マシュとの再会から一週間後。二人はマシカゴジムへとやってきていた。中に入ると、漂う独特な消毒液の匂いにヒメノは目を丸くする。
「ここって……病院なん?」
「そこまで大仰なものではないらしい。軽い手当てを行えるポケモンの診療所と言ったところか」
「そうなんや。もしかしてジムリーダーも……?」
「ポケモンの診察をしているらしい。ただでさえ負担が大きいというのにな……」
「すごか……。……!」
話しているとちょうど診察室の扉が開き、礼を言っていたトレーナーとすれ違うと、一緒に出てきた長身の男性が透き通った銀髪を揺らして近付いてきた。
「
(拠点になりやすいクオカフから離れているとはいえ、ジムは毎日開かれている。のみ、などと言う形容で片付けられないと思うがな……)
「ポケモンセンターもあるのに、それでも面倒を見てくれるんやね」
「ポケモンの生命力は高いので大抵は体力を回復させれば問題無いのですが、時折原因そのものに対処しなければ大事になるケースもあるのです」
(リセっちの時みたいに診てもらわんと分からんこともあるもんね……)
「それを防げるのであれば、労力は惜しみませんよ」
そう話す彼の瞳は力強く、短く告げられた言葉に含まれた意志の固さをヒメノは感じさせられていた。
「ほわぁ……素敵やけん! えーと……名前は……?」
「申し遅れました。ジムリーダー兼ドクターのクルトと申します」
「初めまして! あたしはヒメノって言うんよ!」
「初めましてヒメノさん。マシュさんは一ヶ月ぶりですね。再び寄ったということは何か問題でも……?」
「いや、そういう訳じゃない。ヒメノがどう戦うのか、見させてもらいに来たんだ」
「そうなのですか。それを聞くと私も期待してしまいますね」
「せ、精一杯頑張ると!」
「ふふっ。こちらも精一杯やらせていただきます。早速ストリートに向かいましょうか」
「はい!」
(さっきのもチャレンジャーだろうし、ジムリーダーは体力お化けしかいないのか……?)
ジムから出てすぐの位置にあるストリートまで三人はやってきた。今にもバトルが始まろうとしており、ヒメノは気を引き締めてクルトを見つめる。鋼の上で際立つ白衣が異質な雰囲気を醸し出していた。
(ちょっとやそっとの攻撃じゃ動じなさそうやけん。柔よく剛を制してみせると!)
(鋼に毒は効かない……。その不利をどう覆す?)
両者の準備が整い、互いにボールを投げ込んだ。二対二のシングルバトルの幕開けだ。
「任せたよ。グッさん!」
「ドータクン。お願いしますね」
グレッグルと向かい合って現れたのはドータクン。筒状の姿をしていて、水色の身体には幾何学的な模様が刻まれており、下の模様の部分が顔になっていて丸っこい赤い目が相手を捉えている。
「『ビルドアップ』で鍛えると!」
(……マッチさんですね……)
「では『トリックルーム』を作り出しましょうか」
「……!? これは……?」
グレッグルが筋肉の装甲を纏う中、ドータクンが上部の吊り手から左右に伸びた二本の
(何が歪んどるような……。けどドータクンの動きは速くなかったと。鋼タイプは重厚な身体をしとって、その多くは防御が固い代わりにスピードが遅か! ならそれを生かさない手はなかね!)
「近付いて『けたぐり』やけん! ……!?」
直接的なダメージを生み出す空間ではないと見るや、ヒメノは何かを仕掛けられる前にすばやさの利を生かして攻め込んだ。しかし、フィールドでは逆転現象が起きていた。
(グッさんの動きが遅い!?)
(『トリックルーム』は空間内のポケモンのすばやさを真逆にするわざだ。俺も苦労させられた……)
(『けたぐり』ですか……格闘で鋼の弱点を突く他にも、体重の重いポケモンほど大ダメージに繋がるわざ。鋼ジムに挑む上で良い選択と言えるでしょう。ですが……!)
「一度戻って下さい!」
「えっ!?」
トリックルーム下においてすばやさの遅いグレッグルは接近に時間が掛かってしまう。その隙を突いてクルトはポケモンを入れ替えた。
「出番ですよ。ギルガルド!」
ドータクンがいた位置に代わりに現れたのはギルガルド。金色の剣から布状の腕が伸ばされると、腕の先に取り付けられた円形の盾が構えられた。
(いけない! ヒメノ……!)
(格闘わざを代わりのポケモンで受けられるこの感じ……覚えがあると! ……まさか、ゴーストタイプ!?)
「攻撃を中断して下がると!」
「キュケッ!?」
構わず足払いの要領で盾を払って転ばせようとしていたグレッグルだったが、仕掛ける直前で聞こえてきた指示に驚きながらも地面を蹴って距離を取っていた。
(空振りの隙を突くチャンスでしたが……やりますね)
(ゴーストタイプやとしたら、弱点は……)
(微妙な間合いだ。望めばすぐにでも接近戦に持ち込める。だが鋼タイプの特徴に沿って、ギルガルドも鈍足故に『トリックルーム』下では素早い。となれば当然望むのは……)
「雨を降らしながら身体を守って!」
「……『シャドーボール』を放って下さい!」
(……! とくしゅわざなん?)
(『ビルドアップ』で上がったぼうぎょを嫌ったか……?)
盾を
「……『しっぺがえし』で反撃するんよ!」
「間に合いますねギルガルド? 『キングシールド』です!」
「ジャキンッ!」
「キュケ……!」
体勢を整えて反撃に移ったグレッグルは黒く染めた裏拳を刀身に向けて放った。しかし拳が届くより速く盾が構えられると、六角形の集合体のバリアが前に広がり、グレッグルの拳を跳ね返していた。
「追撃の『シャドーボール』を!」
(しまった……。反撃を読まれてたと……!)
体勢の立て直しは今、素早さで
「グッさん! 大丈夫!?」
「キュ……」
(ダメージが深か。それに『キングシールド』で拳を……こうげきを下げられとる。スピードで不利やのに、唯一の有効打の『しっぺがえし』も効きづらくなったと。倍返しの反撃も警戒されとるし……ここは)
「……!」
『トリックルーム』が続く限りは素早さのあるグレッグルではなく、遅いポケモンで戦う方が良いと考えたヒメノ。彼女がボールホルダーに一瞬視線を落としたのを、クルトは見逃さなかった。
「戻って!」
「『おいうち』を!」
「えっ!?」
ヒメノがグレッグルをダークボールに戻そうとした時だった。ポケモンは共通して身体を小さくさせて身を隠す本能があり、ボールはその性質を利用している。グレッグルも同様の行動で大きさが半分になった瞬間、目にも止まらぬスピードで接近してきたギルガルドが斬り掛かってきていた。
「そんな……」
強烈な『おいうち』に堪らずグレッグルは倒れ込んでしまう。
(先々の先か……やられたな)
「うー……ごめんねグッさん。ゆっくり休んでね」
申し訳なさを覚えながらヒメノは改めてグレッグルをボールに戻すと、顔を上げて前を見つめた。
(グッさんが身を挺して引き出してくれたこと……活かしてみせるんよ!)
「ベトくん、頼んだよ!」
「べたぁ!」
彼女と同じようにベトベターも前を見つめ、雨で冷える鋼の上で闘志を燃やしていた。
(ベトベターとギルガルドではさほどすばやさに差はありませんね……。ここは出方を窺いましょう)
「『キングシールド』で守りを固めて下さい!」
(攻撃する時は刀が、防御する時は盾が……それぞれの形態で役割を分担しとるんや。ここで攻めたら盾で防がれて、グッさんの二の舞やけん。……やったら!)
「『いばる』んよ!」
「……!」
盾を構えながら相手の様子を見ていたギルガルドの目に映ったのは、腰を当てて偉そうにするベトベターの姿だった。そんな挑発的な姿に、ギルガルドは頭に血が昇ってしまう。
(『こんらん』……! 『キングシールド』で防げるのはあくまで攻撃のみ。そこを見極められましたか。ですが『いばる』にはリスクも潜んでいますよ……!)
(威張っとるベトくんの可愛さに惚れとる場合やなか! 先手を打つと!)
「『かみなり』をおっちゃかすと!」
「『アイアンヘッド』で攻め入って下さい!」
(『こんらん』で攻撃出来なければ盾はそのまま。出来るのであれば『いばる』により急上昇したこうげきの餌食に……。……!?)
『こんらん』していたギルガルドだったがフィールドを突き進み、
(しまった! 『まひ』に……)
「チャンスやけん! 『したでなめる』と!」
痺れて動きが止まったギルガルドにすかさず接近したベトベターは舌で舐め上げた。
「ジャッ……」
(ここで引いては『まひ』のみが残ってしまう。強引ですが、一撃を狙うのが最善でしょう)
「それでも『アイアンヘッド』を狙い続けて下さい!」
「こっちも舐め続けて!」
意地の張り合いのような接近戦での捨て身の攻撃。しかしベトベターとは対照的にギルガルドは中々わざを当てられないでいた。
(……そうか! 『まひ』による痺れがある分、ベトベターの方が速く攻撃に移れる。それが原因で三つ目の阻害が発生しているんですね……!)
(『かみなり』と『したでなめる』……関連性の無い組み合わせと思っていたが。なるほどな。『まひ』を誘発する共通項があったか……)
舌で舐められて否応でも感じるヘドロのきつい『あくしゅう』によりギルガルドは怯んでしまっていた。さらに『まひ』での痺れや『こんらん』によるフィールドへの誤爆で怯まずとも攻勢に移るのは容易では無かった。
(このまま倒し切れるか? ……いや……)
(そろそろですね)
「今度こそ『アイアンヘッド』を!」
しかしその拘束も長くは続かなかった。『こんらん』が解けて自我を取り戻したギルガルドは標的をしっかり捉えて、柄を振り下ろす。
(……今!)
「『くろいきり』やけん!」
「なっ……」
するとギルガルドを漆黒の霧が包み込んだ。構わずそこから抜け出したギルガルドはベトベターに念願の一撃を食らわせる。しかしそれも致命的なダメージには繋がらなかった。
(ここで元々のこうげきに戻すか……! ギリギリで戻したのは……攻め込ませるため、か)
「『したでなめる』!」
肉を切らせて骨を断つ。そんな形容が相応しいような反撃がギルガルドを襲った。これまでの蓄積も相まってついには倒れ込み、乾いた金属音を響かせる。
「お疲れ様です。ギルガルド」
(連撃で倒し切ろうとしているのかと思いましたが……これも誘われていたとは。さすがに見抜けませんでしたね)
ギルガルドをボールに戻しながらクルトは短く吐息を漏らした。するとその時、歪んでいた空間が元に戻った。
(『トリックルーム』が解けたか……。すばやさがほぼ変わらないのであれば影響は無いだろうな。グレッグルが残っていれば、再び巡らす隙を突けただろうが……)
「ドータクン。もう一度お願いしますね」
「コォーン!」
そして再び出現したドータクンの鳴き声が鋼に反響して響き渡っていく。
(随分遠か……。『したでなめる』と『あくしゅう』を警戒したんやろか)
降り立った位置はクルト側から見てかなり手前の位置。ヒメノはそれを訝しみながらも、遠距離戦でも分は悪く無いと見て仕掛けにいく。
「もう一回『いばる』と!」
「ドータクン。こちらを向いて下さい」
「……!?」
(ベトくんを見ないことで防ぐつもりなんやろか。けど、背中を見せてくれるんやったら好都合やけん!)
(……! これは……)
「『かみなり』で狙撃すると!」
背を向けたドータクンに容赦なく雷撃が落とされた。完全に死角から放たれた一撃。精度も高く完全に捉えられてしまう。
「えっ! 当たっとらん!?」
(ダメだヒメノ……。今のは……『みがわり』だ)
しかし撃ち抜かれたのはドータクンの形をしたデコイだった。本物はジェスチャーを受けてその場にデコイを残しながら、一歩クルトに近付いていた。
「『ヘビーボンバー』で押し潰して下さい!」
「跳んだ!?」
既に本体は前に向き直っており、デコイの消失と共に大ジャンプをして上空から襲い掛かった。
(『ヘビーボンバー』は体重差で威力を増す鋼わざだ! 30kg程度しかないベトベターがこれを受けてしまえば……)
「落ち着いてベトくん! もう一度『かみなり』やけん!」
「たぁ!」
巨体に似合わぬ跳躍に驚いたヒメノだったが、予め開いていた距離から再度の『かみなり』で間に合うと判断した。そして落とされた雷は……ドータクンを捉えた。
「よし! 『したでなめる』ばい!」
「べたっ……!?」
「えっ!?」
ヒメノもベトベターも視線は高く跳んでいたドータクンに向いていた。そのためクルトの方向から放たれていたピンク色の光線にベトベターは反応出来ず、飲み込まれてしまう。
(『みがわり』に『かみなり』を放った時に仕込こまれたんだ……『みらいよち』を。ヒメノ……お前からは『みがわり』で見えなかっただろうが)
(さっきのデコイだけやなく……ドータクン本体も囮!? しまったと……)
その事実が意味するところをようやく理解したヒメノだったが、消耗していたベトベターに弱点のエスパーわざを耐える余力は無かった。思わず身体から力が抜けていく感覚を覚えたヒメノだったが、グッと堪えてフィールドに足を踏み入れ、ベトベターを抱え起こした。
(毒の不利を覆せなかったか……)
「……ありがとうございました」
「こちらこそ。……少しお時間ありますか?」
「へっ? ……あ! は、はい! お願いすると!」
こうしてバトルは終わりを告げた。クルトからの誘いにキョトンとしたヒメノだったが、バトル前のことを思い出し、彼と共に診療室へと入っていった。
「グレッグルは大丈夫そうですね。ベトベターを台に乗せてくれますか?」
「わ、分かったと! どこかおかしなところが……?」
「いえ……そういうわけではありませんよ。ただ念を入れて消毒をすべきかと」
「消毒……? 今回のバトルで出て来たのは『どく』にかからん毒と鋼タイプのポケモンだけやけん。関係ないと思うんやけど……」
「その認識には誤解があります。両者は『どく』への予防が優れているのであって、『どく』自体は発症するのです」
「えっ!? そ、そうやったん……? 全然知らんかったと……」
「稀なケースですからね……無理もありません。外部からの侵入には滅法強いのですが、内部からの侵食には弱いのです。鋼タイプの場合は内部が腐食することで発生する錆がそれに当たりますね。本来錆は金属の表面が大気に触れることでの酸化なので、普通はあり得ませんが……」
「……あっ! 『したでなめる』で……?」
「そうです。毒タイプといえども、同様に『どく』の発症が見られると考えられます」
「うう……ベトくんごめんね。そこまで考えが及ばんかったと」
「べたべた」
「……とはいえ早期に対応すれば原因を治療することは容易です。ベトベター、口を開けてくれますか?」
ヒメノがベトベターを台に座らせると、クルトはスプレーから霧状の液体を噴射し、舌を中心に消毒を進めていった。
(あっ。『どくけし』……そっか。このジムに入ってきた時の消毒液の匂いって、これやったんや……)
「喉も問題無さそうですね。後は経過を見て、もし悪化の傾向が見られたらモモンのみを摂取させて下さい」
「はいっ! ありがとうございました!」
「……ああ。それともう一つ」
「……?」
「先程のバトルですが……あなたなりの鋼タイプに対する工夫、それは賞賛に値するものです。しかし……いえ、だからこそ。そこで終わってしまって良いものでしょうか?」
「う……それは……」
そう言われヒメノは思わず向けられた眼差しから目を逸らしてしまう。
(あたしならではの戦い方……それが間違いなく出来たかってことやけん。今、胸を張って言うことが……出来なか)
「対症療法も問題の解決に必要なことです。それは悪いことではありません。そこからどうするかはあなた次第。……次の挑戦をお待ちしていますよ」
「……はい!」
それでも何とか前に向き直って返事をしたヒメノは再びここに挑むことを胸に秘め、ジムを後にした。
「……くっ……!」
すると、ちょうどストリートで行われていたバトルが終わったところだった。
「なーんだ。折角ギッタンギッタンにしてやろうと思ったのに……方向性が定まってないって感じ。リベンジした気分にはなれないわね」
「……悪いな」
「えっ! ミユ!?」
「……! 久しぶりねヒメノ! 二ヶ月くらい経っちゃったけど、ようやく追いついたわよ! ……そうだ」
そこでマシュを下していたのはミユだった。毒気が抜かれた表情をしていた彼女だったが、ヒメノの出現により一変し、いたずらを思いついた子供のように笑みを見せた。
「ジムに挑むからさ。見てよ! アタシのバトルを!」
「……!」
(ミユ……そっか。見てほしいんや)
以前のことを思い出して嬉しさを覚えたヒメノだったが、それと同じくらいある思いが芽生えてきていた。
(あたしも……見たか! ミユの強さを……!)
「見せてほしか!」
(俺も気になる。あの時から何が変わったのか……。今のバトルじゃ見極めきれなかった)
「俺も見学させてくれ」
「ふふん。決まりね!」
こうしてヒメノ達はミユのジム戦を見学することになったのだった。