ケロイド   作:石花漱一

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二十八、蛍の夜⑥

 バドミントンと言っても、やってることはボール投げとあんまり変わらなかった。バドミントンの羽根は、ぽーんぽーんと飛んで落ちて、ラケットに跳ね返されてまた飛び上がる。ただ、先程よりかは、二人共動きがあった。特に、田上が下手くそだったから、タキオンは前へ行ったり後ろに行ったりしながら、器用に田上の方に打ち返していた。それでも、何回かそれを繰り返すと、田上も段々と羽根を打ち返すのに慣れてきて、タキオンと同じくらいにコントロールはできるようになった。

 二人は、数を数えていた。一から順に数えて、五十を過ぎる所まで行ったが、そこで田上が打ち損ねてしまった。地面に羽根がポトリと落ちて、また仕切り直しとなった。次の目標は、百とタキオンが宣言した。田上は、苦笑して「できるかなぁ」と頼りなさげだったが、とにかくやることにはやってみた。

 初めは、四十近くで止まってしまった。これも、田上が打ち損ねたものだった。次は、七十まで行った。タキオンは「惜しい惜しい」と満足そうに言って、またラリーを再開した。今度は、九十まで行った。これは凄いことだった。七十も息のあった素晴らしいものだったが、ここまでくると結構長い事ラリーを続けていたことになる。タキオンの持ち直しのおかげもあったが、田上だってタキオンのミスをちゃんとカバーした。それだけに、九十まで来て田上がミスをしてしまったときは、二人共大きな声を上げて崩折れてしまった。そして、目を合わせると笑い出した。具体的に何がおかしいとは言えないが、何かの可笑しさに笑いが込み上げてきてしまった。そして、二人は思う存分笑うと、また立ち上がって一から再開した。こうなると、もう次はできないだろうな、という気がした。現に、次は四十で終わり、その次が、三十で終わった。それから、タキオンは、「気を取り直していこう」と田上に呼びかけると、真剣な目をして田上に羽根を打った。田上も、これが最後でいいと覚悟を決めて、その球を打ち返した。二人は、あまり言葉を交わさずにラリーを続けた。いつの間にか、近くに桜花とその友達が来ていて、笑い出しそうになったが、気を取り直すと集中を持続させた。

 桜花たちは、わざわざ集中を乱しに来たようなものだった。本人たちはそのつもりはなかっただろうが、近くで「お姉ちゃんたちがキスしてるの見たことあるよ」と話されると、気が散って散ってしょうがなかった。それでも、なんとか集中を持続させて、七十、八十の度に歓声を上げる子どもたちも無視して、二人は遂に念願の百を迎えた。その安堵で、田上は集中が途切れてしまいそうだったが、タキオンの目はまだ続けるつもりだった。そして、そこから、百二十三まで行った所で、田上が遂にダウンした。もう疲れのあまりに腕が上がらなくなって、立ち上がることさえできずに、地面に四つん這いになった。その横にタキオンは歩きながら近寄ってきて、快調に笑いながら言った。

「百二十三だよ。百を余裕で超えたじゃないか」

 田上は、それに喜んで笑いながらも、疲れに思わずため息を吐いて、地面に仰向けに寝転がった。

「はーー、……それは良かった」

 タキオンは、愛おしそうに田上の顔を見つめながら、その横にしゃがみこんだ。近くでは、子どもたちがタキオンと田上より喜んでいた。そして、桜花がタキオンに「私もバドミントンしたい」と言った。だから、タキオンは黙って頷いて、桜花にラケットと羽根を貸し与えてやった。それからも、寝転がり続けている田上に、タキオンは静かに言った。

「行こう?桜花たちが遊ぶから、踏まれるかもしれないよ?」

 現に、桜花はあんまりタキオンたちと距離を取らず、ラケットを振り回し始めた。そして、何回やっても上手くいかなかったので、遂にタキオンに泣きついた。桜花の相手は、男の子がしようとして、それから、順番に、友達がラケットを握っていく予定だったが、まず初めに「できない」という障害が発生した。それで、桜花の相手にタキオンが代わろうとなっても、男の子は文句の一つも言わず「僕もできないからいーや」とラケットを手渡した。それで、タキオンは少し不満足そうに田上を見つめながら、愛しい彼氏から離れてゆく事になった。

 田上は、桜花の友達が一列になって、二人のバドミントンを見ている所に自分も加わらせてもらった。そして、小さな子どもが五、六人程並んでいる所に、一際大きな背中がそびえ立つことになった。田上の隣になった男の子は、少し緊張していたようだったが、それでも好奇心のほうが勝ったようで、隣の田上にこう聞いてきた。

「田上トレーナーって、……キスしたことあるの?」

「へ?」

 田上は、予想外な質問に、思わず変な声が出てしまった。それに、男の子が少し笑いながら、もう一度聞いた。

「田上トレーナーって、アグネスタキオンさんと付き合ってるって桜花ちゃんが言ってた。だから、…で、キスもしたって言ってた。だから、アグネスタキオンさんって、赤ちゃん産まれたの?」

「んん?」

 全く頓珍漢な問いに田上の頭は、一瞬追いつかなかったが、頭を大変に回転させて話を理解すると、返事の仕方に迷いながらもこう返した。

「赤ちゃんはね、その時にしか産まれないよ。キスしただけじゃ産まれないからね」

「へー。じゃあ、田上トレーナーって、アグネスタキオンさんの事が好きなの?」

「ん?」

 田上が、こう戸惑ったように返事をしたのは、具体的な返答を避けたかったからである。しかし、男の子は、純粋な面持ちで田上を見上げてきていたので、田上も答えざるを得なくなった。

「……まぁ、好きじゃないわけじゃないね」

「へー」と言うと、男の子は田上の方に少し身を寄せて、声を低めて言った。「僕ね、桜花ちゃんの事好きなの」

「へぇ、…ひょっとして、君がとも君?」

「ううん、違うよ?僕、こうすけ」

「はぁ」と田上は、戸惑いと驚きを含んだため息を吐いた。この子がとも君でないとすれば、田上は今、桜花と、とも君と、こうすけ君の三角関係を覗き見たことになる。そして、こうすけ君は、桜花との恋を成就させる望みはあまりなさそうに思えた。田上には、少し桜花の方も罪な女に思えた。ああいう人を惹き付けるような女の子は、男子からも結構な人気がある。それを、無自覚でやってしまっているんだから、男子からしたらたまったもんじゃないだろう。――でも、所詮子供の恋愛だからな…。そう思うと、田上は、その話題から逸らすように言った。

「…こうすけって言うんだね。俺の弟も幸助っていう名前だよ」

「へー、何歳?」

「えーっと、…大学生」

「だいがくせい…。小学校、中学校、高校、大学、の順番だよね?」

「そうだよ。よく知ってるね」

「この前テレビで見た」

「ほう」

「…アグネスタキオンさんって高校生じゃなかった?」

 ――面倒な所を…、と田上は、内心で呆れて笑ってしまったが、表面では、「そうだよ」と答えることにした。しかし、男の子はまたも面倒な方向に質問をした。

「高校生って子供じゃないの?田上トレーナーは大人だよね?」

「んー、……高校生はね、多分幸助君も分かるようになると思うけど、子供と大人の境目なんだよ。 ほら、子供から一気に大人になるわけじゃないんだよ。二十歳が大人って、法律では決まっているけど、成長は人それぞれだからね。だから、例えば、…こうすけ君が今十九歳だとして、明日が誕生日。明日二十歳になります、って時に、――では、今日は子供ですが、明日から大人になります!ってなると思う?」

「うーん…」

 田上の説明が下手だったのか、こうすけ君はあんまり納得したようには見えなかった。

「…んーっとね、…だから、…ほら、こうすけ君は年上の兄弟とか居ない?」

「お兄ちゃんが居る。小学六年生」

「そう、それだ。そのお兄ちゃんとこうすけ君の背の高さって全然違うでしょ?」

「うん、違う」

「それなんだよ。大人になるっていうのは、簡単に言えば、背が伸びるっていうこと。こうすけ君も、明日寝て起きたら、お兄ちゃんより背が高くなってました!とはならないでしょ?」

 田上の言い方が面白かったのか、こうすけ君はくすくす笑いながら「うん」と頷いていた。

「そう、そして、…アグネスタキオンを見てごらん。…背の高さってどう見える?子供に見える?大人に見える?」

「大人に見える」

 そう言ったのは、別の女の子だった。田上の講義にいつの間にか、他の友だち二、三人も耳を傾けていた。

「そう。高校生くらいになると、背が伸びて、もう大人ですよーってなる。ただ、そこでも、まだ完璧に大人とは言えない。まだね、できることが少ないんだ。勿論、人それぞれだよ。皆も高校生になれば分かるけど、本当に人それぞれ成長してる。病院に一人で行く人もいれば、親についていってもらって行く人もいる。…バイトもね、…皆バイトって知ってる?」

「うん知ってるー」と子どもたちが口々に言った。そして、その中には、高校生のお兄ちゃんが居る女の子も居て、お兄ちゃんがどんなバイトをやっているのかたどたどしく語ってくれた。

「そう。バイトもね、今言ってくれたように、する人もいるんだけど、しない人もいる。お母さんとお父さんの育て方によっても違いはある。外に行こう行こうとする人もいるけど、家に居たほうがいいやって人もいる。 そしてね、…何が言いたいのかと言うと…」とここまで言った所で田上は冷静になった。思ったよりも生徒が増えてしまった事に今頃気がついたのだ。そして、この子達に向かって、今から自分とタキオンはどういう関係なのかを伝えなければならない。初めは、こうすけ君だけで良かったのに…。

 そうは言っても、たかが子供と思って、田上は話を進めた。

「人はね、見かけだけじゃ、こんな人だっていうのは区別がつかないんだよ。そして、タキオンもね…、高校生という言葉だけで見れば、タキオンは子供かと思ってしまうけど、さっきも言ったように成長は人それぞれだから、タキオンは、…十分に…大人として?……俺と…付き合っているんだよ?」

 田上の言葉は、最終的に途切れ途切れになったが、その話が終わると、子どもたちは「へー」とそれぞれに感心した声を出した。――なにをしてるんだか、と思いつつも、田上は、子どもたちに有益な話ができたと思って満足した。この子達の将来や考え方が、豊かなものになるといい、と思った。

 そして、タキオンの方に目を戻すと、タキオンは、桜花とバドミントンをしながらも、しっかりと、その聞こえのいいウマ耳で、田上たちの話を聞いていたようだ。ニヤリと笑うとこう言った。

「圭一君!私も十分大人だね」

 田上には、この言葉の真意が分かった。それでいて、あんまり冗談を飛ばすような内容の真意ではなかったため、田上は困ったように眉を寄せて「ああ」と低い声で返した。

 子どもたちは、興味深げに田上とタキオンを見比べていたが、次第に、興味はバドミントンの方に持っていかれたようだった。桜花が、初めてタキオンの打った羽根をまともに打ち返すことができると、子どもたちが「おお」と歓声を上げ、次々にバドミントンをやりたがった。

 結局、公園内にある時計の針が、夕方五時をさすまで、タキオンと田上が交代で子どもたちのバドミントンの相手をしてあげた。

 

 五時になると帰り出す子が出てき始めた。まだ、日は高く、帰る時間でもないように思えたのだが、親からそう躾けてあるのだろう。二人が帰って、それから、もう一人もまだ遊びたそうにしてはいたのだが、渋々帰っていった。そして、残ったのは、桜花とこうすけ君とさきちゃんとここあちゃんになった。桜花以外の三人は、親から「六時までには帰りなさい」と門限を少しゆるく設定されているのと、公園からそこまで家が遠くないのとで、まだまだ居続けるつもりだった。ただ、ここまで来ると、子どもたちも疲れたのか、正方形のベンチに座って、お絵描きをしたり、ゲームをしたりしていた。タキオンと田上は、暇だったので、手を繋ぎながらゆっくりと公園の芝生を渡って、一つのベンチに座った。多少の疲れと汗で、二人は少しうとうととしていた。タキオンは、ベンチに座ると田上の膝で眠るつもりだったようだ。すぐさま、寝転がって、田上の膝の上で目を瞑ってしまった。田上も、重い瞼を時折眠たそうに瞬かせながら、タキオンの前髪をかき分け、そのおでこを軽く指でトントントンと叩いてやった。子供の時に、父がよく自分を寝かせるためにこうやっていたのを田上は覚えていたからだ。

 タキオンは、そのおでこに当たる愛しい人の指先が、優しく自分を寝かしつけようとしているのを感じながら、次第に微睡みの中へと落ちていった。

 

 次に目が覚めたのは、桜花が声を潜めて「お姉ちゃん寝てるの?」と言った時だった。その瞬間にぱっちりと目を開けて、辺りの状況を確認した。自分は、今、彼氏の膝の上に横になっていて、自分の目の前には桜花が立っている。しかし、二人共自分たちの話に気を取られていて、タキオンが目を覚ましたことに気がついていなかった。だから、タキオンはまた目を閉じると、微笑みながら、この居心地のいい空間にもう少し浸っていようと思った。しかし、時刻はもう帰る時間だった。桜花の友達も全員帰っていってしまった。それでは、桜花もつまらないので、兄と姉と一緒にすぐに帰りたかった。

 田上もその思いを汲み取って、タキオンの頬をぷにぷにとつつくと「タキオン」と優しく呼びかけた。タキオンも、これに笑い出しそうになったが、必死に平静を保って、田上がもう一度頬をつついてくれるのを待った。予想通り、田上はタキオンの頬を再びつついてくれた。そして、タキオンはそれを無視した。すると、桜花が「私が大声出せばいい?」と言ったので、タキオンは心の中で――やめてくれ、と叫んだ。彼氏と二人で心地良い空間だったんだから、それをわざわざ妹なんかに邪魔されたくない。

 そう思っていると、タキオンの事をよく知っている田上が「大声なんかで起こされたら、お姉ちゃんの機嫌が悪くなっちゃうよ」と桜花を諭した。タキオンは、心の中で田上の事を褒め称えたが、だからって田上が、タキオンを起こそうとしないわけではなかった。もう、頬をつつくのを止めて、強めに自分の膝を揺らすと、「タキオン、起きろー」と言った。これはもう、普通の人であれば起きなければならなかった。ただ、タキオンも田上に甘えたいという欲望が出てきていたので、起きたとしても簡単に帰るつもりはなかった。

「うぅん」というわざとらしい寝ぼけた声を上げると、タキオンは目を開いて田上の顔を見た。田上は、「もう帰る時間だよ」と優しく呼びかけたが、タキオンはニヤリと笑うと、目を瞑って「嫌だ」と答えた。それで、田上が苦笑すると、不意に後ろの方から声をかけられた。

「圭一君、タキオン、桜花。何してるの?」

 タキオンの母の声だった。田上たちは、公園の端にあるベンチに座っていて、公園にはぐるりと柵が張りめぐらされていたので、母たちが声を掛けてきたところは、柵の向こう側の道路の方だった。田上は、慌てて後ろを振り向いて、その正体が母と父である事を確認すると、「もう帰ろうかな、と思ってたところです」と答えた。すると、桜花の方は、きゃあと嬉しそうに叫んで、「お母さんお父さん一緒に遊ぼう!」と言った。父と母は、困ったように目を見合わせたが、桜花と一緒に遊ぶことにした。田上は、別にまだ日も落ちていないので、母に「まだ遊んでてもいい?」と聞かれても、素直に頷いた。

 そして、この流れはタキオンにとって最高の流れだった。満足げな笑みを浮かべると、桜花が母たちと遊ぶために去った後に言った。

「もう少し圭一君とこうしていられるよ」

「そうだね」と田上は頷くだけをしておいた。この後に、何か言いたい言葉があったのだが、それでタキオンを苦しめるようなことはしたくなかったし、苦しむのはタキオンだけじゃなく、自分の方もそうなることが分かっていた。そして、タキオンは、田上に「私のおでこをさっきみたいにして」と催促すると、田上に自分のおでこをトントントンと叩かせた。

 日は、徐々に徐々に暮れようとしていた。夕日が、山並みの中へ落ちようとしていき、タキオンたちを橙色の中に浮かび上がらせた。

 公園の中の子どもたちも少なくなっていった。ベンチに座っていたカップルもいつの間にかいなくなり、田上たちの他に一組のカップルが、田上たちと同じように、桜花と父と母がサッカーボールを蹴り合っているのを見ていた。桜花たちは、わいわいキャッキャとしながら、サッカーボールを蹴っていた。桜花のはしゃぎ方が、父母に比べてすごいものだった。今、この公園で一番大声を出しているのは桜花だろう。閑静な住宅街…とまではいかないが、車が時折音を立てながら走り去っていく、田舎の住宅街で、桜花たちは楽しく遊んでいた。

 

 タキオンは、ずっと田上の膝の上に寝転がっているということはしなかった。勿論、満足の行くまで田上と触れ合うことはしたが、次第に、桜花の楽しそうな叫び声に自分の気も引かれていっていた。だから、タキオンは、田上の頬を触りながら「一緒にキャッチボールをしないか?」と言った。田上は、快く頷くと、傍にあった小さいボールを持って、タキオンと一緒に立ち上がった。

 タキオンの眠気はまだ少しあったようで、初めのうちは、度々欠伸をしながら田上にボールを投げ返していた。それ以外の雰囲気は、前にキャッチボールをした時とあまり変わらなかった。ただ、ぽつりぽつりと話して、田上がそれに頷いて、特に取り留めのない会話を繰り返す。そのようにしながら、時折二人は、近くでサッカーボールを蹴り合っている自分らの父母を見つめた。

 父母は、桜花を取り囲むようにしながら、ボールを取ろうとしてくる桜花から逃げていた。父と母がチームで、桜花が奪う役だった。ただ、勿論、本気というわけではなくて、偶にわざと蹴り損じて、桜花が取りやすい球を作った。そして、桜花がボールを足元に蹴り転がし始めると、母と父どちらかが交代になってその後を追いかけ始めた。二人で追いかけてしまうと、子供一人に対して圧がかかりすぎてしまうと考えたからだろう。

 その三人の姿は、紛れもなく親子の姿だった。その姿を、どこか遠くを見るような目つきで見つめながら、タキオンは田上の方を向き、ボールを投げた。そして、こう言った。

「…結婚しようね」

 その声に力はなく、もし、今風が吹いていたとしたら、その風に飲まれて消えてしまっていただろう。田上は、その細い声を聞き取ると、思慮深げな目でタキオンを見つめ返し、「ああ」と返事をしてボールを投げ返した。

 やがて、田上たちがボールを投げているのに興味が移った父は、田上たちの傍で写真を取り始めた。初めは、二人共気が付かなかったが、タキオンが不意に気が付くと、田上も一緒に気がついた。そうすると、父も写真を取るのをやめてこう言った。

「俺も混ぜてもらっていい?」

 タキオンも田上も頷くと、今度は三人で輪になってボールを投げ始めた。そして、父が話しの中心となって二人に色々な質問を投げかけ始めた。父は、タキオンに色々なことを聞いて、時に冗談を飛ばしたりした。そして、タキオンがそれにくすりと笑うと、ボールはタキオンから田上に飛んできた。

 順番は、タキオンから田上、田上から父、父からタキオンの順で投げていた。それで、田上は初め聞き役だったのだが、父が「順番を変えよう」と言うと、今まで反時計回りに投げていたのが、時計回りになった。つまり、父から田上にボールが行くようになった。すると、今度は、父の質問が田上に来るようになった。父の様子から察するに、田上ともっと話したくてたまらなかったらしい。娘の方とも楽しそうに話していたのだが、田上の方にも楽しさと好奇心の入り混じった質問を投げかけてきていた。決して、田上を品定めするために質問を投げかけているわけではなく、これから娘と楽しくやっていく人物ともっと仲良くなれたらいいなと思うような好奇心だった。その為、田上もあまり不快には思わずに、聞かれた質問には快く答えていた。そして、父の飛ばす冗談にタキオンと一緒にクスクスと笑った。

 暫くすると、父と兄と姉が面白そうなことをやっているのを、桜花が見つけた。それで、自分も一緒にボール投げの輪に入れてほしくて、すぐに話しかけてきた。田上たちは、それを快く迎え入れ、母も合わせて家族皆でボール投げをした。田上にはこれが奇妙なことに思えた。なんとタキオン一家に混じって、自分も楽しくボールを投げているのだ。まるで、本当の息子として扱ってもらっているかのように、本当に娘の旦那として扱って貰っているかのように思えて、田上は奇妙だった。もう少しぞんざいに扱ってもらっても、田上は構わなかった。この人たちの人柄からすると、そのようなことはしないと思うし、むしろ、こうやって親しく扱ってもらったほうが説得力はあるのだが、田上の考える普通では、この人たちは変わり者な分類に入りそうな気がした。

 自分の父親だって、前にタキオンと帰省に行った時は、しっかりと女の子として礼儀正しく扱っていた。勿論、これが悪いというわけではない。しかし、いくら元々親しかったトレーナーが、自分の娘の彼氏になったからと言って、このように扱うのは、この家族の柔軟性が遥か高みにあるような気がした。元々、タキオンと田上が出会った時もこのような性質がタキオンにあるような気がした。初めから、自分はタキオンに認められていたのではないかという気すらある。それくらいに、タキオンは田上と出会った当初からあまり変わっていなかった。田上とタキオンが親しくなるまでにあまり時間は掛からなかった。タキオンの距離の近さも相まって、いつの間にか親しくなっていた。状況は、様々に変わっていったが、親しさはあまり変わらなかった。ただ、初めは、モルモットとしての役目と研究者としてのタキオンからの付き合いで、それなりに淡々とあまり心を交わすこともせず、自分たちのすべきことをやっていった。

 心の距離が更に近くなっていったのは、皐月賞や日本ダービーに挑戦した辺りからじゃないかと思う。何かきっかけがあったからというわけではなかったが、このころから、タキオンは田上の心の中で重要な位置を占めるようになってきた。つまり、田上の方がタキオンを受け入れ始めてきたということかもしれない。しかし、タキオンの方は分からなかった。正月あたりには、もう気があったかもしれないというのを聞いたことがある。傍目から見ればそうかもしれない。田上も実際に勘違いしそうになる瞬間があった。ただ、タキオンというのは元々底の読みにくい女の子ではあった。田上も、それによってまんまと、足の脆さを隠されて一年近く一緒に過ごしていた。

 そんな事を、タキオンの家族と楽しくボール投げをしながらチラチラ考えていると、タキオンが田上にボールを投げてくる番になった。田上は、口角を少し上げながらボールを受け取った。投げたタキオンの方も微笑を浮かべて、田上に投げてきていた。二人は、一瞬の間見つめ合った。しかし、すぐに目を逸らすと、田上は父の方にボールを投げた。それから、また見るともなくタキオンを見ると、目が合った。タキオンは先程と同じように微笑を浮かべている。父と母と桜花は、笑い声を上げて楽しそうにしていた。二人の間には、妙な空間があるような気がした。ある種、静寂と言ってもいいような空間が。その中で、タキオンは田上に語りかけてきているように感じたが、田上にはタキオンが何を言っているのか分からなかった。タキオンは、尚も田上に微笑を向けているだけであった。

 田上は、胸に不思議さ、もしくは不自然さを抱きながら、その思いとは裏腹にボール投げを楽しみ、その楽しむ心にすら、不思議さを見出した。

 

 家族は暗くなるまでボール投げをした後、ゆっくりと歩きながら帰路についた。田上とタキオンは、桜花と母と父からやはり離れて歩いた。すると、タキオンが夕闇の中で田上の方を向きながら言った。

「こうなってみると…、家族じゃなくなるのは、むしろ私達の方かもしれないね」

「ん?」

「…こうなってみるとだよ」

「…?うん…」

 田上が分からないなりに適当に返事をすると、タキオンが苦笑した。

「こう…分かるだろ?私が君の家族になるということだよ。君が私の家族になるということじゃなくて」

「…うん」

 今度の返事は、多少理解した響きを持った返事だった。

「…そう。…私は、…君の家族になるんだよなぁ…」

「そうだね」

「…私が圭一君のお嫁さんになれると思うかい?」

「お嫁さんー?…タキオンならなれると思うけど」

「そうかなぁ。 私の理想像としては、一日三食作って、掃除して、子供の世話をして、色々な書類とかもあるだろ?行政とかの。それらの書類も片付けて、ごみをまとめたり、皿を洗ったり…。そんな事を私が我慢できるだろうか? いや、勿論、我慢しようと思えばできそうな気はするが、…どうにも…不安だなぁ…」

「…別に、それ全部を一人でするってこともないだろ?行政の書類なんかは俺がやってもいいし、三食作るのが辛いんだったら、俺は料理できるタイプの男だから作ってもいいし、昼飯とかは手抜きにすればいいんじゃないか? それも、お前が働くっていうんならまた違ったものになるだろうし」

「私は、…今は働く予定はない。専業主婦のままでいい…が、…どうも、…圭一君の…圭一君と…夫婦になる…子供が生まれるっていうのがね…。…どうも、…私らしくない?というかなんというか…」

「でも、夫婦にはなりたいんだろ?」

「夫婦にはなりたい。結婚したい。…ただねぇ、…結婚…結婚生活…。 前に圭一君に結婚生活を想像してみろって言っただろ?」

「ああ、海に行った時?」

「そう。あの時は、圭一君を励ましたくて言っていたが、…どうも、…不安だなぁ。ちゃんとやっていけるかなぁ?」

「なにがそんなに心配なんだ?タキオンなら俺より上手くやっていくと思うぞ」

「やっていけるんならいいけどね…、学校のPTAなんかもあるんだろ?」

「まぁ、やらざるを得ないよね」

「…そのやらざるを得ない事に対して、私の我慢が働くかが不安だなぁ…」

 そこでようやく、田上もタキオンの不安の全体像が掴めてきた。タキオンは、田上と結婚していよいよ大人になってしまうということが、漠然と不安なのだ。田上は、――タキオンらしくない悩みだなぁ、と思いつつもこう返した。

「タキオンだったらできると思うよ。対応力があるし」

 そうは言っても、タキオンの気は晴れていないようだった。家の明かりの点いた玄関に着くまでは、終始、思い悩んでいる表情をとったままだった。

 

 家に帰り着くと、母が急にこんな事を言いだした。

「ご飯食べたら蛍を見に行かない?ここらへんではこの時期だから、結構飛んでると思うよ」

 田上もタキオンも父も桜花も誰も、異は唱えなかった。タキオンは、むしろ行きたそうに少し表情を明るくさせていた。そんなタキオンと共に田上は、手洗い場に向かった。

 手洗い場は、家族皆で外に出ていたから、その為に混雑していたが、タキオンと田上は最後尾で一緒になったまま待った。タキオンは、時折、田上に甘えるように肩を寄せてきた。田上は、それが嬉しくもあり、悩みの種でもあって、そのどちらの感情を優先させればいいのか戸惑った。ただ、甘えてくるタキオンを突っぱねることはしなかった。

 手を洗うと、夕食を食べた。タキオンの母は料理が上手なようで、田上は結構美味しく食べることができた。タキオンも田上の隣で、美味しそうに自分の母の手料理を食べている彼氏を時折見つめながら、自分も箸を進めた。

 そして、夕食が終わると、家族は車に乗って少し遠めの川まで行くことにした。田上は、初めてこの家の車に乗った。独特の他人の車の匂いが、田上の鼻を刺激した。しかし、田上はそれ程不快には感じなかった。落ち着かない気分はあったが、特に不安にさせられるということもなく、あんまり広くない車内で、タキオンと田上の間に桜花が座りながら、家族は夜の道路を走っていった。

 タキオンは、あまり桜花が二人の間に座るのを良しとしなかった。ただ、桜花がどうしても真ん中に座りたいと言ったので、タキオンが譲ってやらなければならない立場になった。だから、車に乗っている間、タキオンは少し不貞腐れながら窓の外を見、妹と話している自分の彼氏を時折チラリと見つめた。そして、田上が目を合わせてくれないとなると、ますます不貞腐れた。田上は、特にタキオンの事に心配などの興味があるわけではないし、桜花が中央に居るので話しづらいし、単純に蛍を見に行くのが楽しみだしで、タキオンの方を見る気はなかった。これが冷たい彼氏だと言われてしまうと否定はしなければならない。田上だって、車から降りればタキオンと話すつもりはあったし、傍に居るつもりがあった。しかし、車の中では桜花がとにかく邪魔だったのだ。

 

 タキオンが車から降りると、無言の内に田上に引っ付いてきた。その雰囲気が機嫌の悪さを醸し出していたから、父と母は田上にまとわりつこうとしている桜花を引っ張って、田上とタキオンの二人だけにさせた。

 川の近くの駐車場に車を駐車させていたのだが、そこからでもすごい数のホタルが宙を舞っているのが見えた。初めは不機嫌だったタキオンも、それを見て田上と二人で過ごしている内に機嫌を取り戻してきた。空中に浮かんでいる蛍を片手でぱっと捕まえると、タキオンは田上にその手の中身を見せてきた。

 蛍が黄色い光を発しながら明滅していた。タキオンは、それを見てくすくす笑うと「モルモット君だね」と冗談を言った。田上は、それに微笑みを浮かべた。

 蛍以外の光源が殆どない田舎の川だったので、蛍の光は暗闇の中に良く映えた。それをぼんやりと映しながら、川面はゆっくりと流れていた。タキオンは嬉しそうに田上と手を繋いで歩きながら、川べりへと近づいていった。その川べりの道は狭かったので、車が来るとできるだけ端に寄って避けなければいけなかった。そして、その時も車が来ていた。車は、真っ白い光を煌々と暗闇の中に映し出して、蛍の光を無茶苦茶にしながら一瞬で道の向こうへと走り去っていった。タキオンは、その去った所を見ながら、苛つきでもしたのか「風流が無いねぇ」と呟いた。田上は、それに答えることはせず、ただ少し手を放すとタキオンに「そこに立ってて」と言い、写真を一枚撮った。タキオンは、素直にそこに立って田上に写真を撮られた。それから、タキオンも田上の写真を取りたがり、一枚取った後に、「二人で写真を取ろう」と言った。と言っても、二人共自撮り棒的な物は持ってきていなかったし、自撮りするのも慣れていなかったので、母に撮ってもらうことにした。あんまり遠くだと折角の穏やかな暗闇の中にフラッシュをしないといけなかったため、それこそ風流の無いということで、タキオンと田上は蛍を捕まえて二人の両手の中に乗せた状態で、肩を寄り添わせて撮ることにした。これは、母が主導で行ったことだったが、二人共特に文句はなかった。

 そうして二人は写真を撮って、蛍も見てやるべきことは終えたかに見えたが、話のネタは尽きなかった。元より、タキオンと田上がこういう穏やかな場所での散歩というものが好きだったため、ここに長く留まりたがった。それを父母に伝えると、桜花も全然帰らなくてもオッケーという調子だったため、近くのベンチに腰を下ろして、静かな暗闇の中に広がる娘とその彼氏の笑い声を聞いていた。

 タキオンと田上は、蛍を観察するのに余念がなかった。タキオンが蛍についての雑学を披露する度に田上は感心したし、タキオンも得意になった。それが理由ではなかったが、蛍を見ながら二人で話をすると、気持ちが一緒の方向に向いて、集中がそがれにくかったので、観察するという行為はとても良かった。

 二人は、蛍を十分に満足するまで見つめると、父と母に「帰ろう」と呼びかけた。タキオンは、帰りの車の中では田上と寄り添うことができた。桜花が、車窓から去ってゆく蛍を見たかったからだ。そのため、タキオンが中央の席になったのだが、これはこれでなんだか前が広がっていて居心地が悪いような気がした。そのため、できるだけ田上に寄り添って、くっついて、甘えながら過ごすことにした。

 

 家に帰ると、その後はすぐに風呂を沸かして入った。順番は昨日と変わりなかった。二人が一緒に風呂に入れば、という話も一切触れられなかったので、田上は安心したが、タキオンは着替えを持って風呂に行く時に、少し含みのある目つきで、田上の事を一瞬だけ立ち止まって見つめた。田上は、その含みに気が付かないふりをして、「なんか用?」と携帯ゲーム機から目を上げて言うと、タキオンは「何にもない」と言って立ち去っていった。

 タキオンが風呂から上がり、田上が風呂からあがると、本格的な夜の時間になった。二人は、今日のところはテレビを見る気もなく、夜の散歩に行く気もなく、ただ二人で同じ布団に寝転がって、寄り添いながらゲームをしたり、スマホを見つめたり、会話をしたりしていた。タキオンが田上のゲームに興味を持ったので、少し遊ばせてやることにした。案外上手なもので、初めての物でも簡単にこなせる才能のあるタキオンは、すぐに田上くらいには上手くなった。いや、むしろ、田上よりも上手いと言ってもいいかもしれない。しかし、すぐに飽きたらしく「君がしてるのを見る方がいいや」と言うと、田上にゲーム機を返した。そして、田上はタキオンが見てる横でのんびりとゲームをした。

 外ではいつの間にか雨が降っていた。もうそろそろ寝ようかという時間だった。二人の会話の間の静寂に、しとしとと落ちる雨音が聞こえた。その音が田上の耳には心地よく響き、タキオンの耳にも心地よく響いた。それから、寝る時間になると、二人は昨日と同じように一枚の布団の中にぴったりと寄り添って、眠りに就いた。

 屋根の端から滴り落ちてくる雨音が時折、金属の筒のようなものに落ちて、一際大きな音を立てて居るのが聞こえた。その音を聞いていると、田上は少し不安になった。だから、繋いでいるタキオンの手に少し力を込めると、タキオンも同じように力を込めて握り返してくれた。その手の平に安心感を覚えて、田上はタキオンと共にゆったりとした眠りに就いた。

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