ケロイド   作:石花漱一

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三十四、進路⑨

 スカーレットが渡り廊下に戻っていくのを見送ると、タキオンと田上は、目を見交わした。それから、田上の方が「そろそろ行くか?」とタキオンの方に聞いた。タキオンは、少し寂しそうに目を細めたが、「君が行きたいのなら」という返事はした。

 カフェは、その二人をじっと見つめていた。すると、タキオンがカフェの方を向いて言った。

「君はここで涼んでいたのかい?」

 カフェは無言のまま頷いた。タキオンは、そんなカフェに、また、寂しそうな目を向けると、「邪魔してすまないね」と言い、それから田上の方を向いて「行こう」と言った。田上は立ち上がると、またタキオンの前に背を向けて、おんぶをする姿勢になった。タキオンは示し合わせる事もなくそれに乗ると、「ばいばい」とカフェに言った。

 それから、田上はタキオンを乗せて立ち上がり、一歩ずつ一歩ずつ、大地を、これでもかとばかりに踏みしめながら歩いて行った。カフェは、そんな二人の後ろ姿を、見えなくなるまで、不思議そうに見つめていた。

 

 田上は、タキオンを背に乗せながら、「体が重い…」と呟いた。日はまだ高くに在り、折角日陰で涼んだと言っても、タキオンを背にまた歩き始めると、汗がぽたりぽたりと垂れてきた。

 タキオンは、田上の背中の、多少の居心地の悪さと、居心地の良さを同時に感じながら、なぜ彼は私を背負ってくれているんだろう?と思った。もうタキオンの元気は、ある程度回復したのは傍目からでも見てとれるはずである。少なくとも、自分一人で歩く元気は、田上に背負われた初めの頃よりかは、多くある。だから、体に多少の元気があるので、田上の背が居心地悪かったりするのだ。と言っても、こうやって、彼氏が、苦心しながら、自分を担いでくれているのは居心地が良いので、そう簡単に下りようとは思わなかった。

 田上はどこへ行くという当てもなく、フラフラと適当に思いつく場所に行った。校庭の周りに生えている木の下を一周もしたし、その後にまた、カフェが座っている校舎の影を通り過ぎて、校舎の間を縫うように、タキオンを連れて回った。しかし、田上は今自分がどこへタキオンを連れて行きたいのか分からなかった。それでいて、タキオンを背負って、何処かへ行かなけれいばいけないという気がした。タキオンも退屈しているようだったが、田上は行先も分からずにフラフラと歩き回って、遂に敷地の一番東端の方まで来た。

 ここにはレンガ造りの高い塀があるだけである。建物も立ってはいるが、東端の主な用途は、駐車場であり、それに付随して門があった。

 田上たちはそこを避けて、一旦休憩をした。田上は、レンガの壁に両手をついて、非常に疲れた様に、はぁ~とため息を吐いていた。体はもうくたくただったが、これをまた、寮に帰るまでしないといけないと思うと、大変だった。タキオンも憐れそうに田上の事を見つめていたが、田上が背に乗せてくれるのは、相変わらず居心地が良いので、特に何を言う事もしなかった。

 田上は、流れ出てきた汗を服で拭った後、「運ぶ」と一言言って、タキオンの前に背を向けた。タキオンは、無言のまま田上の背に乗っかって、運ばれるままとなった。

 田上は、また、一歩一歩と踏みしめながら歩き出した。これには多少タキオンも心配になってくるような、ドキリとするよろけ方もあったが、田上は何とも言わずに、ただ息を切らしながら前へ前へと進み続けた。

 田上は、朦朧とした頭の中で、次はどこへ行こうかと思った。そして、どうやってタキオンに謝ろうかとも考えた。これは、何か理由があって、田上の頭の中に浮かんできた考えではなかった。ただふっと自分の頭に浮かんできた考えだった。

 その内に、田上の頭は、タキオンにどう謝ろうかどう謝ろうか、酷い事を一杯してきたな、許してくれるかな、許してくれるだろうな、そんなタキオンに甘えてばかりの人間でいいのかな、という考えに支配されていった。それから、段々とタキオンにこれまでしてきた事が申し訳なくなって、目から涙が溢れ出てきた。田上の頭は、今は暑さで多少の混乱を来たしていた。

 初めは、田上もただ目から涙を流すだけにして、声を出すのは我慢していた。しかし、段々と鼻水も出てくるようになったから困った。田上はすんすんと鼻をすすり始めた。すると、タキオンも田上の異変に気が付いて、田上がもしかしたら泣いているんじゃなかろうかと思って、その顔を横から覗き込もうとした。

 だが、これは、背負われているので見ることができなかった。それで、少し様子を見ていたのだが、やはり明らかにこれは泣いて鼻水をすする音だった。だから、タキオンは背中からそっと「圭一君…泣いてる?」と声をかけた。

 田上は、それを無視したと言うよりかは答えられなかった。どうしても声を出してしまうと、その声が震えてしまうし、首を振って答える気にもなれなかった。タキオンは、もう田上が泣いているという確信があったから、質問の答え自体はどうでもよかった。ただ、田上が泣いているのにもかかわらず、それを隠そうとする姿勢がタキオンにはどうしても可哀想でやりきれなかった。そして、それでも田上は無言のままタキオンをいずこへか運んでいこうとするので、タキオンはその根気に圧倒されて何も言えなかった。

 

 タキオンと田上は大きな寮の角を曲がってその裏側まで来た。そこは北側の方なので、タキオンたちは黒々とした陰に包まれた。そうは言っても、その先を過ぎればまた太陽の光は輝いている。人通りがないわけではない。考え事をしながらスマホを見つめている女性のトレーナーが横を通り過ぎて行った。

 田上は、それでもすんすんと鼻を鳴らして、泣いていた。その陰気さも相まって、影はいつもよりも暗く深いように感じた。タキオンは、田上の首にそっと手で触れた。田上が嫌がるように少し首を動かしたが、それ以降はタキオンの手をどけようとはしなかった。タキオンは、田上の襟足の毛を指先でいじくっていたが、やがて、建物の陰から出ようという所で「おりる」と田上に声をかけた。田上は、迷うように二三歩歩いたが、その後に何も言わずにタキオンを下ろし、自分は四つん這いになって休憩した。もう涙は収まったようだったが、気分はあまり変わらないようで、絶対にタキオンと顔を合わせようとはしなかった。

 タキオンもそんな田上に気を遣って、あまり言葉は発しなかった。しかし、もうそろそろ行く段になってどうしようかと迷った。田上は相変わらず四つん這いのままで固まっているし、それに、これ以上働かせるのはなんだか可哀想だった。かと言って、田上の手を引いて「行こう」というのは何だか気が引ける。本人がそれ程までに隠したがっていた、涙を無理に見るのもあんまり良くないような気がした。しかし、結局はここでぐずぐずしていてもしょうがないので、タキオンは田上に優しく「これからどうする?」と言った。

 すると、田上はまた「運ぶ」と言って、タキオンに背を向けた。これはまるで、自分で自分に修行を課している坊さんのようだと、タキオンは思った。タキオンの見立てでは、もう田上の体は疲れに疲れ切っているはずである。もしかしたら、終点に行き着くまでもなく、力尽きてタキオンごと倒れてしまうのではないかと思われた。それに乗るのは多少の危険が伴うし、何より可哀想だった。しかし、あまり四の五の言わせない雰囲気を田上は背中から発していた。タキオンは少しの間躊躇っていたが、田上の胆力を信じて、また背に乗ることにした。田上は先程よりもぎこちなく、苦しそうに歩き始めたが、タキオンが思ってたよりも安定はしていた。タキオンは、――この人はどこまで自分を連れて行ってくれるのだろうか?と思いながら、苦しそうな後頭部を見つめていた。

 

 田上は再び正門近くまで行き、その手前で左に曲がり、トレーニング場前を通って、レース場前を通り、その他諸々の前を通り、また東側まで行って、そこで限界になりタキオンを下ろした。田上は中々タキオンと顔を合わせたがらなかったが、タキオンもここでどうしても気になったのでこう聞いた。

「君は私をどこに連れて行くつもりなんだい?」

「…ん?」

 田上は、申し訳程度に、顔をタキオンの方に向けながら、聞き返した。タキオンは、また同じ言葉を繰り返した。それに、田上は少し迷った後、唐突に「帰るか」と言った。もう日が西に傾きつつある頃合いと言えども、門限まではまだ大分あった。だから、タキオンは少し不満そうに顔を見せてくれない田上を見つめていた。ただ、二人共動くことができなかった。タキオンは、また田上が背に乗せてくれるものと思って待っていた。

 田上は、タキオンが待ってくれている事を感じつつも、もう彼女を背に乗せる気力はなかった。かと言って、それを彼女に断る気力もなかった。故に立ち尽くしていた。静かに自分は呼吸をしていた。もうその呼吸を感じるしかなかった。嘘で紛らわすにしろ、素直に謝るにしろ、もう今の田上には、自分が呼吸をしていることを感じるくらいの気力しか持ち合わせていなかった。それだから、田上が何も動こうとしないので、タキオンも動かざるを得なかった。

 なので、田上の横にスタスタと歩み寄ると、田上の右手をとってその顔を見つめた。田上はタキオンが目の前に来ても目は逸らしたままでいた。タキオンは、そんな田上に言った。

「一体どうしたんだい?…途中で泣いていただろ?…私を背負って慰めてくれたことは有難いが、君までそうなってしまっては元も子もない」

 田上は、その問いに、暫く、地面を見つめたままであったので、果たしてこの言葉が聞こえていたのかどうかも怪しかった。だが、やがて、決心したように目を瞑ると、また、開いて、タキオンを見据えてから言った。

「ちょっと疲れたから……、いや、…運ぶ…」

「………」

 タキオンは、何か言おうとして迷った末に何も言えなかった。だから、また背を向けてきた田上の背に乗った。そして、また重苦しそうに立ち上がった田上の首にそっとキスをすると、悲しそうに「私は君の事好きだよ…」と言った。田上は何も言わずに、ただ苦しげに歩き続けていた。

 

 田上は、自分の寮の前まで来てタキオンを下ろし、自分は寮の前のベンチに座った。タキオンもその隣に座ると、寂しそうな目で田上を見ながら言った。

「私、もう少し君と居たい」

 田上は、額に浮き出た汗を拭いながら、これ以上は無理とでも言うように、横に首を振った。ただ、それは、もう疲れ切っていて、タキオンの事を相手にできないという意味で捉えることができたから、タキオンは、田上の横ですっくと立ちあがるとこう言った。

「私が君を背負おう。代わり番こだ。君もあんなに私の事を背負っていたら、そりゃあ疲れもするさ。私が背負おう。さあ、後ろに乗りたまえ」

 タキオンはそう言って、今日の田上が何度も繰り返したのと同じように、田上に背中を差し出した。田上は、それをベンチの上から困ったように疲れ果てた様に見ていたが、やがて、疲れの中から言葉を絞り出すように「疲れた…」と言い訳がましく言った。

 タキオンはそれに「君が疲れたから私が背負おうと言っているんだ」と毅然としながら返した。こうなると、タキオンも固いかのように思えたが、田上だって体が「疲れ果てた」と息も絶え絶えに言っているのだから、そう簡単に折れるわけにはいかなかった。だから、別の理由として

「恥ずかしい」というものを上げた。すると、タキオンは、「そんなこと気にしないで、私に身を委ねてくれ」と頑固に田上に背を差し出し続けた。もうそうなると、田上も抵抗する気力がなかったから、ただ、だらだらと立ち上がると、タキオンの背にゆっくりと体重をかけた。

 成人男性が乗れば、骨も潰れそうな華奢な体だったが、ウマ娘なだけはあって、しっかりと田上を支えると、田上よりも簡単にひょいと担ぎ上げた。田上は、恥ずかしさとタキオンに気を遣わせてしまった申し訳なさとで、顔を陰気に曇らせていたが、タキオンはそんな事には気が付かずに後ろの田上に話しかけた。

「何か不備があったら言ってくれ。…尻尾とか引っ掛かってないかい?」

 これに田上は「うん」と暗い声で答えた。これを言った後で考えてみると、この答えは文脈として変な気はしたが、タキオンには十分伝わったようで、その後に尻尾の事は気にしなかった。

 それから、こうも言った。

「君が背負ってくれたおかげで大分元気になったよ。こうなってみると、やっぱり、持つべきものは優しい彼氏だね。…さっきは首を噛もうとしたりしてごめんね」

 田上はまたこれに「うん」と頷いた。そして、またタキオンも口を開いた。

「私の背中居心地良いかな?君のに比べたら小さいだろうから、少し窮屈だと思うんだけど」

 田上はこれに再び「うん」と頷いた。田上の言葉は一本調子だったが、タキオンはこれで満足したらしかった。現に、田上も、真っ向から嘘を吐いているわけでもなかったので、こう答えるほかなかった。

 タキオンは、田上を背中に担ぎながら、少し楽しそうな足取りで、田上と同じルートを回り、再びカフェが前に座っていた場所に来た。タキオンは、そこを「カフェは居るかなぁ~?」と言いながら覗き込んだのだが、残念ながら校舎の陰には誰も居なかった。どうやら、もうすでにどこかへ行ったらしかった。タキオンは、「残念だね」とあんまり残念でも無さそうに鼻からため息を吐くと、また先の方へ歩き出した。

 タキオンは、芝生の生えている校庭の見渡せる場所まで来た。芝生の上にはトレーニングをしている連中が幾らかいたし、その端の方にはサッカーやらバレーやらを楽しんでいる連中がいた。タキオンはそんな忙しなく動き回る人たちを見つめるべく、田上をベンチの上に下ろした。田上の動きが疲れで覚束なかったので、タキオンはそこから老人の動きを連想し、田上に「爺や、大丈夫かい?」と少し手を添えてあげた。すると、田上はその冗談に少し笑みを浮かべたので、タキオンも嬉しくなって笑い返した。

 人がキャーキャーと叫ぶ声が聞こえた。これはバレーボールの連中から聞こえてくる声だった。よくもまああんなに叫ぶ体力があるものだ。別にタキオンもあれくらい叫べる体力がないわけではないが、今、あれくらい叫べとなると、それなりの準備運動が必要な気がした。――結局、興奮しているからあれくらい叫べるんだろうけどね…。タキオンは暑さを帯びた夕日の中に浮かんでいるこまごまとした人々を見つめてそう思った。

 田上は、遠くの人影を見るともなく見つめていた。時々、思考は目の前で行われているトレーニング内容に行ったり、隣のタキオンに傾いたりした。タキオンには、謝りたいとも思ったが、今はやっぱり感謝の念の方が強かった。

 やっぱり、タキオンはとても良い人間だと思った。そんなこと思わなくても分かり切っていた事だったが、今は、自分を背負ってくれるその優しさが身に染みた。元はと言えば、自分が暴走し過ぎて、勝手に疲れ果てた事から起きた事だった。それを、タキオンは田上を責める事もせずに、ただ元気を出させてあげようと、背負ってくれる。なんとまぁ、健気で優しい女性だろうか。田上は、隣にある優しさを感じながら、ぼんやりと座っていた。

 

 タキオンは、田上の手に触れながら、また「背負おうか?」と提案した。田上は、この提案に少し迷った後に、目を下の方に向けながらコクンと頷いた。その際に「うん」と声を出そうとしたのだが、これは自分が息を出しただけなのか、それとも、実際に声として出てきたのかは分からなかった。

 しかし、タキオンは田上の答えをしっかりと理解して、田上に背を向けると、乗ってくれるのを待ちながら「次はどこへ行こうかねぇ」と言った。

 そして、タキオンは、立ち上がり田上を運びながら、背中の田上に「どこに行きたいとかあるかい?」と聞いた。それに、田上は、思わず、黙ったまま首を横に振ったのだが、これでは伝わらないと思って、「ううん」とだけ答えた。これが果たして「ううん」とはっきり聞こえたのか、それとも発音の悪い「うん」として聞こえたのか、田上は少し不安になったが、タキオンは「じゃあ、どこに行こうかねぇ…」と独り言のように呟いていたので、田上は、特に、それで頭を悩まされる事はなかった。

 それから、タキオンは田上を励ますように色々と話しかけながら歩き続けた。田上は、あまりノリの良い返事はしなかったが、タキオンは、田上が返事をしてくれているだけでも嬉しいらしかった。特に飽きもせずに、楽しそうにずっと話しかけ続けてくれたから、田上もその分救われた。

 タキオンの背に負われながら、途中で幾らかの人とすれ違った。田上は、その人たちにどうか目を付けられませんようにと思いながら、その度に、目を逸らしてそっぽを向いていた。どうやら、あまり因縁もつけられずに通りすがることができたようだった。田上は、少しほっとした。

 タキオンは、ゆっくりゆっくりのんびりと、田上との会話を楽しみながら歩いていき、寮の前を通り、そこもまたゆっくりと通り過ぎて、最後にいつものベンチへと来た。

 タキオンは、ひとまず田上をそこに下ろしてから、「ここで終点にするかい?」と聞いた。田上は、今、ここがあんまり居心地の良い場所とは言えなかった。確たる理由はあまりないが、ここに座ってただぼーっと目の前を眺めているくらなら、寮の前のベンチに座ったほうがマシだと思った。だから、田上は、タキオンに少し申し訳ないと思い、目を逸らして俯きながらも、静かに首を横に振った。

 タキオンは、「そうかい」と気の良さそうに頷くと、「じゃあ、どこに行こうかねぇ」と田上に言いながら、自分もその隣に一先ず座った。田上は、特に明確に行きたい場所などなかったため、曖昧に首を傾げるだけにした。タキオンは、座っている途中だったため、田上が首を傾げたのを見ていなかった。

 タキオンは、田上に頭を擦りつけたり、指先でちょんちょんとつついてきたりして、構ってほしそうにじゃれついてきていた。田上は、それに迷惑そうな目を向けたが、心底嫌そうでもなく、しょうがないなぁという感じで、タキオンと指先を触れ合わせて、手遊びをしていた。タキオンは、嬉しそうな様子で、時折クスクスと笑いながら、田上の手を揉んだり、指先を絡ませたりして楽しんでいた。

 それから、暫くするとタキオンは「ああ、楽しかった!」と言いながら、すっくと立ち上がった。そして、田上の方を振り向くと、「行くかい?」と聞いた。

 田上は、多少の恥ずかしさを感じて俯きながら、コクンと頷いた。タキオンは、恥ずかしさの欠片もなさそうな様子で「よし」と声をかけると、しゃがんで田上に背を差し出した。田上は、またタキオンの背に体重をかけながら、その体温の温かさと、それに伴うしっかりとした安心感を感じた。

 

 タキオンは、また「どこに行こうかねぇ…」と言いながら、当てもなく寮の前へと彷徨い出た。すると、またウマ娘寮の前で、ハナミとアルトにあった。ハナミは、前見たときとは位置が逆になっているのを見て、思わず「あ、逆になってる」と言った。途端に、田上は恥ずかしく居た堪れなくなった。

 タキオンが、このまま立ち止まって、友達二人と話し出すのであれば、もうおりようと思ったが、案外、タキオンは立ち止まらずに、少し後ろの田上を見せびらかすと、「爺やの介護をしているんだ。散歩してる。またね」と言って、そのまま歩き去って行った。

 ハナミは、恥ずかしそうに、タキオンの頭に自分の顔を隠している田上を見つめながら、「そう…」と頷いた。そして、その二人が充分に離れると、アルトの方に「何?あれ」と言った。アルトは、手で自分の口元を隠しながら、ふふふと笑って、「タキオンよっぽど田上トレーナーのことが好きなんだね」と言った。ハナミも、タキオンたちの後ろ姿を見、それから二人の和やかさをその背中から感じると、「良い人拾ったな」と言った。

 

 タキオンは、それから、また、校庭の方に来たが、先程座ったベンチとは反対の方に居る。そこには、まだバレーをしている人も、サッカーをしている人も、トレーニングをしている人もいた。 

 タキオンは、今度はその人たちの近くを通って、その外回りの方をゆっくりと歩いていった。田上は、なんの気なしに、そこにいる人たちを見ていたのだが、バレーボールをしている人の中に見覚えのある人物がいた。まだ、上空に光が見えると言いつつも、もう日の暮れかかった頃だったので、暗くなって多少人の顔も見えづらくなっていた。だから、田上は少し目を凝らしてみたが、やはり、田上の思った通り、バレーボールでキャーキャー言っていたのは、リリックとその友達だった。

「リリーさんだ」と田上は思わず呟いた。タキオンは、田上の声に反応して、バレーボールをしている三人の内の一人を見た。そして、タキオンも「本当だ」と呟いた。ただ、二人は楽しそうに騒いでいるリリックには声をかけないで行った。二人共、特にその必要性を感じなかったからだ。

 その後、幾らか歩いたあとに、タキオンが前の方を見つめて、考えながら言った。

「……嫉妬する彼女って…」

 そこで言葉を切らした後に「やっぱりいいや」と言った。今の言葉から、田上もタキオンが言いたかったことを想像できたが、田上も同様に、嫉妬や感情のなんたらに関する話は今したくなかった。それでも、タキオンがそう言ってしまったことによって、田上は、また、考えに捕らえられざるを得なくなり、タキオンに預けていた体重が、自分の方に戻ってくるような気がした。そして、タキオンの方も、田上と同じように、口にしてしまった言葉に思考を支配されてしまったようで、また暫く歩いた後に言った。

「あんまり気にしなくても良いんだけどね。…本当に些細だったから、さっきも口にする必要がないと思ってやめたんだけど、……嫉妬と言ってもいいものかすら分からない程に些細なんだ。ただ、…そうだね…。……嫌いには、ならないでほしいんだけど…、…うん。リリー君を女と言うのもなんだかバカげてるよね…」

 田上は、なんとか相槌として自分の意思をタキオンに伝えたかったのだが、どうにも「うん」以外の言葉が出てきそうになかったので、返事は諦めることにした。タキオンは、その後に、田上の返答を待つような沈黙を空けたが、田上が話さないままでいると、また話を続けた。

「……うん。…本当に些細だったんだ…。…ただ、……君と二人きりで楽しんでいた時間に、別の女が入り込もうとしてきたと思ったから、…私がそれに拒否反応を起こしただけだった…」

 田上は、果たして、ここでどんな言葉を投げかけてやるのが正解だろう?と思った。今まで繰り返してきた通り、「俺はお前の事だけが好きだよ」「お前しかいないよ」と言っても、この場の答えとしては適当でないような気がする。慰めるのとは少し違うだろう。だとすれば、どんな言葉が良いのだろうか?田上は大分悩んだ挙句、言葉が出ないままに終わった。

 

 また、先程のベンチに座っている時に、田上はタキオンの事をずっと考えていた。校庭の反対側からここまで背負われてきたのだが、あの話以降は二人とも口を利かなかった。

 タキオンは、ベンチに来て、ただ静かに、「おりようか」と言ったのみだった。田上は、従順にその通りにした。それからも、この時まで二人は話していない。

 田上は、タキオンが先程の発言について、気に病んでいるのかもしれないと思ったが、むしろ、言葉を発する事に関しては、自分の方が劣っているとも思った。田上は、考えても考えても、何と答えればいいのか分からなかった。本人が些細と言っているのだから、そうなのかもしれない。些細な事は些細なのかもしれない。ただ、この問題は、二人の間でずっと悩みの種だった。だから、田上もいい助言とか、優しい慰めとか、するべきなのだろうと思ったのだが、今まで答えの出せなかったことに、急に何か答えを出せるはずもなかった。

 それでも、何か話したいと思って、田上はじっと考え込んだ後に、結局、「嫉妬しても…嫌いじゃない」というつまらない言葉しか出てこなかった。そして、そう言った後に、これではあまりに唐突過ぎると思って、少々決まりが悪くなった。タキオンは、田上の方を見た。田上は、それを視界の端で感じ取った。目線は、校庭の方に向けられていた。タキオンは、また田上から目を逸らすと、黙ったまま、ベンチの下の草を見つめていた。

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