ナザリックのアトリエ! 〜プロローグ〜   作:水風浪漫

13 / 13
登場人物:エンリ・エモット
     ネム・エモット
     鎧騎士
     モモンガさん、ヘロヘロさん
     セバス、アルベド

追記
 注意:冒頭にこれを明記するか悩んだのですが、やはり展開に否定的な感想を持たれる方も多いようなので、気軽に楽しく読んでいただくためにも明記することといたしました。
 あるキャラが一度死にますが、ご安心下さい。本作は基本的に"ほんわか路線"です。死亡展開につきましても、ある"名前"を持つアトリエシリーズアイテムを使用させる為の前振りとなっております。(独自効果となりますが)


11.突撃カルネ村②

 

 遠く背後に残してきた村の仲間たちの叫び、怒号と悲鳴を振り払いながら、エンリ・エモットは走っていた。

 一定の間隔で聞こえる騒がしい金属音に背後を一瞥すれば、そこには彼女の予想した通り、一人の騎士がエンリ達を追って来ていた。全身鎧(フルプレート)と剣に血を滴らせ、もう何分も彼女らを追い続けていた。

 

 あと少しなのに。

 

 村の外れを抜け、トブの大森林にまで逃げ込めれば騎士も足を止めるはずだ。

 今すぐにでも息を吐き捨て、足を緩めたい気持ちを必死に堪える。心臓は破裂するのではという速さで脈打ち、肺は一呼吸するたびに激しく痛む。足は痙攣し、一歩進む毎に倒れそうになりながらも、すぐに次の一歩を踏み出していく。

 

 何事もない一日のはずだった。エンリがこれまで生きてきた十六年か、もしかすると、およそ百年前にカルネ村が始まってから今日に至るまで綿々と続いて来た平穏な日々が唐突な終わりを告げてから、まだ、さして時間は経っていない。

 

 

 

 今日もいつもと変わらない始まりだった。

 エンリは毎朝、木戸の隙間から入り込んだ朝の光で目を覚ます。そして眠たい目をこすりながら、中身の少なくなった水瓶を抱えて井戸へ向かい、引き揚げた冷たい水で顔を洗う。

 同じく起き出してきた村の仲間たちと挨拶を交わして、水を溜めた水瓶を家に運び込めば、台所では父より一足先に畑から戻っていた母が朝食の準備を始めていた。今朝のスープには庭の菜園で育てたエンドウ豆と昨日使わずに残しておいたベーコンの脂身が溶けていた。いつもより、少し豪華だった。

 エンリは戸棚から取り出したパンを切り分けてから、スープを取り分けるのを母に任せて、いまだにベッドの中でスヤスヤと眠っている妹を起こしに行った。六つ歳下の妹は元気で素直な良い子だが、どうにも甘えん坊で早起きが苦手だ。

 今朝もぐずぐず言って、なかなか布団から出て来ようとしなかったので、結局エンリは力ずくで布団を引っ剥がして妹を着替えさせたのだ。そうして朝食の準備を終えて父の戻りを待っていると───窓の外から騒がしい声が聞こえてきて。

 

 何事かあったのかと母と顔を見合わせていたら、血相を変えた父が家に飛び込んで来た。

 

 ───騎士が攻めてきた、すぐに逃げるぞ!

 

 久々に聞いた父の大声に一瞬身を固くした直後、聞き覚えのある声の悲鳴が耳に届く。窓の向こうで金属鎧に身を包み、抜剣した騎士の姿が見えた。

 

 ───村の外まで、森に逃げろ!

 

 エンリはすぐには状況が飲み込めずにいたが、兎にも角にも逃げろという父の言葉に従って母と妹を連れて逃げ出した。家を飛び出したところで既に幾人かの騎士が村人たちに襲い掛かっており、彼らとは逆の方向へ走り出したエンリたちだったが、すぐに別の騎士に見つかり追跡された。

 

 父が家族の一番後ろを付いてきていて、それに続いてエンリ、母に手を引かれる妹、手を引く母の順で、エンリは脇目も振らず北へ───トブの大森林の方へ向かう母の背を追っていた。

 しかし、行く手を阻むように正面からこちらに向かってくる騎士が現れて。

 「ネムをお願い!」と言い残して全力で駆け出した母は勢いのまま体当たりをして、騎士を押し倒した。エンリはそのまま母と、母に組み付かれた騎士の隣を駆け抜けた。

 

 母の頼みに返事をする暇も、母の顔を見る余裕もなかった。振り返るなと言う父の叫びが遠のいて行くのを最後に、二人がどうなったかは考えたくもない。

 両親の献身によってすぐ側にまで迫っていた騎士は足を止め、エンリたち姉妹は村外れにほど近いところまで無事に逃げて来られたのだ。

 

 しかし、後一歩というところで、別の騎士に見つかってしまった。

 

 

 

 ぐっ、と母から託された妹の手を強く握りしめながら、エンリは崩れそうになる足で次の一歩を踏み出した。逃げて、逃げ続けてもう何分経ったのかも分からない。

 少しでも気を抜けば今にも大地に倒れ込みそうになる体を必死に引き起こして、目と鼻の先にまで迫る大森林の入り口を目指す。

 

 小さい体で懸命に走る妹の手と手を繋いでいるからだろうか、それとも何の訓練も受けていないただの村娘だからだろうか。追ってくる全身鎧の騎士との距離はまるで広がらない。それどころか、足がほつれそうになりながら必死で進むエンリたちに比べて、騎士は規則的な足音を崩さず走り続け、徐々に近づいて来ているように思えた。

 

 もし一人だったら、とうに諦めて力尽きていただろう。限界を越えて走り続けるエンリの体を支えているのは、母から託されて、彼女に残された唯一の家族である妹の存在だった。

 甘えん坊でまだ幼い妹だ。エンリが諦めてしまえば妹がどうなるかなんて分かり切っている。

 

 本当に、あと少しなのだ。

 

 カルネ村の北に広がるトブの大森林は、入ってすぐであれば人の手が入った程度の森ぐらいの雰囲気しかないが、女の足でも十数秒も走って進めば雰囲気が一変する。

 地表に顔を出した木の根と雑草、長い年月で積もった落ち葉や枝で散らかった足場は不安定。頭上に茂った木々によって視界は遮られ、昼間であってもほとんど光が差し込まずあちらこちらに暗闇が点在しており、殆ど先を見通せない。

 モンスターが現れる危険性も飛躍的に上昇してくるが、カルネ村にほど近いこの場所は強大な魔物である"森の賢王"の縄張りであるとされており、他と比べると比較的危険なモンスターが現れないと言われている。

 

 強力なモンスターが多数生息している大森林の側にあって、本来であれば防護柵などで防備して然るべきカルネ村に一切そういった類の物が構えられていないのも、森の賢王の影響によるものだと、エンリは町に住む友人から聞いたことがあった。

 父がそれを知っていたかは定かでないが、追手の騎士はあの全身鎧だ。森の深くにまで逃げ込んでしまえば振り切れる可能性は大きく上がるだろう。

 

 エンリは少しずつ近づいてくる足音に心を乱されながらも前に進む。そして森の入り口を通り過ぎ、いよいよ逃げ切れる希望が近づいてきて。

 

「あっ」

 

 自分でも気が付かないうちに気が急いてしまったのか。手を引くエンリの速さに付いて来られなくなった妹が、小さな悲鳴とともに躓いた。

 あわや二人して転びかけたものの、体勢を立て直せたのはこの逃走劇の間、互いの手が決して離さないように硬く繋がれていたからだろう。ただ、引っ張られる形でエンリも姿勢を崩し、足を止めてしまった。

 

 それはほんの一瞬の出来事で、騎士との距離もまだ十分に開いている。体勢を立て直して、すぐに走り出せたのなら大きな問題にはならないはずだった。

 

「ネム! 走ってネム!」

 

 日頃から農作業や採集の仕事で体を使っているエンリでさえ、疲労の限界はとうに越えていたのだ。

 起き抜けに急かされるままに走り出して、父と母の安否さえ分からないまま、血溜まりに沈む見知った人の間を抜けて、ただひたすら、その小さな歩幅で懸命に姉の後を追って走り続けてきた妹の体は一度立ち止まってしまえば、もはや彼女本人の意思にすら従ってくれなかった。

 

 一瞬の逡巡があった。

 

 ───このまま妹を連れていては逃げ切れない。

 ─── 一人なら逃げられるかもしれない。

 

「黙れ、黙れ!」

 

 エンリは自分を叱責するように叫びながら、動けなくなってしまった妹を抱え上げようとする。

 しかし、一連で生じた僅かな時間はエンリ達にとって致命的なものだった。妹を抱えようと膝を沈めたエンリのすぐ側で、金属音が立ち止まった。

 

 冷たい恐怖がエンリの全身を覆う。見上げれば血飛沫を浴び、剣に血を滴らせた騎士が立っていた。

 

「手間取らせるなよ」

 

 それはまるで狩りでも楽しむかのような───いや、きっと楽しんでいるのだろう。兜の下からくつくつ、と嘲笑混じりに放たれた言葉からは、弱者を一方的に痛ぶることを愉しんでいる粘ついた感情が聞いて取れた。

 

 それと同時に、その嘲りを耳にしたエンリの胸に、恐怖を吹き飛ばして余りある怒りが湧き上がった。

 騎士は動きを止めたエンリに対し、ゆっくりと剣を持ち上げる。高々と上段に掲げられた鈍い耀きが無遠慮に振り下ろされる───それよりも早く。

 

「舐めるなぁああ!!」

「がぁっ!?」

 

 無防備な胴体に向かって、エンリは決死の突進を叩き込む。思い出すのは、命懸けで彼女たちを逃してくれた母の後ろ姿。ただの村娘でも鎧騎士を押し倒すことができると示してくれた母の教えに、溢れる怒りと妹を守り抜くという意思。

 それら全てを一纏めにしたエンリには一欠片の躊躇いもない。

 

「走って!」

「う、うん!」

 

 騎士は剣を振り上げた姿勢のまま背中から大地に叩きつけられる。素早く身を起こしたエンリは妹の手を掴み、引きずるようにして二人で走り出し───その足を剣が切り裂いた。

 

「貴様ぁぁああ!!」

 

 感じたことのない灼熱感にエンリはその場に膝を付いた。しかし、それでも無事な足一つで動かなくなった足を引きずり進もうと試みる。

 心臓の鼓動に合わせて広がる激痛に声も発せずにいると、怒りのままに剣を投げつけた無手の騎士が立ち上がり、足音荒く近づいて来る。

 騎士は膝を付いたエンリの腹に容赦のない蹴りを浴びせると、ついに倒れた彼女の胸に対して執拗に足甲冑に覆われた足を踏み降ろした。

 

「村人風情が! 舐めた! 真似をお!」

「やめてぇぇぇ!」

「邪魔するなガキがぁ!」

 

 姉を守ろうと足にしがみついた少女を腕で殴りつける。

 

「ネ、厶……」

 

 血を零しながら呟くことしかできなくなったエンリの姿に溜飲を下げた騎士は、のんびりとした動作で剣を拾い上げる。

 ぽたり、と剣先から滴り落ちた血が傷ついたエンリの頬を赤く染める。己に向けられた禍々しい耀きにエンリは二つの確信を得ていた。

 

 一つはもう数秒もすれば自分の命が失われるということ。もう一つは、もはや自分にはそれに抗う術が何一つ残されていないということ。

 

 逃れられない死を理解したエンリの意識は極限にまで引き伸ばされていく───。

 

 息荒く冷静でない騎士が相手であれば、必死になれば一度はその剣から逃れることも出来たかもしれないが、彼女の腹を踏み付ける足がその可能性を断つ。

 か細く息を吸うだけでも苦痛が広がる中、殴りつけられ転がってしまった妹を見やれば、顔を押さえてはいるが足や腕は無事なようだった。あれならば、妹はまだ逃げ切れるかもしれない。

 

 これまで目を向けてこなかったが、大森林に見張りが配置されていないとも限らないのは承知している。それでも、まだ妹に可能性が残されていることが嬉しかった。

 僅かな時間しか残されていない自分だが、妹の命を守るために、ネムが逃げ延びる時間を稼ぐために出来得る限りのことはしたかった。

 

 しかし、いまさら何ができるだろうか。逃げるようにと声をかけようにも、血の味が広がるばかりで碌な声が出せない今、思いつくのは、これから突き刺される剣を体で以て抑え込み、一瞬でも長く騎士を自分に貼り付けにすることくらいだった。

 

 刻一刻と近づいて来る終わりを前にして、エンリと妹の視線が交差した。今にも泣き出しそうな顔をしている妹に、エンリは抜けていきそうな力を振り絞ってにっこりと笑みを浮かべた。

 姉として、妹に最後に残してやれるものがこれしか浮かばなかった。

 

 エンリは振りかざされた剣に意識を移した。これがこの身を貫いた瞬間、引き抜かれるよりも早く刃を抱きしめなければならない。命が尽きるまで、少しでも長く。

 

 しかし心を決めても、襲い来るであろう痛みへの恐怖に思わず目を閉じる。自分の鼓動だけが嫌に大きく聞こえる暗闇の中、エンリは次の瞬間に訪れる痛みを覚悟して───鋭い痛みが彼女の胸を貫いた。

 

 

 

 

 

 プレアデスの装備調達のために一旦立ち去ったヒカねぇを見送り、モモンガとヘロヘロは酷く冷静に現在進行系で行われる殺戮を観察していた。

 目に留まったのは小さな子供の手を引きながら逃げている栗毛色の髪の少女。二人が何故彼女に目を付けたかと言えば、同じように村の外縁にまで逃げ延びている村人も少なくは無かったが、幼い妹らしき子を───言葉を選ばずに言えば、足手まといを連れた人は他にはいなかったからだ。

 

 互いに装備に見落としがないか厳重なチェックを重ねるうちに、鏡の向こうでは足を負傷した少女が騎士に足蹴にされていた。

 少女を踏みつけにしたまま騎士が地面に転がっている剣を手繰り寄せている。危機的な状況だが、焦ってはいけないとモモンガは自分に言い聞かせる。

 これが初のナザリック外での活動となるのだ。一見、現実(リアル)基準で普通の村娘と騎士にしか見えない彼らが、実際は自分たちなど歯牙にもかけない強者である可能性は捨てきれない。

 

 拙速は巧遅に如かず───モモンガの脳裏に全身を植物に覆われた友人の姿が浮かんだ。

 

 目の前で今に殺されてもおかしくない少女がいようと赤の他人に過ぎない。全身鎧の騎士に果敢に挑む姿には感銘を受けはしたが、"彼女の命"と"準備を怠りナザリックが害されるかもしれないリスク"を天秤にかければ、その結論は口にするまでもない。

 

「急ぎましょう、モモンガさん」

「えぇ───〈転移門(ゲート)〉」

 

 この世界の戦力が不明な今、緊急を要してはいても現時点で最強の装備で行くべきだろうと〈スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン〉の持ち出しを提案し、承諾を得た。

 ようやく準備を終えたモモンガはヘロヘロに答えるが早いか、その動きによどみなく転移魔法を発動させる。

 距離無限、確定成功。ユグドラシルプレイヤーに広く重宝されていた転移魔法はこの状況でもしっかりと役割を果たしてくれた。

 

 先に転移門をくぐったヘロヘロが鏡に映る出口側から再び現れる。

 

「モモンガ様、先に私が───」

 

 転移の成功を確認したモモンガが転移門に足を踏み入れる直前、彼の耳にはセバスの慌てた声が届いていたが、門を通り抜けると同時にその声も途絶える。

 一瞬で視界が切り替わる感覚には慣れている。しかし今回、事前に分かってはいたものの、眼前に広がる光景を前にしてモモンガは僅かに眉をひそめた。

 

「チッ……」

 

 ヘロヘロが舌打ちしたくなる気持ちもよく分かる。

 

「すみませんヘロヘロさん。私がもう少し早く〈転移門(ゲート)〉を開いていれば」

「モモンガさんのせいじゃないですよ。俺が転移してすぐに動いてれば、ギリ止めれたはずでしたから」

 

 ───そんなことはない。

 

 鏡越しに一部始終を見ていたモモンガには分かっていた。ヘロヘロが転移するとほぼ同時に騎士は剣を振り下ろしていたのだ。それこそ、転移する前から行動を決めていないと間に合わないタイミングだった。

 

「そもそも、彼女を殺したのはそこの騎士なんですから、悪いのはそいつです」

「……ん、たしかに」

 

 鏡越しにその逃走劇を目撃し、目を付けていた少女は彼らの目の前で斃れ、ぴくりとも動かない。その胸の中心に突き立てられた剣に手を這わせながら、完全に息絶えているように見えた。三編みにした栗毛色の髪が、地面に広がる彼女の血溜まりに浸っていた。

 そのすぐ近くには座り込み、呆然とモモンガ達を見る幼い少女の姿があった。

 

 モモンガは世間全体が荒んではいても、暴力とは無縁の世界で生きて来ている。しかし今、生々しい殺人現場を前にしてもまるで心が揺らがない。

 精肉コーナーに並ぶ合成肉を眺めているときのように静かな気持ち。遺体となってしまっている少女の姿にも「間に合わなかった」という仄かな悔しさは覚えれど、悲しみや衝撃(ショック)は感じていなかった。

 

「……妹さんかな?」

 

 姉の少女に剣を突き立てた体勢のまま、突然現れたモモンガ達に動揺している様子の騎士に意識を向けながら、モモンガは幼い少女に歩み寄る。

 ガタガタと体を震わせる少女を前に、モモンガは騎士に対して手のひらを向け、魔法を発動させた。

 

「───〈心臓掌握(グラスプ・ハート)〉」

 

 手の内で何かを握り潰す感覚と同時に騎士は体を震わせ崩れ落ちる。

 

「えっ、即決? もっと、尋問みたいなのとかは」

「えっと……決まれば即死耐性の有無が分かりますし、抵抗(レジスト)されてもデバフがかかるので、最大限の警戒を持って臨むなら一番かな、と思いまして」

「百理ある。……というか、あっちは殺しにかかってるんだから殺す気で臨むのが普通ですよね」

 

 人間らしさを失わないために、という目的で来たのに一瞬の迷いもなく殺害してしまったことにモモンガは慌てるも、すぐに用意しておいたもう一つの理由を説明する。

 ヘロヘロの納得を得られて一安心したモモンガは改めて幼い少女に向き直り、膝をついて出来るだけ視線を合わせた。

 

 少女はガチガチと歯を鳴らし、顔面蒼白で目を見開き、見ているこちらが可哀想になるくらい怯え切っていた。

 

 無理もない。殺意を隠そうともしない鎧騎士に追い回された上に、お姉さんが殺される瞬間を目の当たりにしたばかりなのだ。世が世なら小学校に通っているくらいの子供にとって、どれほどの苦しみだろうか。

 自分が母を喪ったのと、ちょうど同じくらいの歳頃だろうか。モモンガの脳裏にもう面影さえ朧げになってしまった母の顔が過る。

 

「……怖かったろう。お姉さんを助けるのは間に合わなかったけど、ここからは私たちに任せておいてくれ」

 

 出来るだけ安心させられるような、優しい声を意識して語りかけたおかげか、少女の目に浮かんでいた恐怖の感情が少しだけ弱まった気がした。

 しかし、それでもまだ歯の震えさえ治まらない様子。少女をどうにか慰めてあげたいと考えたモモンガはおもむろに彼女の頭へ手を伸ばした。

 

「───お待ち下さい、モモンガ様」

 

 モモンガの指が少女に触れる寸前、横から伸びてきたセバスの手がその腕を掴む。

 

「何だ、セバス」

「彼女にとって、それは危険かと」

 

 その言葉にモモンガは首を傾げながら言い返す。

 

「何かしようと言うわけではない。ただ頭を撫でてあげようと……」

「恐れながら、彼女の強さ如何によってはモモンガ様が触れた瞬間、命を落とすことになるかと」

「……あっ」

 

 ───危ねえぇぇえ!

 

 モモンガは内心絶叫した。

 

 彼の習得している種族スキルの一つに〈負の接触(ネガティブ・タッチ)〉というパッシブスキルがある。文字通り接触した相手に負のエネルギーを送り込みダメージを与えるスキルなのだが、危険地帯に突入するということでここに来る直前に発動させていたのだ。

 接触した相手に自動的に追加ダメージを与えられるが近接戦闘以外では殆ど無意味なスキルなので、とりあえずで他のスキルと一緒に発動させたことさえ忘れてしまっていた。

 セバスの言うとおり少女の強さ───まだまだ不確定だが、もし見た目通りただの小さな女の子(人間Lv.1)の力しか持っていなければ、Lv.100の力で発揮された〈負の接触〉は容易く彼女の生命力(HP)を消し飛ばすだろう。

 

「モモンガさん、()ってしまう所でしたね」

「いやもう、我ながら何やってんだか……」

「まあまあ、次から気を付ければ大丈夫ですって」

「いやあ、そう言ってもらえると気が楽になります……セバスも、止めてくれて感謝するぞ」

「いえ、私こそモモンガ様の腕を不躾に掴んでしまい申し訳ございません」

「気にするな、そんな小さなこと」

「寛大な御心に感謝いたします」

 

 スキルを切り、モモンガは気を取り直して少女の頭を撫でる。子供特有のサラサラと癖のない髪が指の間を抜けていく。

 目をかたく閉じて震えていた少女だったが、モモンガが繰り返し撫でるうちに徐々に目を開く。その様子に少しは慰められたかな、と手応えを感じているモモンガだが、実際はそうではない。

 少女は───エンリ・エモットの妹、ネム・エモットは自らを殺しに現れたと思った死神が、どうやらそうではないのではないか、と思い始めただけなのだ。

 

 悲しいかな……モモンガ達はユグドラシルで慣れきってしまい、自分が恐ろしい化け物の姿をしている自覚がまるでなかった。

 これは心まで異形種になってしまったとか、そう言うシリアスな話ではなく、単にあらゆる外見のプレイヤーが入り混じるユグドラシルを長年プレイしてきたことによる弊害である───少女の心の機微を読み取れないのが、異形種化の影響なのかは定かではないが。

 

「お姉さんの方は……もう息はないか」

 

 未だ胸に剣が突き立てられたままの少女。その首筋に指を当てていたセバスが首を振った。

 力なく開かれた口の端からは血の泡が零れ落ちており、焦点が定まらない目の瞳孔は開ききっている。一目見た段階で分かっていたが、呼吸をしている様子も見受けられなかった。

 

 残念だ、そう呟きを零すモモンガの脇をネムが体を引きずるようにして抜けていった。

 

「おっと、そこにはまだ血溜まりがあって───」

 

 ───服が汚れるぞ。と口にする前に、言葉が詰まる。

 

 モモンガの視線の先で、姉のもとにたどり着いたネムは弱々しくその体を揺さぶっていた。

 

「お姉、ちゃん。起きてよ、起きて」

「……残念ですが、姉上様は既に息を引き取られております」

「……お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん!!」

「あ……」

 

 うああああぁぁぁああ!! と言葉にならない絶叫を響かせながら何度も繰り返し姉を呼ぶ姿に、モモンガとヘロヘロは思わず目を背けた。

 

 これまでの人生で一度として聞いたことがない、狂おしい悲しみを吐き出す少女の姿はあまりに痛々しい。モモンガはつい先程まで、助けが間に合わず彼女の姉が亡くなってしまったことに対して無関心だった自分のことを思い返して、家族を殺され傷ついている少女を前にして、友人と軽口を叩いていた己の余りに気の利かない振る舞いを今更になって自覚した。

 それどころか、少女の頭を撫でて「元気になったかな?」なんて考えていたのだ。……どれだけ馬鹿なんだ? 虐殺に巻き込まれて、家族を全員喪っているんだ。元気になるとか、そういう次元の話ではない。

 モモンガはもはや恥知らずと言ってもいい自分の思考を嫌悪すると同時に、確実に心の深くにまで及んでいる変異に激しく戸惑っていた。

 

「一体俺に何が起きて……」

「───申し訳ございません。準備に手間取ってしまいました」

「……アルベドか」

 

 遅れ馳せながら転移門から姿を現したアルベドを前にして、モモンガは即座に支配者の仮面をかぶり直す。

 漆黒の全身鎧に巨大な戦斧(バルディッシュ)を携えたアルベド。物理的な防御力に関してはNPC随一のものを誇る彼女が追い付いたのは非常に頼りになるが、今だけはもう少し後に現れてほしかった。

 

 そんなモモンガの予感を肯定するように、新たに現れた存在に気が付かず泣き続けるネムを目にしたアルベドは、おもむろに戦斧を振り上げた。

 

「なっ……」

 

 ヘロヘロの息を飲む声がモモンガの耳に届いた。

 

「下等生物が……至高の御方の前で耳障りな音を出すんじゃあ───」

「待て! 止めろアルベド!」

「しかしモモンガ様。お二方に背を向け、あまつさえこのような雑音を聞かせるなど───」

「……少し、黙れ。黙ってくれ、アルベド」

「ッ! も、申し訳ございません、何かモモンガ様をご不快にさせる言動がありましたでしょうか?」

「………」

 

 これがカルマ値が負に傾いたNPCの考え方なのか、とモモンガは空っぽの頭に痛いものを覚える。

 カルマ値が極端に善に振れているセバスはモモンガから見て、極めて紳士的な振る舞いが特徴的なだけで、本来のモモンガ達が持つ感覚に近い感覚の持ち主である。この数日間でいささか過保護気味な所にだけ目をつむれば、モモンガ達が素の感覚で会話をしても最も違和感を覚えない人物と言えるだろう。

 

 一方でアルベドのカルマ値は-500(極悪)。限界まで悪に偏った値であり、数値上はモモンガと同値である。

 ヘロヘロ達との会話の中でもカルマ値がNPCの人格にどう作用しているのか、という議題は持ち上がっていたが、その場にはセバスと一般メイドしかいなかったため何も検証作業は行えなかったのだ。(一般メイドがナザリック外の存在を総じて哀れんでいることは分かった。)

 

 それが今ここに至って、泣き叫ぶ幼な子を「うるさい」という理由だけで躊躇なく殺そうとするような歪んだ思想をまざまざと見せつけられてしまった。

 

 勿論、そこに思う所がない訳ではないが、そもそもアルベドをそう創ったのは自分たちで。ナザリックのNPCの傾向的に考えると、アルベドに近い考え方のNPCが主流なのではないか、という可能性が頭を過る。

 それに、少女が姉の遺体に縋り付いて泣く姿を見るまで、自分が何を失っていたかさえ気がついていなかった自分にアルベドを責める資格なんてある訳がない。

 

 そう結論づけたモモンガは「いや、お前は悪くない」と一言だけ告げて、それ以上アルベドに何かを言うでもなく───嗚咽を漏らす少女の背中を、暫くその骨張った手のひらで静かに(さす)ってあげていた。

 

 

to be continued...

 




エンリ:一旦死亡。話し合いに時間を割いたりしているうちに間に合わなくなり、命を散らした。原作知識があるのに準備に手間取って出遅れたピンク髪錬金術士が十割悪い。なお、本作はほんわか路線であります。
ネム:姉の死を目撃している分、姉が健在だった原作よりもモモンガ達を前にした恐怖が深かった。

モモンガさん、ヘロヘロさん:色々と精神面に無意識レベルの変化が発生していることを自覚。今後、より一層気をつけていくか、それとも影響を取っ払う手段を見つける必要があるだろう。なお、本作ではカルマ値はモモンガさんは原作通り−500(極悪)、ヘロヘロさんは(脳みそとか無さそうな)スライムらしく0(中立)としている。未登場だがヒカねぇは人型モンスター(と言う名の人間)とも戦うアトリエロール勢なので+100(中立〜善)である。
 そんな理由で精神の異形化はモモンガさんが一番強く。特にアンデッドなのが影響を深刻にしている……かもしれない。まーパメラも幽霊だけど良い子だし、スケルトンのモモンガさんも大丈夫だいじょーぶ!

 モモンガさんは色々と動き回っていますが、今回警戒心強めのヘロヘロさんは騎士からも、ネムからも距離を取って行動しています。かといってモモンガさんを止めるほどのことはしない。軽口叩いているときにもずっと防御できる姿勢を維持している感じ。自分優先、NPCに任せられるなら任せたい。


後書き:どうして私の書く話は進みが遅いんだ……! 5000文字でサクサクと心理描写も豊かに進めていく方を尊敬しています。

先の話ですが、クレマンティーヌの扱いについてお聞きしたいです。

  • 殺され、死体は行方不明で終わり(原作√)
  • 死後、何故か蘇生して話に絡む(逃亡編√)
  • 何かしら主要キャラ枠になるメインキャラ√
  • 話に絡むが、本編の外で何かする番外編√
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。