田上は、暫くマテリアルとリリックの事について色々と話していた。勿論、タキオンはそれに口は挟んでこなかった。元々聞いていなかったからなのか、それとも、自分が口を挟む領分で無い事を弁えているからなのかは分からなかったが、タキオンは、終始嬉しそうに田上の腕にくっついていた。
田上は、最早タキオンが腕にくっ付いている事など、日常的過ぎて気にも留めていなかった。だから、そんなタキオンには構わずにマテリアルと話をしていたのだが、マテリアルは、奇異な物でも見るような目でタキオンを事ある毎にチラチラと見ていて、少し田上を苛つかせた。しかし、別に喧嘩するような事でもないので黙っていると、ちょうど区切りのいいタイミングでリリックが休憩する時間になった。田上は、タオルで汗を拭いているリリックに幾つか質問して、その状態をできる限り聞いた。リリックは、その時には体もあったまり、運動によって脳に酸素が通っている状態だったので、大分気持ちは楽になっていた。だから、微笑しながら田上に「まだ走れそうです」という返事はできた。田上は、この返事で満足して、質問を止めようとしたが、ここでタキオンが初めて口を開いた。
「リリー君は、走るのが好きかい?」
そう言ったタキオンの顔を不思議そうに見つめた後、リリックは答えた。
「嫌いじゃないです」
その後は、またトレーニングの続きをしなければならなかったため、リリックはマテリアルから指示を受けて、三人の下を離れて走りに行った。田上は、タキオンと共にその様子を傍から黙ってみたいてのだが、リリックが走りに行くと、タキオンが言った。
「――嫌いじゃないです、だって。言い草が君とそっくりだね」
「それが?」
「いや、特にからかおうというわけじゃないんだけど、どうしてこうも素直になれないのかな?君のような人種は」
すると、聞いていたマテリアルが横から口を挟んだ。勿論、リリックの事を遠目に見ながらではある。
「恥ずかしいんじゃないですか?タキオンさんに面と向かって好きと言うのが」
「いや、それでは、リリー君の言動の説明にはならない。少なくとも、リリー君は私には憧れこそあれど、羞恥を抱くような好意は持っていないはずだからね」
「羞恥ですかぁ?」とマテリアルはニヤニヤ笑いながら、田上の顔を見てきた。タキオンもほとんど同じような顔で自分の事を見てきていたので、田上は少し居た堪れなくなって、こう口を開いた。
「俺だって大分素直になった」
すると、タキオンがウフフフフと口から笑い声を漏らしながら嬉しそうに言った。
「そんな事を言う事自体、素直になった証拠だよ。よしよししてあげようか?」
「しなくて結構」
「おや?反抗期かな?」
「反抗期じゃない」
「んん、かわいいね。やっぱり、よしよししてあげよう」
そう言ってタキオンが、田上の袖をがっちり握って、田上の頭を撫で始めたので、田上は身動きが取れなくなった。けれど、その顔は満更でもなさそうに少し笑っていたので、それを見ていたマテリアルが嬉しそうな声を上げて言った。
「うわ!田上トレーナー、やっぱりタキオンさんの事大好きですねぇ!」
「そうだよ。この子、私の事大好きなんだから。ほーら、よしよしよしよしよし」
そう言いながら、タキオンが田上の髪を大きく乱して撫で始めたので、田上は面倒臭そうに、でもやっぱり少し笑って、「やめろよ」と言った。
それは、タキオンが十分に満足するまで、結構長く続いたが、田上は本気で抵抗しようとはしなかった。そして、ようやく解放された時に不意に思い出して言った。
「そういや、まだ何にも解決してない。カラオケの話はどうなったんだ?」
「おや、それだね。…私はなーんにも話さない」
「どうすれば話す?」
「…んん?…そうだな。君が…、ここで君から私にキスをすれば、話してあげようかな」
これは、タキオンが田上をからかうための冗談に過ぎなかったが、思いの外度胸の据わっていた田上は、直ぐにこれを実行した。と言っても、ほんの一瞬だった。唇の感触があったほんの一瞬にタキオンは、思いがけない事に、心臓を飛び跳ねさせた。田上は、キスをしてからはもうしかめっ面しか見せなかったが、また話をしようと、タキオンの手を引いて土手の方まで連れて行った。タキオンは、暫く唐突な事に驚き過ぎて声が出せなかった。土手に二人で座れば、田上にくっ付くことも忘れて、ただぽかんと半分口を開けて田上をチラリと見、そして、田上と目を合わせるとまた恥ずかしそうに目を背けるのだった。
田上は、土手に座っても暫く何も話さなかった。今しがた自分のしてしまった事を思い返していたのだ。自分でもなぜあんなに唐突にタキオンにキスをしてあげたのか分からなかった。タキオンが、自分をからかおうとしてることは分かっていたが、別に、その事にカッとなってやったわけではなかった。意地と言えば意地なのかもしれないが、意地にしては、冷静になった時の後悔はあまりなかった。どちらかと言えば、むしろ、すっきりとした感覚でさえあるような気がした。
タキオンは、今は、自分の事をチラチラと見てきては、恥ずかしそうに顔ごと目を背けていた。それも、少し面白かった。田上が、タキオンをこんな風にさせたことなど、今までに片手で数えるくらいしかないだろう。そんなタキオン反応が、田上には嬉しくもあった。少しの優越感もある。普段であれば、先程のように「かわいいね」と言われ、頭をよしよし撫でられるのが、関の山である。しかし、今回は、正真正銘、真正面からタキオンに照れさせることができたのだ。田上は、今まであんまり自分には存在していなかった男としての尊厳が回復したような気がした。タキオンに男らしさを少しでもアピールできたとなると、田上も嬉しかった。
そんな優越感に浸りながら、田上は、西側に傾きかけている日差しを見つめ、タキオンに言った。
「キスしたけど?」
「え?」とタキオンは動揺して聞き返した。それにまた田上が同じことを繰り返すと、タキオンが言った。
「キスをされたよ」
「できないと思ってただろ?」
「まぁ、…できると思っていたらこんなに動揺はしていなかったね」
「…お前の言い方もあんまり素直じゃないんじゃないか?」
「できないと思ってた」
「やろうと思えばできるんだ」
田上はそう言って、体勢を崩し、土手の草の上に寝転がった。タキオンもそのすぐ横に田上と体がくっつくようにおずおずと寝転がった。
「…それにしたって、さっき、圭一君は、――人前でキスをするのはカップルくらいだ、って言ったじゃないか」
「俺たち、若いカップルなんじゃなかったの?」
「君は、三十後半まで生きたような気がする。と言ったから、私は、――ああ、この人は思慮分別の欠ける若さは持ち合わせてはいないんだろうな、と思ったところだったんだよ」
「で、どうだった?」
「君は、まだ二十五だね。思慮分別に欠ける若さを持ち合わせているよ。…まさか、本当にするとは思わなかったから、私もさすがに心臓が飛び跳ねたよ」
「タキオンの心臓を飛び跳ねさせることができたんだ…」
田上が少し嬉しそうに言うと、タキオンがすぐにこう返した。
「何が嬉しいのかは知らないけど、そりゃあ、私だって驚くからね。人前でキスをしないだろうと思っていた彼氏からキスをされれば、そりゃあ、飛び跳ねるよ」
「飛び跳ねて喜ぶ?」
田上が、からかう調子で聞くと、タキオンは、少し考えた後に言った。
「まぁ、嬉しくない事はない」
「それは良かった。…良かった…」
「彼女の喜ぶ顔が見れて?」
「……なんか、タキオン…よりも上手で良かった」
「ふむ。釈然としないな。もう一度キスされたくはないかい?」
「嫌だよ」
田上がしかめっ面でそう答えた時には、タキオンの嬉しそうな顔をは目の前まで迫っていて、そのまま抵抗する事も敵わず、また二人は土手でキスをする事になった。田上は、もう諦め半分で受け入れていたが、タキオンはやっぱり嬉しそうだった。
二人が離れた時には、タキオンの顔はニコニコニコニコとしていて、田上に言った。
「どうかな?私に惚れているかい?」
「最初から惚れてるよ…」と田上が呆れながら答えた。
「それは良かった。…大好き」
タキオンはそう言いながら、また田上にキスをした。今度はもっと短いものだった。
それから、二人は寄り添って土手に寝転がったのだが、暫く黙ったままだった。田上は、今の一瞬で忘れてしまった事を思い出そうとしていたが、タキオンはただ単に田上の懐に居る事を楽しんでいるだけだった。
そして、ようやく今まで忘れていたことを思い出した瞬間に、田上は身をピクリと振るわせて、自分の腕を枕にして幸せそうに目を瞑っているタキオンに向かって言った。
「ああ!お前!忘れてた!カラオケだよ!何の為にキスをしたんだよ!」
「私とキスをしたかったからじゃないのかい?」
「違うよ、バカ!」
「あ、彼女にバカって言った。私、傷付いた」
「傷付くな、アホ」
「あ、アホって言った。本格的に傷付いた。これは、お仕置きにもう一度キスをしてあげる以外にないかな~」
「話を逸らそうとするなよ。カラオケだよ、カラオケ。本当にどうするか考えないと。考えなきゃキスするぞ」
「おや、本望じゃないか。いいよ、キスしてくれて。ん。…ほら」
「しないよ。キスしても話そうとしないだろ?」
「話すさ。今度こそ話すから。ほら。…キス…」
タキオンはそう言って、田上に求めるように顎を上げて、目を瞑った。こう誘われては、田上も敵わないので、「体勢を変えよう」と低く呟くと、今度はタキオンの背を地面につけさせて、そっと唇と唇を触れさせた。田上のキスはいつも短めなので、今回は、タキオンもどうにか田上からしてきたキスを長くしてやろうと、田上の首の後ろに手を回してがっちりと固定した。これは、タキオンの常套手段と言えば常套手段なので、田上はもう諦めて抵抗する事すらしていない。ただ、土手の下の雑踏から聞こえる声の中に自分たちの噂をしている声が聞こえないか、耳を澄ませていただけだった。傾いている日差しが、嫌に田上の耳を熱くさせた。田上たちがキスをしているすぐそばの土手をザッザと上って行く足音も聞こえる。その足音の主には、確実に自分たちが何をしているかは見られただろう。
あまりのキスの長さに、田上の緊張も頂点に達して、息が荒くなり始めてきた頃に、タキオンは田上を解放してくれた。少し恍惚としているようだったが、ゆっくりと離れてタキオンの顔を見つめてきている田上と目を合わせると、タキオンは口元に笑みを浮かべて言った。
「さすがに、ここまで人が多いと私も緊張してしまうな」
「…なにが――緊張してしまうな、だよ。緊張してる奴のキスの長さじゃねーよ」
田上は、少し疲れて口調が荒くなっていた。
「でも、良い時間だったね。俗に言う、幸せホルモンが大量に分泌されるのを感じたよ」
「うるさいよ。こっちは、恥ずかしくて仕方がなかった」
「おや?君も幸せだっただろう?」
「いや、……それよりもカラオケの話だ。それだよ。お前のキスは長すぎる」
「君のキスが短すぎるから、私は長くしてもらおうと思ったんだけどね」
「それにしたって、人前なんだからもうちょっと配慮してくれたって良かった。あまりにも長すぎる」
「……誉め言葉かい?」
「違う!」
田上は、鋭くタキオンの言葉に言い返した。それから、一つため息を吐いてから、落ち着いた調子を取り戻しつつ言った。
「キスは思う存分してやったから、今度こそちゃんと話せ。カラオケ、考えろ」
「ええー、…カフェだろぉ?」
「どうするんだ?」
「カフェだからねぇ…。…あの子たち、…リリー君の友達には私たち以外の赤坂君やらカフェやらが来ることは言ったのかい?」
「…言ってない…」
「なら、それを聞くのが先決だ。決定。異議なし」
タキオンは、それを一人で言い切った後、問うように田上を見たから、田上も言った。
「じゃあ、明日考えろ。朝、できるだけ早めに。どうせ、授業には出ないんだろ?」
「おや、トレーナーともあろう人が、サボりの勧誘かい?」
「違うよ。どうせ出ないんだろ?」
「出ないという事に変わりはないね」
「じゃあ、明日考えてもらう。で、リリーさんの方には、あの友達二人に連絡してもらおう。他の人が居るけどいいのか聞かないといけない」
「どっちを優先するんだい?」
タキオンが唐突にそう聞いてきたので、田上は理解できずに当惑した顔をして「どっち?」とオウム返しに聞いた。
「あれだよ。…赤坂君たちかカフェたちかリリー君の友達二人か。優先順位を決めないと決まらないだろ?どうするんだい?」
「…まず、今は、誰からも返答を貰ってないだろ?…いや、友達二人は行きたいって言っているけど、…赤坂先生が来るかもしれない事は聞いていない。…が、一応リリーさんには、他の人が来る『かもしれない』からどうする?って連絡してもらうか?」
「赤坂君が来るのはまだ決まってはいないんだよね?」
「決定じゃない。だから、さっきの話を出したんだけど、タキオンのせいで話が変な方向に逸れた」
「んん…、あの話を引き合いに出されるとね…。…まぁ、赤坂君の優先順位が一番高いという事でいいのかな?…つまり、一番初めに誘うべきは赤坂君だと。…リリー君の友達はもうすでに誘ってあるが、赤坂君が最優先?」
「それで良いと思う。赤坂先生が、来てくれた方がマテリアルさんも喜ぶだろうし」
「それで、赤坂君が揃えば、…後はあんまり関係がないかな?リリー君の友達も知らない人が一人二人増えた所で、他の人たちは全く知らないだろうし、カフェの方ももし来るんだったら、人が居ようが居まいが関係ないだろう。あの子は、来るか来ないかの二択だ」
「じゃあ、トレーニングももうそろそろ終わるだろうし、終わったら、赤坂先生の所に行っていいんじゃないか?」
「ふむ。私たちの結婚報告も兼ねてか」
タキオンのボケに田上は「違うよ」と真面目に首を振ったが、その後にこう付け加えた。
「まぁ、赤坂先生だったら、言ってもいいのかもしれないね。言える機会があったら」
「じゃあ、私たちの結婚報告と同義じゃないか。そうだろ?」
タキオンが嬉しそうに言うと、田上も面倒臭そうな顔をして、「そうかもな」と答えた。
それから、二人は、マテリアルの横で、リリックがトレーニングをしている姿を見て、残りの時間を過ごした。マテリアルは、至極真面目にトレーニングに望んでいたが、田上は、今日はマテリアルにトレーニングの全権を託したからなのか、甘えてくるタキオンと時折いちゃいちゃする事があり、その度にマテリアルにジロリと睨まれた。
トレーニングが終わると、タキオンと田上は、チームでそれぞれ明日やるべきことなどの話をして、解散した。田上とタキオンの行き先は、保健室だったが、その前に田上はリリックにこう言った。
「イツモさんとオータムさんに伝えておいてほしいんだけど、…確か、赤坂先生が、…保健室の先生がカラオケに来るかもしれないって言うのは、あの二人には伝えていなかったよね?」
まだ、少し機嫌のいいリリックが、「…多分、伝えていなかったと思います」と落ち着いた声で答えた。
「じゃあ、なるだけ早く伝えてくれないかな?あの、…もしかしたら、他に知らない人が来るってなると、イツモさんとオータムさんも嫌がるかもしれないから、…スマホで連絡するにしてもちゃんと連絡がついて、二人の意思が確認出来たら、なるだけ早く俺の方に伝えてくれない?」
「…了解です」
そのリリックの返事を聞いて、トレーニングは解散した。
田上とタキオンは、できるだけ早く予定を決めたいから、その後すぐに保健室に行って、赤坂先生にあった。
保健室には、先客が居たので、田上とタキオンは二人で出入り口近くの壁際の丸椅子に座って待った。先客は、ウマ娘の子で、どうやら、トレーニング中にこけてしまって擦り傷を作ってしまったようだ。結構痛かったらしく、田上たちが来たのは傷口を消毒している所だったが、その時もひくひくと泣き声が尾を引いた声を出していた。傷口は、膝と腕にあり、田上がその子の体の陰から好奇心で少し覗いてみると、大分痛そうだった。
そして、その子が自身のトレーナーに付き添われて、保健室から出て行くと、その中は一旦静かになった。赤坂先生が、まだ後片付けをしていたし、田上は話し出すタイミングが分からず迷っていたし、タキオンは隣に座っている田上が話してくれるだろうと思って待機していた。それで、保健室の中はシンと静まり返ったまま、時折田上の耳に、赤坂先生が机に物を置くカタカタという音が入ってくるだけだったが、最後に赤坂先生が少し強くタン!と机に物を置くと言った。
「それで?付き合っているっていうのは本当?」
「本当」とタキオンが答えた。すると、赤坂先生は、目を丸くして「本当?」とまた聞いたから、タキオンもまた「本当」と返した。それでも、タキオンだけでは信用できなかったらしく、今度は田上の方を向いて赤坂先生は聞いた。
「本当にタキオンと付き合っているの?」
「…まぁ、…まぁ、本当です」
田上はしどろもどろになりながら答えた。その様子を不思議そうに見ながら、「へ~」と呟き、次いでタキオンに聞いた。
「本当に付き合ったの?」
「本当だよ。何回聞けば信じるんだい?」
「ざっと五百って所かな?」
赤坂先生は、そう笑いながら自分も椅子に座って、壁際に座っている二人に「こっちに来てよ」と言った。それで、二人は先程怪我をしていたウマ娘が座っていた場所に、それぞれ丸椅子を持ち運んで座った。
その場所は、カウンター席のようにもなっていたので、赤坂先生は、そのカウンターの向こうから田上とタキオンを興味深そうに見ていた。
それから、もう一度「本当に付き合っているの?」と聞いた。タキオンはそれに「本当」と面倒臭そうに返した。
「こっちはその話…もあるけど、別の話で来たんだよ。圭一君が言ってくれる」
「え、俺?」と突然話を振られた田上が戸惑ったが、その前に赤坂先生が驚いてタキオンに聞いた。
「圭一君!?田上の事だよね?」
「そうとも。大阪杯あたりで私たちは付き合うことにした」
「え、それは…、どっち…?…どっちが……?」
「成り行き」とタキオンは簡潔に答えたが、これはさすがに簡潔過ぎた。途端に赤坂先生が飛び上がって言った。
「成り行きで付き合ったの!?んん??……んん??…どういう事?」
「……どう言えばいいと思う?」とタキオンが隣の田上に聞いた。田上は、少し考えた後、赤坂先生に向かって言った。
「……まぁ、…あの…想いは通じ合っていたので、……それなら双方付き合った方が自分たちの為になるだろうと思って、交際を始めました」
これは、曖昧過ぎるので赤坂先生の疑問をもっと深くしたし、真相を知っているタキオンはケラケラと笑って言った。
「確かにそうだが、それじゃ、曖昧過ぎるよ!確かに言い当てている!だけど、…だけど、君の言い方が面白すぎる!」
その後暫くタキオンが満足するまで笑うと、落ち着いた時に赤坂先生が今度は田上の方に聞いた。
「もうちょっと詳しく言ってくれない?」
詳しく…というと、田上は自分たちがキスから始まったことを言わなければならないのだが、それが、言ってもいい物なのかどうか迷った。だから、タキオンの方に困ったように目配せすると、タキオンも苦笑しながら「いいんじゃないか?赤坂君だし、あんまり話さないだろ」と言った。なので、田上はおずおずと口を開いた。
「……まぁ、…初め、タキオンのキスから始まったんですけど…」
「キスぅ!?」と早速話の腰を折られたので、田上は少ししかめっ面をした。しかし、赤坂先生は、そんな田上の表情には構わずに驚きながら聞いた。
「キ、キ、キスってどういう事?」
「君より大人になったっていう事さ」とタキオンが赤坂先生に面倒臭そうに返すと、赤坂先生は、「バカ言え。キスの一回や二回くらいはした事あるよ」と答えた。それから、また聞いた。
「キスしたの…?」
これは、田上に向けられた質問だったので、田上が答えた。
「ああ…、タキオンにキスをされました…」
「それで?」
「……僕もさすがに担当と付き合うのは不味いと思って、…でも、タキオンの事は嫌いじゃなかったんですよ」
「好きって言えば?」とタキオンが隣から面白がって口を挟んだが、田上は続けた。
「まぁ、あの、タキオンが嫌いじゃなかったので、…でも、担当っていう壁もあって、それで、どうしようか悩んでいたんですけど、タキオンと話し合いに話し合いを重ねて、付き合うことになりました」
「へ~」と言いながら赤坂先生は、目線を動かすと、今度はタキオンに聞いた。
「なんで田上にキスしたの?」
「それを乙女に聞くっていうのは野暮なんじゃないのかい?」
そう返すと、赤坂先生はそれには触れず、別の事を聞いた。
「へ~、…タキオン、あの帰省の後に私に相談してきたことがあったよね?」
「え?…ああ、そんな事もあったね」
「あの時、……言った事覚えてる?」
「……ああ、まぁ、覚えているね」
田上は、二人が何を話しているのか分からずに、二人の顔を交互に見つめていた。
「覚悟の話をしたけど…」
「あるよ。それこそ何度も話し合ったもの。圭一君が言ったように、やっぱり、私たちの関係は並大抵の物じゃないから、しっかりと手を繋いで歩いて行くつもりだよ。浮かれて付き合っているんじゃない」
「…なら、いいや。なんか、噂が出回ってたから、ちょっと心配してたんだよ。…で?話って何?」
「ああ、圭一君言ってやってくれ」
この期に及んで、なぜ自分に話を回すのだろう、と訝しがりながらも、田上は赤坂先生に向かって言った。
「カラオケの話があるんですけど、行きませんか?」
「カラオケ?誰が行くの?」
「僕とタキオンと僕のチームの補佐のナツノマテリアルっていう人と、あと、もう一人チームのファーストリリックって名前の今年は入ってきた子です」
「へぇ、走るの?その子」
赤坂先生がそう聞くと、田上は苦笑して言った。
「走るかどうかは分かりません」
「選抜レースで拾った子じゃないの?」
「拾った子ではあるんですけど、…この子で頑張ろうと思ったので」
事情を察したのか、赤坂先生はそれ以降その事について聞いてきはしなかった。その代わりに、もう一度、田上のカラオケの詳細を聞いた。
「え、それで全部なの?」
「いや、そのリリーさん、…リリックさんの事ね、の友達が来るらしいけどどうしますか?」
「…カラオケはどういう構成でするつもりなの?」
「ああ、もうただ、あの、マテリアルさんが赤坂先生と友達になりたいらしくて、それで遊びがてらにでもどうかな、と思うので、大人と子供に別れて話したりするんじゃないですか?」
「あと、カフェも連れてくるつもりだよ」とタキオンが言った。
「カフェ?…カフェって言うと、あのカフェだよね?あの、タキオンの友達だったでしょ?マンハッタンカフェさん」
「そう」
「へぇ…。じゃあ、そのマテリアルさんって人が私と?友達になりたくて?どうして?」
「私が、君たち二人は気が合いそうだと思ったんだ。だから、友達がいなくて寂しそうだったマテリアル君に提案してみた」
「カラオケを?」
「そう」とタキオンが答えた。すると、赤坂先生は、一度空中に目を泳がせ、田上を見たが、次にまたタキオンに聞いた。
「マテリアルさんってどんな人?」
「美人。気が強い。…趣味はあんまり知らない。けど、付き合ってたらフラれたことが何度かあったらしい」
「何その情報」と赤坂先生は少し笑った。
「でも、付き合ってたらフラれたって、…マテリアルさんどんな人なの?」
「会ってみれば分かるけど、悪い人ではないと思う。ただ、美人なのに男ができない残念な人って感じだろうね」
「へ~。じゃあ、それで全員になるの?田上とタキオンとマテリアルさんとリリーちゃん?なんでリリーちゃんって呼んでるの?」
「渾名」とタキオンが簡潔に答えて、机上にあったペン立てに差してあるペンを持って、それを眺めた。
「えー、じゃあ、リリーちゃんと…その友達と、カフェさん?」
「あと、そのカフェのトレーナーも巻き込むつもりだ」
「じゃあ、……七人?」
「…いや、…一人足りない。多分、あれだ。リリー君の友達は、二人だという事を勘定に入れてない」
「ああ、それだね。…じゃあ、八人?」
「もしかしたら、カフェを誘うのは失敗するかもしれないけどね」とタキオンが付け足すと、赤坂先生は、うんうんと頷いてから言った。
「いいよ。参加しよう。マテリアルさんって人もどんな人か分からないんだけど、ま、面白いんでしょ?」
「私には、それは答えられないね」
そうタキオンが返すと、赤坂先生は、今度は田上の方を見たので、田上は戸惑いながら言った。
「面白いんじゃないですかね。悪い人じゃない事は間違いないですよ」
「ふーん。…カフェさんのトレーナーは?男?女?」
「男。松浦トレーナーっていう奴だよ。マテリアル君に言わせるとイケメンらしい」
「へぇ、…イケメンか…」
「あんまり私たちの前で醜い争いはしないでくれよ。マテリアル君も松浦トレーナーにすり寄りたそうな雰囲気を出していたから」
「あら、マテリアルさんも?…強者は良いなぁ。こういう時、男を意識しなくて済むんだから」
「恋人を作りたいんだったら、まずは相手を惚れさせてみたまえ」
タキオンが偉そうにアドバイスをしたので、田上は苦笑した。すると、それに気が付いたタキオンが田上の方を向いて微笑みかけると言った。
「惚れたんだろ?私に」
「惚れたね」
田上も笑い返すと、恋人同士の甘い空気にピリリと来た赤坂先生が言った。
「ストップストップ!いや~、危ないね。この部屋で不純な行為はさせないからね」
「不純?私たちが何すると思ったんだい?」
「いきなりキスをおっぱじめる可能性があったからさ、恋人ってもんは何をするか分かったもんじゃないからね」
「…前に、私たちにカーテンの裏でキスをするなと言ったね」
タキオンはそう言いながら、後ろの今は誰も居ないベッドとそのまとめられているカーテンを指差した。
「不純だとか何とかで。それはどうなんだい?生徒指導にでも告げ口するかい?」
「この部屋ではやるなって事だね。くそ面倒臭いから。それに、この部屋をキスするために常習的に使われても困るし、そもそも、二人でカーテンの裏に隠れるっていう事が不純だからね。…まぁ、もう、あんたらの覚悟が決まってんだったらいいよ。…結婚はするつもりなんだろ?」
「ああ、それもちゃんと話し合っての私たちさ」
「うん。意外と、…表現するのもあれなんだけど、…ちゃんと話し合ったんだな。凄い。どんだけ話し合ったんだ?」
「そりゃあ、勿論、この可愛い可愛い圭一君ができるだけ粘ろう粘ろうとするから、私も根気強く話し合ったよ。だって、お互いに想い合ってるのに、別れなきゃいけないなんておかしいだろ?」
タキオンの強気な物言いに、赤坂先生は苦笑した。
「まぁ、田上が粘ろうとした気持ちも分かる。立場があるもんな」
「その立場が、私たちを苦しめたわけだけども、こうして赤坂君にも報告できてよかったよ」
そう言うと、タキオンは唐突に田上の頬にキスをして赤坂先生に笑いかけた。田上は、突然の事に動じる事もままならずに、ただ恥ずかしさに瞬きを繰り返すだけだった。赤坂先生は、タキオンがキスをした途端に「あ!」と声を上げて、思わず立ち上がったが、その後に自分の驚き様にハハハと笑うと、また元のように座った。
「本当に仲良いな、お前ら。お似合いカップルだよ。…田上、お前、タキオンをちゃんと幸せにするんだぞ。色々話し合ったって言うからそんなに口出しはしないけど、タキオンを幸せにしないとこっちは承知しないからな。…ところで、結婚式はいつするの?」
「そんな先の予定は決まってないよ。今はただ、結婚しようと言ってるところ」
タキオンが軽く笑って返すと、赤坂先生は「そうなのかー」と言った。しかし、妄想が抑えられずにこう言った。
「もしさ、その時までに私が恋人確保出来たら、一緒に合同で結婚式をしない?」
これには、タキオンも田上も揃って、似たような嫌そうな顔で「ええ?」とため息まじりに言ったので、赤坂先生は大笑いして「冗談だよ、冗談!」と返した。
三人は、その後は少し世間話をしてから、保健室を後にした。外に出ると、もう闇が空を覆っていたが、西の空はまだほんのり明るさを保っていた。その様子を見ながら、タキオンと田上は、あの土手に座った。まだ、門限の時間にはなっていないので、トレーニングをしている人が結構いた。そんな人たちを見ながら、タキオンは呟いた。
「ようやくここまで来たね…」
田上には、タキオンの独り言のように聞こえたので、何も返さなかった。しかし、タキオンは返事を返してくれない田上の方を向くと、唐突にその首に抱き着いてもう一度言った。
「ようやくここまで来たね」
これで、田上も自分に話しかけられていると分かって、「ああ」と返事をした。それから、また二人は暗がりの中でキスをした。ただ、明かりからはそれほど遠くないので、よくよく見れば二人が抱き合ってキスをしている事が分かるだろう。しかし、今、トレーニングをしている人の中にわざわざ土手の方を見つめようという人なんていなかった。皆それぞれ、一生懸命にトレーニングに励んでいた。
タキオンは、キスをやめるとその人たちを物寂しそうな目付きで眺めた。その様子に田上は気が付いて声をかけた。
「今からでもトレーニングするか?」
「今から?…私、制服だよ?」
「制服でもいいんじゃないか?」
田上がそう提案すると、タキオンは少しの間だけ考え込んだ。それから、田上の方を向いて言った。
「一緒に走らないかい?」
「一緒に?」
「一緒にだよ。ただ、走るんじゃない。君が私を捕まえられるかな?」
「捕まえられないだろ」
田上が、面倒臭そうな顔をしてそう言うと、タキオンはにっこり笑って、唐突に田上にまたキスをした。今度は、さっきのものより大分長かったし、田上は万力込めて抱き締められていた。
そして、タキオンがにっこり笑ったまま離れると言った。
「今のに仕返ししたくはないかい?」
「いや…」と田上は否定しかけたのだが、タキオンはもう一度「仕返ししたくはないかい?」と言って、少しだけ怒っているような頬を膨らませた可愛い顔をした。だから、田上も少し微笑んで「仕返ししたいかも」と答えた。すると、タキオンはこれまたにっこり笑って言った。
「それでこそ、私の可愛い圭一君だ」
そういってから、再び万力込めて抱き締めキスもした。そして、次に離れた時には、もう田上の隣に居る事もやめて、スカートをひらひらさせながら、タキオンは土手を駆け下りて行っていた。田上は、仕方がなさそうに笑いながら、その後を追いかけた。
タキオンと追いかけっこに興じるのは嫌いではなかった。タキオンは、いつも田上に捕まらなさそうなぎりぎりを走るので、一瞬の隙があると、田上でも捕まえられるのではないかと希望が生まれる時があった。だが、タキオンはそう簡単には捕まえさせなかった。トレーニングのしている人の邪魔にならないようにトレーニング場の端を楽しそうに走りながら、田上の伸ばした手をあっちに避け、こっちに避けた。その内に田上も楽しそうな声を上げて、タキオンを追いかけ始めた。まるで、子供のように無邪気にタキオンを追いかけて、遂に、タキオンが躓いてよろけた時にその手をぎゅっと掴むことができた。
田上は、得意気な顔をしてタキオンの手を握り締めていたが、タキオンは少しはにかんで笑っていた。二人は、暫くそのまま見つめ合っていたが、田上がある時今まで握っていたタキオンの手を放して、それから、タキオンの頬を両手で触った。タキオンは、自分が何をされているのかあんまり分からずに田上の顔を見上げていたのだが、田上が本当に何も言わないでタキオンの顔を触り続けていると、タキオンもさすがに口を開いた。
「何をしているんだい?」
少し笑いを含んだ声だった。それに微笑しながら田上は答えた。
「ほっぺを触ってるだけ」
「ほっぺを触ってるだけ?それだけかい?」
「可愛いから」
「ふぅん…」
タキオンは、それを聞くとニヤニヤしながら田上の顔を見つめた。田上は、質問を受けた後は少し恥ずかしそうだったが、相変わらず、タキオンの頬を触り続けた。