ウマ娘はトレーナーと恋愛してるらしいのでチートオリ主の出番はない   作:ちゃ

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ライスシャワー:1

 

 

 

 不安から始まった学園生活は、驚くほど順調に進んでいた。

 

 自分の力を見出してくれたトレーナーの存在や、超常現象レベルの不幸を呼び込むこの体質を前にしても、そばに居てくれる友人たち──本当に、恵まれていると思う。

 とても不満など無かったのだ。

 彼ら彼女らに支えられながら、レースの頂点を目指す。それはまさしく、自分が思い描いていた青春の形そのものだった。

 

 けれど、風船を街灯に引っかけてしまい、泣いている少年を慰めようとしたその時に、気がついてしまったのだ。

 自分が、周囲に支えられ過ぎていた、という事実に。

 泣いている子供のあやし方など、分からない。

 自分の脚力では届かない位置にある風船の取り方など、分からない。

 その場で、何をすれば正解の道を辿れるのか、周りの好意に甘えすぎていたその時の自分では、一切思いつくことができなかった。

 

 そんな、困り果てていた時──彼女が現れた。

 颯爽と現れ、風船を取り、子供をあやして早々に帰らせてしまった。

 そのあまりの手際の良さに感服し、彼女が何故かスカートの下で男性用らしき下着を履いていたという事実も忘れて、自分はいつのまにか弟子入りを志願してしまっていた。

 魅せられたといえば、そうかもしれない。

 だが、それ以上に自分の中で肥大化した、とても大きな感情こそが、この口を勝手に動かしてしまったのだ。

 

 あの人のようになりたい。

 自分も変わりたいと、思った。

 

 周囲の好意は、嬉しい。ダメダメな自分を、優しく支えてくれる彼らは、自分にとって代え難い一番の財産だ。

 ただ、それだけでは満足できなかった。

 自分自身も、トレーナーや友人たちのように、誰かを支え、誰かを導く存在になりたいと、そう考えてしまったのだ。

 

 その指標として、彼女はあまりにもピッタリだった。

 実際に目にしたその強さ以上に、迷いなく他人に手を差し伸べられる大胆さが、自分の目には鮮烈に映った。

 だから、脚力の特訓を理由に、彼女へ近づいた。

 知りたかったのだ。

 彼女の持つ、優しさの理由が。

 それを学ぶことができれば、自分を変える大きな一歩となるに違いないと、そう思ったから。

 

「──っくしゅん!」

 

 通り雨の機嫌はとても悪く、すぐさま土砂降りになったのだが、いきなり多量に降る位置にいた彼女──アルファと違い、自分はあまり濡れていなかった。

 つまり、平気な自分とは異なり、アルファはそこそこ濡れてしまっているのだ。

 故に、くしゃみ。

 ブルリと寒そうに肩を震わせている。

 

「せ、先生、だいじょうぶ……?」

「へーきへーき。どうせすぐに乾くから」

 

 その笑みが、強がりだという事は分かっていた。

 だからこそ今、自分が行動に出なければならないと思えた。

 これは自分に与えられた試験だ。

 いつもは先導されてばかりだったが、ここで自分が寒がっている彼女を支えてあげれば、アルファも”教えている生徒”としか見ていなかった自分を見直して、アヤベさんやチヨノオーさんのように、心を許してくれるようになるかもしれない。

 仲良く話せる間柄になれば、分かるかもしれない。

 彼女の、無償の優しさの理由を。

 

「えと、えっと……」

 

 ゴソゴソとポケットを漁る。

 タオルは無い。先ほど鉄棒にかけたまま、こうして外へ走り出してしまったから。

 しかし幸いにも、辛うじてハンカチは死守していた。

 少し心もとない装備だが、無いよりはマシだ。これでどうにかしなければ。

 

「あのっ、先生、よかったらこれ使って……?」

 

 そう言いながら差し出すと、アルファは明るい表情のまま、小さく首を横に振る。

 

「大丈夫だよ、シャワー。私けっこうビショビショだし、シャワーだって髪が濡れてるでしょ。自分のために使って」

「……め、迷惑だった?」

「いやいや、そんな事は──あぁ、えと、やっぱり借りようかな、ハンカチ。すぐ拭きたかったんだ、実は」

 

 ハンカチを受け取ってくれたアルファは、彼女にしては珍しく少々顔を赤らめながら、濡れた首元を軽く拭き始めた。

 もっと大胆に使ってくれてもいいのだが。どうせこの後、体操服と一緒に洗濯するのだし。

 

「あ、ありがとう、助かったよ。シャワーは優しいね」

「そんな事……」

 

 あなただって、優しい人だ。

 自分ばかり褒められるのは、聊か不公平というものではないだろうか。

 こちらも彼女に感謝を伝えなければ、割に合わないというものだ。

 ……走る前にも言った気がするけど、きっと感謝は何回してもいいはず。

 でも、その前に、一つ。

 

「ねぇ、先生」

「うん?」

「先生は……どうしてあのとき、ライスを助けてくれたの? 別に、放っておいても、先生のせいにはならないのに」

「うぇっ。……り、理由かぁ」

 

 自分の質問に、彼女は少し、困ったように笑って。

 それから少しして、ようやくアルファは、口を開いてくれた。

 

「……まぁ、大体自分のためだよ」

 

 未だに強く降り続ける雨を、じっと眺めながら、彼女は言う。

 びしゃびしゃ、バシャバシャと、バケツをひっくり返したような音が、周囲でずっと響いているというのに、自分の耳には、観念したようにしゃべる彼女の声しか、入ってこなかった。

 

「その、別に不幸自慢をするわけじゃないんだけどさ。……少し前、人にちょっとだけ()()なことをされたから。それが理由」

「えっ? ……い、イヤなことをされたなら、むしろ……」

 

 他人に対して厳しくなるはずだ。

 酷いことをされたのならば、警戒心が尖って、誰も信じたくなくなり、自分がより一層大切になるはずだ。

 なのに、どうして。

 

「ちょっと違くて。ヤな事されたからこそ、そういう事に巻き込まれる理不尽さというか……えぇっと、どれくらい困っちゃうのかとか、そういうのは自分が一番よく知っているから。

 ……だからこそ、他の人に同じ思いはして欲しくない……っていうのが、理由かな。特にシャワーみたいな良い子には、ね」

 

 アルファはおどけて見せているが、先ほどまで余裕ありげに感じていたその笑顔からは、一抹の儚さが垣間見えた。

 ひどく傷ついて、その痛みを知ったからこそ、周囲に伝播させたくない、と彼女は語った。

 

「人助けがしたいとか、なんか高潔な意思があるとか、そういうのじゃないんだ。ただ、まぁ、目の前で困ってる人くらいには手を差し伸べて、自己満足してるだけって感じ」

 

 強がってるのは、自分でもわかるんだけどね、とバツが悪そうに苦笑いして。

 

「そんな事してるから、たまに人肌恋しくなって、必要以上に誰かに理解を求めようとしてしまって……悪い癖だな。

 ……こういうのって、口に出さないのが前提なんだけどね。変な話しちゃって、ごめん」

 

 少しは知ったつもりになっていたアルファの事を、自分は何も知らなかったんだなと、改めて自覚させられた。

 いつも、彼女は危ない場所で綱渡りをしている。

 今のようにこうして、誰かに弱さを見せたことが、この少女にはあるのだろうか。

 不均衡な心を自覚しながらそれを抱えて、明るく振る舞って……そんなことを、していたなんて。

 

「……ううん。ライス、先生のことが知れて、よかった」

 

 驚嘆も同情もあった。

 しかし、それ以上に、自分の成すべき事が、明確に見えてきた。

 

 ──走ること、だ。

 

 アルファの事情は分からない。どんな酷いことをされたのか、皆目見当もつかない。

 だから、理解者面してはいけない。

 同情もきっと迷惑だろう。寄り添われ過ぎると、そこには遠慮が生まれてしまう。

 故に、走る。

 自分は彼女の隣を、共に走れる存在になる。

 痛みも、喜びも、ほんの少しずつ分け合って、踏み込み過ぎず離れすぎず、適切な距離を保ちながら、隣を走り続ける存在。

 

 それこそが、友人というものなのではないだろうか。

 

「……んっ。シャワー、雨やんできたみたい」

「ホントだ……まだ時間あるし、先生も寮の乾燥機、使う?」

「あー、そうしようかな」

 

 何だか頭の中がスッキリした気がする。

 いま、ようやく、先生と少しだけ近づけたという、そんな実感が胸に残っていた。

 

「──って、え?」

 

 自分の中の問答が消え去って、ようやく視界が明瞭になったその時に、ようやく気がつくことができた。

 

「ま、待って、先生……っ!」

「どうしたの、シャワー。ずっとそっぽ向いて」

 

 あの、えっと。

 先生が、話をしている間、ずっと膝を抱えていたから、全く分からなかった。

 む、むっ。

 

「先生……! む、むっ、胸元、透けてる……っ!」

「えっ?」

 

 どうして下に着てないのか。なんだか、薄っすらと桜色が透けてて……あわわ。

 まずい、顔が熱くなってきた。

 なんでこんな無防備なんだ。どんな顔すればいいんだ。とりあえずハンカチ渡しておくか。

 

「こっ、ここ、これ……!」

「ありがとう。──あっ、そっか。……ご、ごめん、ブラウス着てくるの忘れてた」

「どうしてぇ……!?」

 

 うぅ、やっぱり、この人が分からない……。

 

 


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