ウマ娘はトレーナーと恋愛してるらしいのでチートオリ主の出番はない   作:ちゃ

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秋川やよい:1/アルファ:2.5

 

 

 

 三ヵ月前、私の家に同居人が、一人増えることになった。

 

 諸々の事情で、学園に近い賃貸を仮住まいにしていたのだが、帰らないことの方が多いため、そこは実質的には、ただの荷物置きの部屋でしかなかった。

 家、とは言ったものの、わざわざ帰る理由が、これといって存在しないのだ。

 外泊、宿泊が常となっている現状では、別段あってもなくても、大して変わらない場所であった。

 

 しかし、突然、私の帰りを待ってくれる存在が、現れることになって。

 生活感の欠片もない、私物が鎮座されているだけのその家で、自分のために食事を用意してくれる同居人の存在が理由で、私は以前の数倍は()()するようになっていた。

 

「帰着ッ!」

 

 そう言って、最近ようやくキーホルダーを付けた合鍵を使い、玄関の扉を開けるこの瞬間が、日頃の楽しみになりつつある。

 その先では、いつも必ず、彼が待ってくれているから。

 

「──あっ。おかえりなさい、秋川さん」

「うむっ」

 

 学園内で、最近妙な噂が流れ始めている、何故かほんのちょっと有名人なウマ娘。

 アルファ。

 否。

 彼はウマ娘ではなく、その力を強制的に植え付けられた、ただの人間に他ならない。

 少年の名はアルファではない。

 それは学園内での仮の名前であり、本当の名は──

 

「ただいま、或葉(あるは)くん」

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 彼と一緒に、こうして家にいるときだけは、普段の堅苦しい喋り方が抜ける。

 或葉くんと暮らし始めて、三ヵ月。

 自分でも、不思議なほどに、私は彼に対して心を許しているようだった。

 

「そだ。今日たまたま知り合いに会って、良いぶどう貰っちゃったんだ。ほら」

「おぉー、巨乳」

「巨峰ね」

 

 貰いものをテーブルに置き、ソファに腰を下ろして一息つくと、帽子の上にいた友も飛び降り、彼が用意したキャットフードへ、一直線に駆けていった。

 

「猫先生もお疲れ様です」

「んなぁ」

 

 我が友も、同居人の存在には随分と慣れたようで、時たま彼の頭の上にも乗ったりしている。

 或葉くんも、すっかりウチの一員だ。

 キッチンのほうからは、食欲をそそる匂いが漂っており、腹の虫も鳴いているので、私も食事にしてしまおうかと欲が出始める。

 

「お風呂、沸いてますよ。こっちは煮込むのにもう少しかかるんで、入っちゃってきてください」

「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて……」

 

 帽子をいつものラックにかけ、ささっと風呂場へ直行していった。

 それにしても彼、本当にウチの家事が板につきすぎじゃないだろうか。

 この家の設備の使い方を教えていたのが、もはや遠い昔に感じる。

 

 

 ──そう、三ヵ月前。

 

 同居人になるきっかけを、私のもとへ運んできたのは、他でもない彼自身であった。

 たすけてください、と。

 黒い布を被り、上擦った涙声で、そう私に助けを求めてきた少年は、汗と涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていて、とても放っておける状態ではなかった。

 そして、少々戸惑いつつも、事情を聴いてみたら、これまたどうして、彼は私の追っている事件と、深く関わりを持つ少年であった。

 

 非合法の研究──俗に言う人体実験という禁忌を、秘密裏に続けている組織が存在すると、内閣に属している協力者からリークがあった、その翌日のことだ。

 神秘に包まれたウマ娘を、人の手で超えるという目的で、人攫いを企てていたその組織は、()()から逃げてきた或葉少年の情報によって、主要メンバーが軒並み逮捕され、壊滅した。

 元より、研究のためにウマ娘たちを脅かす恐れのあった奴らのことは、対処せんと考えてはいたのだ。

 しかし、とある少年が現れたことによって、私のスケジュールは大幅に変更されることとなった。

 忌々しい事実だが、奴らの”ウマ娘を超える”という研究は、完成してしまっていたのだ。

 

 彼の正体を知っているのは、政府の中でも一部の人間のみだ。

 こと学園内に至っては私だけであり、危険すぎるその情報は、職員はおろか、私の秘書である駿川たづなすらも把握していない。

 そんな、特級の機密情報の塊である彼を、わざわざウマ娘として学園で保護している、その理由は──他に道が無かったから、という、身も蓋もない事情が真相だ。

 学園で監視しつつ、国や裏組織から、彼を守る。

 様々な要因が重なり、私の立場で選べる選択肢は、たったひとつ、それだけだったのだ。

 

「秋川さん。着替え、ここに置いときますね」

「あ、うん、ありがと」

 

 湯船に漬かりながら、天井を見つめて物思いに耽っていると、扉を隔てた向こう側から、彼の声が聞こえてきた。

 当たり前のように、着替えを準備してしまうその様は、この家の住人として馴染みすぎている。

 一瞬、彼のその行動に違和感を覚えなかった自分を顧みて、甘い生活に毒されているな、と自嘲してしまった。

 

「……ね、或葉くん」

「はい?」

 

 タオルを洗濯機の上に置き、そのまま洗面所から出ようとした彼を、一言呼び止めた。

 大切な話があったわけではない。

 どうしても今、聞かなければならない質問でもない。

 ただ、互いに顔が見えないこの状況でしか、問う勇気が出なかった。

 

「学園のほうは、どうかな。もう慣れた?」

「あー……」

 

 保護、とは手前勝手な言い分に過ぎない。

 実質的には、私は彼を、トレセン学園に幽閉しているのだ。

 様々なウマ娘たちが、夢を抱いて志望する我が校に、元より”通いたい”という意思すら持っていなかったヒトの少年を、自分の都合で閉じ込めている。

 本来私は、感謝されるような立場にはないのだ。

 確かに、助けを求める手を取ったのは間違いないが、他の大人たちを信用できないという、身勝手な理由で学園への通学を強制させた私の行動は、決して正しいとも、最善だったとも思えない。

 もし、学園生活が、こちらの想像以上に彼の精神を蝕んでいるようであれば、そろそろ他の対応策も、考えなければならない頃合いだ。

 

「……まぁ、確かにちょっと、大変ではありますけど」

「っ」

「でも、楽しいですよ。全部秋川さんのおかげです」

 

 律儀に、浴室の扉に背を向けながら、彼は続ける。

 

「どこの(ウマ)の骨とも分からない俺に、安全な居場所をくれた。無償で衣食住を提供してくれてるの、マジでちょっと優しすぎだと思いますね」

 

 果たして、そうだろうか。

 或葉くんは、他人への気配りが上手い。

 私が言われたいことを、彼が気遣って言葉にしてくれているだけなのではないか、とつい訝しんでしまった。本当に自分はかわいくない女だな、と辟易する。

 

「それに三ヵ月経ってますから。……もう、大丈夫です」

 

 三ヵ月。

 そう、まだ、たった三ヵ月だ。

 彼はこう言っているが、或葉くんの境遇を鑑みれば、大丈夫なはずはないと、すぐに気づける。

 

 ──彼には、両親がいない。

 彼という存在が誕生した痕跡が、どのデータベースにも存在しない。

 当然だ。

 如月或葉という少年は、ウマ娘という生態系が存在しない、異なる世界線から流れ着いてきた迷い人なのだから。

 私は、彼自身が口にした、その言葉を信じている。

 例えそれが、あまりにも常軌を逸した、戯言にしか思えなくとも、私だけは彼を最後まで信じ抜くつもりだ。

 それこそが、助けを求めた彼の手を取った、私自身の責任だと、そう思うから。

 

 しかし、彼の言葉が本当に全て真実であるなら、如月或葉という人間の心は、とっくの昔に壊れてしまっていてもおかしくないのだ。

 目の前で肉親を奪われ、帰るべき場所を失い、最後には自分を知る者がいない異世界へと流れ着き、裏社会の大人たちの実験により、人間としての尊厳を凌辱され尽くした。

 保護しておいて何だが、私はどうして彼がここまで、平静を保てているのが分からない。

 

「……さっきも言ったでしょ。全部秋川さんのおかげだって」

「でも、私は、何も……」

「なんでもしてくれたじゃないですか。悪夢に魘されて目を覚ました時も、そのまま過呼吸に陥ったときも、抱きしめて、励まして、俺を落ち着かせてくれた」

 

 それは、だって。

 私がしてあげられることなんて、それくらいしかないから。

 

「あぁやって、あなたがそばに居てくれたから、俺は今もこうして普通でいられるんです」

 

 私の行動を、その是非を、何もかもを肯定してくれている。

 

「……あ、あの、恥ずかしいんで、あんまりこういうの言いたくないんですけどね。……俺には、秋川さんが必要なんです。この世界で、唯一俺を信じて、守ってくれた。

 ──だから、あんまり心配しなくても大丈夫ですよ。秋川さんがいてくれるなら、ホントに割と平気なんで」

「……そっか。……うん、分かった。もう、入学したての子供にしつこく質問する、お節介なお母さんみたいなことは、聞かない」

「そんな卑屈にならんでも……」

 

 とても、良く思ってくれている。

 もちろん、そうありたいと努めて行動していたし、そう認識してくれているのなら、こちらとしてはこの上なく嬉しい。

 けど、彼は少しだけ勘違いをしている。

 私は彼が考えてくれているほど、強いわけでも、立派な人間でもない。

 

 トラウマに苛まれて、彼が私を頼ったとき。

 帰ってきて、笑顔で出迎えてくれたとき。

 いまのように、こうして感謝を伝えてくれたとき、いつも、こう思うのだ。

 

 必要とされているよりも、ずっと、もっと、遥かに大きく──私が、彼を必要としている。

 間違いなく、支えられているのは、私の方なのだと。

 誰かと共に過ごす時間の、温かさを思い出させてくれた。

 こうして、一緒にいるからこそ、大人の世界でも頑張れているのだ。

 

「秋川さん? あの、もう戻っていいですか。カレー焦げちゃうので」

「あ、うん。引き留めてごめんね」

 

 もしも秋川やよいが、学園の理事長として、立派に自立した世界線があったとして、それは今のわたしからは最も程遠い未来だ。

 きっともう、以前のような、或葉くんの存在しない人生など──全くもって、考えられない。

 

「……ありがとう、或葉くん」

 

 それほどまでに、彼によって、私の心は絆されてしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 何やら、仕事で落ち込むことでもあったのか、お風呂に入りながらナイーブになっていた秋川さんと話した、その翌日。

 俺の言葉は薄っぺらいので、特に響いたとは思えないものの、美味い飯を食ってさっさと床に就いた翌朝には、彼女もすっかり元気を取り戻していた。安心。

 やはりご飯は、何に置いても一番大事なエネルギー源だ。

 これからも料理の研究は、欠かさないように頑張ろう。数少ない俺の得意分野である。このステータスだけめっちゃ伸ばそうな。

 

「出勤ッ! ……むっ、帽子はいずこに!」

「はい、ここに」

「感謝!」

 

 がっつり理事長モードに切り替えた秋川さんは、頭上に猫先生を乗せ、荷物をまとめて玄関へ向かっていった。

 秋川さんの出る時間が早いというのもあるが、基本的に俺たちは時間をずらして、家から出ている。

 俺が出発するのは、彼女が行ってから約三十分後なので、いつも見送りをするのはこっちだ。

 

「充電っ。しゃがみたまえ」

「ま、またやるんですか……?」

「補充! これをやらねば頑張れないのだっ」

 

 言われるがまま、玄関でしゃがむと、秋川さんは正面から俺を抱擁してきた。

 彼女によると、これは活力の充電だそうだ。

 定期的に不足するのか、三日に一回程度は、朝にこんなことが繰り広げられる。

 早朝から美少女とぎゅーして、やわらかい感触と良い匂いを嗅げるこのイベントは、普通に俺にとっては涙が出るほどありがたいのだが、彼女は本当にこんなので活力を補充できているのだろうか。

 理事長という立場である以上、おいそれと軽率なボディタッチができないのは分かるが、駿川たづなさんとかイケそうな人は割といるのに、相手が俺でいいのかしら。

 

「んん~……ふふ、充電完了っ」

 

 あまりにも笑顔が眩しすぎる。とりあえず一旦結婚しておきたい。

 事件の関係者として保護してくれている以上、妙な勘違いはしないように気をつけてはいるが、毎回こんなことされてたら『こいつ俺のこと好きなんじゃね?』と思い込みそうになっても、しょうがないことだと思う。

 男子ですので。えぇ、非常に女子への勘違いが盛んな、高校生のね。

 

「…………いってらっしゃい」

「っ? どうしたの、名残惜しい?」

「い、いや、別に」

「帰ったら、続きしようね」

 

 こいつ俺のこと好きなんじゃね……?

 

「出発! 行ってくるぞッ!」

「はい、気をつけて」

 

 

 そんなこんなで、朝の秋川さんとの一幕を終えつつ、少し時間を空けて俺も学園へ向かった。

 情緒を乱しそうなイベントはあったものの、概ねいつも通りの朝──だったのだが。

 校門の前で待っていた、とある少女の姿は、俺の”いつも通り”の中には含まれていないため、再び新しいイベントが来るという予感が、俺を襲った。

 

「──あっ。……お、おはようございます、先生っ」

 

 少女の名は、ライスシャワー。

 先日、マリオもかくやというほどの、超人的な跳躍をうっかり見せてしまった相手だ。

 

「おはよう、ライスシャワー。ところで先生って」

「あの、えっと、これから縄跳びの指導をしてもらうから、先生……」

 

 そういえば縄跳びで脚力を鍛えるという、よくわからん約束を取り付けてたんだった。

 縄跳びでスーパー跳躍が可能になったというアレは、その場を誤魔化すために、つい口走ってしまった出まかせなのだが──いや、まだ分からないか。

 もしかすると、ウマ娘ほどの身体能力があれば、同じような芸当が可能かもしれない。

 せっかく、ウマ娘と二人きりになれるイベントが舞い込んできたのだから、ここは正面からぶつかっていこう。当たって砕けろ、というやつである。

 

 ──というわけで、放課後。

 体操着に着替えた俺とライスシャワーは、河川敷に訪れていた。

 

「縄跳びする前に、軽く体を温めておこう。縄が冷えたすねにぶつかると、めっちゃ痛いからね」

「う、うんっ」

「じゃあ、まずはランニングしよう。十分後に、ここへ戻ってくるくらいのペースで」

「分かった、ついてく……!」

 

 縄跳びのトレーニングなど真っ赤なウソなので、メニューを考える暇が欲しくて、つい時間稼ぎにランニングを提案したのだが、ライスシャワーが真剣に向き合ってくれていて、少々心が痛い。どうしよう平八郎って感じだな。

 帰りにご飯でも奢ろうか。

 そう考えて、参考程度に何か食べたいものはあるかと、質問するつもりで振り返ってみた。

 

「ついてく、ついてく……」

 

 ぎゃあ! 困った、この女、かわいい──

 

 


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