【生命保険】期間半年、一度限り。代金等、詳細は別紙をご覧下さい 作:鰯のすり身太郎
「せ、ん、ぱ、い~っ!」
がららっ、と大きく音を立てて。身の回りに風や埃をばらまきながら、教室へひとりの少女が滑り込んできた。
日にやけた肌。少し着崩した制服と、首から提げたデジタルカメラ。顔には少しそばかすも浮かび、それがかえって可愛らしい印象を際立てていた。
明朗快活という言葉を人に例えれば、まさにこうなるだろう、と。そう思わせるようで。その後ろでは放課後を告げるチャイムが響き、戸から覗く窓からは日が少しずつ落ち始めているのが見えた。
「と、とと……うわぁっ!」
勢い余って前のめりに崩れる身体。
入っていった教室はあまり広くない。暴れ牛ばりの勢いのままにバランスを崩せば、その結果は明白だ。
荒れに荒れるだろうし、彼女自身もすり傷やたんこぶのひとつふたつはまぬがれない。
その結果を予期したのか、衝撃にかまえ彼女はぎゅっと強く目をつむる。けれど、実際にそうにはならず。
思っていた痛みの代わりに、額を抑えられたのを感じて、思わずえっ、と声が漏れた。
ぐえっ。
そのまま蛙のようにしわがれた声を出して、身体はぐるりと回転した。思い切り走ってきた勢いは、そのままどしん、と尻餅をつく力に置き換わる。
「
声の主は、呆れたようにため息をつく。
そしてちら、と倒れた彼女を一瞥すると、そのまま興味を失ったように元の方向へ向き直った。
テーブルの上のカセットコンロのつまみをひねり、彼女は慣れた手つきで片手に持っていたポットを置く。
「……お湯を沸かしてるときはもっと大変ですから。私が水をくんできたばかりでよかったですね?」
火傷しちゃいますからねー、と言いながら、彼女は壁のロッカーからマグカップをふたつと、インスタントコーヒーのびんを取り出した。
そうして片方のカップへスプーンでひとさじ。そしてもう一方の上では、スプーンも使わず粉の入ったびんをひっくり返す。瞬く間にびんから消えていく粉、粉、粉。
いっぱいに満ちていたはずの中身が、半分ばかりカップに消えたあたりで、ようやく三葉と呼ばれた少女が立ち上がりながら口を開く。
「だって、先輩が部室に入っていくのが見えたから走ってきたんですよぅ……。私だって、普段ならちょっとくらいは気をつけてました」
「だったら手にポットを持ってたのも見えませんでしたか? 呼んだわけでもないのに走ってこないで下さい」
ばちん。
額を指で弾かれて、また少女が悶絶した。
少女が唸りはじめてから少し。
がたがたがた、とポットが揺れて、沸騰したことを目一杯に表現する。
「どうぞ。加減は分からないので、砂糖は自分で入れて下さい」
「うぅ……。これ、先輩のじゃないですよね……?」
「カップが違うじゃないですか。三葉じゃないんですから間違いませんよ」
「いやいやいや。昔、一度間違えましたよね? めちゃくちゃ苦かったんですけど?」
「あはは、あれはわざとですよ三葉。私にだって、いたずらがしたいときはあります」
「……本当ですか?」
「あはは」
むぅ……と睨まれながら、先輩はわざとらしく大きく笑った。
からからとスプーンを動かし、カップのコーヒーの粉末の山を溶かしていく。そしてどろどろになったそれを飲むと、一息、満足げに声を漏らした。
いつもの光景だけれど、見る度にいつも三葉は信じられない気持ちになる。自分のコーヒーへ砂糖を入れながら、思わずうへぇ、と漏らす。慌てて手で口を塞いだが、幸い聞こえていないようだった。
「……? どうしましたか? 風邪なら家で休んだ方がいいですよ」
「あっ、いやいやいやなんでもないです、よ……? というか、先輩は逆に授業休みすぎじゃないです? 私、先輩が部室以外の教室にいるの見たことないんですけど」
その言葉を、滅多に出てませんからねという一言で返す。そこには何の感慨もない。
「学校も体裁を気にする、とだけ言いましょうか。ああ見えて彼らも大変なんですよ」
「……先輩、そういうの分かっててやってるんですね」
「分かってないでやる方が度胸があると思いますよ。その点、まだ私は常識的かと」
それに今更でしょう?、と注がれる冷たい視線をなんでもないように流す。
笑う先輩の耳元では、ピアスがきらきらと輝いていた。
両方の耳に、それぞれ五つばかりつけられたそれらは、彼女が校則だとかをまるで意にも留めないでいることの証の一つだ。
「もう。授業にも出ないし、いっつもそんな調子だから、先輩は『黒猫先輩』とかって呼ばれてるんですよ?」
「またその話ですか? 私は気にしないっていつも言ってるでしょう」
「わーたーしーはーいーやーでーすーっ!」
ばたばたばた。
机にふせて、三葉は手を振って不満を表した。無作為に振られた腕から守るように、先輩は、わわっ、と二人分のマグカップを空中へ避難させた。
「あぁっもう……。せっかくのコーヒーがこぼれちゃうじゃないですか」
「先輩はなんで言われたい放題で平気なんですかーっ!」
「なんでもなにも、私は困りませんし。なんならファンシーじゃないですか?」
「『黒猫先輩』って別にかわいい意味じゃないって分かってますよね!? 『不幸の黒猫先輩』ですよ、正式には!」
「噂に正式もなにもあるんですかねぇ」
そう言って困ったように『黒猫先輩』は笑った。
墨のように黒く、美しい艶やかな髪。少し垂れたまなじりに、光を放つようにすら見える金の瞳。
控えめに言っても整った容姿は、彼女の放つ独特な雰囲気も相まってむしろ不気味ですらあるのかもしれない。
「黒猫、ってつまり、通りかかられたら不幸になる、って事ですよ? 人につけるあだ名として、これは中々に失礼ではないでしょうか!」
「だからって別に、私が誰かを幸せにしてるわけでもないですし。火のない所に煙は立たないなんて言うでしょう? 実際に私のせいで不幸になった人もいるのかもしれませんよ」
「あーっもう、そういう風に言うーっ!! 先輩のいじわる、ひねくれ者、ろくでなしー!」
「はいはい。それよりほら、パズル雑誌。今月は高級牛のすきやきセットが当たるそうですが、いりませんか? いつも楽しみにしてるでしょう」
言いながら机の引き出しから、ポップな表紙の雑誌を一冊取り出した。
黒毛和牛。最新式薄型テレビ。京都旅行。そんな豪華な商品類がこれ見よがしに描かれたページと、それについた懸賞用の応募はがきを見せながら、どうですか、とささやく。
「……いります」
「ふふ、じゃあ機嫌を直して下さいね。……あぁ、今日はパズル雑誌の日でよかったです。三葉の機嫌もよくなりますから」
「むぅ」
それでもちょっと不満そうに頬を膨らませながら、三葉はぱらぱらとページをめくる。
クロスワードパズルから論理パズルまで、たくさん載せられた問題は全て、きっちりとボールペンで回答が埋められていた。
一通り目を通して雑誌を閉じる。裏表紙に書かれた刊行日は今日の日付。
いつものことだ、と
新興都市神浜市、その中央区に建つ中高一貫校である中央学園、その片隅のある一室。
滅多に使われない、『暗室』と張られたその教室には、ちょっとした噂がついてまわる。
『黒猫先輩』。あるいは『不幸の黒猫先輩』。
暗室の主であるその人に目をつけられたら最後、必ず不幸に遭うという。とどのつまり、よくありがちな七不思議の出来損ない。
死体が見つかる。隠し事がばれる。海外へ売られる。退学になる。その他、実際どうなるか囁かれていることをあげていけばキリが無い。
どうあれ、大切なのは
細部はどうあれ、最終的にきまってそう締められるその話にはモデルがいる。
実のところ、彼女のことを実際に知っている人は生徒でも……たとえ同級生やクラスメイトでも多くない。
授業はほとんど欠席。学校行事に関しても同様。なんなら教室には机すらなく、名簿にだけ名前があるという奇妙なことになっている。
実は幽霊なのではないか、とか。先生達がイジメなどの問題のスケープゴートのために作った架空の生徒だ、とか。
『
そして基峰三葉は、その数少ない中の一人だった。
中央学園写真部に部員はふたり。
そして実際に活動らしい活動をしているのは、そのうちのひとりである
高等部一年。茶の髪に琥珀色の瞳の彼女は、緋穂とは違った意味での有名人だ。
見た目通り、いやそれ以上に
中高一貫校というのは、他の学校よりもコミュニティが強く確立しがちだ。
普通であれば中学校で三年、高校で三年と、同じ同級生と過ごす年数は分かれている。しかしそれが中学校の三年に高校の年数をプラスしていく形になるわけだから、関係性はより強固で、排他的になりやすい。他よりも、転入生には厳しい環境といえる。
しかしそんな中で、三葉は後攻からの転入生であるにも関わらず、あっという間に馴染んでしまった。
今では学年で彼女を知らぬ者の方が少ない、と言えるほど。部活の大会、学校新聞、委員会のヘルプ、いろんな場面でお呼びがかかる人気者だ。
彼女の前では『黒猫先輩』もたじたじで、不幸をもたらすことはできない。一年生の間では、そんな風にも囁かれているという。
……もちろん、現実はまた違っていて。
たじたじ、というよりも玩具のように面白がられている、というのが実際のところなのだけど。
「……そういえば。先輩は、恋愛ってしたことありますか?」
懸賞はがきを書きながら、ふと三葉が呟いた。世間話をすることこそ日常でも、今三葉が口にしたのは普段は聞かないことだった。
すこし珍しそうに、緋穂はその目を彼女へ向けた。
「ないですねぇ。なので恋愛相談なら、残念ながらあまりあてにはならないでしょう」
「え? ……あ、私の話じゃなくて! そういうのはまだ、私には早いといいますか、なんといいますか……」
「三葉、隠そうとしなくてもいいんですよ。私達は青春の最中なんですから、そういう気持ちだって当然のものです。私は漏らす相手もいませんし、あまり力になれずとも話を聞くくらいなら……」
「って、ちーがーいーまーすーっ! 私はされた側! したのは友達、同級生!」
「おや、ふふ。こういうときの常套句ですね?」
「違いまぁーすっ! んもぉー、分かって言ってますよね!?」
打てば響くような反応に、楽しげに笑う緋穂。
何気ないようなそれですら絵になるのを見て、確かにこの人にそういう悩みは無縁だろうな、と納得した。これは選ばれる側でなく選ぶ側だ。
「うふふ。ええ、分かってます。あなたはそういう嘘をつくタイプではないですからね。けど、口に出してしまうあたりよっぽど強烈だったみたいですが」
「そうなんですよー……。こう、好き好きーってオーラがですね……強烈で……」
「あらまあ、三葉がそこまでげんなりするのは相当ですね」
言っているうちに思い出したのか、力なく身体を机に突っ伏す。
伸ばした腕に巻き込まれ、開かれていたクイズ雑誌のページにぐしゃりとしわがつく。慌ててしわを延ばすと、幸い破れてはいなかった。
一安心すると、また身体をぐでっと伸ばす。
「好き好きーなんてふつう、付き合ってからの話だと思いますが。でも惚気というわけでもないんでしょう?」
「惚気ー……惚気かー……。そっかー……。もし付き合ったらもっとひどくなるのかな……」
「うーん。失恋してもらったほうが、まあ楽かもですね」
ストーカーにはならない、と但し書きありでならですが。
そう付け足して、カップのコーヒーを飲み干した。立ち上がり、もう一度コンロのつまみをひねる。ポットの中で少しぬるくなったお湯は、それでもあっという間に沸騰した。
「フラれてからストーカーとかするような子ではないですよー。だから応援してあげたい気持ちではあるんです」
「だったら仕方ないですね、ちゃんと我慢して付き合ってあげないと」
「でも疲れはするんですよー……。意外とあっさり付き合って、そこで完全に満足! 惚気なんてする暇も無くラブラブ! みたいになれば理想かなあ……」
「ふふ、そうなれば素敵ですね」
話しながら、緋穂の手元ではまたコールタールが生まれていた。空になったびんを、部屋の隅のごみ袋へそっといれると、同じようなびんと触れ当たってカラカラと音がする。
「でもね三葉、なんでも都合良く事が運ぶなんて普通はないって知ってるでしょう?
「――それは、勿論。そんな権利はもう、使ってしまったから」
底冷えするような声。ゆらりと顔をあげた三葉の顔は緋穂からは見えない。だけど、どんな表情なのかは想像がついた。
「ええ。だから今の私がいて、あなたがいる。夢のない話ではありますが……」
「はい。だけど……」
ぐるりと振り向く。その顔を。
「……だけど、先輩と会えたのは。きっと、その例外でした。でないと、私は……」
「あら、三葉は嬉しいことを言ってくれますね?」
その顔をあえて見なかった。手に持ったカップで視界から隠したからだ。カップからは湯気がふわり、漂う。
そうしてすっと元の席へ戻ると、閉じていた雑誌をまた開いた。手のコーヒーをすすり、すっかり元の姿勢に戻った彼女に三葉はため息をついた。
「……いつも言ってますけど。これ、ほんとですからね?」
「分かってますよ、って私もいつも返してるじゃないですか」
「それが分かってなさそーなんですよね……。まあ、もう諦めましたけどー」
「心外ですねぇ。それに今日は私への愚痴じゃなくて、お友達の愚痴を聞くものだと思ってたのですけれど」
「もー……。というかですね。先輩のことを考えたら、その子の妄想なんてかわいいものに思えてきました」
「そんなにですか」
「そんなにです」
って妄想……? と訝しげに眉をひそめる緋穂を尻目に、うんうん、と三葉は腕を組んで頷き始めた。その脳裏には、今まで緋穂に対して苦労してきた記憶が次々思い返される。
初めて部室を見た時のこと。無造作に放り投げられて、入り口以外埋め尽くさんばかりだった雑誌、雑誌、雑誌。初めての部活動は部室の掃除だった。一週間かかった。
タバコをやめさせた時のこと。部室にいる間ずっと、その健康被害やコストの問題、喫煙者を取り巻く世間の目からなにまで話しつくし、最終的には匂いで自分も周りの視線が痛い、とか、悪評になって
完全に怪談と化した『黒猫先輩』のこと。噂自体が生きているので、彼女の姿は恐怖の対象になる。不幸にも彼女を見て、その噂に怯える同級生をなだめすかし気にしないように説得した。というかもう、それをしたのは少なくない数になっていた。
そう思うと、恋バナ……というか、思い人と自分に関する妄想の数々だけど……を聞くのが一体なんだというのだろうか。胸焼けしそうなくらいに濃いとはいえ、なんなら面白みがあるじゃないか。
なんでもないな。三葉はそう結論づけた。それを見た
「……まあいいでしょう。愚痴を聞かなくていいなら、私もそっちの方が気楽ですし」
「あ、それはさせてください。せっかくだし、お言葉に甘えさせていただければなって」
「そうですか? もうすっかり割り切った流れだと思ったのですが」
「いやあ、それはまた別ですよ。先輩が割とアレなのと、その子がめちゃ甘なのはまた別のはなし」
「そんなにアレですか?」
「アレですね」
それはもう。まだ不満そうではあるけど、会ってから今までずっとそうなんだから仕方ない。というか、あまり気にしてないのがバレバレだし。
そんなことを思いながら、その横顔を見て。
どこからともかく、そこへ一枚の紙が落ちてきたのが見えた。
すっと、目を細める。どこか緩やかであった空気が、ひやりとしたものに変わっていくのを肌で感じる。
「あら。残念ですが、愚痴を聞くのはまた後ですね」
「え、残念なんですか? 実は結構興味があったりしちゃったり」
「そうですねぇ。あなたがこういう事を話すのは滅多にないでしょう?」
「それは恋バナ、という意味でしょうか。それとも愚痴?」
「どっちもですよ。私、話の種は多いほどいいと思うんです」
そう言いながらページをめくっていた手を止め、緋穂は代わりにその紙を受け止めた。その動作に、今起きた奇妙な現象、非日常への驚きはない。薄茶けた、羊皮紙のようなそれへ、よくあることであるように目を通す。
軽口を叩きながらも二人ははかったように同じタイミングで立ち上がり、ドアへ手を掛けた。
「ともあれ……行きましょうか。
視界に広がるのは、異様な光景としか言えなかった。
色、色、色。ピンクや黄色、オレンジの派手な色。数多の装飾。そこには、綺麗に飾り立てられたものであればどんなものでもあるようだ。
人形も、少し汚れたクリスマスツリーも、派手に塗装された車も。なにもかもがそこらに無秩序にばらまかれ、それらを見ていると、自分が知らずのうちにドラッグを使ったのではないかなんてことすら頭によぎる。
空間をよぎる、巨大なビーズかざり。ファンシーなカーテン。ウィッグ、衣装。
人が使うものよりもいくらか大きなそれらは、まだ統一性があって安心する。この空間の主が人よりも巨大だから、それにあわせた特注品なのかなとか、ついそんなことを考えてしまう。
……現実逃避だ。誤算だった。まさか、この結界の魔女がこんなに強力だったなんて。
よたよたと歩く少女は、ついに空間の隅にへたりこみ、やっとの思いで身を隠しながら荒れた息を整える。自分の脇腹からとくとくと流れていく血を見ると、知らず恐怖がわき上がった。
その身体は、不思議な衣装に覆われている。アニメのヒロインのような……そんなファンシーで、この空間にも似合うような。それがじわじわと赤茶に染まっていく。
事実として、彼女は『魔法少女』と呼ばれる存在である。願いを一つ叶えてもらったかわりに、『魔女』という人を襲う存在を退治する。そういった契約を交わした存在。
そして、自分が他の子と比べても見劣りしないくらいには……いや、強い、と言えるくらいの自負もあった。だから魔女が潜む結界を見つけても、一人でなんとかなると思った。
それが、このザマだ。この魔女は思っていたよりもずっと強力で……這う這うの体で逃げ出すのが精一杯で。それですら、結界の外に出るには至らない。
魔女がかんしゃくを起こして暴れている音が少しずつ近づいてきて、なのに意識はどんどん朦朧としてきていて。
もう死んじゃうのかな、自分なりに結構頑張ったし、ぎりぎりで奥の手にも頼ったのに。
だんだん頭が冷えていって。残念だな、と他人事のように思って。なんとなく、魔女の手下である使い魔達が近づいてきてるのも分かって。そして……。
「おっまたせしましたー! 『保険屋見習い』、基峰三葉! ただいま駆けつけました!」
予想だにしない、跳ねるような声が、耳に届いた。
慌てて物陰から姿を出す。声の主は、いたいた、と喜ばしげに声を漏らし、こちらへあっという間に近づいてきた。
一目でその少女も
彼女の姿は、中世の騎士の金属鎧をいくらか崩したような姿だった。身体は急所を中心として局所的に覆われ、その右手には立派な
しかし、それよりも目を引くのは彼女が乗っている不思議な生き物だった。
鷲のような頭に、目を引く威風堂々とした一対の翼。人の身体以上の大きさを持つそれらだけでも非現実的であるのに、あまつさえそれは獅子のような身体すら持っていた。
グリフォン。そう呼ばれる、おとぎ話だけの存在であるはずの獣が、今形となって目の前にいる。
「……『保険屋』さん? 驚いた……。
「えぇ、それはもちろん! 私のマオちゃんの速さは天下一品、新幹線も何のその! ですので!」
主の言葉に同意するように、グリフォンも軽くうなり声を上げた。自慢げに羽根を羽ばたかせる様は、少女と同様の朗らかさを感じさせる。
「マオちゃん……。マオちゃんって、その子のこと? なんだか随分と可愛い名前というか」
「えぇ、そうです! 可愛い名前ですよね!? 私の魔法で作った相棒、マオちゃん! いい名前だと思いません?」
「え!? え、えぇ……そう思うわ?」
「ですよね、ですよねー! いやー、先輩からは不評なんですよ。『マオって、なんだか猫っぽい名前じゃないですか? その名前でいかついグリフォンが出てくるの、ちょっとした詐欺だと思いますよ。改名をおすすめします』って! 酷くないですか?」
ずずいっと顔を近づけてくる三葉。思わず後ずさりしそうになったが、もはやそんな体力も残っていなかった。
なんだか長くなりそうだったし、それを聞き続けられる精神力は残っていない。なんとか話をそらさなければ。
「そ、そういえば……。あなた、見習いって言ったわよね? 私が契約したのもまた別の人だったのだけど、その人は来ないのかしら」
「先輩ですか? 先輩なら、今魔女と戦ってますよ」
「って……! あの魔女と一人で戦ってるの!? っ、たぁ……」
「お、落ち着いて下さい! 酷い怪我です、今回復魔法をかけますからちょっとだけ待ってて……」
「ダメよ……! あなたも、その先輩がみすみす死んでいいっていうの……!?」
思わず、傷の開くのもかまわずに立ち上がってしまった。鋭い痛みが骨から身体へ伝播し、えずく。
けれど、そうしてしまうほどに驚いたのだ。今回の魔女は相当に強力だ。例え複数人のチームで戦うとしても、下手に消耗していたならそのまま全滅してもおかしくないほどに。
だが、『保険屋見習い』を名乗る彼女は、それと誰かが一人で戦ってると、何でもないようにいった。そのことが信じられなかった。
たとえ負傷していても、そんな自殺行為をみすみす見逃す気はない。少女には、自然とそう思えるだけの自負と正しさがあったのだ。
言葉や騒ぎに釣られてか、いくつかの使い魔が近づいてくる。
包装紙を貼り付け合ったような姿をした手下達は、しかし、そう多くない。せいぜいが四体か五体のそれらを、三葉は槍を振るい一蹴する。
「っと、危なかったぁ。応急処置ですけどちゃんとやりますから、終わるまでは大人しくしてて下さい。流石に今のままじゃ戦えませんよ」
「……あれだけ? 私がこの結界に入ったとき、使い魔はそれこそ無数にいて、魔女の周りはさらたくさん控えてたっていうのに……」
「多分ですけど、先輩の方に行ってるんじゃないでしょうか。私の方はそのおかげで、あなたを簡単に見つけられましたし」
絶句する。
なんでそう平然としていられるの、という言葉を発しようとして、出なかった。自分を見つめる目に、その人への確かな信頼が見えたから。
彼女が手で触れると、傷が少しずつ塞がれていって、呼吸も段々と楽になってきた。思考にもちょっとずつ余裕が見えてくる。
「よし。それじゃあ脱出しましょうか。つゆ払いはお任せ下さい、何ならマオちゃんの上で寝てていただいても!」
「……いいえ。まだ、脱出はしたくないわ」
「え? なんでですか?」
「見捨てて逃げるみたいだから。ちゃんとあなたの『先輩』があの魔女を倒すのを見届けたいの。……ダメかしら」
三葉はその言葉を聞き、ほんの少し逡巡する。しかし、すぐに一つ大きくうなずくと、騎乗していた
「分かりました! あなたの周りはきっちりガードしますから、先輩のことよく見てて下さい! かっこいいですよ!」
「……そ、そう。自慢の先輩なのね」
「それはもう、もちろん!」
つい、圧に気圧された。ふんすふんす、と擬音をつけられそうな三葉を横目に、少女は一歩、結界の中心部、魔女のいた空間へと足を運び、目を向ける。
そして。そこには、一輪の黒い花が咲いていた。
目が痛くなるようなマーブル色の空間に、ひとつ、異彩を放つ黒点がある。決して落ちない、空間の染みのようでもある異物。しかし、それは確かに人だった。
漆黒のドレスに、銀糸の刺繍。美しい髪に金のピアス。首から掛けられた、宝石の輝くネックレス。彼女はいたく退屈そうに、目の前の奇怪な生物と対峙する。
生物は兎のぬいぐるみのようで、色とりどりのリボンや洋服でかわいらしくめかし込んでいる。しかし、その長い耳からは綿がこぼれ、その目は子供の落書きを貼り付けたよう。その様は、見るものにかわいらしさ以上に不気味さを感じさせる。
これこそがこの結界の魔女。人を襲い、その命や感情を食らう怪物である。
魔女にはそれぞれ、本能とでも言うべき性質がある。そして、その魔女に限れば、それは美しいものを集めたがる性質を持っていた。
他よりも一等広いその空間には、他の場所同様のファンシーな飾りつけの他に、魔女自身のコレクションらしきものも散乱している。
現実の人々から奪ったそれらへ、魔女は宝物を見つめる子供のような、熱の籠もった視線を向ける。そして、それと同じものを、目の前の人間へも。その中に一抹の嫉妬も込めて。
主である魔女のかんしゃく次第で破壊されうる彼らは、主の放つ熱へと近寄ることを本能的に拒否していた。さりとて美しいものを集めねばならぬ性質故、その場から逃げることも出来なかったのだ。
「……うーん。随分ため込んだみたいですね。もっとも、モノに関しては私は管轄外ですから、だからってどうこう思うこともないのですが」
女性……緋穂が魔女のコレクションを眺めながら呟いた。
目に入るだけで、色鮮やかなだけのがらくたから、目の飛び出るような金額であろう宝石まで、玉石混交という言葉そのもののように満ち満ちている。
しかしその目には、何の感慨も映らない。魔女への恐怖も、コレクションへの感服も、多くの人を襲ってきたであろう事への怒りも、なにも。
「それでは、どうぞ。私が欲しいなら、精々頑張って奪ってご覧なさい。もちろん興味が無いなら、逃げていただいてもかまいません。――もっとも」
大きく破砕音が響く。同時、目の前の魔法少女も姿を消していた。
今まで見ていたはずの彼女が消えたことに驚いた魔女は、思わず音の方向を向いて……そして、また驚いた。その出来損ないの目を見開くほどに。
視線の先の少女の手には、いつの間にか、美麗な衣装とはまるで似合わない、無骨な大鉈が握られていた。
それが一度、二度と振るわれる度、魔女がため込んできたコレクション達が瞬く間に粉みじんに粉砕されていく。
宝石はもはやガラス片と変わらなく。カーテンはただの布きれに。ぬいぐるみは綿のかすに。慌てて阻止しようとする使い魔ごと、その全てを砕き、潰してまわる。
「あなたの持っているモノは全部、壊してしまいますが。ふふ、これはこれで爽快感があるかもしれませんね?」
口角をつり上げる彼女を見て。
魔女は、その本能の中に残ったわずかな理性の全てを投げ捨てた。
ファンタジックな見た目に似つかわしくない咆吼をあげ、魔女は敵へと突進する。ブレーキの壊れた大型トラックを思わせるそれを、こともなげに跳躍して躱すと、緋穂はその後ろにあったコレクションの山をまた破壊してまわる。
鉈で切り裂かれた宝物は、瞬く間に美しさを失いガラクタへと変わっていく。多様な色だけがあるゴミ山の中で、ひとつ黒い花だけが美しさを保っていた。
「あいにく、突進には慣れていまして。ほらほら、もっと頑張ってみてはいかがです?」
魔女が怒りに身を任せ、震え暴れる度、ひとつ、またひとつと宝物はその輝きを失っていく。
哀れな使い魔達は、主の怒りに、あるいは魔女をあざ笑うような一閃に巻き込まれてその数を加速度的に減らしていった。
主の敵へとその身を躍らせた勇気あるものは、鉈に潰され、あるいはヒールに踏みちぎられて無残に命を散らした。恐怖から離れようとしたものは、主の暴走に巻き込まれて、逃げ出す事もできずぐしゃりと紙切れへと還っていった。
何度目かの突撃、それに緋穂は身をかがめ、よじることで応じる。これまでの跳躍による回避とは違うそれは、しかし何度もの攻撃による消耗によるものではない。
その狙いは、結果は、魔女の脇腹が無残にも裂けるという形で現れた。突進の勢いを逆に利用したカウンター。衣装は破け、血と肉の代わりに身体から綿を吹き出しながら、魔女は痛みと怒りからか聞くに堪えないような憎悪を叫ぶ。
錯乱のまま、あたりのものを手あたり次第に投げつけた。
その中の一つは、魔女のコレクションの中でも、一等大きな乗用車。アニメキャラクターがでかでかと描かれた、いわゆる
人の肉体程度、ジャムにしてなお有り余るほどの暴力。
「あーあ……はは。せっかく集めたのに、あなた自身でその宝物を捨てるなんて」
その怒りを、緋穂はあざ笑う。
大鉈を振るい、その車を両断し斬り捨てた。無残な形となった車、そこへ残っていたガソリンへと散った火花が引火し、炸裂する。
「いくら何でも、自分の性質を否定するようなものでしょう、それは。致命的にすぎます」
爆発を身を躍らせ躱す。黒煙と炎に包まれながらも、その姿は初めから何一つ変わらない。
汚れもなく、傷もなく、美しいまま。しゃなりと身を翻し……しかし、その姿がかき消えた。
元のかわいらしさの一切を失い、カビの生えたような汚らしい色に姿を変えた魔女。追い詰められたそれはしかし、その本性をさらけ出す。
その兎の耳は、鋭い牙を持った口を持つおぞましい形に変貌していた。それがマジックハンドのように伸び、緋穂の身体をその奇怪な口で飲み込んだのだ。
「……っ、あぁ……!」
その一部始終を、助けられた少女は見てしまった。凄惨な終わり。自分がまた持ちはじめた希望が潰えていく感覚。指先から血が引き、身体が冷えていくのを感じる。
「あちゃー、またやってる……。ひやひやするからそういう戦い方はやめて、って言ってるんだけどなぁ……」
しかし、三葉はその光景を、何でもないことのように見つめていた。頭をかきながら、不満そうに振る舞う彼女からはしかし、悲観する気持ちは感じられない。
「目の前であなたの先輩が殺されたのに、なんでそんな風なの……。やっぱりダメだったじゃない……!」
「ダメって……あぁ、大丈夫ですよ。先輩は生きてます。このまま勝ちますよ」
黒煙や粉塵で不透明な視界。そこに耳をつんざく悲鳴が響きわたった。
それは決して人のものではない。魔女のあげた叫びだと、その悲痛さとおぞましさから即座に分かった。
「確実だと思ったんでしょうね。
ぐしゃり。耳の中から、さなぎを突き破る虫の羽根のように鉈が突き出された。
ずぶずぶとそれは布を、肉を切り裂いていく。それはついに耳からその頭へと、そして身体へと至り。
魔女は、恐るべき怪物はいつしか、悲鳴すらもあげられなくなり霧散する。
そして、堂々とその残骸から一つの人影が現れた。その身体には、依然として汚れも、傷も何一つないまま。
「ほら。言ったでしょう? どうあれ、カッコいいんです、先輩は」
ね、と微笑む傍らの少女。それに対して、彼女はただ呆けることしか出来なかった。
主を失った結界は瞬く間に消え失せる。地獄と化した異界が消えると、緋穂の足下にはひとつの黒い宝石のみが残っていた。視線を向ける緋穂の横で、どこからともなく現れた一枚の紙が燃え落ちる。
それは彼女を呼び寄せた『契約書』だった。
「これにて契約完遂、ですか。いつもこれくらい単純であってほしいものですねぇ」
それが完全に消えうせたのを横目に、んん、と伸びをする。その衣装は美麗なドレスから、いつの間にか元の制服姿へと戻っていた。
「せんぱーい! お疲れ様でしたー!」
「三葉。そちらも無事なようでなによりです」
声の先に目を向けると、同じように元の制服に戻っていた彼女の後輩が、魔女の突進さながらに走り寄ってきていた。ぼすん、と身体でその突撃を受け止めながら、おずおずと歩いてくる、もう一人の方へと改めて視線を向ける。
視線を向けられた彼女は、緋穂の顔を見て以前に直接契約を結んだ人物だと察した。あの恐ろしく苛烈な戦い方をした人物と、薄れていた記憶の中の彼女、
「さて、では改めて。『保険屋』を営んでおります、小萩緋穂です。契約に基づき、救出、および魔女の撃破代行を行なわせていただきました」
「……えぇ。ありがとう。噂通り……いえ、それ以上の腕前だったわ」
「ありがとうございます。そう言っていただけるのならば、このような仕事であってもやる甲斐があるというものです」
笑みを貼り付けながら、ぺこりと頭を下げられた。その言葉がどれだけ本心から出たものかは分からなかったが、そのことを追求しようとも、わざわざ確認しようとも思えなかった。
「では、私達はこれで。また『生命保険』に加入なさる場合は、改めて私の元を訪れていただきたく思います。……三葉、いい加減離れて下さい。帰りますよ」
「うあー、いい匂いがする……。たばこ臭くない……」
「流石に気持ち悪いですよ、それ。たばこの匂いがしないのは、ここ最近吸ってないんだから当然でしょう」
呆れたようにしながら両手で突き飛ばすと、三葉は残念そうな声を上げながら尻餅をついた。その姿を尻目に淡々と歩き去って行く背中を、慌てて小走りで追いかけた。
空はもう日が沈み、夜の暗闇を街明かりが照らしていた。夜空はその光によって、黒になりきれないままその手前の紺色に染まっている。
遠ざかっていく二つの背中を、彼女はぼうっと見つめていた。
いつか聞いた噂の通り、以前に半信半疑で契約した『生命保険』。危機に限り、それを助け魔女を代行で倒してくれる『保険屋』の存在。
正直に言えば、どこかそれを信じていなかった。悪質な詐欺のようなものだろうと思っていて……。しかし、それは実際に行なわれ、今こうして助けられた。
……魔法少女の世界は、決して華やかなだけのものではない。
こうして命の危機に瀕することも多く、、時には誰かを蹴落とす事だって必要になる。そのことを彼女は知っていたからこそ、『保険屋』の存在を改めて不思議に思う。
どうして彼女たちは、そんなことをしているんだろうと。
そんな疑問が、瞬く間に街の光に溶けて消えていった。
☆キャラクター
○小萩緋穂
学校:中央学園
年齢:18歳(高3)
武器:大鉈(?)
能力:契約履行
『保険屋』を名乗る魔法少女。
端麗な容姿と慇懃無礼かつ奔放な性格から、滅多に人を寄せ付けない。
その結果として『黒猫先輩』として噂が一人歩きしているが、本人は無関心。
○基峰三葉
学校:中央学園
年齢:16歳(高1)
武器:騎乗槍
能力:使い魔作成
少しお調子者の、人当たりのいい魔法少女。
明るく人懐っこく、誰とでも基本平等に接するため、学年や学校を超えて顔が広く、隠れファンすらいるらしい。
緋穂を慕うあまり、たまに周りが見えなくなるのが玉に瑕。