0.プロローグ(〜サービス終了/本編完結)
働いて貯金して、たまに外食で贅沢したり。休日出勤もあるけどブラックというほどでもない程々に自由な生活を送っていたとある男が、なんやかんやあって話に聞くあの白い空間に送られた。
男はそこで、神と名乗る者から説明を受け、自分が記憶を保持したまま異世界に生まれ変わるということを理解した。
「転生能力は何がほしい」と尋ねる髭面の神に向かって男は言った。
「お待ちください。私は文明の発達していないファンタジー世界で生きるなんてまっぴらです。テレビやインターネット、漫画やゲームがない世界では、私は生きていけません」
神は鷹揚に首肯した「であれば、転生先はお前の世界に似た世界としよう。お前の記憶にある創作物からならば手ごろな世界が……うむ、ここで良いだろう」
神は続けて言った。
「この世界にはお前が真に望むもの―――VRMMO? なる実体感型ゲームというものもあるようだ」
神の言葉に男は笑みを浮かべた。
(“SAO”だろうか、“防振り”だろうか、はたまた“シャンフロ”だろうか。シリカちゃんprprメイプルちゃんprpr)
「して、何か欲しい能力はあるか」
神の問いかけに、男は少し悩んでから答えた。
「健康で頑強な体を」
「何と欲の無いことだ。望むのならば、人間として最高の知と肉体を授けることもできるのだぞ」
本当に良いのか、と確認する神に対して男は堂々と答える。
「この矮小な身には余るものを頂いたとして、行き過ぎた過分はきっと我が身を滅ぼすでしょう。一度命を落とした私がもう一度生を得られるということが、既に過分なのです」
「であるか」
暫しの無言の後「あい分かった」と神は頷き、そして両手を広げ宣誓した。
「いざ! 新たな生を心ゆくまで謳歌せよ!」
―――というのが、今から二十余年前の話。
生まれ変わった男―――今となっては女―――はガスマスクの隙間から流れる汗を拭いながら、いつものように車を走らせていた。
時計は既に夜帯だが今日中にあと数件、担当者を直接訪ねて回収しなければならないものがあった。狭い駐車場にどうにか車を停め、アパートの呼び鈴を鳴らすが反応はない。強めに扉を叩くと扉の向こうから声が聞こえてきた。
ガシャン、と大きな音を立てて分厚い扉がゆっくりと開かれると、顔色の悪い男が顔を覗かせた。
「上がりを頂きに来ました」
「柊さん、いつも遅くなって悪いね。でも今回のはかなり自信あるよ」
「そうなんですか、なら期待しちゃいますよ」
「これで今作の私のカットは終わりだよね?」
「そうです。コンスタントに上げていただいて助かりました。ありがとうございます」
「いやいや、こちらこそ柊さんが仕事を振ってくれたおかげで……っとごめん、急いでるよね」
「ええまぁ」
「引き止めちゃって悪かったね。それじゃあ、また仕事お待ちしています」
「はい、ありがとうございました」
受け取った分厚い封筒を抱えて柊は階段を駆け下りる。残りは3人分、思いっきり飛ばせば間に合うだろうか。
昼間と変わらずどす黒い雲に覆われた空を見上げながら、柊は車に飛び乗った。
「いざシリカちゃん、メイプルちゃん、待ってろVRMMO!」と意気揚々と転生した男が生まれたのは、環境破壊が進んだ結果、空は暗雲に覆われ、作物は育たず、海と大地が汚染され、毒性の強い重化学スモッグが充満する最悪の世界だった。
一度気が付いてしまえば、柊薫として貧困層の夫婦の一人娘に生まれた私がこの世界の状況を理解するのに長い時間はかからなかった。テレビをつければ天気予報に気温と一緒に重酸性雨の注意報が載り、欧州の革命戦争や食糧配給デモが報じられ、番組と番組の間には高性能人工心肺のコマーシャルが流れていたからだ。
前世では当たり前だった天然食品は高騰して、超富裕層のみが手にすることが出来る高級品に成り下がり、一般市民はチューブ型の半固形食や見た目だけ取り繕った合成食材を料理に使う。離乳食だと思っていたら父も母も毎日同じものを食べていることに気づいたとき、初めてこの世界の危うさに触れたのだ。
教育を受けていない両親だったが(この世界では義務教育は無いらしい)、それでもいろいろな文献を調べた結果「三つ子の魂百まで」という情報を基に、幼児期の意識が形成されるまでは世の中の「汚いもの」を見せないように私を育ててくれていたのだ。
二人とも朝から晩まで働いて私を育ててくれていた。物心ついて話せるようになってからは、ネットで公開されている旧世代のアーカイブを使って私に計算や文字を教えてくれた。無論私は教えられるまでもなく知っていたので、計算問題や漢字問題もあっさり解いて見せたのだが、それが両親の目には私がすごい才能を持っているように見えたらしい。
すごいすごい! と褒められて撫でまわされて、でもお金がなくて学校に行かせてあげられないことを謝られた。お父さんとお母さんは何も悪くないのに。
私が成長して、一人にしておいても大丈夫だと判断した頃から両親は更に長時間働くようになった。
体を酷使し、生活を切り詰めて必死にお金をためているのは、どうにか私を小学校に通わせようとしているからだと知った。何においても子供である私を優先して、育ち盛りなんだからと、もともと多くないのに自分たちの分の食べ物まで私に分け与えていた。
「もっと自分を大切にしてほしいと」いくら反対しても「心配しなくて大丈夫」としか言わない二人に耐え切れなくなった私は、悪いとは思ったものの他に手段が思いつかなかった為、黙って家族の貯金に手を付けた。
そして、二人の留守中にオンラインで試験を受けて、小卒資格と中卒資格に合格したのだ。夜遅くに帰って来た二人の目の前に合格証明書を差し出した時の唖然とした顔は今でも忘れられない。
勝手にお金を使ったことをお母さんにこっぴどく叱られたけど、その間にお父さんが小さいケーキを買ってきてその日は急遽お祝いパーティーになった。一切れだけのショートケーキはぼそぼそのスポンジを変に甘ったるい合成クリームでコーティングしただけの物だったけど、私がこの世界で食べたものの中では一番おいしく、そして一番幸せな日だった。
その数か月後、二人は出かけたまま帰ってこなくて、画面の向こうでニュースキャスターが無感情にテログループの犯行声明を読み上げていた。
その後、私は若くして社会に出た。中卒資格のおかげで競争率の高い事務職に就くことが出来たが、数年後に会社が倒産してから再就職が上手くいかずにっちもさっちも行かなくなっていた時、ふとした縁で仕事を紹介してもらい、それからは大手のアニメ制作会社で制作進行として働いている。
この世界での制作進行という仕事は娯楽産業のスタッフとして必要とされながらも「最悪」な仕事の一つとして扱われていた。スケジュール管理こそ高性能なAIの補助のおかげでかつてよりは簡易化されているらしいものの、仕事時間の大多数を屋外で、それこそ酷いときには朝から晩まで屋外で活動しているというのはこの世界では大きなリスクだ。
書類上では内勤職なので支給されるマスクの性能も低く(それでも基準的には過不足ないらしい)、激務は基本、新人時代は給与も低く、そして極一部を除いて一年も経たずに健康被害を訴えて会社を去っていく。
そんな職場で私は十年以上働き続けている例外的な人間だった。健康で頑丈な体は文字通り病気一つかからないものだったという事だ。未だに人工臓器を何も入れてないことを話すとまずは冗談と思われ、真実と理解したら異常なものを見るような視線を向けられるのだから、この世の末法さが伺える。
決して良くはないが、その他大勢と比較すれば悪くない給与。私は貯金を貯めて、いつの日かガスマスクなしで部屋の外を出歩けるアーコロジー内に引っ越すことを夢見て、頑健な体の恩恵に頼ってひたすらに働き続けていた。
水道光熱費を浮かせるために「仕事のため」と理由をつけてシャワー以外では職場に泊まりっきり。「職務手当」という言葉に釣られて出世してからも常に人手不足な他の仕事も受け持ち、朝から晩まで職場に居座り続けるこの世界においても度を超えたワーカーホリック。
……いつしか「おばけ」と揶揄されるようになった私だったが、ある年の職場の忘年会で私は人生の方針を180度転回させる大きな出会いを果たす。
ビンゴ景品で最新のゲーム機を当てた私は、かつて憧れていたVRMMO―――この世界でのDMMOを遊んでみようと思い、実に十数年ぶりにネットで評判のゲームタイトルを調べ、そして見つけた。
DMMO-RPG ユグドラシル<Yggdrasil>
私が生まれ変わったのは、SAOでも防振りでもなく、OVERLORDだった。
とは言ったものの当時は仕事と貯金に明け暮れる仕事廃人と化していた私は、既におぼろげな前世の記憶を無邪気に信じる事なんてできず、半信半疑でゲームの世界に飛び込んだのだ。
しかし、これが中々どうして面白くて、私はあっという間にユグドラシルの虜になってしまった。
数えきれないほどの種族、無数にも思える職業(クラス)、そしてなにより一生をかけても回り切れないのではないかと思わせる九つの超広大な世界観。長年テレビとネットだけをわずかな娯楽に趣味(貯金)と仕事に狂っていた私には、ユグドラシルはまさに猛毒と言って差し支えないものだった。
現実で失われた大自然を駆け回り、果て無き世界へ冒険者として飛び出していく。自分の分身(アバター)の設定を妄想して、その妄想を落とし込むための構成(ビルド)を考えて、アイテムや素材を求めて時には見ず知らずの人と協力しながらこの異世界を踏破する!
なんて愉快なのだろう。なんで私は今までこの楽しさを知らなかったのだろう。もっと早く知れていれば! と後悔を覚えるほど私はユグドラシルにのめりこんでいった。その度合いと言ったら、会社に相談して今まで過剰に請け負っていた仕事を減らしてもらったほどである。(それでもおばけの異名は変わらなかったが)
話は変わるが、私の性自認は少しおかしなことになっている。男だった前世の記憶と女として生きている現在が交じり合った結果、私は自分を男でもあるし、女でもあると認識しているのだ。どちらかというと現在の女としての意識が優勢なのだが、私は昔からずっと自分の体に若干のコレジャナイ感を覚え続けていたのだ。
しかしこのユグドラシルはその方面でも私に一つの救いをもたらした。
このゲームには〈天使〉をはじめとして「両性」を設定できる種族があったのだ。ハラスメント行為に非常に厳しいユグドラシルで実際に何が出来るわけは無いのだが、不思議なことに両性種族でユグドラシルをプレイしている時だけは、自分の体への違和感がすっかり鳴りを潜めてくれたのだ。
この経験が私をさらなるユグドラシル沼に引きずり込んだのは言うまでもない。
そして私は〈人造人間(ホムンクルス)〉のベル・スカーレットとしてユグドラシル世界を存分に謳歌していた。
しかし、そんな幸せな日々に暗雲が忍び寄る。ある時期から人間種プレイヤーによる異形種狩りが流行りだしたのだ。何でも人間種で異形種プレイヤーをPKすることで解放される職業が強いと注目されているらしいのだが、ひとえにゲームを楽しんでいた身としては何処に行ってもPKの危険が付きまとうのは、ただただ不愉快で迷惑な話だ。
ユグドラシルを自由に冒険したい私は他の異形種プレイヤーとは違って有利な世界(ニヴルヘイム、ヘルヘイム、ムスペルヘイム)に引きこもらない、当時は珍しい異形種プレイヤーだったが、その分狙われる機会も増えて一層酷いPKの被害に遭い続けていた。
そんな話をアニメ完成の打ち上げで同じ机に座っていた声優さん達に愚痴ったところ、偶然にもユグドラシルを遊んでいた一人に誘われて彼女が所属する現状打破を望む者たちの異形種限定クランに参加することになったのは、ある意味ユグドラシルを始めてから一番の幸運だっただろう。
なにせ私はそのクラン“九人の自殺点(ナインズ・オウン・ゴール)”で、OVERLORDの主人公であるモモンガさんを始めとした、後のアインズ・ウール・ゴウンの面々と出会えたのだから。
確かにいつかアインズ・ウール・ゴウンがメンバーを募集したときには参加したいと思ってはいたが、ギルドの結成時期はもちろん、その前身クランの名前なんて知らなかったから、声優ちゃんこと“ぶくぶく茶釜”ちゃんに連れられて自己紹介をしたときは滅茶苦茶驚いた。驚いてどもりまくってしまった。
クランのメンバーは癖の強い人も多かったが、みんな良い人たちだった。前世と比べると意地悪な人が多いこの世界で、ゲーム内とは言えこれだけの人数が集まって、底意地の悪い人がいないのはある意味奇跡的にも思えたほどだ。
これもクラン長であるたっち・みーさんの人徳の為せる業なのか、それともただの偶然なのかは定かではないが、“九人の自殺点”は私にとっても居心地が良いグループだった。彼らと一緒に冒険すれば生産職で自衛能力が低い私もPKの脅威から逃れることが出来たし、何よりソロプレイでは知ることが無かった友達と一緒に遊ぶ楽しさがあった。
ナザリックの元になったダンジョンを勢いに任せて攻略したり、七色鉱の鉱山を独占したり、それ以外にも色々な出来事があった。とある理由で私の名前が初代アバターのベル・スカーレットからヒカねぇに変わったりもしているけど、楽しかった思い出が沢山ある。
古から現代に蘇った仮面ライダー好きで正義オタクなたっちさんは、今となっては珍しいライダートークが楽しめる同士として自分が求める「格好良さ」について語り合った。
悪に拘りを持つウルベルトさんとは悪の組織の何たるかや、こっそり我が社で制作するアニメに登場する悪役についての助言をもらったこともあった。
数少ない女性プレイヤーのやまちゃん(やまいこ)、あんちゃん(餡ころもっちもち)、茶釜ちゃん(ぶくぶく茶釜)とはよくお茶会を開いて、女子会や現実では味わえない環境での穏やかで優雅なひと時を共にした。
ホワイトブリムさんの胸の内に滾るメイド服への熱いこだわりに感化されてメイド服姿でオフ会に参加してしまったし、ク・ドゥ・グラースさんとは声のせいで現実の仕事で顔を合わせた時、お互いに気が付いてしまうという珍事があったし、ヘロヘロさんとはワーカーホリック同士波長が近かったのか不思議なほどに気が合った。
タブラさんの知識の深淵にはついていけないことも多かったが、ギャップ萌えの神髄を彼から教わったような気がしなくもない。
モモンガさんは聞き上手でついつい一方的に話してしまうこともあったけど、はっちゃけている時は一緒に騒ぐととても愉快な人だった。
本当に楽しいゲームだった。
そして今日、私の、私たちのユグドラシルが十二年の幕を閉じる。
でももしかしたら、ナザリックは終わらないのかもしれない。
西暦2138年、今日は運命の刻だ。
原画を会社に届け終えて、急いで帰宅してログインするとそこは見慣れた円卓の間だった。
「あ、ヒカねぇさん。こんばんは、もしかして来ないのかと心配しましたよ」
「こんばんは! ちょっと急な仕事が入っちゃいまして遅れてしまってすみません。……モモンガさんは今日一日ログインしてたんですよね、もうどなたか来られましたか?」
「タブラさんとぺロロンチーノさんとあまのまひとつさんに死獣天朱雀さん、あとブルー・プラネットさんとホワイトブリムさんも来てくれましたよ。タブラさんは少し前までログインしていたんですけど……」
「あちゃあ、すれ違っちゃいましたか」
「惜しかったですねえ~」
私の席はモモンガさんの対角線にあるのだが、静かな部屋では互いの声もはっきり聞こえる。
モモンガさんはギルドメンバー全員に最終日のお誘いメールを送ったと言っていたが、確かヘロヘロさんしか来なかったはずの小説とは違って(主人公の記憶違い)、予想していたよりも多くのギルメンが顔を出してくれたようだ。
モモンガさんも落ち込んでいるかもと思っていたけど、結構機嫌が良さそうだ。それにしても、まさか研究が忙しそうな死獣天朱雀さんとバリバリ週刊連載中のホワイトブリムさんまで来てくれたとは。
「たっちさんとかウルベルトさんは来てないんですか?」
「たっちさんは仕事で、ウルベルトさんも外せない用事があって来られないようです……」
「そうですかぁ」
私達のアインズ・ウール・ゴウンにおいて、メンバーは引退したとしてもキャラデータの削除はしないことが方針になっていた。それはいつか復帰したくなった時のためでもあるし、特にお金がかかる訳でもないからである。
ギルド結成から十年余り、これほど長期に渡って同じゲームを遊び続ける人が少ないのもあるだろうが、生活の変化でゲームを続けるのが困難になった人も多い。
私やモモンガさんは飽きもせず頻繁に―――それこそモモンガさんなんて毎日ログインしていたが、みんな現実の生活がある。結婚したり、子供が生まれたり、仕事が忙しくなったり、夢を叶えたり……十年前と変わらない毎日を送っている私たちが例外的なのかもしれない。
モモンガさんと近くで話すために席を移動した時、視界の端にメッセージウィンドウがポップした。
―――ぶくぶく茶釜 さんがログインしました。
「おおお~~! セーフ! セーフ!?」
「ぶ、ぶくぶく茶釜さん!」
「茶釜ちゃん~!!」
現れるや否や慌てた様子で私たちに駆け寄ってきた名状しがたきピンク色のスライムはオーバーなリアクションで体を激しく揺らした。
「よかった~~! 本当はログインできない筈だったんだけど、スタジオに古い試用品があるって聞いて頼んで貸してもらったんだ~! モモンガさんもヒカちゃんも久しぶり~!」
「本当にお久しぶりです! 事情はメールで伺っていたので、またここでお会いできるなんて思ってもみませんでした!」
「私も私も! 作品で茶釜ちゃんの声は聞いてたけど会うのは久しぶりだね~」
「私もヒカちゃんの噂は聞いてたけど、こうして話すのは何年ぶりだろう」
「ヒカねぇさんの噂……ですか?」
「モモンガさん、あれだよあれ。朝から晩まで職場にいるアニメお化け」
「あぁそれですか!」
「そのお化けが絵を上げないアニメーターさんをぶっ飛ばしたとか、絵コンテ上げない監督を監禁したとか、同じ業界にいるといろんな噂が流れてくるんだよ~」
「そんなことした記憶ないんですけど!?」
「いや、るし★ふぁーさんに粘着してまでレメゲトンの悪魔を最後まで作らせたヒカねぇさんならやりかねない」
「モモンガさんまで!」
数年ぶりなのに、まるでそれがつい昨日のことのようにあの頃と変わらない茶釜ちゃんのノリに、私もモモンガさんもついつい釣られて当時のノリに戻っていった。打てば響く久々の三人でのバカ騒ぎはとても楽しくて……気がつけば、あっという間に茶釜ちゃんが現れてから一時間が過ぎようとしていた。
「あ……ごめん、そろそろスタジオが閉まる時間だから、落ちないと」
「あっ、そうなんですかー……」
「楽しい時間が経つのは早いなぁ」
「ヒカちゃんとモモンガさんに今日会えて本当に良かったよ。もし来れなかったら後で後悔してたと思う」
「私も会えてとても嬉しかったです。無理してまで来てくれて本当にありがとうございました」
「ううん、お礼を言うのはこっちだよモモンガさん」
「え?」
「ちゃんと伝えられてなかったけど……モモンガさん達が今日までナザリックを維持してくれていたから、私達はまたモモンガさん達に会うことが出来たんだよ。来るのは久々だったけど……ここは皆で作ったナザリックだもん、なくなっちゃうのは、やっぱり寂しいなぁ」
そう言って広間をぐるりと見渡した茶釜ちゃんから、微かに潤んだ鼻をすする音が聞こえた。私はそんな茶釜ちゃんの姿を目に焼き付けながら……必死に自分を抑えつけていた。我慢しきれずに涙がこみ上げてきていた。
だってもしかすると、今日が本当に最後のお別れになるかもしれない。
昔ギルドメンバーがまだみんな残っていた時、私はアンケート調査と称してこんな質問をして回った。
「この世界から離れて幸せに何一つ不自由ない生活を送れるとして、それを捨ててでもこの世界に留まりたいと思う大切なものがあるか」
茶釜ちゃんは現実に好きな仕事も家族も残っているから行かないと答えた。あれから変わっていなければ、茶釜ちゃんは異世界に行くことを望まないだろう。
「茶釜さん……」
「っふふ! 湿っぽくしちゃってごめんね! それじゃあモモンガさん、ヒカちゃん! またね!」
「―――茶釜ちゃん! 茶釜ちゃんは今守りたい、手放したくない大切な人や物がある!?」
……聞くつもりは無かったのに、気が付けば私は茶釜ちゃんの手を掴んでそんなことを言ってしまっていた。
突然のことに茶釜ちゃんもモモンガさんも目を丸くしている様子が雰囲気から伝わってくる。一瞬の硬直の後に「えっと」と動き出したモモンガさんを遮るように茶釜ちゃんが口を開いた。
「うん、沢山あるよ。声優の仕事ももっと続けたいし、お父さんとお母さんもそろそろ定年だからいざとなったら私が面倒みてあげないとって思ってるし、今も家ではわんこが私の帰りを待ってるだろうし……あと、バカな奴だけど弟もいる」
「……そっか、そうだよね。ごめん! 突然変なこと聞いて!」
「ん、いいよ。何か大事なことだったんでしょ?」
「ど、どうでしょうかねー?」
「ふっふっふ、嘘つくときにこめかみを触る癖なおってないよ!」
「うぇえ!?」
「う・そ! それじゃあまたどこかでね! ヒカちゃん、モモンガさん!」
「え、あっ! ちゃ、茶釜さんもお元気で!」
そう言い残すや否や、茶釜ちゃんはログアウトしてしまった。後に残されたのは私と急な展開に付いていけていないモモンガさん。
椅子にへたり込んだ私の姿にモモンガさんは暫くあわあわしていたが、少ししてから落ち着いた口調で私に問いかけた。
「今のってヒカねぇさんが以前みんなに聞いて回っていたやつ……ですよね?」
「凄いなぁ、なんで分かったのモモンガさん」
「あの時のヒカねぇさんがやけに真剣だったのが印象に残ってまして……どうして今、茶釜さんに同じ質問をされたんですか?」
「……」
正直に答えるべきなのだろうか。本来なら誰にも真意を伝えるつもりは無かったが……私はしばし思案して、さっきの姿を見られたのだから今更「何でもない」と誤魔化すのは、こうして最後まで一緒に残ってくれたモモンガさんには不義理なのではないかと思った。だから、態々伝える必要のない部分は言わず、必要なことだけを脚色して説明することにした。
「……ある時から変な強迫観念があるんです」
「強迫観念、ですか?」
「今日この日、ユグドラシルのサービス終了日にナザリックがゲームから現実に変わって、私たちもナザリックと一緒にこのゲームこそが現実になるという妄想です」
「それは……」
モモンガさんの言いたいことは何となく分かる。今私が話した内容は昔からありがちな、それこそ前時代よりあらゆる面が悪化した現代ではネット上に掃いて捨てるほどにありふれた、陳腐で都合のいい妄想そのまんまなのだから。
OVERLORDという作品を知っている私でも、既に記憶は擦り切れ実際のユグドラシルやギルドメンバーとの思い出に上書きされていて、モモンガさんにこんな風に語った割には、今となっては自分でさえほとんど信じてはいないのだ。本当に心から信じているのなら貯金なんてやめて全てを課金につぎ込んでいるし、最終日の今日まで仕事に励んだりはしない。
「すみません、十年以上ユグドラシルを続けた廃人の与太話だと笑って下さい」
「いえ……全部とは言えませんけど、私にもヒカねぇさんの気持ちは分かります。ユグドラシルもナザリックも無くなってほしくない。このままずっと続いてほしいって、私も思っていましたから」
「ありがとうございます、モモンガさん。」
そうしてまた無言の静かな時間が流れた。しかし気まずさはない。長らくこの世界に残り続けた二人で、刻一刻とサービス終了が近づくこの世界を噛みしめるような時間。
残る時間はごく僅か。このまま二人静かに最後の瞬間を迎えるのも悪くないかな、と思っていたとき新たなメッセージウィンドウがポップした。
―――ヘロヘロ さんがログインしました。
同時にモモンガさんの右前方の椅子に黒い濁ったタールのようなスライム現れた。
ヘロヘロさん。小説では最後にナザリックに現れてサービス終了を前にログアウトしていった人であり、私と同じく仕事中毒仲間のいわば悪友だ。
他のギルメンが引退していった中でも定期的にログインしてユグドラシルを遊び続けていた仲間だったが、二年前に「今度転職するんですよ~」と言い残してログアウトして以来、メールでの連絡もつかなかったのだが今日は姿を見せてくれた。
「あ、どもどもおひさーです」
「ヘロヘロさん! お久しぶりです!」
「久しぶりだね、ヘロヘロさん」
「モモンガさんとヒカねぇさん。お二人はきっといると思ってましたよ」
ニ年ぶりとは思えない気軽さで現れたヘロヘロさんも、茶釜ちゃんと同じく良い意味で時間を感じさせない雰囲気を醸し出していた。
他メンバーが姿を消していく中で、不定期ではあるもののログインし続けていたヘロヘロさんは実質的に私とモモンガさんに次ぐAOGアクティブプレイヤーの三番手だったので、かなり長い時間を三人で過ごしたものだ。
当時はたった三人で戦闘は大丈夫なのかという一抹の不安もあったが、近接無敵のヘロヘロさん、支援に攻撃手広くやれる中衛の私、魔法で遠距離戦闘をカバーできるモモンガさん、と意外にもバランス良く戦闘をこなせていたのだ。……ヘロヘロさんが完全非アクティブになってからはイベントで野良パーティを組むことも増えたっけ。
ぐでーっと椅子に体を預けるようにしてだらしなく座るヘロヘロさんは、声の調子からしても明らかに疲れているように見えた。
「本当ならもっと早くにログインするつもりだったんですけど、すみません遅くなってしまって」
「いえいえ、こうしてまた来てくれただけでも嬉しいですよ。転職すると仰ってから突然来られなくなったので、何かあったのかと心配していました」
「ははは……思っていたより、というか以前の職場よりずっと仕事が忙しくなってしまいまして、遊ぶ暇も全く無くなってしまって」
転職失敗だったかなー……と天井を見て呟くその姿には隠し切れない悲哀が漂っていた。
「いや、それにしてもお元気そ……お元気そうで本当に良かったです」
「何言ってんのモモンガさん、このヘロヘロなヘロヘロさんのどこに元気要素があるんですか」
「た、単なる言葉の綾ですよ。でもヘロヘロさんにまたお会いできたことに安心してるのは本当です!」
モモンガさんの言葉を聞いたヘロヘロさんは嬉しそうに笑うと、座る姿勢を正してから何事もなさそうに呟いた。そしてその発言に私たちは凍り付くこととなる。
「大げさだなあモモンガさん。長いと言っても二、三カ月じゃないですか」
「……二、三カ月? ヘロヘロさん、最後にログインされてから二年以上経ってますよ……?」
「ぇ……ま、またまた~。そんな訳……うぁ……ぇ? 本当だ……」
コンソールからログイン履歴を確認したのだろう。酷く狼狽するヘロヘロさんの姿を見れば分かる。この人はまだ半年も経っていないと、冗談ではなく真面目にそう思っていたのだ。
以前、ヘロヘロさんは「仕事をしている時は"無"になって過ごすんですよ。苦しみも辛さも全てから目を逸らして……」と笑い話にもならないライフハックを披露していたことがあるが、流石にこの状態には絶句するしかない。
久しぶりに再会した友人のあまりの異常にモモンガさんも言葉を失い、時が止まっているかのように動かない。場に言いようのない空気が漂い始め、それを打ち払うようにヘロヘロさんが机を叩いて身を乗り出した。
「あ、は、ははは! いやあ、最近忙しくて時間感覚がおかしくなっていまして! はははは……」
「……」
「……」
「そ、それにしても今日で本当に終わってしまうんですね。気づかぬうちに時間が経っていたのは、まあショックでしたけど、もっとお二人と遊びたかったなあ……!」
「だ、だよねー! 終わってほしくないよね~!」
「そ、そうですね! 私も同じ気持ちですよ!」
「俺以外にはもう誰か来たんですか?」
「え、ええ。大勢来ましたよ。タブラさん、ぺロロンチーノさん、あまのまひとつさん、死獣天朱雀さん……」
「つい少し前までは茶釜ちゃんも来てたんだよ~」
「それは惜しいことをしました。AOGのスライムコンビで記念撮影とかしたかった」
「やめてよ、最終日にハラスメントBANなんて洒落にならないよ」
「ちょ、なんで茶釜さんと写真撮るだけでBANされなきゃいけないんですか!」
「それは、ねぇ? モモンガさん、説明してあげて下さい」
「ええ!? そこで私に振るんですか!?」
そんなこんなで、ヘロヘロさんの健康に只ならぬ不安を覚えながらも、私達はサービス終了までの残り僅かな時間を存分に楽しんでいた。そんな中「せっかくですし、最後の瞬間は玉座の間で迎えませんか?」と言い出したヘロヘロさんの案に賛成して、円卓の間の前にいた六人の戦闘メイド"プレアデス"と執事長のセバスを引き連れながら私たちは廊下を進んでいた。
玉座の間までの道のりの中であちらこちらを指さしては、これを作るときにあんなことがあったやら、ここの装飾は誰々がこだわってデザインしただの思い出話に花を咲かせながら……玉座の間の扉前にたどり着いたとき、先頭を歩いていたモモンガさんがおもむろに振り返ってヘロヘロさんに問いかけた。
「ヘロヘロさんは今、絶対に手放したくなかったり守りたい人や物ってありますか? 例えば家族とか……」
それは私が茶釜ちゃんにした質問と同じもの。私は思わず息を吞んだ。
「……!」
「え、突然ですね。……読めましたよ。モモンガさん、いよいよ終わりが近づいてナイーブな気持ちになってしまっているんですね?」
「え、えぇ。お恥ずかしながら」
「何が恥ずかしいことがありますか。確かにこの情熱を掛けて作り上げたナザリックが消えてしまうのは残念だし、寂しいですけど、俺たちの縁がこれで切れるわけではないんです。また連絡を取り合って、一緒に遊んだりすることは出来るはずです。俺はそうしたいと思っていますが、モモンガさんはどうですか?」
「……もちろん、私も同じ気持ちです!」
「私も! 私も!」
「でしょう? また時間を作ってみんなで一緒に何かしましょうよ! ……っと、まだ質問に答えてませんでしたね。そうですねえ、最後ですし真面目に答えると、特に守りたいものとかは無いんですよね。親兄弟もいませんし、伴侶どころか今まで彼女すらできたこと……! っと、後半はプライドのためにも聞かなかったことにしてください!」
「わ、分かりました。ありがとうございます」
「大丈夫、ヘロヘロさんならいつか良い人が見つかるって」
「ヒカねぇさん話聞いてました?」
「ばっちし聞いてましたよ。ヘロヘロさんのマグナムが新品だってことは誰にも言わないから安心してね」
「何とんでもないこと口走ってんですかあ!? 本当にBANされますよ!?」
「怖いもの知らず過ぎますよ……」
口封じしてやる! と追いかけてきたヘロヘロさんから逃げながら、私はモモンガさんの手を取って玉座の間への扉を開けた。
「ここに来るのは本当に久しぶりですね」
「普段はあまり使うこともないですからね。さ、早く玉座に座って下さいよモモンガさん」
「私ですか?」
「何言ってるんですか、玉座ですよ? ギルド長のモモンガさん以外誰が座るっていうんですか」
「そうですよモモンガさん。そのためにわざわざギルド武器まで持って来たんですから。三人ですし、玉座に腰掛けるモモンガさんを挟む感じで撮りますか。ヒカねぇさん右と左どっちがいいですか?」
「うーん、どっちでも構わないけど魔王の右腕の方が格好いいから右側にする!」
そんなこんなで、ポーズにこだわり始めたヘロヘロさんの指示の下でギルド武器〈スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン〉を高々と掲げたモモンガさんの右隣りに決め顔で佇む私、左隣に両腕を上げて威嚇ポーズ(本人曰く雄々しい立ち姿)のヘロヘロさん、その更に隣にプレアデスを半分ずつ並ばせ、セバスと玉座の間にいた守護者統括のアルベドはモモンガさんの背後に左右一人ずつ控えさせられた。
はい、チーズ! の掛け声で数回撮られたスクショはその場で共有され外部データとしてそれぞれの端末に保存されたはずだ。
そして、いよいよ終焉のカウントダウンが始まった。私はあらかじめ決めたセリフをしっかり言う事だけに集中していたが、カウントが残り五秒になった瞬間にモモンガさんが立ち上がり言い放った。
「さらば我らがナザリック! そしてどうか……!」
これは予定にはない台詞だ。けれど、次の言葉は変わるまい。私たちは一瞬の目配せをして、そして同時に最初で最後の宣誓をした。
「「「アインズ・ウール・ゴウンよ! 永遠であれ!」」」
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ぶくぶく茶釜さん:同業種なのに何年も会わないとかある? →アニメ制作の下っ端とエロゲ声優が顔を合わせる機会ってなさそう。
ヘロヘロさん:上位の仕事中毒のオリ主に感化されて原作以上に労働に勤しんでしまい、健康状態も一層悪化した。
モモンガさん:主人公なのにあまり喋ってなくない? →聞き上手なんだよ。