ケロイド   作:石花漱一

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宝塚記念編
三十二、マンハッタンカフェ①


三十二、マンハッタンカフェ

 

 マンハッタンカフェは、その本当の名も知らぬお友達のトゥルースと共に、タキオンの研究室との相部屋で朝のコーヒーの時間を楽しんでいた。部屋は静かで、自分とトゥルースが立てる物音しかしない。以前は、同じ部屋を使っていたタキオンが、研究器具のガラスを動かすカチャカチャという物音が時折したのだが、今はもうめっきりしなくなった。どうやら、惚れている自分のトレーナーの所に入り浸っているらしい。その為に、授業に出ないのだとかどうか。

 カフェは、タキオンという人の気配が、同じ部屋でするのも多少は悪くないと思っていたが、唐突に、部屋を隔てるカーテンの間から顔を出されるストレスに比べれば、大分、一人の方がマシではあった。

 ただ、少し心配でもあった。タキオンがああいう我儘な人柄であるというのは、カフェも知っていたから、そのタキオンが付き合っているトレーナーの所に入り浸っていれば、その人生が破滅へと導かれはしまいかと心配だった。あのトレーナーの方も、どうも流されやすい性質なので、あの考えなしのタキオンをトレーナーに預けるには少し心配だった。だからと言って、悪い男ではない。タキオンを大切にしようとしているのは、傍目からでも分かるが、どうにも頼りない男だった。

 

 カフェは、苦いコーヒーをまた一口飲んで、自分の読んでいる本に目を戻した。しかし、タキオンの行く末を考えている最中だったので、本の内容は全く頭に入ってこない。そして、読む気もないので、ただ本の文字を眺めながら、タキオン、そして、自分の事も考えた。

 宝塚記念でタキオンと走るのは正直楽しみなところではあったが、あのように男に腑抜けてしまった輩が自分と張り合えるのかどうかは怪しかった。たまに、タキオンのトレーニング風景を見かけるが、どうも本腰を入れているようには見えない。ただ、仕方なくトレーナーに言われるがままに走っているようだった。――このまま、あの様子でトレーニングを続けるのだったら、タキオンさんも私には勝てないだろうな…、とカフェは思った。

 それから、不意に、今回のゴールデンウィークでの帰省の事を思い出した。それは、もうタキオンが恋人を見つけてしまった事から派生したものだった。

 次の三月で、カフェももう十八である。所謂節目の歳だ。高校を卒業し、就職するか、大学に行くか。競技をしているウマ娘には、ここで引退を迎える人も少なくはない。その為に、ウマ娘競走の選手寿命は、若年で引退するのが平均となっているのもある。

 自分にも引退か、選手を続けるかという選択肢がある。松浦からはまだ何の話も持ち掛けられてはいない。このまま、URAから抜けて海外へ転向するというのもある。道は幾らでも広がっているが、その道の途中に居るタキオンがカフェに少し気になった。道の途中に居るタキオンは、どうやらトレーナーと手を繋いでいくようである。それからどこまで行くのかは分からないが、あんまり走る気はないのではないかという気がした。すると、自分はそこからどこへ行けばいいというのだろうか?カフェの中には、タキオンを追い越すという渇望があった。そして、未だにそれは叶っていない。その渇望は、菊花賞から負けた以前からあるような気がする。

 元々、タキオンの境遇は、本人の口から聞いていた。特に隠すような事でもないらしく、暇潰しの雑談がてらに話された。後々から聞くと、その事をトレーナーには話していなかったらしい。カフェは、トレーナーにこそ話すべき内容だと思ったので、「なぜ話さないんですか?」と聞いたら、「大したことでもないだろう」とか何とか言われて、話をはぐらかされた。全てが終わった菊花賞の後に、一応話したらしいのだが、その後の事は知らない。

 カフェは、タキオンのひたすら夢に向かって突き進む情熱を尊敬していた。そして、どんなに辛い状況でもめげない根性も。しかし、あのトレーナーへの恋をタキオンが自覚し始めてから、少し変わったような気がする。随分と腑抜けた。あの頃の情熱はなくなった。あの狂気的な赤い眼の光がカフェは好きだったから、またあの頃のタキオンと走りたかったのだが、ついにそれは叶いそうにない。今では、あの瞳も少しは落ち着いて、自分の恋人に向けられるようになった。

 自分が卒業した後に取る道として、結婚という道もあるが、残念ながら恋人はいない。タキオンが、あのまま、あのトレーナーと結婚するのかは知らないが、あの我儘な人間の事だから、余程の事がない限り、あの温厚なトレーナーと結婚しそうである。ただ、どうにもトレーナーの方が社会的な倫理観によって苦しめられていそうなので、場合によっては、結婚しない道があるかもしれない。

――そうするとどうなるのだろうか?

 タキオンが、もしかすると以前のような情熱を持ち始めるかもしれないと一瞬考えたが、あの人の事だから、ちょっとやそっとじゃあのトレーナーの事を諦めないだろう。すると、結婚しないという道は初めから無いのかもしれない。そして、万が一、億が一あったとしても、競走への情熱を再び抱いてくれるのかどうかは怪しかった。なにしろ、以前はあんなに研究実験と言っていた人が、今では全く姿を現さない。一つには、ここで悪意というものに襲われた事が影響しているのかもしれないが、大部分は、最早走りに目的を見出さなくなったのではないかとカフェは思っている。それにしては、宝塚記念に出走登録しているので、カフェにはあんまりよく分からなかった。

 タキオンが結婚すれば、タキオンは走るのをやめるのじゃないかと、カフェは思っている。これも最近の腑抜け具合を見てそう思う。以前にカラオケに誘われた時も、彼女はトレーナーの方につきっきりだった。あれで、走るという方がおかしいだろう。

 すると、専業主婦になるのだろうか?何か、どこかで働くのだろうか? カフェは、働くタキオンを想像してみたが、終始退屈そうに欠伸をしていそうだったので、少しおかしく思い、顔に微々たる笑みを作った。働くのは、あんまりタキオンには似合っていなさそうである。すると、専業主婦をするのだろうかと思ったが、これもあんまりタキオンには似合っていなさそうだった。掃除洗濯料理といった家事はタキオンのする事ではない。――すると、どんな姿が似合うのだろうか?と考えた時に、カフェにはやはり走っている時、研究している時の眼の光が瞼の裏に映った。是非ともあの光を完璧に打ち負かしてみたい。あの情熱を限界の果てまで燃え上がらせてみたい。

 そう思った時に、再び考えは結婚の事に移り、今度は自分の事を考えた。

 

 自分はどんな人と結婚するのだろうか?と思った。勿論、今恋人はいないし、男の影も無いのだから、具体的にこうという人は居なかった。ただ、男らしい人と結婚してみたいという思いはあったが、それはぼんやりとしたものでしかなく、自分の考えかどうかも怪しかった。

 タキオンは結婚するかもしれない。自分は結婚しないかもしれない。その時に、もしかしたら、結婚式に呼ばれるかもしれない。カフェは、人付き合いは苦手だったが、そういう華を見るのは好きだった。なので、タキオンくらいの友人の結婚式となれば、気が向けば出向いてやるかもしれなかった。そういう時に、自分は、社会的に劣等感と呼ばれるものは感じるのだろうか?と思った。タキオンの方が先に幸せを掴んだ。その事を一頻り考えてみたが、それに劣等感は湧かなかった。ただ、この先もタキオンだって失敗する可能性はある。どんな不幸がその身に掛かるかも分からないのに、劣等感など抱くはずもなかった。それに、カフェとしては、そんなに結婚に興味がなかったので、タキオンが先に幸せになったという感覚は抱かなかった。しかし、結婚という物によって、タキオンが腑抜けてしまった事が残念ではあった。

 やはり、彼女は走るべきだと思った。あの頃が一番輝いている。それをあのトレーナーが誑かしたから、今こうなった。あのトレーナーさえタキオンと付き合わなければ、タキオンも今はここで研究をし、走る事に情熱を傾けている。その情熱こそが美しい。華だ。

 カフェはそう思った。

 

 その後、タキオンはなぜあのトレーナーに惚れたのだろうか、とか、なぜあんなに腑抜ける事になったのだろうか、とか考えたが、一向に答えらしい答えは出ず、情熱への渇望だけが残った。そんなカフェをトゥルースはニヤニヤしながら見守った。カフェの考えている事は大体分かった。

 その時、不意に二人が発してない音が部屋の中に、きぃ…と不気味に色濃く響いた。カフェは、すぐに音の出所を探った。音は、金の天秤から鳴った。昔、綺麗だと思って古道具屋で買ったのものだ。古道具屋には、所謂『不思議な品々』が集まるので、時々カフェはそこに行くようにしている。この金の天秤も本物の金で作られているわけではないが、霊などの見て感じれないモノの動きを感じる物なので、この部屋に置いておくと便利かと思った。

 その天秤の右側が、今重しを乗せた様に傾いた。カフェはすぐにトゥルースの方を見た。トゥルースは、傾いた瞬間から周りを見渡していた。どうやら、この部屋に住みついている悪意というものの動きは、トゥルースにも察知できていないらしかった。カフェにも感じられる霊と感じられない霊が居る。トゥルースが見えなくても、カフェが見える霊も居る。二人で、この部屋の異変を首をきょろきょろ振りながら探したが、何も見つからなかった。それで、なにもなかったのか、気のせいかとも思って、カフェが金の天秤をまた平等にしようとすると、突然に耳元でタキオンのトレーナーの声がした。

「カフェ」

 それを聞いた途端に、カフェの鳥肌が一瞬にして立って、壁に足をぶつけて大きな音を立てながら跳び退った。しかし、振り向いてみた方向に何の人影もなかった。カフェは、トゥルースの方を横目でチラリと見やると、トゥルースは首を横に振った。どうやら、トゥルースにも何も分からなかったらしい。カフェは、周囲を警戒しながら、そっと金の天秤を平等にした。すると、またそれは右に傾いた。まだ動いている。二人は、目でそれを伝え合った。だからと言って、この状況で何をする事も出来ない。カフェは大抵の悪霊であれば怯えたり後れを取るようなことはしなかったのだが、この部屋に住んでいるものに限っては、未知そのものだった。トゥルースの世界に深くかかわるようなものだった。

 時折どこからか笑い声がするような気がするが、それが恐怖によって生み出された幻聴か、それとも、実際に笑われているのか分からなかった。二人は、熱心に、変わる事の無い部屋の中で異変を見つけようとしながら、体を強張らせて首をキョロキョロ振った。

 すると、唐突にトゥルースが「あそこ…」とカフェが先程まで座っていたソファーの方を指差した。成程、確かに何かある。影のような物が足を組んで優雅に座っていた。なんだか、タキオンのトレーナーのような気がした。すると、その影は突然ふふふと笑って言った。

「この男が憎いか?」

「………憎くはありません」とカフェは強気に言った。

「お前の生涯のライバルを奪った男だ。憎いだろう?」

 これは、タキオンの声とそのトレーナーの声が奇妙に入り混じって、ハーモニーを作っているようだった。カフェは、その声に少々苛々した。

「…憎くはありません…。あなたは何ですか?」

 そう言うと、影はゆっくりと手を上げ、トゥルースの方を指差した。

「そこの無礼な奴が言ったような『悪意』じゃない。俺に名前はない。…名前を付けてみてくれないか?」

 カフェは、これに受け答えをしても良い物かどうか迷った。こうやって、会話を重ねく行くうちにこういう物は、心の中に入り込んでくるものである。決して油断してはいけない。

「………あなたに答える義理はありません」とカフェは言った。すると、影はタキオンの形になり、タキオンの声になって、言った。

「ずるいぞ!君には生まれた時から名前があるんだ。しかし、私は自分がどこで生まれたかも知らないんだ!」

 そのタキオンの影は、スタスタと歩いて近づいてきた。カフェは焦って、入り口のドアとトゥルースを頻りに見比べた。トゥルースの方は、タキオンの影を見つめるばかりで、カフェに何の手も差し伸べてくれない。そして、影は近づいてくる。カフェはとうとう耐え切れなくなって、入り口のドアを開けて外に出た。すると、廊下から伸びてくる朝の光に照らされて、影は消えた。カフェとトゥルースは、部屋の中を恐る恐る見回して、影がどこに消えたのかを探った。しかし、何も分からない。暫く経ってから、カフェは金色の天秤の所にそろりそろりと辺りを窺いながら歩いて行って、その天秤を平等にした。天秤は傾かなかった。トゥルースをカフェは、少々嬉しそうに顔を輝かせながら、目を見交わした。そして、脅威が去ったのかと思い、油断して扉を閉めた。すると、また金の天秤は右に傾いて、影がカフェの目の前に現れた。トゥルースは、急いでカーテンを開けて、陽の光をこの部屋の中に入れた。それで、カフェの目の前から影は消えたには消えたのだが、今度は、陽の光の届いていないカフェのソファーの所に現れた。トゥルースはもっとカーテンを引こうとしたが、物が邪魔で引けない。それでも、エイと引っ張ろうとすると、カフェがそれを止めた。カフェの目は真っ直ぐに影の方へと延びていた。影は、今は誰の形もとっていない。ただ複雑にうにょうにょとなんらかの形を取ろうと、時折、カフェが知っている輪郭を表すだけだった。

 カフェはこう聞いた。

「あなたはなんですか?」

「それを聞いたところで、君には関係あるまい」とタキオンの声で影は返した。

「あなたは、私たちに何をしたいんですか?」

 この時にトゥルースの方が、「あんまり話さないほうが良い」と口を挟んできたが、それはカフェが目で制した。

 影の方はこう答えた。

「何がしたいかと言って、無邪気に生きてみたいとしか答えられないね」

「あなたは、邪気でしょう?」

「決めつけるのはまだ早い」

「ですが、タキオンさん、田上トレーナーの体を乗っ取ろうとしましたね?」

「乗っ取ろうとはしたが、なにも連続殺人犯になるつもりはない。ただ新しい風を世界に送ってやろうと思っただけさ」

「何を?」

「あの愛すべき哀愁の漂ったトレーナーの精神に、俺という新たな風を送り込もうと思っただけだよ」

「あの人の精神はあの人の物です」

「でも、君は、あの人が消えればいいと思っただろ?」

「考えるのは自由です」

「稚拙だねぇ」と影は笑った。

「お前に考える自由があるのかい?」

「……何しに来たんですか?」

「困ったらその質問だ。もう少しは自分の心について考えてみたらどうだい?なぜ、自分はタキオンに執着するのか?とか」

「…負けたからです!」とカフェが意地になって答えると、トゥルースが「カフェ!」と嗜めた。そこで、カフェもはっと我に返って、あんまり心の内を見せびらかしてはいけないと思った。

 影は、尚もニヤニヤと笑ったまま言った。

「俺の事を警戒しているなぁ? でも、お前のお友達が居る限り、お前に手出しはしないよ。やはり、お供の霊という物は怖い物だ」

 カフェは、チラリとトゥルースの方に目をやった後にこう言った。

「私からの要望は一つです。どうか安らかに成仏でもなさってください」

「そりゃあ、できない相談だね。成仏できない理由が俺にはある」

「……なんですか?」

「それを言えれば、俺はここには居ないね。それとも、お前が俺の存在を成仏させてくれるのか?」

 カフェは、またトゥルースをチラリと見てから言った。

「…では、あなたはこの地球が終わるまでここに居るつもりですか?」

「…う~ん、……まぁ、せめて人間が滅びるくらいまでは居てやろう」

「……トゥルース…」とカフェは言った。その目は、これからどうすればいいのだろうと言っていた。ただ、トゥルースの方も非力だった。このように、カフェの世界にまで影を残すような奴と戦って勝てる気もしなかった。だから、トゥルースは首を横に振って、――放っておくしかない、と目で伝えた。カフェもそれを確かに感じ取った。それで、二人共再び陽の光に油断しながら、この部屋を後にしようとすると、突然にカーテンはトゥルースの手を離れて閉め切られた。そのはずみにトゥルースはカフェと反対側の部屋に行ってしまい、その間をカーテンで閉め切られた。

 カーテンはぴっちりと閉まっていて、中に陽光の一つも落とさなかった。カフェはその中に一人閉じ込められた。明かりは一切ない暗闇が周囲を包み、カフェはその中でただ暗闇の中に落ちていきそうな不安感を一人で堪えた。影は、カフェの周囲をぐるぐると周り、終始カフェの身近な人の声を使って語り掛けてくる。タキオンの声、松浦の声、チームメイトの声、タキオンのトレーナーの声、数少ない友達の声。しかし、ここで折れては、陰に良いようにしてやられるだけだったので、カフェは気丈に耐え続けて、暗闇の中に向かってこう言った。

「あなたの名前を付けてあげましょう」

 すると、暗闇の中に金色の天秤だけが浮き上がって、その光沢を一際光り輝かせた。影は、その天秤を不思議そうに見つめた後に、カフェに向かってこう言った。

「本当だね?」

「ええ、あなたに名前をあげましょう。その代わりに、悪さをしないと誓ってください」

「それを誓う事はできない。俺がやっているのは悪さじゃない。風だ。風を送り込んでいるんだ」

「なら、この話は無しです」

 すると、影は暫く俯いたまま考えた。どちらにしようか迷っているようだったが、やがて、こう言った。

「分かった。 人の夢に出るくらいはいいだろう?」

「……出ているんですか?」

「たまにね。気に入った奴がいて」

「どなた…?」

「お前が憎んでいるトレーナーの田上圭一だよ」

「あの人に?」

「理由は教えてやんない。お前、面倒だから」

「…名前に何か要望はありますか?」

「…う~ん、…特になし。お前が俺を見て思った名前を付けてくれよ」

「……そうですねぇ…」と言って、カフェは影を見つめ、その正体を見極めようとした。しかし、影は相変わらず覚束ないし、見れば見る程タキオンのような気もしてくる。それで、カフェは目を逸らすと、また名前の方を考えた。色々考えてみたが、しっくりと来るものがどうも頭の中に浮かんでこない。トゥルースの時は、名前を付けてみてくれと頼まれた時に、どうも何か隠している様子だったから、その意味で英語の『真実』と名付けた。この影が、何か隠しているのかはカフェには分からなかった。隠したいと思って隠しているのか、それとも、隠す気もなく隠しているのか。カフェは後者だと思った。前者は、トゥルースの方だと思った。ただ、真実という名前はもうトゥルースの方に上げてしまった。すると、影の方には真実という名前は使い難かった。カフェの心境として、もっと真実から意味を離した言葉を使いたかった。

 そうして暗闇の中で悩んでいくうちに、不意に昔の思い出に行き当たった。偶然、友達の家でしてみたゲームだった。小学校の頃から、霊と会話をするような子供だったので、友達はあまり多くなかった。トゥルースも誰彼構わず怪奇現象を見せびらかすような人でもなかったので、カフェはそれを証明する術がなかった。そんな中で友達になってくれたのが、気のいい女の子だった。

 カフェは、ゲームをするような子ではなかったため、家に一台のゲーム機もない。今もそういうゲーム類では遊んでいないが、昔一度遊んでみて、心に残ったゲームがある。それは、今のカフェの体験と似たような死者と触れ合うゲームだった。カフェは、その独特の感性によって作り出されるストーリーに圧倒されて、毎日友達の家に通って夢中でゲームをした。元々、友達の方が「カフェちゃんこのゲーム好きなんじゃない?」と教えてきてくれたものだった。今思えば、本当にいい友達だった。また、あの子に会いたいと思った。

 すると、不意に「おい」と声がしてカフェは暗闇の中へ引き戻された。影は目の前に立ちはだかってカフェを見ている。

「名前を付けろよ」とカフェに迫った。カフェは、自分の中にあるあのゲームの思い出を手繰り寄せて、こう言った。

「load。ロードと呼びましょう」

「ロード?道?」

「いえ、ゲームのロードです。あの少し待つ微妙な不快感くらいが、あなたにはお似合いでしょう」

「本当に?本当に俺にそんな印象を持っているの?」

「…恐怖の大魔王にでもなるつもりですか?」

「…そうなってみるのも良いが、ロードを不快と言ったって、ロードが無ければゲームは始まらないんだろ?」

「なら、その様に解釈してくださっても構わないです。 満足しましたか?」

「う~ん…。…満足した。まぁいいだろう。不快と言われたのが気に掛かるが、良いだろう。これで俺とお前の魂の一部が繋がった」

 カフェはそう言った影、もとい、ロードをじっと見つめた。このようになることは予想はついていたが、自分自身は支配されないのではないかと考えていた。自分が影に名前を与えるのだから、影が自分の支配下に入るという事だろう。名前をつけるとはそういう事だ。この影が、なぜ自分の名前を欲していたのかは分からないが、名前が無ければ自分自身が無いも同然なので、こうして名前を欲しがったのだろう。

 依然この影が良いモノなのか、悪さをしでかさないのかは分からない。とりあえず、タキオンとトレーナーの方が、これに襲撃を受けたのは確かだったが、これを成仏させようにもカフェにはその力がなかったので、最早どうする事もできなかった。

 不意に暗闇の中に、小物が一つ一つ現れ出てきて、闇は解れて消えて行った。しかし、依然として影はそこに居た。トゥルースがカーテンを開けて入ってくると、ソファーの方に座って言った。

「姿かたちはどんなのがいい? あの小物(トゥルース)の方は、初めから姿かたちがあるようだけど、こっちには何もない。どんなのがいい?田上か?」

 影は、田上の形をしたシルエットを作ったが、カフェは首を横に振った。

「じゃあ、何が良い?」と影は言った。

「タキオンでも良い。松浦でも良い。好みの芸能人はいるか?」

「カフェ、こいつの言うことは聞いちゃ駄目だ!」とトゥルースが口を挟んだが、カフェは首を横に振って答えた。

「これには、ロードという名前を与えました」

「…じゃあ、」とトゥルースは驚いた顔を見せた。

「ええ、あなたと同じようなものです。私のお供になったのでしょう」

「こいつがぁ!?」

「仕方ありません。名前を付けてくれと言われていたので、あそこから脱するにはあれしかありませんでした。 それとも、もう少しで助けられそうでしたか?」

「…いや、…まぁ…」とトゥルースは濁した。すると、ロードは笑って言った。

「お前みたいな小物に、俺の中を自由に出入りできるわけがないだろう」

「お前!さっきは、俺が怖いとか言っていたくせに!」

 トゥルースは噛みつくように言ったが、それを無視してロードはカフェの方に言った。

「お前に何ができる?」

「私に何も求めないでください。私ができる以上の事はできません」

「それじゃあつまらない」

「名前を与えました」

「それについては感謝しよう。しかし、…どうだろうね?一番腑抜けているのはお前なんじゃないかい?」

「…何の話ですか…」とカフェは威嚇するように言った。それに、お道化てロードは答えた。

「なんでもない。早く俺の姿を決めてくれ。田上でいいか?」

「わざわざ私の嫌がるようなことはしないでください。……ウマ娘でいいでしょう。……あなたはコーヒーが嫌い。紅茶も嫌い。渋めのお茶を好みなさい。……髪は黒でいいでしょう。長さは何でもいいです。……背丈は小柄。トゥルースと同じように私の勝負服を着ればいい。ただし、ネクタイは緑に。……顔は、…お好きなようになさってください」

 カフェがそう言うと、ロードはふむふむと言いながら影の姿かたちを変え始めた。カフェには、それを影としか見えなかったため、分かるのは輪郭くらいだった。影は、ほとんどカフェのような姿かたちを作った。カフェは、姿かたちを変えれば色でも付くと思っていたのだが、そう上手くも行かないようだった。辛うじて、シルエットの中に表情が分かると言ったくらいだった。これを別の人が見れば、もしかしたら、鮮明にその目にみえるのかもしれない。

 ロードは「どうだ?」と言ったが、カフェには見えないので、それをそのまま伝えた。すると、「そうか」と残念そうに言ったが、トゥルースの方は見えているようで、カフェにその姿を言葉で伝えた。

「ザッと言うと、カフェが少し幼くなった感じかな」

 そう言われて、カフェはロードの方を見つめ直した。確かに、シルエットだけ見れば、幼いころの自分のような気がする。

 ロードは、「そんな所をイメージした」と言って認めたが、その後にこう言った。

「けど、渋めのお茶を好むのは拒否する。なにしろ、俺は飲み食いなんてしなくていい体だ」

「あら、それは聞いてくれないんですか」

「そうだ」

「……まぁ、そこにこだわりはありません。…一件落着ですか?」

 カフェは少し気が抜けたようにトゥルースの方を見て言った。トゥルースは、カフェに微笑みかけて頷いた。すると、カフェは微かに安心した顔を見せて「良かった」と言った。その様子をニヤニヤと見ていたロードはこう二人に言った。

「安心するのはまだ早いんじゃないかぁ?お前たちはまだ本当の俺を知らないだろぉ?」

「知らなくて結構です。とりあえず、私はあなたに名前を与えました。私の解釈が正しければ、私はあなたの親ということでいいんですよね?」

「そう解釈するのも良いだろう。とりあえず、そういう関係も悪くないが、俺は風だ。新しい風を世界に送り込むんだ」

「では、風という名前でも付けておけばよかったです」とカフェは適当にあしらいながら、今まで緊張で張りつめていた自分の体を早く苦いコーヒーで解したくて、ロードの方に「どいてください」と言った。ロードは、不満そうな顔をしながらも、「しょうがない」と言って、カフェにソファーを譲ってあげた。カフェは、ふぅとため息を吐くと、傍にある小さいテーブルに置いてあったカップを手に取って、残り少ないコーヒーを一口飲みこんで「おいしい…」と呟いた。それから、ソファーに座りながら目の前に立っているロードと、その奥に、まだ油断ならないという目付きで、胡散臭そうにロードの方を見ているトゥルースが居た。それが、二人共自分に似ている容姿であり、全く自分に似ていない表情をしていたのがカフェには少しおかしかった。口元に笑みを湛えながらこう言った。

「……随分と奇妙な仲間が増えましたね…、トゥルース」

「ああ、…俺はあんまり好かないね」

「ええ、……私もです」

「ええ?お前が名前を付けておいてそれを言うの?」とロードが会話に入ってきた。

「じゃあ、せめて私の前ではその減らず口を閉じておいてください」

「おお?言うじゃねーか。お前の方が大っぴらに減らず口だ」

「じゃあ、迷惑かけない程度に寛いでおいてください。あんまりあなたに暴れてもらうと困ります」

「しかたねー」と言いながら、長い髪の自分より小柄なウマ娘のシルエットは、トゥルースと同じように空中に漂い始めた。カフェは、その影を見ながら、今後の自分の行方を憂いた。

 

 カフェの部屋での騒動が、ゴールデンウィークが終わった次の日の五月七日火曜日である。タキオンが、田上だけでもアパートに住んでみればいいと思いついた日もその日である。そして、次の日には、田上とタキオンの二人で話し合わなければならなかった。

 朝起きると、二人はいつものように一緒に食堂の方で朝ご飯を食べた。その時にはアパートの話と宝塚記念の話はやめることにした。やるのなら、朝ご飯中ではなく、じっくりと話し合える時にしようという事だった。それにしては、二人がトレーナー室に行ってから、タキオンが教室に行くまでの、朝の時間は短いような気がしたが、その時に話す事にした。

 二人は、朝ご飯を食べ終わると、仲良く手を繋いでトレーナー室へと向かった。田上は、少し嫌なそうな面持ちだったが、タキオンに笑いかけられると、仕方がないなぁという顔をした。

 タキオンは、いつもの田上の机の席の隣につくと、早速自分のスマホを取り出して、こう話し始めた。

「昨日の夜、君と電話を終えてからアパートを少し探してみたんだよ。 そしたら、…えーっと、…これだ、これ。一駅離れるが、駅からはそう遠くないし、なんなら、ここまで歩きで来れる距離だ。 どうかな?」

 タキオンはスマホからチラリと目を上げて、隣の椅子に座っている田上を見た。田上は、迷惑そうな複雑そうな顔をして言った。

「まだ、決まってないだろ?それに、俺は昨日寝るとき考えたんだけど、俺がもし引っ越すとしたら、俺はこうしてお前と朝に話す事はできなくなるし、その日疲れてたとしたら、お前の為にベンチで休むこともなく帰らないといけない」

「ふ~~ん?」と言って、タキオンは顎に手を当ててそっぽの方を向いた。どうも、今まで考えていなかった事らしい。それから、タキオンは田上の方を向いて言った。

「…まぁ、…まぁ、問題あるまい。休日に、君の家に泊れるという方が私には重要だ。で、この条件は飲んでくれるという事でいいのかな?反論がそれだけであれば」

「…俺の意見一つで変わるんだろ?」

「まぁ、できるだけ意見に添うようにはしたいが、彼女の意見を真っ向から無視するというのはやめてほしい物だね。 譲歩はして貰いたい」

「…気持ちは変わらないのか?」

「むしろ、一晩寝てもっとウキウキしたくらいだね」

「……どうも、…あんまり納得が行かないんだよなぁ」

「なぜ?」

「……お前の我儘のような気がして」

「…彼女が彼氏の部屋に泊りたいと思うのが我儘かい?」

「…そうじゃないんだけど、……お前は、これからも進展するつもりがあるのか?」

「ないのかい?」とタキオンは、俯いて自分の手をじっと見つめている田上に言った。すると、長机の方から「屑ですね」というマテリアルの声が聞こえて、タキオンはイラッとした。しかし、そちらの方を見ることはせずに、無視して言った。

「私は進展したいと思っているよ。…君も結婚しようって言ってくれただろ?」

「……所詮、口先だけの男かもしれない…」

「私は、君を立派な人間だと思っているよ。ちゃんと彼女に向き合おうとしてくれている」

「向き合おうとして向き合えていないんじゃ意味ないだろ?」

「向き合えているよ。その心意気を見せてくれただけでも、私は嬉しい」

「結果が伴ってないんじゃだめだ」

「じゃあ、伴わせないといけないね。…進展させようよ」

「……まだ、付き合って一か月だ」

「私たちに年月は不要だよ」

「……お前は、…お前は、…まだ高校生だ」

「君が昨日、――同棲は一線だ、と言ってくれただろ?それに、私たちはこれまでに何度もキスをした。ハグをした。未来を語り合った。あの時の気持ちを思い出してくれよ。…私と結婚したくはないかい?」

 タキオンがそう聞くと、田上は再び黙って自分の手を見つめ続けた。これは、言ってしまえば、昨日の通話の時に、宝塚記念の話題から逃げたがっている自分のように、タキオンは感じた。それで、少し吐息を漏らすと言った。

「もう一度結婚したいと言ってくれ。私の事が好きだと言ってくれ。好きなんだろ?…抱き締めたまえ」

「………無理だ」

 田上が断ると、同時にタキオンの頭の中にマテリアルの存在が出てきた。もしかしたら、マテリアルの事を気にしているのかもしれないと思って、タキオンはマテリアルの方を向くと言った。

「ここで少しばかりハグをしてみても良いかい?君に迷惑をかけるつもりはないが、トレーナー君が、このようにあるのも、君にとってはもどかしいだろう?」

 すると、マテリアルは見ていたスマホから目を上げて言った。

「どうせ、私が良いと言わなくても強行するつもりでしょう?」

「半分はその通りだ」

「じゃあ、やっても構わないですが、なりふり構わないのはやめてください」

「その為に君が居る」とタキオンが言うと、マテリアルは微妙な顔をして、またスマホの方に目を戻した。タキオンは、それに一瞬目を留めた後に、田上の方に目を戻した。

「じゃあ、立って。いつものようにハグをしないと。君の方から。私の事が好きなんだろ?」

「……今はいい」

「拗ねないでくれよ。それとも、このまま彼女を寂しいままでいさせたいのかい?」

 そう言われると、田上は、もどかしそうにおでこの辺りをぽりぽりと掻いた後に、渋々立ち上がって、タキオンの方に向き直った。タキオンは軽く手を広げて、「抱き締めてくれ」と言った。田上は気が重そうにしながらも、タキオンを抱きしめたが、それは大分遠慮をした体の強張った抱き締め方だった。それで、タキオンはどうしようかと思って、少しの間考えた後に、田上にこう言った。

「…行かないでほしいんだろ?」

「…ああ…」

「私としてはもっと強く抱きしめてほしい気分だよ」

「……抱き締め方を忘れた…」

「もっと強くだよ。彼女に何の遠慮をしているんだい?ここは外じゃないし、マテリアル君も良いと言ってくれた。誰も君を拒否していない。私に遠慮をしてもらうと、私が困る。君は怯えているのかもしれないけれど、怯えれば怯える分だけ、恐怖は募って行くよ?」

「…募るのも悪くないかもしれない…」

「そんな悲観的にならないでくれ。それじゃあ、私が可哀想じゃないか。…罪悪感が溜まるのも分かるが、一度、君は私の事を好きだと言ったんだ。……その責任を取ってほしいというつもりじゃないけど、もう少し私の気持ちを考えてみてくれよ。ここで君にフラれちゃったら、何週間も泣き続けるよ」

「……じゃあ、…俺の心はどうすればいいの?」

「…私にも分からないけど、とりあえず、私の事を信じたまえ。それに、君の事も信じたまえ。私の事を大切にしたいんじゃないのかい?」

「……どうなんだろうな…」と田上は半分諦めたように言った。

「それじゃあ、私が浮かばれないよ。もっと強く抱きしめて。好きって言ってくれ。大切なんだろ?」

「……どうだろうね…」

「そんなんじゃ、私はすぐにどっかに行っちゃうよ。それでも良いんだね」

 すると、田上はタキオンから少し身を離して、その顔を見つめた。その顔は悲しげだった。タキオンは何も言わないで、暫く田上と見つめ合った。田上は、次に何を言おうかと考えていたが、やがて、今度はぎゅっとタキオンを抱きしめ直すと言った。

「行かないでくれ…」

「そうだよ。それでいいんだよ。遠慮なんてしないでくれ。私を大切に思う気持ちを大切にしてくれ。もう、私は君の彼女なんだよ?決して君の教え子じゃないんだ。対等なんだ。好きなんだ。それを無視されてしまうと困る」

 そう言われると、田上はまた腕を軽く解いて、タキオンの顔を見た。今度は、少々晴れ晴れとしているようではあったが、全くの晴れとはいかない模様だった。タキオンは、微笑みながら彼氏の顔を見上げた。心の中では、キスを少し期待していたのだが、やがて、田上は息を一つ吐くと、また自分の椅子に座り直した。だから、タキオンの方も多少がっかりしながらも仕方なく自分の椅子に座った。

 椅子に座ると、田上の方が言った。

「まぁ、…とりあえず、今の時間の内に結論を出しておきたいと思っていたんだけど、もうそろそろお前も教室に行かないといけない時間なんじゃないのか?」

「…まぁ、大丈夫だよ。ちょっとくらい遅れても問題はないし、最悪、サボってしまったって問題ない」

「問題はあるから、とりあえず、俺は少しだけアパートの話に前向きになったという事だけ伝えておこう。だから、さっさと教室の方に行って、さっさと授業を終わらせて来い」

「ふぅん?…まぁ、いいや。君の方も、良さそうな物件を探してみたらどうだい?私の探したのでも良いような気がするが、君の具体的な意見は聞いていないから、また君の具合にあった物を探してみると良い」

 田上はそれに「はい」と適当な返事をして、タキオンを見送った。タキオンは普段通りの田上との触れ合いに満足した面持ちで、ドアを開け、片手をあげて去って行った。

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