槍』で周囲の宵影を薙ぎ払った後、跳躍をして燃え盛る柱を超えてやってくる。膝をついたまま動かないウィナフレッドの肩を掴むと、見上げたウィナフレッドの表情は悲しみに満ちたひどく脆いものだった。
異音が鳴り響いている。甲高い音と共に軋む音が響くと、残滓が蠢いていた灰に膨らみが出来ている。先と違い真っ先に此方を狙わなくなると、怪物たちは共食いを始めて、一個体に合流を始めた。
片腕で抱き上げると、兵士はすぐにウィナフレッドの手を取り逃亡を試みた。数秒して破砕音とともに、黒い柱から飛び出した――既にこの数分で三桁を超える数を撃退している『灰陣狼』がやってくる。
全てが等しく燃えていた。
周囲は囲まれ、兵士も満身創痍、走って、走って、……上以外に逃げ場がないことを悟る。
建物は崩壊して無事なものはほとんどなかった。見晴らしのいい市街地の中、積み上げられた建物の破片が唯一の足場。渦巻く黒い闇があちこちに地面を侵食しており、先ほどまでいた方向も黒い煤にまみれて、元の形が見えなくなっている。
個体が統率されている。司令塔が表に出てこない。ならば潜る先は闇の中、地中から地上へ向けて指示を出し、己等が一個体になるまで駒を進めて来るだろう。
力が足らない。防衛技術が不足している。ここを制覇されれば、次元を移動する相手だ。残るは無力な者たちを捕えに、『本線』にやってくる。
停止術を稼働させて数分、意思が折れかけているウィナフレッドの体を外套を敷いた上に降ろし、熱を測る。案の定限界を超えていた。アーティファクトの器を保っていたのは、許容を超える概念型の毒を受けていた為。あの者が何故『理寄り』に戻したのかは定かでないが、男性型のアーティファクトの器の維持には寿命と、存在の消耗が必須だと語っていた。そしてその維持に加えて、祓う者が足らないために、『全領土の祓い』を命じられていたウィナフレッドが、別の術者の呪いを肩代わりしたのだ。……最善は己が単身で囮になることだったが、ウィナフレッドを今、独りにすれば、対応する前に体力が持たない。
ぎちりぎちりと縄が食い込むように、最後の頼みの綱も期限を迫らせている。呪術の肩代わりの首飾りの石が割れたら最期、周囲を囲む亡者たちに二人まとめて食いつぶされるであろう。
入念に準備をしてきた魔道具も回復薬も全部使い果たした。秘蔵の次元倉庫の中身だって、先の丸一日の防衛線で空っぽだ。
出現を始めている黒い柱から開いた『冥界』の報告は笑って流してしまいたいほど絶望的な情報で。先に脱出させて『外側』に出した者たちの苦情を聞く時間はきっとない。
ここが最後の防波堤、ここで留められなければ、救出自体が無意味になる。頼みの綱は全て無くした。残る砦は己一人、自由に動けるマーカーはもういない。登録されていた数のおおよそを思い出して、兵士、ノガンエミズはウィナフレッドだけは必ず、護りきらねばならない。
上空に打たれた固定の足場を伝って安全地帯を探す。金色の閃光が振ってる場所はもう駄目だ。黒い焔が、神秘であろうと、理力も魔力も、等しく吸収して延焼する要素に変えてしまう。
業火の担い手は、魔法を感知する術がある。停止した空間でなければ、此方の座標を知らせるようなものだった。
「ノガンエミズさん、水を取って」
「俺はまだ大丈夫です。これはあなたの分の霊水だ。」
「お願い、僕は大丈夫だから、あなたが壊れてしまう。お願い、飲んで。」
固定の足場に膝をつき、震える手で渡される、水筒を持って考える。足場はまだある。封鎖領域が意味をなさない為に、前線を維持するのは無駄になった。
ノガンエミズの最優先任務は己が手に託された小さな治癒士殿の保護である。即座に通達された、都市への指令の承認が降りて、ノガンエミズは街へ戻る道筋を定める。
祓いの作用を収束させて逃走用の器の調整を成せば、にわかに手に触れられて、両膝をつけば、ウィナフレッドが己に首に腕を回してくる。死なないでと悲痛に囁かれても、確証の無い言葉は返せない。
死んでも別の器に戻ってくると述べれば、存在の焔が消えたら霊核は継承されないと泣きそうに叫ばれる。その通りだ。だから記録は残している。皆、宣誓した軍人ならば、必ず。
奪われた霊核が復元するのはほぼ不可能であるが、その不可能を可能にする代名詞が、ウィナフレッド・ヘイニー治癒士であった。全ての確率を組み合わせて可能性を述べるならば、在りえなくはないといったところだ。その為、ためらいもなく死ねるモノたちもいよう。この方が、在ってくれるがために。……再度復権するためには、石になる必要があるが、死して穿つ者たちだ、必ず復権するだろう。
冥界に永劫堕ちるか、ここで正気を振り絞って生を終えるか。二択に一つ、常人ならば後者を選ぶであろうが、……先に逝った者たちは、己が矜持の為に前者を選んだ。
『理寄り』に戻って泣きじゃくるウィナフレッドを抱きしめる。同じく余波を受けて理寄りに戻って、女性型になった己に縋るように、何も言えないウィナフレッドが慟哭を抑えている。
いつの時代も優しき者が犠牲になる。背負えるがゆえに託されて、狡さを知っても許してしまう器量に甘えてしまう。
赤紫の杖を託す。預ける意味を悟り、胸に顔をうずめられて拒否をされる。だが、ノガンエミズはウィナフレッドの首に触れて術を切った。登録者をウィナフレッドに書き換えて、『御伽噺』の加護を継承する。数刻分の記憶をその手に封じ込めて。
器寄りに戻ると、停止術が途切れる前に出来る限り遠ざかった。ゴーグルの先は空間を埋め尽くすように黒い渦が渦巻いている。
ウィナフレッドの共鳴作用で己にも『御伽噺』が起きている利点を使って、第三者から観測されるのを防ぐのは成功した。
咆哮と共に消えていく器の所在信号の数を視ないようにノガンエミズはただ前を見据えて走った。
二人が視えぬはずなのに、まるでそこにあるのを確信しているのは、マーカーをノガンエミズが故意に示している為であろう。
防衛部隊は壊滅。残る都市部に残されたものは、皆、共に消える定めにある。
浄化の霧たる白焔が黒焔に変わっていく最中、走っていく先で加護を受け賜わって、にわかに増す器の機動力。ゴーグル型のデバイスの利点を今日ほど恨んだことは無かった。送信先を忘れぬように頭の中に刻んで、気を失っているウィナフレッドの体を落とさぬよう、ぐっと掴む。高い足場から落ちる拍子、無茶な跳躍をして体勢が崩れた。反転して転ぶ最中、風が起きて、瓦礫に突っ込むのを防がれる。
片腕の青杖がウィナフレッドにかすかに触れたのだ。その拍子に起きたと告げる彼女は途端、冷静に杖に触れて術を作動させている。足を止めることなく状態を問えば、ウィナフレッドが顔を覆っては否を告げる。エラーが起きたのか問えば無言。
ウィナフレッドの記憶の中のノガンエミズはずっと器寄りのままだ。ならばこの情報は相違を示している。
「ノガンエミズさん」
「なんでしょう。」
「僕の記憶を抜いたでしょう。」
「……。」
「その右手に持つドーラン様の青杖、記憶の術式が作動してる。封印したとしても、視覚的情報を排した、情報が僕に流れ込んできた。数刻の情報を抜いて、僕を生かすメリットは何。」
「独りになっても、あなたは意志を貫ける。次を託せる。それが答えです。」
固く目を瞑ったウィナフレッドは先ほどとは違って、嘆くことはしなかった。その代わり思考を回して、全速力で走る兵士の肩に担がれたまま自分でできる仕事に努めている。
淡々と風籠の術で白繭に包まれた魔道具やデバイスを拾い上げている。振り向けぬ兵士の背後には多くの宵影が迫っており、手首で鳴る『波形の鈴』を持っても、時間稼ぎにもなってない。
魔道具の全てを駆使して牽制していたウィナフレッドが救難信号を感知した。ごめんという囁きと共に肩から飛び出すと、ウィナフレッドは脇目もふらずに底の見えぬ地割れを飛んでいく。黒槍を振りかぶった姿勢からノガンエミズがそのまま座標を入れ替える。人影の腕を切り落とす。強い力で敵に腕を引っ張られ、関節を外されたウィナフレッドが放り出される形で転がった。救難信号を送ったのは仲間ではなかった。宵影が知識を得て使った罠だった。
足元から突き刺す黒い蔓が脇腹を抉る。――壊滅した部隊の器が悪用されている。
「ヘイニー治癒士、もう道具を使う程に人化が進んでいます。すべて通信を切って北の合流地点に向かってください。」
「待って、まだ生きてる!」
「……この者も、この瘴気の中じゃ助からないのはわかってます。既に自我が壊れかかっている。名があったとしても、それはもうこの者のものではない。」
腕の無い人影が飛来した。オントガの器の者かと舌打ちをする兵士が仲間の名を泣き叫ぶウィナフレッドを拾って横に飛ぶ。リーズル、スァーノ、ベナウェンヒ、モシェク。そうとも、この器の持ち主は皆、有望な軍人だった。
溜を作って振り被られた宵影の拳が地面にクレーターを作用で周囲を隆起させる。狙わずに大ぶりな動作に転じた理由を悟る。火花の焔が消える前に兵士は首を狙って黒槍を一閃した。痛みなく『切』る為に特化した槍は、苦痛はなくとも、祓うことはできない。号泣するウィナフレッドが『自身の銀杖』を構えて祈る。雪が溶ける様に白焔が散る。宵影の器が灰に変わっていく。生存のための本能に負けず、ウィナフレッドを殺さずに耐えたのは褒めるべき理性だった。
ゴーグル型のデバイスが、クレーターの中を解析した。……植物型の異形の器が跡形もなく壊されていた。舞い散った白煙がクレーターの中に届くと、異形の器も雪の様に解けていく。
後先も考えず、秘匿の箱を敷いてウィナフレッドを抱き上げた。
強い救難信号の波長を発しては、すぐに感情を押し殺すウィナフレッドを抱きしめる。……壊れかけている器のまま、陽動をしながら、安全地帯まで護衛が出来るだろうか。
抱きかかえたウィナフレッドは抵抗をしなかった。号泣する背を撫でて、抱き上げて走り出す。秘密を守ってくれる限り、最悪壁には成れるだろう。
逃亡している最中、ふと首筋に静電気が走った。咄嗟に兵士がウィナフレッドを腕に抱き上げたまま跳躍をして上に飛ぶと、地面が陥没した。次の着地地点に目視していた場所に『黒い影』が渦を巻いては、建物を地中に引きずり込んでいる。風を踏んで、瓦礫を飛んで、渡って、大きく飛んで。建物越しに一番高い所へ来ると、周囲に黒い影が渦巻いている。逃走経路がどこにもない。今の二人には上に足場を作ることが出来ない。罠だと知っていたが逃れる場所がここしかなかった。誘導されたこの場所では、ウィナフレッドを秘匿するには、術がない。握りしめられる指に応えながらも、最後の手段を講じようとする。指を外す寸前に、強い指令でゴーグルに文字が走った。そのまま停止を命じられると、足場が入れ替わる形で上空の真上に居た。
入れ替わった空から突如として黒い兵士が降ってきた。黒一色だが、その手には銀色の巨大な槌が振り下ろす形で構えられていた。足から肩にかけて走る銀色のラインの意匠が呼応するように光る。二人と入れ替わる形で元の座標に墜落すると、口を広げる様に黒い闇が待っていた。味方を示すマーカーが俄に二つ現れて、消える自身とウィナフレッドの印。銀槍を掴んで傍を動くなと命じられて、黒い兵士が中に取り込まれるや否や、平面に広がっていた黒い闇が悲鳴を上げる。鐘の音の様に空間が鳴り、たたきつけられる衝撃波で、闇自体が白く罅割れていく。ウィナフレッドが飛び降りようとする寸前、間に合った青い兵士が宙に浮いたウィナフレッドの細い腰を掴んだ。託された『銀槍』を以て距離を動けぬノガンエミズと共にウィナフレッドの制止に協力する。
複数の凄まじい火花が螺旋状に散り始めた。それが全て地下に潜っていく現象を、ウィナフレッドは初めて見た。
轟音と共に空間に術式が張り巡らされた『万華鏡』の魔方陣が全領域に敷かれている。ゴーグル越しの指令に従ってさらに跳躍、足場の消えた場所から、低空にある青い足場にウィナフレッドを降ろせば、白の術式と魔法が走る。
『浄化の箱』に足場が切り替わった。カチリと竜頭を巻くような音が響くと、空間全体に捻じれが起こり、空間で『こより』を作る様に、立方体に等分割された空間が平面に変わって捻じれていく。
真黒に染まった空間に再び鐘の音が響くと、闇が齎した黒一面が白く破砕しては祓われた。
ウィナフレッドの概念の毒が消えた。呆然としたように持ってかれた呪術の類を、ノガンエミズも悟っている。
あの闇は何だ。冥界の『通り道』介して『波形の鈴』が響き渡る。黒い闇からはいずり出てきた灰陣狼が歪んだ空間を捻り出ようとする。しかし間に合わず、破砕した空間から飛び出してきた『黒い兵士』が巨大な槌で叩き突けると連鎖する形で目視できる範囲全ての宵影が祓われる。ウィナフレッドが生存を喜ぶ暇はなかった。既に汚染されていると地上で腹をめくり、黒い兵士が巨大な槌の石突で腹を切ったために。
今回の討伐で主要な怪異は『鼠型』だった。これが器の死骸に群がるとその特性を会得してすさまじい速度で進化を遂げる。次に観測した『人型』の宵影は、地下からあふれ出ては、地上の道具と転がった死骸、『鼠型』を捕食しては意味不明な爆発的な加速を敷いて軍人の如く統率を持った黒い煤の兵士へと変わる。そして兵士を『共鳴作用』で多くの味方が道連れにした後、やってきたのがあの四足型の『灰陣狼』だ。ウィナフレッドが目を凝らした。ノガンエミズとともに予感がする、まだ何かいると。
赤い血脈の如く地面に連鎖的な線が走る。先ほどと同じように闇が一面平面の如く広がり、『災禍の渦』を顕界させ始めている。
再び振り下ろされた衝撃波が空間を歪ませると、下が閉じた拍子、切れ目が走った天の中から一線をこじ開ける様に『巨大な人型』が腕を伸ばして上半身をあらわにした。学習したのか、祓われる寸前に消滅前の死骸を『個』に合流させている。
恩讐の咆哮が轟音の如く腹の底に鳴り響く。雷鳴の如く上空の『万華鏡』を消そうと躍起になっているが、天に固定した『銀槍』を感知できていない。
ソレはオントガの特徴によく似た『角』を米神から水牛の様に生やし、その角の両端から黒い閃光を雷の如く走らせていた。
ソレ知能を有している。すでに変転して、『個』として確立した自我を持っていた。汚染されているがゆえに、『厭』の性質を有して憎悪を叫んでいる。名のあるものだ。共に地上に降りるなと厳命されたが、ノガンエミズは指令を無視して、青い兵士を見る。ウィナフレッドの指を外して、喋る前に託された青い兵士がウィナフレッドを担いで消える。
黒槍を持って、『巨大な人型』の上部をノガンエミズが援護することを叫べば、地上の黒い兵士が答えた。
共闘、座標を譲る形で共に巨大な人型を討ちに走る。頭部に狙い定めて穿てば、『巨大な人型』の頭部が灰に変わって、まるで砂の柱の如く崩れていく。的確に一発で命核を討った。一瞬起った共鳴作用の呪術の対価にノガンエミズの器がさらに崩壊し欠けるが、青い兵士に託された『宝玉』を以て回復を成す。肩代わりのアーティファクトだ。時間制限付きの、後回しの保存庫であるが。己が討って良かったと無言で咳き込みながら、蹲った此方に慌てて寄ってきた黒い兵士に、手に持った『黒槍』を託す。
黒い兵士がいる限り、停止術は維持できる。戦況は最悪だが、どうにかこの者とウィナフレッドたちは外に出せるなと踏んで、にわか、足元の地盤沈下が熾る。
瓦礫を落下する最中、機転と共にノガンエミズが上空の足場に転移させられると、残る黒い兵士一人が囮になる。数秒して捻じれから観測していた他の個体と違う『灰陣狼』がやってきた。闇は閉じた、ならば何がと探って、――『巨大な人型』の死骸が墨汁の如く地面に溶けていく。
咆哮と共に『灰陣狼』の色彩が移ろっていく。擬態を止めて、同行に知性を宿した光が黒い兵士を見つめていた。
金色の瞳。進化して赤い体躯を成して会得した器は、鱗の様に有したエーテルの焔を連鎖型の結晶に変えて走らせている。まるで竜種の鱗の用だ。
あれが司令塔だ。汚染された黒い眼球に金線が幾重にも走っている。言語を理解して、ここを落とす算段をつけた、焔の有る個体だ。名のある物が変異したがために、――黒い兵士はあれを討伐する隙探っていたはずだった。
今はもう討ち捕ることができないほどにあの『赤鱗狼』が『群』へと散開したがために。人手が足りない。自分たちが危機に陥ったために、最悪の選択肢を取らせてしまったことをノガンエミズが悟る。アレは潜伏していたのだ。最後の一線まで。
盤上をひっくり返すように、巨大な人型の死骸が『災禍の渦』と化した。闇から蠢く影が一斉に黒い兵士に群がっている。認識できない青い兵士とウィナフレッドを探すために、司令塔が地下から生きたものを探していた。
失態を悟ったノガンエミズを落ち着かせるように、黒い兵士が笑いながら手を振る。青い足場に一つの霧が浮かぶ。黒い兵士の幻影が象っては兵士を一瞥して微笑んだ。
タイミングは最高であったと伝えられて、何も言えずに外されたブレスレットを受け取った。直後、ゴーグル型のデバイスの利点、青い兵士の座標が停止している。計算しても己ではだめですと伝えられて、座標が入れ替わる。
半面を抉られた青い兵士がまるで仮面に罅が入ったように、右上顎から額にかけて真っ黒に染まっていた。
怪異の因子に汚染、共鳴を熾すために、実は合流直前まで潜っていた。赤鱗狼を討つために、最悪の場合の手段を講じて。
大神殿に戻ったら怪異認定、消滅するの忘れてたんですよね、と朗らかに笑って。共鳴したがために、祓っても意味が無いという。共有のパスラインを繋いだら最後、ともに道連れになるのがこの世界の法則であった。ゆえに法則を逆手にとって、今を足掻いて。
「そういうわけでして、気にしないで下さい」
「気にするにきまってるじゃないか!」
青い兵士がウィナフレッドの背を宥めると、一瞬だけ一瞥した青い兵士から瞳越しに情報が伝えられた。
『ごめんなさいノガンエミズ様、この因子汚染が共鳴を起こしたということは、恐らく、潜伏して因子を祓って居たあなたとヘイニー治癒士以外、全て、汚染されている。――我々はここで眠るのを望みます。』
号泣するウィナフレッドをノガンエミズが抱き上げる。上空には万を超える『赤鱗狼』、迎撃は得意だと語る青い兵士がウィナフレッドの傍に屈みこむと、屈託のない笑みを作った。未来で共にまた歩める世界を願って。
「――それじゃあ隊長また今度!」
「――おうさ未来でまた会おう!」
景色が戻る。蜘蛛の巣上に張り巡らされた『万華鏡』に縛られた司令塔の『灰陣狼』が巣の中央で足掻いている。
このために一網打尽にしたのだと、黒い兵士が叫び、『災禍の渦』たる闇の一面に器を投げた『青い兵士』と『共鳴』させた巨大な槌を以て、司令塔を叩いた。刹那、瞬間雷鳴が鳴り響いて、眷属をまとめて破砕する。電線に電気が走る様に、司令塔と繋がっていた全領域の灰陣狼が一斉に灰へと変わった。散開していた万の分霊器の『赤鱗狼』もともに消える、青い兵士の器と理。存在たるエーテル体すらも破砕して、繋がりの消え失せた火花が一つノガンエミズとウィナフレッドの周りを巡っては、地下に降りるように戻っていった。
黒い兵士が二人を見つめる。彼は微笑むと、このためにわざわざ逃げ回って仕掛けたのだと、巨大な槌を天に投げた。
『巨大な鎚』が『黒槍』へと切り替わる。『黒槍』はひとりでに加速すると落下する車線の中央、黒い兵士を貫いた。
肉体たる『器』が透ける黒い兵士が合図をすると、ノガンエミズはウィナフレッドと共に『銀槍』を掴んだ。
術式の要の空間に刺さる『銀槍』が『黒槍』と入れ替わった。
『万華鏡』の作用である拡張の魔方陣が『浄化の箱』から、『固定の楔』に切り替わる。
その等価は黒い兵士の命を以てなされ、全土に停止術が敷かれる代わり、黒い兵士の器が光へと変わる。巻き散った破片と共に黒い兵士の火花が静かに白焔で地下に還っていく。黒槍が崩れ落ちる闇の中に消えていく。維持される足場を蹴って、ノガンエミズはウィナフレッドを抱えて空を走った。
異界化した市街地の出口に戻ってこれた。
戦況は最悪だった。潜伏できなくなった闇が地上に湧き出た為に、最後の防衛線を迫られていた。
残る兵士たちは満身創痍だったが、杖と槍を片手に持ったノガンエミズが脇目もふらずに通り抜けていくと、一瞥してウィナフレッドが帰ってきたのを理解する。勝鬨の声が上がる。
負傷兵も喜んだ。一斉に合図が天に放たれて、一度も起動しなかった防衛機構の赤い壁が半透明な立方体へ変化しては、天に伸びる様に街の周囲を覆っていく。左右に展開する壁の速度が、ウィナフレッドが動く速度に連動していた。ノガンエミズ以外の防士たちが敬礼を成した後、最後の号令をかけて周囲に散開していく。
担架がある。負傷者が居る。一緒に仕事をした仲間もいる。ウィナフレッドが大好きな菓子屋の店主もいた!。
兵士の彼らが囲む先、その背後に守られていた手遅れな患者が、希望を取り戻した様に朗らかに笑う。休めると云わんばかりに笑っては、ウィナフレッドとノガンエミズに明日を託して行く。
救助を待つ人々が皆、勝利を確信したように、覚悟を決めて笑っている。
まるで紙吹雪。ゴールを祝うように、引切り無しに絆の加護と祝福をウィナフレッドと共にノガンエミズにかけていく。最後の力を振り絞って祝う先。――ウィナフレッドが無理やり自身の制約の棘を壊しかかっている。血反吐を吐いて叫ぶ先、渦巻く様にかけられた加護と祝福が対価となって、ウィナフレッドに生きろと命じている。感情が、抑え込んでいた激情が噴出して、ノガンエミズの肩を乗り越えようとしている。
ウィナフレッドは闇があふれ出たのを見た。二つの火花がそれを抑える為に、地下に潜っていくのを目の当たりにした!
「やめて、やめてください、今助けます!だから!力を使わないでください!そこから出ては駄目だ!戻ってください、お願いします!僕だけ置いていってください!」
「ヘイニー治癒士、それ以上続けるなら意識を奪います。」
「どうして、なんで!あなたたちばかり!まだみんな生きている!!!」
「もって数分の命です。明日を拝む確率の高い生存者を俺は優先します。俺はあなただけしか救えない。」
「僕以外を拾っていけばいい!」
「ヘイニー治癒士、わかっているでしょう!あなたがいなければ、たとえ生存者が複数いたとしても、明日が拝めない。この領域内の生存者がいなくなっても、外側にはまだたくさんいます。」
泣きじゃくるウィナフレッドを両腕で抱きしめる。逃げようとする前に、首を親指で横になぞった。術の全てが切られたウィナフレッドに残る魔法は一体化させられた杖の『御伽噺』のみ。森林地帯に道が開けて、耳元に風の如く通り抜けていく、鈴の音。知った声の囁きと応援の声にノガンエミズは歯を食いしばり、ウィナフレッドは両手でノガンエミズの肩を掴んだ。
「まだ間に合うんだ!ここに置いてってよ!この場に七人の魂がある!大本に戻って祓ってあげられれば!戻してあげられる!」
「それもう、変質した怪異です。地場嵐の影響で点間もつかえない。あなたの使命は生き延びること。……俺は、走るしか能がない。――今だってこの問答をしている暇もないんだ!」
最後の円周を埋める赤い外壁が昇ると市街地は完全に閉鎖された。悲鳴が聞こえる。轟音と共に森が揺れる。朽ち果てた建物が崩壊してく。
街が亡ぶ。時の使い手が消失したために、もう空間の固定が成されていない。
異界領域は、時間に成れば封鎖されることだろう。持ってあと数十秒。心臓を壊してでも前へ。前へ。
北へ、北へ。それでも、どんなに詰めても、数秒が辿り着けない。
託されたブレスレットが破砕した。停止術が全領域に敷き詰められる。兵士は託されていた銀槍を中継地点の座標に投擲すると、座標を入れ替えた。
咄嗟にウィナフレッドを固く抱き寄せる。
停止術が途切れた瞬間、魔方陣が掻き消える間際、ノガンエミズとウィナフレッドは魔方陣で脱出した。
対となる出口の魔方陣を飛び出した。空中から放り投げられる形で二人は大神殿に戻ってきた。ノガンエミズが背を下にしてたたきつけられると同時、宙に浮かぶ『魔法陣』が赤から青に書き換わる。
陣の魔方陣が収束して点へと成り収束しては再展開した。黒と白の二色の魔方陣が大神殿の壁画に表示されている。
大神殿の中、動けぬまま背中から落ちたノガンエミズをウィナフレッドが助け起こすと、ノガンエミズの右腕が炭化していた。
植物の蔓に食い破られた脇腹が灰色に染まって、波際の砂のように崩れ落ちている。怪異の浸食を防げてても、汚染はこの場所では最速の毒に変わる。肩代わりのアーティファクトも限界だ。
ノガンエミズは無言でウィナフレッドを片腕で固く抱き寄せると、頭を撫でた。辛いを思いばかりをさせてごめんなさいと囁いて、号泣する背を撫でる。
ノガンエミズは腰元の二本の鞘の内上の剣を抜いた。ウィナフレッドの足元の影に刺すと固定して移動できなくした。
ノガンエミズは大神殿の最奥に入っては都市に戻る進路を示した。次に冥界が出現したらどうなるか、この神殿の座標から点間は飛ばせないことを説明して。ノガンエミズはウィナフレッドの影から剣を抜くと、腰の鞘に戻す。ふらついたウィナフレッドを抱きかかえて、最低一月、生き延びなければならないことを告げる。不安は残れど、ウィナフレッドに生き抜いてもらうしかないことを。
……狙われるために、『御伽噺』の術式も今は切れぬことも。治癒を掛けても満身創痍なウィナフレッドの、……回路の破損はすさまじかった。それでも、この者は生きることを命じられたために、一時もせずに器の回路を『元』に戻すだろう。あの場でノガンエミズから患者の方へと逃れようとしたがために、感情が荒らぶっている。それでも、死すらも生温い激痛が器を渦巻いても、培った軍人としての理性が、冷静を貫かせようとしている。泣き果て、ここで共に死ぬことを望んでいても。諦める理由を求めていても。……本当に、我々は酷なことを強いている。
「……、僕の火花が固定の魔術?」
「そうです。……ニハイに戻れば『切』れる者が居ます。……大神殿も空間を捻って座標を飛ばしたがために、ここがどこかも定かではありません。オクの世界のどこかだとはわかっています。ゆえに、我々はあなたに、酷なことを強いています。」
「いい、……託されたから、……、この灯だけは消せない。」
必死に理性の面で押さえつけても、ウィナフレッドの涙があふれて止まらないのを見守っていると、――ぱらぱらと天井から破片が降ってきた。二人して見れば天井の魔方陣の内側から、黒い渦がにじみ出ている。
ノガンエミズは膝をつくともう一つの鞘から影剣を抜き、天上に突き刺した。雷光が走っては黒く閃光を巻き散らしている。予想以上に時間がない。
ノガンエミズはウィナフレッドの前で杖の包みを解いた。その青杖は、大神殿の神官が持つ創造級のアーティファクトだった。
「ウィナフレッド・ヘイニー治癒士、この杖はドーランがあなたに譲ったものです。努々、扱えるように大切になさって下さい」
「……ノガンエミズさん?」
「……、ヘイニー治癒士、最期に一つ授業をしましょう。あなたに教えていなかったことがありました。浄化に失敗した時の『封印措置』の扉の閉め方です。」
覆いかぶさるように片腕で頬を抑えられた。ゴーグルの外されたやさしい瞳に微笑まれて、触れられた手の熱さに気が遠くなる。
ウィナフレッドは急に立っていることもできなくなって、平衡感覚の失われる前に、床に手をついて『杖』で体を支える。朦朧とする意識を必死に掴みながら、神殿の外へと救難時の食料の入った背嚢を運ぶノガンエミズを見る。先ほどまで付けられていなかった耳環は、大神殿の最奥に設置されていた、見知らぬアーティファクトだった。
魔方陣の術式が真っ黒に染まっている。
ウィナフレッドが強い瘴気を感知して怯えれば、白かったはずの床の魔方陣が真っ黒に染まっていた。ノガンエミズは横たえたウィナフレッドの背を優しく撫でた。ウィナフレッドを杖と共に持ち上げると、神殿の外へ降ろすために移動する。
ノガンエミズが神殿の扉の前に立つと、神殿の外の森は雨によってぬかるんでいた。雨天で曇った景色は大神殿の周囲だけは晴れているが『霧』も相まって見晴らしが非常に悪かった。
雲隠れする様に霧に包まれた周囲の中、兵士は首飾りを外すと神殿の外を歩き、非常時に避難する座標となっている、入口の右側にある石碑の前に立つ。ノガンエミズは大神殿の奥にあった大布型の隠形符を地面に敷き、その上に自身の上着を置いた。
ここに籠り、残された資料で座標を把握する旨をウィナフレッドに伝えては、ウィナフレッドを敷いた上着の上に寝かせ、石碑の傍に置く。
雨除けの加護がありますと告げては外される首飾りが青杖に結ばれる。隠形符の布を掴み、ウィナフレッドは必死に顔を上げるが、全身が麻痺していた。
ノガンエミズは振り返ると、この神殿でも数分も持ちませんと諭すようにウィナフレッドへ告げる。
大神殿に向かって暗号を口にして、大神殿の中央の球体の中に浮かぶ刻印石が回転して作動を始めた。黒く染まり始めた菱形の刻印石がノガンエミズに呼応するように赤い燐光を散らしている。
ノガンエミズは振り返ると、ウィナフレッドの傍に膝をついた。帯剣していた二つの鞘を取り外すと、ウィナフレッドの青杖と共に鞘を置いた。
ノガンエミズが自身の左足に突き出している。貫通した切っ先に血が垂れると、そのまま血糊を掃って詠唱の続きを口にした。
黒刃の剣を自身の太ももに突き刺すと、ノガンエミズは貫通した切っ先から血を垂らした。そのまま血糊を掃って剣を抜くと、ぬかるんだ地面が白い石畳に変わる。偽装されたもう一つの領域に入れ替わった。
ノガンエミズが何かの魔法を使っている。垂れた血が鞘を中心に円に広がり、ウィナフレッドの周辺を覆うようにかたどると、それは蔦を伸ばし光の網に成った。金色の焔を熾こる。金色の焔が垂れた血を辿って鞘に乗る。鞘を中心に金色の環が広がった。環はウィナフレッドの周辺を覆うように象ると膨らみ白い蔦の繭となった。
大神殿の奥から大きな音がする。ノガンエミズはお別れですと短く告げると、ウィナフレッドの傍に膝をつき、最上位の敬礼を成した。ウィナフレッドが必死に伸ばした指先が優しく左手で握りしめられて、手の甲に額を押し付けられた。安寧の眠りが発動している。
ウィナフレッドの眼を見て、ノガンエミズは優しくウィナフレッドの眼を覆った。
ウィナフレッドの意識が落ちる。作動を確認して。ウィナフレッドの体に自身の上着を掛けた。傍の青杖に触れて、祈るように安らぎを願う。
「『我が魂に誓い、目の前の者へ祝福を与える。理に刻みし内側を開き、器を持って対価と成す』」
封印措置の扉の閉め方は人柱の血で神殿の魔方陣を満たし、器と理をすべて使って存在値を消費して次元の座標を虚空の領域へと外すのだ。灰色の世界へ閉じた後、停止した時間の中で永劫彷徨う。座標の要素は黒にのみ込まれてしまうだろうが、封じられた魂は灰色の世界に閉じ込められる。いつか、壊れるか、観測されるまでいつまでも。
――願わくば、皆に安らぎのある結末を希って。
兵士は神殿の扉を内側から施錠すると黒い渦に黒い刃の剣を投げた。
対照的な白い雷光がほとばしる。兵士は足元に刺していたホルダーから短剣を取り出すと両手で自身の胸の上に構えた。ちいさく息を吸うと、兵士は自身の胸に向かって刃を突き刺した。
「……我々はあなたの未来を願っています。すみません、私たちは一足先に休ませていただきます。良き旅路を。我らが愛しき治癒士殿。」