タキオンが、自分たちの恋人繋ぎを見ながら、力を籠めたり緩めたりして、にぎにぎしているのを感じた。田上もその手を見つめた。これが、タキオンなりの――構ってほしい、という意思表示なのかもしれないが、生憎、田上はタキオンに話すべき言葉を持ち合わせていなかった。だから、その手を愛おしく見つめながら、――自分の目指す『チーム』とは何なのだろう? と考えた。
チーム名はトゥルースである。特に、こだわりらしいこだわりはないが、強いて言うなら、一人一人の真実を掴んでほしいという事である。ただ、今にして思えば、なんとも妙な名前である。元は、カフェの友達であるお化けのトゥルースから来た名前ではある。
と言っても、そのお友達が自分に大きな影響を与えたというわけでもなく、ただ単に、その時自分の胸に留まっていた一つの単語がそれだったから、折角だから、チーム名にしてみようとやってみたのである。
チームの名前の解説もそんなに意味はない。一人一人の真実と言ったが、それも後から適当につけた理由である。実際、何が真実で、一人一人に真実があるかなんて、チームに在籍している間に分かるとも思っていない。ただ、適当につけた名前である。
チームの方針は一応ある。皆が楽しめればいい。無理に縛り付けたくはない。ただ、タキオンがこれに当てはまっているかどうかは怪しい所だ。実際、チームになって一番楽しくないのは、タキオンじゃないかと思う。
皆、チームに入って、それなりに居場所ができた。リリックは、マテリアルに懐いているし、エスは、小説を書くために出入りする。マテリアルも楽しくないわけはないだろうと思う。仕事の会話をしている時も、それなりに楽しそうに会話をしてくれる。
そして、こういうチームになって、ただ一人、タキオンの居場所だけが奪われた。今まで二人きりのチームだった所に、他の三人が現れた。タキオンは、それに対して、何の利益も与えられていない。
タキオンは、マテリアルとは友達のようだが、女友達はそこまで欲しくないように思う。もうすでに、カフェやハナミやアルト、デジタル、フジキセキが居るから、そこまで突出してほしいものでもないだろう。あって困る事はないだろうが、あって喜ぶこともないだろう、という感覚だ。エスとリリックは、自分への注意が分散されただけだ。むしろ、ないほうが良いだろう、と田上は思う。
我儘で独占欲が強いタキオンは、自分の彼氏の注意がほかの女に向けられるというのは、特に嫌がる。これでも我慢している方だが、やっぱり、タキオンだけの彼氏が、皆のトレーナーになってしまうから、チームに居るのはタキオンが嫌なのだろう。
こういうタキオンをどうすればいいのだろうか?皆が楽しめると言っても、タキオン一人だけ楽しめていないのでは元も子もない。自分の最愛の人なのだ。できるだけ楽しませてあげたいが、それももう、このチーム内では無理なのだろうか?
田上は、どうにも無理そうだと思った。思ったが、同時に、タキオンの居場所は別の所で作られただろうと思った。それが、田上自身の隣だ。昨日から住み始めた部屋だって、あれはもう正真正銘の二人だけの空間だ。チームの人は立ち入れない空間だ。タキオンが欲しいと言ったから、その要望に添って、二人だけでいられる空間を借りた。
チームの中に、タキオンの居場所を作る事はできなかったが、自分だけは寄り添えることができた。それで、少なくとも、チームの代わりとなる場所で、自分とのひとときを純粋に楽しめる事を提供できたのではないのだろうか?
それに、タキオンだって、チームからまるっきり外れているわけではない。マテリアルさんは、トレーナーになるだけあって、良い人だから、タキオンの事も気にかけてくれる優しい人である。タキオンは、うざい人だと思っているかもしれないが、あの人が気にかけてくれている以上は、タキオンもチームの一員にはなっているような気がした。
その次に、田上は、リリックやエスの方について考えた。タキオンの宝塚記念について考えていると、自分の方がむしろ勝ちに執着しているのではないのだろうかと思い始めてきた。
実際、トレーナーになった以上は、勝ってほしいと思う。だが、これはいけない感情なのかもしれない。楽しんでいる担当に、勝ちを狙わせるのは、水を差す行為なのかもしれない。
だが、担当が目標を失ってしまった場合はどうだろうか? 自分が代わりに目標を見つけてあげればいいのだろうか? それとも、目標を失った担当をそのまま放っておけばいいのだろうか?
近頃の子供たちには、厳しくしてやれる大人がいないという意見を聞く。それは、正しくもないだろうし、間違ってもいないと田上は思う。相変わらず、子供が宿題を忘れれば先生は怒るし、次から改善しなさいと言う。だから、子供は宿題を持ってくるのかもしれない。
ただ、昨今の、子供を自由に育てようという風潮の中では、それも間違っているのかもしれないとも思う。宿題を忘れても、やんわりと注意するだけにとどまって、次から持って来てくださいね、と優しく言う先生の方が評価されるだろう。実際、圧をかけない方がパフォーマンスはあがるのかもしれない。すると、田上は、子供たちには勝ちを狙わせないほうが良いのかもしれない。しかし、同時に、勝ちを目指すとなったら、目標の設定も重要だろうし、目標に導くためには、手を引っ張ってあげる事も重要だろう。
昨今では、主体性も重要だと言う。ただ、怠けてばかりでは主体性も育たない。親はある程度気にかけてあげることも必要だろうし、失敗した時には少しばかりのフォローも必要じゃないのだろうか?
田上はそう思った後に、――やっぱり違うかな? と思った。主体性を育てるのならば、親は放任主義を決め込んだほうが良いだろう。親があれこれ手伝いをしては、育つ主体性も育たなくなる。
ただ、親にだって、経済力による限度はある。子供がプロゲーマーになりたいからと言って、おいそれと百万円もするゲーミングパソコンを買ってあげるわけにはいかない。しかし、そこで主体性が完全に抹消されるわけでもないから、親は子供が挑戦する事をできるかぎり支えて、なにをどうしても無理な事は無理と伝えたほうが良いだろう。
ただ、親にだって面倒な事はある。毎週毎週、どこそこに旅行に行ってみたいと言われたら、それも無理な物は無理だろう。これも断ったほうが良いはずだ。旅行にだって金は掛かる。経済的支援にも限度はある。これを、どこまで許してやれるかが親の本領なのかもしれない。田上は、――自分は、親になったら、子供の言う事を面倒臭がらずに聞いてあげられるのだろうか? と思った。
田上は、主体性と言う観点で子供を見つめた時に少し心配な事がある。それは、怠けないのだろうか? という事だ。今の日本は、生きるに事欠かない。食べ物もある。水もある。衣服もある。住む場所もある。そして、それを親が全て提供してくれる。
千尋の谷に突き落されるというのならば、否が応でも主体性は育つだろう。しかし、今は子供を自由にする時代だ。そういう時代だからと言って、子供を家に置いたままでは何の圧力も生まれないだろう。子供を家から出すには、多少の圧力はかけないといけないのかもしれない。それとも、かけなくても良いのかもしれない。
そこの所の真偽は、今の所分からないが、田上は、親離れと言うのならば、狐のそれが頭に思い浮かぶ。あれは結構乱暴だ。あれを人で例えるのならば、物理的に親が家から子供を追い出すようなものだ。
つまり、千尋の谷に突き落す事と相違ないが、それでも、狐の場合はなんの準備もなく親離れさせられるわけではない。親について回って、色々と生きる術を学んでから、親から突き放されるのだ。これが家で引きこもって、出てこない様な子供とは違う。
無論、子供にも色々な種類が居るから、家から唐突に追い出されても案外生きていける子もいるかもしれないが、それでも、同じようにされたら、どこかで野垂れ時ぬ子もいるだろう。それを運命だと言うのならば、運命は如何様にでも残酷になる。自分の子をそんな運命に突き落したくないのならば、最低限やれることはしなければならない。
そう考えた所で、田上は自分の考えが結構脱線してしまっている事に気が付いたが、まだこの問題については考えたかった。タキオンは、もう田上の手をにぎにぎするはやめて、ただ退屈そうに、田上の肩に寄りかかっているだけになっていた。
田上は、再び、子供が怠けないかどうかについて考えた。衣服もある。水もある。食べ物もある。住む場所もある。そんな安全な暮らしの中から、人間同士の摩擦の起こる世界へどうして出向きたいと思うのだろうか?
出向く理由はいくつかあるだろう。一つは、暇だからと言うのがあるかもしれない。退屈になったから、家の外にも出て散歩をしてみよう。しかし、これではあっても挨拶程度の摩擦しか起こらない。散歩だけなら、外に出るのも容易いだろう。
もう一つには、人間関係が欲しいから、というのもあるかもしれない。例えば、彼女が欲しい、彼氏が欲しいなんてのもその理由だろう。とは言え、当てもなく出歩いても、彼氏や彼女なんてそこら辺に落ちているわけでもない。これで、子供が変な人間に引っ掛からないようにもしなければならない。
そして、最後に、自分の興味のある事柄を調べに出て行くというのがあるだろう。これが一番主体性があるかもしれない。
例えば、草花が気になるのであれば、植物園に行ってみるでも良いし、そういうものが好きなサークルに所属してみるのでもいい。そうすれば、ある程度健全な人間関係も手に入る。小説を書きたければ、小説サークルに入ってみるのでも良し。ただ、ネットがどうかは知らない。田上は、高校時代にゲームに熱中していた頃に、少しネットの人とゲームをしていた事がある。
ただ、一人二人である上に、そこまで濃い関係も築かなかった。ただ、一時期オンラインゲームを、その人らと一緒にプレイする事にはまっていただけだった。そこから濃い人間関係を築くとなると話は違うかもしれない。濃い人間関係とは、実際に対面して話す事を指している。ネットからそこに発展するとなれば、まず住む地域にもよる。こっちが沖縄で、あっちが北海道だったら、会うのも一苦労なものだろう。あとは、相手が真面な人かにもよる。親からしてみれば、子供がネットの知らない人と会うとなったら、多少は心配だろうが、ここでも主体性は育てなければいけないのかもしれない。
興味のある事柄や人間関係を広げるために、外へと出て行く事はあるかもしれない。しかし、同時に色んな種類の子供もいるのだ。
例えば、興味のある事柄が無いという子もいるかもしれない。それとも、興味のある事柄はあるが、それを頑張って外に出て行くほど、興味があるとは思えないのかもしれない。
興味のある事柄を調べるために、外に行って激しい気候や人間関係の摩擦に遭うくらいならば、温もりのある家でずっとゲームをしていたほうが良いや、と思うのかもしれない。こうなってしまうと面倒である。
この他にも、人間関係を広げるために外へ出向くという理由があるが、これも、人間関係の中で起こる摩擦を嫌った場合は、同じように外に出て行かない。
つまり、外にある事柄に対して、家の内側よりも悪い先入観を持っていた場合に、子供は外に出て行きたがらないのかもしれない。何か、先入観を破壊するきっかけでもあればいいが、それが無い限りは、家に閉じこもってばかりで、何もないままただ時間だけを浪費していくだけなのかもしれない。
これを考えた後に、田上は自分の考えに対して疑問を持った。外が嫌いというのは先入観があるかもしれない。ただ、人間の摩擦を嫌うのであれば、それは一言に先入観と片付けるのも容易ではないかもしれない。人間との摩擦を極度に嫌えば、外に出て行きたくなくなる。
例えば、恋人と付き合おうとするのならば、異性と向き合わなければいならない。そこでは当然摩擦が生まれるだろう。まず、自分の想いをしっかりと伝えなければならない。そして、それを断られる恐怖を味合わなければならない。
この恐怖を味わうのが嫌になった途端に、人は家に閉じこもるのかもしれない。恋人じゃなくても、何かの失敗で自分が怒られるかもしれないと感じた途端に、その事をするのが嫌になるだろう。勿論、世の中怒る人ばかりではない。怒らない優しい人なんて、幾らでもいる。しかし、自分のミスを決して人が責めないとは限らない。その不確実性を感じた途端に、人は家に閉じこもりたくなる。
主体性も一筋縄ではない。一つのミスで、責任を感じるような事柄が起こってしまえば、主体性なんて簡単に砕け散って、その場から逃げ出したくなる。そのミスから復帰できる人も居るが、それが、子供の時期に起こってしまえば事は面倒になる。
親が、主体性が何かすらも分からないで、子供の主体性ばかりを尊重して放置していたら、その子供のミスに気が付けない。子供は、ミスの恐怖を増長させて、より怯えて閉じこもるだけになるだろう。
大人がミスをするのならば、世の中をまだ弁えているから良い。世の中悪い事ばかりではない。今回責められて落ち込んでしまっても、ミスはたまたまだったし、上司が厳しくても友人は優しいから何とかと、理由をつけてまた復帰する事はできるだろう。それでは多少の圧も必要かもしれない。それとも、引力と言うべきだろうか。親のすべきことは、子供を押す事よりも、手を引いて、外の世界の様子を見せてあげることかもしれない。それが、狐らしい教育の仕方かもしれない。
ただ、田上は、主体性という三文字への疑問が、まだ抜けきっていないように感じた。しかし、ここで、松浦たちがまた試合を終わらせて、休憩しに戻ってきたので、思考は中断された。
田上は、自分とタキオンの手を、ぼーっと見つめていた頭の中に、唐突に、こちらに向かって歩いてくる話し声と、足音が聞こえたので、顔を上げた。顔を上げると、真っ先に目が合ったのは、少しばかりニヤニヤとしたマテリアルだった。マテリアルは、田上と目が合うとそのまま一直線に歩いてきて、ニヤニヤした顔のまま話しかけてきた。
「タキオンさんと二人の時間を楽しめましたか?」
田上は、これに鬱陶しそうに眉を寄せるだけにした。マテリアルはその顔を見ると、ハハハと笑ってから、自分の飲み物を取りに行った。その後に、松浦が来ると、こう言ってきた。
「アグネスさん落ち込んでいるんでしたら、田上さんと二人だけでフリスビーやるなんてどうでしょうか?…僕が口出すのも鬱陶しいかもしれませんが、折角、田上さんが計画してくださったのに、やらないのも何だか損だなぁと思ったので」
田上は、その提案をいいものだと思ったから、「良いかもしれないです」と頷いた後に、隣のタキオンを見た。タキオンは俯いて何の反応も示さなかった。
試しに、田上が「やってみる?」と聞いたが、首を横に振られただけだった。
それでも、田上はタキオンが今、松浦の手前素直に答えるのを嫌がったのであって、本心では、やる事はそんなに嫌ではないんじゃないだろうか、と思った。
だから、松浦に「もしかしたら、気が変わった時にやりたくなるかもしれないので、一つ手元に頂ければ嬉しいです」と言った。
田上の「手元に持って来てほしい」という少し差し出がましい要望だったが、松浦は快く承知して、フリスビーを一つ持って来てくれた。これは、体育館倉庫から持って来てくれたものだったから、田上は何度か頭を下げながら、「ありがとうございます」と言ってそれを受け取った。
また、タキオンと田上とカフェ以外の二人は、コートに遊びに行った。今度は、生徒たちが、松浦とマテリアルを集中して当てるという遊びをやっていた。この二人が案外器用に避けるから、生徒たちは結構楽しんで笑いながらフリスビーを投げていた。
田上は、その光景を見つめながら、タキオンへ言うべき言葉が不意に見つかって、タキオンに握られている自分の手に少し力を籠めると、小声で話した。
「タキオン……。…晩御飯は、…ハンバーグが良い…」
タキオンは、数秒の間身動きをしなかったから、これは無視されてしまったのではないかと、田上も少しがっかりしたのだが、その後に、タキオンが田上に寄りかからせていた体を少し起こすと、田上の太もも辺りを見つめながら口を開いた。
「………帰りに、…買いに行くかい?」
「うん……」
そう言った後に、また少し間が空いたが、タキオンが口を開いた。
「……ごめん…」
「……いいよ…」
「……優しいね…」
田上はこれに何も答えなかった。すると、またタキオンが言った。
「君の事は嫌いじゃない…」
「……うん…」
「……君が怒らずに、私の手を握っててくれて助かった…」
「……むしろ、俺が怒られてるのかと思ってた…」
「……悪いのは私だよ…。君が真面目に話をしようとしてたのに、…君の話を聞きもしないで、勝手に機嫌を悪くした…」
「……俺だって、…お前の気持ちを察せずに、真面目な話をしようとしたから、こんなことになった…」
田上がこう言うと、タキオンは、もう少しだけゆっくりと体を起こして、田上の横顔を見た。田上も少し顔を動かして、タキオンを見ると、タキオンは目を逸らして、今度は自分たちの手の方を見ながら言った。
「………君が優しい人で助かった……」
田上は、心の中で――俺は優しくない、と断ったが、それは口に出さなかった。そして、俯いていたかおを徐々に上げていくと、体育館の中に散らばっている誰ともない人たちを見つめた。
田上は、暫く体育館の中を行き交う人を、焦点を合わせずに眺めた後、タキオンの方に向かって言った。
「どうする?…フリスビーでもする?」
「……したい」
タキオンがそう答えると、田上はじゃあと言って立ち上がった。タキオンは、壁に寄りかかったままだったので、田上が立たないタキオンを見下ろすと、だっこして、というようにタキオンが腕を広げた。
田上も仕方がないが、ここでタキオンを抱きしめながら立たせるわけにもいかないので、その手を掴むと、引っ張って立たせようとした。しかし、タキオンはどうしても田上といちゃつきたいらしかった。自分の手を掴んでくれた田上の手を、素直に引っ張られることもせずに、後ろに重心を預けたまま、逆に引っ張り返した。ウマ娘の力なので、田上が引いてもびくともしない。華奢なくせに力だけはある女の子だ。
田上は、少し呆れて笑いながら、タキオンの事を見下ろした。タキオンは、こうして田上と触れ合う時間ができて、嬉しそうに笑っている。こうなってしまえば、タキオンに逆らう事はできないし、折角、また仲直りした今、無理に逆らう事もしたくなく、むしろ、タキオンの手に引かれてそのまま彼女の方へ近づくのもいいのではないかと思った。だから、田上は渋々という体で、怪我をしないようにタキオンに手を引かれていくと、やがて、その体の上に膝立ちになって、手はタキオンの頭を避けて壁に突かれた。二人の顔の距離は近かったが、こうなってしまうと、田上は他の人の視線が恥ずかしくなった。
言ってしまえば、ここは知り合いがたくさんいる場所である。コートで遊んでいる連中にいつ気付かれるとも分からないし、すぐ横にはカフェがいる。これはもうすでに気付かれて見てみぬふりをされているだけかもしれないが、田上はできるだけ早くこの距離のタキオンから離れたかった。
ただ、タキオンは、田上の手をしっかりと握っていたので、簡単には抜け出せそうになかった。それに加えて、田上も、このスリルをタキオンと一緒に楽しんでいたのもあった。
だが、流石にタキオンから「キスするかい?」とニヤニヤしながら聞かれると、田上も恥ずかしそうに口を歪めて「それだけはやめてくれ」と言った。
近頃のタキオンは、大分丸くなったので、前の様に田上に無理矢理キスするなんて事もなく、「分かったよ」と満足気な表情を見せると、田上の腕を掴んでいた手を放した。
田上は、放された後も一瞬その体勢でタキオンを見つめていたが、やがて、タキオンと同じように満足した表情を取って、その隣の方にごろりと横になった。タキオンは先程の嬉しそうな表情のまま、横に寝転んでいる田上の顔を覗き込むと「するのかい?」と尋ねた。田上は、うんと頷くと、先に立ち上がったタキオンと共に、その横に体を起こした。
タキオンと田上は、カフェの前、コートの脇でフリスビーを軽く投げ始めた。二人共、なんてことはない、ただフリスビーを、フワッと浮かせては掴み取り、フワッと浮かせては掴み取っていた。
タキオンは、些か田上の方に興味がある様な顔つきでフリスビーを投げていたのだが、先程の落ち込み気分から抜け出せていないのか、興味はあっても、それを向かいにいる田上に聞こえるような大きな声で話せない状況にあった。
カフェはそれを体育座りのままじっと眺めていたが、やがて、田上以外に興味を持ったタキオンと目が合った。
カフェは、フリスビーを目で追ったまま、タキオンの目と目が合ってしまった。
タキオンは、そこでニヤリと笑うと、自分の手元にあったフリスビーを急にカフェの方に投げてきた。
フリスビーは綺麗に、そして、一直線にカフェの方へ飛んできた。それが、カフェの顔に当たってきそうだったので、カフェはそれを手で掴むことはせずに、頭をひょいと下げる事で避けた。
途端に、タキオンは愉快そうにニヤリと笑って「ノリが悪いなぁ」と言った。
カフェは、元々この会に乗り気という程乗り気ではなかったので、タキオンがそう言ったところで反論する気などさらさらなく、不愉快そうな目でじっと見つめ続けた。
田上は、タキオンとカフェの会話の横で、仲の良い友人二人の様子をただの傍観者としてゆっくりと見つめていた。内心は少し嬉しかった。
自分の前では、自分に対して気軽に接してくれるタキオンしか見ていない。
田上以外に気軽に接するものと言ったら、カフェやハナミやアルトなど、同学年の友人くらいだ。最近は、自分以外に触れているタキオンを見ていないので、そういう『年相応』というべきか、はたまた、『元気な』というべき様子のタキオンを見れるのは嬉しかった。
自分の前では元気でない事はないのだろうが、自分が不甲斐ないからか、タキオンを落ち込ませる瞬間は度々あった。そういうのが無い友人関係というのは、タキオンにとってありがたいものかもしれない。
田上は、カフェで遊んでいたタキオンを見てそう思った。
カフェとしては、彼氏と彼女で勝手にやっていてほしかった。
カフェの方に投げられたフリスビーは、田上が取りに行っていたので、タキオンがカフェから目を逸らすと、田上に「いいよ」と声をかけた。だから、田上はまたタキオンに向かって、ふわりとフリスビーを投げた。
今度も上手くタキオンの手に収まった。
そして、タキオンは、そのまま田上にフリスビーを投げ返そうとしたのだが、そのフリスビーはタキオンの手から外れて、あらぬ方向へ行った。と思ったのだが、その狙いは完璧にカフェの方に計算されていて、またカフェの顔を襲った。カフェは鬱陶しそうに、また頭を下げて避けた。
タキオンは、「これもダメかぁ」と笑っていたのだが、カフェも少し苛ついたので、自分の手元に落ちたフリスビーを手に取ると、それをヒュッとタキオンの方へ投げた。
フリスビーは、タキオンの手が届くか届かないかの位置を、空を切って飛んでいった。
タキオンはそれを手に取ろうと、ぎりぎりまで手を伸ばしたのだが、フリスビーはタキオンの人差し指に弾かれて、そのまま奥の方へと飛んでいき、地面に落ちてもコロコロとタキオンから距離を伸ばしていった。
タキオンは、面倒臭そうな顔をすると、カフェに向かって「もうちょっと取りやすいのを頼むよぉ」と言った。
カフェは、わざと取りにくいフリスビーを投げたので、多少満足して、タキオンから目を離した。そして、目を泳がせていくうちに、自分を見ている田上と目が合ってしまったので、ふいと横に逸らした。
これは、もうカフェが、敢えて田上から目を逸らしたのを、田上も感じていたので、手遅れではあったが、特に大した縁もない田上の事なので、どうでもいいやと思うと、カフェは俯いた。
次には、タキオンも、カフェがだんまりモードに入ったと思って、素直に田上の方に投げた。田上は、タキオンとカフェの友人関係に、少し満足しながら、それを受け取った。
二人の友人関係が何であるとは言い難いのだが、もし、自分たちもこういう関係だったら、自分たちの間にも悩みは生まれないのかな? と思った。
そして、そういう関係になって、面倒なこと全てが解決してくれればいいと思った。
田上もそれが夢想であることは重々承知の上だが、二人の軽い関係が羨ましくもあったし、理想的な様にも思えた。そして、田上自身がタキオンと別れたくない事も、一つの感情として承知の上であった。
タキオンが復帰したので、また松浦の方から「一緒にやりませんか?」と直々にお誘いが来た。タキオンは、少し考えた後に、「いいとも」と答えた。それから、またグーとパーで分かれる事となった。二三回、皆でグーとパーで分かれるのをやり直した後、できた組み合わせはこうだった。
まず、田上が所属しているチームが、田上、マテリアル、松浦、リリック、そして、松浦のチームの子で、タキオンが所属しているチームが、タキオン、松浦のチームの子三人、そして、エスだった。タキオンとエスは、互いに含みのある目つきで見つめ合った後、「まぁ、いいだろう」とタキオンの方が言った。
エスは、若干飽き気味ではあったが、ここで面白い人が二人ほど入ってきたので、またどんな具合だろうと楽しんでみることにした。
タキオンは、これを余裕だろうと思っていたが、三つもフリスビーが回っているとなると、案外視線の移動が忙しかった。それでも、タキオンは最後までコートの内側に生き残り続けて、最後には、タキオンと松浦だけがそこに残った。田上は、結構序盤の方に、タキオンに集中的に狙われて、外野へと回っていた。当たった時は、他の人にも笑われてしまったが、これは田上をバカにする笑いというよりも、田上とタキオンの、微笑ましい戦いの決着に対する笑いだったので、田上はそれ程傷付かなかった。それよりも、タキオンが楽しんでくれている事の方が嬉しかった。
ただ、最後に松浦対タキオンの一対一となると、田上は少し松浦に嫉妬した。あそこにいたのが自分であれば、タキオンもかっこいいと思ってくれたかもしれないし、タキオンと二人きりの決着という場を楽しめただろう。
あのコートの内側に松浦がいると、まるで、タキオンに相応しいのは松浦なのではないかと思ってしまう。田上が外野から投げたフリスビーも、嬉しそうにニヤリと笑ったタキオンに簡単に避けられてしまい、最後にはエスが投げたフリスビーが、松浦の背中を捉えて、試合は終わりとなった。
タキオンは終わるなり、田上の方に歩いてきて、「いやぁ、君、早々に散り過ぎだよ」と言った。田上は、タキオンが遊びを楽しんでくれた嬉しさと、松浦への嫉妬とで少々複雑な気持ちになりながらも、顔に微笑を作って「ああ」と頷いた。それから、少しばかりの休憩を取った。
次にするときは、カフェも含めて、高等部以上のエスとタキオンとマテリアルと松浦と田上 VS 中等部の子たちに分かれて戦った。
流石に、中等部の子たちもバカではないので、一筋縄では勝てなかったが、何とかコートの内側にいたカフェが、リリックにフリスビーを当てて辛勝となった。
タキオンは、田上に当たったフリスビーを頑張って拾おうとして、足で弾いたのだが、その結果、向こうのチームにフリスビーが飛んで、それを向こうの子が拾ってしまったから、一度審議となった。
そして、最後にはじゃんけんで決着をつけようという事になって、拾った子とタキオンがじゃんけんをし、タキオンが負けた。
それによって、田上とタキオン二人が、外野へと回ってしまったのが高等部・大人チームには痛手となった。
田上は、今回のフリスビーで、なんにもかっこいいところを見せられなかったので、多少落ち込みながらも、タキオンの楽しそうな笑顔を見ると、救われる事には救われた。
皆が汗を拭いているうちに、松浦のチームの子が「バスケットボール取ってきていい?」と松浦に聞いて、了承を得ると、バスケットボールを取ってきたので、フリスビードッジボールはとりあえず、お開きのような雰囲気になった。
田上とタキオンとカフェは、それ程疲れていなかったが、他のみんなは、はしゃぎにはしゃいだので、少しぐったりとした様子で壁際に座り込んでいた。
それでも、少し休憩すると、若い順から徐々に元気を回復していったようで、体育館に備え付けてあるバスケットゴールにひっきりなしにボールを投げていた。皆は、それに当たるの怖かったので、ゴールの真下は少し避けていた。
田上は、タキオンに「フリスビーを投げよう」と誘われたので、休憩している皆の前で適当にぼんやりと、タキオンとフリスビーを投げ交わしていた。何度か、田上の方にバスケットボールが飛んできたので、田上はそれを元来た方へ投げ返したりもした。
田上は、タキオンが、この、フリスビーを受け取っては投げる、という行為にどんな楽しさを感じているのか分からなかった。自分もタキオンの事を見つめながら、投げ返すのは楽しかったが、体を動かすことほど突出した楽しさは感じない。ただ、ぼんやりとした胸の内側にある楽しさがチロチロと心を燻って、互いの手を動かすのみである。
恋人の顔を見て投げるという行為そのものが、楽しいのかもしれない。もしくは、別の何かが楽しいのかもしれないが、田上には今の所、思いつかない。ただ、このフリスビーを投げている間だけは、心と心が繋がっているのだろうか? と少し期待してしまうのだった。
その内に、元気を取り戻したマテリアルが、二人の間に投げられたフリスビーを唐突に奪い取った。会話をしていなかった二人は、フリスビーを受け取っては投げるという行為で会話を楽しんでいたので、その交信の手段を奪い取られた二人は、少し驚いて、放心した面持ちでマテリアルを見た。
マテリアルは、言葉の無い二人を、陰気な様子だと勘違いしていたので、「そんなんじゃ盛り上がりませんよ!」と言うと、「自分も交ぜてください」と言った。
田上とタキオンは、見つめ合って言葉のないところで交信していたが、やがて、面倒そうな顔でマテリアルを見つめると、田上とタキオンが揃って「いいよ」と答えた。
マテリアルはひっきりなしに、タキオンや田上に話しかけていたが、田上たちは口では話に受け答えしていても、意識は常にお互いの方へと向けられていた。
マテリアルは、それに疎外感を感じる事もなく、ただひたすらに喋りまくっていた。
その内に、この輪の中に松浦も参加してきた。
松浦は、田上とタキオンに気を遣ってか、一番入りやすい所は、田上とタキオンの間なのだが、わざわざタキオンとマテリアルの間に割って入って、四方に散らばる事となった。
マテリアルは松浦が入ってくると、表情をほんの少しだけ嬉しそうにさせて、今までひっきりなしに話していた口調を少しお淑やかにした。
田上とタキオンは、マテリアルから松浦についての好意を、その口から明言らしい明言をされていなかったが、大体の事の成り行きから、松浦の事が好きなんだろうな、と予想できる。一目惚れかどうかは知らないが、一目惚れだったとしても、松浦は恋人には悪くない人だと思う。顔もいいし、性格も良いし、運動神経も良い。可愛い顔して愛嬌があるんだから、もう申し分が無い。田上とは大違いである。
田上は、タキオンから投げられたフリスビーを受け取りながら、――タキオンの恋人は、松浦さんみたいな人が良かったな、と思った。別に、もうこの立場を受け入れてはいるのだが、松浦みたいに気が利いて、イケメンで、優しくて、人当たりが良くて、愛嬌があって、彼女思いの人間がタキオンの恋人だったらどんなに良いだろうか、と思った。
ただ、松浦が彼女思いであるというのは、田上の妄想である。田上は、実際に松浦が付き合っている所なんて見た事もないが、松浦の担当達に接する様子から、彼女の事も大切にしそうだな、と思う。あれで、彼女にだけ厳しく接するようなら、田上は人間に対する物の見方を変えなければいけない。
タキオンには、「圭一君だって、かっこいいし優しい」とか何とか言われそうだが、それでも、その圭一君とやら言う人間は、気が利かないし、人当たりが良くない。これにも、タキオンは反論してきそうだが、田上は、彼女まで巻き込んで悩む自分がそんなに好きではなかった。悩むくらいならば、悩まない方が絶対に良いだろう。一々落ち込まないで済むし、一々落ち込ませないで済む。一人で悩んで落ち込む分にはまだいいが、タキオンを巻き込んでいるのが田上には嫌だった。
そこで、田上は――松浦だったら悩まないのだろうか? と思って、チラリと松浦の方を見た。松浦は、今はマテリアルとの話に夢中になって、ケラケラと笑っていた。マテリアルも同様に、ケラケラと笑っていたが、それは田上たちに見せるような笑いよりも幾らかお淑やかになっているように感じた。
松浦だって悩まない事はないだろう。一人のトレーナーである以上、教え子を育てるために多少の悩みくらいは抱くはずだ。
ただ、松浦は、あんまり引きずらない性格をしているんじゃないかと、田上は思っている。
無論、あの笑顔の裏で、何か抱えている悩みの一つや二つあるのかもしれないが、田上は、松浦をイケメンの聖人君子で、完璧な人間か何かだと思い込んでいるので、松浦だったら、なんでもあの笑顔で追い払いそうだと思った。
松浦は、それくらいに、田上から見れば良い人だと思う。何て言ったって、自分よりイケメンなのだ。顔にそれ程コンプレックスを持つことも少ないだろうし、卑屈になりにくい。その上、傲慢でもない。ちゃんと、人と人との付き合い方というものを弁えている。
そう考えているうちに、これらのこと全てが、タキオンに反論されそうだと思ったが、田上は、どうも自分の頭のなかで反論してくるタキオンの言葉には、納得が行っていなかった。
それから、タキオンから回ってくるフリスビーを適当にマテリアルに投げ返している時に、松浦から田上の方に話が回ってきた。
話は、恋愛の様相を呈していて、「田上さんは、結構かっこいいから、恋愛の経験とかも豊富なんですか?」と言うものだった。
田上は、その質問にすこしの動揺を隠しながら、「僕は、…まぁ、あんまりないですね…」と言った。それで、松浦がタキオンに「アグネスさんは?」と聞いたので、タキオンはニヤリと笑って答えた。
「私は、中等部から女子校勤めだがね」
「ああ、そうだった」と松浦は笑った。
田上は、その笑顔を見ながら、――かっこいいって、本心で言ってるのかな? と思った。松浦から、そう思われているのならば、少しは嬉しいが、本心が分からない限りは、九割お世辞だろうと思った。
また、松浦の方が田上に向かって言った。
「田上さん、でも、イケメンだから、バレンタインとか大分貰ってたんじゃないですか?」
「いや、僕はもうからきしですね…」
「えー」と松浦が、本心から驚いているような声を出した。
その後に、タキオンが田上にフリスビーを投げながら、「私が居るじゃないか」と言った。田上は、動揺して、それを取り損なって、床に落とした。それから、松浦が言った。
「えー、…お二人の恋愛話とか聞かせてもらっても良いんですか?」
田上は、渋い顔をしながら「嫌ですね…」と言ったが、タキオンは反対に「私はいいがね」と言った。
田上は、「良い」と言ったタキオンを、正気を疑うような目で見た。松浦は、そんな二人を見ながら苦笑して「じゃあ、やめておきます」と言った。
それから、マテリアルから自分の方に飛んできたフリスビーを受け取ると、また田上の方に向かって言った。
「僕、…高校時代付き合ってた人が居たんですがね…」
田上は、松浦の唐突な言葉に「はあ」と頷いた。
「なんか、距離感を測りかねて、そのまま微妙な関係のまま別れてしまったんですよ…」
「はあ」
松浦が、フリスビーを投げ、それがタキオンを経由して、田上の方に来た。
「大学入って、初めの方も、何か月かお付き合いした人が居たんですけど、結局、その人には浮気されましたからね…。…田上さんって、そういうの無いんですか?」
「いや、……僕は、タキオンが初めて付き合った人なので…」
「へー、…告白とかもされなかったんですか?」
「はい、全然」
「なんででしょうね? 田上さんくらい良い人が、モテないのって…」
「近頃の女は見る目が無いんだね」とタキオンが口を挟んできた。松浦はそれを聞いてにやりと笑った。
「いやぁ、そうかもしれませんね。僕が、女の人の目線で見てみたら、田上さんくらいかっこよくて優しい人はそうそう居ませんもん」
田上は、恥ずかしそうに口の端を歪めながら、マテリアルの方にフリスビーを投げた。それでも、松浦は話を続けた。
「もしやれるんだったら、僕の娘を田上さんに上げても良いですよ」
「勘弁してください」と田上は照れ半分困り半分で言った。けれども、松浦は話をやめない。今度はタキオンの方に向かって言った。
「ね、アグネスさん。やっぱり、田上さん程優しい人は居ませんよね?」
「そうとも。大概の事は文句も言わずにこなしてくれる、そんじゃそこらには見ない良い奴だよ」
「そうでしょう? 僕も、アグネスさんと田上さんのやり取りは結構見る機会があったけど、良い人だなぁ、ってその度に思うんですよ」
「僕だって、松浦さんは良い人だなぁ、って見るたびに思いますよ」と田上が切り返したが、松浦は「いやいやいやいや、僕の百倍田上さんは良い人ですよ。少なくとも、僕が良い人だって言われるんだったら、田上さんはもっと良い人です」
田上は、もう扱いきれなくなったので、困った顔のまま事の成り行きを見守った。
「アグネスさん、僕らで田上さんファンクラブ作りませんか?」
「私はもう付き合っているわけだが」
「いや、そうだった。じゃあ、僕一人ででもいいです。田上さんファンクラブ作りますよ」
その時になって、松浦のチームの子が、「まっつん何話してんの~」とやってきたので、一瞬話は途切れた。しかし、その子の質問が、松浦の話している事に関する質問だったので、松浦はそのままこう言った。
「おー、ボカ(暮夏)。今、田上さんファンクラブを作ろうとしててね。お前も入る?」
ボカは、田上の方をチラッと見てから、「なんで?」と聞き返した。
「田上さん、あんなに優しくてかっこよくて良い人なのに、モテた事無いそうなんだよ。だから、ファンクラブ作ろうと思って」
「田上さんの?」
「そう」
「…なんで?」とまたボカは繰り返した。
「…そりゃあ、…田上さんのファンだもん」
「まっつん、田上トレーナーのファンなの?」
「ファンだよ。良い人だなーって思うから。田上さんみたいに、俺もチームを引っ張って行きたいもん」
この言葉で、田上も、松浦が自分の何を、具体的に褒めているのか分かったが、なんなら、田上は、松浦の方が、自分よりずっと良いチーム運営の仕方をしていると思っている。少なくとも、チームの中に恋人がいたりはしない。
ただ、それを言ったところで、話がややこしくなるので、田上はもう、話しの成り行きを見守るだけにしていた。
ボカは、「へー」と言って、田上の方を見て、次いで、タキオンを見た。
タキオンは、ボカと目が合うと、田上の方にフリスビーをひょいと放り投げた。その様子を見た後に、ボカは田上とタキオンを交互に見て、「まぁ、いいや」と独り言を言ってから立ち去って行った。マイペースなボカの後ろ姿を見つめた後に、松浦は苦笑した。
それから、マテリアルが別の話題を松浦に投げたので、話はそこでお終いとなった。
松浦のチームは、中二のボカとカゲロウ(陽炎)、中三のコサメノアジサイとムチュウノトオリ(霧中の通り)と高三のマンハッタンカフェで構成されている。補佐はいない。補佐無しで、五人のチームをまとめ上げているのだから、田上は松浦の事を凄いと思う。
田上は、マテリアルさんが居なかったら、このチームはバラバラになっていたと思う。それくらいに、田上とタキオンの距離が近かったし、タキオンの縄張り意識があった。
松浦が、フリスビーを終わらせて、体育館の倉庫に直しに行く時に、田上にこう言った。
「補佐って、居た方が楽ですかね?」
「…まぁ、…楽にはなりますね。…マテリアルさんなんかは、良い人だったから、良い相談相手にもなりますけど、間違って、我が強い人を補佐にしたら、それこそ面倒な事になりそうな気はしますね」
「ああ、そういう問題もありますね……。…マテリアルさんはどういう経緯で補佐になったので?」
松浦は、その場についてきていたマテリアルに聞いた。
「あー、…田上トレーナーは、実績があったし、タキオンさんとの関係も凄く良好そうだったので、この人の補佐になったら、また学べることも多いんじゃないかと思って、選抜レースで見かけた田上トレーナーを逆スカウトした感じです」
「へー」と松浦が感心して頷いた後に、田上が言った。
「何か、僕らから得られるものはありました?」
「んー、……まぁ、……まぁ、結構ありましたね。お二人共、自分たちの関係を大切にして、行動していましたからね。そういう意味では、得られるものは結構ありました」
「そうですか」と田上は頷いた。
田上としては、マテリアルがこう答えたのが、意外でもあり、意外でもなかった。確かに、二人の間に起こった事柄を全てではなくとも、田上とタキオンの一番身近な人として、一番近い所で見てきている。
その話し合いの中に介入したこともあるので、人付き合いというのならば、人付き合いの中で学んだこともあるだろう。田上がマテリアルの相談に乗ったこともある。意外でないと言えば意外ではないのだが、自分自身が、マテリアルが「結構」と認める程に、学びある事を与えることができていた事が意外でもあった。
その後に、また田上の横についてきていたタキオンが口を開いた。
「私たちの関係は、決して単純ではなかったからね」
田上は、タキオンに向かって頷いたのみで、言葉は発しなかった。それでも、タキオンは田上の言いたい事を感じ取ったあとに、マテリアルの方をチラリと見た。
マテリアルは、含みのある目付きでこちらを見てきていた。だから、タキオンも一瞬見つめ返して、――触れるな、と視線で警告した。
マテリアルの目は、小バカにしたようだったが、その目のやり取りに、男二人は気が付いていなかった。