田上とタキオンは、渡り廊下の石の塀に隠れるようにして、そこに座り、話をした。田上が、今回は、タキオンに少し甘えるように、肩を寄せながら話をしていた。
「俺は、……ここ最近また怒りたいような気がする…」と田上は話し出した。
「…私が仕事に邪魔かい?」
「……いや…。……怒りを爆発させたいと言うか…。お前に爆発させたいわけじゃない。ただ単純に爆発したい。うわーって叫びながら物とか何とか振り回して投げ飛ばしてみたい」
「ふぅん?」
「……お前に怒ってた時は爆発してた感じがあった。…もう怒れないけどな…」
「怒ってもいいよ?」
「今怒ったらただの八つ当たりになる。……ただ、……何かを爆発させたいんだよ。…分かる?」
「まぁ、君の本当の気持ちを叫びたいんじゃないかな?……タキオンがうるさいとか」
「お前は、…うるさいかな?…うるさいっちゃうるさいかもしれないけど、……どっちにしろお前には怒れない」
「私に優しくしたいからと言って、君が無理をして優しくしてもらっちゃ困るよ?」
「……どうだろうね…」
田上は、悩みながらそう答えた。
「………好き…」とタキオンは、悩んでいる彼氏の顔を見つめながら言った。
田上は、そう言った彼女の顔を数秒じっと見つめると、唐突に「俺は好きじゃない」と言った。これは口調から冗談だと分かるが、タキオンはあまりいい顔はしなかった。
「…あんまり冗談でもやめてほしいものだね」とタキオンは少し戸惑いながら言った。
田上も、申し訳なさそうに微笑んで、「まぁ、あんまり良くないね。…好きだもん」と答えた。それから、数秒沈黙が続いたが、田上が次のように言った。
「俺……、中学の頃からあんまり変わってない様な気がするんだよね…」
「…そうなのかい?」
「…勿論、ちゃんと思春期は終えたけどね…。…俺って子供っぽいかな?」
「…普通だと思うよ。君の様な二十五歳はどこにでもいると思う」
「居るかな?」
「居るだろう?ウマチューブなんかを見てみたら、君と同じような歳の人間が叫びながらゲームをやっているだろう?」
「…お前、そんな動画見てるの?」
田上は、少し驚いた顔をしながら聞いた。
「暇だったから見てみただけだよ。 多分、君と同じくらいの年齢なんじゃないかな?」
「声だけじゃ分からないよ。それに、そういう人たちって多少の演技が入ってる事もあるだろ?」
「…どうかな?…飲み会では四十過ぎのおじさんがバカやったりするんだろう?」
「酒が入ってるからな」
「…ああ言えばこう言うな、君は。……そもそも、君が自分に対する子供っぽいという評価はどこから来るんだい?」
「……考え無し?」
「考え無し?…中学の頃よりかは世間も知っているし、考えだってあるだろう?…入居審査は通ったかい?」
「いや、まだ」とタキオンの唐突な質問に答えた後に、田上はうーんと唸ってから言った。
「……中学の頃から成長してるかなぁ?……知識とか…経験はあるかもしれないけど、それが、今考える事に活かせているのかってなるとまた別の話じゃないか?」
「…まぁ、精神の事を言いたいのかな?……君、結構及び腰なところがあるからね。多分、私が君に対してキスをしなかったら、君は私に好きと言えないまま、私が引退するまで過ごしていただろうからね」
「……でも、…考えてもみろ?お前は女子高生で、俺はただの二十五歳なんだ。言わば先生なんだ。そして、お前は結構人の事を見ない性質の人間だった。そんな奴に、全く恋愛の対象として見ていない先生から告白されてみろ。その後接するのが辛くなるだろ」
「それはそうだろうがね…。保身の事ばかり考えていたら前には踏み出せないんじゃないのかい?」
「……でも、…お前と仲良かったし、…その関係を崩したくはないだろ?」
「……いや、…でもね、良い線行った時があったじゃないか。酒のお陰で手を繋いだ時があったし、それに見てみたまえ。付き合ってもないのにハグを何回したと思っている?」
「…あれは、…父さんの家に行っていた時に…俺を父親代わりにしているのかと思って…」「…なに、それを盾にして私に付き合えと言えばよかったんだ」
「お前、無理矢理付き合ったところでそこに収まる様な人間じゃないだろ」
「…一理ある。…でも、…デジタル君を巻き込んで喧嘩した時は、…あれはもう私が君の事を大切に大切に思っているという事が伝わっただろう?」
「…でも、その時は、俺は…嫌だって言ったよ?人が怖いって」
田上がそう言うと、タキオンは頭を少し掻いてから言った。
「……まぁ、言ってしまったからには仕方がないだろうが、…それでも私が君の事が大切で大切で堪らなくて、その為には付き合ってでも何でもしてあげるという事が伝わったはずだ。…君が私の事を好きだっていうんだったら、その時に私を好きだと言えばよかったんだ」
「…人が怖いって言った後で?」
「…言えばいいだろう?」
「……無理だろ。今出てきた言葉がそのまま引っ込むと思うか?」
「…人が怖いって言う前に言えばいいだろう?」
「…話が噛み合ってないな。…俺は、…話の流れはあんまり良く覚えてないけど、多分、…いや、どうなんだろうな?お前が先に…大丈夫だよとか何とか言って、俺が――人が怖いんだって言ったんだったかな?」
「話の流れとして、君が唐突に――人が怖いと切り出す事はないような気がするが、あんまり詳しくは覚えていないね」
「……ハグだね。お前、多分俺にハグされるのにはまってたから、俺にハグしようって言ってきたんじゃなかったかな?それで、俺もその時は付き合ってないから当然嫌だったんだけど、…成り行きでハグする事になって…」
「じゃあ、私がハグするのが先じゃないか。…それに、私その前に君に甘えたような気がするぞ。デジタル君が写真を撮る前に、君の肩に寄りかかってた。そして、君が嫌がってた。…嫌がらずに受け入れればいいじゃないか」
タキオンがさも当然の事の様に言ったが、田上もこれは聞き入れ難かった。
「受け入れろって言ったって、その頃の俺の心情を考えてもみろ?女子高生との恋愛は絶対ダメなんだから」
「でも、今の様に受け入れなければ、君は私の事を好きと正直に言えなかっただろう?じゃあ、女子高生との恋愛は絶対にダメでもチャレンジしてみるべきだった」
「……でも、…好きじゃなかったときがね…」
「私が君に寄りかかったと言っただろう?私が君に寄りかかった瞬間から嫌だったのなら、私と付き合うという事自体を真っ向から否定しているじゃないか。私の事が好きなはずなのに」
「……まぁ、…そうかもしれないね」
田上は段々この話が面倒になってきて、返事は適当に濁した。ただ、タキオンも察しが良いので、田上の面倒に気が付いて少しだけ眉を寄せた。それでも、こう続けた。
「……まぁ、…今そう言ったところで仕方がないけれどね…。チャレンジは大事だろう?」
「……チャレンジって言ったってねぇ。…堂々巡りになるけど、好きじゃなかった場合はどうすればいい?」
「…寄り掛かった時点では私にも幾分の好意が君にあると分かるだろう?」
「……俺は、……それがあるかもしれないと思って、中学の時に告白して、見事玉砕したけどな」
田上は、少し責めるような口調で、そう言った。
「…それは、…不運だった…。…それに、…そんなに怒らないでほしい…。悪かったよ…。あんまり君を責めるつもりはなかった…」
タキオンにこう言われた途端に、また田上の胸の中に罪悪感が湧いて出て、自分がもう本当にどうしようもない男に思えた。女に――悪かったと謝らせる男が、果たして本当に良い男と言えるのだろうか?そう思いながら、田上はため息を吐いた。
「………お前、…………」と田上が話そうとして何も言えずにいると、暫くの沈黙が場を支配した。
田上としては、「タキオンと自分が付き合うのは間違っている」と言いたかったのだが、今それを言ってみたところでしょうがない。どうせ、タキオンは「君の事が好きだ」と言うし、田上も断れないし、また、先日の喧嘩をもう一度繰り返したくもない。それでも、田上は何か口を開いてみたくなり、こう言った。
「………お前、………怒られるのやっぱり嫌なんだな…」
「…君が怒りたいって言うんなら、しょうがないから私も受け入れる」
「やめてって言ってる彼女に怒れるわけないだろ?」
「………やっぱり、……。中学の時に君が告白したのはその人一人で、後は告白なんてしてないのかい?」
「…そうだね」と田上は無頓着の様な口調で答えた。
「……やっぱり、……その人は私と同じように君の肩に寄りかかっていたのかな?」
「…いや?」
「…手を繋いでいたり?」
「ううん」
「…ハグは?」
「…ない」
「…なら、私に告白しても…?」
「……女にも種類があるだろ?…お前は、なんか距離感が近い方だ。俺としては距離感が近い方に警戒しないといけない」
「なぜ?」
「…モテない人間は、距離の近い女にコロッと惚れる」
「…うん」とタキオンがまだ納得が行かなそうに頷いた。
「……俺が惚れても向こうは惚れてないだろ?だから、こっちは恥をかかないために、告白しちゃいけない」
「…でも、向こうが君に惚れてないとは限らないだろ?」
「…距離が近いだけだ。大概の男子に同じような距離の近さなんだから、俺には惚れてないって分かる」
「……私には君がモテない人間ってのがどうも納得が行かないな…」
「…バレンタインなんて貰った事無いよ」
「……君を好きになる子はシャイだったのか、それとも、君が最早誰も好きじゃなかったのか。…誰もが分かるくらいに君が、その好きだった人に対して、好意をアピールしていたのか」
「…アピールしてたつもりはないけどな…」
「…どうかな?…分かりやすいところあるよ?圭一君」
「…お前から見てどうだった?」
田上がそう聞くと、タキオンは少し黙り込んだ後田上の顔を見て言った。
「……圭一君、…いや、…私の事を大切なんだろうなという事は伝わっていたよ。…ただ、明確に君が私の事を好きだと確信していたかとなると別だね…。…本当に何故気付かなかったのだろうと思うくらい…、不思議だね…。…ただ、君が本当に嫌がっていた節もあったからね。君も演技上手だ。私の事が本当に嫌いだった」
「今は好きだよ」と田上は心外そうに言い返した。
「…今もそうだし、その時もそうだろうね。…ただ、私の事は好きだったけど、付き合うとなるとまた別だったんだろうね。…女子高生と付き合うという事は君に相当な抵抗を持たせていたはずだ。…だろう?」
「まぁ、…そうだろうね」
「…しかし、…これはあんまり怒らないでほしいんだけど、…君は私に告白するべきだったと思うね」
「……告白…って言ってもね?お前に告白する場合、俺の今まで築き上げてきた生活全てを失う可能性があるんだ。お前、女子高生なんだから、二十五歳から告白されて、気持ち悪くなって、セクハラですって言って揉める場合も充分にあるだろうし、普通に同じ部屋に居たくなくなるかもしれない。…動くって事は、何かを失ってしまうかもしれないって事だ」
「確定事項じゃないだろう?」
「でも、女子高生にそれは一騒動起きてもおかしくない事案だ」
「例えば君が私の尻を触ってきたって言うんだったらそうなっていたかもしれないが、…どちらにしろ状況は判断するべきだろう?別に、その時の君の心情は良く分かっているつもりだ。だから、あんまり怒ってほしくはないが、…肩に寄りかかられたらそれはもう安心と信頼を置かれていると言っても良いだろう?」
「お前、結構俺に対して安心と信頼を置いてたから、…距離が近かったからな?肩に寄りかかられたくらいじゃお前の事を信用できない」
「…それじゃあ、どうしたら私の事を信用してくれるんだい?」
タキオンは、少し不満そうに聞いた。田上はこれの返答に一瞬の迷いを見せたが、次にこう言った。
「…今は一緒に居てくれるだけでありがたいよ…」
「…当然、一緒には居るつもりだ。君を一人にはさせないし、私だって一人にはなりたくない。……話が逸れた。……私はそんなに距離が近かったかな?」
「お前の距離は近かったよ。ボディタッチも多い部類だし」
「……確かに、君には…多いかもしれないが、…他の人にはそうしているかな?…多分、君だけだと思うけどねぇ」
「……俺以外に男の友達が居ないんじゃないか?」
「…君の友達とバドミントンに行った時があった。その時は多少話したがボディタッチはしていないだろう?」
「そりゃあ、ほとんど赤の他人だからだろ?」
「じゃあ、君は唯一無二の存在じゃないか」
「…でも、唯一無二だからと言って俺を好きになってくれるとは限らない。元々は、トレーナーと教え子だっただろ?」
「…しかしだね…、…しかし…少なくとも、あそこで私が君に好意を持っているのは薄々ではあったとしても伝わっていただろう?」
「あそこ?」
「デジタル君と一悶着起こした時。 君の判断を責めちゃいない。結果こうして語らい合うことができてるんだからそこの所に問題はない。ただ、君は成長できていないと思っているんだろう?」
「…まぁ」
「だから、私は話したいんだ」
タキオンがそう言うと、田上が何も話さなくなったので、またタキオンが言った。
「……私の好意はどうだった?少しくらいは伝わっていたんじゃないかい?君、私の事はしっかりと見てくれている人間だし」
「……まぁ、気付いてない事はなかったけど…、ねぇ…。…決定的な証拠がないと言うか…何と言うか…」
「君は、私が告白したとしても、私が女子高生だという事に託けて――気の迷いだ、と言う人間だろう?…元々、問題なのは私が女子高生であるかどうかじゃなくて、君が私に対して勇気を持てるかどうかだったんじゃないのかい?」
「……そりゃあ、…言ってしまえばそうなる。…度胸があれば、俺の人生も幾らか生きやすかっただろうね」
「君も幾らかの度胸は持ってるよ」
「持ってるか?」
「第一に、…あまり言いたくはないが、私が……君の首に手をかけようとした時?」
「ああ。…それね」
「……その時は、やれるもんならやってみろという態度だったじゃないか。これを度胸があると言わずして何と言うんだい?」
「それは…、…お前が幾ら衝動的になったからと言って、人の首を絞めるような人間じゃないってはっきり分かってたし。…それこそ決定的な証拠がある」
「どんな証拠だい?」
「……そりゃあ、はっきりは言えないけど、…お前絶対殺さないもん。殺すような人間じゃないもん」
田上がきっぱりとそう言い切ると、タキオンも微笑んだ。
「そう言ってもらえるとありがたい…。…まぁ、それも度胸だね。目の前のウマ娘に首を絞められそうな状況で、圭一君は至極冷静だった」
「お前がウマ娘だったって言うのもあるけどね。あそこで抵抗してもどうしようもないし」
「そんなことないさ。君、私が人間の女の子だったとしても、あの状況で力ずくで解決しようとしないもの。やっぱり、優しく私を抱き締めてくれていたと思うよ」
「…そうかな?」と田上は少し照れて口角を上げた。
その後に、タキオンが田上の手を取って二人の間に差し出すと、そこでしっかりと噛み締めるように見つめながら、ぎゅっと強く恋人繋ぎをした。
「……君の人生は私のお陰で幾らか生きやすくなっているかな?」
タキオンは、指が交互に組まれて、しっかりと結び付いた自分たちの手を見つめながら言った。
「大分そうなってるよ。付き合ってからは二倍三倍…いや、もう天と地の差ほど生きやすくなった。お前が居なかったら俺はまだどこか暗い海の底で彷徨っているようなもんだったよ」
「それは良かった。……私も…君程かっこいい人間は居ないと思っているよ」
これに、田上は照れて目を右へ左へ泳がせた後、微かに微笑みながら言った。
「…良い人間かな?」
「…それは君が決めたまえ。私は、例え君が自分の事をどう思おうと、死ぬまで一緒にいるつもりだ」
そう言われると、田上も少し黙って考えたが、次は諦めたように口角を上げた。
「…あんまり良い人間じゃないよな」
「残念ながら君が私に対して何と言おうと、私の評価は覆らないがね」
「…お前…、…お前も…、何て言やいいかなぁ?…お前…、凄い特異と言うか、…摩訶不思議と言うか…、…凄い…凄い感性の持ち主をしてる」
「そうかな?」
「そうだよ。俺を選ぶ奴なんて結構珍しいよ?珍獣だよ。珍獣アグネスタキオン」
田上が、口の開くままに適当を言うと、タキオンがクスクスと笑った。
「珍獣アグネスタキオン?…私はそんなに珍獣じゃないよ」
「俺にとっては見つけるのが滅茶苦茶難しかった人だから、珍獣だよ。…なんで俺の事が好きなんだ?」
「好きって…、んー…、そりゃあ一度口付けてしまったら好きになるだろう?」
「口付ける前から好きだったんだろ?」と田上が不思議そうに聞いた。
「そりゃあ、好きだったけれどね。……何故?…何故と言われると難しいが、…私は君と居られると幸せになれると考えたんだよ。この人と一緒ならどんな波だって超えて行けるような…ね?」
「超えていけるって言ってもな…。…相当だよ?俺見て一緒に生きていきたいと考える人間って」
「いやぁ、周りの人間の見る目が無いんだね」
「…………」
「どうしたんだい?長考だねぇ?」
「……いや、……幸せって、…幸せって……、お前…、……俺が…、俺がお前を幸せにできるとでも?」
「できないのかい?」
「できないって、……本気でできると思ってるの?」
「できるだろう?」
そこで、田上は改めてタキオンの顔を見て、この人間は本気でこの言葉を言っているのか?という事を確認した。結果は勿論大真面目だった。
「…お前、…お前なぁ…?…お前…」
「お前しか言えなくなったのかい?」
「違うよ…。…お前なぁ」
田上が、もう一度そう言うと、タキオンはまたクスクスと笑った。
「お前だよ。どうかしたのかい?」
「…アグネスタキオン…」
「ふふふふふ…。呼んだかい?」
「呼んだよ…。……お前ぇ…」
田上もその後の言葉が続かずに、言った後に思わず苦笑してしまった。それには構わずにタキオンが受け答えた。
「お前だよ」
「……おー、…お前?」
「…どうかしたのかい?」
タキオンは嬉しそうに微笑みながら、首を傾げて見せた。
「………お前、………お前、…お前に俺は何て言やいいんだろう?」
「何でも言ってごらん?」
タキオンがそう言うと、田上は困ったように眉を寄せながら、その顔をじっと見つめた。タキオンは微笑みながら見つめ返していた。
「……お前、………お前、……ほっぺた触ってみてもいい?」
田上はそう言った後に、不安そうに手をモジモジとさせて俯いた。タキオンは、すぐに「いいよ」と答えた。田上は、それでも、表情から不安の影を拭いきれずに、タキオンを見ながら恐る恐る手を差し出した。タキオンも軽く顎を上げて、田上にほっぺを触られやすいようにした。田上は、あまり嬉しくなさそうな表情をしながら、少しの間タキオンの頬をすりすりと撫でていた。その後に、こう言った。
「………お前、……肌綺麗だな…」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
タキオンは、その後に、田上の膝の上に寝転がりたいと言って、渡り廊下に寝そべろうとした。田上は床が汚いだろうからと言ってあまりいい顔はしなかった。そして、幾らか試行錯誤していたのだが、田上が膝を伸ばすと、田上の膝の柔軟性があまりなくすぐに辛いと言ったり、逆に胡坐だとタキオンの頭の位置が微妙な具合になったりで、最終的には、結局寝転がらずに、田上とタキオンが向かい合って頬を撫で続けることになった。
田上は、また暫くタキオンの程良く肉付きのあるほっぺを触り続けていたが、やがてタキオンの方が先に口を開いた。
「…触りたいんだったらいつでも言って良いんだからね?ハグも然りだし。…少しくらいなら強引にキスしてもいい」
「…強引にはしないよ…」
「したまえ。 少なくとも遠慮はいらない。キスするときに躊躇うくらいだったら少しくらい強引でもいい」
「……はぁ…」と田上はため息を吐くと、タキオンの頬を撫でるのをやめて、また渡り廊下の石の壁に寄りかかった。タキオンは、少々不満そうな顔をしたが、無闇に責め立てるという事もせずに田上の横に落ち着くと言った。
「キスしたいんだったらいつでも言っていいよ。…何か合図でも決めておこうか?君が人前で言い出せない状況があるかもしれないから、そういう時に無言で合図を決められるようにしてみようか?」
「いいよ…」と田上は嫌がったが、タキオンは話を続けた。
「いや、少し考えてみよう?…私から君にするのはマテリアル君に見られてもいいが、君が私にするのはマテリアル君には見られたくないのかな?」
「んん…」と田上は面倒臭そうに首を横に振った。
「見られてもいいのかな?」とタキオンが多少驚いて聞くと、田上は話を勘違いしてしまっていたようで、先程と同じようにまた首を横に振って、マテリアルの前ではキスをしたくないという意思表示をした。
「ああ、そうだろうね。あんまり人前ではやりたがらないからね。…となると、合図を出した場合のキスをする場所は、…あのベンチという事になるかな?」
「んん」と再び微妙な返事を繰り返した。それの是非は分からなかったが、ともかくタキオンは話を続けた。
「ただ、あのベンチとなると、少々遠いから厄介だね。…そうなると、…トイレに入るというわけにはいかないだろうし、…休み時間の度にベンチに行くかい?」
「どっちでもいいよ」
タキオンは、その後に、一瞬じっと田上の顔を見つめて、何かを話し出そうとしたが、やっぱりやめた後に顔を逸らし、またまたやっぱり田上の顔を見ると言った。
「……君、キス好きかい?」
「…どうだろうね」と田上は呟くように答えた。
「…じゃあ、君が嫌いであるとするならば、私は君にキスをねだらないほうが良いかい?」
「…ねだってもいいよ…」
「じゃあ、私からのキスは嫌いではないという事だね。…キスしたくなったらいつでも言っていいんだからね?今はどうだい?したくないかい?」
「……どうだろうね?」
「……キスしたくなる時はあるかい?」
これには田上はもう何も答えなかったから、タキオンも話すのに疲れて、口を開くことをやめることにした。そして、――もうどうなったっていいから、暫くの間は休憩しておこうと思って、タキオンはただ田上の肩に寄りかかるだけにした。
暫く黙っていると、田上が唐突に口を開いた。
「タキオン…」
「ん?」
「……煙草って…どう思う?」
「煙草?吸いたいのかい?」
「…吸ったらかっこいいかな?」
「…私が前に似合ってるって言った事を真に受けてるのかい?」
「嘘だったの?」
「嘘じゃないさ。…煙草?かっこいいから吸いたいのかい?」
「…多少マシになったりするかな?」
「…?」
「…なんか……いや、…忘れてくれ。…やっぱりいいや」
「…口さむしくなったなら私が居るよ。キスしたい時はしてあげるよ?」
「……煙草の方がまだ信頼できるような気がするよ…」
「ええ!?…君!…言っちゃいけないよ!私より煙草の方が大事なのかい?」
「…言葉の綾。…お前は嘘を吐くかもしれないけど、煙草は嘘を吐かないもん」
「私だって君に対しては嘘なんて吐かないさ」
タキオンがそう言い切ると、田上は我が意を得たりという顔でタキオンを見た。
「お前は、俺に足の事を隠してただろ?」
「ああ…。…ああ…。…不味い事をしたねぇ…。…すまなかった。許してくれ。君を傷つけるつもりはなかったんだが、…こんなことになるなら初めから君に頼ればよかったと反省しているよ…。ああ…。あー…、許してくれないか…?」
「……俺が人を信じてないのは、なにもお前のせいじゃないよ」
田上はそう言いながら、今の自分の言動を悔いた。全く以て意味のない文句だった。ただタキオンを傷付けたいがために吐いた嘘のようなものだった。実際には、タキオンが自分に隠し事をしていた事なんて何の根にも持っていない。言わば、揚げ足を取ったようなものだ。揚げ足を取って自分の大切な彼女を責め立てているようなものだ。田上はどうしようもなさそうに強張った表情をしながら地面を見つめた。
タキオンはそうなった田上を不安そうに見つめていたが、やがてこう言った。
「私に対して怒っているかい?」
「……怒ってない…」
「……恨んでいるかい?」
「…恨んでないよ…」
「……私の事嫌いかい?」
「…嫌いじゃない」
「………私の事が好きなら…、また頬を撫でてくれないか?」
田上はこの言葉に少し目を見開いた後に、タキオンの顔を見ようとしたが、首が動かずに断念せざるを得なかった。それでも、嫌いじゃないと意思表明したかったのだが、どうにもここから動くとなると体が重い。しかし、動かなければタキオンに嫌いだと判断されてしまうかもしれない。しかししかし、動かそうにも動かそうにも、体は、どこにどう力が入れば、タキオンの方を向けるのか忘れてしまい、全く動こうとしなかった。そんな田上をタキオンは、また暫く見つめていたが、やがて、はぁとため息を吐くと、田上を見るのをやめて、石の壁に寄り掛かった。
「君が…私が好きなのは分かってる。…今のはあんまり良くなかったね…」
そう言うと、タキオンは田上の肩に自分の肩を寄り添わせた。それからまたしばらく時間が経った。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。田上はトレーナー室に帰らなければと思った。大の大人の男が落ち込みながら床に座り込んでいるのは、この渡り廊下を通りすがる一般生徒からしたら奇異なものだろう。しかし、タキオンに帰ろうと言い出せないままに、渡り廊下には生徒が行ったり来たりを始めた。中には、大声で笑いながら走ってくる者もいる。中等部の子のようで、その子が走り去った後に高等部の子が「危ないぞー」と注意する声が聞こえた。
田上は俯いていたので、どれくらいの人が、自分とタキオンの事を白い目で見て行ったのか分からない。タキオンも何も話さない。立ち上がる気配もない。話しかけてこようとする気配もない。そうするままに、次の授業が始まるチャイムが鳴った。
授業が始まり人通りも無くなった。近くの教室の開いている窓から微かに男の先生が喋っているのが聞こえてくる。静寂に包まれているように思えて、案外様々な音が聞こえてくる。
鳩の鳴き声、雀の鳴き声だったり、校庭で行われる体育の授業だったり、風の音、何だか良く分からないざわめきだったり、様々な音が田上の耳に聞こえた。その中に、次第に大きくなっていくタキオンの音があった。タキオンが少し身動きする度に聞こえる衣擦れの音。息遣い。ため息。その音を聞いているうちに、タキオンは心配そうに自分を見ているのではないかと田上は思った。しかし、その真偽は分からない。ただ、動きにあまり落ち着きがないだけで、田上の事になんて何の興味もないのかもしれない。
――そんな事はないだろう、と心の中の田上が反論した。しかし、相変わらず真偽は不明のままなので、タキオンがどこに顔を向けて、どのように体を動かしているのかは分からなかった。
それから五分程が経った。相変わらず二人に目立った動きは見えなかった。言葉に無い物が通じ合っている様子もなく、ただ、タキオンは心配そうにチラと田上を見ては、空を眺めて、その空の透き通った青さを確認するだけだった。そして、また五分が経つと、田上の中に喋る気が起きて、こう言った。
「………お前は、…これからどうなると思う?」
「これから?」
「…どうなると思う?」
「…キスでもするかな?」とタキオンは、少しばかり冗談めかして言った。
「…したいのか?」
「君がしたいならいいよ」
タキオンがそう言うと、田上はゆっくりと顔を上げてタキオンの方を見た。それから、一瞬目を逸らすと言った。
「俺の事嫌いじゃない?」
「嫌いじゃない。大好きさ」
「じゃあ…」
そう言うと、田上はタキオンの頬に手を当てた。タキオンは、それが田上のキスの合図だと分かって目を瞑ってあげた。田上は、心持ち口角を上げながらタキオンにキスをした。キスは思ったよりも幸福な気分で満たされた。あまり悩みに支配されない様なキスだった。少し長めにキスをした後、田上は唇を離してタキオンの顔を見た。タキオンは、ゆっくりを目を開けると、満足気に微笑みながら言った。
「良かったかな?」
「……良かったと思う…。…この次にはどうなると思う?」
「……君が私に――好きと言うかもしれないね」
「…好きだろうね…」
「…」
「……その次はどうなると思う?」
「…またキスしようと言うかもしれない」
「また?」と田上は苦笑しながら言った。
「またじゃ駄目かな?」
「…お前がしたいならしてもいいよ」
「私は今ので満足さ。君はどうだい?」
「……俺も満足してはいる。……これからどうなると思う?」
「…うーん…、…私に――好きって囁いてくれるかもしれない」
「囁く?」
「囁かないのかい?」
「…小さな声で言えばいいの?」
「やりたいなら耳元でもいいよ」
「耳元?」と田上は可笑しそうな笑みを浮かべた。「お前の耳元で囁けばいいの?」
「そうとも」
タキオンはそう言うと、頭を傾げて、ウマ耳に囁きやすいようにしてくれた。田上もそれに悪い気がしなかったので、お遊び程度だと思うと、タキオンの耳に「好きだよ…」と囁いた。果たして、これにどれ程の効力があるのかは分からないが、タキオンは嬉しそうにクスクスと笑っていた。
「やっぱりくすぐったいなぁ」とタキオンがニコニコしながら言った。
「良かった?」
「大いに良かったよ。少々くすぐったかったがね」
「それなら良かった」
田上は多少満足した面持ちで言ったが、次にはまたこう聞いた。
「これからどうなると思う?」
「んん?またその質問だね?……私にしたって具体的な答えは出せないがね…。これから、約十一か月後に入籍しているだろうね」
「十一か月?…一年切ってるんだ…」
田上は改めて確認された事柄に少々ショックそうな声を出した。
「一年切っているとも。…なに、入籍するだけだよ。書類出してポンさ」
「……お前、……俺の事信頼し過ぎてないか?」
「信頼するに越した事はないだろう?」
「……それにしたって、……俺はお前を幸せにできないのに…」
「ええ?君、高収入で賢くて、思いやりがあるんだからこれ以上に無い最高の男性だろう?」
「そりゃあ、金があるってのは聞こえはいいけど、…思いやりがある?」
「あるとも。私は君と居れば確実に幸せになれると確信しているね」
「………世の中の男女は何を基準にして結婚してるの?」
「…幸せになれるかどうかじゃないのかな?」
「収入?」
「人柄も充分に関係しているだろう?DVされるんだったらたまったもんじゃない」
「俺はDVしないの?」
「するわけないじゃないか。私の頬を摘まんだ事さえない」
「…でも、DVする人間と結婚して、後から離婚するって事もあるよね?そういう時の女性は何を考えて結婚してるの?」
「何も考えていないんじゃないかい?ただ、男性の言うがままに結婚して、そしたら酒癖が悪くてDVだったなんてこともあるんじゃないのかな?」
「普通の人は何を考えて結婚してるの?」
「人柄や収入じゃないかな?」
「……基準は人それぞれか…」
「そうだろうね。私の基準では勿論君が最高の人類だが」
「……お前、…もしかして、ダメ男好きなんじゃないか?」
「そんなことは断じてないし、そもそも君は全く以てダメ男などではない。私が悩んでいたらしっかりと寄り添ってくれる人間だもの。そんな稀有な人間だよ」
「稀有かぁ?」
「稀有だとも。私だって君にとっては稀有だと思うよ?君の今までの人生の中で、私以上に君の事を熱心に熱心に考えてあげた人物はいるかい?私の予想ではいないと断言できるね」
「……いないかもな…」
「だろう?それと同じように、君は今までの私の人生の中で一番私の事を考えてくれた人物だ」
「仕事柄考えてあげないといけないってのもあるけどな」
田上がそう言うと、タキオンは少しだけ表情を曇らせた。
「それだから私は嫉妬してしまうんだ。…私の事だけ考えて」
これを言われると、田上は困ったようにタキオンから一度目を逸らしてから、またタキオンを見て言った。
「大概、俺の脳内はお前の事で満たされてるよ」
「本当かい?エス君の事は?」
「契約も終えることができたし、ほっとしてるところだよ」
こう答えると、タキオンは少し唇を尖らせた。
「考えてるじゃないか」
「大丈夫だよ。囁かれたいんだったらいつでも囁くよ?」
「…そのような扱いに私は断固抗議する」
「…じゃあ、…俺の仕事を辞めさせるか?」
「…私、考えたんだが、圭一君、保育士の職なんかは向いていそうだと思うよ」
「保育士?」
「君、小さい子との折り合いが上手そうだから」
「…でも、保育士は女性社会じゃないか?」
田上がそう言うと、タキオンは一度考えてから「やっぱりいいや」と言った。「株でもして働かないようにするかなぁ?」
「お前も重い女だな」
「…重い女は嫌いかい?」とタキオンは、少し苛つき気味に言った。
「…お前、結構軽いからもっと食べたほうが良いよ」
「体重の話じゃない。…私の扱いを雑にするって言うんだったら、私も怒るよ」
タキオンがそう言った途端に、田上は何か答えようとしたのだが、何も答えられずに頻りに目をきょろきょろと右往左往に動かしていた。タキオンにはそれが憐れに見えたので、すぐに、今、脳みそに少しだけあった怒りを引っ込めると、心配そうに田上の事を見た。
田上は、また少しの間目をきょろきょろと動かした後、非常に緊張したように「ごめん」と言った。タキオンはそれに少量の罪悪感を覚えて、少しの間田上の事を見つめていたが、やがて「私もすまなかった」と言った。それから、また二人は少しの間黙っていたのだが、田上が唐突に口を開いた。
「タキオンは……、やっぱりいいや…」
「なんだい?私に言いたい事があるのかい?」とタキオンはできるだけ優しく聞いた。田上は、少々ざらざらしている石の床を見つめながら言った。
「……タキオンは、………はぁ…。……俺の事好きなんだろ?」
最後の言葉は、非常な困り顔で聞いていた。
「好きだよ。…嫉妬ばかりしてごめんね」
「……嫉妬は、…されるのは少しは嬉しい。されないよりかはされたほうがいいかもしれない。……お前は俺とどうしたい?これからどうしたい?…結婚したいんだろ?」
「ゆくゆくは」
「…はぁ……。……俺の上位互換の存在が居たとしたらどうする?お前の言う事をなんでも聞いて、優しくて、悩み持ちじゃなくて、…他の女性を見ないような人間」
「私は、イエスマンは好かないね」
「……じゃあ、純粋に俺の上位互換」
「何を以て?」
「……お前に迷惑をかけるような事をしない人」
「私は今でも十二分に幸せだ」
「………なんで?」
「…君と話すことができているから」
タキオンがそう言うと、田上はタキオンから目を逸らした。
「………俺が怒っても?」
「幸せだとも」
「…でも、お前はさっきは嫌だって言っただろ?」
「…嫌な事には嫌だ。でも、君の事は好きだもの」
「…常に怒ってたら?事ある毎に怒り出すような人物だったら?」
「…それでも、君は私の事が好きだから、すぐに怒りが収まるもの」
「……質問を変える。…もし、俺が…本当の自分を解放する術を見つけたとして、それがお前に対して怒りを解放することだったら?」
「それも気が済めば収まるだろう?…いいとも。怒りたいんだったら私に怒りたまえ。ちゃんと受け止めて見せよう」
タキオンが真面目な顔でそう言うと、田上は苦笑した。
「でも、やっぱり怒られればお前もしょんぼりするだろ?――怒らないでほしいって言うだろ?」
「そりゃあ言うかもしれないがね…。怒りたいんだったら怒りたまえ。…と言うか、そもそも私は結構君に怒られてきた。そして、それを乗り越えて今も君の事を好きだと言っている」
田上はそう言われると、大阪杯の時期周辺の事を思い出すと同時に、どうしようもない後悔の念が湧いてきて、おでこの辺りをぽりぽりと指先で掻いた。
「そうだよなぁ…。…お前に嫌な事を言った…」
「私は、充分に君に怒りをぶちまけられたと思うが、それでも君の事が好きだよ」
「…なんで好きなんだ?そこの所が俺にはあんまり良く分からない。……なんで?なんで…、なんで俺の事が好きなんだ?俺だったら、あんな風に怒る人間とは友達にすらなりたくないけどな」
「そりゃあ、私は君じゃない。君が知らない君を見ているのさ」
「俺が知らない俺って何?」
田上は、タキオンをおかしなものでも見るような目付きで見つめながら言った。
「それは教えない。結婚してから聞きたまえ」
「ええ?結婚?…なんで?」
今度は田上も多少嬉しそうな顔をして聞いていた。
「約束事があった方が結婚が楽しみになるだろ?それに、君は私に対して責任を感じてるみたいだが、私は君の生涯を支えるために君と結婚するんだ。なにも君に引っ張られて結婚するだけじゃないぞ。むしろ、私が君を引っ張るんだ。君ができない事を私がするんだ。君が見えない君を私が見るんだ」
そう言われると、田上は、嬉しそうながらも言葉を探して目を泳がせた。その後に、言葉を見つけると、タキオンを見て言った。
「お前、…お前って、…なんか凄い。……なんか凄いけど、尚の事俺には勿体ないような気がする。お前に見合うもっと良い人間がいるぞ?」
「最早、私に君が見合うか見合わないかは関係ないね。私が君を選んだんだもの。私が君と幸せになりたいと望んだんだもの。そして、君は私の事が好きなんだもの。そうである以上は、君が何と言おうと君と一緒に結婚するつもりでいるよ」
田上は、そう熱弁しているタキオンを面白そうに見つめ、そして、その話が終わるとその顔を維持しながら言った。
「お前って変わってるよ」
これが、タキオンには、バカにしてきているように感じられたので、軽く眉を寄せると「ん?」と聞き返した。しかし、田上はすぐに顔を背けると、「なんでもないよ」と返した。それでは、タキオンも満足がいかなかったので、「なんだい?変わってる?私が?」と言いながら田上へと距離を詰めた。
田上は、タキオンが近づいてくる分だけ離れながら、嬉しそうに口角を上げて「なんでもない。なんでもないよ」と言った。それでも、タキオンが「なんだいなんだい?」と距離を詰めてくるから、ちょこちょこと逃げると、やがて渡り廊下の下りの階段に行き当たって田上は止まった。
すると、タキオンが田上の上に乗っかってきたので、田上は嫌がっているふりをした嬉しそうな微笑みをしながら、顔を逸らすしかなかった。タキオンは、四つん這いになりながら田上の顔の真ん前まで自分の顔を寄せた。
すると、田上が恥ずかしそうに顔を背けるものだから、タキオンも面白くなって「顔をこっちに向けてごらんよ」と言った。田上は、一瞬だけタキオンを見ながら「嫌だ」と答えた。タキオンは「キスしてあげるよ?」と返した。田上はそれでも「嫌だ」と返したが、三度目の正直でタキオンが「お願いだからこっちを向いてごらんよ」と頼むと、田上も渋々嬉しそうにしながらタキオンの方を向いた。
タキオンは、田上の顔を真ん前で三秒ほど見つめた後、「キス、良い?」と聞いた。田上は、嬉しそうに嫌そうな顔をしたまま何も答えなかったが、タキオンが「目を瞑ってくれないか?」と頼むと従順に目を閉じてしまった。
タキオンはそれにキスをした後、田上の顔を見ると、田上は相変わらず嬉しそうに嫌そうな顔をしたまま、「変わってるよ」と言った。こうなると、この言葉はキスの前振りになってしまう。タキオンも今は二人きりで楽しかったので、遠慮会釈なく田上にキスをした。田上は幾度か嬉しそうに「やめろよ」と言ったが、タキオンに「じゃあ、さっきの言葉は取り消すかい?」と言われると、必ず「変わってるよ」と言ってしまったので、また何回かキスをすることになった。
そうして、場が一段落した後でタキオンがクスクスと楽しそうに笑っていると、田上も満足したような表情をしながら穏やかに「じゃあ、もうトレーナー室に帰るか?」と聞いた。その途端に、タキオンはクスクス笑いをやめたが、満足さが抜けない様な顔もして、そして、嫌そうな顔もして「嫌だなぁ」と言った。田上は「嫌ならいいよ」と優しく返して、また石の壁に寄りかかった。
二人は触れ合いの中で多少の満足を得たが、依然として問題は解決しないままにそこに居た。