ケロイド   作:石花漱一

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二十六、天皇賞・春②

 田上は、タキオンを引き連れたままマテリアルの下に戻った。田上もタキオンも、話し合いが解決して晴れ晴れとした表情ではなかったので、マテリアルは、「ちゃんと話し合いましたか?」と聞いた。すると、田上は「話し合った」と言い、タキオンは「話し合っていない」と返した。そこでまたタキオンが愚痴愚痴とマテリアルに文句を垂れつつ、田上との話し合いを再開しようとしたので、マテリアルは、自分が居る状況ではまとまりがつかないと考えて、慌ててそれを遮った。そして、改めて田上の方に話を聞こうとしたのだが、こちらはこちらで「話し合いは終わりました」と言い張って、真面な話にはならなかった。だから、マテリアルが今度はタキオンの方を向くと、タキオンは「圭一君がどうしても話そうとしない」と不機嫌そうな顔で言った。マテリアルには、こちらの方が、真実味を持った言葉に聞こえた。

 だから、マテリアルは、田上に「もう一度タキオンさんと話してこい」と言った。この言葉そのままではないが、言葉の雰囲気はそんなものだった。田上は、相も変わらず、「話し合いは終わった」と主張したが、マテリアルだって一歩も譲らなかった。その御蔭で、田上とタキオンは、また土手の方に逆戻りになった。田上の心は、今は、ほっとしたのかどうか分からない心地であった。表面上では怒っているように自分でも思えるが、その心の内側には、またタキオンと話せるという安心感もあった。結局、田上は、人の手を借りないとここへ戻ってくることはできなかったのだ。

 ここへ戻ってくると、表面的に怒っている自分も収まりを見せそうになった。タキオンは、田上の怒りが収まるのを待っているのか、何も話そうとはしてこなかった。先程のように、縋ってくっついてくることもなかった。だが、田上は、自分の怒りをできる限り収まらせたくなかった。理由は明確で、タキオンを己の傍に近づけておきたかったからだ。しかし、タキオンが何もしようとはしない以上、田上の怒りは収まらざるを得なかった。それが果たして、自然的に成り行きとして時間と共に怒りが消え失せたのか、それとも、タキオンへの依存心が諦めを付けたから、怒りが収まったのかは分からなかった。ただ、おかしな事に、世間体として、田上はこの怒りを出来得る限りとどめておかないと思った。

 田上がタキオンの顔を見ることもなかったし、タキオンが田上の顔を見ることもなかった。二人は、ただお互いがどのように出てくるのかを一生懸命に感じ取ろうとしながら、トレーニング場で走っている人々の群れを見ていた。田上は絶対に話す気はなかったが、話さずにいればいるほど、その心は不安にざわざわとしていた。丁度、その時になって、タキオンが口を開いた。その声は、少し田上を責めるようだった。

「もうそろそろ私に話してくれないと怒るよ」

「…話せるものなら話してる…」

「なら、私は、もう今すぐにでも話してもいいと思うんだけどね。…それとも、その事柄は、私には話すにも及ばない、取るに足らない物なのかい?」

「……そうかもね…」

「…ウソツキ。…彼女を困らせて楽しんでるんだろ?そろそろ楽しめなくなるよ。話したらどうだい?」

「…話せるものなら話してる…」

「…そればっかりだね。…本当は話せるくせに…。…いっその事、今、とてつもなく恥ずかしい事をさせてあげようかな?そうすれば、君の取るに足らない出来事も恥ずかしさに負けて、吐露してしまうかもしれない。…どうかな?良い案だと思うけど」

「…やってみれば?」

 田上は、気の抜けたような力のない口調で言った。その声色を聞くと、タキオンも今まで田上に向けていた視線を地面に落とした。

「やっぱり、やめておこう。…良い案だと思うけど、強引なのはあんまり好かないね」

「……いつもは強引なくせに…」

「おや?彼女の心をなぶって楽しいのかな?そこら辺の優しさはまだ持ち合わせているものだと思っていたけど」

 田上は、何も答えようとはしなかった。一度、「ごめん」という言葉が口から零れそうになったが、それはギリギリの所で羞恥心に押し留められた。田上は己の卑屈さを呪ったが、呪った所で出てくる言葉はなかった。相変わらず、心の中から自分を見つめながら、田上はトレーニング場を見るともなく見つめていた。ここから先をどうすればいいのか、さっぱり見当がつかなかった。自分の後ろめたさは相変わらずあるが、今はそれよりも自分の方に目が向いて仕方がない。タキオンの方を見てやってもいいが、見れるものなら今頃こんなに思い詰めてはいない。田上は、タキオンに縋るしかやりようがなかったのに、己に対して働く何らかの意地のようなものに負けて、タキオンが縋ってくるのを待つ以外にできずにいた。

 タキオンは、先程とは打って変わって、田上に取り付こうとはしなかった。ただ、冷静に一歩距離を取って田上を見つめているだけだった。田上には、それが耐えきれなくなって、今すぐにでも逃げ出したい気持ちに駆られた。今逃げ出せば、タキオンは追いかけてくれる。その気持ちが湧いて出たが、その中に卑屈さを感じると、田上はその衝動に抵抗を見せた。田上の心は、ふわふわとしていた。まるで、どこに落ち着きたいのかわからない調子で、タキオンの事を考えたり、自分の事を考えたり、リリックのことを考えたりした。そして、最終的に、話せない自分を責めた。何度か、話してしまおうかとも考えたが、考えるより先には行きつけなかった。どうしてもどうしても言葉というものが出てこなかった。その解決策を必死に心の中で考えようともしたが、それを考えようとすると、必ず別の事を考えようと頭が働いた。田上には、どうすることもできず、段々と自分に憤りを募らせていった。そうした中でタキオンがまた口を開いた。取るに足らないこんな言葉だった。

「私は、君の事を心底愛してるよ。……君はどうなんだろうね…?」

 遠いところから話しかけているように、田上の耳には小さく聞こえた。本当に自分に話しかけられたのかすら怪しくて、田上は答える事を諦めた。すると、タキオンがまた言った。

「君に一番近い人は私だと自信を持って言える…。…言えるだけかな?私はそうでも、君はそうではないのかな?…君は、私が傍に居ても一人で居るのかい?」

 ここで、急に田上の口の自由が利くようになって、言葉を発した。

「………遠くはない……」

「遠くはない?…どう答えれば良いのか分からないけど、…私に対してデレてくれているってことでいいのかな?…いや、別に答える必要はないが、やっぱり君は私の事が好きだと思うんだよね。…これには答えてもらおう。どうだい?私の事が好きだろ?」

「………そうかもね……」

「……あんまり要領を得ないね。……なんで怒っているんだい?なにかに腹が立っているんだろ?だから、私に帰れなんて言ったんだ。……君が話すのを待てば良いのかな?」

 田上は、これには何も答えずにいた。

「…まぁ、話さないだろうね。…やはり、キスが最終手段なのかな?…あんまり強引な手は使いたくないんだけど、君への最大の信頼を示すのならそれが最善手かな?…そもそも、こんなに好意を伝えているのに、話そうとしてくれない君がいるんだよな。信頼を示すというのは、今は、問題ではないのか?」

 これを聞いていると、田上は自身にとって、タキオンの考えが芳しくない方に行っているように思えた。自分の胸のざわめきに顔をしかめながらも、田上は何も言えずにいた。そして、タキオンは尚も話を続けた。

「それが問題でないのならば、何が問題だ?…圭一君の心だろうね。…それは分かってる。君の心はどうなんだ?どういう風に動いてる?…信頼を信じてくれない。…君らしい。…中々折れなかった君が今も存在している…。それはそうだ。簡単には行かないものだ。…なら、どうすればいい?手軽にキスをした所で、君の心を癒せやしない。冷静でなくてはならない。…どうすればいい?…どうすればいいと思う?圭一君」

「……知らない……」

「ふむ、……ふむふむ、必要なのは冷静な対話だ。私が君に取り付こうとしてはならない。それは、君の感情を満足させた所で、考えを変えようとはしない。……だから、…根気強くしないといけないなぁ。…そこで、私の感情も収まりがつかなくなるんだよ。…でも、これをなあなあに通り過ぎさせることはできない。なんとしても、君に吐き出させなきゃ、彼女としての名が廃る。彼女に相談しないで誰に相談するんだい?霞にでも相談するつもりかい?それとも、霞を食べるだけで我慢するのかな? どうだい?君はこれをどう思う?彼女に相談しない人間をどう思う?答えないなら無理に吐かせる」

 先程、「必要なのは冷静な対話だ」と言っていたくせに、最後に「答えないなら無理に吐かせる」と言った豹変ぶりに、田上は思わず笑みを浮かべそうになったが、それをしっかりと押し留めると、何も答えないという事を選択した。すると、タキオンは、田上の絶対に動かない視界の端からひょいひょい近づいてきて、恋人のような距離まで近づくと言った。

「あんまり無理には吐かせたくないんだけどね。さっき、冷静な対話が必要だと行ったばかりだし…。…これだけは聞かせておくれよ。私が一番親しい人だろ?君のお義父さんや幸助君あたりに、私に話したように赤裸々に話せるかい?」

 田上は、ここでも何も答えなかったので、タキオンは話を続けた。

「友達にだって話せないだろ?…言わば、私は、君の裸が見たいんだよ。君の露わになった心が見たい。何もかも打ち明けてほしい。君は私にそう願った。なら、私も君にそう願ってもいいだろ?」

 ここまで話されると、田上の心も揺らいできた。元々、揺れに弱い心だったので、こうなるのも当然のようであった。しかし、この田上は、自然の摂理に従って、自分の心が揺るがないものであるように演じてみたかった。決して、揺るがないものであると自負できることはないが、それでも、自分の心が揺るぎのないものだと信じて、意思が固く頑固な男だと思ってほしかった。そうすれば、タキオンはもっと自分の事を見てくれそうだと思った。

 ただ、タキオンの冷静な言葉によって、その心は、徐々に緩やかな流れに解かれて、遂にタキオンにこう口を開いた。

「……嫌いにならないと言える?」

「嫌い?ならないよ。なるわけ無いだろ?君の事が好きなんだから」

「……本当に好き?」

 田上は、タキオンの顔を見ずにそう聞いた。

「本当に好きだよ。結婚の話だって幾度となくしただろ?昨日にだって、子供の話をした。今は無理だけど、私は、本当に君と結婚したいと思っている。…君は、…見た所、まだ迷っている?ように感じるね。…どうだい?」

「……本心を言って、…嫌いにならないのか?」

「嫌いになんてならないよ」

「…例えば、俺の本心が、お前の事を嫌いだとしたら?どうする?お前が好きな俺は、もういないわけだよ」

「…難しい質問だね。…難しい…。…多分、一時はまだ君の事を好きで居ると思うよ。そんなにぱっと切り替えるのは、さすがに私でも難しいから。…でも、君が私の事を嫌いだというのであれば、……諦めるより他はないよね…。君を殺す…みたいな事を言ってたけど、……難しいものだし…。…でも、君が私に諦めさせないのであれば、私は君の事が好きだよ」

「……なら、愛ってなんだと思う?自分の好きな人が、自分を嫌いになった途端に好きでなくなったとしたら、愛っていうのはどんなものだと思う?死ぬまで人を愛するっていうのは何だと思う?」

「……私にも分からないよ…。…でも、…なんだろう?…性欲と愛の関係ってなんだろうね?私は、今は、愛とは人を想う心だと思っているけど、実際にそう考えてみると、なんだかそれもあやふやなもののように思える。自分を想ってくれなければ、人の事は想わないという事?…――それ程に淡白な物でいいのか?というのが、君の考えだね?」

「…ああ」

「…どうなんだろう?そんなに高尚なものなのかな?愛って。もっとドロドロとしているものなのかな?」

 タキオンはそう言ったきり、黙って考え込んでしまった。田上も同じようにして、今の自分の発言とタキオンの発言を考えていた。ある本では、愛の事を最も貴むべきものとして扱っていた。ある本では、恋愛の最中に訪れた縺れたものの間に形のない愛を探していた。その主人公は、結局、答えには辿り着けなかった。自分はどうなのだろうか?果たして、そのような高尚なものが自分の中に見つかるのだろうか?木下一抹は、『愛の名の下に』の歌詞の最後を「分かんないや」で終わらせていた。それで良いのだろうか?もっと、もっと、高尚なものがあるのじゃないだろうか?

――もしかすると、考えすぎかもしれない。

 その考えが田上の頭に浮かんだが、今は考えずにはいられなかった。一度気になってしまった以上、その事について思いを巡らせないというのは、答えが見つけられない限り辞めることはできなかった。田上には、なんとしても自分を安心させ得るべき答えが欲しかった。

 タキオンは、大阪杯の時に、「愛とは、全てを持っている」と言っていた。そして、今回は、「愛とは、人を想う心」と言っていた。今の言動と大阪杯の時の言動に、なにか違いが在ったのだろうか?言葉に対して、意味があるのだろうか?ただ、タキオンは、自分の心の中に適当に浮かんだ言葉を言っているのじゃないだろうか?

 その事が気になって、隣りにいるタキオンを、知られないようにそっと見てみると、タキオンも丁度こちらを向いていた。そして、ばっちりと目が合うと、タキオンは「じっとしてて」と言った。その後に、何を想ったのか、田上に体を寄せると、顔を近づけてそっと唇を重ねた。あんまり長いものではなかったが、十分に自分がキスをしていると分かる長さでタキオンは調整した。田上は、何の抵抗もしなかったが、キスが終わって、またタキオンと目を合わせた時、思わず「なんで?」という言葉が静かに口を衝いて出た。

「…なんでだろうね?」

 タキオン自身もあんまり分かっていなさそうだったし、無理に答えというものも出そうとはしなかった。それで、田上もタキオンと見つめていても何もすることがなくなって、また、前の方を向いた。しかし、段々と疲れというか、気が抜けたような心地がしてきて、体が自分の重みに耐えきれなくなり、田上はごろんと土手に寝転がった。

 すると、タキオンも田上につられて横にごろんと寝転がって、寄り添ってきた。田上は、タキオンを跳ね除けはしなかったが、同時に、気を許そうともしなかった。寄り添ってくることは許したが、その心では、タキオンが今からどんな事をするのだろうかと、半ば疑念を持って窺っていた。しかし、タキオンは、田上に寄り添う事以外のこれといった行動はしなかった。すると、次第に田上もタキオンに気を許しても良いものかと思って、今まで頭の下に敷いていた手を出すと、タキオンの頭をそっと撫でた。タキオンは、一瞬ぴくりと身じろぎをしたが、撫でられている事については何も言わず、むしろ、嬉しそうに田上の腋の下あたりに頬擦りをした。それから、こう言った。

「なんで撫でてくれるんだい?」

「……なんでだろうね?」

「…私も君と同じだよ」と言いながら、タキオンは半身を起こして、田上の視界に映りに行った。

「私も、君の事が好きなんだよ」

「…そうなのかな…」

 田上は、力無く宙空を見つめながら言った。

「そうだよ。君も私と同じだと思う。 私の事が好きなんだよ。好みじゃないって事はないだろ?」

「……嫌いじゃない。…けど、愛って何…?」

「私は君が好きだ。君は私が好きだ。それで良いとは思わないかい?」

「………いや、…思えない。……どうしても、…気になる気持ちは分かるだろ?」

「分からないでもないね。……はぁ、詮無い男だね、君は。私の事が好きならそれでいいのに…」

「…お前だって、気になることがあるくせに。…俺から見れば、お前にだって好きならそれで良いのに、と思う時がある…」

「…そりゃあ、…私だって君が好きだからね。…やりにくいこともあるさ」

「宝塚なんて走らなくてもいいのに…」

「……今、その話をひっくり返すかい?私は嫌なのだけれど…」

「…もう出走登録をしたから、引き返しようがないよ…。…同棲も考えてるのに…」

「同棲も考えているんだったら、尚の事私に話さないとしょうがないよ。いずれ消化されるいざこざだ。後に引き伸ばしていたってしょうがないことだからね」

「本当に消化できると思う?」

「思うよ。…言ってみてごらん。決して、私は君の事を嫌いになったりしないよ。…その事は、私と同棲をしたがっている君が一番良く分かっているはずだけど」

「分かっていたって、…しょうがないよ…」

「なぜだい?分かっているのならば、私が君の事を嫌いになるという発想自体が出てこないじゃないか。なら、君は、私と同棲したいと考えれば良いはずだよ」

「お前が同棲したくなかったらどうする?」

「同棲したい。私は、君にそう意思表明をしている。子供も作りたいと言った。これ以上に、君が好きだという意思表明があるかい?あるなら言ってみたまえ」

「……でも、同棲はできないだろ?宝塚で…」

「そりゃあ、…そりゃあね、そうだよ」

「なら、俺よりも優先したい事があるって事だ」

「そりゃあ、そうだよ。私の不安感も君は十分に熟知しているだろう?だから、その時は私を助けてくれなくちゃ。それとも、君は、さっきみたいに私に――帰れと怒るのかい?怒るだけで済ませようとするのかい?」

「…それは、できない…」

「それをさっき君はやったんだけどね」

「…ごめん…」

「私の目を見て言って。君も私の顔をたまには見てくれないと寂しいよ」

 そう言われると、田上は、顔だけを上げて一瞬だけタキオンの顔を見た後、また、空を見上げるともなく見上げながら「ごめん…」と言った。それに、タキオンは「いいよ」と微笑しながら返した。

「面倒臭い女だね、私も。嫌なら捨ててくれても構わないよ」

 田上は、このことに対して一瞬の迷いを見せたが、その後に「捨てないよ…」と答えた。タキオンは、田上が一瞬迷ったことに、当然気がついて、こう言った。

「今、私を捨てる事に迷ったかい?」

「……捨てたくはない…。お前が、…悲しむ…顔も見たくない。……でも、…でも、……ここで捨てれば、……どうにかなるかと一瞬思った。……捨てたくはない。一緒に居たい」

「お互い面倒な人同士だね。君の言動が矛盾しすぎていて、見ていて疲れるよ」

「俺だって疲れる…」

「私だって疲れるとも。…と張り合っても意味は無いのだけれど、…これからどうするつもりだい?私に打ち明ける気にはなった?」

「……お前が俺を嫌いになるかもしれない」

「でも、私は嫌いにはならないよ」

「よっぽどの事を打ち明けられたら?」

「例えば?」

「……お前は俺の娘だった」

「じゃあ、君は、八歳で人と子供を作ったのかい?なんという大胆な生き物だね」

「…俺は殺人者だった…」

「…君が殺人者?……そんな想像をすること自体がナンセンスだと思うけどね。君に人を殺すほどの衝動があるとは思えないし、お義父さんからもそんな話は聞かなかった」

「息子の汚点を喋るほうがおかしいだろ」

「いや、お義父さんと二人で話す機会があったが、その事については、全く触れられなかった。家族の雰囲気からも、君は蔑まれているようじゃなかった」

「人を殺せば、俺は蔑まれるのか?」

「それは危ういけどね。君が気にしている物事の本当の部分はそれではないはずだ。もっと、別の所にある心が、私を試そうとしている。私が、絶対に逃れられない質問をわざわざ目の前に提出して、あなたはこの問題をどのように考えますか?と聞いている。答えなんて分かり切っているのに。今、君が気にしているのはそんなことじゃないだろ?」

「…そんな事かもしれない…」

「君がそう言うならそれで行ってみていいけど、そしたら、君は私にどんな答えを望むんだい?そりゃあ、さすがに私だって、人を殺すような人と会ったら怖いよ。と言うか、君は私の傷をえぐりたいのかい?……あれだよ?あんなに泣いのたのに、まだ、私を泣かせ足りないかい?」

「…そんなつもりじゃなかった」

「…まぁ、それは分かってる…。…でも、私は、人を殺したのが君であったら無条件でその場から立ち去るという事はしない。絶対に色んな質問を投げかけて投げかけて、それでも君が救いようのない見下げた奴だったら置いていくしか無い。ただ!それは、絶対にありえないことだ。君は人を殺さない。昨日、君が私を信じてくれたように、私も君を信じる」

「…でも…、人を殺した人間に救いがあると思うか?…救われるべき倫理的要素があると思うか?」

「そりゃあね、人を殺した人は、その時点で相当な状況に追い込まれている。ましてや、君のような人間が、もしも、誰かを殺したとするならば、本当ににっちもさっちも行かないような状況に追い込まれたのだと私は思う。誰かは知らないが、適当な被害者の事を思えば残念だろう。でも、私は、君の方も同じくらい残念に思う。勿論、殺した時点で倫理的な物からは外れてしまっているだろう。…これを議論した所で何の意味がある?君は、人は殺さないんだ。もしも君が人を殺すようなら、君と一緒に私も死んでやる」

「…死ぬなんて言うなよ」

「じゃあ、その代わり、私が誰かを殺したら、君も一緒に死んでくれ」

「…死ぬのは嫌だなぁ…」

「なら、この議論は終いだ。君は、誰も殺しはしない事は分かりきっている」

「…なら、事故で殺したら?俺はどうしたら良い?今のは、俺が故意に殺した時だった。事故の時は?」

「その時は、もし君が死にたいんだったら、私も一緒に死んでやる。この議論は終わり。いい加減にしないと、その口を塞ぐよ?」

 すると、田上は、虚空を見つめたままこう言った。

「ちょっと塞いでみて……」

「ちょっと塞いでみて??バカかい?君は」

「バカでもいいから少し」

「大衆の面前だよ?」

「そんな事気にするお前じゃないだろ?」

「ならいいけど…」と多少迷いながらも、タキオンは田上の上に覆い被さると、軽い時間をかけてキスをした。そして、唇をそっと離すと、田上に覆い被さったままこう聞いた。

「なんで急にそんなに甘えたんだい?」

 田上は相変わらずタキオンではない場所を見つめながら、それでも、ほんの少しだけ表情を柔らかくして言った。

「タキオンがキスをしてくれるって言ったから……」

「まぁ、言うには言ったが、…らしくはないね。…いや?らしいのかな?」

「…お前の事が好きだよ」

 田上がそう言うと、考えるために一点をじっと見つめていたタキオンが田上の顔を見た。田上も今はタキオンの顔を見ていた。そして、二人共口元に微かな笑みを浮かべたまま見つめ合うと、再び、ちょこんとキスをした。キスをされると、田上が言った。

「なんで今キスをしたんだ?」

 少し冗談めかしているようにも聞こえたが、タキオンは普段と変わらない調子で答えた。

「キスをしたかったから。…そう聞くと、私たちは冷静に話せていないのかもしれないな」

 それで、タキオンが田上の上に覆いかぶさるのをやめようとしたから、田上が少し手を上げてタキオンに縋るように「嫌だ…。行かないで」と弱々しく言った。そうすると、タキオンは、嬉しさを堪えている笑みを浮かべて言った。

「そんな風にされると、私も君と同じようになっちゃうじゃないか。私も君の事が好きなんだぞ。好きで堪らないんだからな。それで、二人共君のようになっちゃうと、もうどうしようもなくなる。せめて、どちらか片方は理性を持っておかないと」

「嫌だ。…傍に居るって言って…」

「それは、私の願望だよ。むしろ、私の方が君を傍に置いておきたい。 でも、今の話はそうじゃない。傍に居るって言った所で、君は満足できないじゃないか。こんなにキスもして、好きと言っているんだぞ。もうそろそろ――好き、と言った数は百を超えてもいいんじゃないかな?」

「…数なんてなんでもいいよ…。傍に居るんだろ…?」

「…傍に居るのかどうかは、…君の態度次第だな」

「…どんな態度を取れば良い?」

 タキオンは、ここで一瞬言葉に悩んだ後、こう言った。

「私に話して…。君の後ろめたいことだって何だって、私が飲み込んであげるから」

 そう言われると、田上は、少し宙空を見つめて考え込んだ。目は何も見ようとはしていなかったので、タキオンがわざわざ田上の視点の中に入ると、田上はタキオンに焦点を合わせてから言った。

「…言ったら嫌われる…」

「嫌わないよ。ずっと好きだよ」

「…違う。…幻滅するかもしれない。嫌いになるとかそんなんじゃない…。ただ、…俺が駄目な奴だって…」

「駄目だっていいよ。君だって、私が悪い女でも好きでいてくれると言ったじゃないか。…その約束はどうするんだい?君が私に話してくれない以上、ただ、ぼんやりと二人で過ごしたまま成り行きに流されて別れる未来しか見えないよ?私は、君に話してほしい。もう、子供も作れるような年齢なんだよ?相談事だって何回もした。君の心にある悩みだったら、なんでも受け入れられる自信がある。君は分かっていないかもしれないが、君が思っている以上に、私は君の心の敏感な所まで入っているんだよ?」

「…本当かなぁ…」

「本当だとも。何回君の話を聞いてきたと思っている?何回、君が――死にたいと言った時、――傍に居続けると返したと思う?両手の指じゃ数え切れないくらいだね。 今だって、そのカウントは進んでいるよ。絶対に君の傍に居るから。ちょっとやそっとじゃ私は離れないから」

 そこで、田上が口を開いたのでタキオンは言葉を切った。しかし、田上は、口を開けた後に、すぐにまた閉じて話す事を諦めた。だから、タキオンが優しく「なにか言いたいことがあるのかい?」と聞くと、田上も陰気にこう言った。

「……俺がもし、ソレを言ったとして、…お前の心に疑心が芽生えたとすると、どうする?」

「疑心?」

「……本当に俺が好きなのか…」

「疑心なんて抱かないと思う」

「…もし、その疑心がすぐには芽吹かずに、お前の心の底の方で燻り続けたら?いつか、不図した拍子に、別れることを選んでしまうかもしれない…」

「そんな事はないと思うね。…君、考え過ぎなんだよ」

 タキオンは、口ではそう言ったが、田上には、タキオンの口調に先程あった自信の影が衰えたように感じた。まるで、田上の不安が、タキオンにも感染しているようだった。その事に少し申し訳なく思いながら、田上は続きを言った。

「俺には、あるように感じてしまう…。…ごめんな…」

「なんで謝るんだよ。私達恋人じゃないか。言えよ。言わないと、なにかするぞ」

「…なに…?」

「…キス。私達恋人なんだからな。私は絶対に君から離れないからな。何があっても離れない。君は私から離れたがっているようだけど、私は絶対に離れないから。…言いたいことはそれだけでいいのかな?」

「…ああ…」

「良くない! 言ってくれよ。絶対に私は離れないんだ。疑心なんて芽生えようとも私は離れないから」

「…疑心があったら、離れるかもしれない…」

「かもしれないだろ!そんなのなんの根拠も無いじゃないか!…君はあれだよ!愛が不確かだから、私と離れたがっているんだ!一番私から離れたいのは君だろ!嫌だ!離れないでくれ!」

「離れるつもりはない…」

「いや、分からないね。そんな顔してて、離れるつもりがないと言われても、大抵の女だったら離れるつもりがあるんだと解釈してしまう。 君はアレだ!自分が傷つくのが怖いんだ!いつか不図した瞬間に、私から振られてしまうのが恐ろしくて、その前にもう自分は振られてしまうものだと、自分自身に言い聞かせているんだ!だから、そんな妄想が出てくるんだ!……はぁ…、私は、君の事を愛してるよ…。…君はどうなんだい?」

 田上は、初めこれに答えようとはしなかったが、タキオンが「答えてくれ」と半ば疲れながら、それでも、優しさを見せようとして言った。田上は、その言葉を受けると、ゆっくりと口を開いた。

「好きだよ…」

「そしたら、君の心に忠実にいていいじゃないか。私に振られてしまうなんていう恐ろしい妄想はせずに、私と一緒に居たいと思えばいいじゃないか。それじゃ、君の心は満たせられないかい?ずっと一緒に居ると言っている私が傍に居るだけじゃ、君の心は満たせないかい?」

 タキオンがそう言うと、少し悩んだ後に田上が言った。

「お前のそれは、…信用できないんだよな…」

 その後に「ごめん…」と付け加えたが、言った言葉を取り消すことはできずに、タキオンは少々不愉快そうな顔をしながら言った。

「私の言葉は軽いと言いたいのかい?」

「…そういうわけじゃない…。ただ、…俺が信用できないってだけ」

「…分かってるよ。私だって君に依存心が働いているから。…ああ、なんでこんなに面倒な事になったんだろう…」

「…出会っちゃったからな…」

「そうだよ。元はと言えば、会長が私達を引き合わせたんだからね。会長にお礼参りは絶対にしなくちゃならない!」

「…出会いたくなかったのか?」

「そんな事無いさ。ただ、君との恋がもっとスムーズに運んでくれたら、どんなに楽だったのだろうかとありもしない妄想を抱くだけだよ」

「…ごめんな…」

 田上は、少し震え声になって言った。

「違うよ。君が謝る必要なんて無いよ。この恋を複雑にさせた要因に私も居るんだ。私こそ、君に迷惑をかけてごめんと言いたい所だね。…ごめんね、君に必要のない苦労をかけているかもしれない。…そして、今後もかけるかもしれないから、そういう時は助けてね。私も絶対に君を助けると誓うから」

「…俺だって、お前が誓わなくても助けるつもりだ」

「なら、今まで話していた問題は問題ではなくなったね。例え、君は、私が君の事を嫌いないなったとしても助けるという事だ。まったく、男らしいね。惚れてしまうよ」

 タキオンがそう言うと、この問題を話し始めてから初めて、田上がちゃんとした笑みを浮かべた。

「それは、…どうなんだろうな?」

「助けるとも。君がそう言うんだから間違いないし、今までの行いを見ててもそうであることが分かる。いい男だよ、圭一君は。こんな私を拾い上げてくれたんだから」

「こんな私って、お前はよく言うけど、お前も十分にいい人だよ?ちゃんと人の事を想えるだろ?」

「そりゃあね、今は、君との同棲生活を目指して必死だが、昔は、研究バカだった。全く、もう少し君のことを思っていれば、今よりも早く君と付き合うことができたのに」

「そしたら、俺は俺で、まだお前の事を好きじゃなかったかもしれない」

「…そう…かもね。…まぁ、過ぎた事をあれこれ言っても仕方がないが、あの時は、周りを見る余裕なんてなかったって言った事があるだろ?私は、一人で事を運びたかった。君に心配させる必要もないと思ったんだよ」

「でも、スカーレットさんとかフジさんとかカフェさんとかデジタル君とか、お前を慕ってくれる人は結構居ただろ?俺もそうだけど」

「…カフェが私の事を慕ってくれているのかどうかは分からないが、…まぁ、なんで私の友達で居てくれたのか、不思議な所ではあるね。特に、デジタル君には日頃から多大なる迷惑をかけているしね」

「それは、お前が良い奴だったからだろ」

「良い奴?…分からないね。トレーニングを連日サボったことだって何回かあっただろ?君は腹は立たなかったのかい?」

「…まぁ、お前ってそんなもんだし…」

「ハハハ。そんなものかい?…結果的に、君に信頼を寄せていないと思わせてしまったのに…?」

 タキオンは、少しだけ沈んだ面持ちでそう聞いた。

「でも、…十分に挽回したと思ってるよ。…挽回って言葉もあれだけど、今、こうしてお前と居られてるんだったら、俺はそれでいいよ」

「なら、万事解決だね。君の私に対する後ろめたさもなくなった。…今なら、言ってみても良いんじゃないか?何が、私に対して君の後ろめたさを掻き立てたんだい?」

 そう言われると、田上は顔を上げてタキオンを見た。タキオンは、もうすでに田上に覆い被さるのをやめていた。体勢が地味に辛かったので、徐々にそこから離れていたのだ。それは、別に田上も止めようとはしなかったし、あんまり気づいてもいなかった。ただ、田上の視界の端に常にタキオンが居たので、田上はそれで良かったのかもしれない。

 タキオンは、田上の横でしっかりと田上の顔を眺めながら、正座を横に崩した体勢で座っていた。土手だったので、そうすると少し寝そべっているようでもあったが、タキオンはしっかりと田上の顔を見ていた。田上は、その姿を一度じっくりと眺めた後にこう言った。

「言うの?」

 少し動揺気味の言葉だったのが、自分でも分かったし、タキオンにも伝わった。タキオンは、微笑を浮かべると言った。

「まぁ、無理に言う必要はないが、できれば教えてほしいね」

 すると、田上は暫くの間、言うか言うまいか視線を宙空に泳がせて迷った。今なら言っても良いような気がしたが、いざ言おうと思ってみると、少し怖いような気もしてくる。それでも、なにか言わねばならないという気がしたから、田上は、タキオンを不安そうに見ると、また聞いた。

「怖くないか?」

「私は大丈夫だよ。多分、なんでも受け入れられる自信はあるよ」

「多分?」

「まぁ、君がよっぽど飛んでもない事を言わない限りは大丈夫さ。それとも、よっぽど飛んでもない事かい?」

「よっぽど…?でもないような気はするけど、よっぽどだと思うと、よっぽどな事のようにも思う…」

「なら、大丈夫だ。一回、えいと踏み出してごらんよ。それだけのことだから、案外簡単で、私の反応に拍子抜けするだけかもしれないよ」

 それでも、田上はタキオンの事を悩ましい面持ちで見た。

「本当にそれだけで済むと思う?」

「それだけだよ。私がどれだけ君を愛してると思う?君が私を嫌いになっても当分は愛し続けるくらいには、君の事を愛してるよ」

 その言葉を聞くと、田上はまたタキオンではない所を見つめて、考え込んだ。タキオンは、田上に無理に聞き出そうとはせずに、その口が動き出すのを待った。そして、暫く悩んだ後に、田上が不安そうに言った。

「怖くないか?」

「大丈夫だよ。それに、もう、私も無理に聞くつもりもない。これだけ君と話せれば大丈夫だ。君が私の事を好きってことは分かってるし、君自身も私と一緒に居ることを選択してくれるから。嫌なら話さなくてもいいよ。別に、今じゃなくても、後からゆったりとした時間の時に話してくれれば良い。今なら無理で、後から気が変わって話してくれるということもあるからね。まぁ、今の所、私としては冷静に君と話せた…、話せたかな?…まぁ、だから、全然大丈夫さ。君への信頼は揺るがないよ」

「えぇ…」と田上は情けない声を上げて、また、タキオンから目を逸らした。どうにも迷っているようだったが、迷っているのであれば、自分が口出しすることはない。タキオンはそう考えて、ゆっくりと田上を見守った。田上は、時折、不安そうにチラチラとタキオンを見つめ、口を開こうとしたが、次の瞬間には苦々しげな顔をして、また別の方向を見た。それを何回か繰り返した後に、田上は意を決してこう言った。その時の様子は、とても不安そうで、手を握ったり開いたりして、頻りにキョロキョロと目を動かしていた。

「き、嫌いになったりしないか?」

「大丈夫だよ。君のペースでいいよ。手でも握っておいてあげようか?」

「…ああ」

 そう言いながら、田上は半身を起こしてタキオンの横に座った。そして、タキオンに左手を出すと、タキオンが微笑みながらその手をそっと握って、安心させるように揉み始めた。田上は、暫くその手の様子を見つめていたが、不意にタキオンに目を上げると、苦悶の表情を浮かべて言った。

「…嫌われるのが怖い…」

「大丈夫だよ。滅多な事じゃないかぎり、私も君と同じように、君の事を嫌いになったりしない。君を殺すと言った女を好きでいてくれるんだよ?それに報いなくてどうする?」

「…報いるためにお前が苦しむと、俺が困る…」

「じゃあ、分かった。私が報いなくても、私の心がそれに報いようとする。絶対だ。君が向けてくれた優しさに、私は必ず応える。何度躓こうとも、君が私の事を好きでいてくれている限り、私も君の事が大好きだ」

 そう言ったタキオンの顔を、田上は嬉しさと苦しさの入り混じった顔で暫く眺めた。タキオンも、躊躇いなく見つめ返した。すると、田上は一瞬目を逸らしてから言った。

「お前は、俺の事が嫌いにならないかな?」

「ならないだろうね。今言ったように。 君の事が大好き」

「…ありがとう。……でも、……お前に嫌われるのが怖いんだよなぁ…」

「そんなに恐ろしいかい?」

「そりゃあ、……この世で俺を好きでいてくれるたった一人の人だから…」

「別に、私と同じように、君も好かれていない事はないんじゃないかな?」

「……そういうことじゃない…。…好きって言ってくれるたった一人の人だから…」

「はぁ…」とタキオンはよく分からなさそうに頷いた。

「……父さんも幸助も…霧島とか国近とか鳩谷とか田中とか、俺を嫌いじゃないって事は、何となく分かるんだけど、……何と言うか…、俺が、あいつらのことが嫌いなんだよ。…別に、心の底から嫌いってわけじゃないんだけど、…たまにゲームとかしてても…馴染めないんだよなぁ…」

「ふむ…。興味があるね。……続けてくれ」

「続けて?…別に、それ以上に話すことはないけど…」

「…私以外にいないって事かな?」

「…ざっくり言えばそう。…お前以外に、心を許せない…?」

「…まぁ、私に心を許すのも大分長く話さないといけなかったからね。そりゃあ、君も私に心が許せるようになるさ。…あれだね。君の心が私に報いようとしたんだ」

「……俺は、…お前だけなんだよ。…一緒に笑えるのがお前だけなんだよ。……だから、……だから、…嫌いにならないでほしい…」

「…まぁ、私の心も君と酷似してはいる。…私も君に嫌いにならないでほしいもの。私も、君以外にはいないからね。ずっと手を繋いでいたい…」

 それを言う少しの間だけ、タキオンの顔から笑みが薄れて悲しげな顔になった。

「…俺もそう。…お前以外に居ないから、お前にだけは、嫌われると生きていけないかもしれない。…やっと、…できた好きな人なんだよ…」

 この田上の言葉を聞くと、タキオンは、また悲しげな顔をして言った。

「君の気持ちも十分に分かるよ。私も同じだもの。…無理に話さなくてもいいよ」

「…でも、…でも、話しておかないとお前の言ったように成り行きに流されそうで、これも怖いんだよ…」

「いいよ。なんでも。私は君の傍でちゃんと話を聞くから」

「……どうしよう…。助けて…」

 そう言って田上は、タキオンの方に少し近寄った。その体勢が、タキオンには田上がキスをしてくるように見えたから、少し動揺したが、田上はただタキオンに少し近寄っただけだった。すると、タキオンも合点が行って、田上を自分に寄り掛からせて楽にさせてあげようとした。しかし、田上は自分から近づいてきたくせに、すぐに離れてこう言った。

「あんまりあれか」

「あんまりどれでもないよ。助けてほしいんだったら、いつでも寄り掛かっていいよ。なにしろ、君から見たら私はただの女の子とかも知れないが、君とは体のモノが違うんだ。それ加えて、アスリートだ。根本からモノが違うから、いつでも寄り掛かりたまえ」

「違うよ。なんか、恥ずかしいなって事だよ。変な事した」

「いいよ。君が寄り掛かってくるのも、私にとっては嬉しいもんだ。むしろ、もっと寄り掛かってほしいくらいだね」

「…まぁ、なんでもいいけど、…話したほうがいいのかな?」

「別に、どちらにでもしたまえ。私も君を無理に引き止めはしないし、君が話したいというのならちゃんと待ってやる。選ぶのは君自身だ。まだ、悩む余地があるかい?」

「……ある…と思う」

 そう言ってから、田上は少し含む事があるような目つきでタキオンをチラリと見やった。タキオンはそれを無言のままに首を傾げて、なにかあるのかを聞いてみた。しかし、シャイボーイの田上が自分から何かを話すという事は、滅多なことじゃない限りあるわけがなかった。だから、タキオンは、もう一度、今度は口を開いて聞いた。

「なにかあるのかな?私にしてほしいことでも?…キス?」

「…違う。…ただ、…決まるまでタキオンの傍で…休ませて、ほしいなぁ…と」

「ふむ、お安い御用だね。いいだろう、と言いたい所だが、どんな風に休むんだい?ここから離れてベンチの所に行くかい?」

「いや、…寝転がって傍に居て。……それで…」とここで田上の言葉が切れてしまったので、タキオンは「それで?なんだい?」と聞いた。

「それで、……あの、…さっきみたいに手を揉んでてほしぃ…」

「なんだ、お安い御用だね。手を揉まれるのが好きなのかい?」

「…別に、好きってわけじゃないけど…」

 そこでまた、田上の言葉が切れてしまったので、タキオンは続きを自分の口で代弁してやった。

「嫌いってわけでもないんだろ?いいとも。一つ君の好きな所を見つけられたね。手を揉まれるのは嫌いじゃないわけだ」

 それに田上は何も答えず、土手にごろりと横になった。タキオンもその横にピタリと寄り添って、ニコニコしながら寝そべった。そして、田上の要望通りに手を揉んであげ、その口から話の続きが語られるのを待った。

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