十、トレセン学園
トレセン学園に帰り着くと、真っ先に歩いていたフジキセキに会った。
「おや、今日がご帰還か。あっという間だったかい?」といつもと変わらず、陽気な様が見てとれた。しかし、それとは反対にタキオンはフジキセキと会うと気分を悪くしたようだった。喋りかけられた途端、眉を寄せて不機嫌そうな顔をし、フジキセキを笑わせた。
「私と会うのがそんなに嫌なのかな?…トレーナーさんと二人きりでいたかったとか?」
「それがあるから嫌なんだよ。いい加減その恋愛脳をどうにかしたらどうなんだい?…それとも私が、そのような脳の働きを抑える薬を作るべきか…」
タキオンが、そう言って考えに耽り始めると、フジキセキは「おお怖い。君から貰う飲み物は当分飲まないことにするよ」と言って、その場を後にした。田上は、これによって考えに没頭し始めたタキオンを引っ張って寮まで連れてこなければならなくなった。
陽が当たり、微かに暖かさを感じる冬の午後だった。田上は、タキオンの手を引きながらウマ娘寮まで歩いた。
寮まで歩くと、タキオンはそのまま中の方に入っていったが、田上と離れなくちゃならないと分かると名残惜しそうにその手を放した。そして、その後にこう言った。
「荷物を置いたら少し話さないかい?私が、寮の前で待ってるから」
田上は、黙って頷いた。それから、二人は一時的に分かれて、別々の道を取った。
タキオンは、部屋に着くと同室のアグネスデジタルに出迎えられた。デジタルは、少し興奮した面持ちで「タキオンさん、おかえりなさい」と言った。タキオンは、少し疲れた様に「ただいま」と言うと、自分のベッドに腰を下ろした。今ここで寝転がろうかとも思ったが、それはやめた。トレーナーと話す約束をしていたからだ。
タキオンはノロノロと立ち上がると、部屋を出て行こうとしたが、そこでデジタルに呼び止められた。
「帰ってきたばかりなのに、もう行かれるんですか?…どちらへ?」
「……トレーナー君のところさ」
やっぱり疲れているようにそう答えた。その様子を察して、デジタルは心配そうに見ていたが、やがて「いってらっしゃいませ」と言うとタキオンを見送った。
タキオンは、自分の寮を出て、トレーナー寮の方へと向かった。歩みは寮に近づくにつれ遅くのろまになったが、これは体調によるものではなかった。確かに、疲れた感覚はあったが、それはこれ程までに足がのろくなるものではなかった。単純に、トレーナーに会うのが気が進まなかったからだ。これは、寮に入ってからそうだった。
寮に入り、いよいよ休暇が終わった現実が突き付けられたのだ。次トレーナーに会った時には、帰省に行く前の時に戻っているような気がした。
トレーナーは、案外遅く寮から出てきた。別にタキオンから中の方に迎えに行くことができたのだが、それは気が進まなかった。タキオンは、寮の前のベンチで田上を待ち続けた。そして、トレーナーが出てくると、すぐに立ち上がった。
「ちょっとゆっくり歩いて、私の研究室の方へ歩いて行かないかい?」
田上は、先程と変わらない様子で黙って頷いた。
そうすると、二人は歩き出し、タキオンは話し始めた。と言っても、最初は降り出したばかりの雨のようにぽつりぽつりと言葉を発した。
「……終わってしまったねぇ」
田上は、それから暫く後に「うん」と頷いた。
次にタキオンが言葉を発したのは、校舎に入る直前だった。
「……もう戻れないのかなぁ」
田上は、それから暫く後に「ああ」と頷いた。すると、タキオンはまた話した。
「楽しかったなぁ」
「……それは良かった」
また、沈黙が続いた。
それから、次に言葉を発したのは、三階に行く途中にある階段をくるりと回ったところだった。
「……トレーナー君」
「……何?」
「……今日で終わりだよ」
「……そうだよ」
「……君は何も感じないのかい?」
「…………感じるよ」
「……なんて?」
「…………寂しいなぁって」
田上がそう言うと、タキオンは鼻で笑った。
「……私は、……こんなに寂しいものだとは思わなかったよ」
そして、その後にこう続けた。
「……いつの間にか、君と居るのが当たり前になってる。なんでだろう。私にもそんなつもりはなかったのに」
「……なんで何だろうね」と田上は呟いた。それが聞こえたのかどうかは分からなかったが、タキオンは話を続けた。
「……君は、ここに帰ってきても変わらずに接してくれるかい?」
「ああ」と田上は答えた。
「……抱きしめてくれるかい?」
今度は、答えなかった。タキオンが、田上の顔を見ると、顔を赤くさせたり白くさせたり困っているようだった。だから、タキオンはこう言った。
「…安心してくれ。あのことは誰にも口外しないから」
だが、そうは言っても安心はできなかったようだ。これから、研究室に入るまでタキオンの話にしどろもどろになりながら答えていた。
研究室に入ると、中の方にカフェがいた。一人で静かにコーヒーを啜っているようであったが、中に入る前に少し話し声も聞こえたような気がした。だが、そんなことはよくあることで、タキオンも意に介さずにカフェに挨拶した。
「やあ、カフェ。相変わらずかい?」
「ええ」と微かに頷く声が聞こえた。そして、こうも聞こえてきた。
「お早いお帰りだったんですね。もっといれば良かったのに」
これは、タキオンには聞こえなかったようだ。タキオンは、自分のトレーナーを引っ張ると、金属でできた丸椅子に座らせた。そして、自分はふかふかの椅子に座り、田上と向き合った。だが、向き合ったまま何も話さなかった。二人は見つめ合って、何かが起こるのを待っていた。
その間、カフェが身動きする音が微かに聞こえてきた。
田上が堪え切れなくなって、合わせていた目を外に向けた時に、やっとタキオンは話を始めた。
「抱き合った時に起こる動悸が、走りに活かせるか調べてみようと思うんだ」
田上は、タキオンの言った訳が分からず顔をしかめた。すると、タキオンはフフフと口の中で笑みを漏らしてこう言った。
「案外、人の温もりというのはいいものだね。特に抱きしめられるのは。…だから、これからも君に抱きしめてもらおうというわけだ。寂しくなったときとかにね?」
「抱き合ったんですか?」
突然、暗い声が部屋の向こうから聞こえてきた。カフェだった。興味深げに黄色い目を光らせて、こちらを見ていた。
タキオンは、カフェのことなど頭になかったようだ。自分が大声で勝手に垂れ流していたことを聞かれて、不機嫌そうな顔をした。
「…あんまり君に聞かせるつもりはなかったんだけどな」
そう言うと、今度は困ったように田上の方を見つめた。
「この部屋が最適解かとも思ったんだが、そう言えば、カフェがいるんだったな」
この言葉に田上は答えようがなく、ただ黙って曖昧に頷いただけだった。
「どこがいいと思う?」
タキオンはそう聞いた。またも田上には答えようがなく、ただ、曖昧に頷いただけだった。すると、タキオンは何かを察したようでこう言った。
「ああ、なるほど。…君は私を抱くのに反対派なんだな?」
田上は、顔を微妙に曇らせただけの反応を示したが、タキオンにはしっかりと伝わったようだ。
「何が悪いんだい?君にとっても人の温もりというのは感じれるはずだが?」
タキオンがそう言うと、今度は田上も口を開いた。
「…倫理観の欠如」
タキオンとは目を合わさず、独り言のように言ったその言葉だったが、タキオンは大きく反応をした。
「倫理観!?そんなものを気にしていたって言うのかい?今まで散々一緒に寝ていたくせに」
「寝ていた?」
またカフェが口を挟んできたが、今度はタキオンも「うるさい!」と噛みつくように言って、田上と話を続けた。
「だって、君、一度私を抱きしめたじゃないか。それをノーカウントとは言わせないよ」
「あれは…」
「それに君は寝ぼけていて気が付いていなかったのかもしれないけど、私を強引に胸に抱いたこともあったからね?」
「…嘘?」
「ホントだよ。あの時は、私が――大問題になるよ、と言ったら、そうなっちまえ、みたいなことを言っていたけど、大問題には私がさせないから。見つかって君が怒られそうになったら、私が責任を取るから」
「……取れないだろ。……それに、俺は責任どうこうの問題じゃなくて、単純に人としておかしいと思うからしたくない」
「寝るのはいいのに?」
「それを言われると弱いけど、ともかく、俺から抱きしめるのはもうしたくない」
「では、私からならいいと?…私は抱きしめられたいんだけどね」
「どっちもいや。絶対に嫌。教える立場として、やることじゃない」
「なら、モルモット君としてしよう。それがいい」
そう言うと、タキオンは椅子ごと自分の体をくるりと回して、一周回ると立ち上がって田上の所に行った。
「君は結局私を抱きしめてくれるから、こんな議論は無駄じゃないかい?」
「無駄じゃない。俺はもうしないと決めたんだ。…一緒に寝るのだってしない」
「それは機会がないじゃないか」
タキオンが口を挟んだが、田上は話を続けた。
「そもそもタキオンはなんで俺に抱きしめてほしいんだ?」
「そりゃあ…、さっき言ったじゃないか。人の温もりが欲しいからだよ」
「じゃあ、俺じゃなくたって、カフェでもいいわけだろ?」
田上が、そう言ってカフェの方を指差すと、カフェは物凄く嫌そうな顔をして手に持っていた本を閉じた。そして、立ち上がると表情は崩さないでこちらの方に来た。
「あなた方、さっきから何の話をしているんですか」
「カフェには関係のないことだよ」
タキオンが、そう言ったが、カフェは何の反応も示さないで座っている田上を見下ろして言った。
「……難儀ですね」
そう言うと、もう興味がなくなったのか、また自分が座っている椅子に戻った。その間に、部屋の中央にあるカーテンを引いて、少なくとも視界的には接することがないように部屋が二つに分かたれた。
それを見届けるとタキオンが言った。
「少し冷静になって議論をしないかい?」
「議論の余地はないと思うけど」
田上はそう言ったが、タキオンは無視をして話を続けた。
「まずカフェのことだが、あの子はガリガリで背も高くないから人の温もりというものはないね。その点君は、男性ということだけで高得点だ。そして、私よりも背は高い。…いいだろう。いいだろう。…他に問題は?」
「…俺以外でもいいんじゃないのか?」
「君以外の男性と?」
田上は無言で頷いた。
「それは、少し薄情と言うか、これこそ君の嫌がりそうなものだけどね。…つまり、私がどこそこで道行く男の人にハグを求めるということだろ?私はやっても構わないけど、できれば君がいいなぁ。…君もその方がいいだろ?」
田上は、渋々頷いた。すると、これにタキオンは活気づいて、一気に攻めてきた。
「ほら、君もその方がいいんじゃないか!…なに、少しでいいんだ。少しの間、私を抱きしめてその出来事から起こることを検証していくんだ」
タキオンは、元気そうに言ったが、その反対に田上は顔をしかめて肩を落とした。
「君、あんまり落ち込むなよ。ちょっと、ほんのちょっとだから」
タキオンが田上の肩をぽんぽんと叩くと、田上は大きくため息をついてこう言った。
「やっぱり、家に帰らなければよかったなぁ。あれがなければ、こんなことにもならなかったのに」
「遅かれ早かれなっていたことさ。むしろ、今なってよかっただろ?対応がしやすい。これが、外とかで急になってみてごらんよ。君は、外でする羽目になるんだぞ」
「…俺が、お前をハグしたのも外だっただろ」
思いがけない田上の反論に、タキオンは「そうか…」と呟いて少しの間黙ってしまった。しかし、すぐに気を取り直すと言った。
「こんなになるとは思わなかったけどさ。諦めなよ。もう一度してしまったんだ。後戻りはできないよ。…そうなれば、私の実験に協力をして…」
「だから言っただろ?人としておかしいって。そういうのは、付き合っている男女がやることだ。少なくとも日本では。…おかしいんだよ。距離が近すぎるんだよ。お前は女子高生だぞ」
「また女子高生だ。私は、そんな称号はどうでもいいんだよ。どうせ君にとって、女子高生であるかどうかよりも、女性であるかどうかの方が重要なんだろ。それならば、その言葉を盾にしないで、正直に言ったらどうなんだい?私は、女性とハグはしたくありません、って」
「私は女性とハグをしたくありません」
田上がそう言うと、タキオンは目を真ん丸にさせて、次いで笑い出した。
「いや~、君も折れないね。……じゃあ、こういうのはどうだい?私は君に抱きしめられたい。君は私を抱きしめたくはない。日本人だから。…そうなると考えられる結論は、海外に行って普通に抱き合う文化圏で抱き合えばいいんだ」
「そういう問題じゃない」
田上は冷静に指摘したが、そうするとタキオンもため息をついた。
「折れてくれよ。別に抱きしめることくらいどうってことないじゃないか。…私は構わないよ。もう何度も君と寝たんだし」
「語弊があるな…」
「語弊って、…本当の事だろう?実際、君と旅行にいった期間は全部一緒に寝てるんだから」
タキオンがそう大きな声で反論すると、田上も困ってしまって「はいはい」とタキオンをできるだけ焚きつけないように返事をした。
すると、段々タキオンも気を悪くしてきたようで、「早く折れればいいものを」ぶつくさ言い始めた。だが、田上はそれには断じて「イエス」と頷くことができないから、口をつぐんだままタキオンを見つめた。
「何だい?その目は」
タキオンは不機嫌そうに田上に言ったが、田上は答えなかった。すると、タキオンは大きなため息をついた。
「価値観の相違ってのは大変だよ。私は、仲の良い男女であれば、ハグくらいは別に問題ないと思うんだけどねぇ。……あの時は何でしてくれたのかなぁ?」
タキオンは田上の顔を覗き込んだ。
「…まぁ、何も言わないんだったらいいけどさ。君は一度やったんだ。何で二度目はできないんだ?」
「学んだからだ…」
「そうだねぇ。学んだ。それが問題だ。……分かったぞ!どうにも君の言い分が納得できないと思ったら、これは最初から価値観の相違なんてものではなかったんだ。単純に君がハグが嫌いだから、嫌がっていたんだ。……けど、これだと話はまた堂々巡りだ。…別に私が無理矢理君を抱きしめることはできるけど、それだとダメなんだよなぁ。私は抱きしめてほしいんだ。ちょっと苦しいくらいが好きなんだ。…う~ん……」
その時、カーテンの向こうでガラガラとドアの開く音が聞こえ、それから男の人が話すのが聞こえた。しかし、それは微かでタキオンのウマ耳をもってしてもはっきりとは聞き取れなかった。
その声に耳を澄ませながら、タキオンは「松浦トレーナーか」と呟いた。
松浦トレーナーはカフェのトレーナーで、田上と同い年だったが、トレセンに入ったのは田上より早く、もう最初に担当していたウマ娘は三年目に入っていた。そのためか、同い年であるのにも関わらず、田上は松浦のことを敬遠していた。田上には、松浦が秀才のように見えた。さらに人も良いし顔も良いので、ますますいい男に見えた。タキオンのようなウマ娘が結婚するんだったら、こんな奴なんだろうなぁ、と思う日もあった。
タキオンが考え込んでいるのを見ていると、暫くじっと床を見つめた後でタキオンが急に動き出した。そして、何の前触れもなしにカーテンを思い切り引いたから驚いた。田上は思わず立ち上がって、タキオンの行く末を見守ったが、そんなことには気づきもしないでずんずんと歩いて行くと松浦トレーナーの前で立ち止まった。そして、言った。
「今、ハグによる効果の実験をしようと思っていたのだが、トレーナー君が中々したがらないから君で試してみよう。君で試して、一度トレーナー君とやったものと同じ気持ちを実感できれば他の人でも試してみよう。…さぁ、私をうんと強く抱きしめてくれ」
タキオンは、一人で長々と話したが、その言葉に反応をできる者はこの場にはおらず、かろうじて松浦が困ったように、助けを求めるようにカフェを見つめただけだった。
すると、カフェが静かに言った。
「嫌、だそうです」
「君には聞いていないだろ!」
「いえ、言わなくてもいいくらいに私のトレーナーさんの表情に出ています」
松浦は、変な顔をして、ハハハと元気なく笑った。カフェは、話を続けた。
「それに後ろの方も同じくらいに表情に出てますよ」
カフェが指差すと、タキオンも振り向いてこちらを見た。田上は、突然の出来事にぽかんと大きく口を開けて呆然としていたが、タキオンたちが振り向くと慌てて口を閉じた。しかし、口を開けていたのはタキオンにしっかりと見られていたようだ。こう言われた。
「あんなアホ面見たって、聞き分けがないことくらいしか分からないよ」
タキオンは、怒っているように言っていたが、カフェはまた静かに言い返した。
「……本当にそうでしょうか?」
「そうだよ。何回言っても聞かなかったんだ。今更、変わるなんてことないだろ?」
タキオンがそう言うと、カフェはじっと田上の方を見据えた。隣ではタキオンが、「それで君はどうなんだい?」と松浦に詰め寄る声が聞こえたが、田上はカフェと目が合った時から、自分の目を離すことができなかった。金色の瞳の中で何かが渦巻いているように見えた。それは時々黒に変わり、次いで赤に変わった。全ては、田上の幻覚だったが、突如として、後ろにあったカーテンがシャッと開いて陽光が差した。この部屋では時々こういうことがあった。怪奇現象なのか何なのか、カフェにはそういうものと関わりがあるそうだったが、田上は自分たちに危害を及ぼさないのですっかり慣れていた。
カーテンが開くと、やっと田上はカフェの目から自分の目を離すことができた。そして、カフェも田上を見つめるのをやめた。それから、自身のトレーナーの方を見やると、もう少しで押し切られそうな松浦に向かって言った。
「そんな人、田上トレーナーに預けてしまえばいいんです」
そう言うと、カフェはまた田上を見た。すると、今度は胸に微かな希望が湧いて出て、呆然とした心から立ち直り、タキオンの下に寄るとこう言った。
「抱きしめてやるから、あんまり松浦さんに迷惑をかけないでやってくれ」
タキオンは、急いで後ろを振り返って田上の顔を見ると嬉しそうに「はー!」と奇声を上げた。
「ほら、やっぱり最後には君が折れるんだ。そうだと思ったよ」
田上は、はしゃいでいるタキオンの背中を押して、元のタキオンの場所へと帰らせた。そして、部屋を分かつカーテンを閉めようとしたとき、またカフェと目が合った。金色の瞳が絵の具のように粘り気を帯びて、流れていくように感じた。時間を何倍にも感じるかのように思えたが、それは一瞬にして、タキオンの「トレーナー君?」と言う呼びかけに遮られた。
田上は、急いでカフェから目を離した。すると、もう夕日になりかけている陽光が目に入り、思わず目を細めた。
「私をハグしてくれるのだろ?」
タキオンは田上にそう聞くと、田上は黙って頷いた。
「よし来た。……でも、今すぐにと言うわけにはいかないな。着替えをして、ハグをした後の記録を取らなければ。…しかし、普段の私とは明らかに体が鈍っているから記録の取り方も変えないといけない。…ふむ、どうしようか。トレーナー君の記録を測るという点でもやる価値はありそうだ。…しかし、…しかし」
タキオンは、それから暫くぶつぶつ言いながら、一人で考え込んでいたが、どうにも雲行きは怪しそうだった。机に向かってあーでもないこーでもないと言いながら、最後にはふーーと疲れた長いため息を吐いた。そして、ゆっくりと田上の方に向き直ると言った。
「まず、今日のところは心拍数の変化から調べていこう」
「…いいのか?他にやりたいことがあったんじゃないのか?」
「いや、今日のところはそれは叶わないだろうから、見送ることにするよ。…一番は、君とハグをしたい」
タキオンは、そう冷静に言ったが、言ってる内容はどうにも恥ずかしいことだったので田上は困ったようにそれに笑いかけた。すると、タキオンはしかめっ面をしてこう言った。
「今更、嫌だは言わせないからね。男だったら、一度言ったことに責任を持たなきゃ」
田上は「分かっていますよ」と返事をした。それから、言った。
「もうするのか?」
「…えー、…まず心拍を測ってからだね。さぁ、腕を出して。私が測ろう」
そう言われると、田上はいつもやっているように、少し丸椅子をタキオンの方に近づけて、袖を捲り、手首を差し出した。タキオンは、それを取ると同時にストップウォッチも取り出して、言った。
「じゃあ、ゆっくり呼吸をしてくれ。一分間の心拍数を測る」
田上は、ゆっくりと息を吸い、そして、吐いた。目を瞑り、視界の全てを遮断した。今は、自分の手首に触れる細い指しか感覚になかった。
田上の一分が経過すると、今度はタキオン自身が心拍を測る番だった。さすがにアスリートなだけはあって、田上とは段違いに心拍数が低かった。その数値を確認すると、タキオンは満足げに頷いてこう言った。
「さぁ、今度は私を抱きしめておくれ。うんと強く」
先程は、自分の手で心拍を測っていたタキオンだったが、今度は機械を使わざるを得なかった。それと言うのも、タキオンは抱きしめられることに集中した方が、結果は色濃く出るだろうとのことだった。それに、タキオンでも二人同時に心拍を測ることは難しかった。タキオンが欲しい情報は、ハグの前と最中とその後の経過だった。そのため、必ずハグの最中は二人とも手が空かなくなるのだ。そして、その時を測るには機械が必要だった。
タキオンが、二人の手首に時計型の心拍計を取り付けると言った。
「よしよし、これで準備は完了だ。今度こそ私を抱きしめておくれ」
タキオンが立ち上がり、田上もノロノロと立ち上がった。そして、タキオンと正面から向かい合うと途端にどっと汗が噴き出してきたような気がした。研究室は、陽光が差して大分暖かくもあったが、寒気がし始めた。
田上が、タキオンを見つめたまま、一向に抱きしめようとする気配がなかったから、タキオンは心配そうな顔をして、「大丈夫かい?」と聞いてきた。田上は、すぐに気を取り直そうと腕を広げて、タキオンを抱きしめようとしたが、それは本人に止められた。
田上の心拍数を一度確認しようとのことだった。
見てみると、先程の数値より大幅に上昇しており、タキオンを驚かせた。それは、タキオンが同情するほどに大変な数値だった。
「君!......まだ、抱きしめてもないのにこんなになってるのかい?...さすがに、緊張しすぎなんじゃないのかい?」
田上は、もはやタキオンが何を話しているのかすら理解に及ばなかったが、とりあえず腕を広げてタキオンを抱きしめようとした。
しかし、ここでタキオンが躊躇ったから、田上は混乱した。
「君、本当に大丈夫なんだね?」
手を上げて静止したタキオンを田上は見つめた。もう二人の距離は、肌と肌が触れ合うような距離にあった。
タキオンは、挑戦するように田上を見つめた。田上は、脳の中の思考が上手くまとまらなかったが、タキオンを抱きしめるつもりはあったので素直に首を縦に振った。すると、タキオンは、ニヤリと笑って、一歩前に進み田上にくっついた。それから、こう言った。
「私をう~んときつく抱きしめておくれ」
言われた通り、田上はタキオンを覆うように強く抱きしめた。夕日が田上の顔に照り輝いた。顔が燃えるようだった。恥ずかしさがあったが、それ以上にこそばゆい嬉しさもあった。自分の腕の中で小さな肩が嬉しそうに身動きした。
そして、田上の腕の中でこう呟くのが聞こえた。
「んん、いい感じだ。…心地よいストレス。…いい」
そう言うと、鼻をスンスンと言わせ、匂いを嗅ぐのを感じた。今日で二度目だったが、一回目は遠い昔のような気がした。今度は、田上もタキオンを感じた。栗毛の髪が頬を撫でた。頭のウマ耳が優しく擦れた。そうすると、タキオンもくすぐったそうにフフフと笑うのが聞こえた。
二人は、じっとハグをしたまま動かなかった。時々、タキオンが心拍数を確認するために、田上の計測器を見て、自分の計測器を見たが、それが終わるとまた二人は元の姿に戻り、そのままずうっとずうっと動かなかった。
そして、夕日の赤色も最後の輝きを起こして、空を真っ赤に染めた時、タキオンを抱きしめたまま田上が言った。
「……タキオン」
「ん?なんだい?」
一生懸命匂いの渦の只中にいたタキオンは、田上に声をかけられて驚いたものの、平然としてそれに答えた。
田上は言った。
「…気持ちいいのか?」
「うん、とっても」
タキオンは嬉しそうに答えた。すると、田上はゆっくりと体を離し、腕を解いた。そして、不思議そうに田上を見ているタキオンに向かって言った。
「もっとしてほしいか?」
タキオンは、さらに不思議そうな顔をして、はっきりと頷いた。田上は、もう一度言った。
「今度は少し撫でてみていいか?」
タキオンは、ゆっくり頷いた。その様子を田上は、確認するともう一度タキオンの体を抱きしめた。それから、今度は、タキオンの後頭部に自分の手を回すと、下から掬い上げるようにタキオンの髪を梳き始めた。タキオンは、それをされると、始めはくすぐったそうにクスクス笑っていたが、やがて慣れてくると、目を閉じてうっとりとし始めた。
田上が、その様子を知っているのかそうでないのか分からなかったが、そのまま田上はタキオンの頭を撫で、髪を梳き続け、時に愛おしそうにその髪を乱れさせた。そうすると、決まってタキオンはもっと深くに顔を埋めた。手が使えず、田上のなすがままにタキオンはその身すらも田上に預けた。
幸せな空間だった。もう夕日は空の彼方に沈んでいた。見えるのは、闇が空を覆いつくそうとしている間際だけだった。
田上は静かに言った。
「ずっとこうしていたい」
「……できないよ」
「……させてくれよ。幸せなんだよ、今」
「それでも、私たちはここに帰ってきてしまったんだから別れなきゃ」
「……逃げよう。一緒に」
田上がそう言うと、タキオンがフフフと笑った。
「逃げるのは至難の業だな。ここには、追うのが得意な人たちが山のようにいる。その人たちから逃げるとなると、…大変だ」
タキオンの言葉が終わると、幾許かの時間が過ぎ、まだタキオンを抱きしめ、そして、タキオンも抱きしめられたまま、田上が言った。
「…タキオンも逃げたくはないのか?」
「……私は逃げないさ。ここに帰ってきてしまったんだから」
「じゃあ、ここに帰る前だったら、逃げてくれたのか?」
「……どうだろうねぇ」
タキオンは、最後の言葉を曖昧に濁した。そして、また幾許かの時間が過ぎ、田上が言った。
「こんなことして何になる?…夕闇が空を覆う。俺たちはそれからは逃げられない。なんでだ?なんで俺は、お前を抱きしめているんだ?」
「それは、私が抱きしめてくれと言ったからさ」
タキオンがそう言うと、田上は急に体を離し、タキオンの両肩を掴みながら悲し気にその顔を見た。そして、何か言おうとしたが、その声は微かで、その上途中で萎んでいったから何も聞こえなかった。タキオンにかろうじて聞こえたのは、田上は「…俺は…俺は」と口の中でもごもご言っていることだけだった。
タキオンは、何も質問しなかった。それをしてはいけないだろうということを察したからだ。その代わりに、タキオンは田上の首に一度抱き着いた。そして、万力込めて愛情を表現してから、こう言った。
「さぁ、また心拍数を測ろう」
田上は、深く考え込むようにしかっめ面をしながら、自分の丸椅子へと座った。その後、十分くらいタキオンに拘束されたが、やがて解放された。
なんだか自分がいいように使われただけの気がしてならなかった。タキオンの寂しさを紛らわすだけなんてことは、田上が望んでいるようなことではなかった。しかし、最後に抱きしめてきた時のタキオンの満面の笑みを思い出すと、それも泡と消えるような気がした。
複雑な心境だった。好きな人に利用されるということは、耐え難いことだった。それでも、田上はタキオンが好きだった。この上なく好きだった。どうしても好きだった。ただ、それを信じることはできなかった。好きであるという事実が、どうしてもこの胸で揺らいで離れないでいるのに、信じることはできなかった。
愛という得体の知れないものに振り回されているというのに、田上は振り回されてることに気付きもしなかった。田上は、愛という天使と悪魔の両面の顔を持つ者に気付くことができるだろうか?残念ながらそれは分からない。
しかし、田上の心の奥底にある『愛』は嘘などついていなかった。
研究室に残っていたタキオンは、不図、部屋を仕切っているカーテンが揺れ動くのを感じて、後ろを振り返った。しかし、そこには誰もいなかったから、勘違いかと思ってまた前を振り向くと今度は確かにカーテンが動いた音がした。
振り向くと、カフェがカーテンの影に立っていて、手招きをしているのが見えた。タキオンがつけた電灯を眩しく思っているのか、その目は細められていた。そうすると、カフェはタキオンが動き出すのを見もしないでカーテンの奥に行き、見えなくなったから、タキオンは不思議に思って椅子を立った。カフェが、タキオンを呼ぶなんてことそうそうあることじゃなかったからだ。
タキオンは、すたすた歩くと、カーテンを捲り、その奥を少し恐る恐る覗き込んだ。中の様子は、タキオンが最後に見たものとほとんど変わらなかった。一つだけ違う点があるとすれば、松浦がいなくなっていたことだけだった。だが、松浦がいないことはこの部屋では基本的に当たり前のことなので、タキオンはきょろきょろ探すなどという、無駄なことはせず部屋の中へと進んだ。
カフェは、部屋の片隅に立てかけてある全身鏡を見つめながら、タキオンを待っていた。タキオンは、その後ろ姿に話しかけた。
「君から用があるってのは珍しいねぇ。…何かあったのかい?」
「…何かあったのはタキオンさんの方だと思うんですが」
カフェは、静かにそう言って、タキオンの方に振り向いた。金色の瞳が、照明に反射して怪しく揺れた。しかし、黒く長い前髪が揺れてその瞳の片方をすぐにタキオンから見えないようにした。
タキオンは、そんなことには気付かずにこう言った。
「私が?…何かあったつもりはないんだけどね」
「いえ…、ほら、何かあったでしょう?…例えば、男女の関係とか何とかで」
「……男女の関係?色恋ってことかい?…それなら、全く思い当たる節はないのだけれど」
タキオンがそう言うと、カフェも声こそ出さなかったが目を丸くして驚いた。そして、言った。
「…あなた、田上トレーナーとどこかに遊びに出掛けたんでしょう?その時に…」
「君まで私たちのことをカップルって言うのかい?そんなことは向こうで散々言われたよ。今更それで私を煩わせないでくれ」
「でも…」
「『でも』でも『鴨』でも、私はそんな話題で君と話したくないね。そのことを話すんだったら、私は研究室の方へ帰らせてもらう」
「…では、一つだけ教えてください」
カフェの言葉に、タキオンはしかめっ面になりながらも「なんだい?」と聞く優しさは見せてくれた。
カフェは言った。
「あなた、先程田上トレーナーにハグされて、――気持ちいい、とか言ってましたが、そこに好意はないんですか?」
カフェによるタキオンの悪質な物真似に、タキオンは難色を示したが、こう言い返した。
「ないね」
「なぜ?」
「二回目の質問だ。それ以上は受け答えない」
「なんで、あなたはハグをしたがったんです?私は、――君とハグがしたい、と言うのを聞きましたよ。これは好きだからなんじゃないんですか?」
カフェが問い詰めるように早口で捲し立てると、タキオンも嫌になって怒り出した。
「うるさい、うるさい!私がどうしようと、私の勝手だろ?例え、トレーナー君とどこかへ行こうったって、君が探っていい了見はないはずだ!私だって君の色恋を探ろうとは思わないはずだ」
「それは嘘です」とカフェは冷静に指摘したが、それが逆にタキオンを逆撫でした。
「ああ、探らないとも、金輪際一生探らないから、私のことも探らないでくれ!」
タキオンは、そう言うと、カーテンを乱暴に開け、乱暴に閉め、向こう側へと消えていった。しかし、そこにもカフェはついてきた。
「では、あなたは田上トレーナーに女の人ができても、全く問題はない、と仰るんですね?」
「それとこれとは別だろう?…それに、しつこい人には私はあまり話したくはない」
「…では、田上トレーナーにそのように伝えておきます」
カフェは、カーテンの裏側に消え去ろうとしたが、今度はタキオンが慌てて聞いた。
「そのようにってどのようになんだい?…そもそもそんなこと伝えてくれる必要はないだろうに」
「…田上トレーナーに恋人ができても問題はないとタキオンさんが言っていた、という風に伝えておきます」
「おいおい、私が言ったことと全然違うじゃないか。それとこれとは別だって!」
「…では、どのように?」
カフェがそう聞き返したところで、タキオンには自分に逆らう術がないことを知った。タキオンがここでカフェと話すのをやめれば、あることないこと言われるのだろう。タキオンは悔しそうに、歯ぎしりをした後言った。
「カフェがこれ程までに意地悪だとは思わなかった。…なぜ、そんなに興味があるんだい?君には関係のないことだろ?私とトレーナー君の関係なんて」
「…なんとなくです」
カフェは、フフフと楽しそうに笑みを浮かべて、それから「どのように別なんです?」と聞いた。
「私の家族…みたいなものだよ。言うなれば、モルモット、言うなれば、おもちゃだ。勿論、そこに君が言うような好意はない。あるとすれば、家族愛みたいなものだよ。……父親のように思う気持ちもあるね」
タキオンは、そう言葉を切った後、不機嫌そうな顔にし「なんでこんなことを君に話さなくちゃならないんだ」と呟いた。
カフェは、その言葉を無視してタキオンにこう言った。
「あなたは父親にハグを求めるのですか?」
「…今は求めないさ。トレーナー君だからできてるんだよ」
「なぜ?」
カフェにこう聞かれると、タキオンは躊躇ったが、結局は言った。
「…寂しさとか、…そう言うのだよ!胸に溜まったものをトレーナー君に解消してもらっているだけさ」
「そこに、本当に好意はないんですか?」
「ない!…分かったら、さっさと帰ってくれ。暫く私を一人にしてくれ」
タキオンが、そう言うと、カフェとしてはまだ深堀したかったのだが、できなさそうと見ると諦めてカーテンの裏に隠れた。
カーテンの裏に隠れると、自分がいつも座っているソファーにカフェは腰を下ろした。そして、タキオンがさっき言っていたことを考えていた。
――家族愛みたいなものだよ。
カフェは、タキオンが旅行に行っていたことを知っていたが、それは行くと聞かされていたのではなく、姿が見えなかったからどこか帰省にでも言っていたのだろうと思っていた。それが、まさか自身のトレーナーと旅行に行っていたものだとは思いもしなかった。カフェは、そこでなにかあったのだろうと予想をつけた。ニュースを毎日確認していれば、タキオンたちが病院に担ぎ込まれたことをカフェは知っていたのだろうが、生憎それはカフェの知るところではなかった。
カフェは、そこでタキオンが田上の事を好きになったと思ったのだが、二人の距離は縮まっただけで恋人同士にはなっていなかったようだ。田上の方が、タキオンのことを好きだということは、カフェは確実なことだと思っていた。本人の口から聞いたことはなかったが、タキオンの事を見る目が、恋をしている中学生そのものだった。これは、カフェでなくても気付いているように思う。二人をパッと見れば、男の方が想いを寄せていることは、余裕で気付けるのだ。これに気付けない人がいるとすれば、当の本人かよっぽどの鈍感だけだろう。(つまり、当の本人はよっぽどの鈍感)
カフェは、空になったマグカップを見つめた。底の方には、一筋の黒い流れが見えた。それを見つめながら、田上の事も思った。先程、見つめ合った時のできごとだった。田上は、確かにカフェの目に惹かれていた。カフェの目に連れて行かれそうになっていた。カフェ自身も自分の目が吸引力を持っていたのを感じたが、それはカフェがしようと思ってしたことではなく、また、自分の霊と関わりのある事でもなかった。
カフェには、自身が『お友達』と呼んでいる、仲がいいんだか悪いんだか分からない幽霊が近くにいて、それになぜか気に入られているようだったが、今回はその幽霊が引き起こした出来事ではなかった。むしろ、その幽霊は田上、またはカフェをも助けたのだ。あそこで、カーテンが引かれ太陽の光が入ってこなければ、カフェにもどんな不思議な出来事が巻き起こったのか分からなかった。元々、この部屋は不思議で危ないもので満ちているのだ。タキオンが、持っている怪しい化学薬品などではなく、カフェすらも見る事のできない怪しい気配でこの部屋は満ちていた。
タキオンが来る前がどうだったのかは分からないが、使われなくなった教室であることを見るに、恐らく何かあったのだろう。タキオンのお守り役としてこの部屋を使えと言われた時には、カフェも嫌な顔をしたが、この部屋を見た途端気が変わった。霊を見れるものが見てしまえば、この部屋にいるのは自殺行為だった。ただ、カフェにはそういう悪しきものを大人しくさせる能力、というよりも効果があったから、カフェとしては安全だった。だが、タキオンはそうではないだろう。そもそも化学薬品を扱っているという手前、いずれ事故でもなんでも起こしてしまいそうだったから、カフェはこの部屋を二つに分け、自分の場所を確保した。
そうして、ここまで来たわけだが、今日は突飛なことが起こった。今まで起こらなかったことだった。不思議なことなど、お友達の幽霊が物を動かしたりする以外は、起こるはずのないことだった。それが、田上によって引き起こされた。田上によって持ち込まれたのか、それとも、この部屋のモノが活性化したのか分からなかったが、とりあえず、田上に嫌なことが起きようとしているのは確実だった。
それを警告した方がいいのかどうかには、まだ情報が足りなかったが、とりあえず、カフェは空のマグカップを置いて、外に出た。暗い廊下が、人を吸い込むように伸びていた。しかし、カフェはそれに臆することなく歩き続け、見えなくなった。再び見えるようになったのは、まだ人がいる教室から漏れた明かりに照らされた時だった。
帰省編はこれにて終了です。次週からは大阪杯編です。普段からご愛読くださっている方々、本当にありがとうございます。