ケロイド   作:石花漱一

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二十五、カラオケと春⑤

 タキオンは、マテリアルが欠伸をしながら、最後に立ち去って行くのを見送ると言った。

「圭一君、髪の事を言いかけてた時があったよね?」

「いつ?」

「カラオケで私が浮ついてきていた時」

 タキオンは、それを少し恥じ入ったような顔で言った。それに、田上は答えようかどうか迷ったが、最後には答えることに決めた。

「お前の髪……、俺のせいかな…って…」

「君だけのせいではないけど…」

「いや、……何なのか分からないけど……、…分かった…」

「なにが?」

「いや、分かった…。ごめん。俺が悪かった。本当にごめん…。ごめんなさい」

 田上は、そう言って頭を下げると、駆け足で立ち去ろうとしたが、ウマ娘の中のウマ娘であるタキオンにすぐに手を掴まれ、田上は立ち止まることになった。

「謝るなら謝るでいいが、謝る意図が私に伝わらなければ、それは、謝ったことにはならない。何が分かったんだい?」

 タキオンは、田上の目の前に立ち、その顔をしかと見つめながら言った。田上は、その目を見ることができなかった。赤い瞳は、田上を責めようとはしていなかったが、その心の真相をじっと見定めようとしていた。田上には、それが嫌で嫌で仕方がなかったが、今は、タキオンが田上の手をしっかり握っている。握られていること自体は、なんだか妙に嬉しかった。心の底の方に嬉しさが滲んでいた。それでも、田上は暗い顔をして言った。

「……お前の髪が……」

「私の髪が何だい?私が語った以上の理解が得られたのかい?」

「……そうじゃない。…けど、分かった。もう、お前の隣に居るには、かっこ悪すぎる」

「かっこ悪い?また、自分の顔のコンプレックスが再発したのかい?何度でも言うけど、君は、十分にかっこいいよ。私の隣に立つには十分すぎる程さ」

「…違う。……卑しいんだよ……」

「卑しい?」

 田上の言葉にタキオンは少し笑ってしまった。

「何が卑しいんだい?」

「……お前が言った通りだよ。自分の為に使おうとしたって…」

「それは、…私だって、君を操り人形にしようとした後悔がある。それが、理由だって言うんなら、同じ過ちを犯そうとした者同士、圭一君を引き留めないわけにはいかない」

「…キスでもしてくれるのか?」

「いいや、引き留めるのに自分の唇を使う必要はない。こうやって、手を繋いであげるだけでも十分に引き留めることができるし、こうやって、対話をしている事でも引き留める材料になる」

「…でも、…お前の髪は…」

 田上は、そう言うと、顔を上げてタキオンの目を見、次いで、切られた髪の毛を見るともなく見つめた。

「私の髪がそんなに気になるかい?…私の髪が、そんなに君にプレッシャーを与えるかい?…なぜだろうね?君には分かるかな?」

「…分からない」

「んん、いい感じに素直になってきたね。圭一君のそういう所が好きだ。…で、分からないか…。……私が予想するに、つまり、こういうことじゃないかな?…私の覚悟が重いって事だ。君の想像以上に重かった。こんなに、顔の印象を変えてしまうまで髪を切れる覚悟が私にあるとは思えなかった。そういう事だね?」

 タキオンは問いかけてきたが、田上は、その目を見つめた後にふっと目を逸らした。

「圭一君は、多分、まだ、私の父さんと母さんの家に帰る事に、及び腰になっているんじゃないかと思う。これはどうだい?」

 これには、田上も微かに首を縦に振った。ほんの微かな動きだったが、タキオンはその動きをしっかりと読み取ると、話を続けた。

「まぁ、結婚っていうのは遊びじゃないからね。子供を作って育てるというと、もう笑い事じゃなくなる。それなりの覚悟が必要だ。遊びで子供を作って、産んで、棄てられたんだったら、子供が一番可哀想だ。そうならないためには、尋常ではない覚悟が必要だが、……君は怖いんだろう。いつものように。…君は覚悟を決めたことはあるかい?…つまり、誰の助けも得ずに覚悟を決めたことは。恐らく、ないと思うのだけれど、どうだい?」

「……あんまりないかも…」

「結婚しようと言ったのだって、私が必死に説得したからだと思うんだよ。勿論、怖がっている君を勇気づけてあげたいという気持ちもあるけど、促すべきではなかったんだろうな…。でも、それが私のジレンマだよ。もし、君が私との結婚を選択しなかったらと思うと、やりきれないんだよ。君の決断を待っていると、いつまで経っても、結婚できない可能性があるばかりか、君が逃げていってしまう可能性もある。…ジレンマだよ…。…やりきれない…」

 田上は、そう言って嘆くタキオンの顔を、微かな倦怠感に苛まれながら見つめていた。

「君が、……去って行くというのなら、今の私は、泣いてそれに…。いや、ダメだ。私は、君を見守ってあげなきゃいけないだけだ。…どう思う?」

 タキオンは、情けない顔になって、田上にそう聞いた。田上は、暫く黙り込んでいたが、こう言った。

「俺は、……覚悟の決め方なんて知らないよ…」

「そうだろうねぇ…。本当は、親がそれを教えてあげないといけないんだけど、どうも君の選択権はお義母さんに奪われていたみたいだからね。…呪うべきは…、誰でもないんだろうな…。何もかも重なった出来事だ…。…手放しで君を…、見守るという点では手放しではないんだろうけど、…手放しで君を、君の決断を待つことなんて私には耐えられないよ」

「…それこそが、俺たちの相性の悪さだな…」

「そうだよ。お互いがお互いに干渉しようとしすぎる。私は君が本当に私の所に、私の隣に居てくれるか不安なんだよ」

「俺だって不安だよ」

「だから、相性が悪いんだ。…どうすればいいと思う…?」

「……でも、とりあえず、ゴールデンウィークにお前の家に帰らないといけない事は決定事項だ。…変えられないし、変えるつもりも、今の所はない」

「…それでいいよ。…でも、…どうなんだろう…」

 タキオンの目が段々と伏し目がちになっていくと、田上が言った。

「お前、前に言ってたけど、――君と一緒なら大事には至らないと思う、って。…俺も、…根拠はないし、不安なのもそんなに変わらないんだけど、お前と一緒だったら…。これがダメなのかな?この考え方が。結局、依存してるもんな」

「私には分からない。愛が何なのかすらも」

「…大阪杯の時に、俺に愛が何なのか分かったって言ってなかったか?」

「分かんない。…何が正しいのかも。…結局、私は君を操り人形にしようとしたんだ。…このまま、燻り続けたとして、その後に何があると思う?私たちは、結婚して本当に幸せになれると思うかい?」

「…俺も分からない」

「でも、進み続ける。…結局それに行き着くのかなぁ…。…そりゃ、君と一緒に進めるのなら、私は万々歳だけど、現状、私たちは危うい綱渡りを繰り返している感じがしないかい?」

「…するかもね」

「だろう?この綱渡りで二人とも落ちてしまうなんてことはあると思うかい?」

「…できれば、落ちたくはないけどね」

「落ちたとして、その時、私たちはどうなると思う?別れる?」

「…多分、俺の最悪の結末は、別れてしまう事だけどね」

「…出会いに意味があると思うかい?…つまり、他の生物は、一定の雌と交尾しないものが多くいる。人間は、その中で一定の雌と関係を結ぶ事を選んだようだけど、中には、強姦するような奴もいる。…要するに、子を残す事に重きを置くのであれば、動物的本能において、誰彼構わず孕ませればいいわけだ」

「なら、出会いは大切じゃないか?安全に子供を育てられる環境を作れる人と出会う。安定した環境を作ることができる人と出会う。そうやって、自分の子を残す動物もいる」

「…私たちが安定していると思うかい?」

「悩ましい所だな」

「…君は、初め、私を好きでいながらも、私には別の『いい男』がくっついてほしかったんだろう?」

「そりゃあ、俺は、安定した環境は作れない。不安定だ。見ればわかる」

「確かにそうだが、…まぁ、ある種の安定はあると思ってるよ。圭一君は、優しさに満ち溢れてる」

「…言う程そうかな?とも思うんだけど。…お前は、俺の事が好きだから優しいとか何とか言えるけど」

「優しいよ!だって、あの時に薬を三本も飲んだじゃないか!」

 タキオンは、熱心に田上の優しさを主張した。その言葉は、田上に嬉しくもあったが、同時に、信じれないぞという顔もさせた。

「お前、それって優しいのか?どっちかって言うと、気が狂ってる感じじゃないのか?」

「それは、まぁ、どうだろう?否めなくもないが、ほとんど初対面の私に対して、あそこまでの情熱を傾けられるんだから」

「あれは、お前の走りが凄かっただけだよ」

 タキオンの言葉を遮って、田上は言い返した。そして、二人は見つめ合ったが、今度は田上の方が目を逸らした。

「ああ、もうすぐ門限だよ。もっと話したいのに時間が足りないよ。圭一君、また電話で話をしよう。私が掛けるから。お風呂とか食事とかさっさと済ませて、ちゃんと電話を取れるようにするんだよ?」

「ああ」と田上が返事をすると、すぐにタキオンは田上の手を繋いだまま、速足で歩きだした。田上は、その勢いによろめきかけたが、ちゃんと足を踏ん張って立つと、タキオンの横で少し小走りになって歩き出した。タキオンは、その田上に嬉しそうに目をやると、少しだけ肩を寄せる仕草をした。

 

 田上が、今日の用事を何もかも済ませて、後はもう寝るだけ、となったタイミングでタキオンからの電話がかかってきた。あまりにもぴったりなタイミングだったので、どこかから監視されているのではないかと疑ったほどだ。それを、冗談としてタキオンに電話で伝えると、タキオンは笑いながら言った。

「私と君の絆は人知を超えているからね。そういう事だってあり得るだろう。繋がっていなくたって繋がってる」

 それに田上はふふふと笑うと、タキオンは気を取り直して言った。

「話を始めよう。今回はゲストにデジタル君をお呼びした。挨拶いただけるかな?」

「あ、はい。アグネスデジタルです…。お話に参加してほしいとのお頼みで、不躾すぎるだろうとは思いますが、今回、参加させていただくことになりました。よろしくお願いします」

 田上も少し戸惑いながら「よろしくお願いします…」と言い、次いで、タキオンに「どういう事?」と聞いた。

「三人だし、同室だから私たちの会話は聞かれるだろうし、デジタル君もこの件に関わりがないというわけじゃないと思うし、私だって、デジタル君を混ぜた会話でいちゃつこうという気にはさすがにならないから、ベストな人選だと思う。冷静に会話するうえで、話をまとめる役割を持つ人は必要だからね」

「恐縮です…」とデジタルが呟くのが聞こえたが、田上はそれを聞かなかったふりをして、タキオンに言った。

「で、何の話をするの?」

「ああ、風呂に入ると結構落ち着くものだね。君もそうだろ?」

「まぁ…」

「だから、何を話すという事もないんだけど、…君は、私が髪を切ったことを気にしているからね。今も気にしているかい?」

「まぁ…」

「じゃあ、少し、デジタル君とその時の様子を話してみよう」

「えぇ、あたしも話さないといけないんですかぁ?」とデジタルが、情けない声を上げた。

「まぁまぁ、悪いようにはしないし、私たちの行く末の詳細が聞けるのであれば、君も本望だろう?」

「まぁ…」

 デジタルが、まだ思う所がありそうな調子で頷くと、タキオンは田上に向かって言った。

「圭一君。私は、デジタル君に、圭一君が同棲を考えている事を言ってあるよ」

「本当に?」

「本当さ。私が、この部屋に帰って真っ先に、今日あった出来事を報告するとしたら、デジタル君しか居ないからね。あの話が出た時は、私も物凄く嬉しかったけど、よくよく考えると、まだまだもっと先の事だね」

「それも覚悟が据わってるのかは分からないけど…」

 田上は、自分に対して呆れたような口調で言った。その口調で、田上の心情を察し、苦笑しながらタキオンは言った。

「まぁね。なあなあで生きていれば、いつかはぶち当たる壁さ。君は、人一倍それに対する感受性が強いってだけだ。育った環境によるのかもしれないけどね」

 そして、一息つくと、タキオンはまた話しだした。

「話が逸れてしまったけど、このまま逸らせておくことにしておいて、せっかくのファンがここに居るわけだし、ファンサービス精神を働かせて『ダーリン』呼びでもしてみるかい?」

 タキオンの声の後に、小さく「ひぇっ」という声が聞こえてきたが、何か言葉を発しようとはしなかったので、田上が言った。

「デジタル…君は、そんなにファンなの?いや、タキオンのファンなのは知ってはいるけど」

「私と君の間柄に関するファンだよ。どうにもこういうのが好きみたいだし、『尊さ』を感じるらしい。オタクってやつだね。…まぁ、それを言ってしまえば、私も君のオタクみたいなものさ。君の事が大好きで大好きで堪らないんだから」

 また、「ひぇっ」が聞こえてきたが、田上は構わずに返した。

「お前、デジタル君の前ではいちゃいちゃしないと言っておきながら、大好きって、それはいちゃいちゃしてるんじゃないか?」

「あれ?そうかな?あはは、そうかもしれないね。すまない、デジタル君。お目をお汚ししたかな?」

「いえいえ、全然。はい。本当にもう、あの、全然大丈夫ですので、お二人の会話を聞かせていただけたら」

「まぁ、そういう事らしいから、暫く何か別の事を話すかい?ダーリン」

「ひょ」とデジタルが声を上げると、タキオンは笑い出した。どうやら、デジタルが反応するのが面白くて、遊んでいるようだった。田上は、デジタルで遊ぶ気はなかったので、タキオンの言葉には構わずに言った。

「本題に入ろう。デジタル君を巻き込んでいるんだったら、あんまり長く電話はできないし」

「じゃあ、デジタル君とのお話は手っ取り早く済ませよう。私は、寝るまで君と話したい」

「…そうだね。…髪って言っても何を話すんだ?」

 田上がそう聞くと、タキオンは何も考えてきていなかったようで、う~んと考えながら言った。

「どうしたらいいと思う?デジタル君。何から話そうか?」

「あ、あたしですか!?えーっとですね…。…そうですね。…タキオンさんが、泣きながら入ってきたことはお話ししても…?」

「いいとも。その時は、圭一君も泣いていたらしい。そうだよね?」

「まぁ…、そう」

「デジタル君には詳しく話していないけど、私、マテリアル君に怒られた。圭一君にも怒られた。…まぁ、私がいつものように、圭一君といちゃいちゃしていたわけだよ。すると、突然、マテリアル君がキレたわけだね」

「マテリアルさんは、あの透き通るような金髪の綺麗なお姉さんですよね?」

「そう。烈火の如くキレた。あれは、体罰で訴えられるんじゃないかな?」

「やめとけ」と田上が忠告すると、タキオンも「冗談だよ」と言葉を返して話を続けた。

「まぁ、話を聞こうとしなかったし、それを拒んだ私も悪いが、クリップボードで二回も叩かれたね。圭一君は、一回叩かれた」

「田上トレーナーもですか」

 デジタルは、少し驚きながら言った。

「まぁ、お恥ずかしい事に、重要な話をしている最中に、私たちは…キスをしていて、圭一君もね。それに抵抗はしなかったから」

「注意しようとは思ってたけどね」

「まぁ、私は、君に注意させたくなかったから、できるだけ、望めるならこのままずっとキスをしてやろうと考えたわけだよ。…そしたら、マテリアル君がキレた。…ただ、私、今日のマテリアル君を見て思ったんだけど、多分、あの子、松浦トレーナーに気があるんじゃないか?どう思う?」

「俺?…うーん、まぁ、言いにくいけど、…確かに、妙に松浦さんの隣に陣取ってはいたね」

「だろ?多分ね、マテリアル君も私と同じタイプだよ。付き合ったら絶対にいちゃいちゃしまくる」

「付き合いたてって大体そんなもんじゃないか?」

「そうかな?デジタル君はどう思う?」

「え、マテリアルさんが、付き合ったらいちゃいちゃするのか?ですか?」

「違うよ。あれ、…付き合いたてってどんな感じだろう?」

「えー、…あたしの見解では、付き合いたてと言うのは、愛が燃え上がるのではないかと言う、本当につまらない意見ですが、そんな感じですね…」

「ふむ。私たちの愛は、今、燃え上がっているというわけだが、これが、数十年したらどうなると思う?つまり、結婚して子供も生まれて、その子が、もしかしたら、成人しているかもしれない」

「えーーっとですね……。中々に難しい話ですが、あたしの見解では、…あの、それなりに落ち着くとしても、愛はあると思います。…だから、あれですね。若気の至りというものもあったりするのじゃないかと思います」

「ふむ。まぁ、その見解は概ね正しいといえるだろう。若気の至り。そういう物が私たちの間にもあるものね?圭一君」

「ああ、…そうかもね」

「人前でキスするのは、大分若気の至りかもしれないね」

「ああ、…ただ、…なんでもない」

「ん?なんだい?言ってごらん?デジタル君が聞きたがっているよ」

 これは、タキオンの口から出た真っ赤な嘘ではあったが、デジタルの心はそれ程外れてもいないような気がした。

「…ただ、…あれが無かったら、ああなる事もなかっただろ?」

 田上は、タキオンだけに伝わるようにしたくて、わざと曖昧に言ったのだが、残念ながら上手くは伝わらなかった。

「あれじゃ分からないね。さすがに、人知を超えた絆を持つ者同士と言っても、時と場合があるね」

「あー…、あれ、大阪杯の時、桜の木の下で。…あれをしただろ?」

「ああ、あれだね?デジタル君に隠すような事かな?それをしてるって事は、もうデジタル君にも伝わってしまっているわけだよ?」

「…別に、死ぬまで隠すような秘密でもないけど、…こう、人と人が付き合うきっかけとして、あの出来事はなんか複雑で話しにくいだろ?」

「まぁ、そうだね。…話を戻そう。あの桜の木の下での出来事が何だい?」

「…いや、…あの、…あれが無かったら、今はこうなってなかっただろ?」

「ああ、確かにそうだね。若気の至りと一蹴するのも…なんというかだね」

 このタキオンの言葉でデジタルは、二人が何をしてどうなったのかを察した。つまり、ここで、若気の至りという言葉を発するならば、それは恐らくキスだろう。人前でしたのかそうでないのかは別にして、キスであることに間違いは無いように思える。そして、「今はこうなってなかった」という発言からは、今の二人の関係を知るものであれば、容易に読み取ることができる。つまり、付き合っていなかった、という事だ。これらの事を併せて考えると、田上が言いたかったのはこういう事になる。

――キスをしていなかったら、付き合っていなかっただろ?

 この事を察すると、タキオンのベッドの端に自分の椅子を持ち寄って、腰かけているデジタルは、口の端をにんまりと上げそうになった。しかし、そんなはしたない顔を堂々とするわけにもいかないから、必死に堪えているとタキオンがこう言った。

「さぁ、…デジタル君、話せるかな?」

「あ、ひゃい!なんでございましょうか?」

「さっきの話の続きだよ。私が部屋に入ってきただろ?その後私はなんて言ったかな?」

 タキオンは、それを目を逸らしながら言っていた。だから、デジタルは、タキオンがこの出来事を自分の愛する人に直接言うのが、少し辛くて、それで語り役としてデジタルを誘ったのだと察しがついた。それなら、本望だ。

「な、なん…。えーっと、…――圭一君が私の事を嫌いだと言った、って初めに言いましたよね?」

「ああ、…そうだね。…そうだ」

 田上は、その時の様子が手に取るように理解できたので、少し眉を寄せた。しかし、何も話す事はせずに、タキオンたちが次に何か言うのを待った。

 タキオンもデジタルも誰かが何かをいうのを待っているような雰囲気だったが、やがて、おもむろにタキオンが口を開いた。

「……その時は動揺していたからだが、……まぁ、私は、デジタル君に髪を切れと迫ったね?あれはすまなかった」

「いえいえ、全然大丈夫です。あの、その素人の技術ながらもお喜びいただけたなら…」

「いや、素人とは思えない出来だったね。圭一君はどうだい?私が、デジタル君に髪を切ってもらったと言わなかったら、店で切ってもらったと思っただろう?」

「ああ、…ちゃんと切れてて凄いと思った」

 ははは…とデジタルが照れ笑いを漏らすと、タキオンがその顔をニコニコしながら見つめ、言った。

「今回の出来事は、大分、デジタル君の尽力のお陰で簡単に纏まった気がするね。本当に、いつも迷惑をかけてすまないね」

「いえいえいえいえ、本当に謝らないでください。タキオンさんのお力になれるだけで、あたしは、とってもとってもなんですから」

「いやいや、君にはね。私と同室になったというだけで、多大なる迷惑をかけてしまったからね。昔であれば、夜遅くまで机で書いていたこともあったし、帰ってこなくて研究室に君が探しに来てくれたこともあった。今でも、こうして彼氏との喧嘩で迷惑をかけてしまっているんだよ?謝らないと気が済まないじゃないか」

 すると、またデジタル「いえいえいえいえいえ」と反論してきたが、さすがに、これ以上の議論は不毛だと気が付いたタキオンが、苦笑しながらこう言った。

「まぁ、私は良い人たちに囲まれたよ。デジタル君も圭一君も優しいし、カフェだって優しくない事はない。赤坂君も良い奴だし、…マテリアル君はどうだろうね?鬱陶しいかもしれない」

 田上は、その言葉を聞きながらピクリと身動きをしたが、何も言わなかった。しかし、タキオンは、その沈黙から何かを感じ取ったのか、田上にこう言ってきた。

「何かあるかな?圭一君」

「……ある。けど、今、ここで話してもしょうがないと思う」

「いやぁ?私は、デジタル君に意見を聞いても良いと思うよ。私の予想が当たっているならだが」

「予想?」

「言ってもいいのかな?」

「……いいよ」

「ふむ。だから、これだろう?いつもの、――俺は優しくない、だろ?」

「…そうかもね。…でも、ここでそれを主張したって、…どうしようもないだろ?」

「いや、あるかもしれない。とりあえず、デジタル君に意見を聞いてみよう。 デジタル君、圭一君は、どうやら自分の事を優しくないと思っているようだが、どう思う?」

「あたしは、…本当にお優しい方だなぁとは思いますけど…」

「だそうだ。圭一君はどうかな?」

「俺は、……だから、ここでそれを言ったってしょうがないって思う」

「いやいや、しょうがない事はないだろ?君は優しいんだから、その事を君が知らないのはどうかと思う」

「いや、デジタル君の前だけどな、この際言わせてもらうと、…俺はお前の事は結構邪険に扱う事もあるし、優しい人だったら、険悪な雰囲気を出す前に、こんな言い合いをする前に事は起こらないだろ?」

「それは、果たしてどうかな?優しさというのは見せかけじゃないよ?本当に優しいという言葉が君に合ってるんだ」

「でも、本当に優しい人だったら、こんな言い合いはしないだろ?」

「だから、優しさというのは見せかけじゃないんだ。争いを避けるための優しさは、私の胃には受け付けないね。それには、少なからず、嘘が混じる事がある。君のは、向き合ってくれる優しさだ。君は、いつだって私に向き合おうとしてくれる」

「それは優しいのか?」

「勿論だとも。逆に、向き合ってくれない人が優しいといえるかい?ただ、表面的な笑顔を取って接してくる友達が優しいと言えるかい?」

「表面的には優しいと言えるんじゃないか?」

「じゃあ、君は、内面的には優しいと言える口だ。決して、表に出て優しいと言えるような優しさ、…それも備わっているとはと思うが、…内面的な優しさが君にはある」

「でも、…お前から逃げようとした時だってある」

「そりゃあ、この世に完璧な人間はいないだろ?どこかに必ず、愛すべき綻びがあったりするはずだ」

「じゃあ、なんで、お前は俺を完璧人間みたいに話すんだ」

「不完全な完璧人間だからだよ。私を想ってくれている。これ以上に完璧な事があるかな?」

「…でも、…お前を使おうとした」

「でも、私を想ってくれている。愛してくれている。これ以上に完璧な事があるかな?」

 タキオンは、これでどうだと言わんばかりに、少し声を張ってそう言っていたが、田上にはまだ言いたい事があった。――お前を愛している事は、俺には分からないんだよ。

 ただ、これを言ってしまえば、また、喧嘩をしてしまいそうで怖かった。だから、言わないでおこうと思うと、またこう思った。――争いを避けるために嘘を吐いたんじゃないか?

 そうすると、自己嫌悪の気持ちが出てきたが、とりあえず、タキオンにはこう返した。

「そうかもね」

 これを言うまでに少しの間があったのだが、タキオンは、その少しの間でも気に入らなかったようだ。怪しそうな声を出したが、追及する事はやめて、田上にこう言った。

「私たちの結婚式はどうする?」

「ん?」

 当然、田上は唐突な質問に戸惑ったし、デジタルの方もあまりの話の飛び方に「ひょえっ」と声を上げた。その二人の声を聞いて、苦笑しながら、タキオンは話を続けた。

「いや、家族だけにするというのは少し話したけどね。やっぱり、お世話になったデジタル君や赤坂君や…マテリアル君もカフェもかな?その人たちに、私の花嫁姿を見せないのもなんだか忍びないじゃないか。だから、その人たちにウエディングドレスか、…着物?を見せて上げられたらいいと思うんだけど、…そもそもどういう形式にするかは決めていなかったね。…どっちにする?私は、ウエディングドレスを着たいんだけど、君の意見も一応聞いておこう」

「日本の形式であれば、また考える事はあるけど、…ウエディングドレスを着たいのであれば、それでいいよ」

「じゃあ、それにしよう。君はどう思う?私のウエディングドレス姿。君のタキシード姿も見てみたいね。二人揃っていい感じかもしれない。…どう思う?」

「どう思うって?」

「私のウエディングドレス姿だよ。想像してみるだけでいいから、どう感じる?何を期待する?」

「……先の事を考えたってしょうがないだろ?」

 田上が、電話口で疲れたように言うと、タキオンが、先程の事を蒸し返してきた。

「私、さっきは何も言わなかったけど、さっきも妙な間があったね?何か隠してるだろ?私に言いたまえよ。彼女だぞ彼女。いずれ結婚すべき彼女だ。洗いざらい言いたまえ。デジタル君もそう思うだろ?」

「ひゃい!私めもそのように思います!」

 デジタルは、タキオンが彼女彼女と恋人同士であることを連想させる単語を出すので、その興奮により、少し声が上ずっていた。田上は、そのデジタルを無視しながらタキオンに言い返した。

「俺には、覚悟がないって話はしただろ?それだよ。まだ迷ってるんだよ」

「いや、…まぁ、私は、その事についてはあまり問題が無いように思えてきたよ」

「…なんで?」

「いや、それは、君の覚悟は初めから必要としていないからさ。…恐らくではあるが、君と私の結婚は、もう君の心の中で決まったように思う。君が、いくら表面の方で迷おうと何をしようと、君は、もう私から離れる事はできない。そうだよね?デジタル君」

「あっ、はい!そうであろうと思います」

「そうらしいよ。デジタル君も理解しているらしい」

「…じゃあ、俺が、ゴールデンウィークに行かない事を選択したら?」

「それはしない。私には絶対的確信がある」

「根拠は?」

「君が私を愛しているという事」

「それは定かじゃない」

「じゃあ、逆に聞くが、君は私の事を愛していないというのかな?」

「…愛が分からないといったのはお前だろ?」

「分かった。言い方を変えよう。君は私の事が好きだろ?一緒に居たいと思うだろ?大切にしたいと思うだろ?どうだい?圭一君は素直じゃないから答えにくいかな?」

「…答えにくいかもしれないね」

「いや、これに関しては譲る事はできないね。君が、私を愛していないと言うのなら、私は今すぐに泣いて君に縋らないといけなくなるが、君は、私の事を大切に思っているという事を知っている」

「…お前、よく、…その、デジタル君が居る前でそんな事が言えるな」

「ふむ。では、デジタル君、君の去る時が来たようだ。唐突ですまないが、自分の作業に戻ってもらっても構わない。私だけに彼が愛を囁いてくれるらしいからね」

「ひゃあ!ありがとうございます!」とデジタルの叫ぶ声が聞こえると、次いで、ドタドタと物音がして、静かになった。田上もそれに思わず、苦笑を漏らしたが、それには気付かずにタキオンが言った。

「よし、じゃあ、私にたんと愛を囁いておくれ」

 すると、また、田上は苦笑して言った。

「お前、同じ部屋だったら、デジタル君にも電話での会話くらい聞こえるだろ?」

「まあまあ、この場に居ないのであれば問題ないじゃないか。それに、絵や漫画を書いている時の彼女の集中力と来たら凄いものだよ?尤も、私たちが会話していると知ってて、絵や漫画に集中できるかは知らないが」

「それじゃあ、ダメじゃん」

「いやいや、これまでもこうしてここで話をしてきたじゃないか。今の話よりも恥ずかしい話をたくさんしてきたよ。全部をデジタル君が聞いていたかは分からないが、それでも幾つか小耳にしたりしたはずだ。それに、私たちの関係に関する相談もいくつかしたよ?今更、恥ずかしい話の一個や二個聞かせたくらいで、世界がひっくり返るわけでもないだろう?」

 それを聞くと田上も――まぁ、仕方がないか、という考えになったのだが、こうも言った。

「とんでもない彼女を持ったな」

 すると、電話の向こうの遠くの方で、「ひょー」という声が聞こえたような気がした。

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