銀杖の担い手 ライト版 作:海に流れるアリ
前髪から覗くのは、青い瞳だ。
路地裏では逆光でよく見えなかったが、改めてみると、この人はやっぱり瞳が良いな。きれいだ。
日が暮れていた。夜の部屋を見渡せば、薄暗い部屋の中の明かりは手元の箱型の傘をした照明だけだった。
寝かされている寝台の上、自身の肩は包帯がまかれており、太ももはギプスで覆われていた。しかし、貧血の中、腕には点滴も管も刺さっていない。次元規模の阻害が自動で行われている為だろう。許可したもの以外を一切通さない制約上貫通は阻害されている。
直す手段も限られたウィナフレッドは自身の理力を使い、ずっと杖を抱えて椅子の上に座り術式を展開していたようだった。一歩分の距離を開けて。
「なんでそこにいる?」
「ごめん、僕も疲れすぎてて、全部持ってかれたし。ヘズさん覚えてないの?、さっきまでランテッドさんが傍でずっとついてたけど。ヘズさんって、寝ぼけてると抱きしめて来るよね」
抱きしめてたと、抱きしめられてた、と二人で無言。
「……、……謝罪はいるか?」
「すっごく恥ずかしかったけど、僕も本気で眠かったから忘れることにした。治癒術も稼働させてたし、ランテッドさんが大丈夫だって云うから安心しちゃって。……ごめんね、ランテッドさんがいた時間の方が長くて、僕もさっきまで一緒に休ませてもらってたんだ。だから、僕も起きたの、実は一時間前。」
「いや、俺の方こそ拘束してすまない、痛いところはないか?、……すぐに気を失ってすまなかった。」
あれは仕方ないよ、とウィナフレッドが笑う。体調もいいぐらいだよ、と照れては微笑まれて、なんだか胸が熱くなった。
困惑してウィナフレッドを見つめていると、そのまま時刻を告げられた。半日以上も眠っていたらしい。十八時間だぞ。
ずっと治療をしてくれた騎士殿にも悪いことをしたな、とゆっくりと起上がれば、ウィナフレッドが眉を寄せた。そのまま彼女は椅子から立ち上がると、俺の体をゆっくりとベッドの上に戻していく。戸惑いに腕を上げれば、鈍い痛みを覆うように、彼女に擦られる指の熱さが伝わる。
血が滲んでると零されて肯定すれば、静かに包帯を結び直す音がする。
力が及ばなくてごめんなさいと零されて、吃驚して起き上がれば、お願いだからと制される。
「ランテッドさんと一緒に僕も治療したけど、一向に塞がらないんだ。僕にできたのはあなたの傷の汚染を祓う事だけ。……いくらやっても、砂漠に如雨露で水を注いでるぐらい手ごたえがない。だから、安静にしてもらうしかないんだ。ごめんなさい、力及ばなくて」
「いや、生きてるならそれだけで十分だよ。ありがとう。」
礼を告げると、悲痛な顔をしたウィナフレッドが目を閉じて何故か口を一文字に結んでしまった。そのまま、風で静かに体制を戻される。
キングサイズのベッドの上、客間用の個室だという寝台の上で俺は天井を見上げる。あのホログラムの装置はないな、と残念に思いつつ、隣に再び杖を支えにして治療を継続するウィナフレッドを見つめる。
騎士殿が治療中の俺から離れるとは、ウィナフレッドはよほど信用されているのだろう。聞いた時刻を換算すれば、既に交代して薬の購入に外へ出て一時間も経っている。十中八九何かしてるな。
騎士殿が戻ってきた時刻はウィナフレッドが必死に俺の傷口を塞いでから三時間ほど経った後。院全体の魔力を注いてようやく血は止まったものの、構成する器の要素が無いために回復が図れない。削り取られた部位は永劫回帰の呪いのバッテリーに成っちまったからなぁ、仕方ないね。入出許可を全面的に与えているから、いつでも出入りできることを示されてどうしたものかと頭を覆っていると、涙の気配をにじませたウィナフレッドが動き、照明が落とされる。暗闇で覆われた視界の中。熱がある。骨が折れていた部位もあると諭されて、眠るよう促されるが困ったことに眠気が消えてしまっている。
とりあえず、有能な騎士殿がメフィスは確保できたことに安堵していると、熱もあるから、と弱った声のウィナフレッドに頭に乗せられた氷嚢とタオルで視界をふさがれる。……。すまない、と零して尋ねるために手に触れれば、一瞬固まったものの、ゆっくりと指が握り返された。
目を細めながらも指で肩を探る。抉られた傷が完治せずに残っていた。この問題は、削られた部位を補完できない為に永続的に現象が保存されていること。改変するのに院全体の魔力を費やしたこと。……間違いなく現役時代の器の頑丈さはある。再生機構も。防衛機構の首飾りを外していた為、運悪く削り取られてしまったとはいえ、戻したら今までなら即座に再構成できていた。
それなのに塞がらないとは、一体全体どんな霊格の権能なのか。可能ならば分析してみたいものだ。ついでに不思議すぎるこの状況も。
「なぁ、ウィナフレッド」
「なに?」
「俺ずっと思念でも君のこと呼び捨てでウィナフレッドとしか呼べないんだけど、君、何を等価に誓わせた?」
「本名を呼び捨てで呼ぶこと」
「騎士殿に説明されたのに?」
「ランテッドさんに今回の制約の成立を説明されたから、その、選んだんだけど、駄目だった……?」
ウィナフレッド、うぃーなーふれっどー、うぃ、な、うるく、ウィナフレッド。駄目だ。俺側の改変が無理だマジで誓ってる。
無言を貫いていると、涙声が一層深くなる。違うんだ否定したいわけじゃなくてだなぁ、と額をさすれば本音を求められる。
「撤回してくれ、俺のストレスがマッハで溜まる。」
「そっ、そんなに嫌なの!?」
「違うよ、条件が厳しすぎて君の許可が無いと敬称と渾名も呼べないの。申し訳ないんだが、気持ちの整理がつくまで待ってほしいというか」
「……なんて、呼んでたのか、素直に並べてくれたら、検討してあげる。……、……お兄さん、診察続けたいからそのままでいい?」
「俺は先ほどと同じように君の宣誓を壊すぞ」
「やっぱり嫌なんじゃない!」
「違うよ、あー、なんでそんな今泣くんだ可笑しいだろう、じゃなくて、俺の我儘の等価として結ばれた君の自由が本名を呼んでほしいだなんて、慎ましさが過ぎるぞ!」
「だって、日常じゃ呼んでもらえないんだもん。」
一体俺をどうしたいのかなウィナフレッドサン。あ、呼べた。
風を編んで頬をくすぐれば、椅子の上で丸まってしまったウィナフレッドさんがそろりと俺を見る。起き上がって膝を付けば、自身の辛さを忘れてこちらを慮りに来るのだから参ってしまう。首飾りからハンカチを取り出して涙をぬぐうが固く閉じられた瞼から雫は次々と落ちて来るのであった。ため息とともに触れる許可を取って背をさすれば、素直に肩口に寄せられてくれる。
「あのな、俺は君の自由を確約するまでは傍にいるよ、君が嫌がらない限り。だからそんな寂しそうに言わないでくれないか。この国で君は俺の身内みたいなもんなのだろう?」
「うん。」
「君の危機感の無さが心配になるが、俺で良ければ自由に願ってくれて構わない。できる限りこたえるから、せめて君への解を示す自由と、呼び方の自由を承りたい。誠実であることを許されるのであれば、君が希う呼び名も状況を検討して対応させていただきたい」
「急に、真面目に回答をされてびっくりしてる。」
「そらそうだろう、ここまで来て、ハイさよならは、流石にな。……だから、厚かましいんだが、しばらくは院に置いてもらってもいいだろうか。」
本当にさよならしない?、と伺われて直前までどうやって穏便に姿を暗まして支援するか考えてたのがバレてることを悟る。だから、この人は恐らく騎士殿と交渉して二人きりになったんだろう。壁に掲げられた黄金色の重杖がその証拠だ。呪いが安定していないのに、危険を見過ごして騎士殿が離れるわけがないからな。
「あなたに、傍にいてほしい。それは責任とかじゃなくて、僕が望んでヘズさんにお願いしたいことなんだ。……今ね、感情が揺れすぎて、誰か傍にいてくれないと気がくるって、壊れそうになる。揺れ返しだと解ってるのに、感情が抑えきれない」
「……それは、まずいな。代打は騎士殿じゃダメか?」
「妻帯者にひどい事させるのは駄目でしょ」
「そりゃそうか……」
ヘズさんがいい、と涙ながらに小さく呟かれて、ちょっと信じられないぐらい胸の底が熱くなった。
年甲斐もなく照れている。片方の手で面を覆えば、ウィナフレッドさんが困惑している。
「……君も俺の名前を知ってるんだよな」
「等価の時に互いに刻んだから、当然でしょう?、これも、駄目だった?」
「ん、いや、まぁ、自由に読んでくれて構わない。どれを選んでも、君が呼びたいならそうすればいいと思う。……、だから、その、俺も君の名前を、自由に呼ぶ権利をくれないか。等価を担ってくれるなら、俺も君の名前を自由に呼びたい。……許可をくれるなら、君側での改変は可能だと思う。そういった自由を空白の概念に組み込んだし。申し訳ないが、俺側の改変は無理なんだ。今の俺には対抗する力は残ってないから。」
「ヘズさん、自由に希少品を使いすぎだよ」
「全然足りないぐらいだと思ってる。全てを考えても、君がこの院に保護してくれた恩義に比べればちっちゃいものだ」
笑いかけて震える手を握り返せば、ウィナフレッドさんがぼろぼろと涙を流す。許可を受け賜わってウルクフさんと呼びかければ、再びウィナフレッドさんが涙をこぼした。感情が不安定なんだ、と腕で拭おうとするので抱き寄せて背をなだめる。二回深呼吸をして、ウィナフレッドさんと呼びかければ、頷きが返ってきた。
「……、ヘズさん」
「なんだ?」
消え入る様に一緒に寝ていいですか、と、消え入るような声で呟かれた。
浄化と再生の魔方陣が室内に張り巡らされてる。これはニハイの都市に敷かれたものと同じでその何倍も強い循環で行われている。
魔法石は地下要塞の要にあり、院全体がそれに支えられて、『魔法』が半永久的に恒常で発動しているのだとか。
明らかに枠組みから外れているこの院の仕組みを作り上げたのが彼女の祖父ならば、それに連なる経歴をお持ちなのだろう。
求められるがまま安定に願われた抱擁を返すが、ずっと縋りついて泣いていて、眠る気配がない。
本当に先ほどまで眠れていたのかと問えば、共に安寧の眠りを掛けてもらっていたという。なるほどね。
僕の方の疲労もある程度軽減してもらったんだけど、と恥ずかし気に顔を伏せるが、いくら器が健康であろうと精神が不安定であれば感情は荒れ狂うものだ。神域に至る存在であればなおさら精神が安定してないと器に変化が出るモノだった。
安寧の眠りを掛けようかと問えば、否。
堰き止められない感情を必死で抑えるウィナフレッドさんの頬をくすぐって意識を此方に向けさせれば、途端悲痛そうになくので困り果てた。
許可を取って器の改変を行えば、先の姿、一つ前の時代を過ごした女性型で再度抱擁を行う。
騎士殿の治癒術もあるから、心配はなさそうだが、子守時代の逆置換、血の陣が使えるならどうにかなるだろうと器に『理』を回せば、『顕現』が起動して一瞬で女神代行時代の理寄りの器に戻った。騎士殿の情報対価素晴らしい。まあ固定しすぎると戻れなくなるので『体現』の保険がある今だからできる技であるが。譲られた回路も消えたら『顕現』は出来なくなるな。
無能のままだがこれならば呪いも防げるし、君の精神安定剤になれるかもしれないと背を宥めれば明らかに切り替わった器の構成に吃驚している。固定した時分を引き出すと『祓い』が自動発動するんだよな。バグってるからいけるっぽいと告げれば感情が切り替わったのか、ウィナフレッドさんが俺をまじまじと見つめている。なんかついてる?
「……なにに吃驚してるんだ?」
「ヘズさん、祝福を複数持ってるの?、それが、さっきできないって云ってた『体現』……?」
「あ、うん。是だ。もう君と等価の身命宣誓をしたので開示をするが、俺は女神代行者時代があって、以前、この権能を先代女神殿から承っている。告げていてなんだが成功は半信半疑だった。でも、存在を固定してたから復元が可能だったみたいだな。今使える理由はメフィスを確保したからだ。ビーコンの役目が終わった。」
「……、……、色々と、規格外の可能性が出てきたんだけどまず一つ、あの、なんで今、一つ前の姿に変わってくれたの?」
「先ほど求めていただろう、?、同性の方が女性は安心するもんじゃないのか、?、小さい子はだいたいそうだったぞ。悪いがこの器は生来の器を改変してるから、理と器は回復してない。愚者の鎖を切った訳じゃないから、無能のまま呪われたままだ。ごめんな。」
「今色々と聞きたいことがあるんだけど、感情が不安定だから流します。でも、ありがとう。僕を慮ってくれたのはうれしい。」
祝福くれた先代殿まじで尊敬してます。院の中では作動できない為に、ぶかぶかになった上着をはしたなくない程度に被り直せば、暗闇の中でも驚きに満ちた瞳でウィナフレッドさんが俺を見上げている。懸念事項を払拭出来たらいいなって、俺も考えたんだけど、改変しても傷口は治らなかった。触れられた傷口に触れる指の熱さが辿ってくすぐったい。変化しても誤魔化せないってことは、構築する『理』っつーか、存在の大本、霊核のエーテル体が欠損している可能性が出てきた。まごうことなき概念浸食だ。一つ目の先代殿の神秘でギリギリ対抗できたことから尋常じゃない格上の権能なのは解っていたことだが、良く生き残ったな俺。
どうすれば治ると問われるが、騎士殿に聞いてみないと解らないなこれは。
借りに転生しても付いてくるかもしれないなと思考を浮かべれば、無言で顎に指を掛けられる。
「絶対治します」
「そんな必死にならなくてもいいぞ」
「絶対治す。僕の誓いに掛けて。」
「あー、これに関しては俺の不手際だから、その、君が悲しむ必要はないんだ」
ちなみにこの理寄りの器に戻ると外側への祓いが常時発動する。器寄りの時は内側の意識に向けて行ってる。昔に固定してしまったので、実質表裏一体の置換作用なのだ。どちらも元の器の基本を忘れない為に縛ったので、基本この二つの姿が俺のメインシフトなのだ。
どうだろうかと背を撫でれば、手を握りしめられて、額を寄せられた。ウィナフレッドさんが俺の手のひらを指で撫でる。
流れる様に顔を覗き込まれて頬から耳へ、長くなった後髪を梳かれた。
大半は肩甲骨ほどだが、三分の一ほどは尾てい骨の上部まで伸びているのは神官時代の名残だ。切るなと厳命されたので固定した姿を作った後普通に切ったらめちゃくちゃ怒られた。条件を満たしたのにな!と抗議したのはよく覚えている。笑い話を交えて口にしようとすれば、何故か顔を覆ったウィナフレッドさんに当時から行き当たりばったりだったんですねと評された。目を瞬く。流れてます思考が、と問われて情報の伝達に検索を掛ければ記録の共有が起きている。
……なあにこれ。共有、リンクの切れる条件は触れてないこと。わぁ。首飾りをしてても貫通するってことは俺の本心が駄々洩れで発動している。……。単略式発動!消しゴム召喚!。消失した瞬間、ガバリと姿を起こしたウィナフレッドサンに胸ぐらをつかまれた。
「え、ちょっと待って、あなた何消して、えっ度々記憶消してるんですか!?なんで消したの今!」
「セクハラをして済まない。早急に防ぐ手段が必要だなと思う許してくれ」
「セクハラに至りそうな思考してなかったでしょう今!、ちょっと薄く離れるじゃないんですよ、それは僕が困るの!、ヘズさんこれはこっち見て答えて下さい、あなた思考の共有網普段からこんなに緩いの!?」
「……、……生来から、こんな感じ。あんまり普段から考えないからデメリットも特にない」
「あなたよく攫われなかったね!?、じゃなくて、攫われたことあるじゃん!……、……ヘズさん?」
「君、頭を回すのうますぎるぞ」
涙が引っ込んだっぽいウィナフレッドさんが容赦なく俺に触れて来る。やめてやめて理回さないでと押しの強さに悲鳴を上げれば、ぴたりと止まる。夏の青空の様の如く感情が変わる人だな、と枕に顔を伏せて呼吸を整えていると、長いため息の後、頭を撫ぜられる。慰めていたのは俺のはずなのに、なぜ。
「……、もう感情の整理がついたのか?」
「今過去一番荒れ狂ってますけど僕の感想を口に出して述べましょうか?」
「いや、なんか怖いからいい。」
全部吹っ飛んだ、と面を覆ってしみっじみと呟いて俺を恨みがましく見るウィナフレッドさんである。
再度共寝を希望されて横たわれば、必死にひっこめた感情の切れ端を見つけてしまった。僕相手にそういう遠慮しないで下さいと告げられて普通に困る。欲しいものはないのかと問われても、その。ないけど。気遣いの報酬?、そんなのいらないんだけど。あー。
「じゃあその悲しみを一緒に祓う、許しを貰えないだろうか」
「…………あなた、今までそうやって何人の人を泣かせてきました?」
「なんで断言されるんだ!?」
背を撫でられてぐりぐりと額を押し付けられた。クッソ長いため息と共に降参の声が届いて屈むように指示を受ける。
目線が在ってパチクリと、目を瞬けば左右に頬と頬が触れ合った。気恥ずかしさに固まれば、首に腕を掛けられてさらに額が合わさる。
そのまま数秒、目を閉じたまま徐々に頬を赤くしていくウィナフレッドサンを見つめては、恥ずかしいならやめた方が良いのではと諭してみる。徐々に力が抜けていくウィナフレッドサンであるが、理性で甘えを抑えているのは他人事ながらよく解るので何もしない。外道と云われても此方が動いたら駄目な場面って、あるじゃん?。
僕が負けっぱなしなのはよく解ってる、と哀愁を漂わせて離れ始めたので見守っていると、感傷一つない俺のひとでなしさが露呈してしまった。
「ヘズさん、今更ながら、褒めてって言ったら褒めてくれます?」
「……それが求められるのであれば?」
「じゃあ、ヘズさん式の、自然体で傍に居てほしいって云ったら、あなたはどうしてくれますか?」
「えっいきなり要求の難易度高くないか?」
「だってなんか、ヘズさんに気を使われるのがすごく嫌なんだもの。他人行儀で慰められるのもヤダ。」
「それは親愛を示してほしいという事か?」
「はー。」
おっかしいな、自然体でこの人を労わろうと思っていたのに方向が変わっているぞ。耳が朱色に染まっていることから本気で頑張って告げてくれたっぽいんだけど、心当たりはない。
頑張って頑張って頑張ったのだから、少しは受け皿に成ろうと思ったのだがうまくいかないものである。ほぼ他人であるが身内認定頂いたので、受け賜わったご厚意に報いたいというだけの情は在るのだが難しい。まったろくでもないことを考えているな、という視線は少々抑えていただきたいのですが。
「同情されても嫌だろ」
「それはね。そうだね。」
「どうあがいてもこの場面で君に理想を演じても受け入れてもらえないだろ?」
「えー、ヘズさん僕の理想とかわかるー?」
「おかしいな、なんでそんな半笑いで挑戦的に言われないといけないんだろうな……?」
「……、意図して僕との茶番に付き合ってくれるのは、本当にうれしい。暴かないでくれるのも、全部。」
「……。」
大人すぎるんだよなぁ。額をさすってはウィナフレッドさんの指に触れる。深呼吸を一回。勇気を振り絞って、小声でもう一つの身命を耳元に囁けば、惚けた様に此方を見る。無言で抱き寄せて胡坐の上にのせてみれば、じわじわと頬を赤くしてくれる。これは正解っぽいな。
「……気の利いた言葉も何も言えないけど、その、俺で良ければ抱き枕でもなんでもなるよ。胸を貸すぐらいしかできないけど、忘れろと云われたら先ほどの様に忘れることもできます。一時的に感情を整理する場として、どうだろうか。」
「……。何でも聞いてくれますか」
「答えるには限りがあるけど、傍に居ることは確約する。」
感情の切れ端を引っ張る様に背をさすれば、徐々に隠れていた波長が戻ってきた。寄り掛かられて背を宥めれば無言で肩が震えはじめる。ウィナフレッドさんの胸を占めるのは、達観した自嘲と反省。そして寂しさと悲しさと、辛いぐらいに苦しい罪悪感だった。
「ごめんなさい」
「何を謝る必要がある。このぐらい当たり前のことだろう」
まぁ、嫌悪も拒否もないので一応許容範囲の接触だろう。泣くな泣くなと抱きしめていると、あなたは病人なのに僕が無理をさせてしまっている、と自己嫌悪を滲ませ始める。
「接触してると理力をもらえて助かるぞ。逆に君の体力を奪ってるから、君の方が辛いと思うんだが、……君の方こそ俺に触れれて気分が悪くならないか?」
「……一日中傍に居てほしいんですけど」
「望むなら叶えてあげたいが、君の体力の回復が出来ないから今は駄目だ。」
固く抱きしめられた。何故かぎゅうと握りしめられる背中の強さが増していく。力がちょっと強くなってきたな。
額を押し付けられて、滲む涙の湿り気に俺は何とも言えず、自身の額をかき上げては、そのまま彼女の頭を撫でてみる。声が押し殺されているので、苦しかろうと、宥めて頬を撫でれば嫌がられた。困り果てて、嫌だったら忘れるから、と答えれば静かに声がこぼれ始める。
このまま眠れるならどうぞ、と背をさすって頭を梳けば小さくため息が返ってくる。涙が止まるまではこうしていようか、と告げれば、無言で背中に腕が回る。十分ほどしてウィナフレッドさんが徐々に落ち着き始めた。短すぎる気もするが、と問えば十分労わられましたという返事。
記憶喪失について問われた。うっかり零してしまった記憶の案件に辿り着いているらしい。
「やっぱり、記憶が抜かれてる?」
「十中八九。そうでなければ、君がここに居れるわけがない。断言できる。」
「情報封印とは別?」
「任務要請の種別を軽くといえ口外しても問題ない程に君は口が堅いのだろう?、その上で携われない情報などがあるんじゃないか?」
「……。」
曰く、徐々に開示される封印かと思えば、一気に全ての情報が戻ってしまったらしい。完全に内部にあったウロボロス型のアーティファクトを壊したせいです。本当に申し訳ございません。謝罪を述べれば無言で首を横に振られる。今まで特定の情報に対する興味がすぐ失せていた為、自由に思考する余裕が出来たのはこれが初めてらしい。凄まじい縛り方をされておられた。ただ、その情報の循環と連想、逡巡する速度が早すぎるために、星の魔力で記憶が復元させる前に、俺側の血の陣が反応しているとか。映像五感に直接脳に反応するのではなく、俺側が処理して記録という形で文章の如く客観的に視れるようにしているとか。……。
「その、ヘズさんの傍に居ると、記憶の濁流が止まる。意識がつなげるぐらいに、ちょっとだけ。」
「ごめん、もう何度謝っても仕方ないと思うんだけど、君に直接使用した概念条文が俺と反応してる。身命宣誓をしたせいで、祝福と同等の効果が反映されてるんだと思う。誓って君側の記憶は俺に流れ込んできてないんだが、恐らく君の理力を奪う代わりに俺のエーテルが回っているのかもしれない。君側で動力を賄ってもらう代わりに、プラスアルファで俺側のウロボロスのアーティファクトを作動させてるっぽい。え、君の記憶の封印、双方で処理してやっとなのか……?」
「それでもまだ足りない気がする。欠けてる感覚があって」
「これでもまだ……?」
現在はそれを知覚する前に気絶寸前に陥るので、自分自身で制御している状態だという。現在進行形で。
ウィナフレッドさんに顔を上げてもらい額に触れる。円をかいて親指で触れれば、バチリと黒い閃光が走った。
今の現象は『神秘』による防衛措置。防衛側と力の差が在るために干渉不可という意味だ。一昨日きやがれというやつだな。
壊すと恐らく封じられていた記憶自体に傷がつく。歪むと冥界と大差ない。これは手出しができない。
しばらく目を閉じて額を寄せてくれるウィナフレッドさんの額に触れながら、理を入れて首に触れる。
手を当てていると、一定の感覚で暴走する魔力の気配。増減しては爆発的に増えて、掻っ攫われるように消失している。う、うわああ。
回復できぬよう奪ってると告げれば、きょとんとしてウィナフレッドさんが眼を瞬く。
「俺が傍に居るから君の不安定さに拍車がかかってる。」
「悪いこと?」
「恐らく、だけど逆に俺側がウロボロス型のアーティファクトの要素を持ってるから、それを君側で改変しつつあるのかもしれない。」
「え、僕がヘズさんを改造してるってこと?」
「え?、あ、いや、どうなんだろう、恐らく、君の理力に混じる、……」
あー、これは騎士殿も感知できない院の守りで徹底的に秘匿されてる。その上で、この人何かに汚染されてる。これは告げることが出来ない。
その上、こんな不安定な状態で治療を成してくれていたのだ。ますます申し訳が立たない。
「開示しようとした?」
「いや、淀みを引き受けようとしてみたんだが、出すことが出来ないな。溶かすしかないみたいだ」
「まったく、干渉された実感が無かったんだけど。そんなに、酷いことされてる?」
「逆だ。これは君の保護の装置だった可能性が高くなった。俺が奪ってしまった為に、最悪の形で復元させてしまってる。」
聡い人だから、きっともう、呪いの大本と解析を済ませて、身に宿っていた制約を理解して答え合わせを済ませている。
震える背を規則的に宥めながら、そんなことはないと告げてくれるウィナフレッドさんの器を持ち上げる。
独り言だが、と述べて転がり落ちていた氷嚢を風で拾うと、寝台を降りて、もう片方の手で窓際の椅子を引いた。
窓際の青い月が照らすの中、看護に用意された椅子に座り背を宥める。許可を問、窓を広げれば、冷えた夜風が入ってくる。
眼を瞬かせても足の上、素直に腰を下ろしてくれたウィナフレッドさんを固く抱きしめながら、騎士殿が壁に掲げた黄金色の重杖を手に取った。はっとした様子で包帯が滲むから、と円柱型のクッションも背中に借りる。
氷嚢を背凭れと首に挟むと、重杖を振って魔方陣を開く。予想通り登録してない杖であっても俺の干渉が可能になっている。
金色の魔方陣が光る先、上下に環になった二つの金の環の中に白焔の光が灯り始める。
見てごらんと囁いた先。白焔が変化した。宙に浮いた黄金色の球体の中、ホログラムが浮かんでは色彩の線が走っていく。球体が透明な立方体になる。ウィナフレッドさんの手を借り受けて触れてもらえば、その中に映る二つの橙色の球体。加護の詳細。螺旋状に条件を示す光示の文字が紡いだ糸の生地の様に球体に重なっている。文字の中に所々虹色の線が走っている。
首飾りの翻訳を見たうえでの詳細なのだが、と一言の断りを入れる。
「君には二つの加護が結ばされていた。一つは恐らく君の祖父。一つは、君の信頼できる人物だ。同じ治癒士でないと無理だろうその肩代わりの度合いは、身命を賭してでもと、血の宣誓で結ばれていた。それは緊急時、君の死を肩代わりする呪いだ。それは同時に発動している。その上で、この院の制御を成している側がさらに強固に賭けていた呪いがある。どのものであっても、回帰に触れるべからずだ。それは君に対して院に『長』がやって来るまで継続して行われていた。……『長』と契約をしたのか?」
「……、あなたが眼が覚める前、暴走した怪異を抑えるために協力をしてくれました。恐らく器を借りた人物が『長』なら、そうかもしれません」
断言できない程度に不安定な状態で顕現してたのか。誠に申し訳ない。深く考え込むウィナフレッドさんの顔は真剣だ。
「騙す騙さないの理由は俺にはわからないが、君は幸せを願われては籠に入れられざるを得ない境遇にあった。それは確定している。だから、本当にすまない。俺は自分勝手な理由で、君の取り巻く保護と加護、そして信頼をすべて壊した。その上、不安定な状況下で一方的に君に自由に思考をできる権利を与えてしまった。……もう、たったこれだけで、君は真実にたどり着き始めている。君は聡すぎるがゆえに、思考を制限されていた可能性がある。そして、こんな俺に縋ることしかできないほど、苦境に立たされて、翻弄されてしまっている」
今なら君を支配下に置くことも出来ると口にすれば、困惑に眼を染める。
何を意図して急に落とすのか、という思案を眼で見て、苦く笑う。祖父を探したほうがいいと告げれば、苦いものを食べた様に貌をしかめている。なにかね。
「……あなたまだこの期に及んで離れる機会を与えてます?」
「いや、君割かしこの院を掌握される危機に陥ってるぞ。自覚してくれ」
「……してないじゃないですか」
「流石に恩義に背くことはしないが、暴走したらいつでもここを崩壊させることが出来る。自覚してくれ。」
「……。……、褒められてます?」
どうしてそうなる。
「僕がヘズさんの行動を掌握出来てるってことでしょ?」
「君なぁ、大厄災の手を取って全てが台無しになりました、なんて考えうる限り最悪の結末だろう。事実院の権限を俺が奪い取れそうになってる。これを伝えないのは流石に不義理だろ」
「その上であなたは動くことはない。断言できる。」
そんな確信めいた顔で云われても困るんだけど。それに慮ってくれる、と続けられて眼を瞬く。
この秘密を共有できる人物はあなた以外に居ないと先回りして告げられて口をつぐむ。『院』の立場が特殊過ぎるうえ、職業上知られてはいけないものがたくさんあるという。そうだろうな。ちなみにですね、と真直ぐ見上げられて、祖父のことを院外で漏らしたら捕まることを教わる。なんて?
あなたは僕に眠りの魔術を掛けた後、きっと僕の祖父を探しに行くね、と断言されて目を反らす。ウィナフレッドさんは小さくため息を吐くと俺の名を呼んだ。
「ごめんね。それをするとあなたは問答無用で軍に拘束されることになる。」
「何故だ?」
「僕の祖父の存在自体が、この都市、世界全体の機密事項だから。知っている人間は僕と限られた幹部しかいない。」
「……なんで俺に情報をこぼしたんだ?」
「万が一脱走されたら、何処から漏れたかを必ず捜査する。そしたら猶予が作られるし、確認のために必ず僕に連絡が来るから。打算も兼ねてる。……初めに情報をこぼしたのは、あなたが僕の何枚も上手の人だと解っていたから。……保険を兼ねてた。」
やだ、この方、上司殿に似た人の動かし方を掌握されてらっしゃる。しかも俺への保護を兼ねて情報をこぼしてらっしゃる。
「……なんで急に照れてるの?」
「何も考えずにはしゃいでいた自分が恥ずかしくなった。」
「……、その、おじいちゃんに関しての情報制限は今も厳しくて、僕も記憶が戻った今でも、あなたが抜かれたという情報に全部持って行かれているようなんだ。家に手掛かりは一切ないのは確認済み。だから、外へ探さなければならない。過去にその行為は何度も妨害されている。……だから、手掛かりを探すのは僕一人では無理、だから、……僕はヘズさんに協力を頼みたかった」
「ぽっとでの人間を信用する時間が短すぎないか?」
「命を賭して救ってもらったら、騙されてでも恩義を返したい思う程度の情は僕にもある。……ねぇヘズさん、教えてください。僕は何も忘れていないと自負していても、あなたが記憶喪失だと断言できる理由は何ですか。」
「情報から行動に移るまでに間に三回検閲が行われている。記憶が何らかの媒体を介して中継されてるために、……第三者が記憶を弄るそぶりを見せれば、君の存在自体が強制的に休眠措置に陥る罠が仕掛けられている。発動すると、術者が点間門を通って召喚される仕組みが成っている。」
「……、それごと全部切ったんですよね?」
「罠の術式は全部切った。でも、誓って加護は切ってない、です。」
「あなた僕が気付くのを解っててこの後強制的に記憶を抜こうか迷ってましたよね、それでもためらう理由は何です?」
満面の笑みを返されて白旗を掲げる。掛けられた加護自体が改変を禁じるものだからだ。制約を解除した時点で段階的に記憶の封印が解放される仕組みが出来ている。
推測だが『淀み』として接続禁止された部位に留められていたのではないだろうか。
「段階的に、休眠を経て処理が行われる。その段階が終わるまで式に介入すると、君自体が壊れる可能性がある。条件に必ず意識を一度静める必要があるんだ。」
「……可能性を排除するには?」
「……解体するか、もしくは祓い手が丸ごと引き受けて、処理した後情報を返す。……その場合、許可なく行う行為は、人倫に悖る行為なので、情報を篩、祓った後、君に、返す算段だった。もちろん、読んだ記憶は全て焼却することを考えていた」
「……あなたは記憶の中の厭や淀みも祓える人なんですね。」
「一応。」
「ヘズさん、協力してください。現状維持のまま。協力後も僕の記憶を抜かないことを誓って。」
「……確約はできない。」
「僕はあなたに背負われるのは嫌だ。」
「俺だって進んで人のプライベートを暴く真似はしないが、俺は怪異ゆえに、リスクの方が高くてだな……」
「だから、あなた、記憶に残らないよう立ち回って僕の自由を確約する気だったのでしょう。軍に拘束されて。」
「そうすれば安全は確保される。」
「現状でも一人じゃ処理落ちするんです。僕だけじゃ意味がないよ。」
「ソウデシタネ」
あなたは印象とは裏腹に裏をかくのが手慣れてるね、と目を細められた。一転してめちゃくちゃ怒ってらっしゃる。共有網が緩く見えても、実は暗号の専門なのだ。教えられないけど。情報の対抗だけは得意だぞと胸を張れば、困ったように額を預けられる。探る素振りを一度もしてこないのは、彼女なりの誠意だろうか。ゆるやかに襟首を掴まれたが、瞼を閉じた深呼吸の後、上着を整えられるだけで済まされる。胸の傷が見えていたらしい。
騎士殿への連絡を問われて、今は遮断している旨を伝える。誠意を以て真実のみを選んで話している。院に記録されている為に。
この院に居る限り、どこまで行っても上位権限はウィナフレッドさんにあるのだ。許可があれば別だが、と答えれば、考えておきます、とウィナフレッドさん。
「……ウロボロスと称したアーティファクトが、僕とヘズさんを繋いでるってランテッドさんが説明してくれた。長く共に器と回路を改変していたために、陣が『器』に残ってる。血を垂らしてもそれは作用すると。そして、それが共鳴して、点間の作用でヘズさんの奥にある霊気自体を権能を介して、僕に循環してる。」
「え、それはまずいまずすぎる、君なんで平然としてるんだ!?」
「ウロボロスと供給される最初の工程であなたが置換して無色の要素に戻してるから、この処理で染められることは永劫に無いから安心してくださいって云ってました。僕限定の人型の回復薬だとも。」
胸を貸してくれてありがとうと、ウィナフレッドさんが額を合わせて俺を抱き寄せる。いつの間にか騎士殿が忍ばせた黒金色のオークション通貨が花瓶の底で魔力装置の役割をしていた。ウィナフレッドさん限定で。そういった機能のアーティファクトだとは思わなかったなぁ。騎士殿の魔力は『渦』だから、恐らく濾過してくれてるのだとは思うけど。まぁ、親しい者にも伝えられない事情はある。その上で付き合いは続くのだ。信頼と友情を以て。
「あ、一つ騎士殿の解説が間違っているだろう事項がある。厳密に述べるならば、宣誓は複数あった、抜け落ちた、というよりも抜かれた記憶の方に。記憶を抜いていた人物に心当たりは。口に出さなくていい。その人物が『抜けなかった記憶』が君の中にあり、その制御に準じていた可能性がある。特定のトラウマを引き受け、君の保護を一手に担っていた。全てを消さず、特定の情報だけを記憶として抜くのは難しい。専門を冠していても、大抵は失敗する。記憶というのは根の如く伸び、器に神経の様に結びついている為に。」
「……裏切られていないと。」
「二人とも君の味方だった。断言できる。親愛と真心が無いと、絆による加護は乗らないよ」
徐に頬に両手を伸ばされた。目を覗き込まれて瞬けば、うるんだ瞳が固く閉じる。
抱き上げれば、そのまま鎖骨に額を当てられて、涙声で名前を呼ばれた。ぽんぽんと片腕に抱き上げたまま背をさすれば、名を呼ばれる。制約の中に、特定人物に対してしか自由に意思疎通ができない呪術、首に痕があったと語られて、口を噤む。一方的な付与とは悪趣味が過ぎるな、と思ってしまった祖父が不在の今、巧妙に仕掛けられる人物は限られる。
「記憶を抜いてたのはね、先生だった。……僕のお師匠様。再起不能だった時期に、遠くからやって来てくれた優しい人。」
ごめんなと囁いて背を撫でれば、確かめるように背に腕を回されて、無言で胸に貌を寄せられた。
「ヘズさん。」
「ん?」
「ごめんね……。」
返事をすれば手を握りしめられる。痛みに耐えるように胸を抑え始めるので、辛そうで寝台に降りて、端に降ろそうとすれば縋りつかれた。
片膝をついた状態、ベッドの端から首を抱きしめられては、名前を呼んでと乞われる。ウィナフレッドさんの名を呼べば、呼び捨てで呼んでほしいと返ってきた。
「……ウィナフレッド。」
「うん」
「……君は頑張った、よく頑張ったよ」
「……っうん」
涙声を聴いて、ウィナフレッドさんの背を抱き寄せた。首に腕を回された。震える肩を撫でて、腰を引き寄せた。
窓辺の椅子から移動する。入口の端に新たに用意されていた大型人類用の椅子の上に座る。風で借り受けた大きな枕を背凭れにして沈めば、素直に凭れかかってくれた。
君が落ち着くまで起きて居る。今の俺は、求められると嬉しいし元気になると告げれば、じわじわと耳を赤くして静かになった。
いつの間にか召喚された氷嚢の吊り下げ台が設置されていた。原始的に俺の頭を冷やしてくれる。ウィナフレッドさんが襟首に当てる手が、冷たいのではなく涼しい。治癒術を回してくれている様だった。大型人類用の椅子の上、寝転がるには三回転分ぐらいの余白は在るには有るが、気が付けばウィナフレッドさんに抱きかかえられる形で胸に顔をうずめている。これはまずいのでは、と問えばノーカウントで良いんじゃないと投げやりな返事。はい。手繰り寄せられた麻の掛け布団を首元にうずめられて、これも治療器具の一つだと語られる。編まれた繊維自体が道具として錬成されている為に、機能が一体化しているらしい。よく見れば俺のオーバーコートと同じように、解毒の作用があるようだった。高そう。遠慮したら背中を寄せられたので、静かに成すがままである。
「ちなみにこの現状を変更すると、あなたの騎士様は協力してくれないようなんですが、お返事はどうでしょうか。」
「……これさ、最初から俺の選択肢、存在しないやつじゃない?」
「ランテッドさんはヘズさんが嫌がったら、問答無用で僕の記憶を抜くという宣言をしてくださいました。期限はランテッドさんが帰るまで。さて、ヘズさんはどっちの味方。」
「君。」
「じゃあいいですね。……拒否された場合、僕は軍に保護してもらって一年は院に帰れなくなります。監査と共にすべての術式の精査が行われるから。」
「あーその代わり、保護を受ける対価に俺がこの院の検査をして、騎士殿と誰かに改悪されてないかを判断すればいいのか?」
「はい。情報部で室長の地位にいらっしゃったのなら解析専門ですよね。都市全体だろうと三日もあれば終わるってランテッドさんが云ってました。よろしくお願いします。」
「なんてことを話してるんだ騎士殿……。」
騎士殿とのライフパスを遮断した途端、密かに激痛の走った左肩に指を触れれば、左側が少し浮く。風籠で運ばれた細長い円柱のクッションが差し込まれた。
腕枕されたまま、右腕で背をさすられてうとうとしてくる。
お休みという声が聞こえて術が通る。安寧の眠りの中、かすかに額に温もりが落ちたのが意識が途切れる寸前に分かった。
「生きててくれて、ありがとう……。」
聴こえぬ静寂の中、共に眠りに落ちるなど、何年ぶりだろう。