ウマ娘はトレーナーと恋愛してるらしいのでチートオリ主の出番はない 作:ちゃ
彼女──否。
彼との出会いは、突然だった。
紆余曲折の末に、自分に担当トレーナーが付き、成績と実力が向上し始めていた、ある日のこと。
駅前にできたばかりの、プラネタリウムに足を運ぶと、偶然にも隣の席だったウマ娘が、わたしに声をかけてきた。
アドマイヤベガ、というわたしの名前を知っていて、理由を問うと、どうやら直近のレースを、観客として見ていてくれたようだった。
少女は言った。ファンになった、と。
その時は、別段思うところはなく。
良い気持ちにも、特別悪い気持ちにも、なることはなかった。
自分を応援してくれている人間に、声をかけられるのは、決して初めてではなかったから。
軽く挨拶を交わし、それ以降喋ることはなく、席について上映を待った。
プラネタリウムに訪れたのが初めてだったのか、やけに周囲をキョロキョロと見まわす隣の少女を、少々鬱陶しく思いながら。
そして、上映開始から、数十分が経過した、ある時。
『あっ』と、隣のウマ娘が、小さく声を上げた。
他の席の人たちに聞こえるほどではないものの、わたしの耳には届く程度の、ほんの少しの声量で。
それから、彼女の呼吸の音が、加速するように荒くなっていった。
なぜ、静かにできないのか。
映画館では黙るように、ここでも口を噤めばいいだけの話だろうに。
そう考えて、たった一言、軽く注意をしようと隣を向いて──そこで、ようやく私は、気がつくことができたのだ。
場内に、流星が降り注いだ。
美しい夜空が広がる、その世界が、眩い星々の煌めきで、ほんのわずかに明るくなって。
そうなって、暗闇の先にあった真実が、初めて見えた。
──涙を流していた。
そのウマ娘は、上体を起こし、天上の輝きを見つめながら。
ただ呆然と、その頬に、一筋の涙を零していたのだ。
分からなかった。
彼女の感情が、理解できなかった。
プラネタリウムに感動したのか、それとも、星を目の当たりにして、何かを思い出しているのか。
大きく泣き出す事こそないものの、その少女は、ただ静かに、涙を──だからこそ、上映終了後、私は彼女に声をかけたのだ。
放っておくことは、これがどうして、叶わなかったから。
もちろん、相手がファンであろうと、わたしたちはあくまで他人同士。
同じ学園に通っている事実こそ判明はしたものの、面識もなければ友人でもない。
だから、詳しい事情は、話してはくれなかった。
けれど──感謝を、言葉にして伝えてくれた。
心配してくれてありがとう、と。
それから、うるさくしてしまって、ごめんなさい、と。
非常識な相手ではなかったのだ。
ただ、星が、彼女の根底に眠っていた、何かを引きずり出してしまっただけだったのだろう。
それから、ちょっとお手洗いに行くと言って……その少女は
数分に渡る、思考の停止。
それから、ようやく自我を取り戻し、とにかく落ち着いて、冷静に状況を分析しようと努めた。
迷いなく紳士のトイレに、足を運ぶ女子は見たことが無い。
男性のお手洗いに、考える素振りを見せることもなく、入っていけるのはもちろん”男性”だけだ。
だから、理解した。
おかしなことを、おかしなことのまま捉えていると自覚はしつつも、そうであると確信した。
彼女は、彼。
あのウマ娘は、少女の姿に扮した男子だ、と。
冷静に考えれば、そんな人物が学園にいるとなれば、すぐに通報するべき案件なのだが、彼の孤独の涙と、わたしへの心からの感謝と笑みを見せられたあとでは、どうもすぐそれに踏み切れる勇気は残されていなかった。
ゆえに、観察することにしたのだ。
学園で、彼の学生生活を追う。
その行動の是非で、今後どうするのかを決めようと、心の中で静かに決心した。
──彼の名前は、アルファ。
アルファは、とにかく真面目な生徒で、怪しげな様子など、欠片も見せる様子はなかった。
手洗いは、周囲を見回し、職員用の多目的トイレのみを使用して。
着替える必要がある場合は、更衣室まで向かわずその場で着替える子もいる教室を、なるべく見ないようにしながらすぐ後にして、誰もいない屋上前の階段や、校庭の端に鎮座する、長らく使われていない旧器具庫という、遠い場所へわざわざ向かってから、着替えたりして。
むやみやたらに、ウマ娘を触ろうとすることも、着替えを覗こうとすることも、怪しげなカメラを設置するだなんてことも、一切することはなく。
ただ、不意に出てしまう沈鬱な表情を、張り付けたような笑顔で押し殺しながら、彼は不自由な学園生活を送って──いや、どこからどう見ても、それを強制されていた。
深い事情は、分からない。
きっとわたしの想像できる範疇に、ない。
けれど、星によって感情を丸裸にされ、溜め込んでいた涙が溢れ出てしまうほど、常日頃から辛い気持ちを抱えて学園に通っているという、その事実を、わたしだけは知っている。
彼の正体が男であるということに、気がついているのも、きっとわたしだけなのだろう。
だからこそ、見て見ぬフリをしてはいけない。
否。ただ、彼の力になってあげたい。
不自由な学園生活を強いられながらも、学級委員としてみんなに手を貸し、苦しい気持ちを無理やり抑え込んで戦っている彼を、支えてあげたい。
ただ、そんな感情を抱いてしまったのだ。
学園の中で、彼の秘密を知るのは、きっとわたしだけなのだから、この強い感情と同じくらい、忘れてはならない、果たすべき責務でもある。
だから、わたしは──
「アルファさん」
スーパーで買い物を終えた後。
少しだけ寄っていこう、ということで、カフェに入ったわたしたち。
そこで、チヨノオーさんが、電話で一旦席を外したため、今しかないと思い、彼に声をかけた。
「どうしたの、ベガ」
「……今週の土曜日、なのだけど」
カバンの中から、チケットを取り出して。
それを、テーブルの上に置いた。
「もし、予定が無いのなら……あなたの時間を、貰えないかしら」
あの駅前のプラネタリウムのチケットだ。
わたしに分かることは少ないけれど、少しでも彼の負担を軽くして、支えになってあげたいと思っている。
だから、まずは機会を用意することにした。
お互いに、遠慮なく話し合える場を作って──そして
貴方が男であることを知っている、と。
そして、わたしはそこにどんな理由があろうと、必ず貴方の味方でいると。
たった一人ぐらいには、無理をして隠さなくてもいいのだと、知ってもらいたい。
わたしが、彼の感情の捌け口になることができれば、それが一番理想なのだ。
「──これ、プレミアムシートのチケットじゃないか」
「えっ。……あ、あぁ、そうね」
思わぬ発言に、一瞬反応が遅れてしまった。
分かるのか、チケットをパッと見ただけで、席の種類が。
他の子は、プラネタリウムのチケットなんて、福引の景品ぐらいにしか思わないというのに。
「いくらだった? ……あっ、チケットに書いてあるか」
アルファがカバンから、財布を取り出した。
待って、まって。
そんなつもりではなかった。
ただ、ちょっと気合いを入れて、良い席を取ってしまっただけなのだ。
「ちょっと、待って、ごめんなさい、えと……そ、そう、これ、親戚に譲ってもらったものなの。予定が入ってしまったから、代わりにどうか、って。だから、お金は大丈夫よ、ほんとうに」
「そっか。じゃあ、その親戚の人に渡してくれたら。会う機会が無いなら、そのままベガの臨時収入にでもしてほしい」
そう言って、四千円、直接私に手渡してくれた。
有無を言わさぬ勢いだった。
これを突き返す勇気は、残念ながら、今のわたしにはない。
だって、その四千円をわたしに握らせた後──彼がチケットを手に取って、柔らかい笑みを浮かべていたから。
「楽しみだな、ベガとのプラネタリウム」
「えっ……い、いいの?」
「もちろん。寧ろ、こっちからお願いしたいくらい」
こんな、わたしにとって都合の良すぎる展開が、あり得てしまっていいのだろうか。
この提案を、彼が喜んでくれるなんて、思いもしていなかった。
渋々チケットを受け取って、考えておく、と一言くれたら、それだけで御の字だったのに。
「本当に嬉しいよ。ありがとう、ベガ」
彼の笑顔を前にして、抱いたこの感情の正体を、わたしはまだ知らない。
こんなことは、初めてだ。
男子はいつでも、壁を一つ隔てた、向こう側の存在だった。
わたしは、ウマ娘で。
彼らは、ウマ娘ではなくて。
もちろん、望んであの学園の門を叩いたのだから、彼らと接する機会が無いことに、思うところは別になかった。
──だから、知らなかった。
同じ立場にある、対等に隣りを歩いてくれる、異性の存在を。
ゆえに、まだ、分からない。
この感情の答えを見つけたいからこそ、わたしは彼に惹かれているのかもしれない。
「この時間なら、お昼を食べてからでもよさそうだ。ベガは、何か食べたいもの、ある?」
「……一緒に、街を少し、歩きましょう。その日の気分に合わせてみたいわ」
「そう。じゃあ、そうしよう」
このプラネタリウムの約束の日。
わたしは、彼の秘密について、告白する。
少々驕った言い方になるかもしれないが、貴方の逃げ道になってあげられると、そう言葉にするつもりだ。
「……ふふっ」
けれど、そんな上から目線の高尚な考えとは裏腹に、ただわたしの中には、彼との約束を取り付けたという喜びしか残されていなかった。
それから。
「ねぇ、ベガ」
「ん?」
「ヴァンパイアって、先輩のヴァンパイアがいたら、センパイヤって呼ぶのかな」
「ど、どうかしら……」
電話を終えたチヨノオーさんが戻ってくるまで、くだらない談笑を、ただ楽しむのであった。