動かないアルベド
※あるプレイヤーについての捏造設定が含まれます。
絢爛重厚な扉は閉ざされ続けた歳月を否定するかの様に、押し開こうとする彼の手を微かな淀みも無く受け入れた。重々しい音を伴って開かれた扉の先へ足を踏み入れると、そこに広がっていたのは男の脳裏に染み付く過去の記憶と何一つ変わらない光景だった。
それ一本で現実(リアル)での男の家が埋没しそうな程の柱群が、見上げる程に高い天井を支えており、その天井から吊り下げられた七色宝石で彩られる豪奢なシャンデリアは静謐な光で広間を照らしている。鏡もかくやといった域まで磨き抜かれた白亜の大理石の床には、深紅の上質な絨毯が玉座へ続く階段まで伸びており、歩を進める男の足音の一切を受け止めていた。
壁一面にも緻密な金細工が施されているのだが、それ以上に目を惹くのは左右の壁から掲げられている多様な紋様が刻まれた旗の数々だろう。総計四十二枚のそれらが示すのはかつてこの拠点を作り上げ、数々の冒険を男と共にした仲間たち一人一人の紋章だ。
獣王メコン川、エンシェント・ワン、ウィッシュⅢ、フラットフット、ウルベルト・アレイン・オードル、ベルリバー、ばりあぶる・たりすまん、源次郎、そして―――タブラ・スマラグディナ。
ギルドでは「大錬金術師」の二つ名を付けられた〈脳食い(ブレインイーター)〉の男は、懐かしむように友人達の旗を目に焼き付ける。最後の一枚、玉座に最も近い位置に掲げられたギルドマスター・モモンガの旗を見たとき、男の胸がチクリと痛んだ。少しばかりの後悔と良心の呵責がタブラ・スマラグディナの心を苛んでいた。
最終日を前にして、引退してから初めてタブラの下にモモンガからメールが送られてきた。ギルドメンバーたちの潤滑剤、緩衝役をしてくれていたあの頃の姿を想起させる、受け手に配慮した丁寧で彼らしい文体で記されていたのは「ユグドラシルが終了してしまうので、最後にまたログインしてみませんか?」という内容で、肯定の意を返信したタブラは押し入れの奥に仕舞われていたゲーム機を数年ぶりに引っ張り出した。
そしてサービス最終日にログインした彼を出迎えたのはかつてと何も変わらない姿―――アバター体なのだから当然だ―――のモモンガだった。
「タブラさん! お帰りなさい!」とモモンガは何年もの間、一切の連絡を取っていなかったタブラを躊躇う様子一つ見せず、当たり前のように迎え入れてくれた。それから二時間ほどをタブラが引退してから開催されたイベントの話題やAOGでは日常の一つだった現実(リアル)の愚痴話、当時の思い出話に費やした。いくら話せども尽きることなくモモンガから湧いてくるユグドラシル関連のエピソードを聞いていると、タブラは自分がこのゲーム……延いてはナザリックを離れてから経過した時間を否応なしに自覚させられるようだった。
彼がこのゲームを去った時にはまだそれなりの人数が残っていたはずだが、五年を超える時の流れの中でギルドメンバーのほぼ全員が引退するに至ったらしい。活動的にログインを続けているのはモモンガとヒカねぇの二人だけ。明確に引退を伝えていないメンバーは他に三人いるそうだが、それもこの数年は姿を見せていないらしい。つまり彼らは、実質たった二人でこのゲームを続けていたようだ。
……たった二人だ。このギルドを脱退するか解散するかして、他の活発なギルドかクランに活動拠点を移すことだって出来たはずだが、モモンガは此処を棄てることなくギルドを維持し続けてきたのだ。
タブラが玉座を見上げながらコンソールでギルド情報について確認すると、ギルド資産は殆ど減っていないように思えた。当時の資産額を覚えているわけではないが、現在資産もおおよそ数人では到底稼ぐことが出来ない莫大な金額を維持している。つまりこれは、誰かがギルド維持費を稼ぎ続けていたことを意味している。それが一体誰なのかは考えるまでもない。
AOGが拠点にしているナザリック地下大墳墓は、全ワールドでも九つしかない3000レベル級の容量を有した一大拠点だ。維持費にもそれ相応の金貨が要求される。それこそギルドメンバー四十二人が全員揃っていたころであれば一人当たりの負担は大したことのない金額だったが、それをたった二人で賄おうとすればその苦労は計り知れない。新たにタブラの知らない高効率な金策が見つかったりしていなければ、金貨的に中々厳しいプレイを強いられていたのではないだろうか。
それを現時点で最後に去った近接職メンバー・ヘロヘロが姿を消してから、最低でも二年間は続けていたというのだから、ゲームそのものから離れて、今回連絡をもらうまではユグドラシルやナザリックのことなんて完全に忘却していた自分にどことなくバツの悪さを感じてしまうのも仕方のないことだろう。
モモンガは何も言わなかったが、彼のことだ「ギルド資産はギルメン全員の共同資産だから」と当時の決まりを重んじて、可能な限り減らさないように苦心したのかもしれない。それはあまりにも律儀と言うか、お人よしと言うか……少し、ほんの少しだけ彼がナザリックにかける情熱に薄ら寒いものも覚えたが、彼らしいと言えば、間違いなく彼らしい。
タブラはゲームよりも現実(リアル)を選んだ大多数の一人である。引退する理由は人それぞれだったが、彼が引退した理由は単純に結婚して自分一人の時間を確保し難くなったからだった。たっち・みーの様に生活に余裕があれば違ったのかもしれないが、タブラには仕事と伴侶との生活とゲーム活動の全てを両立させることは出来なかった。
結婚当初はユグドラシルへの思いを断ち切るために努力して意識しないようにしていたが、子供が生まれたり、家族向けの部屋に引っ越したり、子供の将来を見据えて今まで以上に節約と貯金に勤しんだりと慌ただしい日々を送っているうちに、自然とゲーム世界について思いを馳せることもなくなっていた。
それから再び生活環境に変化があったので、戻ってこようと思えば復帰することも出来たはずだが、その頃にはタブラの中でユグドラシルは「終わった過去」として記憶の奥底に沈んでしまい、意識の片隅に浮かんでくることすら無くなっていたのだ。
「でも、いざ終わってしまうとなると残念なもんだな……」
タブラはそう呟きながら玉座の手すりを軽く撫でた。
「もう少し早く戻って来てたら、少しは一緒に楽しめたのかな」
答えが返ってくることは無く、独り言は宙に溶けて消えていった。
脳裏に先ほど別れたギルドマスターの骸骨顔を思い浮かべながら、彼と一緒にモンスターと闘う姿を夢想する。
想像の中ではモモンガが死霊系魔法を振るい、自分は錬金術師の物質生成魔法で地形を滅茶苦茶に組み替えていた。しかし、敵を翻弄しながらも決め手に欠けてジリジリと劣勢に陥っていく。とうとう最後には防御の薄い自分が先に突破されてしまい、崩壊した戦線になだれ込んだモンスターによってモモンガが飲み込まれ消えていった。GAME OVER。
生産系込みの魔法職とロマン構成の死霊使いだけで高レベル帯の相手なんて無謀だな! と空想の中ですら格好がつかない自分にタブラの喉からくつくつと笑い声が漏れ出した。何事にも、上手くいかないことはある。あの頃、最高に知的でクールで何より意義深いと信じていた「恐怖の知識(ホラー知識)」や「深淵の知識(神話知識)」も、夫婦生活を送る上ではまるで役に立つことはなかったのだ。
今思えば、それらを含む諸々の空回りに最後まで気が付けなかったことが離婚の一因になったのかもしれない。もっとも、一番の原因は彼女が自分を捨てて、あらゆる面で自分を上回るスペックの男に鞍替えしたことなのだが……。それ以来タブラは、男一人には広すぎる部屋で月に一度の面会で息子の成長を見ることだけを生き甲斐に暮らしていた。
視線を横にずらすと、そこには頭から捩じれた角を生やした女悪魔が純白のドレスをまとって静かな微笑みをたたえていた。
タブラが作った三体のNPC。長女のニグレド、末っ子のルベド、そして彼女───次女のアルベドを最後に一目見ておくためにタブラはモモンガと別れ、この玉座の間まで足を運んだのだ。
改めて間近からじっくり観察すると、いやはや当時の自分の力の込め様に少し引いてしまうくらい気合が入っている。ニグレドとルベドもそうだったが、あの頃はこのNPC制作という行為にかなり入れ込んでいた覚えがある。
当時、拠点NPCを作る際はテンプレートを組み合わせてどれだけ自分の好みに近づけるか、というスタイルがメジャーだったが、AOGでは他の面々もタブラと同じく手作り(ハンドメイド)に熱を上げる者が多かった。NPCのために神器級装備まで用意したペロロンチーノしかり、四十二体のメイドNPC全員に異なる顔とメイド服をデザインしたホワイトブリム、NPCでは無いがかつての星空の完全再現に挑んだブルー・プラネット。趣味も方向性もバラバラだが「これだけは誰にも譲れない」という情熱を抱えた人が集まっていた気がする。
特にアルベドについては「守護者統括」というNPCの頂点に君臨する設定を与えられた存在をデザインするために何週間も頭を悩ませて、ついにデザイン案が完成した時の達成感は今でも思い出すことが出来る。しかし何より苦労して、それでいて一番楽しかったのはやはり「設定作り」で間違いない。
たしかアルベドはその誕生背景に始まり、生い立ち、物事の考え方、立ち振る舞い、内面、趣味……考えうる限りの設定を言葉選び一つ、句読点の箇所一つにまでこだわって、文字数の限界ギリギリまで詰め込んだはずだ。
タブラは制作者権限でコンソールからNPC設定を呼び出し、中編小説一篇にも及びそうな長々とした設定文を流し読みし始めた。書いた記憶がある部分もあれば、「こんなこと書いたっけ?」「なんだこの意味分からない設定……」と過去の自分がやったことながら首をかしげてしまう部分も多々あったが、どこか心地よい懐かしさを感じながら黙々と読み進めていった。
「常に微笑みを浮かべているがその内面は残酷である」とか「整理整頓が好きだが自分の部屋の物は雑に積み上げる性格」とか「趣味は裁縫だがそれ自体も演技に過ぎないのかもしれない」とか。当時の自分はギャップ萌えを狙って書いたんだろうなあ、と無意識に笑みを浮かべて思い出に浸っていたタブラだったが、文の終盤にたどり着いたところで彼の口元から笑顔が消えた。
ちなみにビッチである。
最後に取って付けたように―――記憶では実際、余ってしまったスペースを埋めるために―――書かれた、当時は面白半分に書いた短い一文。しかし、今のタブラには笑って読み飛ばすことが出来なかった。
「……」
タブラの脳裏に綺麗な黒髪の女の顔が過った。それと同時に、別れ際に彼女が残していった自分を見下す離別の言葉も。時が流れて薄れることはあっても、嫌な記憶は僅かな切欠さえあればすぐに意識の上層に舞い戻ってきてしまう。
かつて、若かりしタブラが「自分が想像する究極の美女」として作ったアルベド。それがこんな設定を持っているということは、今の彼には受け入れ難いことだった。
タブラは即座にコンソールを操作してその一文を消し去った。それだけで僅かに胸が軽くなった気がした。
しかし、そうすると新たな問題が生まれる。すなわち、この空いてしまったスペースに何を入力するか、という問題が。
そんなもの、態々埋める必要なんてないだろうと普通の人なら思うだろう。しかし、かつて数々の重厚且つ複雑な設定を多大な苦悩の中で織り上げた設定魔にとって、残り文字数ゼロで完成されていた設定に空いた穴を放置するというのは彼の選択肢にはありえない。スペースを埋める……句読点を抜いて僅か十文字、一体何を書くべきか。
まさかサービス終了最終日に、あと数時間もすれば消滅するNPCの設定に頭を悩ませることになろうとは想像もしていなかった。
やはり気に食わない設定を消したのだから、それに相反する内容を追加したい。
─── 一途、純愛、誠実、清らか、無垢、慈愛、抱擁、真実の愛。
何度も前部分を読み返しながらぴったり当てはまる設定を考えるも、どうもアルベドという存在にはしっくりこない感覚が拭えなかった。
そもそも、本質的には「冷酷な悪」であるキャラとして作り上げたのだ。故に最後に淫乱要素をぶち込むことで、悪の組織の女幹部が実は……的なギャップが生じていたのだが、上に挙げた要素を追加してしまうと根本的な「冷酷な悪」の部分に陰りが生じてしまう気がした。
「悪の女幹部が一途な愛を抱いても違和感のない方法かぁ~……あっ!」
瞬間、タブラに電流走る。
「そうだよ、悪の女幹部が実はボスを慕っているってのはよくある。そうだ、相手が魔王ならいいんだ……」
つまり、アルベドなら相手をモモンガさんにすればいいんだ。
我天啓を得たり、と得心が行った様子でタブラは一人頷いた。アルベドに視線を向ければ、身じろぎすることなく変わらぬ微笑を浮かべ、その瞳はジッとタブラを見つめている。
現実には絶対に存在しないだろう究極の美貌。しかし実際のところ、その方向性はタブラの趣味とはずれていた。彼はどちらかというと、女性としてはもっと素朴なタイプが好みなのだ。
「だけどたしか……」とタブラは古い記憶を掘り起こす。「アルベドはモモンガさんのストライクゾーンど真ん中とか、ぺロロンチーノさんだったかが言ってたな」
ならおあつらえ向きか、と設定文に友達を登場させるナマモノ行為*1への抵抗感も薄れて、タブラは軽い気持ちでキーボードを弾いた。
「モモンガさんを愛して……足りないか。呼び捨て御免」
―――モモンガを愛している。
「うん、これでよし」
コンソールを閉じてアルベドを見る。何となくさっきよりも良い顔をしている気がした。これでこいつはサキュバスらしい淫乱ビッチではなく、ただ一人の相手を思う一途な存在になったのだ。そう思うと、また少しタブラの心は上を向いた。
これで、もうこのゲームに思い残すことは何も無い。サービス終了に立ち会いたい名残惜しさはあるが、明日に備えて早く眠るとしよう。なにせ明日は、一カ月ぶりに息子に会える日なのだ。
最後にもう一度玉座の間を見渡して、タブラはログアウトボタンをタップした。
僅かな光エフェクトを散らして醜悪な蛸の怪物は姿を消し、そして後には静寂だけが残った。
アルベドのモモンガ様好き好きムーブが好きなんです。
タブラさん:一人暮らしに戻ってから昔よりも独り言が増えている。ペットとしてAI搭載のロボ犬を買うか検討している。