11月11日 記
家に帰り着くと凍り付くほど静かな家が出迎えたが、それも一瞬で賑やかさに打って変わった。明かりが煌々とつき、人は賑やかにまだ冷えている炬燵に入った。
すぐに老人たちも到着して、賑やかさは一層増した。田上は、父の手伝いをしてフライパンの上のものを温め直したり、食卓に飯を運んだりした。その過程で、全員が一つの炬燵に入るには、どう考えても少ないだろうということで、低くて小さい丸テーブルを一つ物置から取り出した。それを隣の部屋に少しはみ出す形で置いた。ここは、田上とタキオンの席ということになった。
賑やかな一団から田上は少し離れることとなったが、田上としてはそちらの方が嬉しかった。どうにも賑やかなのは好みじゃない。タキオンは、ご飯が入っている皿が遠くなるということで少し不満そうだったが、田上に付き合って、自分も丸テーブルにつくことにした。どっちみち、田上からは離れる気がないようなので、タキオンに選択肢はないも同然だった。そのため、可哀想に思った田上が丸テーブルの方にも一つ、唐揚げが山と積まれている大皿を置いてあげた。タキオンは、これで万事解決だったようだ。
食卓の上に皿が並べられると各々、食べ始めた。テレビをつけて、音がなって、光が瞬いた。暫くは、田上も給仕なんかをして忙しそうに動いていた。だから、タキオンは田上が席に着くまで食べないで待っていた。田上が、「食べててもいいんだよ」と言っても、ただ静かに首を振って田上を待っていた。内心、唐揚げを目の前に積まれて、涎が垂れそうなほど腹が空いていたタキオンだったのだが、田上がこないとやっぱりつまらないので、来るのをひた待っていた。
田上は、それから十分ほどして、タキオンがまだ待っているのを確認すると、台所にいる父親にもう給仕をやめることを告げてから、小さい丸テーブルの所に向かって行った。賢助は、出来立てのものもあった方がいいと思って、朝は半分しか作っていなかったので、もう半分を今一生懸命作っていた。
田上は、タキオンの方に寄っていくと、狭い襖の間をタキオンを半分跨ぐようにして、隣の部屋へと移った。少しだけ賑やかさが薄れて、部屋の照明も暗くなったような気がした。
「ああ、まだカーテンを閉めていなかったね」
田上は、隣の部屋のベランダに続くガラス戸を見て言った。そして、その前まで歩くと外の星空を見つめた。しかし、空に輝くはずの星は、部屋の明るい光に照らされて見えず、代わりに見えたのは、自分の顔だった。あんまり見たくもない顔が映ったので、田上は、嫌な顔をしながら、カーテンを閉めた。
それから、振り向くとタキオンの方を見て言った。
「ご飯食べててもよかったんだぞ?」
タキオンは、静かに首を横に振って言った。
「あんまり一人でモリモリ食べててもつまらないじゃないか。…君も食べるのを見たい」
タキオンの言葉に田上は不思議そうな顔をした。
「…お前もそんなことを思うんだな。…別に向こうに行って、皆と一緒にご飯を食べてもよかったんだぞ?一人が寂しいってことなら」
田上は、テレビを見ながら笑いさざめく向こうの部屋を指差して言った。タキオンは、それを暫く見つめたが、やがてぽつりと言った。
「君との方がずっと楽しいよ。…少なくともあっちの方がずっと大変だ」
その言葉に田上は苦笑した。
「まぁ、絶対にどっちの婆ちゃんも話しかけてくるからな。そりゃあ、大変だ」
「ああ」
タキオンは、また静かに頷いた。そうすると、田上もタキオンがなぜこんなに大人しいのか気がかりになって、本人に聞いた。
「タキオン、今日は随分と大人しいな。まだ、眠気が覚めないか?」
タキオンは、車の中で田上の隣でいつの間にか眠っていた。だから、タキオンより先に寝てまた目覚めていた田上は、横で寝ているタキオンを疲れているのだと思い、家に着くまで眠らせた。だが、まだ眠いのかタキオンはいつもより大人しかった。
田上の言葉にタキオンはこう返した。
「…まだ、眠いのかもしれないけど、それだけじゃないよ。こういう気分なんだ。静かにものを話したい気分。分かるかい?」
「分かるよ。俺もそういう気分になるときがある。考え事をしたい時とかな」
田上は、丸テーブルにつくと唐揚げを一つ箸でとって自分の皿に入れた。それから、白飯がないことに気が付いて立った。
「タキオンの分も取ってくるからな」
そう言うと、田上は台所の方に白飯をつぎに行って、ついでにコップも二つ持っていった。
そうして帰ってくると、タキオンは眠そうに目を擦っていたから言った。
「やっぱりお前眠たかったんじゃないか」
田上は、丸テーブルにご飯とコップを置いて座った。すると、タキオンが今度は決定的に眠たそうな声で言った。
「私は眠たい…けど、ご飯も食べたい。…どうしたらいい?」
「眠ってご飯を食えばいいんじゃないか?」
田上が、そう言うと、タキオンは「それじゃあ」と言って、座って胡坐をかいている田上の太ももの上に頭を乗せた。
「君が食べさせてくれ」
タキオンは、食べさせてくれと言ってる割には小さく口を開けた。だが、それに食べさせてやろうとも思わずに、タキオンの頬を叩くと言った。
「やっぱり寝ながらご飯を食うと喉に詰まらせる。起きて食え。起きて」
「えー」とタキオンは声を上げた。そして、こう言った。
「なら、起きるから君が食べさせてよ」
「なんでそんなことをしないといけないんだ。お前が自分で食えよ」
「いやだよ。君が食べさせてくれよ。そうしないと私は、箸すら持たないね」
田上は、嫌そうにタキオンの顔を睨んだが、一つため息をつくと仕方がなさそうに言った。
「お前もどうしようもない奴だな。俺は、お前のことが全然分からないよ。どのタイミングでどういう風に変わるのか」
「分からないから私なんだよ」
「じゃあ、この帰省中は特にお前だな」
田上は、自分の皿に置かれた唐揚げを一つ掴むと半分に割って、タキオンの口に放り込んだ。タキオンは、もぐもぐしながら「ご飯も」と言って、次いで口を開けた。
「行儀の悪い奴だな」
田上は、そう言ったが、タキオンは気にしなかったようだ。ニヤリと笑うと、口をもぐもぐさせた。
これは、タキオンもいたく気に入ったようだ。その後も、田上がその場にいなかったとき以外は、田上に口まで運んでもらった。
その様子を見ながら、田上が言った。
「お前、ここに来てからどんどん幼児になっていってるぞ。そのうち、ママのおっぱいとか言い出すんじゃないか?」
ちょうどタキオンに口の中一杯に詰め込んだ時だったので、タキオンは言葉を発することができずにただ首を横に振った。そして、「んんーんーんんん、んっんんんんんんんん」とわけの分からないことを伝えようとしてきた。
田上は、それに半笑いで返した。
「なに言ってるか分からないよ」
タキオンは、田上をじっと睨むと口を急いでもぐもぐさせて、それから、中のものを飲み込むと言った。
「トレーナー君からは、おっぱいは出ないだろ!」
その時、隣の部屋の一番近くにいた前田家の婆ちゃんがその言葉を聞きつけて、田上たちの方を振り向いた。
「あんたたちなんの話をしてんね?」
田上は、少し慌てて「何にも」と返したが、婆ちゃんにはしっかりと会話の内容が聞こえていたようで、「圭一からおっぱいが出る出ないの話で何にもと言うことはなかろ?」と言ってきた。田上は、責めるようにタキオンを見たが、その頃にはタキオンは我関せずという顔で水を飲んで唐揚げを食っていた。
田上は、仕方なく婆ちゃんの対処をした。
「タキオンが、大変だからこういう話になったの。あんまり話す気はないから、前向いてテレビを見な」
前田家の婆ちゃんは不思議そうな顔をしたが、孫の言うことに素直に従ってテレビの方を見た。
時間はあっという間に過ぎ去っていくようだった。皆は、だらだらとご飯を食べていたが、老人たちが「もうそろそろ出ないとね~」という雰囲気になった。そこで、賢助が「忘れてた!」と声を上げた。
「記念写真撮るよ。記念写真」
賢助はそう言うと、写真が飾ってある棚の一番上の引き出しを開けてカメラを取り出した。
「圭一とアグネスさんも出てきて、皆で取るよ」
タキオンは、田上の方を見た。あんまり写真には写りたくないようだった。田上は、その顔を見ると、父に言おうかどうか迷ったが、さすがにここで「写真に映りたくない」は場違いだろうと思って、タキオンに言った。
「タキオン、ほんの一瞬でいいから写真に入りにいかないか?これは、皆で映るやつなんだ。タキオンだけいないってなると寂しいだろ?」
タキオンの不満そうな顔は変わらなかったが、田上が丸テーブルをどかして自分たちの入れる隙間を作ると仕方なくその隙間に入った。そして、二人で四つん這いになって賢助のカメラの準備が整うまで待っていると、タキオンが言った。
「あんまり私が入ってもしょうがないんじゃないか?…ここに客としてきたわけだし」
「そんなこと言うなよ」
田上が苦笑しながら言った。
「タキオンだって客人だけど…、客人だけど…」
ここで田上は自分の言おうとしていることに気が付いた。タキオンは、田上の客人であって、家族ではなかった。ここにきて、より一層タキオンとの距離が近くなって忘れていたが、タキオンと自分は家族ではなかったのだ。それどころか、交際すらしているわけではない。あまりに驚いたので、田上は言葉が出てこなくてタキオンを悲しそうに見つめた。
タキオンは言った。
「客人だけど…、なんだい?まさか家族とでも言うつもりだったのかい?」
あっさりタキオンに見透かされて田上は戸惑ったが、こう言い返した。
「家族とか、そんなもんじゃないよ。友達だよ」
「友達ぃ?」
タキオンはハハハと笑った。
「あんまり脈絡がないな。やっぱり家族とでも言おうとしたんだろう?…答えなくてもいいけど、私もちょっと君と密接に過ごしすぎてしまったみたいだ。あまりいい兆候ではないな」
「なんで?」
その言葉を聞いて、田上は少しがっかりした。
「なんでもどうしても、あんまり君に肩入れしすぎると、別れるときに辛くなるだけだよ。私は、その人とさよならをするときはね。あんまり未練たらしくはいたくないんだ。できるだけあっさり別れられた方が、自分にとっても都合がいい」
タキオンは、そう言葉を切った後に、少し間を空けると言った。
「…だけど、君と別れるときは少し未練たらしくなってしまうかもね。だって、最低でも三年は一緒に過ごすんだもの。情が湧かない方が不自然だよ」
その時、賢助が「もう撮るよー」と言うのが聞こえたから、二人はテレビ付近にいる賢助の方を見た。
「アグネスさんの方に寄ってくれ」
賢助が三脚の上にあるカメラを覗きながら全員の場所を調整していた。
田上が、タキオンの方に寄ると、タキオンがニヤリと笑って言った。
「君の方から寄ってくるなんて意外だねぇ。人肌が恋しくなったのかい?」
「うるさい。前の方を見ろ」
田上は、タキオンの顔をあえて見ずに言った。ここでタキオンの顔を見てしまうと、恥ずかしさで死んでしまうような気がした。タキオンが言った通り、田上の方から寄ることなんてほとんどなかったから、タキオンのことをより意識してしまった。どこまで寄っていいものかも分からずに顔がごく近いところにあるのは、中々の緊張具合だった。
そのうち、もうタキオンから離れてしまおうかと思った頃に、やっと賢助の納得のいく具合に仕上がったようだ。再び、「撮るよー」と言うと、カメラのボタンを押して、自分は幸助の隣に行った。
パシャと一枚撮れた。そして、次いで二枚目が撮られたので、皆三枚目があるのかどうか訝しんで動けなかった。だが、そこで父の賢助が動いて、カメラを確認しに行った。すると、「ああ」と落胆の声を上げて言った。
「お義母さん、あなたのピースしている手がアグネスさんの顔を塞いでました」
「あら、ごめんなさい」と前田家の婆ちゃんが謝って、少しタキオンから離れるように移動した。
「私も実はそんな気がしてたんだよ」
タキオンは、田上に小声で言った。
「じゃあ、お義母さんピースしたいんだったら自分の体の前でして、それで、アグネスさんと圭一は、もう少し前に出てきてもらえるか?」
言われるがままに、二人は四つん這いのまま前に進み出た。
「オッケーオッケー。それじゃあ、次、三枚撮るんで我慢して待ってて」
賢助は、またカメラのボタンを押した。
パシャ、パシャ、パシャ、と三枚が撮れた音がした。そこで、皆の脱力したため息が聞こえた。賢助の様子から察するに、これは上手く取れたようだ。ニコニコしながらそれを見ていた。そして、「よし」と言うと、こう続けた。
「父さんたちもう帰らないといけないんだろ?」
田上家の爺ちゃんが、炬燵の上にあるウインナーを一つ掴んで食っていた所に賢助がそう聞いたので、爺ちゃんは慌ててもぐもぐしながら言った。
「そうだ、そうだな。もう帰らなくちゃなんねぇ。…一瞬だったなぁ。…また会えるのはいつになる?」
賢助にそう聞いた。
「次?……予定が立つかなぁ?うーん…、圭一と幸助がこうしてまた揃うのは、命日の時だけど、今回はその命日も兼ねてんだろ?それにあんたたちももう若いとは言えない年だし、そんなに移動を繰り返してたら倒れるよ?」
息子にそう言われると、爺ちゃんは悩まし気に唸った。そして、言った。
「まぁ、気が向いたら来るかもしれないからな。その時は連絡する」
そう言って、爺ちゃんが立つと他の老人たちも自分たちの荷物をまとめつつ、立ち上がって玄関の方へと向かい始めた。まるで侘しい行進のようだった。タキオンと田上は、その後に続いて、最後に幸助が行進に加わった。
老人たちは、各々悲しげな顔をしていたが、もう本当に出て行くという段になると、次の希望を待つ顔になった。
「タキオンちゃん、またこっちに来るかしら?」
田上家の婆ちゃんが聞いた。
タキオンは、困ったような顔をして田上の方に助けを求めた。
「タキオンは、もう来るか来ないかは分からないよ。多分、来ない確率の方が多いかもしれない」
田上は、自分で言ってて悲しくなったが、その言葉の正否を問うようにタキオンを見た。タキオンは、こくりと頷いた。
「そう…」
婆ちゃんも悲しそうな顔をしたが言った。
「あなたをこんな間近で見れてよかったわ。タキオンちゃんのトレーナーを圭一がしてることは知ってたけど、こんな機会に巡り合えるとは思わなかったもの。…私が、最後に言いたいのは、ぜひうちの孫をあなたのお婿に推薦するってことね」
「婆ちゃん、やめてくれよ…」
田上は、もうほとほと老人の戯言には飽きたと言うように、首を振った。すると、婆ちゃんは言い返した。
「じゃあ、圭一は結婚するつもりはあるの?」
「…ないけど」
「それなら、タキオンちゃんに拾ってもらった方が楽じゃない」
「それは、タキオンの気持ちを考えてないだろ?…あんまり変な冗談はやめてくれ。対応に疲れる」
そこで、婆ちゃんは何かを言おうとしたが、玄関の外の方から「おい」と爺ちゃんに声をかけられると、一歩引いて、その後につかえていた前田家の二人が靴を履けるようにした。
前田家の二人は、それぞれ「タキオンちゃんばいばい」と軽く手を振って、その後の身内連中にも手を振ってから外に出た。
賢助たちも靴を履くと、見送るために外に出た。タキオンは、それにはどうも気が乗らないようだったが、田上が行くとなると自分もついてきた。
「車に轢かれんなよー」
賢助が、レンタル車を駐車している場所に向かう四人に向かって行った。四人は、暗い夜道にすっかり溶け込んでいた。元々、田上たちの方が光源であるから暗い方は見えないのは当然だった。しかし、それにしても見えなかったので、田上は少し心配だった。そこにタキオンは、ちょっかいをかけてきた。田上の脇を少しくすぐったのだ。途端に、田上は身をよじってくすぐったさに悶えると、タキオンに「何するんだよ」と言った。
タキオンはその言葉を無視して、暗がりの方を指差した。
「ほら、あそこに見えるよ」
田上は、タキオンの指差した方を眺めた。確かに、微かに四人の影が見えたような気がした。その中の一つが不意に振り向くと、「ばいばーい」と手を大きく振った。
タキオンは、何を思ったのか、微笑んで小さく手を振り返していた。田上は、それを見ながらも横で誰か分からぬ陰に手を振った。やがて、それも完全に闇の中に溶け込んで見えなくなった。
一番最初に玄関に足を向けたのは、タキオンだった。少し淡白な気もしたが、タキオンからしてみれば余韻なんて浸るだけ無駄なんだろう。田上は、そう思うと、タキオンの後について玄関の方に戻っていった。
家の中に戻ってみると、タキオンが言った。
「やっぱり家の中の方が暖かいね」
誰に言ったのか分からない独り言のような言葉だったが、田上はそれに「うん」と反応した。すると、タキオンは不思議そうにこっちを見て、「君に言ったんじゃなかったんだけどなぁ」と言ったから、思わず「ごめん」と謝った。
タキオンは、その言葉を聞いてハハハと笑った。
「謝らなくてもいいよ。別に怒ったわけじゃないんだから。…でも、君はこういうのが多いねぇ。どうしてかな?私は独り言のつもりだったんだけど、君が入り込んでくるときは多々ある。う~ん…、まぁいいか。別にそんな事には大して興味がないしね」
タキオンはそう言うと、炬燵の中の方に入っていった。
「ん~!…この炬燵、あのお婆ちゃんたちの香水の匂いがするよ。君だ。君の匂いが必要だ。今すぐ私に寄りたまえ」
タキオンがそう言わずとも田上は炬燵に入る予定だったので、タキオンの隣に座った。タキオンは、炬燵の中に寝転がっていたのだが、田上が来るとその足元にぴったりとくっついてその後に言った。
「あの人たち、まあまあ香水がきつかったね。特に、年寄りって言うのはそう言うものか。…でも、私の祖母そんなきつい香水はつけてなかったな」
「…タキオンの祖母?」
田上は、食卓の上に散らばっているご飯の残りに手をつけながら聞いた。
「君も知っているだろう?オークスを勝ったウマ娘さ」
「ああ、あの人ね。そういやそうか。タキオンの祖母か」
「そうだよ。君の祖母連中とは大違いさ。…全く、最後まで面倒だった。…走るルートを確認しに行ったときにさ。君があの厄介な老人に落ち込まされて帰ってきたじゃないか」
「ああ」
田上は、あんまり思い出したくないことを思い出すことになってしまって、顔をしかめたが、そのことには気づかず話は続いた。
「あの時、私は、――ああいう人が君の身内にいなくてよかったろ?って言ったような気がするけど、あれは、少し私がバカだったな。君の祖父母を確認しないでそう言っていた。あれは君を慰めるために言った言葉だ。前言撤回するよ。あれは、どうにもこうにも厄介だ。なんであんな人たちと話せるのか、君が不思議でならない」
タキオンの言葉に田上は苦笑した。
「本当に、本当にね。昔はいい人だったと思うんだけどね。…変わっちゃったのかな?いや、でも、元気具合は変わってないからな…。多分、俺がまだ未婚なのもあって、それで元気が爆発しちゃったんだろうね。――孫が家に女の子を連れてきた!ってね。実際はそんなんじゃないのに、……あの人たちそういうドラマが好きなんだろう」
「ふぅん」とタキオンが、相槌を打つ声が聞こえてきた。田上は、話していくうちに段々と自分の理想とかけ離れて言っているような気がして、気分が悪くなってきた。
――もうここで話は仕舞いかな。
田上が勝手にそう思っていると、タキオンが話しかけてきた。
「君はさ。お婆ちゃんたちに――結婚するつもりはあるの?って聞かれて、ないって答えたよね?」
田上は、何も答えなかった。
「でね?君、私にはいい男を見つけて幸せになってほしいって言ってたじゃないか」
またしても、田上は何も答えなかった。だから、タキオンはここでこう言った。
「……君、ちゃんと私の話を聞いてるかい?」
「…なに?」
ここで田上は初めて口を開いた。
「なにって、ちゃんと私の話を聞いてたかい?」
「…うん」
田上の反応がいまいちなのでタキオンは、困ったように頭を掻いた。
「う~ん、要領を得ないなぁ…。まぁ、話を続けるとね?君のさ、結婚の価値観はどうなっているんだい?私にはいい人を見つけて幸せになってほしいと言いながら、自分はその『いい人』を見つける気はないと言う。これって矛盾しているじゃないか。もし君が、結婚すれば幸せになるというのなら、君の選択は幸せにはならないということだ。一体、どういうつもりなんだい?」
「…言ってる通りだろ。幸せになるつもりなんてないんじゃないか?」
「ないんじゃないか?…そんな他人事みたいに…」
そう言って、タキオンは顔をしかめた後言った。
「君にとっての幸せって何だい?」
「幸せ?……こうして、正月のご飯の残り物を食べているときかな」
「それが?」
タキオンが、炬燵から体を起こした。そして、食卓の上のものを眺めた。
「これが君の幸せなのかい?」
「ん?うん」
ちょうど卵焼きを口に運んだところだった。
「これが君の幸せってことは…、一生その、正月の残り物を食べていくことだけを続けていけば、君は幸せな人生と言えるんだね?」
田上は、卵焼きを暫くもぐもぐした後、飲み込んで言った。
「こういうのは、たまにあるから幸せなんだよ。そんな毎日あったって、段々と胃もたれしていく一方だろ?」
タキオンは、驚きの混じった不思議そうな顔で田上を見た。
「そりゃあ…、そうだ。…でも、……う~ん、私には理解ができないなぁ。確かに、いい人を見つけてその後を幸せに生きていくって事は、正しく理想の姿なんだろうけど、…なにかが腑に落ちないんだよ」
玄関の方で幸助たちも帰ってきたであろうドアの開閉音が聞こえた。そして、話し声がすると、その話し声は部屋の中まで入ってきた。
タキオンは、それにとても迷惑そうな顔をしたが、幸助、賢助、両名共にそれには気が付かなかったようだ。楽しそうに会話をしていた。だから、タキオンが微妙な気分の顔をして言った。
「この家では、考え事は難しいようだね」
田上は、少し口角を上げて、「その通りだ」と頷いた。それを聞くとタキオンは、ふーーと長いため息をついて、また炬燵に倒れこんだ。
そして、暫くぼーっとした後言った。
「トレーナー君」
「…ん?なに?」
「……案外今日はいい一日だったのかもしれない」
そう言われると、田上は不思議そうな顔をした。
「なんで、そう思ったんだ?」
「なんで?…う~ん、そうだなぁ。…なにか、とっても充実した気分だよ。君が元気になって、すぐに退院できて、それで、面倒臭かったけど君の祖父母も知ることができて、神社に行って……、君はあの夕日のことを嫌いって言ってただろ?」
「うん…」
「私は綺麗だと思ったけどね。高いところから見る夕日はとても綺麗だ」
田上は、曖昧に返事をしたばかりで何も話さなかった。その様子を見ると、タキオンは苦笑した。
「君もあんまり大変なやつだなぁ。私だって大変だけど君だって大変だ。特に、君は相談できる相手がいない分大変じゃないのかい?…それとも私の知らないところで誰かに相談してたりするのかな?」
田上は、今度はもう何も答えなかった。すると、タキオンは再び起き上って、食卓のあるものを摘まんで口に放り込むとまた寝転がった。そして、もぐもぐしながら言った。
「君の言う幸せってのも分かるよ。確かに、お正月の残り物を食べる時間は、普段と逸脱しているという感覚があって楽しい。もし、楽しいというのが、幸せと言うんだったらね」
そこで、幸助が「何の話をしてるの?」と聞いてきたから、「君には関係のないことだよ」とタキオンが返した。幸助は少し不満そうだった。
その顔を見ると、自然と田上の顔に笑みが浮かんできた。隣では、タキオンがまた起き上がり、何かを摘まみ、また寝転がった。
「おいしいおいしい」言いながらタキオンは行儀悪く食べていた。その様子を微笑ましく思い、田上の顔にはさらに笑みが浮かんだ。
そして、言った。
「あんまり言うと怒るかも分からないけどさ」
「…ん?」
タキオンが、寝転がりながらティッシュで自分の汚れた指を拭いていた。
「タキオンは、…タキオンは、すごく、なんというか、…いい奴だよ。思春期とか子供とか大人とか、そう言うの関係なく、お前はいい奴だよ」
「…?それに私の怒る要素があるのかい?」
「いや、あんまりにも抽象的だから、捉え方によっては怒られるのかなって」
タキオンは、分からなさそうに「ふぅん…」と頷いた。そして、言った。
「…まぁ、君もいい奴だけどね。大変な人だけど、根本はいい奴さ。私が言うんだから間違いない」
「そう、なのかなぁ?」
田上は照れたように笑った。すると、タキオンも少し恥ずかしくなったようだ。食卓のものをもう一つ摘まむと言った。
「私の言うことを疑うんじゃないよ。…ただ、それ程深くも考えないでくれたまえ。いつ、恥ずかしいことを言っているのか分からない」
そして、近くにあった爪楊枝でウインナーを突き刺すと田上の方に突き出した。
「食うんだ。もっと食うんだ。ここから帰ったら、君をいじくり回して、こねくり回すからね。覚悟しておけよ」
タキオンが、そう言って田上の口に無理矢理押し込もうとしてきたから、田上は困った。だけど、嬉しかった。嬉しくて笑いが込み上げてくると、その開いた口にウインナーが押し込まれた。
もうなにで笑ったらいいのか分からなかった。タキオンにいい奴と言われたもの嬉しかったし、ウインナーを無理矢理口にねじ込まれたのは可笑しかった。田上は、喉にウインナーがつまらないようにしながら、一生懸命笑った。タキオンもその様子を見て、可笑しそうに笑った。
その笑い声は、賢助の心を温め、幸助の心も嬉しさに変えた。街の明かりは、夜を照らしていたが、タキオンたちが笑った時、一際明るく輝いたような気がした。
車の走る音が聞こえる。自転車が走る音も微かに聞こえる。猫の鳴く声も聞こえる。その中に、タキオンたちの笑い声も微かに混ざっていた。