ケロイド   作:石花漱一

149 / 196
三十二、マンハッタンカフェ③

 ベンチへと向かう道中で田上は、おもむろに口を開いた。

「俺は、…子供は欲しいと思っていたんだけど、…駄目かなぁ?」

 その声が、あまりにも情けない響きを持って発せられていたので、タキオンもそれに多少情を引っ張られた。

「………私の我儘だよ」

「……産むつもりはないのか?」

「…君が子供が欲しいって言うんなら、産むよ」

 タキオンが、田上の顔を見ないままにそう答えると、田上も俯いて下を見つめたまま言った。

「あんまり無理はしなくても…」

「でも、…君は子供が作れないとなると、私の事はどうでもいいだろ?最後には子供が必ずほしいんだろ?」

「…お前の方が大切だよ」

 田上にそう言われると、タキオンは思わず歯を食いしばって、口から漏れ出てきそうな言葉を堪えた。それから、暫く間を空けた後にこう言った。

「私は、…私は、…いざとなったら産むよ。今が嫌なだけだ」

 それから、ベンチまでは二人はなにも話さなかった。

 

 ベンチまで来ると、まず田上がそこに腰かけて、それから、タキオンが田上の膝の上に向かい合うようにして座った。ただ、顔を見せたくなかったらしく、田上の膝の上に座ると、すぐにぎゅっと抱き締めて、田上の右肩に自分の頭を据えた。田上は、その背を優しく撫でながら、こう言った。

「結婚って、…どんなもんなんだろうな…」

「…幸せだろうね…」

「…子供は、…子供は、本当に欲しくないと思っているのか?」

「…ああ」

「…俺は、…我儘なのかな?」

「私が我儘なだけだよ。夢は、子供に囲まれて死ぬ事だと言っていたくせに、ここに来て、君とのこんな関係が続けばいいと願ってる」

「…同棲は楽しみか?」

 そう言われると、タキオンは少し田上を抱き締める力を強めて、耳元で「楽しみ」と嬉しそうに囁いた。田上も微笑みを作りながら言った。

「俺もだよ。…お前は良い奴だもんなぁ」

「そんな事ないよ」

「いや、良い奴だと思ってるよ。少なくとも、俺に対しては、良い人であろうとし続けてくれている」

「…そうかな…?」

「そうだよ。今の話だって、ちゃんと相談に乗ってこようとしてくれているし、俺の要望も聞き届けようとしてくれている」

「…私は、我儘だよ」

「我儘な所も好きだよ」

 田上がそう言うと、タキオンがふふっと笑った。

「また、殺し文句だ」

「彼氏が、彼女を惚れさせて悪いか?」

「全然悪くない。…君のそういう所が好きだ…」

「お、タキオンも殺し文句だ」

「私の殺し文句で、私に心底惚れるがいい」

 タキオンは、田上といちゃいちゃできることの幸福感に酔い痴れながら、そう言った。田上も同じような幸福感に酔って、幸せそうにタキオンとぽつりぽつりと話をした。それから、暫く話をした後に、話題は自然にアパートの方へと移行した。

 

「アパートは、俺思ったけど、ここで一生暮らすと仮定したら、タキオンが見つけた三階の部屋よりも一階の部屋のほうが良いと思うんだよね」

「どうしてだい?」

「子供ができるだろ?そうなると、子供ってのは走り回るもんだ。家でも当然走り回るから、足音が下の階に響く。そうすると、親の俺たちとしては、二階や三階で下の階の人たちに気兼ねするより、一階で子供たちを存分に走り回らせたほうが良いんじゃないか?」

 田上は、敢えて今の問題である『子供を産む』というのを無視して言った。しかし、タキオンとしては無視もできなかったようで、一度真顔で黙り込むと、こう言った。

「子供が作れるかは分からないけどね」

「俺は案外大丈夫だと思ってる。タキオンが、俺の結婚できるかの不安を大丈夫だと言っていたように、俺も大丈夫だと思ってる。案外成り行きなんじゃないか?」

「君だって、私との間に子供を産むのが怖いくせに」

「じゃあ、結婚するつもりはないのか?」

 田上がそう聞くと、今まで目を合わせて会話をしていたタキオンは、田上からふいと目を逸らして言った。

「…結婚は、…したいと思っている。でも、産まないという選択肢も…ないかな?」

「…俺は、…頭下げる方だよ。産んでほしくはあるから…」

「……私は…ねぇ…、君ともっと一緒に居たい…」

 それから、二人は暫く黙ってから、田上が言った。

「何年くらい?何年くらい同棲したら満足する?」

「…百年」

 タキオンがそう答えると、田上は困ったように微笑んだ。

「俺は、百年も生きてられないなぁ…」

「…そもそも、まだ、合宿の時にどうするのかの議論も終わっていないよ。例え一週間家を空けるとしても、私は寂しくて死んじゃうよ。…浮気もするかもしれない」

 浮気という単語を聞くと、田上の心にも焦りが生まれた。田上は、未だに、タキオンと自分は不釣り合いだと考えていたので、タキオンが他の男になびくのも十分にあり得ることかもしれないと思った。その動揺が、思ったよりも激しくて、田上は咄嗟に口を聞くことができなかった。すると、タキオンはその田上の動揺をしっかりと察して、言った。

「浮気はしないよ。適当なこと言ってごめん。でも、一週間でも一か月でも会えないとなると寂しすぎる」

「……なるべく会いたい…」

 田上は、さっきの動揺がまだ響いているような話し方をしたから、タキオンも申し訳なくなった。

「今のはごめん。ちょっとありそうな事を言っただけだよ。私が離れるのが怖いなら、ちゃんと捕まえていてくれよ」

「………お前が、…他の男の所に行くと思うと、…本当に怖い」

「行かないよ。私は君に惚れているんだ」

「俺は、自分に惚れてない」

 田上がそう言うと、タキオンは仕方なさそうに笑った。

「なら、君が私の事をもっと好きにならないとね。しっかりとした確信が得られるまで、私の事を愛してくれよ」

「立場が邪魔するなぁ…」

「立場なんてなんだい。…私たちは、もうその垣根を超えて愛し合っているよ」

「………お前は、………なんでもない」

「なんだよ。最後まで言えよ。煮え切らないなぁ。ほら、言ってみたまえ」

「……お前が、…好きだって言おうとしただけだよ」

 田上の言葉に、タキオンは嬉しそうに笑った。

「そんなことくらいささっと言いたまえ。…いや?…『お前は』だから少し違うな。圭一君、ちょっぴり嘘を吐いていないかい?」

「嘘は吐いてないよ」と田上は、多少面倒臭そうにしながら言った。

「いや、『お前は』と『お前が』では明らかに違う。君の気持ちを表すのに、――お前は好き、という言葉は使わないだろう?」

「使うかもしれない」

「そこで意地になってもらわれても困る。ほら、君の好きな彼女に言ってみろよ。お前は、の本当の続きは何なんだい?私は、君の彼女なんだから、私たちの間に隠し事は不要だぞ」

「…あんまり、何を言えばいいのか分からなかったから、誤魔化しただけだよ」

「じゃあ、何を言いたかったのか考えよう。君の気持ちを考えるのは好きだ」

「じゃあ、勝手に考えててくれ」

「何言っているんだい。君も私の目の前に居るんだから、当然話し合うんだよ。 お前は、……と君が言うんだ。私は、これを疑問文だと思うね。圭一君は、私の何かを知りたがったんだ。だが、…もしかしたら、それを言うと話がややこしくなりそうだから、聞くのをやめたのかもしれない。君は、面倒なのを避ける性分だからね」

「そうでもないよ」

「そうでもあるよ。君は私の事は好きだが、面倒は嫌いだ。もし、その質問が、私と君の関係を危うくさせるものではない、もしくは、危うくさせるものだと考えた場合、君はその質問をやめるだろう」

「どういう事だ」

「つまり、ややこしい話を君はしようとしたんだが、ややこしいのが面倒で、君はその質問をやめてしまったという事だ」

「…それで?…終わり?」

「いや、終わりじゃないよ。 無論、君は私の事が好きだ。こうして、今私を膝の上に乗せてくれるくらいには、私の事が大好きだ」

「…そうだね」と田上が答えると、タキオンはにこりと笑った。

「そして、私を毎週末泊めてくれると約束するくらいには、大好きだ」

「そうだね」

「それから、私も君が大好きだ」

「…話は?」

「今からする。 この『好き』という私たちの間にある感情は、当然のことながら、今の君の躊躇いに深く関係する事だと、私は考えている」

「本当か?」

「本当だ。圭一君の大好きな彼女を信じたまえ」

 タキオンに、真正面から目と目を見合わせられると、田上は、何も言えずに見つめ返す事しかできなかった。

「お前は……、の後に続く言葉だ。疑問文、ややこしい話。…私に何か投げかけたかったのだろう?その直前の言葉は、…確か、立場を超えて愛し合っているという話だったかな?」

「そうかもね」

「そうだろう。君は、立場という物に非常に弱い。無論、その気持ちも良く分かる。君は立場の人間だ。君が私に片思いを続けていた頃、君は私との間にある立場を常に意識しなければならなかった。今となってはもうその必要もないのだが、今もその名残は残っているから、アパートの件もごねたのだろう」

「今ごねているのはお前だけどな」

「まぁ、そういう事にしておいてやろう。今の話は君だ。君は、私に何を伝えたかったのだろうか?お前は……、立場をどう思っている?」

 タキオンは、そう言ってみて田上の反応を窺った。田上はあまりしっくりとは来なかったので、首を傾げて「どうかな」と言ってみた。タキオンもそれに納得が行かなかったらしく、次の言葉を言ってみた。

「お前は……、愛してくれているのか?」

 これも、田上は同じように首を傾げて「どうかな」と言ってみた。タキオンは、再び考えた言葉を言った。

「お前は……、お前が好きだ」

 田上はもうそれでいいと思った。これは、なにも全部が全部諦めたというわけではなかった。半分程は諦めであるが、そういう言い方の方が、自分らしいと思ったのだ。結局、初めの自分の言葉に帰結してしまったが、田上には、それ以外の言葉が皆目見当もつかなかった。『お前は』の言葉の裏に何かあったとしても、自分は大体そう言うだろう。その為、田上は「もうそれでいいんじゃないか?」と言った。タキオンは不満そうだった。元々、田上の言葉の裏にある物を見つけたいと始めた議論だったからだ。ただ、タキオンにもそれ以上の言葉が思いつかず、不満そうな顔をしながらも「これ以外に言葉が見つからないなぁ」と言った。それからも、タキオンは諦めきれずに、田上の顔を見つめながら続きの言葉を探し出そうとしたが、結局、あんまりしっくりこない言葉が出続けるままに終わった。

 

 それから、不満そうなタキオンの沈黙が続いた後に、田上が言った。

「元々は、アパートと夏合宿の話じゃなかったか?」

「…そうだ。…お前は…の後の言葉は何だと思う?」

「その話は一旦やめよう。じゃないと、いつまでも、アパートの話がまとまらないぞ」

「…いいだろう。何か策でもあるのかな?」

「…夏合宿って、家族でも行けたかな?」

「…どうだったかな…。…家族寮程のスペースはなかったようにも思うけど」

「…それに、約二か月間も家族を別の所に移すっていうのもなぁ」

「私は、ついて行けるのならついて行くよ」

「子供ができた時が…。まぁ、子供の話は後にしておくか」

「そうしてくれ」

「…俺の知り合いに家族持ちが居ないから分からないけど、夏合宿の時はどうしているんだろうなぁ」

「…一人は嫌だよ」

「分かってるよ。俺もお前に寂しい思いをさせたくないけど、…今は文明の利器があるんじゃないか?」

「文明の利器があっても君の事が恋しいから、アパートに移り住もうとしているんじゃないか」とタキオンは少し怒り気味に言った。それに、田上は微笑んで「ごめん」と言った。

「じゃあ、…一週間?でもダメなのか?」

「毎日、寝る前にテレビ電話で顔を見せてくれるのなら、一週間くらいは我慢しても良いが、それ以上は確実に駄目だ。寂しくて死ぬ」

「……そうすると、……。毎年家を空けないといけないってのも、なんだかな話だなぁ…」

「そうだよ。毎年だよ。子供が生まれてからでも、一歳ばかりだと、苦労も多いよ?いっその事、トレーナーを辞めたほうが良いんじゃないか?」

 タキオンにそう言われると、田上も困ったような笑みを浮かべた。

「トレーナーを辞めるって言ってもな…。少なくとも、リリーさんは、育て上げないといけないし」

「私はそんな子の事はどうでもいいよ」

 その言葉に、今度の田上は、真面目な顔になった。

「お前はその態度でいいかもしれないけどな?こっちは、そう上手くも行かないんだよ。スカウトしてしまった以上は育てないといけないんだから。それに、この世に俺の教え子は一人じゃない。お前も、俺を自由には扱いきれないよ」

 タキオンは唇を尖らせた。

「そんな事は分かっているよ。…多少は君に譲ってやるさ」

「多少じゃ済まないかもしれないよ?」

 そう田上が問いかけると、タキオンは田上から目を逸らして言った。

「…それじゃあ、寂しい。…浮気、してもいいのかい?」

「…それを振りかざすのはやめてほしいよ…。俺もそれに弱いんだから」

「…じゃあ、私の言うとおりにしたまえ」

「リリーさんを放っておけと?」

「…私をもっと愛せ」

「……何が愛になる?」

「…ハグする。手を繋ぐ。キスをする。一緒に暮らす」

「…キスは、今日して無いんじゃないか?いいのか?」

 田上がそう言うと、タキオンは微かに微笑みながら田上の顔を見て、小さい声で「したい」と言った。田上は、周囲に目を泳がせて、誰も見ていないか確認したが、そうする間にタキオンが田上に唇を重ねて、目を瞑る事となった。少量の罪悪感が田上の胸に流れてきた。微かに田上の胸を苦しめようとするものだ。少し息がしづらかったが、それはタキオンと唇を重ねているからかもしれない。タキオンが、今この瞬間に何を思ってキスをしているのかは分からなかったが、田上は、少しだけ――早く終わってほしいと思った。

 タキオンは、長く唇を重ねた後に、一度離したが、またすぐに二回目が始まった。田上は、タキオンのキスを断るつもりはなかったが、今ここに誰か来たらと思うと、少し怖かった。少し冷静になった頭では、こういう外でも危うい物だと思った。

 さすがに三度目はなかった。二回目も長く唇を重ねた後、タキオンは満足そうに田上の顔を見た。田上は、少し意気消沈したような微笑みだった。だから、タキオンもすぐにそれに気が付いて言った。

「私のキスが嫌だった?」

「…嫌じゃないよ」

「じゃあ、もう少し嬉しそうな顔をしてみてくれよ。私も、悪い事をしちゃったのかと思うじゃないか」

「……悪い事をしてるのは俺だよ…」

「違うよ。…ああ!上手く行かないのに腹が立つよ!私たち、恋人同士でいいじゃないか」

「……良いと思う」

「…もう一回キスしても良いかい?」

 タキオンが、真面目な顔をしながらそう言うと、田上は先程から表情を変えないまま「いいよ」と答えた。そして、タキオンがキスをした。田上の胸には、また先程と同じように少量の罪悪感が流れ込んできて、息がしにくかった。

 タキオンは、唇を離すと表情を曇らせながら、田上の顔を愛おしそうに覗き込んだ。田上の顔は、意気消沈の笑みのままだった。

「……もっと君を楽しくさせてあげる」とタキオンは言った。「もっともっと、君が世間とか、この世とあの世の区別を忘れるくらい、私に夢中にさせてあげる。私を彼女としか見れないように狂わせてあげる。…絶対にだよ」

 そう言われると、田上ももう少し口角を上げて「狂わせてみてくれ」と言った。タキオンは、唐突に田上に軽くキスをすると、すぐに離れた。そして、今度はキスを求めるように目を瞑ってみせた。田上はこの行為に戸惑い、辺りをキョロキョロと見回した。人は誰もいそうにはなかった。だから、田上は暫く彼女の愛おしい顔を見つめた後に、そっとその唇にキスをしてやった。二人は、頭に愛おしさを上らせながら、彼氏と彼女らしく少しのキスをして、やめればお互いの顔を見合った。見合う頃には、田上の頭には再び後悔が渦巻いていて、表情も先程のようになった。タキオンは、その頬を優しく撫でながら言った。

「君のそういう表情も、私との距離がもっと近くなれば、次第に消えて行くと思う」

「…そうかな…?」

「そう。圭一君の彼女を信じたまえ。世界一、君の家族よりも君を愛しているんだ。もう、圭一君と私は家族だよ」

 田上は、何も答えずに少しだけ目を逸らした。

 

 そのキスから、また話はアパートの方へと戻った。

「で、結局どうなったんだったかな?夏合宿とアパートの話は」

「答えは出てないよ。家族持ちの人はどうなるか、学園の方に問い合わせてみてもいいけど、今じゃなくていいんじゃないか?結局、その問題が浮上してくるのは、来年か…再来年か、タキオンが引退してからか、だから」

「じゃあ、引退しない」

「走り続けるのか?」

「…それは、君が決めてくれ」

「じゃあ、宝塚記念の出走も取り消そう」

 田上がそう言うと、タキオンの顔も少し曇った。しかし、何も反論しようとしなかったので、遂に田上の方から口を開いた。

「悪かった。今のは冗談。…宝塚記念は、一緒に頑張ろうな。チーム皆で勝とう」

「…私は、チームのメンバーじゃないよ」

「何言ってるんだよ。お前も立派なチームTruthの一人だよ」

「違うよ。君は、リリー君が浮いていると思っているかもしれないが、実際に浮いているのは私の方だ。私が浮いて、君を引っ張ろうとしている。リリー君は、立派にチームをやっているよ。 私が、チームのリーダーを引っ張り出して、崩壊させようとしているんだ」

「……じゃあ、…じゃあ、…今日のトレーニングはやめて、一度話し合うことにしようか」

「どうして?」

「俺が、このチームには一度、まとまった話し合いの時間が必要だと考えた。お菓子とか買ってくるから、それを摘まみながらぼちぼち話でもしよう。何にもまとまらなくていいよ。リリーさんに、改めて、俺たちの関係を説明して、これからやろうとしている事を説明しよう。確かに、お前も、俺を引っ張り出そうとしているのは分かるが、リリーさんも同年代の子が居ないから、あのトレーナー室だと話しにくいんだと思うんだよ。そして、担当してもらっているトレーナーは、残念ながら先輩に独占されている。ちょっと、俺の思い描いていたチーム像と違うな」

「どんなチーム像?」

「もう少しワイワイガヤガヤとして、皆で笑って机を囲んでるチームだよ。俺とお前が恋人同士でも構わないけど、俺のチームの理想はそれだ」

「私は叶えさせてあげないよ」

「じゃあ、もう少し、お前も、俺に狂わせてみようかな。チームなんて歯牙にもかけないくらいに俺に夢中になってみよう」

「私は、今でも歯牙にはかけてないよ?」

「意味合いが違う。今のお前は、むしろ、チームを歯牙にかけて、そこから引っ張り出そうとしているだろ?お前が今言った事だ」

「うん」

「俺が言いたいのは、タキオンがチームに対抗心を抱かなくなることだ。俺の恋人はお前で決まりだろ?」

「…どうかな。…君、すぐに逃げようとするし」

「そりゃあ、俺が悪い。けど、もういつの間にか、アパートに引っ越す一歩手前まで来たよ。案外、成り行きで行けるんじゃないか?」

「そうも行かないから困っているんだよ」

 そう言われると、田上も申し訳なさそうに微笑んだ。それから、こう言った。

「もう少し俺の事も信じてみてよ。俺、お前の事好きだよ」

 すると、タキオンは、はにかみながらそっぽを向いて、照れを隠してから言った。

「君の事を信じてないわけじゃないさ。ただ、君はそう言っても揺らぐからね。揺らぐと、君と繋がっている私も揺らぐんだ」

「…気をつけないとな」

「何回君に揺らされたか分からないよ。その度に不安になる私の気持ちを想ってみてごらん?」

「…本当に済まない事をしたとは思ってる」

「…私も今のやり方は汚かったな…。君を苛めたかったわけじゃないんだけど、…すまない。私は阿保だ」

「お前は阿保じゃないよ」

「いや、阿保な事をした。適当な事を言って君を傷つけた。 私は、…むしろ、本望なんだよ、君に揺らされるのが」

「でも、揺らされるのは嫌だろ?」

「いや、私はそれを望んでやっているんだ。むしろ、揺らされるのも快楽の内の一つだよ」

「そうかなぁ…?」と田上は不納得げに言ったが、タキオンは「そうだ」と答えると話を切り替えた。

「私は君のことを信じてるよ。少なくとも、ふらついたとしても私から離れようとしないって事は分かってる。…それで、少々話が逸れ過ぎていないかな?今は、チームの話ではなく、アパートの話だったはずだ」

「宝塚記念の後は?」

 田上が、少々意地悪にそう聞くと、タキオンは顔をしかめさせた。

「あんまり私の嫌なことを言うと、…キスするよ?」

「今はもうそんな脅しは、あんまり意味がないんじゃないか?」

「じゃあ、してもいいんだね?」

 田上は微笑みながら「いいよ」と答えた。タキオンは、不満げな顔をしながらも田上にキスをしたが、すぐに離れるとこう言った。

「君からキスをしたまえ。私がするんじゃ意味がない」

「俺が?」

「そうだよ、圭一君だ。私が強引にしたところで君が慣れ切ってる。君が私に強引にしたまえ」

「……どういう事?」と田上は、なんとか自分でしない道を探すために、話を逸らそうとした。しかし、タキオンは首を振って言った。

「それには答えない。優秀な君なら私の言った事なんて、すぐに分かるはずだ。ほら、してみたまえ」

「……強引にされたいの?」

「君ならされたい。君から求めてくることなんてほとんどないから」

「…強引にすることを求めている時点で、それはもう強引とは言えないんじゃないか?」

「そんな事はもういいから、さっきみたいに君の方からしてくれ」

 田上は、不納得そうな顔をしながら、タキオンにキスをして、タキオンと同じようにすぐに唇を離した。すると、不満そうにタキオンが言った。

「もう少し」

「もうダメだよ。また、次の機会に」

「…浮気するって言ったら?」

 タキオンは、若干の後ろめたさによって、目を逸らし気味にしながら言った。

「そんな脅しは使わないでほしい」

「……君ともっと一つになりたい。誰も邪魔されない所で、お互いの心を曝け出せるような場所」

「じゃあ、次、…五時間目の授業が終わった時は、もういよいよ住みたい場所を探しておこうか。…一応、将来俺たちが同棲する場所って前提で探すからな?」

「それで構わないよ。私がまたそっちに行くまでに探しておいてくれ」

「それはしない。仕事があるからね。…それに、今日のトレーニングはしないって連絡を入れとかなくちゃな」

「…まだ、チャイムは鳴ってないし、今からでも探していいんじゃないか?」

「いや、もうそろそろ…」と田上が言った途端に、キンコンカンコンとチャイムが鳴った。二人は微笑みながら目を見合わせたが、タキオンの方は少し悲しげだった。

「…君が教師にならないかい?」

「俺が教師になったとしても、授業中に大っぴらにお前と話す事はできないぞ。それに、俺が他の生徒から質問とか受けてたら、お前は嫉妬したりするんじゃないか?」

「それは、…するかもしれないが、…。じゃあ、私の隣に君が座ろう。私の隣の席は君だ。教科書を見せてあげるから、席もくっつけよう。もう、誰が見ても――これは付き合っているんだろうな、と思うような接し方をしよう。君に近づく女は私が全部追い払う」

「とんでもない彼女を持ったな」

「…でも、…圭一君を他の女にとられたら困るだろう?」

「俺は、ちょっとやそっとじゃ他の女にはとられないよ」

「ちょっとやそっとじゃダメなんだよ。君の目の前に、私より君のタイプなとんでもない美人が現れたらどうするんだい?私は嫌だ。絶対に君にしがみ付く。泣き落とす。自殺する」

「そんな妄想でいきり立たなくてもいいよ。そんな美人が現れても、好きなのはお前だから」

「でも、…私、君なしじゃ生きていけないよ」

「俺無しで生きていけない人間を俺がどこかに放って逃げると思うか?」

「以前の君ならそうした」

「そりゃあ、悪い。以前の俺は悪い人間だ。でも、今の俺は、タキオンの傍に居るよ」

「本当かい?」

「もう何回キスしたと思ってる?お義父さんお義母さんの家にも行った。そして、なによりお前の手は放しちゃいけないと思ってる。お前こそ、俺が手を放したらどこかへフラフラと出歩いて怪我をしそうな気がする」

「じゃあ、もっと私の手を握って」

 そうタキオンは嬉しそうに言った。ただ、二人はお互いに抱き合っていて、中々離れられない体勢でもあったから、実際に手を繋ぐ事はできなかった。代わりに、田上はタキオンの体を軽く抱くと、愛おしげに顔を覗き込みながら「アパート、楽しみだな」と言った。タキオンはそれに頷いて、田上にキスをした。それから、二人はそれぞれの場所へと分かれて行った。

 

 五時間目の休み時間になると、タキオンと共にリリックの方も来た。田上が、授業中に送っていたメッセージを読んで、実際の話を聞きに来たようだった。聞いてきたことの答えは、メッセージの内容そのままだったので、田上は少し具体的にしてやる事を伝えた。その後に、「なぜ?」と聞かれたので、田上はタキオンの方をチラリと見た後「タキオンがあんまりチームに馴染んでいないのと、もう今週の日曜にはもう一人スカウトする予定だから、そこら辺の話をしたいのと、…たまにはこういう休憩の日もあっていいのかな、と思って。お菓子を買ってきたから、それを摘まみながらぼちぼち話せたらいいなと思ってる」と言った。リリックは、あんまり理解していなさそうな調子で、「はあ…」と曖昧に返事をした後、部屋から出て行った。その後に、タキオンと田上は本格的に住みたい部屋を探し始めた。

 良さそうな物件を探すのに、そこまでの時間は要らなかった。タキオンが探し出した部屋よりそれほど遠くない場所に、一階の3DKの部屋を見つけた。三部屋もあれば、家族が住むのにそれ程窮屈でもないだろう。

 田上とタキオンは、その部屋の見学をいつにしようかと話し合った。今週の日曜は、田上が選抜レースを見に行かなければいけないので、タキオンのトレーニングが休みと言えど、午前中から午後半ばまで時間は空いていない。適当な人をスカウトできれば、田上もそれでよかったのだが、決められなくて長引いた時が困るので、その日はダメだった。

 すると、タキオンのトレーニングが午前中にはあるが、午後は確実に空いている今週の土曜辺りが良いのだろうか?今日が火曜だったので、今からの予約で大丈夫だったか、田上には少し不安だったが、とりあえず、行きたい日はそこに設定した。もし、タキオンが一緒に見学には行かないと言っていれば、田上の身一つで多少動きやすくはあったのだが、タキオンが一緒に行きたいというから、仕方なくその日にする事にした。

 ただ、考えていくうちに、田上の頭には二つの問題が発生した。一つは、田上とタキオンで家族のように行動するのは、些か面倒だという事だ。マテリアルやリリックなんかは、もう二人が付き合っているという事実を知っているから、それについての議論は終わらせてきたが、不動産の人は知らない。ただ、恋人のような二人が、同棲するために部屋を訪れるだけだ。勿論、同棲するわけではないという事は釈明するつもりだったが、それにしても、トレーナーとウマ娘の私生活が近寄りすぎている事は、不動産の人にも明白だろう。トレーナーが引っ越すための内見についていくウマ娘は、中々居ないのじゃないかと思う。

 二つ目は、将来の為を見据えるにしても、田上の身一つに対して三部屋というのは、勿体ないのではないだろうかという事だ。これは、タキオンと話しているうちに段々とそういう気がしてきた。田上は、確実に、その三部屋を一人で有効利用できる気がしない。自分の生活では、一部屋だけで事足りてしまいそうな気がする。そうなると二部屋分の家賃がもったいない。アパートを決めた時には、嬉しくて遥か未来の事まで考えてしまっていたが、考えてみれば、子供をすぐに作るとは限らないし、出産するとなると大きな時間がかかる。とても、三部屋ではもったいないような気がした。それをタキオンに言ってみると、タキオンも田上と同様の気分になったようではあった。しかし、特に、田上程の頓着も感じなかったため、「それでもいいんじゃないか?」と言った。ただ、別のが良いのであれば、私はそれに従おうという態度だったので、田上は暫く悩んだ後に、もう一度、今度は、もっと自分にあった部屋を探してみる事にした。

 そして、また六時間目のチャイムが鳴ったので、タキオンは不満そうにしながらトレーナー室を出て行った。

 

 六時間目の授業中にまたマテリアルが話しかけてきた。

「いよいよ大詰めですか?」

「ん?」

「アパートです。いよいよ引っ越しする事になったんですか?」

「ああ、…まぁ、まだちょっとかかりますが…」

「……タキオンさんの事どう思っていますか?」

「…どういう質問で?」

「…どう思っているのかな?って」

「…普通に、…好きですけど」

「…どのくらい好きなんですか?愛してますか?」

 そこまで問い詰められると、流石の田上も苦笑した。

「それを聞いてどうしたいんですか?」

「どうという事はありませんよ。ただの恋バナです。実際、田上トレーナーはタキオンさんの事をどういう風に思っているのかな?って」

「じゃあ、俺は黙秘権を行使させてもらいます」

「それじゃあ、つまらないじゃないですか。後学のためです。男の人は、女のどんなところに惚れるんですか?」

「…男…って言われても…」と言いながら田上は首の辺りをポリポリと掻いた。

「マテリアルさんの方が経験は豊富なんじゃないですか?」

「私は同棲どころかキスもしたことはありませんよ」

「本当ですか?」と田上は思わず驚いてしまった。その失礼さにマテリアルは、柔らかくしかめっ面をして言った。

「失礼ですけど」

「ああ、すみません。してないとは思ってなかったので」

「子供っぽいですかね?」

「…いや、…どうなんでしょうね…」と田上は返答から逃げた。それに、マテリアルは含みのある顔つきをした後にこう言葉を発した。

「で、タキオンさんはどうですか?どこに惚れてますか?」

「それは、職場で言うべきことなんですかね?」

「言うべきことですよ。言いましょう。顔ですか?性格ですか?タキオンさん、甘え上手そうですから、そこら辺が男の人には受けるんですかね?」

「俺を男の人代表だと思われると、違いますよ。男って言っても、ごっついのからひょろいのまで色々居るんですから、その人によっても好みがあるでしょう」

「じゃあ、もう田上トレーナーの好みで良いですよ。タキオンさんのどこに惚れたんですか?」

「そこまでして恋バナがしたいんですか?」

「後学ですよ、後学。私もごっついのと付き合うつもりは、今の所ありませんから、田上トレーナーから見て、男の人が女に惚れる要素ってなんですか?」

「……顔なんじゃないですか?」

「結局そうですか?」

「…あとは、距離感とかもあるんじゃないですか?距離が近ければ、それだけ男の目も引かれていくでしょうし」

「…じゃあ、…どうなんでしょうね?私の顔って悪くないですよね」

「まぁ、良い方だとは思いますよ」

「…じゃあ、…今まで付き合ってきた人は、距離が遠かったんですかね?」

「…俺は、当事者じゃないから良く分からないですけど、…まぁ、…どうなんでしょうね?」

「どうなんでしょうねぇ…」とマテリアルもオウム返しに言いながら、物思いに耽って行った。それから、六時間目は終わり、放課後となった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。