それでも、タキオンは田上の傍に居ないよりかは、居るほうが断然良かったので、田上が帰るまでの間はずっとその傍に居て、話せない不満をくっつくことで解消した。田上も全くのだんまりはせずに、時折少し、時折少しと、タキオンと言葉を交わしていたので、タキオンもまだ黙しがちな彼氏とも仲良くできた。田上もタキオンに気を遣って、話をしていた節もあった。
家に帰ると、田上はタキオンに電話をかけた。無事に帰ったのかの確認の為に、タキオンから連絡をくれと頼まれていたのだ。
少し待つと、タキオンが電話に出て、「無事に帰り着いた?」と聞いた。田上は、タキオンから借りていた帽子を見つめながら答えた。
「無事だったよ」
「後もつけられず?」
「うん。タクシーだから大丈夫だと思うけどね。校門の方もタクシーの所まで行くときにチラって見たけど、やっぱり、中を覗こうとしてる感じの人はいなかったね」
「流石に、不法侵入だし、ここのトレーナーは揃いも揃って似たような格好だからね。教員の出入りもある」
「そして、俺が、寮住まいだと勘違いしているかももしれないと」
「それが一番大きいかな?あそこの業界の具体的な所は分からないけど、出てくるまで待つもんなのかな?」
「絶対に出てくる日が分かればいいけど、トレセン学園内で生活が完結するようになってるから、そんな、無謀なチャレンジはしないんじゃないか?」
「じゃあ、私も変装すれば君の家に行っても大丈夫かな?」
「…髪色はなぁ…。栗毛のウマ娘が他に居ないこともないけど、…栗毛のウマ娘って時点である程度、可能性はあるもんなぁ…」
「……尻尾を隠せる服はあるのかな?…流石に、少々、腰辺りが膨らみそうな気はするが」
「……ワンピースとかで誤魔化せる?」
「んー…、どうだろうなぁ…。私が持っているのは、尻尾穴があるし、…丈も尻尾の方が少し長いかな…?…切ろうか?」
「何を?」
「尻尾を。バッサリ。根本まで」
「ええ?…それは最終手段でまだやることじゃない。俺、お前の尻尾好きだし」
「おや、なら、切っちゃいけない。…染めるかな…?」
「うーん…、……栗毛も好きなんだけどなぁ…」
「栗毛も?…黒髪じゃないのかい?」
「お前の栗毛も好きだって言ったことあると思うんだけど」
「偶には、彼女の別の姿も見て見たくはないかい?」
「…染めたいんだったら染めてもいいよ」
「んん? …まぁ、この髪色が好きだっていうんなら、これでもいいがね」
それで、話は一まとまりついたかに思えたが、当然違う。
「……ああ、違うよ! お前の髪の色が問題じゃなくて、どうやって俺の家に行くかの話だろ?」
「…ああ、……確かに、……アグネスタキオンが、アパートの一室に入っていったら、ちょっとした問題だものね」
「……だから、せめて、髪の毛くらいは誤魔化さないといけないんじゃないか? ……いや、もしかしたら、俺が引っ越しの挨拶に行った隣人は、今回ので気がついたかもしれないしな…。…ウマ娘が俺の家に入るってだけでも危ないか?」
「ウマ娘なんて、そこら辺にもいるんだから、誰の家にも入るだろう?」
「…その場合、そのウマ娘をお前以外の人だと仮定すると、俺に二股疑惑がかかるんだが」
「おや、そうだ。…どうしようかねぇ…」
「ちょっと、俺も帰ってきてすぐだから、何やかや準備しておく。……電話は繋いだままにする?」
「ああ、そうしてくれ。呼びたいときには大声を出すから」
「それはデジタルさんの方に迷惑だろ」とツッコむと田上は、帰宅後の荷物や自分の後始末を始めた。
田上は、自分でぱぱっと調理した夕食を食べながら、タキオンと通話を続けていた。タキオンも、食堂で夜食を食べているらしかった。
「結局、どうする?ウマ娘が俺の部屋に来るのは不味いよ」
「私は、思ったんだが、やっぱり、君の部屋にウマ娘が来るのは二股でも一股でもないよ。姉とか、妹とか、母とかで誤魔化せる」
「それが、偶々栗毛のウマ娘で、恋人のタキオンも偶々栗毛だったと?」
「偶然って怖いねぇ」とタキオンがわざとらしく言ったから、田上は少々笑った。
「偶然?」
「そう、偶然だよ。…全く怖いもんだね。偶然が私と君を引き合わせたりする」
「……偶然で誤魔化せるもんかなぁ…」
「なに、その隣人だって、君の親友じゃないだろう? 親友だったら、君の家に入って行った女は誰なんだい?と聞きそうなもんだが、余程の詮索好きじゃなければ、君の事に必要以上に踏み込もうとはしないはずさ」
「……廊下で偶々出会った時に聞かれるかもしれないよ?」
「なんて?」
「……あの部屋に入って行ったウマ娘とはどういう関係で?って。…ぎりぎり世間話の範囲にも収まりそう」
「じゃあ、姉とか妹とか答えればいいんじゃないかな?」
「……そんなんで誤魔化せるかなぁ…?」
「誤魔化すしかないだろう? そして、私は、アグネスタキオンだとバレなければいいわけだ。すると、必要以上に踏み込めない隣人は、指をくわえて傍観するしかなくなる」
「うぅん」と唸りながら、田上はご飯をパクパクと食べた。
確かに、タキオン以上の策は見当たらなさそうというか、もっと策の施しようはあるのだが、最も簡単なのは偶然で誤魔化してしまうという事だ。そして、隣人というのも余程の詮索好きじゃない限り、変装しているタキオンの素顔を見ようとはしないだろう。出勤の時間が重なることもあってか、隣の小太りのおじさんとは偶に会うが、大概、詮索好きには見えない。その他の隣人とはあまり会いもしないし、口もそんなに利かない。
ただ、少々の不安が田上の胸にはある。外に降る雨を屋内から見つめるような不安だ。尤も、田上だって雨は嫌いじゃない。雨の後の澄んだ空気や、雨の最中で、何もできずに屋内でただ恋人とうだうだと話している時間は好きだ。小学校や中学の時も思い出す。小学校の時などは、教室に備え付けてあったテレビで、アニメを流してくれる先生もいたものだ。その他にも、ウノやトランプもしたし、雨独特の雰囲気も味わうことができる。雨が吹き荒れる時は、教室や廊下に雨が振り込んでくるだけでも楽しかった。
ただ、図書室に限っては、常連の田上は、いつもよりも騒々しい男子が図書室の中に入ってきて、騒いでいるのがあんまり好きではなかった。いつもよりも混んでいて、人が入ってくるだけでも少々うるさくなる。
外に降る雨を見るような不安と言うと、少々わかりにくいかもしれないが、他の言葉で形容するのも容易じゃない。ただ、少し落ち込んでいるとか、雨が降り止んで外で遊べるのを期待しているとか、そんなところかもしれない。
田上が曖昧な調子で唸った後に、二人は暫しの沈黙を挟んだが、タキオンがまた田上に話しかけた。
「ご飯、美味しいかい?」
「…美味しいよ…」
「……願わくば、同棲したいものだね…」
「……」
「…君の家に、ご飯を作りに行ってあげたい」
「……別に、…そんなに気を遣わなくてもいいよ」と田上は優しく答えた。
「…気を遣うというよりも、…君の一助になりたい。君が豊かに暮らせるように」
「………まぁ、…頑張れ」
「………私…、んー……、…君のこと好きなんだけどね…」
「……知ってる…」
「………もどかしいね…。…君と一緒に、早く生きれるようになりたい」
「………頑張れ」
「………大学もどうしたものか…」
「……一つ一つこなして行くしかないよ。……焦らずゆっくり…」
「……私は、生き急いでいるんだろうかね?」
「……まぁ、…今すぐに俺と結婚することは選択しなくてもいいと思うよ。……うん」
「……何か言いたいことでも?」
タキオンが、田上の語尾に付いた謎の相槌に反応した。
「………特に」
「…………特に?」
「……特にないよ」
「…そう? …騙されてあげるがね? 本当に?」
「…………うんん…。………言いたくないよ…」
「…なぜ?」
「別に、そんなに大した事のない話だから」
「……大した事のない話…? ……それを言ったら、私が怒るとか?」
「……別にそれでいいよ。……大学入ったら、何をしたいとかある?」
「君と結婚したい」
「………つまらん男をお前も好きになったな…」
「それこそ、私が怒りそうなことじゃないかな?」
「……さっきのだって、今のと似たようなもんだよ」
「つまらない男を好きになったって?」
「そう。……もっといい男を好きになればよかったのに」
「……んー、………その心は?」
「……心? …ない」
「……自虐はあんまり好かないよ。充分魅力的な人なのに」
「………口説くね」
「んん? …本当の事だもの」
「……」
「君、…学園に居るときに、私が、君の思い出話を聞こうとしたら、――忘れてくれって言わなかったかな?」
「んん…」
「あれは、過去の事を魅力的に思ってるって言ったことを忘れてほしいって事?」
「………そうかもね…」
「…………慳貪だね」
「慳貪?」
「つっけんどん」
「ああ、…そう…」
「……私、食べ終わったから一旦部屋に戻るよ。帰ったらまた話そうね」
「ん」と田上がもぐもぐしながら返事をすると、「またね」と言われて電話が切れた。
程なくして、一人黙々とご飯を食べていた田上の下に、タキオンから電話がかけられた。田上は、適当に通話を始めるボタンを押した。すると、タキオンが話し出した。
「君はまだご飯?」
「…そう」
「……風呂にも入らないといけないがね……。…どうしようか…」
「……どっちでもいいよ」
「……ふむ。……どうしたもんかね…。…まぁ、…そう急く時間でもないか…。……君のご飯はあとどれくらいで終わりそう?」
「…あと少し」
「……その後に、風呂に入る?」
「そう」
「じゃあ、私も君が風呂に入るタイミングで、風呂に入ろう。どうせ、通話はできないだろうしね」
「ん、皿を洗ってから風呂に入る」
「ああ、分かった。…皿洗い中は、通話してくれるのかい?」
「んー…、…んー、……水の音って案外うるさいからな…。…ゆっくり風呂にでも入ってれば?」
「えぇ? ……まぁ、君が話せないっていうんだったら、入ってもいいがね」
「…まぁ、試してもいいよ。……今食べ終わった」
「じゃあ、後片付けを始めてくれ」
「ああ、そういや、イヤホンもあったな。それつけて片付けるか」
「つけてなかったのかい?」
「うん。出すの面倒だから」
「そう」とのタキオンの返事を聞くと、田上は、「ちょっとイヤホン取りに行ってくる」
と告げて、立ち上がった。それから、田上がイヤホンとスマホを繋げて、タキオンとの電話を続けた。
「君って、あの『K』の文字がついたもの以外の帽子は買っていないのかい?」
「ああ、あのお前にダサいって言われた帽子?」
「ああ、そう。…気にしてる?」
「…ちょっと」
「まぁ、…確か、あの時は、少しイライラしていたからな。…でも、それにしたって、圭一だから、『K』はないだろう?」
「ええ? どんなものよりも俺を表してると思うんだけど。『K』が一個で『圭一』」
「そこがダサいんだよ。特に、君の名前を知れば知るほどダサい。あれ以外の帽子は?」
「確か、無かった」
「じゃあ、もう二三個買おう。私が選ぼうか?」
「んー……、まぁ、いいよ。…また、買って、俺にくれるの?」
「うん。私好みの帽子を選んであげる」
「どんな?」
「うーん……君に似合うと言ったら、…まぁ、…元々お洒落しない人だしな…。普通のキャップが一番似合うような気もする…。できれば、おばあちゃんちに行くまでに買ってやりたいね。…明日買いに行くかい?」
「ええ? 店に?」
「そう」
「んー……、店かぁ…」
「…嫌そうだね」
「んー…、わざわざ出向いてまで買うもんじゃねぇよなぁ…」
「でも、流石に、私達二人が帽子もつけずに、電車に乗って、おばああちゃんちまで行くのかい?」
「別に、俺の帽子はあるからいいだろ?」
「ええ? ……おばあちゃんも流石に君の事を『サムい』人だと思うよ?」
「サムい!? あの、ナウくてトレンディな帽子の事ですか!?」
「ふふふ、そうだよ。君のギャグのセンスは、その程度かと見限られるよ?」
「『K』が一個で、『圭一』なのに!?」
「恐ろしくつまらないギャグだと思われるよ。第一、彼女の実家に行こうという人間なのに、そんなつまらないギャグを見せびらかして行こうというのかい?」
「俺は気に入っているんだけどな…」
「…礼儀を気にしてたのは君だろ? 流石に、そのレベルのギャグを仕込んでいったら、おばあちゃんも君の事を変な人だと思うよ。…実際変な人ではあるが、まぁ、帽子は変えておいた方がいい。普通の忠告だ。…変な人だと思われたくないならね」
「んん…、不満は残るけど、…まぁ、やめておくか…」
「明日はデート?」とタキオンは、少し嬉しそうな期待を覗かせて聞いた。無論、田上は今でも、帽子を買いに行くほどのことはないと思っているから、「うーん」と唸った。
「……帽子…ねぇ…」
「…どうせないし、私のだって、耳穴が開いてるのしかないからねぇ」
「……『K』のワッペン外せるかな…」
「ええ? …どうせだったら買いに行こうじゃないか。デートだよ? そんなに嫌かい?」
「…嫌というよりかは、明後日には普通におばあちゃんちに出掛けるんだろ?」
「出掛けるが、デートくらいなら何回したって良いだろ?」
「んー…、…そもそも俺たちが二人でいるのを見られないために帽子を買うのに、俺たち二人で行く意味って?」
「……気付いちゃいけないところに気付いてしまったね」とタキオンがわざとらしく言った。田上はこれにふっと笑うと、言葉を返した。
「帽子、今注文すれば、明日までには届くかな?」
「いや、待った。二人で買いに行っちゃいけないで、話を通してもらうと困る」
「ええ?」
「……ちょっと寄って、ちょっと帰るくらいの…」
「それ、デートじゃなくても良くないか?」
「これだから、合理主義者は。デートはこなすものじゃなくて、楽しむものだろう?」
「…でも、ちょっとしか楽しめないんだろ?」
「ちょっとでも楽しむために、私はデートをするのさ」
「……ちょっと行ってちょっと帰る? ……それで、どうバレるのを防ぐの?」
「……私は、会計にはついていかないで、君がぱっと帽子を選ぶ。そして、店での滞在時間を減らして、バレる確率を下げる。これだけで、グッと下がると思うのだけれど」
「……無理ないか?」
「無理? 私は、結構行けるんじゃないかと思うのだけど」
「…俺たちの報道を見た店員さんが近づいてきただけでバレそうな気がするんだけど」
「……変装の想定はしてる? 私は、変装前提で言っているんだが」
「ああ、変装? …それにしたって難しいような気もするけどな」
「…そうかな? …栗毛なんて私以外に沢山いるしね? 私だって、変装しさえすれば、ただの一般ウマ娘さ。ただの君の恋人になる」
「んん…」と田上は、まだ不納得げだったから、タキオンは話を続けた。
「だって考えても見てくれ? …私も勿論マスクで顔を隠すつもりだ。帽子で頭も隠れる。耳カバーをしてみてもいい。そして、尻尾はただの栗毛だ。栗毛なんて、この学園に幾らでも居る。私は、…君も同じように帽子を被って、マスクをつけて変装すれば、二人共バレないんじゃないかと思うのだけど」
「んん、……そんなもんかなぁ…」とタキオンがここまで説明しても、田上は不納得げである。そこで、「君、行くのが面倒臭いだけだろ」とタキオンが指摘すると、「そうかもね…」との微妙な返事が帰ってきた。そして、そのまま田上が言った。
「もう皿洗い終わったよ」
「皿も拭いた?」
「ん」
「……私は少々不満だがね、今の話には」
「……別にいいんじゃない? 明日も会えないことはないんだし、明後日を楽しみにしておけば。……今思ったけど、手土産って必要かな?」
「手土産? …いらないと思うが…」
「いや、……今からじゃ遅いか…?」
「例の地元の和菓子?」
「そう。…いや、…間に合うか? 間に合いそうか?」
「別に、うちのおばあちゃんだって、そこまでは気にしないよ。金は持ってるんだから、美味いものなんていくらでも食べられるし、買わなくても、謝礼とかで貰ったりする」
「じゃあ、是非、その謝礼の一員に俺を加えてもらわないと。絶対、渡さないよりも、渡した方が印象がいい」
「まぁ、それはそうだろうがね…」
「タキオン、おじいちゃんおばあちゃんが、何が嫌いとか知ってる?」
「何? …んー、……大概のものは食べていたような気がするがね…。……これと言って、…食の好みは……。…おばあちゃんは、お酒はあまり飲まない性質で、おじいちゃんは、反対によく飲むね。酒のおつまみなんかいいんじゃないか?」
「それ、おばあちゃんには嬉しくないやつだろ?」
「まぁ、そうだね」
「……どうしよう…。…おじいちゃん、甘いものは?」
「……貰って嬉しくないことはないとは思うが、…二人共もう年を取って来てるから、健康に気を使ってる節はあるね」
「そうか…、健康…? ……健康に気を遣ってるのに酒を飲むの?」
「そりゃあ、……酒はやめられないんだろ」
「んー……、俺も将来、酒飲んでたことで悩みたくないから、極力酒は飲まないようにしてるんだけどね…。……健康…に気を遣ってるって、例えばどんなことに気を遣ってるの?」
「どんなこと?……んー……、具体的なことは聞いていないが…、酒の量はいつも減らされているし、おばあちゃんは貧血になりやすいと言って、食材に気を遣っていたね。大方、鉄分あたりに気を付けているんだろう」
「そうか…、貧血か…。……参ったな、考えれば考える程分からなくなってきた」
「向こうは、美味しいものなら何でも食べてるよ」
「そうだけど、…初めてお家に伺うのに、なんの手土産もなしっていうのはな…、印象に悪そうというか…」
「印象は悪くならないよ。それだけは保証する」
「………まぁ、風呂に入ってゆっくり考えておくよ。…電話切るよ?」
「ああ、うん。私も風呂に行く。バイバイ」
「バイバイ」と田上が答えて電話が切れた。タキオンは、その後の画面を暫く満足げに見つめながら微笑んだあと、自分も風呂に行くために立ち上がった。
ゆったりと大浴場に浸かった後、お湯から上がると脱衣所にカフェが居た。ドライヤーで髪を乾かしている。カフェの方も風呂から上がったあとのようだ。気が付かなかった。
タキオンは、上がってきた自分に気付かずに、ドライヤーをかけているカフェに近付くと後ろから「カフェ〜」と声を掛けた。カフェは、振り返って、タキオンをジロリと睨んだあとに、また無言で髪を乾かし始めた。タキオンは、自分の着替えを置いていた場所で、自分の髪をさっさと乾かすと、夜の衣装に着替えて、カフェの横に行った。カフェは、まだ髪を乾かしている。
「君のその髪は邪魔じゃないのかい?」
カフェは、またタキオンをジロリと睨んだだけで、無言で髪を乾かし続ける。ドライヤーの音も中々うるさいので、声の小さいカフェは言葉を発するのが面倒臭いんだろう、とタキオンは察すると、辺りをキョロキョロと見回した。皆揃いも揃って髪を乾かすことに熱心だ。無論、自分もその中の一人ではあるが、自分の場合は早く済んだ。早く済まないにも関わらず、カフェくらいに髪の長いのも何人かいるから、物好きだとタキオンは思った。その中に、ハナミを見つけたから、タキオンは寄って、話しかけに行った。
「やあやあ、ハナミ君。アルト君は居ないのかな?」
「ん? ああ、タキオン。うん、ちょっと見かけなかったから一人で入った」
「珍しいね。鳥の親子みたいにずっと一緒に居るのに」
「そんなこたぁねぇぜ。他に友達も居るからね。多分、みっちゃんあたりと話してるんじゃないかな?」
「みっちゃん?」
「同じクラスの人だよ。三年同じクラスなんだから、良い加減覚えたら?」とハナミは、顔に笑みを浮かべながら言った。
「みっちゃん? ……そういう人いたかなぁ?」
「居るよ。今のタキオンの席の……二席前? 右に一個、前に二個の席の子」
「ああ、……顔は分かる。ただ、名前はねぇ…」
「オカノミツキ。メモちゃんとよくつるんでるかな?」
「メモちゃん?また、知らない名前が出てきた」
ハナミは、今度は仕方がなさそうに笑った。
「もう、メモちゃんまで知らないんだったら、話すこともないよ。それよりも、よく私達の名前を覚えててくれてるよ」
「そりゃあ、…友達だからね?」
「友達以外の名前は覚えないの?」
「……余計なものに、脳の容量を使ってみてもね…。それに、君らは気がいいしね。人の話を聞くのが上手いし」
「そりゃあ、まさか、GⅠウマ娘様に褒められるとは思わなかった」
「日曜は負けたがね」
「何くよくよしてるんだよ。タキオンらしくもない。…なんか、悩みでもあるの?」
ハナミが快活に励ましながら聞いてきた。
「悩みなんて探せばいくらでもあるよ」
「やっぱり、田上トレーナーとは上手く行ってないの?」
「……上手く行ってないことはないがね…。……まぁ、あんまり首を突っ込んでも詮無いことだよ。……圭一君は私に良くしてくれているしね」
「…実際、付き合ってみて、彼氏ってどんなもん?」
「……君らの想像とそんなに違わないと思うがね。……好きなことには好きだし、やっぱり、年の差という壁もあって揉めることもあるしね…」
「…そういや、あんた、週刊誌でスキャンダルだったね? こんなところで、呑気に立ち話してていいの?」
「まぁ、…そんなに気にしてる人も居ない」とタキオンは、周りで、着替えやら髪を乾かしている人やらを見ながら言った。そこで、カフェがもう自分の荷物を持って、帰ろうとしている姿を発見した。だから、「おや、カフェが帰る。ハナミ君、行こう」と言って、脱衣所を早足でカフェの方に歩いていった。ハナミとカフェに面識はない。廊下で偶にすれ違うくらいで、ハナミの方は、カフェに自分の存在が認知されているのかも知らなかったが、カフェはハナミのことを「タキオンさんとよくつるんでいる物好き」として認知していた。ハナミが物好きならば、カフェだって物好きと思われるくらいには、タキオンと話しているだろう。
タキオンは、自分だけ荷物を持っていなかったことに気が付いて、二人をちょっと待たせると、自分の荷物を取りに戻った。知人と呼べる程の面識すらない二人は、当然何か話すということもなく、自分たちの置かれた状況に疑問を持ちながら、荷物をまとめているタキオンの姿を見ていた。ハナミからなにか話しかけようとするには、タキオンが荷物を取りに行くだけの時間は短過ぎた。ハナミが一言話しかけて、カフェが「え?」と聞き返している間に、タキオンが帰ってくるだろう。
かと言って、タキオンが荷物を取りに行っている時間は、面識のない二人で黙って立っているには長すぎるだろう。しかし、話すにしても微妙な時間なので、ハナミは結局黙ることを選択した。
カフェは初めから話す気などなかった。一緒に待たされている人が居なければ、タキオンが荷物を取りに行っている間に帰っているところだった。タキオンが、妙なことをして二人を引き合わせたから、今二人は黙って突っ立っているのだ。
ここで二人の考えは図らずも、――お調子者め…! というタキオンを恨む言葉で一致した。
お調子者は、ヘラヘラと笑いながら、「いやぁ、待たせて済まないね」と言って、近付いてきた。ハナミとカフェは、二人共、一瞬目を見合わせた後に、黙ってタキオンの横で歩き始めた。それで、両人ともの友人であるタキオンは二人に話しかけた。
「カフェとハナミ君は、面識があるのかい?」
「いえ…」とカフェが言って、「ううん」とハナミが答えた。タキオンは、ハナミの方を向いて、「流石にカフェは知っているだろう?」と聞いた。ハナミは、タキオンの向こう側にいるカフェの方を見ながら、「GⅠ…、有馬記念だし、…日曜の宝塚記念…」
「そう。私に勝った人だよ」
「…凄い」とハナミは単なる感想を答えた。カフェは、タキオンの向こう側で微かに頷いた。
そして、タキオンは、今度はカフェの方を向いて言った。
「カフェは、ハナミ君の事は知らないのかい?」
「ええ…」
「…知らない?」
「ええ」
「……そうか…。……だそうだが、ハナミ君」
「え、私!? …タキオン、今、面倒だからって私に適当に話を振ったでしょ! 駄目だよ!? こっちは初対面なんだから、タキオンが話を引っ張ってくれなきゃ!」
「ああ、分かったよ」とタキオンは謝る態度を見せながらも、顔を可笑しそうに綻ばせて言った。「でも、これで分かっただろう? ハナミ君はこんな人間だよ、カフェ。気の良い奴だよ。私とも仲良くしてくれるくらいね」
「そうですか……」とカフェは、陰気に答えた。どうも、タキオンの言う事は信用していないようだった。結局、私の事情を知ったら怯えるだろう、という顔と声色をしていた。
タキオンは、それをなんとなく感じ取ったが、ここで余計な事を言ったって、カフェを苛つかせるだけなのは分かっていたので、代わりに、ハナミの方に話しかけた。
「ハナミ君はカフェに聞きたい事とかあるかい?」
カフェは、その話を聞いた時に、――どうせ、好奇心から、幽霊の事とか聞いてくるんだろうな、と思ったのだが、ハナミの答えは思ったよりも庶民的だった。
「え、…カフェさんに聞きたい事? ……えー、……カフェさんって頭良いの?」
「ああ、カフェの頭が良いか? だって。……良い寄りの悪しからずと言った具合だったかな?」
「……ええ…」とカフェは頷いた。そこで、カフェは自分の寮の部屋に入ることとなったので、カフェだけ別れた。次いで、それ程話もできないうちに、ハナミも自分の部屋に入り、最後に、タキオンも自分の部屋に向かった。友達とのんびり話してしまったので、田上を待たせてしまったかもしれないと思ったのだが、満足はしていた。それに、田上も待ったくらいで怒る人間ではない。元々、風呂の時間の詳細など決めていないのだから、田上が電話をかけて、タキオンがそれに出ないのであれば、向こうは待つだけだろう。むしろ、向こうの方は行くことよりも、待つことの方を得意としている人間だ。
タキオンは、そう思いながらも、待たせたかもしれないのは少々悪いと思って、足早に自室へと向かった。