田上が、明日が来るということに気怠さを感じながらも、同時に、タキオンが作ってくれた夕食に感謝の念を覚えながら、そしてまた同時に、役立たずな自分に申し訳なさも感じながら夕食を食べていると、タキオンから電話が掛かってきた。
今度は普通に電話へ出ると、タキオンが「やぁ、圭一君?」と呼びかけたので、「ん…」と陰気に答えた。
「元気はないかい?」
「んん……」
「…ご飯は食べてる?」
「……今食べてる」
「それは良かった。君が元気なら、私もそれが嬉しいんだね」
「……そう……」
「…………おばあちゃんちはどう? …君の悩みの種かな?」
「………さあ?」
「……んー……、……やるせないね…。…上手く行かないし、理想ばかりが先行していく…。………明日はどうする? …体調不良って事でもいい。多分、向こうだって、君が風邪になったんだったら、無礼だと思いはしないと思うよ。そこら辺の良識はある」
「………行く…」
「……本当に? ……無理してない?」
「………大丈夫」
「………んー……、元気は戻りそうなの? ……んー、……私が無理に誘ったからなぁ……。…恨まれてたら嫌だなぁ…」
「………恨んでなんかいないよ…」
「んん………。…ああ……、思考がまとまらない…。……これで、向こうに君が無理に行って、失敗なんかして、私が恨まれたら嫌なんだよ…」
「………逆恨みなんてしないよ……」
「いや、………やっぱりなぁ…。……多少なりともの不本意さはあるだろ?」
「………さあ?」
「…………君はやっぱり優しい人だよ。……できるだけ、私が傷付かないようにしてくれる…」
「………自分が傷付きたくないだけだよ……」
「………ここでね、二人共、落ち込んじゃうといけないんだ。……でも、やっぱり、私も君に嫌われるのが怖いしね。…怖いって思うって事は、まだ君の事を信じ切れていないのかもしれない。…いや、………どうだろう…。……私も悪いことを君にしてきたからなぁ…。…君も私に悪いことをしてきたと思っているんだろうし、………まぁ、…変に落ち込まないほうが良い。……行く意思はあるんだね?」
「………さあ?」と言われると、タキオンも困ってしまう。さあ? とは自分の気持ちを曖昧に誤魔化す上で最も便利な言葉かもしれない。自分の気持ちを自分でも分からない。また、分かるつもりもなく、相手が自分の心に探りを入れる事も牽制している。それらの事を、たった一言のなかに表すことができる。
タキオンもまた、その言葉の魔術に引っ掛かって、言葉を詰まらせてしまった。どう言葉を入れようとしても、「さあ?」と返されてしまえば、こちらも感情的にならざるを得なくなってしまう。相手に自分の話を聞く気が無いのならば、感情的になってまでも気を引かなければいけないだろう。しかし、感情的になってしまうと、間違えて喧嘩にまで発展してしまう恐れがある。タキオンも、田上とはあまりギスギスしたくなかったから、言葉に詰まった後に、また同じことを繰り返した。
「行く意思はないのかい?」
「………んん…」と田上はあくまでも誤魔化すつもりだ。ここで、無理矢理正面突破してもいけないから、タキオンは回り道をしてでも、田上と話す事にした。
「………まぁ、行くんだったらしょうがないんだろうか? …………別の話をしようか? ……水着はどうする? 夏に来ていく水着は」
「………」
今度は田上が黙ったので、タキオンは「圭一君?」と呼び掛けた。鬱病者と無理に話そうとすると、精神を使う。だから、タキオンはこうやって、顔の見えない電話口で話すよりかは、同じ部屋でゆっくりと言葉と言葉の間隔を空けて、無理のないペースで話す方が好ましかった。
しかし、タキオンは、学園のほうに謎の遠慮を使ってしまって、外泊届ではなく、外出届で外へ出てしまったからしょうがない。今から出て行くのでは受理されない。だから、電話口で話すしかなかった。
名前を呼ばれると、流石に田上は「ん?」と気怠げに返事をした。
「夏に来ていく水着はどうしようか?って言っていたんだけど、聞いていた?」
「……聞いてた…」
「……まぁいい。…どうかな? ビキニを着ていく方が嬉しいかい?」
「………どうだろうね…」
「……つれないなぁ…。君の彼女の水着の事なんだが」
「………あんまり考える気になれない…」
「……まぁ、しょうがない。……無理に話すのはよすとするか…。…電話は繋いでおくから、なにか話したい事でもあったら言ってくれ。…私は本でも読んでおこう」
「………風呂に入りに行ってもいいよ…」
「……ああ、風呂ね…。…どうしようかな? ……君と居るのも好きなんだがな…」
「……ただの電話だよ…」
「……落ち込んでいる彼氏も放っておけないじゃないかぁ」
「………落ち込んでるだけだよ…」
「君は迷惑なのかもしれないが、…私は、落ち込んでいる彼氏を放っておけない性質の人間でね? …それでどれだけ君を困らせてきたか」
「………困ってないよ……」
「おや、…じゃあ、どうするか…。まぁ、…ここに居ればいいや。…そして、できれば、…君が落ち込んだ理由も聞きたいなぁ、って思ったりして…」
「………部屋に居るの?」
「うん、そうだよ?」
「………いや、……ご飯ありがとう。……美味かった…」
「おや、それじゃあ私も作った甲斐がある。君も世話好きだが、私も大概世話好きなのかもしれないね」
田上は、水を一口飲んでから言った。
「………お前は、………」
「…ン? なんだい?」
「………いや、………なんで俺の事好きなの…?」
「………それも、何回も聞かれたような気はするがね…。……何回も聞いても尚、聞いてくるという事は、私の答えか、はたまた、別の事に君が納得行っていないという事だ。………私だってね、……今まで答えてきた以上の碌な答えは持っていないと思うがね? ……私が君のことを好きな理由は、多分、君が私のことを好きな理由と同じだと思うよ?」
「………どんな?」
「私の隣に君が居てくれたから好き。君の隣に私が居たから好き、だろ?」
「………そうかもね…」
「…そうだろう? ……やはり、愛というのは親しさから生まれるのではないかと思うがね。……だから、自分が誰かに勝っているとか、劣っているとか、もしあれが違えば、これが違えば、ということよりかは、もう、そこに生まれた愛を享受するしかないように思うのだがね? ……どう思う?」
「………知らない…」
「……今の考えは不満に思うかい? …別に、不快に思ったりはしないから、正直に」
「………さあ?」
「………不満でもないのかい?」
「………いや、……不満かもしれないけど……、…あんまり、…反論する事もない」
「そう……。……少し文句を言わせてもらうとね? ……良い?」
「……あんまり酷くなければ…」
「そんなに酷くはないと思う。……ちょっと君が、自分のことを責めるあまりに、私が好きだってことを忘れてるんだよぉ。……もう少し、私の事を好きでいてほしいなぁって」
「…ごめん…」
「そんなに謝ることでもない。私だって、自分の望みを叶えようとするあまりに、君が大切な人だってことを忘れているときがあるしね。……だから遣る瀬無いんだ。……何か言葉を発しようとする度に、矛盾にぶつかる。…なんとかしてくれ、圭一君!」
「………俺もおんなじ感じだよ…」
「ふっ、……そうかい。…君も同じか。……遣る瀬無いねぇ…」とタキオンが、同調を求めるように、そう言った。田上も、それに応えて言い返した。
「……遣る瀬無いよ…」
「本当に、明日の会食も、やになっちゃうくらい遣る瀬無いよ」
「……遣る瀬無い…」
「そう。…遣る瀬無いんだなぁ…。……あーあ、やになっちゃった。二人でサボるかい?」
「………お前がそうしたいなら…」
「………難しいね…。……嗚呼、遣る瀬無い遣る瀬無い。私達二人で生きて行くには、この世は遣る瀬無さすぎるよ」
「……そうだよ…」
「そうなんだよ。……遣る瀬無いったりゃありゃしないもんだね?圭一君」
「…そう。……二人で生きて行くには、遣る瀬無い」
「そう。よく言った。それでこそ男だ。この世の大概の物が、遣る瀬無くてやになっちゃうよ」
「やになっちゃうね」
「そう、やになっちゃう。今なら、詩が作れそうだね」
「…なんの?」
「やになっちゃうソング。――あー、やになっちゃうな、やになっちゃうな、この世の皆がやになっちゃうな。君が憧れてた人のラジオに出れなくなるのもやになっちゃうな、やになっちゃうな。おばあちゃんちに行くのが怖くてやになっちゃうな。馬鹿げた週刊誌に踊らされて、やになっちゃうな。帽子を買うことでさえ、人目を憚ってやになっちゃうな。……でも、優しい彼氏が、自分の作った料理を褒めてくれると、嬉しくなるし、話してくれるだけでも、楽しくなっちゃうなぁ〜〜」とタキオンは、わざと下手くそな節回しで、適当にそれを歌い上げた。
田上は、残り僅かになってきたご飯を食べながら、可笑しさに顔を綻ばせた。
「壊滅的なワードセンスと節回しだな」
「そうかい?」とタキオンは嬉しそうに言った。
「そう。…普段のお前だったら、もうちょっと上手に歌うだろ?」
「普段の私はもう少し上手く歌うが、こんな風に歌うのは、君の前だけだよ? 彼氏として、その特権を得ることができてどうかな?」
「……木下さんよりも、音楽のセンスがあるし、歌詞も深かった」
「そうだろうそうだろう? ふふふ。…やっぱり、私はミュージシャンを目指したほうが良いかもしれないね。君がキーボードで、私がボーカル?」
「タキオン、ピアノできるんだろ?」
「できるが、それだと君の出番が無くなる」
「じゃあ、それでいいや」
「バンドというか、ユニット?名はどうする?」
「………タキオンは?」
「私? ……んー……、君と私だろう? ………んー、いざ私達二人の名称を決めてみるとなると、難しいもんだね…。………『夫婦』?」
「『夫婦』? ……安直過ぎない?」
「奇遇だ。私もそう思ったところだ」
そう言ってから、二人は揃って「んー」と唸った。中々二人を表す単語として、しっくりする物が浮かんで来ない。けれども、タキオンは、こういう無意味な事をするのが楽しかったので、適当に思い付いたものを言ってみた。
「んー……、……『パートナー』?」
「……それも安直過ぎない? 夫婦とそんなに変わらないよ」
「そんなに言うんだったら、君も案を上げてみろよ。案外難しいぞ」
「んー………、んー………」と暫く悩んだあとに、案の出なさにふふ…と苦笑してから、言ってみた。
「やっぱり、『パートナー』かなぁ?」
「でも、安直じゃないかい?」
「タキオンが言ったやつだろ?」
「私は言ったが、なにも、それが最適だとは言っていない。……もう少し捻った物で、ユニット名やらバンド名やらを付けたいね…」
「……そもそも、付ける必要ってあるの?」
「何言ってんだい。そんなこと言い出したら、何もかも――それに名称を付ける必要はあるの? だよ。そんなところで冷静になっちゃいけないよ。私と一緒にちょっと考えてみてくれよ」
「まぁ、…ちょっと待って、俺もうご飯食べ終わったから、皿洗う。ご飯作ってくれてありがとう。…本当に助かった」
「良いってことだよ。私も元気な君が見たくてやったんだし、君がそれで元気になってくれたって言うんだったら、最早、苦労なんてものじゃないね。…それに、元気があったって君にご飯を作りたい人間だ。むしろ、明日も君の家に作りに行きたいくらいだ。行かせてくれ。君の家に泊まらなくてもいいから、作りに行かせてくれ」
「………困るな…」と田上が低い声で答えた。
「なら、やめよう。……まぁ、今日は、私の勘がよく働いてくれて助かった」
「…うん。……お前が居なかったら、俺は多分、ご飯は食べてないよ」
「なら、私は、君の健康を守ることができて、尚の事助かった。君が助かったんじゃないよ。私が助かったんだ。君の落ち込んでいる顔は、見ている私も辛いからね」
「……勝手に落ち込んだだけなんだけどな…」
「勝手に? ……私にも責任の一端があるという訳じゃないんだが、………どうもね、………君は私を離れさせたいみたいだが、私達はパートナーだからね。……例え不幸になったとて、……。これじゃ君は納得しないな…。前にも言ったような気がするとも」
「とりあえず、イヤホンに切り替えるから、話を切らせてもらってもいい?」
「ああ、いいよ。…それにしても…」とタキオンがブツブツ言うスマホから離れて、田上は充電していたイヤホンを取りに行った。そして、イヤホンとスマホを無線で繋げたところで、タキオンの声が耳に入ってきた。
「圭一君は私のことが好きだからな」
「……あなたの事が好きな圭一君ですが、何か?」
「ああ、圭一君。君は私のことが大好きだね」
「ん? …んん」と田上は、歯切れの悪い返事をした。照れている。
「ふふふ…、まぁ、冗談。イヤホンに繋がった?」
「うん」
「じゃあ、……君が私に対して、責任を感じていることを話そうかな? …それとも、私達のコンビ名にするかい?」
「コンビ名なんだ」
「何でもいいんだよ。なんなら、漫才をやってみてもいい。夫婦漫才」
「俺は無理」
「なに、君は居るだけでも、人を笑顔にできる人間さ」
「…お前だけだよ」と言いながら、田上は洗い物をシンクに運んだ。
「おや、分かっているじゃないか。 そうとも、君と居るだけで、私は幸せだからなぁ」
「そいつは良かった」
「…で、どうする? コンビ名? 夫婦漫才? 私に対しての責任?」
「夫婦漫才は嫌だ」
「じゃあ、コンビ名か、責任か」
「……コンビ名」
「じゃあ、先にそっちを話そうか」とタキオンが言った。「……今、私の分の皿を洗ってくれているのかい?」
そう唐突に話を変えたタキオンに対して、田上は「うん」と頷いた。
「ありがとう。皿を片付けることはすっかり忘れていたよ」
「……いいよ。…ご飯作ってくれただけでも、充分ありがたい」
「うん。…まぁ、良しとしよう。…それで、……コンビ名かぁ……。『スイートハニー&ダーリン』」
「なに、その胃もたれしそうな名前」
「……ダメだね。流石の私も羞恥を抱く。……君も出して」
「ええ? ……んー……、んー……、難しいなぁ……」
「出すまで待ってるよ」
「ええ? ……んー……、んー……、んー……、難しい……。……『ピーナッツ』! 良くないか? 二つで一つの殻に入ってるだろ?」
「んー…、『ピーナッツ』よりかは、『落花生』の方が、趣がありそうじゃないか?」
「どっちでもいいよ」
「……それよりも、私考えついたよ」
「新しい名前?」
「そう。その名も、『けーくん&ターちゃん』」
「バカなの?」と田上が思わず言ってしまったから、二人共笑い出した。
「アハハハハ、酷いじゃないか、君ぃ! 圭一君の『けーくん』と、私の『ターちゃん』だよ? 恋人みたいでピッタリじゃないか!」
「さっきと同じで胃もたれする系の名前じゃん」
「なに、お互いそう呼び合っていいだろ?けーくん」
「俺がターちゃん?」と田上は半笑いで言った。
「そう、君がターちゃんだよ。ほら、呼んでみてごらん? 三、二、一」
「…嫌だよ。アホらしい」
「アハハハハ、また、悪口だ! 君、育ちが成ってないぞ!」
「育ちが成ってて、あんな甘ったるいネーミングセンスになるんだったら、こっちの方がマシじゃないか?」
「ああ! またバカにした! あんなにスイートな名前なのに!」
「スイートな名前は駄目だね」と田上が言った所で、タキオンも漸く落ち着いて、一二回せきばらいをしたあとに、言った。
「まぁ、…どうだい? 私の事を、『ターちゃん』と呼んでみるのは」
「嫌だよ。…アホらしい。…何でそんな言い方しないといけないんだ」
「良いじゃないか。君のハニーだぞ?」
「アホらしいよ。タキオンは、タキオンだよ」
「じゃあ、一回だけ言ってみてくれないか? 堅物の君が、『ターちゃん』と呼んでくれることなんて、これから先そうそうないぞ?」
「一回ぃ?」と田上は、少々嫌そうに言ったが、タキオンが「一回だけ」と頼み込むと、渋々ではあるが、言ってくれた。
「ターちゃん」
「なぁに?」とタキオンも甘ったるい声で返した。田上はそれに苦笑した。
「ターちゃん、やっぱり、アホみたいだぞ」
「おや、二回目もサービスしてくれた。ありがたい」
「うるさいよ、ターちゃん」
「おや、三回目も。嬉しいね、けーくん」
「……駄目だな、なんか、あんまり言い過ぎると定着しそうだ」
「二人きりのときはこれで呼んでみる? そういう文化がなかったかな?」
「嫌だよ。圭一君でいいよ」
「いやぁ、良いじゃないかぁ、けーくん」
「……駄目」
「ンン? 満更でもないんじゃないかな? けーくん」
「……満更でもないかもしれないけど、……圭一君の方が良い」
「じゃあ、偶に言うだけにしようかな?圭一君。……けーいち君?」
「何でも良いけど、……何でも良いよ」
「じゃあ、ターちゃんも偶には言ってもらおうかな?」
「ええ…? …俺が?」
「君以外に誰が言うんだい?」
「……ターちゃんはねぇ…。…流石に、デレデレし過ぎてないか? 俺がお前の事ターちゃんって呼んでたら、多分、幸助だったら、――気持ち悪、って言うと思うよ」
「幸助君は、しょうがないと思うよ。むしろ、気にすべきは、幸助君の反応よりも、私の反応じゃないかな?」
「ええ…? ……ターちゃん?」
「そう。もっと甘えるような声で」
「ターちゃん」と田上がお道化てみせると、タキオンがふふふふと嬉しそうに笑う声が聞こえた。
「その調子だ。もっと、…金曜に泊まるときは、私の耳元で囁いてみても良いんじゃないかな?」
「いよいよ少女漫画じみてきたな」
「うむ。世のなかの女性は皆、彼氏に耳元で甘く囁かれたいんだね」
「世の中の男性で、耳元で甘く囁きたい人はそんなに居ないと思うよ」
「そうかな? それは、君の方が少数派なんじゃないかい?」
「そうかな? ……いや、……やっぱり、男の方には、自尊心があるからな。…流石に、……そんなザ・イケメンみたいなキザったらしいことはしたくないんじゃないかな?」
「そうかな? ………そうか、……まぁ、君ら男性諸君から見ると、それは格好をつけているように見えるのか」
「……俺たち、今、なんの話をしてるの?」
「君が、私にターちゃんと耳元で甘く囁いてくれるかの交渉」
「それはもう決裂したんじゃないの?」
「まだ、交渉の余地はあるよ、けーくん」
「……俺をおだてて絞り出そうって事?」
「そう。満更じゃないんだろ? けーくん。ほら、私も甘く囁いてあげるよ。イヤホンだから、文字通り耳元だね、けーくん」
「…嫌だなぁ…」
「なに、嫌がることはないさ、けーくん。私達、同棲している恋人達じゃないか」
「同棲はしてない。……話を戻そう? コンビ名じゃなかった?」
「ええー? ターちゃんって囁いてくれないの? けーくん」
「気が向いたらする。…それに、俺ももうすぐ皿を洗い終わって風呂だぞ?」
「おや、……だが、コンビ名と言っても、良いのは『落花生』か『けーくん&ターちゃん』だけだよ」
「『けーくん&ターちゃん』は却下」
「ええ…? まぁ、仕方が無い。甘んじて受け入れよう」
「………まぁ、今んとこ一番良いのは、『落花生』か…」
「うーん……、そうだね……。話は何一つ進まなかった…」
「明後日の方向に逸れまくってたもんな」
「…そうだね……。……うーん……、……難題だなぁ……。中々、…『落花生』と言ったってね。なんだか武骨で味気ない……。……ああ! さくらんぼなんてものはどうだい? 二つで一つだし、落花生よりもずっとお洒落で可愛い!」
「……そんな曲が前になかった?」
「…ああ、…確かに、……そう考えると、…まだ甘いか…」
「さくらんぼは、確かに甘いね」
「そう、甘すぎる。……もう少し甘くない感じで、でも、落花生ほど武骨すぎない感じ…」
「ピーナッツで良かったんじゃない?」
「ピーナッツは少し滑稽だろう? ピーがまず滑稽だ。リコーダーの音を表すときに使う擬音だもの。そして、ナッツの『ナッ』の部分で、音が抜ける。これを間抜けなんだ」
「…お前、俺のギャグセンスがどうとか言ってたけど、お前のセンスも大概じゃないか?」
「なにぃ!? これはギャグじゃないとも! ピーナッツのアホらしさを言葉として表しただけだろう!?」
「…そんなところに拘るのが」
「そんなところに拘らないから、君はあんなにしょうもない帽子を買うのさ」
「あっ、俺の帽子のことをバカにしたね?」
「ああ、するとも。『K』が一個で、『圭一』なんて、そんなギャグ、私の頭の中ではすぐに却下するね」
「んん〜?」と田上は挑みかかろうとしたが、既のところで、この議論は不毛だと気がついて、「まぁ、いいや」と言った。「もう、何でもいいから早く決めろよ。俺、もうこれで皿洗いも終わるぞ」
「おや、……でも、んー、……風呂に入ったあとも話そうじゃないか。私、こういうの考えるの好きだよ?」
「…じゃあ、また、風呂入ってから考えよっか」
「そうしよう」
ということで、二人の話は一旦終いとなった。
風呂から上がると、田上は電話を掛けたが、タキオンは出なかった。大方、長風呂とか、友達と話しているとか、そんな所かもしれない。友達と話しているなら、田上としては万々歳だ。自分以外に夢中になれるものがあるのだったら、その方がいい。あんまり、自分に固執してタキオン自身の世界を狭めないでほしいというのが、田上の願いだった。
田上は、そんな願いを片手にゲームを始めた。もうそろそろ『カメリアの漂浪記2』が発売なので、一作目を復習している所だ。これは、やはり良いゲームである。きっと、何年何世代を渡っても、思い出される歴史に残る名作だろう。人類が核戦争で滅んでいなければ。
先日には、発売前の最後のトレーラーが公開されてゲームファンは大騒ぎしていた。トレーラーだけでも本当に面白そうだった。
一作目の方では、『生まれてくる命、死にゆく命』について語っていた。次はどんなストーリーになるのか、そして、どんな面白いゲーム体験をさせてくれるのかが期待しているところである。足立監督が作っているというだけで、最早、そのクオリティは約束されている。足立監督が本格的に携わったゲームで面白くなかったゲームなんて、ないと言っても過言ではないだろう。
次の作品のトレーラーで、なんと言っても印象に残ったシーンは、綺羅びやかな陽の光のもとで、鯨が海面から突如として現れ出て、大きな水しぶきを上げながら、また水の中へと潜っていくシーンだ。
主人公のジンは、遠くからそれを見つめる。ゲームというのは、グラフィックだけじゃないというのが田上の持論だが、それでも、壮大な自然を美麗なグラフィックで映し出されれば、昨今の技術の進歩に舌を巻く。勿論、グラフィックと言っても、作る側のセンスが必要だ。折角、金をかけた美麗なグラフィックを持っていても、美というものを理解していないなら、ただ平凡な鯨を平凡なままに海に潜らせていくだけになる。美とは感動だ。そこに、心動かされるものを感じなければ、美は描き出すことができない。その点、監督の方は、感動の描き方を心得ているから、鯨もその分美麗になる。田上は、今から楽しみである。
暫く、ゲーム内で、アイテムを集めながら散策していると、タキオンから電話が掛かってきた。
「もしもし」と田上が電話に出ると、早速タキオンが話し始めた。
「ん、圭一君。早速、コンビ名についての話し合いを再開しようじゃないか」
「ん、うん」
「…何が良いと思う? 風呂に入っている間に何か考えたかい?」
「ん、いや? タキオンは、風呂で考えなかったの?」
「私は、ハナミ君とアルト君と話していたから、全く考えてきてなかった」
「それは良かった」と田上が妙な返事をすると、タキオンは不思議そうな調子で聞き返した。
「良かった? 何が良かったんだい?」
「…お前が友達と話してた事」
「ああ、それかい。いつものやつだね。友達と話せって。……まぁ、いいや。まぁ、じゃあ、友だちと話していない分、君が多く提案しなきゃだね」
「……もう、別に、よくないか?」
「よくはないよ。まだ、出そうなものはあるんだもの」
「じゃあ、俺はゲームやってるから、タキオンは、適当になにか考えといて。返事はするから」
「ええ? ……そう言えば、もう明日だよ?おばあちゃんち。もう準備はした? 一泊だから、寝間着とその次の日に切る服は必要なんじゃないかな? …というか、君の家に行ったときに、買った帽子を直に見ておけばよかったな」
「…そうか。もう明日か…。…準備しないと…」
「大丈夫そうかい?」とタキオンが含みのない調子で聞いた。
「ん? うん。……まぁ、今日程に落ち込みはしないと思うよ」
「ま、…何とかなるもんだからね。もし、わざわざ彼氏の方まで呼び出して、私達の関係を否定するつもりなら、私は命を賭してでも、断固として抵抗するからね。絶縁だって構わない」
「あんまりそんなことすると、身を滅ぼすよ」と田上が言うと、タキオンは一瞬黙った後に答えた。
「身を滅ぼすときは一緒に居てくれ」
それに、田上は「ん」と答えたきりで、他には何も言わなかった。
どうやら、イヤホンを付けたようで、タキオンのスマホからゴソゴソと聴こえたあとに、「今から、ちょっと準備をするわ」と田上の低くてやる気のない声が聞こえた。
「了解。…じゃあ、私は、…もう準備もしたしなぁ……。コンビ名を発案するしかないか」
「そうしてくれ」
「…と言われてもなぁ……。難しいから、ここまで掛かっている訳で、……可愛過ぎず武骨過ぎずというコンセプトだったよね?」
「……そんな感じだったかも」
「確かそう。……そして、二つで一つを象徴できるような物……」
「……ゲーム機とコントローラー」
「……それ、片方操られているじゃないか」
田上は、少し鼻で笑ってから「そうだね」と答えた。
「……楽器とか? …バチと太鼓?」
「…バチも二つで一つだよ?」と田上が言い返すと、タキオンはふむ…と唸った。
「………中々…、んー……、太鼓は武骨だし、…ギターとピックも無骨だねぇ…。……『ターフと空』? これは二つで一つじゃないかい? …良い感じの対比でもある」
「ん、良いんじゃない?」と田上は良好な反応を示したが、発案したタキオンが気に入らずに、不満そうにううむ…と唸った。
「『ターフと空』は、これまでで一番良い線を行っているような気がするが、あと、もう一二捻りくらいは欲しいものだね」
「……そんなにある?」
「…あるとも。んー……、なんだかなぁ……。やはりレースかな…」とタキオンは考え始めた。「……『ターフと空』。…『ダートと空』…。『草原と風』。これも中々良い」
「……それに、俺たちの要素があるの?」
「…それが問題だね。…ただ、良い詩にはなりそうじゃないかい?」
「まぁ、…なるんじゃない?」
「…そうだろう…? ……ただ、やっぱり、君の言うように、私達らしさがない。…『草原と風』よりかは、『ターフと空』の方が、私達らしさがある。でも、『草原と風』の方が趣がある」
「…そうだね」と田上は、適当に答えた。
「…レースらしさ…。……レースらしさとは関係ないが、『過去と未来』なんてのはどうだい? 君は過去の方が好きなようだし、私は君と未来を作りたいと思っている。…ぴったりじゃないかな?」
「……俺は、未来に顔を向けたいとは思っているよ」と田上は、また、低くてやる気のない声で答えた。
「…そう…。…不満?」
「……あんまりほじくられたくはない」
「そうか…。だとすると、……結構、ぴったりだと思ったんだがなぁ…」
「……ぴったりだと思ったんだったら、別に、それでも良いと思うよ」
「……んー……、…ただなぁ…。君が不満だって言うんだったら、折角のコンビ名の意味がない…。『不満と満足』?」
「コンビ名?」
「そう。『不満と満足』。これならどうだい?」
「……武骨じゃない?」
「…私もそう思う。不満と満足よりかは、もっとぴったりな名前はあるよね……。……私達の在りたい姿とか…? ……『仲良し』?」
「…安直じゃない?」
「…私もそう思う。…『一心同体』…でもないな…。……『コーヒーの渦』? これはどうだい? 中々詩的で良くはないかな?」
「雰囲気が変わったね」
「そう。二人共、コーヒーカップの内側にいて、くるくると回るコーヒーの渦に溶けて消えそうになる。どっちにしろ、私達二人共、まだ悩みとかそんなことから、脱出してはいないしね。…私は、これで良いと思うのだが」
「…良いんじゃない? …そんなに不満はないよ?」
「…そんなに?」
「いや、普通に。…特にこれといった不満はない」
「…あるかもしれないと?」
「…いや、…別にあったとしても、今の俺には分からないって事」
「ふむ。…じゃあ、私達の夫婦漫才のコンビ名はこれにするかな?」
「夫婦漫才じゃないだろ。ミュージシャンになるって言って始めたんじゃなかったか?」
「おや、よく覚えていたね。私はもう、君と話すことに夢中で、何のために話してたのかすら忘れてしまっていたよ」
「俺がキーボードで、お前がボーカルだろ?」
「そうだった。…ちなみに、私はそこまでよく知らないんだが、バンドのキーボードは確かピアノだけじゃなかっただろ?」
「ん、…俺もよくは知らないけど、確かそう」
「君に扱えるのかい?」
「さあ? …やればできるんじゃない? ピアノは一応弾けるし。…ん、それに、一時期ギターもやってたよ」
「おや、それは初耳だ。いつ?」
「…高校の頃」
「君、受験もあったんだろ?」とタキオンは呆れて聞いた。
「…だから、一年目は落ちたのかもしれない。まぁ、受かったけど」
「…まぁ、いいや。それに、自動的に私がボーカルになっていたが、君だって、カラオケで聴いたときは、そんなに歌うのは下手じゃなかったよね?」
「まぁ、…うん。…でも、間違えたく無いから、お前がボーカルでいいよ」
「じゃあ、私がボーカル兼キーボード、君がギターは?」
「俺? …んー、ギター大学に入って初めの方にやったきりで、それ以降触ってないからなぁ…。…というか、こんな話に本気になるのもあれなんだけど」
「君のギターは? どこにあるの?」
「んーと…、多分、父さんの家の物置かな? 弦ももしかしたら切れてるかもしれない」
「へー、…じゃあ、次帰るときに弾いて見せてよ」
「…まぁ、良いけど…。弾き方覚えてるかな…?」
「コードの押さえは?」
「…まぁ、覚えてるっちゃ覚えてる。…まぁ、そんな気にすることでもないか。父さんの家に帰るのが、一番気が楽でいいや」
「私も、そんなに気兼ねしないしね」
「正月のときなんか、あそこでも喧嘩したのに、また、のこのこ戻っていくの?」
「君のお父さんは別に迷惑がってないだろ?」
「ん、…まぁ、そうだね。むしろ、嬉しいと思ってるよ」
「じゃあ、私が行くのも正解というわけだ。お義父さんの方にも、親孝行をしてあげなければ」
「……お前は、話を大分先まで進めるな…」
「……まぁ、なんだい?……いずれ結婚するだろうしね。矛盾はあるといえど、私はそれが楽しみだもの」
「……変わってるよ、お前は」
「そんな変わり者を愛する君程じゃないさ」
タキオンがそう言うと、田上は鼻で笑った。それから、二人の間に少しの沈黙が流れて、この話は曖昧なまま終わったように思った。
終わり方は、田上の鼻で笑った音なので、釈然としなかったが、タキオンは、その曖昧さを含んだまま、話を先へと進めた。
「それで? 私達二人のグループ名は『コーヒーの渦』」
「うん」
「…次は何だったかな? ……責任という話だったかな?」
「……そうかもね…」
「……君、もう準備は終わった?」
「…いや?」
「まだ終わってないのかい?」
「…お前の話を聞きながら、適当にやってたから」
「……まぁ、…分からないこととかある? 何を持っていけばいいとか、…まとまらないんだったら、一度紙に書いて、分かりやすいようにしてから準備をしたら?」
「……そうかもね…」と田上がぼんやりと言ったから、タキオンも少々心配して言葉を続けた。
「大丈夫そう? 私の手伝いとかいらない?」
「ん? ……まぁ、ちょっと紙にまとめようかな…。…そっちの方が分かりやすいかも」
「そう。…私は、少し黙っていた方がいい?」
「いや? …俺が今から、読みながら書くから、足りなさそうなものがあったら言って。付け足す」
「分かった」
「んーと、……じゃあ、…えー…、…紙がここにあって、ペンも持って…、行くよ?」
「どうぞ」
「……えー、明日の着替え」
「…それは寝間着?」
「いや、ズボンと…。いや? …これも、お前に選んだもらったほうが良いかな?」
「…まぁ、私が選んでもいいよ?」
「……どうしよう…」
「……選ぼうか?」
「………お前に服を選んでもらうってのもさ。……なんか、……子供っぽいというか、…みっともなくない? 俺、今年で二十六だよ?」
「良いとも。ファッションに自信のない男性は沢山居ると思うよ?」
「……今時流行らんよ? 嫁に自分の着替えを選ばせる旦那なんざ。亭主関白の時代は終わったんだぞ? 今は、男女平等の時代だ」
「君は、選ばせるんじゃなくて、選べないんだろ?」
「…まぁ、…そうだけどさ…」
「…なにも、私も、嫁として君の服を選んでやろうってんじゃないんだよ。……大切な人のサポートとして?手助けになればいいと思っているし、昭和の男と言ったって、流石に、服選びを任せることはしないだろう?」
「いや? 分からないよ? …――おい、服をもってこい、で服を持ってこさせるかもしれない」
「ああ、…まぁ、どっちにしろ、それは私達の偏見だよ。男なんて、何種類も居るし、大切な人のサポートをしたい女性だって居る。君だって、私が困ってたら、助けてくれるしね」
「…どうかな?」と田上が無意味にそう言い返した。タキオンもその無意味さを感じ取ったので、少々面倒臭そうに、「まぁ、なんでもいいよ」と返した。ここでまた、曖昧な言葉の切れ目が発生した。二人共、その曖昧さに区切りを付けようと、言葉を頭のなかで探していたのだが、その言葉を見つけられないままに田上が話し出した。
「まぁ、なんでもいいや。…俺のズボンだっけ?」
「そう。…別に、私も強制されているわけじゃないし、嫌だと思っているわけでもないから、頼むことに関しては遠慮しなくても良いが」
「……遠慮しなくても良いって言っても、……みっともなくないか?」
「…そうだろうね。…みっともないと思うんだったら、自分で、どういうような服が良いかとか、コーデがいいかとか、調べてみたらどうだい? 私だって、教えて上げられるし」
「んん…? ……まぁ、調べるってなるとな…。…面倒だしな…」
「じゃあ、私で我慢したまえ。最早、自分で改善する気がないんだったらね。…私も、君を自分好みの服装の男に育てられるから、全く苦じゃないよ。それどころか楽しいくらい」
「……でもさ、……そりゃあ、お前が選んでくれるって言うんだったら、別にいいけどさ。……やってることと言ったら、母親に服を選んでもらう小学生じゃん」
「じゃあ、君は自分で服を選ぶのかい?」とタキオンが、これで勝負だとばかりに言った。田上は、当然、自分で富豪の家に遊びに行く服を選べるほどの度量はないし、服のことで頭を悩ますくらいなら、簡単に選んでくれるタキオンに任せたほうが良いと思っていたから、返す言葉に困った。
「………まぁ、…お前が選んでくれた方が助かるんだけどな…」
「ほら、だから、もうすでに、明日に着ていく服は私が選ぶ約束もしてるんだし、観念したまえ。服の一着や二着、大して変わることもあるまい」
「……でも、そんな礼儀に厳しそうなおばあちゃんが居るんだったら、バレたら――この人は自分で服も選べない人なんだな、って思われないかな?」
「なに、そもそもバレる要素がないし、例えバレたとしても、私達には結婚する自由がある。向こうが私達を縛れる立場じゃない。今の時代の若者は扱いにくいんだって事を見せつけてやれ」
「……んん……」と田上が悩ましげにため息を吐いたから、タキオンも苦笑した。
「なんだい? また、他に何か不安とか不満とかが残っているんじゃないのかい?」
「……まぁ、…そもそもおばあちゃんち行きは、不安だけどな…」
「じゃあ、まぁ、服のことは私に任せるということにしたまえ。…無理に巻き込んですまなかったね…。…あんまり、嫌がる君を無理に引っ張って行くべきじゃなかった…」
「……まぁ、一泊だからいいよ。無罪放免。次から気を付けるように」
「んん……、と言っても、一緒に行きたかったのは事実だからね……。…執行猶予付きかな…?」
「…反省してないの?」
「んん? ……反省は、…半分はしてるが、半分はしてない。…だって、君と一緒におばあちゃんちに行くのが叶ったんだしね? ……だから、……無理に君を引っ張って行くべきじゃなかったんだよなぁ…。……私が我慢するべきだった。…いや、…でも、……執行猶予付きだよ…」とタキオンは少々落ち込み気味に言った。今度は、田上が少し苦笑してから言った。
「無罪放免とまではいかない?」
「んん……。……私の悪い所だね……。…また、君に怒られるかもしれない…」
「……直すべきだね」
「…そう。…と言ってもねぇ…。直せるものなら、もう直してるんだよ…。…君と喧嘩なんてしたくないもの……。……はぁ…、…君と喧嘩はしたくないなぁ……」
「……なるべく、無罪放免にはするよ」
「……そう言ってもね…。……君の無罪放免は我慢だもの。いつか爆発して、また怒られる」
「…」
「……はぁ……。…何の話だったかな?」
「……服。と、俺の持っていく物をリストにしようとして、全然先に進んでない所」
「……ふん……。………怒ってる?」
「怒ってるわけないよ」
「そう。そんなことは私も分かってる。…ただの気休めだよ…。……怒られたくないなぁ……」
「…無罪放免にはするよ…」
「今ので、執行猶予は付いたもの。…君は優しいからね。…彼女になるべく怒るまいとするが、……ガツンと言ってほしいと言おうとしたが、ガツンと言ったら言ったで、…また、私が不機嫌になるよなぁ……。おばあちゃんちに行くのを誘った時も、少々どころか凄く強引だったものね? …君が嫌だって言っても、私は全然諦めなかったから、遂に、君が諦める羽目になった。……今更すまないって言っても駄目だろう…?」という風に、タキオンは少々あざとさを含んだ困った調子で、そう言った。
田上は、特に、そのあざとさは気にせずに答えた。
「そうだね…。…まぁ、…今更駄目っちゃ駄目だけどな。あの時に気付けなきゃ」
「……そうだよねぇ……。……参った…。…許してくれる?」
「……初めから怒ってないし、怯えるだけ損だぞ。…また、くよくよしてる」
「ん、言われたね、君にも。……くよくよするともさ。させてくれ。…私は君と喧嘩したくないんだ」
「くよくよして同情を誘おうって事?」と田上が皮肉っぽく言った。すると、タキオンの言葉は少し詰まってから出てきた。
「………事によるとそうかもしれないね…。…どっちにしろ、私は君と喧嘩したくないんだとも」
「…じゃあ、初めっから、引く手札を間違えていたわけだ」
少々、田上の言葉がキツく、険悪さが霞んで見えてきそうだったから、タキオンも言葉を選ばざるを得なかった。
「………じゃあ、…もう、喧嘩になってしまうのは確定だと?」
「……まぁ、…俺だってしたくはないよ」
「……恨んでる? 私の事、悪い人だと思う?」
「……じゃあ、そこまで言うなら、お前の事を恨んでる。次から気を付けてくれ。…まぁ、仲良くがいい」
「そう。私もそう。仲良くがいい。次から気を付けよう。…ただ、私の理論としては……。あんまり四の五の言うのもやめよう」
「そうだぞ、お前がくよくよとなんやかや言っていたから、俺の準備が全く進まなかった」
「んん、すまない。甚く反省しよう。しかし、…んん…、……しかし、……んん…」
「…何?」
「…いや、…おばあちゃんに会うのを避けたって…、と言おうとしたのだが、……やっぱり、時期尚早と言ったら時期尚早だものね。……まぁいい。…忘れてくれ。…どっちにしろ、平和に行きたい。仲良くがいいから。仲良くが」
「……まぁ、…じゃあ、…着替えはお前に選んでもらうということで…、……暇潰しのものとか必要かな?」
「んん?……」
「ゲーム機は流石に、子供の遊び道具として、バカにされそうだよね?」
「そうだね。……あんまり、おばあちゃんの心象を良くはしないかもしれない」
「おじいちゃんは?」
「おじいちゃんは、見聞が広いから、ゲームで活躍している人も多分知っているよ。……それこそ、足立監督だったかな?」
「そう」
「その人の活躍だって知っているんじゃないかな? 世界的な人だというのなら」
「世界的なゲームクリエイターだよ」
「うん。よっぽど片隅のサブカルチャーじゃない限り、おじいちゃんはそこら辺に理解があると思うよ」
「…まぁ、でも、おばあちゃんの心象を悪くするんだったらやめておこう。……高松信夫の『沢下り』でも持っていこうかな?」
「そうしたまえ。おばあちゃんも文学は嫌いじゃない。偶に、そういった本を読んでいる」
「へぇ、…高松信夫好きかな?」
「好きなんじゃないかな? そこら辺の、古めの文学を好んで読んでいたというイメージがあるよ」
「じゃあ、文学繋がりで少しは話せそうかも」
「そうしたまえ」とタキオンが頷いた。「それじゃあ、リストに『高松信夫の沢下り』と書いたかな?」
「…今書いてる」
「…『沢下り』好きなのかい?」
「…そう。前は、『人斬り』が好きだったけど、…勿論、『人斬り』もめちゃくちゃいいんだけどね? ……今は、『沢下り』の雰囲気が好きなんだよなぁ……」
「……私も読もうかな?」
「読めば? 名作だよ?」
「……まぁ、頃合いの良い時に読もう。『人斬り』も面白かった。良い作品だった」
「…うん。……『沢下り』はね、……良い作品だよ。……やっぱり、どん底の書き方が上手いし、……川がいいんだよなぁ…。緑も良いし…、…言ってしまえばノスタルジーだね」
「…へぇ。…まぁ、いつか読もう。…で、リストは?」
「……タオルって持っていった方がいいよね?」
「そうだね。…んー、…どうかな。…私は向こうのを使うつもりだが、…まぁ、好きにしたまえ。自分のタオルを使っても怒られはしないし、向こうのタオルを使っても怒られはしない」
「…じゃあ、バッグに入れておくか…」と言ってから、田上は脱衣所に置かれているタオルを取りに行った。それから、こうも言った。
「ビニール袋も必要かな?」
「んー、…まぁ、それも好きにしたらどうだい? 別に無礼じゃないし、怒られもしない」
「……まぁ、なんかあったときのためにね。あった方が良いかもしれない」
「そうしたまえ。……そう言えば、思ったんだがね」
「…何?」
「……私のおじいちゃんは酒飲みだよ?」
「…うん」
「…当然、夕食の席では酒が出るだろうね?」
タキオンがそこまで言った所で、田上にもああと合点が言った。
「ああ、…俺も飲まされる可能性があるってこと?」
「…そういう可能性もあるかもしれない。…ただ、ご存知の通り、時代は変わって行っている最中だ。君が飲めないって言えば、おじいちゃんもあんまり無理に勧めないかもしれない」
「……なんで、少しがっかりしてるの?」と田上がタキオンの様子を指摘した。
「…なに、…君の酔ってる姿も少し観測したかったんだがね。……私に甘えてくれたら嬉しいな、と」
「…前もそんなこと言ってたな」
「…言っていたような気もする。…どうだい? 飲まないかい?」
「……酒は強い方じゃないからな…。…そんな量飲まなくても、酔っちゃうから、あんまり飲みたくないんだよ。…ホント、依存して太りたくもないしね?」
「……私も…。んー…、…私は飲ませたいなぁ…」
「……また、同じ轍を踏んでるよ」
「んん? ……ああ、…君に無理に酒を勧めてはいけないと。……煩わしいもんだ」
「……そりゃあ、付き合いで少しくらいだったらいいんだけどね? …中々、飲むってなるとな…」
「……少しだけ、私の欲望を言ってみてもいい?」
「ん? …うん…」と田上は若干不満そうに頷いた。
「……君が、酒に酔って、あのお義母さんの命日の時みたいに、…それよりかは少し多めに、私に甘えてくれたらいいなって。……君に甘えられたい」
タキオンがそう言うと、田上は「欲望だな」と少し小バカに、呆れたように言った。「…俺はそんなに酔いたくはないよ」
「…だろうね。……私も成人してたらなぁ。…君と飲むこともできたのに」
「…酔いたくないって言ってるだろ?」
「……まぁ、私は酔わせたい。見境なくして、私に甘えさせたい」
「俺よりか欲望だ」
「そう。…やになっちゃうよ。君と喧嘩したくない。でも、自分の欲望も満足させたい。…そんな考えは君にもあるだろう?」
「……まぁ、…分からないこともない」
「…そう。…私は板挟みだよ。……私の我儘を怒らずに叶えてくれないかい?」
「そう頼むことこそが、騙そうとしてるんじゃないか?」
「………んん……。…遣る瀬無い。……宝塚記念、勝てなくてごめんね…」
「…今更?」
「いや、……謝りたくなった。……君が結局、どれだけ指導したとしても、私はそれに応えなかったんだから…。……応えられなかったんじゃなくて、応えなかったんだよ。……罪な女だろう?」
「……あんまり僻むな。明日、喧嘩したままおばあちゃんちには行きたくないよ」
「……そうだね…」とタキオンが少々落ち込んで返事をしたあとに、二人は暫く明日の準備の会話をしたまま、他の事については触れなかった。触れたら、あらぬところへ会話が引っ張られて行って、喧嘩をしそうで怖かったからだ。田上は元より、明日の事が気がかりで準備に忙しかったが、やはり、タキオンと同様に喧嘩はしたくなかった。
二人は、ぼんやりとした空気を吸いながら、少しの間準備を進めた。