ケロイド   作:石花漱一

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五、冬とシンガーソングライター(後編)

 タキオンを見つけたのは、お婆ちゃんの家に行く曲がり角の所だった。

「なんでここにいるんだ」

 田上はそう話しかけた。

「君が来るのが遅いからさ。それに、あの時頷いたはいいが、君がどのくらい長い話をするのかもわからなかったからね。私は、待つのは嫌いだ。行けばそこにある方が好きだ。分かるかい?」

 タキオンがそう聞いてきたから、田上はとりあえず頷いた。もう考える気力がなかった。――あのお婆ちゃんのせいでめちゃくちゃだ。田上はそう思った。せっかく忘れかけていた胸の疼きを呼び起されたのだ。田上は、深いため息をはいた。すると、タキオンが心配そうに言った。

「あのお婆ちゃんはどうだったんだい?あれほど、変に不愉快なお婆ちゃんは見たことがないよ。老人ってのは、皆愉快なもんだとばかり思っていたんだけどねぇ。…少なくとも私の祖父母はそうだった。…いや、あれはもしかしたら、自分の孫子だけに見せる特有の顔なのかな?…いや、そんなことはないだろう。大阪のおばちゃんだってあんな顔をして、飴を配るイメージがある。…ということは、ただ単にあの人の頭のネジが年のせいで少し緩んでいただけか。…元気出せよ、トレーナー君。しょぼしょぼしてたら君らしくないぞ。ぼけ老人に負けて落ち込んで帰ってくるなんざ、成人済みの大人がするもんじゃない。…ほら、手を繋ごう。精神が不安定というのは、実験にも影響するからね」

 田上は、タキオンに励まされて元気が出そうだったけど、どうにも上手くいかず、戸惑うようにタキオンの顔を見た。

 タキオンはこう言った。

「あんな老人、気にすることはないさ。そこらの人に聞けば、どこにでも同じようなのいる事が知れるよ。もしかしたら、その人たちにとっては、自分の両親だったり、祖父母だったりするんだろう。そうじゃないだけマシだろ?…さあ、行こう」

 こうして田上は、タキオンの差し出した手を取って歩き出した。大安売りと書かれた張り紙のある魚屋まではそこから十五分かかって歩いた。そして、そこから折り返すと、いくつかの横断歩道を渡り、何人かの人とすれ違って、タキオンたちは家に辿り着いた。

 

 家に帰るとえも言われぬ、暖かさが二人を包んだ。別に空気の温度を調節するようなものなどこの家にはなかったが、どんなに優れた温める機械よりもこの家は温まっているように感じた。

 タキオンたちは、引き戸を開けて、ぞろぞろと尚のこと暖かい部屋の中に入っていった。その部屋の様子は、大体一時間くらい前に出て行ったきり何も変わっていなかった。

 幸助たちは、兄たちの鼻が寒さで真っ赤になっているのを見ると、「早く炬燵に入れ」と言った。しかし、田上たちはまず手を洗う方が先だったので、洗面台に行って、それから炬燵の中へといそいそと入った。

 その間になぜかタキオンは田上の傍から離れようとしなかった。元々、この家では不安がって、一人でいるのを拒んでいたタキオンだったが、今日は特にそうだった。それだから、田上が、炬燵の長方形の長い方の一辺に座っている弟の隣に座ったとき、三人入るには狭い一辺にタキオンも無理矢理入り込んで来ようとしたから言った。

「お前は、なんでこんなにも俺の傍から離れないんだ」

 田上がそう聞くとタキオンがこう答えた。

「なんとなくさ。たまにはそういう日もあるだろう?」

 タキオンは、愉快そうにフフフと笑った。タキオンの心境に何の変化があったのだろうか?田上には何も分からなかったが、とりあえず、狭い隙間に入ってきたタキオンを押しのけて、広いスペースを取ろうとした。しかし、中々にタキオンも抵抗するから、横で見ていた幸助が、「ほら、詰めな」と言って、自分の場所を明け渡した。そして、自分は短い方の一辺に座り直した。

 こうして一日は昨日と変わらないように過ぎていったが、今日は寝るときは二人とも初めから一緒の布団で寝ていた。というのもタキオンがやっぱり離れたがらなかったからだ。

「タキオン…」

 まだ、幸助が布団を敷いていて照明の消されていない明かりの下、間近にあるタキオンの顔を見つめながら、田上は困ったように呟いた。すると、タキオンが「なんだい?」と返してきたから、田上は言葉を続けた。

「あんまり近すぎると困るんだよ」

 近くで幸助が「そうだそうだ」と茶化したから、田上は「うるさい!」と一喝した。

「…なぁ?タキオン、昨日も言ったけど俺はお前の父さんじゃないんだ。いくら人恋しいからと言って、付き合ってもいないような異性に抱きつくのは間違っているぞ」

 田上は、自分でこう言っていて空しくなったが、それはタキオンのキラキラしたお目目に圧倒された。

「何が間違いかだなんて君が決める事じゃない。私のものだよ、ルールは。特に君のルールは私のルールに属するんだ。私とトレーナーの契約を結ぶとき、誓ったろ?」

「俺はそんなことは言っていない」

 田上がそう言った後、幸助が「電気を消すよー」と言って、カチカチッと二回鳴らすと部屋を真っ暗にした。しかし、そこでタキオンが言った。

「もし、弟君が迷惑じゃなければ、もう少しトレーナー君と話していたいのだけれどいいかい?」

「ああ」と暗闇の中で返事をする声が聞こえた。すると、タキオンがもう一つ言った。

「なら、常夜灯を灯していたい、というのは?」

 幸助は暫く黙った後、「いいよ」と言って、また電気の紐を引っ張りカチカチッと二回鳴らした。オレンジ色の明かりがぼうっと灯った。

「ありがとう」

 タキオンがそう言った。その後に、田上が言った。

「タキオンも大分この家に慣れてきたな」

「なんでだい?」

「だって、最初の時は、幸助と口なんて聞く気もない、って顔をしていたのに、今では大分踏み込んだお願いもしてるから、…ね?」

「ふぅん」とタキオンは田上の顔を見つめながら、声を出した。そして言った。

「あんまり自分の変化というものには気付きがたいね。弟君とは、朝に仲良くなったんだよ」

「朝?」

「そう、君は知っているのかな?……おい、幸助君。君の、あの朝のことは言ってもいいのかい?」

 布団を被っているくぐもった声で、「いいよ」というのが聞こえた。

「いいそうだ。じゃあ言うけどね。君の弟君には、彼女ができたらしいんだ。普通に可愛い女の子だったよ」

「えっ、あいつ彼女できたの?マジで!?」

 隣の幸助の布団からフンと鼻を鳴らす音が聞こえてきた。

「マジらしい」

 田上はそれを返事と受け取ると、そう言った。それにタキオンは答えた。

「そうマジなんだよ。君、異性と交際の経験は?」

「……ないよ」

「ハッハッハ。じゃあ、君は無様に弟に追い抜かれたというわけだ」

「まだ追い抜かれたわけじゃない。もし幸助が若気の至りで付き合ったというんだったら、俺はまだ何とか切り抜ける余地はある。結婚が全てだ。俺は結婚以外は認めんぞ。兄として、弟の結婚は断固阻止させてもらう」

 田上がそう言うと、とうとう堪え切れなくなったかのように隣の布団で幸助が顔を出して言った。

「せめて、別の話題にしてくれないか?寝つきにくってしょうがないよ」

 幸助に怒られると二人は顔を見合わせた。そして、お互いの顔を見ながら可笑しそうにクスクス笑った。

「君だぞ、怒られたのは」

「いやいや、最初に彼女の話を持ち出したのはタキオンだろ」

「うるさい!」と幸助の方から喝が飛んできた。

 すると、慌ててタキオンが声を低めて言った。

「いやいや、この家に厄介になっているのは私なんだ。ちゃんとこの家の人の言うことは聞かないとね」

 子供のようにタキオンはそう言うと、田上はその様子が堪らなく愛おしく思えた。だから、思わず手が伸びて、タキオンの髪を優しく手で梳いた。

「なんだい?トレーナー君」

 タキオンがそう聞いてきたので、田上はゆっくりと髪を梳かしながら言った。

「あんまりタキオンとのこういう機会ってないなぁ、って思うと、なんだか…」

 田上はここで言葉を終わらせた。

「ふむ。なんだか…人恋しくなっちゃって、とか?」

 そうタキオンは言ったが、田上はゆっくりと首を横に振った。

「あんまり言うと野暮だよ」

 そう言うと、田上はタキオンの髪をなおも撫でて梳かしながら目を閉じた。タキオンは、田上が言ったことについて暫く考え込んでいたが、チラリと目を上げて田上が目を瞑っているのを見ると考えるのをやめた。そして、就寝の挨拶を告げた。

「おやすみ」

 オレンジ色の明かりが三人を照らし、随分と寝付きにくそうではあったが、少なくとも田上とタキオンはすんなりと眠れた。幸助の方は、布団に潜り込んではいたので、寝付けないのは何も明かりのせいだけではなかっただろう。先程、兄が言った言葉を考えていたのだ。――結婚が全てだ。この言葉は、以外に幸助の胸に深く突き刺さった。というのも、幸助自身も彼女と上手く結婚するまで漕ぎ着けられるか心配だからだ。彼女は、俗にいう最近の人だと幸助は思っている。なんでもかんでも自由ばかりを求めたがって、物事の本質を見失っている人だ。それが、幸助には不安だった。彼女は、もしかしたら自由と結婚であれば、自由の方をとるかもしれない。そう考えてしまうのだ。嫌な考えだった。だから、幸助は、布団の中でうずくまっているのだからいけないと思って、顔を外に出した。寒さが頬を打ったが、空気の新鮮さの方が身に染みた。そして、隣の二人がもう寝息を立てていることを確認すると、仕方がなさそうにため息をはき、立ち上がると、部屋の電気を消した。

 真っ暗な部屋にカーテンの隙間から一筋の光が差して、田上の背後の壁に照り輝いていた。それは車が通るたびに明かりを強めたり場所を移動したりしていたが、それも車の通りそうのない全くの真夜中となると、動くことをやめた。そして、なおも照っていき、朝になるまで微動だにしなかった。

 

 田上が起きると、目の前にタキオンがいて自分の腕で抱き抱えていたので、驚いた。昨日は、田上が起きていた時にはもうタキオンはいなかったから、こんな思いはせずに済んだ。しかし、タキオンより早く起きてしまった今、田上はどうしたらいいか分からない胸の高鳴りに苛まれた。

 とりあえず、そっとタキオンをどかしてみようと思ったが、これが案外難しかった。どう引っ張ってもとれないし、田上がタキオンを剥がせば剥がそうとするほどタキオンは引っ付いてきた。

「どうにかしてくれよぉ…」と半ば泣きそうになって、タキオンを見つめた。相変わらず、朝の顔でも可愛かった。今日は、子供の様な可愛さがあった。自分の胸に顔をうずめて必死に離れまいと抵抗している姿は、我が子のようでもあったし、愛しい彼女のようでもあった。――こんな日々が訪れたらどんなに幸せだろうか?田上は、そう思ったが、慌てて首を振ると自分に言い聞かせた。――高望みはしてはいけない。彼女はウマ娘で、俺はトレーナー。タキオンは皆のアイドル。俺一人で独占していいようなものじゃない。

 そう考えると幾らか冷静になった。そして、タキオンを落ち着かせるように頭をぽんぽんと叩いてみた。押してダメなら引いてみろ、と言うことだ。すると、その言葉の示す通り、タキオンからゆっくりと引き下がってみると、タキオンは少し何かを探すように手を動かしはしたものの、田上を掴むことができずにやがて布団の上に落ちて行った。幾らかの罪悪感が田上の心に残ってしまったが、少しの間、布団の上に座ってタキオンの顔を見つめただけで、後は隣の部屋へと歩いて行った。

 

 隣の部屋に行くと、昨日と同じようにテレビがついていて、幸助と賢助が座っていた。ご飯はまだできていないようだった。テレビを見てみると、ちょうど田上の気になりそうな話題、『大きな蛇』というバンドのことを話していた。

『大きな蛇の、消えたらリフレッシュ、というアルバムは、今日リリース!サブスクでの配信もされているので皆さんもぜひ聞いてみたら如何ですか~』ということだった。

 田上は言った。

「あれ?今日からアルバム聞けるんだっけ?」

「…そうだよ。昨日の朝の番組でも言ってたじゃん。何聞いてたの?お前」

 幸助が結構辛辣に言ってきたから田上は苦笑いした。

「よく見てたつもりだったんだけどなぁ。そんなこと言ってたかなぁ?」

「言ってたよね?」と幸助が父の方に向かっても言った。

「言ってた言ってた」と父が頷いたから、「そうかなぁ…?」と怪しみながら首の後ろに手を当て、田上は顔を洗いに洗面台の方に歩いて行った。

 

 顔を洗うついでにトイレにも行って戻ってくると、ちょうどタキオンが襖から顔を出した所だった。なんだか不満そうな顔をしていたが、田上にはその理由が分からなかった。タキオンは、まだ眠たそうな顔でじっと田上の方を睨んでいた。そして、無言で手招きをした。

 田上は、何が起こるのか不思議に思いながら、タキオンの後について行った。タキオンは、田上を手招きすると襖の奥の方に引っ込んでいっていた。

「何かあったのか?」

 田上が、隣の部屋に入って聞くとタキオンが言った。

「眠い。君も一緒に寝るんだよ」

 ああ、なるほど。と田上は納得した。だからと言って、一緒に寝ることにはまだ納得していなかった。だから、こう言った。

「あのなぁ、タキオン。何度も言うが、…いや、何度でも言うが、俺はお前の父親じゃないんだ。お前はもうほとんど成熟した大人で、俺も成熟した大人なんだ。大人同士でこんな事をするなんてバカげていると思わないか?」

「いいや。…さあ、一緒に寝よう」

 タキオンはそう言って寝転がると、田上も入りやすいように掛け布団を大きく広げた。

「タキオン…」

 困ったようにそう呟いて田上は立っていたが、タキオンは「早く」と言って睨んできた。田上は、少しの葛藤の末、妥協案としてタキオンの隣に腰を下ろして胡坐をかいた。

「タキオンはいつになったら大人になれるんだ?」

 田上は、タキオンにそう聞いた。すると、欠伸交じりにタキオンがこう言った。

「大人になんてなりたくないよ。一生君の隣がいい。永遠に私を甘やかしておいてくれ」 

「……永遠なんてないよ」

 田上がそう言うと、タキオンが目を光らせてこう言った。

「いや、どうかな?死後の世界とやらは君は見たことがあるのかい?死後の世界は永遠じゃないと?そんなこと、見もしないで決めつけるなんてどんなに愚かしいことか分かっているのかい?」

「俺はそんなことについて話しているんじゃない。状況の話だ。いつまでたっても同じ状況というものはないだろ?」

「いや、それも分からないね。それは私たちの物差しで測っているからにすぎなくて、別の物差しで測ってみたら、永遠という長い時間がそこにはあるのかもしれない」

 タキオンは、そう理屈をこねた。ただ、田上も負けてはいなかった。

「……でも、そんなこと言ったって空しいのは分かっているだろ?俺たちが見てるのは俺たちの物差しで測った世界でしかないんだ。それ以上でもそれ以下でもない。…分かるだろ?なら、俺たちの物差しでは測れない永遠なんてものは信じないで、前を向かなきゃ。お前はいつまでも子供でいるわけにはいかないんだよ」

「なら、君がいつまでも傍にいてくれよ。私を子供のままでいさせてくれよ」

 話は堂々巡りだったが、田上は辛抱強く話した。

「永遠なんてものはないってさっき言っただろ?俺がいつまでも傍にいるって言ったって、それは気の変わりで簡単に崩れていくかもしれない。タキオンが、俺に飽きて結局は一人で生きていくかもしれない。未来なんて分かりはしないんだ」

 タキオンは寝転がったまま目だけを動かして田上を見た。そして言った。

「なら、どうしたらいいんだい?私に大人になる方法でも教えてくれるというのかい?何をすればいい?どんな行動でそれは実現できる?」

「それを一緒に探すのが俺の役目だ」

 田上は、真剣な目をしてタキオンに言った。タキオンの目は、涙に歪んでいるかのように見えた。しかし、尚も言葉を続けた。

「それなら、君は一緒に居続けてくれるということじゃないか。私は今のところは安全じゃないか。…一緒に寝ておくれよ。私を包み込んでおくれよ。楽しいだろ?そっちの方が」

「いいや。自分の状況から目を逸らし続けているようじゃそれは叶わない。一時の楽しさもやがては空しさに変わる。…生きるために金を稼ぐとか、死なないために薬を飲むとか、そんなものを俺は求めているわけじゃない。ただ、お前が心地よく過ごせたらどんなに幸せだろうか、と願っているんだ。だから、こんな話をしているんだ」

 田上が、そう言ってタキオンの方を見たが、タキオンは顔を伏せて黙りこくっていた。田上は、大きなため息をついた。それから、言った。

「今日のところは仕方がないけど、俺の言ったことの少しだけでも考えてくれたら嬉しいよ」

 そう言って、タキオンの横に潜りこんだが、タキオンは微動だにしなかった。田上は、隣にいるのはいいが何も変化が訪れないので段々と落ち着かなくなってきた。自分のいる意味がないような気がして、起きて隣の部屋に行こうかと思った。

 すると、タキオンは突然何かを感じたかのように田上の袖を握りしめて言った。しかし、顔は伏せたままだったから、声はくぐもって聞こえた。

「君の言うことが分からないでもないけど、……もし一つだけ願いが叶うなら、私は永遠がほしい。若さや不死なんかに興味はないけど、あの時、その時、この時を永遠に留めて置ける水晶玉がほしい…」

「…それこそ空しさを感じるだけだよ。お前は水晶玉の中になんか生きてはいないんだから」

 田上は、再び落ち着いた。

「あんまりタキオンを追い詰めたくはないから、俺もどうしたらいいか分からないけど、答えはきっとあるさ。案外、この布団の暗がりを覗いたら見つかるかもしれない」

「……答えなんて本当にあるのかな?」

 タキオンが呟いた。

「さぁねぇ?そこのところが一番の難題だ。――果たして答えがあるのか?その答えとはなんなのか?自分が探し求めていたものだったのか?……きっと偉い人だったら、言葉に表せられるんだろうけどな。……タキオンの知り合いの偉い人にはいないのか?答えの出せそうな人」

「…伝手を頼ればいるかもしれないが、そもそも私にはそんなには人脈はないよ。ただのしがない科学者さ」

「でも、自分の足を治したじゃないか。凄いことだぞ。歴史に残る事じゃないのか?」

「どうだろうね。私はそのことを公表しようとは思わない。全部自分のためにやっただけだ。他人を助けるためになんかする義理もない」

「じゃあ、まだ実験とか研究とかを続けている理由は何なんだ?」

「…楽しいからさ。それこそ永遠というものを感じれる瞬間があるからかもしれない」

「永遠?」

「そう、時間なんて気にせず考え事に没頭する。自分のしたいことだけを突き詰めて、トレーナー君を光らせて迷惑かけて、そして、ここに来て…。一体私の考えるべきことって何だろう?」

 タキオンがそう言うと、田上がフフフと笑った。

「そう言えば、タキオンがここにきた理由があったな。…俺には話したくないことだっけ?」

 タキオンは黙って頷いた。

「なら、父さんと二人きりになれる時間を作ろうか?」

 田上はそう聞いたが、タキオンはすぐには答えないで暫く黙った後言った。

「君の弟君とも話したいと思った」

「なら、幸助もいるときがいいなぁ。そして、俺がいないときか…。俺一人で出かけて、どこかで暇を潰すしかないな」

「……パチンコかい?」

 タキオンがそう聞くと顔を上げて、田上が布団に入ってから二人は初めて目を合わせた。もう、タキオンは平気なようだった。からかうように田上を見ていた。

 田上は苦笑して言った。

「パチンコなんて触ったこともないよ。…そうだなぁ、ゲームコーナーだったら小さい頃よく行ってたな。百円入れてアニメのキャラのカードを使って敵と戦うんだ。…最後にやったのは何年生の時だったかな。小五?いや小六かな?」

「君は小さい頃そんなことをやっていたのかい?」

「ああ、今思うと、あの金を貯めていたら、欲しかったゲームソフトなんて余裕で買えたな」

「…君はゲームが好きなんだね」

「ああ、タキオンは小さい頃何かしてたのか?」

「…もっぱら研究とか…。採集もしていたな。家に帰れば、まだ確か蝶の標本が飾られていたような気がする」

「へー、採集か。俺も昔はクワガタとかカブトムシとか捕まえていたような気がするけど、小学校高学年の時には触れなくなったな」

「どうしてだい?」

 タキオンがそう聞くと、田上は顔をしかめた。

「ムカデにな、噛まれたんだよ。草の中ガサガサ漁ってたら、たまたまムカデに手が当たっちゃってさ。最初は、強い痛みだけで何が起こったのか分からなかったんだけど、逃げていくムカデを草の外で見つけて、ああ、こいつか、ってなったんだよ。あれはこの世にいていい存在じゃないよ。あいつはいつか人を殺す虫だね」

 それから、田上は、はははと笑った。

「…でも、それでクワガタを触れない理由にはなっていなくないか?君はムカデの罪をクワガタになすりつけようとしているだけじゃないか?」

 タキオンが真面目に疑問を持ってそう田上に聞いてきたので、田上はハハハと笑った。

「実際のところはそうかもしれないな。…まぁ、別にいいだろ。虫なんて触らなくたって」

 田上がそう言うと、タキオンはニヤリと笑って言った。

「ちなみにね。私はまだ虫を触れるよ。ついでに言うと、蛇も触れる。君は蛇を触れるかい?」

「蛇なんてそもそも、触る機会がないだろ。ここの家に引っ越す前の家の近所の川で、泳いでいるのは見たことあるけど、そんな間近では、死にかけのやつくらいしか見たことないな」

「それに触った事は?」

「…ない」

「それでは私の勝ちだ。大差、圧勝、ゴールイン」

 そう言って、タキオンはふふっと笑った。田上もにこやかにそれを見つめて言った。

「もう起きたらどうだ?朝飯は何かな?」

 田上は、体を起こそうとしたが、それはタキオンに止められた。

「ああ、待ってくれ。もう少し話そうよ。幸せなんだよ。永遠とはいかずとも、せめて私が飽きるまで」

 タキオンは、田上の袖を引っ張って無理矢理布団に食い止めた。田上はまたしても困ったように言った。

「お前も分からないやつだなぁ。なんでこんなになったんだ?この家に来る前はこんなんじゃなかっただろ」

「そんなことは決まっているさ。環境が変化したからだよ。子供は環境の変化にすぐには対応できないんだ。だから、保護者がしっかりと世話をする必要がある」

「…俺は、世話なんてしないって、来る前に言ったんだけどなぁ…」

「君はそんなこと気にせずに私の布団を率先して敷いてくれたじゃないか。君は私の保護者なんだよ。私を守りたまえ。しっかりと傍でね」

 そう言うと、タキオンは布団の中に隠されている田上の両手を探し出すと手に取った。それから、しっかりと逃がさないように握りながら、田上の手で鼻歌を歌いながら遊びだした。あんまりにも子供らしくて、田上はどうすればいいか分からなかった。本当に自分が保護者だと錯覚させられんばかりに、タキオンは子供だった。鼻歌を歌って、時には音程を外して、そうかと思えば田上の手を殊更に強く握って、「逃げないでね」と言ったり。どうすればいいか分からなかったが、とりあえずこのままでは自分は暇だということが確定していたので、田上は言った。

「タキオン、スマホを取ってさ、音楽を聴きたいから一旦手を話してくれないか?」

 タキオンは、「やだ」と言ってその願いをはねのけたが、そう言われて困った田上の顔を満面の笑みで見ると言った。

「いいよ。できるだけ早く取ってくるんだよ。私を待たせないでくれたまえ」

 そう言うと、タキオンは手を離した。田上はこのまま逃げてしまおうかとも思ったが、それはあまりにも可愛そうなので、スマホを取るとまた戻ってきた。そして、「ちょっと待ってね」と言うと、音楽を聴く準備をした。今日リリースされた『消えたらリフレッシュ』というアルバムを聴くつもりだった。それに、暫く手間取ってしまったので、無防備だったわき腹をタキオンにくすぐられて大変だった。

 それから、音楽をつけて、田上はタキオンの横に潜り込んだ。だが、音楽はあまり聞けなかったと言えるだろう。タキオンが、今度は延々と話しかけてきて途切れることがなかったし、音も小さかったので田上の耳にも届きづらかったからだ。

 その田上に聞こえない歌詞の内容はこうだった。曲名は『消えたらリフレッシュ』という。

 

 

  存在っていうものを確認しない

  職人がここにいるよ

  欠けたハンマー カンコン 槌の音

  壊れたあのガラクタ人形

 

  職人にも昔にはあったの

  人形で遊ぶ時間が

  それを失くして削って手に入れた

  代々伝わる手の職

  

  そんなことに意味は見つかるの?

  節くれ立った手の平

  今更後悔しても遅いんじゃない?

  険しい目の皺

 

  どうしたらこの先歩けるの?

  落とすハンマー

  家族手に入れ掴んだはずの

  幸せな未来

 

  もう何にも知らないよ

  夜の町に

  繰り出す人の波に

  紛れ笑顔

 

  そう!ここは消えたらリフレッシュ

  夜の街を手に入れ 走り出そう 走り出そう

  僕の節くれ立った手の平掴んでくれる人を

  一夜限りのパーリーナイツ!

  踊れ踊れ 落ち込んだ手の平を

  そっとふわっと包み込む

  優しいあの笑顔 罪悪感すら包んで!

 

  泣けよ泣けよ 怖い怖い

  この身を襲うモンスター 

  僕の心を癒す術は一体全体あるのかい?

  決心したぞ 家に帰る

  ここは僕の居場所じゃなかったのよ!

  そして街は再び静まる

  君の再来をいつまでも待っている

  「HEY!MISTER!」

 

 

  そして、各々の楽器を最後に思う存分掻き鳴らし打ち鳴らすと、この曲は終わっていった。結局、タキオンと田上の二人の幸せな一時は、しばらくした後に幸助によって破られたが、タキオンは満足そうだった。

「また明日もね」

 タキオンがそう言うと、田上はしかめっ面をしたのちに、仕方がなさそうに頷いた。幸せな冬の一時だった。寒いはずなのに寒くない。二人しかいないのに賑やか。そんな矛盾した世界の中で二人は話をしていた。これから、ここを去るまではそうだろう。去ってからはどうなのか知らない。だが、確実に二人の関係は行く前と行った後で違いが出てくるだろう。カフェはその違いにため息をつくかもしれない。スカーレットは、不思議そうに二人を見つめるだろう。

 まだまだ、この帰省は続く。


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