タキオンは、祖母の後について、その人の部屋まで歩いていった。その間、二人は無言であったが、二人の間にある種の緊張はあった。
二人共、不安に思っているのではなく、どちらか一方でも喧嘩を売ってこようものなら、すぐに喧嘩を買って乱闘騒ぎでも演じてやろうという緊張だった。しかし、まだそこは分別のある二人なので、わざわざ廊下の真ん中で喧嘩など始めず、祖母の部屋に入っていった。
祖母は、タキオンに無言で座布団を差し出すと、言葉を探すように部屋を見回した後に、静かに口を開いた。
「タキオンは、田上さんの事をどうお思い?」
「……最高の男性だと思うよ。…あれ程の人は、世の中探してもそうそう居ないと思うよ。…なぜだか分かるかな?」
タキオンは、祖母に会話の主導権を握らせたくなかったので、わざわざそう聞き返した。ただ、これは少し露骨だったので、祖母に咎めるように少し睨まれた。
「……なぜ?」と祖母は聞いた。
「……成長する人だからさ。人の不安を理解できる人だからさ」
祖母は、手持ち無沙汰にまた、部屋の本棚を見たあとに、タキオンの話に答えた。
「その人よりかは、世の中に良い人もいそうよ」
「……つまり、別れてほしいと?」とタキオンは、喧嘩っ早く単刀直入に聞いた。当然、穏便に事を済ませたい祖母は、言葉を選んだ。
「そうじゃない。……ただ、時期尚早じゃないかしらと思うのよ」
「……圭一君にもそう言われたよ」
「……その方が正しいわ。……どうせ、強引に口説いたのでしょう」
祖母はわざとタキオンを煽る。穏便に済ませておきたそうな顔をしておきながら、孫娘の敏感な所さえ分からない。
ただ、タキオンは自分が強引に連れてきた田上を不安にさせないためにも、ここで妙な事をしでかすわけには行かなかった。もう既に妙な事には巻き込まれているかもしれなかったが、この話にはどうにも穏便な落ちをつけておきたかった。だから、タキオンは苛つきながらも、それを押し殺して、落ち着いた声で答えた。
「強引に口説いたのかは、おばあちゃんも知らないだろうが、私の強引さも含めて、彼は理解してくれている。そして、解決もしようとしてくれている。…成長する人だよ」
祖母は、また本棚を見てから話し出す。
「……もっと、…堂々としている人間が、良いのかとも思うのですがねぇ…」
「…おばあちゃんが彼を追い詰めているんだよ」
「……言いがかりでしょう」と祖母がタキオンの顔を睨んだ。
「いや、…おばあちゃんのその圭一君を値踏みするような態度は、例え隠そうとしていたとしても伝わっている。私でさえ、もう分かっていた」
「……その事は、また後にするとしても、普段から堂々としているわけではないでしょう?」
「……ここには、私が少々強引に連れてきた。だから、彼が不満を持っているとすれば、彼の方も怖気づくのは当然だ。心が平常じゃないもの」
「……普段から堂々としている方なの?」
「うん。少なくとも、初めて行く場所だったとしても、今日ほどビクビクする人じゃない。初めから、私が不満を作ってしまっていたからそうなった」
「……もう少し賢い人も世の中にはいるわ」
「天下の中央所属のトレーナー様を掴まえて、――もう少し賢い人もいるわ? …あれ以上賢いのもそうそういないよ」
「相応の地位と教養を兼ね備えた人の方が、特に、強引なあなたにも喜ばしいと思うのよ」
「外側の教養だけあったって人間は出来上がらないと思うね。相応の苦労だよ。人間を作るのは」
「苦労なくして教養はできないわ」
「おばあちゃんの言う『教養』は、例えば、社交の場で丁寧な挨拶ができるとか、どんな魚を出されても綺麗に骨を除けるということを言うのだろう? 私が言うのは『心の教養』だよ。彼は、今それを学んでいる最中だ。私に相応しいというのなら、そのような人間が相応しい。そして、わざわざおばあちゃんがそんなありがたい忠告をくれなくても、もう既に傍に居る」
「……私が言いたいのは、そういう事じゃなくてね…」
「そういうことだろう? それとも地位かい? 圭一君が何かの会長になれれば満足かい? どこかの社長になれれば満足かい? トレーナーじゃ不満かい?」
「……例えば、人というものがあるでしょう?」
「…うん」
「……人というのは、一人では生きていけないから、ある程度の社交性は備えておかなければならないでしょう?」
「…圭一君は、充分備えていると思うがね」
「…私の話を最後まで聞いて頂戴。…問題はね、あなたの身なのよ。あなたの身。あなたは少し強引なところがあるから、そんなあなたを安定して支えてあげられる人が必要なの。別に、田上さんが人として劣っていると言いたくはないのよ。ただ、田上さんにあなたは荷が重すぎると言うのよ」
「……それが、孫娘に言う言葉なの?」
「…あなたも気を悪くするでしょうが、全てはあなたの身を思って言っていることなのよ。いいね? あなたに教養がある人が必要だと言ったのはそういうことなの。ちゃんと人の心を学んだ人といる方があなたも心地がいいでしょうということなの」
「……おばあちゃんは、それで、何がしたいの?」とタキオンはあからさまに不機嫌に聞いたが、話の主導権を祖母のほうに譲渡してしまったので、祖母は待ってましたとばかりに言った。
「知り合いのね? あなたより二つ年上だけど、充分な教養を身に着けた慎太郎という大学生の子が居るのよ。丁度、交際している人も居ないらしいから、あなたとお見合いでも、少なくとも、会って話をしてみるのもいいかもしれないと思ってね」
「……それで?」
「…それで?」と祖母はタキオンの求めている内容が分からずに聞き返した。
「私に大切な彼氏を振って、別の男になびくような不誠実なことをしろと? 孫娘をそんな軽薄者だと思っているのだったら、見下げたものだし、そんな忠告如きで彼氏を振る私も見下げたものだね」
「…タキオン、…将来を見据えることももうそろそろ考えたほうが良い年頃なのよ」
祖母の言葉でタキオンは、「良く分かりました」と言って立ち上がった。「この家にはもう二度と来ません」
「……将来は大切よ。痛い思いをするよりかは、周りの大人の声に耳を傾けたほうがいいわ」
「なら、是非おじいちゃんとも意見を揃えてほしいものだね。二人して言われたのだったら、私ももう少し考えてたかもしれないが、私の世界で一番仲の良い親友に不実なことをしろというおばあちゃんの考えは、到底受け入れることができません。それこそ礼儀に背きます。では失礼」
タキオンは、そう言って、襖を乱暴に閉めた。弾みで、襖は少し隙間を開けて動きを止めた。祖母は、その隙間から見える廊下をぼんやりと見つめていたが、やがて、ため息を吐くと、部屋の電気を消して、そのまま部屋から出ていった。
居間の方からはテレビの音が微かに聞こえてくる。それに、小声で笑う人も居る。どうやら叔父夫妻はまだ起きている。縁側近くのさつきとあやめの部屋には電気がまだ点いている。こうたの部屋は消えている。田上とタキオンが居る部屋はまだ点いている。祖父母の寝室は消えている。家はシンと静まり返っているのか、人の生活する音が聞こえるのか判別がつかない。ただ、時折生活の音が聞こえたかと思えば、すぐに沈黙が支配して、沈黙があるのかと思えば、時折静かな音の中にぽっと生活の音が聞こえてくるのだった。
タキオンは、田上が寝ている部屋の襖を乱暴に閉じてしまって、その音に自分で驚いてから、弾みで開いた隙間を慌てて閉じた。蹲って扇風機を浴びながら、タオルケットの中に潜り込んでいた彼氏は、その音でビクンと体を震わせてから、タキオンの方を振り返った。今まで寝ていたような顔だったから、タキオンは「起こしてしまったかな? ごめん」と謝った。
田上は静かに微笑を浮かべて顔を横に振ると、タキオンを歓迎するように手を広げた。タキオンは、それをありがたく思って、田上の広げた手にそっと入り込んだ。そして、その温かみを感じていると、田上の方が「駄目だった?」と低く静かな声で聞いてくれた。
タキオンは、悔しさに歯を食いしばった後に、「うん……」と意気消沈した声で頷いた。田上は、それ以上は深く踏み入らず、ただ「そう…」とだけ返事をすると、タキオンの頭を優しく撫でて、その悔しさを慰め、癒やした。タキオンは、彼氏の胸のなかで次第に息を落ち着かせていった。
それから、暫く家がシンと静まり返ってから、唐突に田上が「ちょっと動くよ」と声を掛けてきた。タキオンとしては、このまま眠りに就きたかったのだが、田上が電気を消すからと説明すると、仕方なく乗っていた彼の体から降りた。そして、田上が電気を消すと、部屋は真っ暗になり、タキオンには扇風機のモーター音だけが不気味に響くように感じられた。
田上は、タキオンの横に手探りで寝転がってくれた。そして、タキオンの体をしっかりと抱き締めてくれた。また、タキオンの方も田上の体を抱き締め返した。
二人は、お互いでお互いを補い合うように、慰め合うように、癒やすように抱き合いながら眠りに就いた。その晩に二人の周りを取り巻く夜の暗闇は、ただ二人が同様に警戒すべき、怯えるべき敵に過ぎなかった。
翌朝、タキオンの目覚ましで目を覚ます。タキオンがそれを止めて、夜眠る内に解けていた二人の体をまた絡ませる。田上も、抱き締めてきたタキオンをまた抱き締め返した。そして、二人で暫くうとうととした微睡みの中で抱き合った後に、また、不意に田上は目を覚ました。
タキオンは、自分の腕の中で二度寝をしようとしているから、田上はそれをできるだけ不快にならないように起こすため、優しく揺すりながら、低い声で「タキオン…」と呼び掛けた。それをもう一二度繰り返すと、タキオンは、んん~…と唸りながら目を開け、田上の腕の中で長い欠伸をした。そして、また少し田上の腕の中で起きるような起きないようなことを繰り返していたが、田上が本格的に起き上がって朝を迎えようとすると、「おはよ〜」と尻の伸びた挨拶をした。
「今日も学校だよ」と田上は声を掛けた。
タキオンは、また暫く目を瞬かせた後、「最悪だね」と誰に言うでもなく言った。
田上は、自分の着替えを手持ち無沙汰に荷物から引っ張り出していたが、顔を洗いたいきぶんだった。ただ、顔を一人で洗いに行くのは不安だったため、タキオンと一緒に洗いに行きたかったのだが、タキオンがまだぼんやりとして顔を洗いに行かないのと、謎のプライドに邪魔されて、それを言い出せないのとで、田上もタキオンと同様にこの部屋でぼんやりとするしかなかった。
その事に、少ししてから気が付いたタキオンは、「君は何をしてるんだい?」と田上に聞いた。田上は、言うのを躊躇ったが、聞かれて答えないほどのものじゃないと判断すると、「顔を洗いに行きたいなぁと思って」と答えた。
田上の心をすぐに察したタキオンは、顔に笑みを浮かべてからかい混じりに「私と?」と聞いた。田上は静かに「そう」と答えたから、タキオンもそれ以上からかう事もなく、「じゃあ行こうか」と言って部屋を後にした。
昨日静かだったのが嘘のように、今日の朝はやかましい。家のどこそこから話し声やら物音やらが聞こえてくる気がする。その物音一号のこうたには洗面台の所で会った。入ってきた田上と目が合うと、多少警戒するように「おはようございます」と挨拶してきた。田上も「おはようございます」と丁寧に言葉を返し、タキオンは「おはよう」とこうたに声を掛けた。やはり、小学生なだけはあって、まだ純真だ。祖母のような裏腹さは感じない。田上は、こうたのことを気持ちの良い少年だと感じた。その気持ちをよそに、こうたは田上に多少怯えているので、タキオンだけにこう話しかけた。
「今日も学校なの?」
「そうだよ。私達二人共」
「……田上さんは高校生じゃないんでしょう?」
こうたがそう言ったから、田上は「うん」と答えた。
「そうだよ。圭一くんは仕事で、私は教育で向こうへ行くのさ」
「ヘ〜。…よく分かんないや」
こうたがそう答えると、田上は微笑んだし、タキオンもふふふと笑った。
「よく分かんないだろう?」
タキオンがそう聞くと、こうたは「うん」と返事をして、タキオンの脇を通り過ぎて行った。
田上とタキオンは、顔を洗って身なりを整えてから、また自分たちの部屋へ戻った。そして、部屋から出ると、タキオンが田上を朝食を食べるところへと連れて行った。
どうやら、昨日夕食を食べた所は、客と食事をする部屋かもしれなかった。田上が連れていかれたのは、昨日とは違う広めの居間だった。そこにテレビがあり、観葉植物があり、テーブルがあり、皆が居た。どうやら、居間というよりかはリビングだ。この部屋だけは古風な和室から離れて、現代に来たような気がする。そこに、祖父も居て、新聞を読みながら寛いでいた。
タキオンが祖父に「おはよう」と声を掛けた後に、田上も「おはようございます」と言おうとしたのだが、祖父がすぐに振り返ったので、一瞬タイミングを逃してしまった。ただ、その後に祖父が「おはよう」と二人に向かって言ってきたタイミングで、田上も軽く頭を下げながら「おはようございます」と返した。
「ゆっくり眠れたかい?」と祖父がにこやかに聞いてきた。
「ああ。…少し暑かったような気もしたがね」とタキオンは答えながら、座布団に座った。田上もその横の座布団に座ると、祖父がまた口を開いた。
「田上君もどうだった?」
「ああ、僕ですか?…えー、…まぁ、はい。普通に眠れました。泊めてくださってありがとうございます」
「いやいや、こちらこそ来てくださってありがとうございますだよ。…朝は早いんだったね?」
「はい」
「それが田上君らの分だよ」と祖父はテーブルの上に置いてある湯気の立っている味噌汁と白米と卵焼きを指さした。
田上は、朝食を食べれそうな気分ではなかったので、見るだけでも少々吐き気がしたのだが、残したとしても、祖父ならば許してくれるだろうし、もしかしたら、タキオンが残りを片付けてくれるかもしれないと思って、田上は食事を取り始めた。
食卓にはもう既に三人の子どもたちが居て、昨日は全く影も形も見なかったあやめもそこに居た。中学のセーラー服姿で、黒髪をポニーテールにしていた。長女のさつきは、頭の横に二つおさげをぶら下げていた。そして、食卓の方へついたタキオンと田上に「おはよーございますー」と頭を下げると、タキオンの方に話しかけに行った。
「タキオン、彼氏居るのかー」
「ご存知の通り」とタキオンは、横の田上を見ながら言った。
「良いよねー。彼氏」
「……気になっている子でも居るのかい?」とタキオンが聞くと、その後ろのソファーに腰掛けて新聞を読んでいた祖父が、唐突に新聞から顔を出して、「さつきも彼氏をうちに連れてくるかい?」と声を掛けた。
「やだよー。まだ付き合っただけでしょ? 付き合っただけの人を家に連れてくるのはねぇ…」
「圭一君も付き合っているだけだが?」
「田上トレーナーさんの方はあれでしょ? …結婚が前提でお付き合いしてるんだよね?」
さつきは聞いてはいけないことを自分が聞いているんじゃないかと思って、少し不安な顔をしながらそう言った。
「うん。じゃないと、流石の私も家まで連れてくる度胸はないよ」
「……田上トレーナーさんって、…ぶっちゃけ、タキオンのどこが好きなんですか?」
味噌汁を飲んでいた田上は、唐突にそう質問をされて、少し慌てながら口の中の物を飲み込んだ。
「どこ?」
「そうです。…タキオンのトレーナーしてるのもそうなんですが、なんで、好きになったんだろうなーって思って」
「ええ?」と田上が照れ笑いをすると、タキオンの方が助け舟を出してくれた。
「圭一君も照れちゃうってさ。特に、君は会って三日も経っていない親戚じゃないか」
「ん、日本じゃ、十六から結婚できるんだから、もう籍入れちゃってもいいんじゃないですか?」
また、この子は変な所ばかり詮索したがると思って、田上が困ったように頭をポリポリと掻くと、またタキオンが先に答えてくれた。
「物事ってのには順序があるもんなんだよ。結婚だってそうさ。まずは身の回りを整えてから、籍を入れることを考え始めなければ、立場だけが先行してしまって、何がなんだか分からなくなる」
さつきは、目の前にあるのが込み入った話だと察して「ふぅ~ん」と頷いた。その後に、次女のあやめが口を開いた。
「お姉ちゃんは田上トレーナーさんのどこが好きなの?」
「んん?」とタキオンは頭の中の考えを整理するために、一旦聞こえていないふりをした。
「お姉ちゃんは田上トレーナーさんのどこが好きなの?」とあやめは同じことを繰り返す。
「……そりゃあ、……本人の前で聞くもんじゃないよ」
「じゃあ、あとでLANEで聞くよ」
「LANEで聞くのも一緒だろう?」
「一緒じゃないよ、田上トレーナーさん見ないもん」
その後に、さつきが口を挟んだ。
「あやめ、察してやりな。お姉ちゃん、今珍しく照れてるんだから。滅多に照れないあのタキオンお姉ちゃんが」
「からかって楽しいかい?」とタキオンが少ししかめっ面をしながら言った。さつきは、ニッコリと笑みを浮かべて、「楽しい!」と煽るように言い返した。
そこで話が一旦途切れて、タキオンは、味噌汁を啜ったが、その後に、またさつきが口を開いた。
「しかし、良いよねー。彼氏って」
「君の方は共学だろう?」
「……私もウマ娘に生まれて、トレセン学園に入るのも良かったかもなぁ」
「それじゃあ、彼氏はできないね」
「いやいや、タキオンみたいにトレーナーを彼氏にできるかもしれない」
「…トレセン学園のは、大概真面目だから、一筋縄じゃいかないよ」
「へぇ〜。……友達もさ、今まで一緒に帰ってたのが、急に吹奏楽部の先輩と付き合い始めたからって、その先輩と手を繋いで帰るようになったんだよ? …いや〜、…あれ見たら、私も彼氏が欲しくなるもんだよね。…どんなことよりも自分の事を優先してくれる親友の中の親友。それが彼氏ってもんでしょ?」
「その彼氏だって、男友達と遊びたくなるような時があるだろうよ」
「ええ? …田上さんはそうなんですか?」
「ん? …えー、…まぁ、……タキオンを理由に断る時もあると言えばあると言うか…」
「ほら、やっぱり田上さんはその部類の彼氏さんじゃん。くー、憎いね。隅に置けないじゃんタキオンも。これ、学生時代だったら、手を繋いで一緒に帰ってるってことでしょ?」
「そうだね」と少しはにかみながらそう答えた。
「いや〜、…手頃な彼氏が居らんかの〜?」
すると、祖父がまた口を挟んだ。
「お見合いしようか?」
「お見合いじゃエキセントリックな恋はできない」とさつきは即座に言い換えした。「私は別に結婚をしたいんじゃないんだよ。恋をしたいんだよ。それで、無事愛が生まれたら、それはもう大円団ってもんでしょ?」
その後に、タキオンが答えた。
「愛は難しいよ?愛は」
「おお?経験者の意見を是非」
「……そう前のめりになられるとやりにくいんだが、……私と圭一君の場合は簡単じゃなかった。…それだけ」
「ええ? それだけ? ……まぁ、田上さんとタキオンの間には、それ相応の壁はあるだろうけどね…? …私はそこまでエキセントリックじゃなくていいや。できれば、平凡にエキセントリックしたい」
「本末転倒じゃないか」
「……やっぱり、喧嘩もしたりしたの?」
さつきの顔が少し真面目になってそう聞いてきた。こういう深入りする質問は、あまりタキオンの好きではない部類の質問だ。だから、少し眉を寄せると、「それは企業秘密」と答えた。さつきは、その後に田上の方を一瞬ちらりと見たが、結局、質問はせずに、後はくだらないことを適当にベラベラとタキオンに話すのみだった。それも、タキオンは少し急ぎ気味でご飯を食べなければいけなかったため、話半分で聞かれていた。
田上とタキオンは、少し慌て気味でご飯を食べて、部屋に置いていた荷物をまとめて外へ出なければならなかった。出る時は、祖母も含めて家族総出で見送ってくれた。ただ、やっぱり、タキオンは祖母のことを一切見ようとはせず、また祖母も二人を喜んで見送るような顔ではなかった。田上は、自分がここへ来てしまったばっかりにこういう結果になってしまったのだろうと、後味の悪さを感じたが、それは、何も知らない家族の手前押し隠さなければならなかった。
田上は、丁度家の前までやってきたタクシーに、タキオンと共に乗り合わせた。家族は手を振ってくれたし、さつきなんかは「タキオンまたねー」と尻の伸びた挨拶をして、軽くタッチしたくらいだ。意外な一面が見れたと言えば見れた。見れていないと言えば見れていない。従妹と仲の良いタキオンは知らなかったが、こんなような人間の気もする。
田上は、タクシーに乗って少しした後に、沈黙の車内の中でため息を一つ吐いた。後味が悪いことには悪い。ただ、初めから、来た時点でこのようになるかもしれないということも予測していた気もする。予測していた所でどうしようもない。自分はただタキオンに少し強引にあの家に連れて行かれて、誰も何も知らない古風な家で疲弊して、挙句の果てには、自分たちの関係を祖母に否定されるだけだっただろう。
田上は、またため息を吐いた。ぼんやりとした憤りはあるが、それは表面上には浮かび上がってこない。あそこにいる時間が短すぎたからかもしれない。目まぐるしく行き交う時間の中に、混乱した自分が疲弊しているだけなのかもしれない。ただ、ため息は止まらなかった。
三度目にため息を吐いた後、田上は隣のタキオンにもたれかかった。タキオンは、それを何も言わずに受け止めてくれた。田上はまた、タキオンの手を握った。タキオンは、何も言わずに握らせてくれた。そして、最後に田上は大きく息を吐いた後、疲れたように瞬きをした。
二人は、トレセン学園に、長く車に揺られた後に、辿り着いた。何だか別世界から別世界へと行き着いたような気がする。見慣れたはずの校舎も今は見知らぬ現代のような気がする。かと言って、今置いてきた朝日川家が自分たちの家かと言われれば違う。自分とタキオンの家は、あの平坦で平凡な住宅街に少しのアクセントを加えた小高いマンションだ。あのベランダから、二人で肩を寄せて、公園で遊ぶ子どもたちの笑い声を聞いた時に初めて、――ああ、帰ってきた、と思うのだ。
田上はタクシーを出て、校舎に向かって歩きながら、背伸びをして、長めの欠伸を一つ空中に放った。タキオンは、そんな田上の横を歩きながら、「疲れたかい?」と声を掛けた。田上は、まだ少し欠伸が混じった声で「うぅん」と返事をした。そして、また暫く校舎に向かって歩いた後に、田上が口を開いた。
「………なんか……」
「……なに?」
「………なんか、………外堀埋められたなぁ……」
「……元々埋まっているようなものじゃないか」とタキオンは静かに答えた。
「……そうか…」
「…そうだよ。…母さんと父さんにはもう紹介してるんだから」
「……でも、…言われちゃったよ?おじいちゃんに」
「何を?」
「…――孫をもらってくれ、って」
「……貰ってやりたまえ。君の好きな人だ」
「……好き、ねぇ…」
「…」
「……」
「今日もまた、君の家に行けるんだろう?」
「…まぁー、……変装は?」
「私は無しで行く。いや、顔は隠すがね? もう、…君の家に泊まりたい。昨日は本当に嫌だった。あんな事なら行かなければ良かった」
「……何言われたかは聞いてもいいの?」
「……まぁ良い」
「……何?」
「……ざっくり言えば、おばあちゃんとしては、私は君には荷が重すぎる。私には教養のある人間のほうが良いと言って、知り合いの子供だろうね、その子と会ってみないかって提案してきた」
「へぇ」と少々想像にし難いような出来事に、あまり理解できていないような返事をする。そんな田上には構わず、タキオンは胸の中に溜まっていた鬱憤をぶちまけた。
「考えただけでも虫酸が走るよ。私をなんだと思ってる? 今まで一緒に歩んできた大切な彼氏を捨ててまで、教養のある人間になびく軽薄な女だとでも思っているのかな? そんな不誠実な人間だと? あまりにも自分の孫を舐め腐っている。……腹が立つね…!」
タキオンは、憎々しげに前方を見つめながらそう吐き捨てた。田上は、それを可哀想に見つめながら言った。
「………なんでそうなったんだろうね?」
「…なんで? ……どうせ、あのお硬い人のことだ。友達と、自分の孫とその子を結婚させようって画策してたのに、そこに唐突に熱愛報道が出たから焦ったんだよ。そこはまだ、――誤情報だった、とかで回避できると思ったんだよ。それで、私に慌てて縁談の話を持ち掛けようとしたが、そこで、私が――圭一君も連れて行っていい?って聞いたから、話は余計にややこしくなった。多分、思うに、向こうは、君が教養のある堂々として落ち着いた人間だったら、無理に別れさせる必要もないと考えたんじゃないかな? 孫の恋を何の正当性もなく妨げるのは向こうも気が引けるだろうから、君が自分の理想通りの人間だったら、向こうもそんな話はしなかったんだと思う。…ここは、私とあの老人とで見解は分かれるだろうがね? …本当に腹が立つ…! ……本当に、人を見る目の無さと言ったら、あれ程人を見る目のない人も居ないだろうね。あれでよく人の妻が務まったもんだよ」
「……大変だったね」
「君の方が大変だったろう? …ごめんね。本当に苦労を掛けた。…わざわざ敵地の中へ君を飛び込ませたようなもんだ。…はぁ…、…悪いことをした…」とタキオンは、今度はガックリと項垂れて田上の横をとぼとぼと歩き始めた。
「…まぁ、仕方がないよ。もしかしたら、避けては通れない道だったかもしれない。……それに、おじいちゃんの方は歓迎してくれていた」
「おじいちゃんはね…、まだ良いんだろうが…、…そう言えば、私言ったよ」
「…何を?」
「……二度とあの家には行かないって」
「…おじいちゃんに?」
「いや、違うよ。おじいちゃんには言ってない。おばあちゃんに。ただ、まぁ、あの人があと十年以内に死ねば、あの家には行けるようにはなるだろうね」
「……仲直りはしないの?」
「…君を貶した人だぞ? そして、私に対して、真正面から役立たずと言ったような人だぞ? それでいて、自分が何を言ったのかには気がついていない。…多分、まだ、私には失望しているだけなんだろうね。――だから、私の言ったとおりにすればよかったのに、と思っているはずだろう。…もしかしたら、友達にはどう言い訳しようか考えているのかもしれない。…どちらにしろ、私達のことについては何も考えていないよ。自分の立場を守ることか、さもなくば、自分の理想を守るためか。…まぁ、うん。どっちにしろ、私の身を考えて言っているというようなことを言っていたが、それにしては、あまりにも酷い言い分だったね。――あなたは強引だから、だって」
「……そんなこと言われたの?」
「うん。…まぁ、君も身に沁みて分かっている通り、強引ではあるがね。……それを言うなら、おばあちゃんの方だって十二分に強引だ」
「へぇ…。……まぁ、でも、断ったんでしょ?」
「当たり前だとも。もう二度と来ないと言うまでにはっきりと断ったさ。……あーあ、…疲れた」
「…俺も」
「……私を抱き締めて、君の疲れが癒せるのなら、いくらでも抱き締めてくれていいよ。…君に抱き締められるの好きだし」
「……まぁ、あの家に帰ったらな」
「…トレーナー室は?」
「……誰も居ない瞬間がもしあるとしたら」
「じゃあ、無理だ。マテリアル君が居るからな。…私が君の膝の上に乗るのはどうなの? そうする時もあるが」
「……まぁ、時と場合を見定めてくれ。…俺もお前の事は好きだから」
田上のその言葉に、タキオンはふふふと嬉しそうな笑みを浮かべた。
校舎に少し入りかけてから、タキオンが、自分が制服に着替えていないことに気が付くと、そこからまたウマ娘寮の方まで戻って、タキオンの着替えを待つこととなった。田上は、タキオンが着替えるのを待っている間、往来を歩いている生徒やトレーナーをぼんやりと見つめていた。その中に、田上が見知った顔が一人居たが、向こうはこちらに気付かず、また、田上も話しかける気力がなかったので、ぼんやりとその後ろ姿を見送ることとなった。それから程なくして、タキオンが制服に着替えて出てきた。
タキオンが制服に着替えて出てくると、これまた二人はぼんやりとしてトレーナー室へ歩いた。歩いて行くうちにチャイムは鳴るだろうという時間だったからだ。そして、二人の予想通り、丁度、トレーナー室までもうすぐという所で、チャイムがキンコンカンコンと鳴り出した。タキオンは、ため息を吐いた。
「休みたい」とタキオンが駄々をこねるように言った。
「……お好きに」と田上は単に答えた。この言葉の意味はそのままである。タキオンが好きにした所で、田上は咎める気はないということを表していた。タキオンにもそれは伝わって、むしろ、それがタキオンの考えを悩ませたりもしたが、結局「行く」とは答えた。ただ、田上はタキオンの精神的辛さも心得ていたから、今度は「行かなくても良いよ」という選択肢を提案した。タキオンは、少し苦悶に表情を歪めたあと、「一時間目は何だったかな?」と言って時間割を確認した。そして、それがどうでもいい教科だったらしいので、「一時間目はいいか」と田上に言うと、一緒にトレーナー室の中へ入っていった。
トレーナー室の中にはマテリアルが居る。エスは先程授業に出ていった。
二人が入ってくると、マテリアルはすぐに振り向いて「遅ようですね」と挨拶した。田上もそれに倣って、「遅ようございます」と挨拶をした。タキオンも、マテリアルに手を上げて、「遅よう」と挨拶をした。当然、目聡いマテリアルは田上の後ろにひょっこりとついてきたタキオンに目をつけて言った。
「タキオンさん、授業出ないんですか?」
「ん?…まぁまぁ、……そんなもんだよ」
「…へぇ」との返事をマテリアルはして、変にこの二人に立ち入らないことに決めた。無理に立ち入ろうとすれば、向こうの方から突っぱねるだろうから、その兆候が見えたときには入らないほうが変なことにはならない。
その代わりに、また、マテリアルはこう聞いた。
「あなた方、タキオンさんのおばあちゃんちに行ってきた帰りなんでしょう? どうでした? 歓迎されました?」
「歓迎されなかったからここに居るんだよ」とタキオンが適当に荷物を机の上に放りながら答えた。
「ほぇ〜、…歓迎されなかった?」
「おばあちゃん自身にはね」
「ええ? おばあちゃんの方から呼んだって話じゃなかったですかね?」
「…まぁ、ある種の罠だよ」とタキオンは、パイプ椅子にどかりと雑に座った。「圭一君を連れて行ってもいいって言ったのは、彼を歓迎するためじゃなくて、見定めるため。そして、その理想のお眼鏡には適わなかったというわけさ」
そう言われると、マテリアルは、口をぽっかり開けて「はぁ~」と納得か感慨を覚えたように唸った。そして、田上の顔を見ながら「憐れですね〜」とさも同情しているかのように言った。それは、田上にも同情されていると分かったのだが、傍から見れば、煽っているようにも見えたので、田上は少し鼻で笑った。その後に、タキオンが口を開いた。
「そうだよ。この一泊で一番憐れだったのは圭一君の方さ。行きたくもない家に、私に無理に連れて行かれて、挙句の果てには、祖母から否定される。わざわざ私が彼を敵地に放り込んだようなものだからね」
「はぁ~。……可哀想ですねぇ。…で? どうなったんです? 別れることにはなってないでしょう?」
「なってない。けど、あまりにもあれが嫌だったから、一時間目までここで静養することに決めた」
「はぁ。……お可哀想に」
「………私の愚痴をちょっと聞いてくれよ」
「私ですか?」
「そう。圭一君にも話したんだが、話足りなくってね。………あの老人と来たら、私に他の男を充てがおうとしたんだよ?」
「付き合ってるのに?」
「そう。教養のある人間の方があなたには良いとか何とか言っておきながら、一番教養が無いのは自分じゃないかってね。だって、それを受けるとなったら、私の一番大切な彼氏を振れってことだろ? そこまで頭に入れて話したのかしらね?」
「はぁ…。…イケメンですか?」
「写真は見てないから知らない。イケメンでも願い下げだ。…問題はそこじゃないんだよ。老人の…奇行の話だ」
「そら、奇行は残念でしたねとしか言いようがありませんね。タキオンさん、あんなに田上トレーナーのことが好きなのに、それをわざわざ振れだなんて言うから、鬼畜の所業ですね」
「そうだろう? ……ふー…、…つまらないことになった」
「…散々ですね。熱愛報道に、ラジオ出演を消され、祖母には否定されて」
「そう。……だから、一時間目は私が圭一君の事を借りておく。圭一君も私のことを借りておく」
「へぇ?」
「だから、話しかけないでくれ。今から傷ついた心を癒やすんだ」
タキオンはそう言うと、立ち上がって田上の方に向かった。田上は、タキオンのしたいことを察して、自分の椅子を机から十分に引いた。
タキオンは嬉しそうに微笑むと、体勢を崩さないようにゆっくりと田上の膝の上に乗って、自分の体の重みを預けた。
椅子が、ギイと愉快になった。タキオンは抱き返してくれる彼氏の体の固さや温かさを感じながら、その一時間目が終わるまで、田上に抱き着いて過ごしていた。田上もまた、タキオンを受け止めて、彼女のその体の重さを嬉しく感じながら、静かにその一時を彼女と共に楽しんだ。
一時間目は、本当に、二人共お互いの傷付いた心を癒すように優しく触れ合いながら過ごした。お陰で、タキオンは二時間目になる頃には大分元気になっていた。だから、「次は行くよ」とは言ったのだが、まだ二時間目のチャイムが鳴っていないので、タキオンは田上の膝の上に座ってゆっくりとしていた。
長机の方では、マテリアルがタキオンに「話して良いですか?」と許可を取って、タキオンに聞かされた苦労話をエスにも話してあげていた。エスの反応も良好で、目をまんまるにさせてその話を聞いて、「へー、…そんな事もあるんですね」と感心していた。エスは、――これは創作の材料に使えるのではないかと、内心思案していた。
タキオンは、そんな二人には構わずに、田上のほっぺをつついたり、唇を触ったりと、彼氏の顔で優しく遊んでいた。田上は、少し嫌そうに顔を背けたり、タキオンを見つめたりしたのだが、口では何も言う事はしなかった。こういう憩いの時間が田上にも嬉しかったし、タキオンにも嬉しかった。こうやって、少しの間だけでも辛い俗世間から逃れられる二人だけの時間は、この頃、田上の方も愛おしくなり始めてきたような気がする。
それも、二時間目のチャイムが鳴って終わりの時は来てしまうのだが、幾分二人共多少の満足を得て別れる事はできた。タキオンは、「またね」と言って去って行った。田上も「ん」と返事をしながら片手を振った。
こうして、二人の朝日川家行きは、後味が悪いのか良いのか、呆気なく終わったのかそうじゃないのか、判然とした事象は目の前にぱっと現れることなく終わったが、ここで二人の人生が終わるわけでもない。まだ、一連の出来事のおまけとしてついてきていた、新しいチームメンバーの問題は残っている。その為に、学校に居る間――特に、授業が終わって放課後が来るまでは――二人の間に語ることもなく時間は去って行った。