ケロイド   作:石花漱一

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十一、ダイワスカーレット②

 ラケットを持つと、二人はコートの上に歩いて行って、煽りながら笑い合った。

 霧島がこう言った。

「おい、田上。助っ人が必要なんじゃないか?アグネスさんを呼んで来いよ。お前一人じゃ勝てないぞ。なんせ、俺はウマ娘並みの薬を手に入れたんだからな」

「いやいや、俺も飲んだぞ。見ろ!このふくらはぎを!」

 田上はそう言って、自分の右足を突き出してパァンと叩いた。タキオンが、点数板の横でクスクス笑ったのを見ると、田上もニヤリと笑った。

 そして、霧島が言ってきた。

「お前の教え子にかっこいいところを見せたいか?…残念ながら、それは無理だ。お前は今から俺にボコボコにされる」

「やってみなきゃ分からないだろ?俺は、今、薬を飲んで最高に体が軽いんだ」

 田上はそう言って、軽く飛び跳ねて、自分の調子の良さをアピールした。実際に、普段の田上より軽々とさらに高く飛んでいた。それに霧島は少し驚いたが、自分も田上の真似をして軽く跳ねると、ニヤリと笑った。そして、言った。

「俺もお前ほどに高く飛べるよ。しかし、バドミントンの実績はどうかな?お前は俺には勝てない。諦めるんだな」

 霧島がそう言うと、田上がこう言い返し、戦いの火ぶたが切って落とされた。

「ごちゃごちゃ言ってる時ほどつまらないものはないな。貴様のその傲慢な口塞いで見せるわ!」

 田上はそう言って、自分の手に持っていた羽を高く放り投げ、そして、打った。羽(シャトル)は、大きく弧を描き霧島の方に伸びていった。いい感じに啖呵を切った割には、緩やかな球だった。すると、二人の猛合戦が始まった。霧島が、いきなり飛んで強く打ち返したからだ。田上は、それに反応すると、掬い上げるように打ち返し、相手の陣地のネットのすぐ近くを通るようにした。霧島は、それに反応しきるには少し距離が遠いかのように見えたが、目を見張るような速度で動くと、田上の球を何とか掬い上げ、また向こうの方に返した。今度は、田上の番だった。霧島が、打ち返した球を、飛んで勢いよく打った。霧島のその時の体勢は不安定なものだったから、田上の球に追いつけないかに思えたが、なんとかその球を打った。しかし、ひょろひょろと打ちあがった球は、ネットを越えず、さらに霧島もその球を打った時に地面に倒れ伏してしまったので、例えネットを越えたとしても次の田上の球を打ち返すことはできなかった。

 ベンチと点数板の方から拍手が上がった。皆、呆然として二人の合戦を見ていたようだった。最初は、まばらな拍手だったが、時が経つにつれそれは確かなものとなり、田上を称賛する声が聞こえた。タキオンまでもが、最初のうちは呆然としているようだったが、やがては顔に笑みを浮かべてこう言った。

「君、案外動けるじゃないか。運動音痴というわけじゃなかったんだな」

 タキオンにそう言われると、田上は嬉しかったのだが、息をするのに精一杯でにっこり笑って頷くことしかできなかった。しかし、まだまだ田上は動けそうだった。立ち上がった霧島からシャトルを受け取ると、球を放つ位置を移動し、霧島が待機する姿勢に入ってから打った。今度も鳩谷も国近も田中も到底及ばない、壮絶な戦いが始まった。シャトルは、常に両陣地を行き来し、白い影となって網の上に伸びていた。一点、また一点と入るうちに、時間はどんどん過ぎていき、丁度十一点を巡って二人が争っていた時だった。

 田上の動きが不図止まった。その目は点数板の方に注がれていた。霧島の放ったシャトルは、床にポロリと落ち、コトンと音を立てて転がった。その場の誰もが、何が起こったのかと思って田上を見たが、田上が点数板を見ていると思うと、自分たちもその方に頭を巡らせた。そこには、ぐったりと点数板に寄りかかっている具合の悪そうなタキオンがいた。その隣には、田中がいたのだが、タキオンの具合が悪そうなことに初めて気が付いたようだった。しかし、ここで田中を責めることはできないだろう。皆、試合に夢中になっていたのだ。田上だってそうだった。タキオンは、田上が九点を入れた時から具合が悪そうだったのだが、しっかりと点数を変えてはいたので誰もしかと見とめようとはしなかった。

 田上は、タキオンの方に駆け寄って、心配そうに言った。

「…おい、タキオン、大丈夫なのか?」

 そう言って田上は、タキオンの肩に手を置いたが、その手はタキオンの熱を持った手によって払われた。田上は、その手の熱さに驚いた。ウマ娘というのは、普通の人より体温の高いものだったが、それにしても熱すぎた。ただ、その時にタキオンがこう言ったから扱いに困った。

「私のことはいいから、試合の方を続けておくれ。実験はまだ終わっていないのだから」

 そうは言ってもタキオンを放っておくことはできなかった。そのうち、ベンチに座っていた鳩谷も国近もなんだなんだと近寄ってきたので、タキオンは自分よりも背の高い五人の男に囲まれた。なんだか、タキオンに威圧感を与えてしまっているようだったから、田上は不安になって一歩進み出て言った。

「タキオン、お前はとりあえず安静にしないと。……薬の副作用なのか?大丈夫か?…死ぬことはない?」

 タキオンの手を引いてベンチの方に歩いて行くと、タキオンが頷くのが分かった。その後ろに、少し心配そうな顔をした国近が一緒についてきた。だが、タキオンがさっき言ったように、放っておくということはしないでひとまず田上はタキオンを座らせて、自分もその横に座った。タキオンは、田上の肩に持たれて、ぐったりとしていた。

 霧島が、近寄ってきて「アグネスさんはどうなんだ?大丈夫なのか?」と聞いてきた。タキオンは、その時には田上の膝を枕にして、辛そうに息を荒げていた。田上は、分からないといった風に首をかしげて、それからタキオンを見た。額に大粒の汗が浮いていて、顔を熱で赤くして、見るからに辛そうだった。あまり置いていきたくはなかったのだが、タキオンが少し強くこう言ったから、田上も仕方なしに立ち上がった。

「私は、本当に大丈夫だから!君の友達のうち誰か一人を見張りにつけておけば、急に死んだりすることもない。…だから、もう少し実験の結果を見させてくれ。…本当に、熱以外はすこぶる順調だ。……行ってくれ!」

 タキオンは、田上の体を無理に押した。今は、ウマ娘と同じくらいの力を持っているので、それごときで敗れる田上ではなかったが、国近が「俺が見とくよ」と言うと、仕方なしにコートの方に戻った。

 

 それからは、田上にとって散々な試合になった。田上の超人的な集中力が途切れたのだ。タキオンの様子が気になって気になって仕方がなく。球を霧島の方に打ち返す度、タキオンの方を盗み見ようとして、返ってきた球をぎりぎりで打ち返して、そして、点を入れられる。このようなことが数回続いて、あっという間に田上は負けた。しかし、田上はそのことを悔しがりもしないで、試合が終わると手に持っていたラケットをすぐさま地面に置いて、タキオンの方に近寄っていった。

 タキオンは相変わらずだったが、田上がベンチの方に帰ってくると力なく「おかえり」と言った。そして、こう続けた。

「いい感じだったよ。…もう君は続けないのかい?」

「ああ、コートは一つしか借りてないからな。…それに、お前の事が心配で試合に身が入りそうになかったし」

 タキオンがフフフと笑った。

「見てごらん。次は、霧島君と鳩谷君、田中君…だっけ?あの小さい人。…の二人対一人だそうだ。…それでも勝てないだろう。……さっきの君の動きは、とても良かったぞ。もっとも最後の方は、見ていられなかったが。…私のことはいいって言ったろ?」

「そう言われて、はいそうです、って答えるやつは、いくつもの戦場を潜り抜けて気の狂ったやつか、それとも、元からヤバい奴かのどちらかだよ」

「なんだい?その例えは」

 タキオンが、息を苦しそうに吐きながら小さく笑ったから、田上は自分もベンチに座るとこう言った。

「俺の太ももに頭を乗せたらどうだ?……首の高さが合わないかな?」

「いや、ありがとう。存分に使わせてもらうよ」

 タキオンは、そう言って田上の太ももに頭を乗っけた。その時にタキオンが足をベンチの上にのせて伸ばそうとしたから、国近が邪魔になった。ただ、タキオンが「どいて」と言ったその時に国近が点数のカウント係として呼ばれたから、国近が無理にどかされることなく、タキオンは足を伸ばすことができた。その様子を見ていた田上が苦笑しながら言った。

「国近だって、お前のことを心配してたんだぞ。…それを、どいてって…」

「うるさい。あんまり言うと拗ねるよ。……何しろ、頭がぼーっとするんだ。少し頭痛もするかな?……とりあえず、もう目は開けない。…だけど、そうしてるだけじゃつまらないから、話をしようね」

「…話って?」

 目を瞑ったタキオンに聞いたが、タキオンの反応は今一つだった。

「…話だよ。…ほら、君、何か言ってみたまえ」

 タキオンがそう言うと、田上は暫く考えた後に言った。

「…霧島の方はもう見なくていいのか?」

「……んん、…別にもう君の活躍も散々見たし、いいかな」

 もう目を閉じたタキオンがそう答えた。そして、話を変えて続けた。

「……それにしても、君が一番弱かったって本当かい?私にはどうもそうは見えなかったぞ」

「…それは、俺も驚いてるよ。別に俺も中学高校のときとか運動神経悪い方ではなかったからあれなんだけど、それでも霧島とかあいつらと比べると俺の運動音痴っぷりが輝いていたから、俺の運動神経も失われたものとばかり思っていた。…だけど、案外いけるもんだね。タキオンの薬のおかげだけど、久々にあんなに動けたよ」

 ここで田上は、少しばかりの礼を言った。すると、タキオンはこう返した。

「礼には及ばないよ。別に君を強くしてやろうと思って、やったことじゃないんだから。…君が強くなったのはついでだよ、ついで。だから、私に礼を言うんじゃなくて、自分を褒め称えてやるべきなんじゃないか?……それに、私は思ったのだけど、君にもっと運動負荷を与えてやれば、ウマ娘並みとはいかずとも、それこそ霧島君並みに動けるようになるんじゃないのかい?」

「そんなことしたってしょうがないだろ?俺は、運動は嫌いなんだ」

「おや、驚いた!それは、初耳だ。…それなら、なぜウマ娘のトレーナーなんかになったんだい?中央トレーナー資格が必要だから、おいそれとなれるようなものじゃないだろう?」

「……別に、運動は嫌いだけど、見るのは嫌いじゃないよ。実際、俺はお前の走りを見るのが好きだし」

 タキオンが、パチリと目を開け「照れるねぇ」と口を挟んでから、また目を閉じた。それに、田上は苦笑しながらこう言った。

「トレーナーには、いつなりたいって思ったかなぁ?………あれだ。あの録画した番組をテレビで見た時からだ」

「…どんな番組なんだい?」

「なんか、中央のトレーナーの特集をしてたんだよ。それで、ウマ娘のトレーニングを指導している風景とか、トレーニングメニューに悩んでいる風景とか。……その人の担当しているウマ娘は、もう三年目で実績も出せずにこのまま契約が解除されていくだけだったんだ。俺たちも実績が出せなかったら、そうなっていたかもしれない契約内容だからな。…今のところはもう大丈夫だけど。……そして、最後のGⅢのレースがやってきた。そのウマ娘は、走りに走った。今まで注目されてこなかった舞台だ。テレビにたまたま取材されて、最後のレースで少し緊張しているようだった。だけど、走りに走った。俺は、もうその子以外見えなかったよ。一着がゴール板を抜けた。二着がゴール板を抜けた。三着が、……その子だった。今となっては、もう名前は覚えてない。…何だったかな?最初の文字が『ノ』から始まってたかな?……まぁ、そんなことはどうでもいいけど、ゴール板を三着で抜けきったその子は肩を落として、トレーナーの所に戻った。GⅢを三着と言ったら、それは凄いことなんだぞ。GⅠを二つも獲ったお前には分からないかもしれないが。……テレビのスタッフもその子の控室について行っていたけど、何も言えなかった。…言える雰囲気じゃなかった。その子の初の快挙、初の掲示板内だったけど、トレーナーもその子もただこの先の別れしか見ていなかった。そのうち、その子はさめざめと泣き出したよ。――トレーナーさんに一着を獲って上げたかった、って。ちなみに、そのトレーナーはその子で担当するのが二人目だったんだけど、一人目は怪我で早々に引退してしまったんだ」

 その時にタキオンが、自身の熱で苦しそうに唸ったから、田上は「大丈夫か?」と声をかけた。すると、タキオンが「頭を撫でながら話してくれ。…二つに割れそうなくらい痛い」と言ったから、田上は自分の荷物から一応持ってきておいたタオルを取り出すと、タキオンの額の汗を拭いながら「話すのを止めようか?」と声をかけた。

「……その話が終わるまで続けてくれ」とタキオンが、唸るように言ったので田上は話を続けた。

「トレーナーは俯いて、ただ静かにその子が泣くのを聞いていた。時々、テレビって下から本人の顔を映そうと覗き込むだろ?その番組のスタッフは、それをしなかったなぁ。多分、皆その場の雰囲気に飲まれちゃったんだよ。カメラマンは、ただ、二人の事を交互に映していた。……そのうち、その子の涙が落ち着いてくると、トレーナーの方が声を出した。――ありがとう、って。…字幕がないと分からないくらいぼそぼそした声だった。すると、その子は驚いたような顔をして顔を上げた。…あの顔は、映してほしく無かったろうなぁ。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていたから。今、本人が見たら消してくれと頼むくらいだな。……そして、顔を上げたその子だけど何も言わずに、トレーナーを見てた。言えなかったと言ってもいいな。大きな声で泣いてたから、息が荒かった。それから、トレーナーがまた言った。――俺に夢を見させてくれてありがとう、って。今度は字幕がなくても聞こえる声だった。すると、またその子が何も言わずに泣き出したんだけど、トレーナーは立ち上がるとその子の背を優しく叩いて慰め始めた。次の時間には、ウイニングライブがあった。負けても胸張って、ファンのために踊らないといけないと思うと、なんだか少し可哀想になるけどその子は泣き腫らした目もメイクで何とかして舞台に立ったよ。センターじゃなかったし、踊りもそんなに上手くなかった。だけど、これまでの経緯を見てたら、一番輝いているように見えたよ。……そして、二人は別々の道に立ち、新たなスタートを切った。…特に、これと言って特徴的な物でもないけど、俺はそれが凄く面白そうに見えたから、ワクワクして、俺もトレーナーになって困っている、助けを求めている人に手を差し伸べたいって思ったんだ。……それが、成功しているかどうかは別だけど…」

 田上は、そこで話を終わらせて、太ももの上のタキオンの顔を見下ろした。苦しそうに唸りながら、眠っているように見えた。田上は、声をかけようとも思ったが、ここで眠りかけのタキオンを起こしてしまっても申し訳ないから、何もしないで体育館のベンチの後ろにある壁に背をもたれさせて、バドミントンの試合を眺めた。丁度、霧島が点数を入れたところだった。薬の効果は十二分に現れているようで、シャトルが一筋の線となって床に叩きつけられていた。「ぬわー!!」と田中の悔しがる声が聞こえた。あまり試合は見ていないが、田中のああいう声がずっと聞こえてきていたから、負けているのだろうということは分かった。霧島が得意げに笑っているのが聞こえた。鳩谷が、田中に何かを耳打ちしていたが、あれは作戦を考えているのだろうか?――どっちにしたって勝てなさそうだけど。田上は、そう思って、顔をタキオンの方に戻した。額に汗をびっしりと浮かばせていた。相変わらず、苦しそうに唸っていたから、田上はまたタオルで汗を拭きながら額を撫でた。長い前髪を器用に避けて拭きながら、タキオンの顔を眺めた。すると、何か言いたくなって口を開いた。出てきたのは、子守歌だった。しかし、田上が作詞作曲したオリジナルの物。田上が適当に歌っているだけだった。

 田上は、タキオンの顔を見つめながら、歌い続けた。国近は、その声を点数板の横で聞いていたが、何も聞いていないふりをした。後ろは二人だけの世界だった。そこに自分が無作法に介入してしまっては、田上を酷く動揺させてしまうだろうということが分かった。ただ、それでも後ろで勝手に二人だけの世界を作られてしまっては、気になって仕方ないので、田上が早く歌い終わるように望んでいた。

 田上が、適当に作った歌は、タキオンをなだめるための歌だったが、同時に自分をなだめる歌でもあった。そのことを自分で理解はしていないが、自分の言葉を聞けば、田上はどこか落ち着けた。

 その言葉の内容は、こんなものだった。

 

 

  眠れ 眠れ アグネスタキオン 

  額に汗を浮かべようとも

  

  眠れ 眠れ アグネスタキオン

  傍にはトレーナーがついている

 

  眠れないというのなら 

  子守歌を歌って聞かせよう

 

  ある日の蒸し暑い午後

  畳の上で母さんに聞かせてもらった子守歌

 

  布団ほどに快適な眠りではなかったけれど

  母さんと夢の世界に行く幸せな眠り

 

  眠れ 眠れ アグネスタキオン

  お前はまだまだ子供だから

  大人の階段を上っていたとしても休憩しないといけないよ

 

  頼りになる相棒がお前の心の中にいるのなら

  それに頼ることを躊躇わないで

 

  いつかお前が旅立つその日まで

  母さんは子守歌を歌う

 

 

 田上は、変な抑揚をつけながら、時々歌詞を考えるように口を止めて、長々と歌い切った。国近はそれを聞いていて、笑いそうになったが、それはしなかった。さすがに親しき仲と言えどそれくらいの礼儀はあったし、また国近も田上の歌を少し良く思ったからだ。国近は、目の前のバドミントンの試合を見ながら、自分の過去を振り返った。自分にもそういう過去があったような気がした。洗濯物を畳んでいる母さんの横で、夏の暑さに唸りながら、それでも寝ようとした時が。あまりに朧げで儚げな妄想でしかなかったが、国近はその光景を思い出し、大きく息を吸い込むとはぁ~と大きなため息を吐いた。そして、堪え切れず、後ろを振り向くと田上に言った。

「お前、歌の才能あるんじゃないか?」

 田上は、聞かれているつもりがなかったから、顔を真っ赤にして「そうかもな」頷いたが、声も震えていたし顔も熱を帯びている自覚があったため、その後にごまかすように咳を吐いた。そして、丁度その時試合の方でまた霧島が一点を決めて、田中が「ぬあー!!」と声を上げたので、国近の注意が逸れた。田上は、大いにほっとして、自分も試合の方を眺めた。国近が「ラスト一点」と言っていたので、もう終わるころなのだろう。田上は、もう一度試合に望んでみたくなったが、薬の副作用で光っていた腕は、もう微かにしか光っていなかったので、それをするのは諦めた。タキオンの薬がなかったら、ボコボコにされるのは田上の方だったからだ。だから、田上はもう一度タキオンの汗を拭き、霧島が一点を入れるのを眺めた。

 

 試合はすぐに終わり、それぞれが一旦休憩となった。国近が試合をしたそうに田上の方を見ていたが、田上は敢えてそれを無視したというよりも、霧島が話しかけてきたので、それに反応を示さなかった。霧島は、汗をたくさん掻いて上着も脱いだようだった。田上の隣に座ると、楽しそうにこう言った。

「アグネスさんの薬、すごいなぁ!…あんなに苦くなければ。…それでいて、副作用も腕と足がぼんやり光るだけだろ?……寝てるのか?」

 ここで霧島が田上の太ももを枕にして、静かに寝ているタキオンに目をやった。タキオンの眠りは、大分穏やかになっていた。田上の歌が、効いたのかどうかは知らないが、田上が歌い終わると途端に息が落ち着き、穏やかな眠りとなった。

 霧島の言葉に田上は黙って頷くと、霧島も「なら、静かにしとかないとな」と小声で言った。そして、こう続けた。

「それにしても、お前ってあんなに強かったのか?…正月になんかした?」

「…薬のせいだよ」

「薬って言っても、俺とお前は同じ物を飲んだわけだろ?なのに実力差はめちゃくちゃ縮まったじゃん。…多分、あのまま田上の気が散らされないで最後まで続けられてたら、俺も負けてたぞ」

 田上は、得意気に少し頷いたが、何も言葉を返さなかった。だから、霧島はゆっくりと目を逸らして、立って次の試合を今か今かと待機している国近に言った。

「…いや~、凄かったよな。…なぁ?」

「え?…ああ、凄かったよ。……だけど、俺も二人のどっちかと戦いたいんだけど」

 霧島がハハハと申し訳なさそうに笑った。

「残念ながら、薬の効果が切れてきたみたいなんだ。……なんかさ、筋肉痛?みたいなのしない?薬の副作用じゃないよね?」

 霧島は、話の途中でまた田上の方を向いて言った。確かに、霧島の言った通り田上にも筋肉痛の様なものがあるような気がした。田上は、不思議そうに自分の腕を触りながら言った。

「確かに、腕がなんか痛いわ。そりゃ、あんだけ動けば、筋肉痛にもなるだろうけど、…この場合どうなんだ?ウマ娘並みの速度で動いた代償が来るのか、それとも、普通の運動不足に来る筋肉痛が来るのか、どっちなんだ?」

 霧島もまた、田上に倣って自分の腕を触って「どっちなんだろうなぁ…」と呟いた。

 その様子を見ながら、国近はやきもきしていた。

「じゃ、じゃあ、もうできないのか?」

 二人の話の間に割り込み、そう聞いた。すると、田上と霧島は顔を見合わせて、それから、また国近の方を見て言った。

「できない」

 途端に、国近は「カー!!」と悔しそうな声を上げた。

「俺だけ、二人とできなかったのかよ!……あ~あ、やってみたかったよ」

 国近がそう言うと、横からまだ息を荒げている田中がこう口を挟んだ。

「ムリ。絶対ムリ。…ありゃあ、勝てねぇわ」

 隣で鳩谷が賛同するように、水を口に含みながら頷いていた。すると、国近が尚の事悔しそうな声を上げて言った。

「え~、それならもっとやってみてぇし、それに、お前らも何回か点は入れてただろ」

「それは、霧島のミスが重なったときで、さらに俺たちは二人でしてたからな。ぎりぎりで戦えてたこともあったよ。…だけど、一人じゃさすがにボコボコにされるだけだろ」

 国近は、不満そうな顔をしたが、それ以上言うことがなかったから「誰かラリーしよう」と声をかけた。鳩谷がそれに応えて、立ち上がった。

 

 笑い声と共に白い羽がふわりふわりと跳ねていって、体育館の中を舞った。そのうち、田中が立ち上がって、「俺もする!」というのが聞こえた。霧島と田上は、座ったままそれを眺めたが、田上には段々と筋肉痛がひどくなってきたように思えた。特に、薬の副作用で光っていた部位が。――これは、本当にただの運動不足の筋肉痛だろうか?筋肉が裂けるように痛むが、それを真顔で我慢しながらそう考えた。冬だというのに、大粒の汗が流れてきた。筋肉痛は段々と酷くなっていく一方だった。

 そして、とうとう堪え切れなくなって、霧島にか細い声で言った。

「……お前、筋肉痛どうなった?」

 霧島の声も少し焦りの滲む声になっていた。

「……痛い」

「…そうだよな。……薬のせいかな?尋常じゃないくらいに痛むんだけど」

「アグネスさんの頭を乗せてるから余計に痛むんじゃないか?」

 霧島が、安らかに眠っているタキオンの顔を見ながら言った。

 二人は、その会話をしだすと、どうやら痛みが酷いのは自分だけじゃないということが分かった。しかし、だからと言って、安心して痛みが引くことはなく、痛みを自覚することによって余計に痛むような気がした。

 霧島は、しきりに自分の体を擦って、痛みを和らげようとしていた。田上もそれに倣ったが、あまり大した効果はなく、やっぱり腕と足を中心に痛みは増していった。


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