ウマ娘はトレーナーと恋愛してるらしいのでチートオリ主の出番はない 作:ちゃ
不安から始まった学園生活は、驚くほど順調に進んでいた。
自分の力を見出してくれたトレーナーの存在や、超常現象レベルの不幸を呼び込むこの体質を前にしても、そばに居てくれる友人たち──本当に、恵まれていると思う。
とても不満など無かったのだ。
彼ら彼女らに支えられながら、レースの頂点を目指す。それはまさしく、自分が思い描いていた青春の形そのものだった。
けれど、風船を街灯に引っかけてしまい、泣いている少年を慰めようとしたその時に、気がついてしまったのだ。
自分が、周囲に支えられ過ぎていた、という事実に。
泣いている子供のあやし方など、分からない。
自分の脚力では届かない位置にある風船の取り方など、分からない。
その場で、何をすれば正解の道を辿れるのか、周りの好意に甘えすぎていたその時の自分では、一切思いつくことができなかった。
そんな、困り果てていた時──彼女が現れた。
颯爽と現れ、風船を取り、子供をあやして早々に帰らせてしまった。
そのあまりの手際の良さに感服し、彼女が何故かスカートの下で男性用らしき下着を履いていたという事実も忘れて、自分はいつのまにか弟子入りを志願してしまっていた。
魅せられたといえば、そうかもしれない。
だが、それ以上に自分の中で肥大化した、とても大きな感情こそが、この口を勝手に動かしてしまったのだ。
あの人のようになりたい。
自分も変わりたいと、思った。
周囲の好意は、嬉しい。ダメダメな自分を、優しく支えてくれる彼らは、自分にとって代え難い一番の財産だ。
ただ、それだけでは満足できなかった。
自分自身も、トレーナーや友人たちのように、誰かを支え、誰かを導く存在になりたいと、そう考えてしまったのだ。
その指標として、彼女はあまりにもピッタリだった。
実際に目にしたその強さ以上に、迷いなく他人に手を差し伸べられる大胆さが、自分の目には鮮烈に映った。
だから、脚力の特訓を理由に、彼女へ近づいた。
知りたかったのだ。
彼女の持つ、優しさの理由が。
それを学ぶことができれば、自分を変える大きな一歩となるに違いないと、そう思ったから。
「──っくしゅん!」
通り雨の機嫌はとても悪く、すぐさま土砂降りになったのだが、いきなり多量に降る位置にいた彼女──アルファと違い、自分はあまり濡れていなかった。
つまり、平気な自分とは異なり、アルファはそこそこ濡れてしまっているのだ。
故に、くしゃみ。
ブルリと寒そうに肩を震わせている。
「せ、先生、だいじょうぶ……?」
「へーきへーき。どうせすぐに乾くから」
その笑みが、強がりだという事は分かっていた。
だからこそ今、自分が行動に出なければならないと思えた。
これは自分に与えられた試験だ。
いつもは先導されてばかりだったが、ここで自分が寒がっている彼女を支えてあげれば、アルファも”教えている生徒”としか見ていなかった自分を見直して、アヤベさんやチヨノオーさんのように、心を許してくれるようになるかもしれない。
仲良く話せる間柄になれば、分かるかもしれない。
彼女の、無償の優しさの理由を。
「えと、えっと……」
ゴソゴソとポケットを漁る。
タオルは無い。先ほど鉄棒にかけたまま、こうして外へ走り出してしまったから。
しかし幸いにも、辛うじてハンカチは死守していた。
少し心もとない装備だが、無いよりはマシだ。これでどうにかしなければ。
「あのっ、先生、よかったらこれ使って……?」
そう言いながら差し出すと、アルファは明るい表情のまま、小さく首を横に振る。
「大丈夫だよ、シャワー。私けっこうビショビショだし、シャワーだって髪が濡れてるでしょ。自分のために使って」
「……め、迷惑だった?」
「いやいや、そんな事は──あぁ、えと、やっぱり借りようかな、ハンカチ。すぐ拭きたかったんだ、実は」
ハンカチを受け取ってくれたアルファは、彼女にしては珍しく少々顔を赤らめながら、濡れた首元を軽く拭き始めた。
もっと大胆に使ってくれてもいいのだが。どうせこの後、体操服と一緒に洗濯するのだし。
「あ、ありがとう、助かったよ。シャワーは優しいね」
「そんな事……」
あなただって、優しい人だ。
自分ばかり褒められるのは、聊か不公平というものではないだろうか。
こちらも彼女に感謝を伝えなければ、割に合わないというものだ。
……走る前にも言った気がするけど、きっと感謝は何回してもいいはず。
でも、その前に、一つ。
「ねぇ、先生」
「うん?」
「先生は……どうしてあのとき、ライスを助けてくれたの? 別に、放っておいても、先生のせいにはならないのに」
「うぇっ。……り、理由かぁ」
自分の質問に、彼女は少し、困ったように笑って。
それから少しして、ようやくアルファは、口を開いてくれた。
「……まぁ、大体自分のためだよ」
未だに強く降り続ける雨を、じっと眺めながら、彼女は言う。
びしゃびしゃ、バシャバシャと、バケツをひっくり返したような音が、周囲でずっと響いているというのに、自分の耳には、観念したようにしゃべる彼女の声しか、入ってこなかった。
「その、別に不幸自慢をするわけじゃないんだけどさ。……少し前、人にちょっとだけ
「えっ? ……い、イヤなことをされたなら、むしろ……」
他人に対して厳しくなるはずだ。
酷いことをされたのならば、警戒心が尖って、誰も信じたくなくなり、自分がより一層大切になるはずだ。
なのに、どうして。
「ちょっと違くて。ヤな事されたからこそ、そういう事に巻き込まれる理不尽さというか……えぇっと、どれくらい困っちゃうのかとか、そういうのは自分が一番よく知っているから。
……だからこそ、他の人に同じ思いはして欲しくない……っていうのが、理由かな。特にシャワーみたいな良い子には、ね」
アルファはおどけて見せているが、先ほどまで余裕ありげに感じていたその笑顔からは、一抹の儚さが垣間見えた。
ひどく傷ついて、その痛みを知ったからこそ、周囲に伝播させたくない、と彼女は語った。
「人助けがしたいとか、なんか高潔な意思があるとか、そういうのじゃないんだ。ただ、まぁ、目の前で困ってる人くらいには手を差し伸べて、自己満足してるだけって感じ」
強がってるのは、自分でもわかるんだけどね、とバツが悪そうに苦笑いして。
「そんな事してるから、たまに人肌恋しくなって、必要以上に誰かに理解を求めようとしてしまって……悪い癖だな。
……こういうのって、口に出さないのが前提なんだけどね。変な話しちゃって、ごめん」
少しは知ったつもりになっていたアルファの事を、自分は何も知らなかったんだなと、改めて自覚させられた。
いつも、彼女は危ない場所で綱渡りをしている。
今のようにこうして、誰かに弱さを見せたことが、この少女にはあるのだろうか。
不均衡な心を自覚しながらそれを抱えて、明るく振る舞って……そんなことを、していたなんて。
「……ううん。ライス、先生のことが知れて、よかった」
驚嘆も同情もあった。
しかし、それ以上に、自分の成すべき事が、明確に見えてきた。
──走ること、だ。
アルファの事情は分からない。どんな酷いことをされたのか、皆目見当もつかない。
だから、理解者面してはいけない。
同情もきっと迷惑だろう。寄り添われ過ぎると、そこには遠慮が生まれてしまう。
故に、走る。
自分は彼女の隣を、共に走れる存在になる。
痛みも、喜びも、ほんの少しずつ分け合って、踏み込み過ぎず離れすぎず、適切な距離を保ちながら、隣を走り続ける存在。
それこそが、友人というものなのではないだろうか。
「……んっ。シャワー、雨やんできたみたい」
「ホントだ……まだ時間あるし、先生も寮の乾燥機、使う?」
「あー、そうしようかな」
何だか頭の中がスッキリした気がする。
いま、ようやく、先生と少しだけ近づけたという、そんな実感が胸に残っていた。
「──って、え?」
自分の中の問答が消え去って、ようやく視界が明瞭になったその時に、ようやく気がつくことができた。
「ま、待って、先生……っ!」
「どうしたの、シャワー。ずっとそっぽ向いて」
あの、えっと。
先生が、話をしている間、ずっと膝を抱えていたから、全く分からなかった。
む、むっ。
「先生……! む、むっ、胸元、透けてる……っ!」
「えっ?」
どうして下に着てないのか。なんだか、薄っすらと桜色が透けてて……あわわ。
まずい、顔が熱くなってきた。
なんでこんな無防備なんだ。どんな顔すればいいんだ。とりあえずハンカチ渡しておくか。
「こっ、ここ、これ……!」
「ありがとう。──あっ、そっか。……ご、ごめん、ブラウス着てくるの忘れてた」
「どうしてぇ……!?」
うぅ、やっぱり、この人が分からない……。