ケロイド   作:石花漱一

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十五、命日①

十五、命日

 

 冬も少し収まりが付いただろうか?少なくとも、田上の引っ越しは収まりがとてもよかった。バレンタインの次の日曜日には、タキオンとマテリアルが駆けつけてくれて、田上の荷物を上の方まで運ぶのを手伝ってくれた。部屋から見える景色は、一階から見えるものと違い、まるで高いマンションの最上階まで来たようだった。それは、少し言い過ぎかもしれないが、田上にとってそれくらい嬉しい事だった。しかし、数日もすればそれも飽きた。飽きこそしたが、やっぱり一階の部屋の時より、人の足音という物が聞こえなくなったので、田上には楽だった。来客の頻度は、あまり減ったようには思えなかった。タキオンも来る時には来たし、その他田上の友人たちも来る時には来た。その上、マテリアルもスマホで連絡して聞けばいいのに、わざわざ田上の部屋まで訪ねて、「ここのこれはどうどうこれこれですね?」と質問してくるから、田上は参ってしまった。訪ねてくる客が一人増えてしまった。だが、まあまあ、それさえ見過ごせば、いい部屋になったのだろう。田上にとっては、静かになったのが、何よりの喜びだった。

 

 二月は、タキオンも田上も忙しく過ごした。ご飯の量を調整して体重管理をしたり、日頃のトレーニングをしたり、努力を地道に地道に重ねて行った。勿論、タキオンにはダンスレッスンもあった。ウマ娘におけるウイニングライブが何を指すのか、田上には分からなかったが、タキオンに聞いてみても「分からない」と答えられた。

「ただ、私たちは、歌って踊って人を笑顔にできるのなら、それをするだけさ」と言った。田上には、それがますます分からなかった。と言うのも、田上が思う普段のタキオンのイメージとはかけ離れている発言だったからだ。人を笑顔にしたいだなんて、タキオンが言うとは到底思えなかった。その事をタキオンに行ってみると、タキオンはハハハと笑ってこう返した。

「私にも分からないねぇ。そもそも、ウマ娘自体が何のために生まれてきているのかが分からないんだ。人間のようでありながら、ある種人間とはかけ離れた異質な存在。それが、ウマ娘だ。その生まれてくる条件も定かでない今、私たちは自分たちが何のためにいるのか問わなければならない。戦後になってからウマ娘の数は、年々減少して来ているんだ。最近は、横這いになっているらしいけど、それでも少しずつ少しずつ下がってきている。昔は、たくさん居たそうだよ?しかもその多くは、レースなんかを志さずに、自分たちの力を使って農耕を主に手伝っていたそうだ。…科学技術の発展なのかどうかは分からない。…ウマ娘自体が、分からないことだらけだからね。…もしかしたら、ウマ娘はこのまま世界から消えて行ってしまうのかもしれないけど、…そうなったら少し寂しいね。あんまり楽しそうな世界じゃないよ」

 田上は、それに同意して頷いた。

 

 それから、三月に入った。三月に入ると、田上は今年も母を偲びに命日の日に家に帰る事をタキオンに告げた。去年も同じことをしたので、タキオンも理解はしていたはずだが、今年は「私も行きたい」と少し駄々をこねた。だから、田上はこう言ってタキオンを諭そうとした。

「一日で帰って来るし、あんまり長居もしないから、タキオンが来たってしょうがないだろ」

 それでも、タキオンは諦めようとしなかったのだが、マテリアルと二人がかりで静めようとすれば、タキオンも諦めた。しかし、恨めしそうにこう言った。

「来年こそは行ってやるからね。六泊七日だ。六泊七日で行ってやるからね!」

 田上は、はいはいと適当に相槌を打って、駅の方へ出た。すると、タキオンもついてきた。どうやら、駅まで見送るつもりらしい。仕方がないので、田上はタキオンを横に話しながら、駅へと向かった。

 

 駅に着くと、二人は改札の手前で別れた。別れの時は、タキオンが名残惜しそうに田上の指先を握ってこう言った。

「絶対に帰ってきてくれよ。私は待っているんだから」

 田上は、「ああ」と頷いた。それから、改札の方に行くと、振り返ってタキオンの方を向いて言った。

「心配しなくても俺は必ず帰って来るから」

 日曜日の人の波が、タキオンを隠れさせた。しかし、田上にはしっかりとタキオンが微笑んだのが見えた。そうやって、二人は別れた。半ば田上が人の波に押し流されて、不本意なものではあったのだが、あの笑顔が見えたのならいい別れと言えたのではないだろうか?少なくとも、変にタキオンが駄々をこねたりしない、潔い別れであった。

 田上は、電車に乗った。タキオンは見えなかった。それが、少し寂しくもあって、窓からずっとタキオンを探していた。すると、電車が徐々に速度を上げていく線路の横の道にタキオンが見えた。タキオンの方からは、田上が、見えなかったようだ。必死に電車の中を探しているタキオンの顔が、切なそうで面白かった。暫くは、電車の中でその顔を思い出しては、笑いを堪えていた。そして、その笑いも落ち着いた頃、田上は、外の風景を眺めながら、故郷への道に差し掛かっていた。

 

 また、田園が見え始めてきた。竜之憩町だ。電車は揺れながら、次の駅へと走る。外の道には、男の子や母と娘が散歩をしているのが見えた。男の子は、携帯ゲーム機でゲームをしながら、歩いていた。きっと友達の家に行く途中なのだろう。電車の窓から見える一瞬しかその様子を確認できなかったが、田上はそう思った。

 やがて、駅に着いた。人は誰も入ってこなかった。しかし、駅のベンチには、座って待っている七十代八十代くらいの白髪のお婆ちゃんが見えた。次の電車を待っているのだろうか?田上は思った。それから、少し停まってから、また電車は動き出した。竜之終町まではあと少しだ。田上は、強張った体を解そうと大きく伸びをした。それから、思わず電車内に居る皆に聞こえる声で大きな欠伸をしてしまった。幸いなことに、二,三人しか乗客はいなかったのだが、少しクスクス笑う声が聞こえたような気がした。

 田上は、顔を真っ赤にさせて、また外の風景を眺めた。

 微睡みの様な時間だった。時間が行っているのか来ているのか区別がつかなかった。その内に、田上も眠りについて、夢を見たような気がした。夢と言ってもそれは、途切れ途切れで記憶を振り返っているようなものだった。タキオンの目が在った。赤い瞳がこちらを向いていて、笑いかけていた。次に母さんの目が在った。こちらも同じように笑いかけていた。次のは父さんだった。父さんは、運動会で田上が泥んこになって帰ってきたときと同じ大笑いをしていた。何がおかしかったのかは分からなかったが、それにつられて田上も大笑いをした。次は、幸助だった。幸助は、仏頂面でこう言っていた。

「どうでもいいんだよ。そんなことは」

 それからは、幸助と遊んでいた少年時代の町の風景が流れた。まだ、鹿児島に居た頃の記憶だった。砂利道を歩いて知らないところに探検に出たり、あぜ道から田んぼに入って、オタマジャクシを取ったり、草の上に寝転がって青い空を目を細めて見たり、木の上に登ってぶら下がってみたり、色んな事をした。その時々に喧嘩こそしていたが、今ではどれもいい思い出かもしれなかった。ただ、やっぱり弟の事は嫌いで最後に出てきた弟はこう言っていた。

「タキオンさんがいるだろ?タキオンさんが」

 意地悪な奴だと思った。それを平然として言うんだから、猶更意地悪だ。根っからの意地悪なんだろう。夢現の中で田上はため息をついた。丁度その時、「竜之終駅~」と聞こえてきたから、田上は慌てて立ち上がって、電車のドアから出て行った。次の駅はさほど遠くなかったので、もう一駅くらい行ってもよかったかもしれないと、田上は心の中で少し思った。もう少し、あの幸せな少年時代を思い出せたかもしれなかったからだ。しかし、これではタキオンにまた怒られてしまうだろうと思うと、その邪念は振り払って駅舎の中から出て行った。春の欠片が、駅舎の影から出ると降り注いでいた。もうすぐ桜の季節だ。花色めく季節だ。田上は、ため息を一つ吐いた。

 

 駅舎から出ると、田上はいつものように左に舵を取った。父の家の方向だ。――幸助はもう来ているだろうか?そんな事を思いながら、田上は歩いた。まだまだ寒いが、日光が暖かく、田上は心を和ませて歩くことができた。心なしか、人の往来が正月に来たときよりあるような気がした。特に、散歩をしている親子連れが多かった。暖かくなってきたので、家から這い出て来たのだろうか?――そう思うと、なんだか面白くなって一人で、顔に笑みを浮かべた。

 丁度交差点に差し掛かった所だった。赤信号に待たされていると、後ろから一組の親子に声をかけられた。

「あの~、すいません。もしかして、田上トレーナーですか?」

 普段、田上の方に声を掛けられることなんてなかったから、田上はなんだなんだと用心して振り向いた。そこにいたのは、ただの人の良さそうな主婦と四、五歳くらいの小さな女の子だった。

 田上は、戸惑うようにその二人を見つめてから、首を横に振った。どうせ、ファンサービスをして喜ばれるわけでも無さそうだったからだ。およそ、テレビでたまたま見たことのある顔だったから、声を掛けたのだろうと思った。だから、タキオンのファンであっても、自分のファンでないのなら答える義理はなかった。だが、驚いたことに田上が首を振ると、母親が残念そうな顔をした。てっきり、何も知らない娘に「ほら、これがアグネスタキオンのトレーナーだよ」と見世物にされるとばかり思っていたが、そうでもなかったようだ。

 田上が、また前を向いて、赤信号が青に変わるのを待っていると、女の子がこう言った。

「あの人、田上トレーナーじゃないの?」

「そうみたいね」と母親が、田上に遠慮した小さな声で言った。

「でも、あの人、田上トレーナーに凄く似てた。私、トレーナーになってタキオンちゃんと一緒にレースに出たいんだ~」

 青に変わった。田上は、歩き出した。もう少し、この親子の会話を聞いていたい気もしたが、常にこの親子の傍にいることもできないので、田上は少し早足で歩いた。だから、すぐにあの親子の声は聞こえなくなって、冷たい風に揺れる草の音が聞こえてきた。

 最後に聞こえてきた声は、女の子のこんな言葉だった。

「私、トレーナーになって、タキオンちゃんと一緒にけんきゅうするんだ~。私がピカーって光ったら、お母さん驚くと思う」

 田上は少し鼻から息を出して笑った。田上が光る事まで知っているとなると、相当熱心なファンのようだった。その事は、あんまりメディアの方に出ていることはなかったからだ。首を振ってしまった事に少し胸が痛んだが、田上は先へと歩いた。昼前には、父の家に着くことができた。父は家にいたようだ。車が駐車場にあったのが見えた。

 田上は、家のドアを開けた。そして、「ただいまー」と言うと、家の中に入って行った。

 

 家に入ると、まだ幸助は来ていないようで、靴は父の賢助の分しかなかった。賢助は、田上が来るとわざわざ部屋から出てきて、田上を出迎えた。嬉しそうに顔をニコニコさせて賢助は、「おかえり」と言った。

「幸助は?」と田上が聞くと、賢助は「まだ来てない」と答えた。そして、田上が靴を脱ぎ終わるのをそわそわと待って、脱ぎ終わるとそそくさとテレビのある部屋の方に移動した。田上には、その部屋がまだ正月の時と変わらないように思えた。それが、少し寂しく思えた。変わっていないのであれば、タキオンが来ていてもいいような気がしたからだ。そうは思っても、どうしようもないので母の仏壇に香をあげた。

 母が死んでから、十一年という月日が流れた。その顔は、今やもう写真や映像の中でしか見れなかった。何年も前から変わらず仏壇に飾ってある母の写真を見つめた。――天国に行った母はどうしているだろうか?不意にそう考えたが、ため息をつくと蝋燭に火を点け、線香にも火を点け、田上は手を合わせた。何の音も聞こえなかった。また、聞かなかった。田上は、一生懸命母に語り掛けていた。――そっちはどうですか?――元気ですか?――お変わりないですか?――天国はあるんですか?――もう一度会えますか?

 あんまり一生懸命語り掛けていたから、田上の眉間には皺が寄っていた。しかし、母からの返答など聞こえてくるはずもなかった。田上は、母に語り掛け終わって、もう話すこともなくなったが、それでも一生懸命に手を合わせていた。もう、考えは今後の事に移り変わっていた。この先、タキオンとどう向き合えばいいのか。それが、今の田上にとって一番の難題だった。タキオンは、傍に居ると言っていた。それが、本気なのかどうかは田上には分からなかったが、とにかく、本人の口からはそう聞いた。愛の告白かどうかも分からないものだった。一歩間違えばそのようになってしまうだろう。田上も勘違いしてしまいそうになる言葉だった。その言葉が、嬉しくもあったが、同時に怖くもあった。田上を助けるために傍に居る。その事が、彼女の縛りになってしまえば、田上にとっての幸せは築けなかった。田上としては、自分の事なんてどうでもいいので、タキオンは好きにやってほしかった。ただ、今更そんな事を言ったってどうにもならないだろう。タキオンの目が、本気なのは間違いがなかった。

 田上は、ふーと頬を膨らまして息を吐いて、目を開けた。

「随分、長い事祈ってたな。悩み事でもあるのか?」

 賢助がそう聞いてきたから、田上は「ちょっとね…」と曖昧に返した。それで、賢助も話したくない事なんだろうと思ってあんまり深入りはせずに言った。

「今日は、一緒に酒を飲まないか?皆で一本ずつ買ってきたんだ。…ほら、お前らが酒を飲めるようになってから、飲んだことってほとんどないだろ?…何時に帰るんだ?」

「三時には帰るつもり」と田上は返した。

「じゃあ、酒は飲めないか…」

 賢助が、少し気落ちしたように言ったから、田上が仕方なしに聞いた。

「どんくらい強い酒なの?…弱い奴だったら、飲んで帰ってもいいよ」

「ああ、それは心配ない。ちゃんと弱いのを買ってきたよ。何しろ、この家に居る皆、飲みなれてないからな」

「じゃあ、昼飯時に飲むつもり?」

「…そうだな。そんな感じだ」

 そこで、話が途切れた。二人は、同じように机を向くと、まるで通夜の様に黙りこくった。それから、やがて、田上が自分のバッグからゲーム機を取り出すと、ゲームを始めた。賢助は、息子がゲームを始めると、自分はテレビをつけて見始めた。二人共、あまり楽しそうに見えなかったが、田上の方は、時折「あ」とか「う」とか声を上げて、ゲームをしていた。

 そして、幸助が来た。

「ただいまー」と玄関の方から声が聞こえた。賢助は、立ち上がると、玄関の方に幸助を出迎えに行った。ちょこちょこと話す声が聞こえた。どうやら、今後の事について軽く話しているようだったが、田上には関係がなかったので何も聞かなかった。賢助は、そのまま帰ってこずに台所で昼食を作り始めた。幸助は、部屋に入ってきて、田上を見ると言った。

「ただいま」

 たまたまゲームの合間で手が空いていたので、「おかえり」と返した。それから、幸助は、田上の脇を通り、仏壇に手を合わせた。幸助も田上と同じように、長く長く祈っていた。田上は、その様子をじっくり見こそしなかったが、ゲームの合間合間に手を止めて幸助の方を見やると、――まだ手を合わせてる、と驚くくらいには長く祈っていた。

 やがて、幸助は手を解いた。そして、後ろを振り返ると、田上に言った。

「次の年はどうですか?」

「次の年?…まぁ、順調だよ」

「そうですか…」

 やけに丁寧な口調だったが、仏壇の前で正座をしていたからかもしれない。実際に、正座を崩して田上の対面の方に座ると言った。

「俺は、面倒臭くて面倒臭くて仕方がないよ」 

 そう言って、自分のバッグをごそごそ漁ると、田上と同じゲーム機を取り出して、それで遊び始めた。こちらも田上と同じように、時折、「お」とか「ん?」とか言っていた。

 テレビは、まだ付いたままだった。賢助が幸助を迎えに行くタイミングで消さずに行ったからだ。当然、この部屋にはゲームに夢中で、テレビの音なんて耳にも入らない人しかいないので、テレビが消されることがなかった。ただ、不意に気が付いた田上がぱっとテレビを消した。それは、丁度やっていたニュースが、子供が殺される事件を報道したからかもしれない。勿論、田上にはゲームに夢中で話の内容までは聞こえていなかったのだが、不意に――うるさいな、と思うと、そのテレビの電源を消した。それからは、台所で賢助が、料理を作っている音と、ゲームの音しか聞こえなくなった。と言っても、炬燵に座っている二人には、自分のゲームの音しか聞こえないだろう。

 やがて、賢助が大量の唐揚げを持って来れば、良い匂いに田上と幸助は顔を上げて、ゲームを止めた。

 

 賢助が唐揚げを持ってくると、昼ごはんが始まった。また、テレビはつけ直され、誰も話さない静かな食卓だった。酒は、昼飯の後にちびちび飲もうということに決まった。田上も幸助も二人共日帰りだったので、あまり酔いたくはなかったのだが、父の頼みとあらば少しは飲んだ。

 まず、最初は腹ごしらえだった。三人は、黙々と食べて、たまにぽつりぽつりと話をした。大体が、最近あった事の話だった。田上は、補佐が付いた事を話した。賢助は、嬉しそうだったが、反対に幸助はあんまり気に入らないようで、「ハーレムだな…」と呟いていた。これは、ばっちり田上の耳に届いていたのだが、今更喧嘩するのも面倒臭いので、それは聞き流した。

 そして、酒を飲み始めた。賢助が嬉しそうに缶ビールを三本持って来て、それぞれに手渡した。そして、ビールを一口飲んでから、「さあ、何を話そうか?」と言った。田上と幸助は、揃って笑い出してしまった。あまりにも頓珍漢な言葉と嬉しそうにニコニコしている顔が、絶妙に組み合わさって笑いを誘ったのだ。賢助は、その雰囲気に乗り切れていない様子だったが、息子たちが笑い出したのを見れば、それで幸せだった。

 田上も幸助も一口ずつお酒を飲んだ。一応、度数の低い物を買ってきたらしかったので、田上はまだ平気だったが、賢助と幸助は、すぐに顔が赤くなっていった。田上が二人よりお酒に強いのは母親の遺伝らしかった。ただ、幸助はまだマシな方だろう。耳の方が赤くなっていっただけで、賢助の顔の赤さよりはマシだった。

 ただ、上機嫌になった賢助が、次に驚くべきことを言った。

「もし、これで酔わなかったらどうしようと思って、スーパーの売り場にあった缶ビールでちょっと度数の高い奴を買ってきたんだ。せっかくだから、今皆で飲もうよ」

「え~!!」と酒が回ってきて声量が大きくなった田上と幸助が、揃って言った。

「何で買ってきたんだよ!!」と田上が言って、「俺たち、もう二、三時間後には帰るんだからな」と幸助が言った。それには構わず、賢助は台所の冷蔵庫の所に行って、ニコニコ顔でそれを持って帰ってきた。

「俺たち飲めないんだからな!」と田上は言ったが、賢助は構わず開けた。最初の一本の方はちびちび飲むと言っていたわりに一気に飲み干してしまった。だが、田上はまだちびちび飲むつもりでいたので、その度数の高いものが回ってきても田上は受け取らなかった、幸助は、一口飲んだようだが、一瞬で顔が真っ赤になっていた。賢助もこれでダメだったようだ。揃いも揃って酒に弱い家族だった。田上も母の遺伝と言ってもそれ程強くはなかったので、ちびちび飲んでいくうちに顔がだんだんと赤くなり始めた。頭が、ふわふわとし始めてきたので、この先にまだ度数の高いものがあるかと思うと、頭が痛くなるような気がした。二人は、「もうこれは飲めない」と言って、田上の方に押しやった。田上は、父を恨めしそうに見やって言った。

「なんで買ってきたんだよ…」

 すると、「……酔いたかったんだよ…」と返ってきたから、田上は不思議そうな顔をして言った。

「なんか仕事で失敗したりしたのか?」

「……いや、なんだか最近は美花の顔がチラつくようになってなぁ…。お前らが来たら一緒に飲みたかったんだ」

 田上も幸助も何も言わなかった。ただ、田上は酒を一口飲み、度数の低い方の酒を終わらせた。次は、目の前にある開けられた酒だった。あんまり酔いたくもなかったのだが、このまま放置すれば絶対になくならないだろう。下手すれば、田上が次に帰って来る時まで冷蔵庫に保管されてあるかもしれないので、田上はそれに一口手をつけた。そして、「うぅん」と唸った。味はあまり美味しいと言えなかったが、酒のせいで味覚にそれ程自信はなかった。田上は、それもちびちび飲んだ。もう三人はあまり話さなくなった。まるで、三人とも父の言葉に思うところがあったのか、黙りこくって考え込んでいた。

 すると、不意に幸助が言った。

「タキオンさんを連れてきたら良かったのに…」

「……なんで?」

 ぼーっとする頭で田上は聞いた。

「…そうすれば、もっと賑やかになっただろ?正月の時みたいに…。父さんもあの時が不意に楽しくなったから、母さんの顔がチラつくんだと思う」

 幸助は、隣に居るもう酔いつぶれて寝ている父を見た。釣られて田上も見た。黒髪の中に白髪が二,三本見えた。それを見つめた後に酒を飲みながら言った。

「……タキオンも連れてくればよかったかな。…来たいとは言っていたんだけどね」

「来たいって言ってたんなら連れてくれば良かったのに…」

「……でも、タキオンは家族じゃないんだから、今日みたいな日に連れてくるのは不味いでしょ」

 田上がそう言うと、幸助は黙ったまま何も答えなかった。そして、ようやく田上は酒を飲み終わった。

「ああ、疲れた」と田上がため息をついた。時計を見ると、帰るまであと三十分だった。田上は、まだ冴えない頭で、タキオンの事を考え、そして、自分のスマホを取り出した。タキオンに何かLANEでメッセージを送ろうと考えたのだが、そうする前に、タキオンからメッセージが来ていたのに気が付いた。

『何時に帰るのか連絡してくれ』

 ちょうど田上がこの家に辿り着いた時くらいに来たメッセージだった。――なんで気が付かなかったんだろう?と田上は不思議に思ったが、そんなに考える問題でもないので、構わずこう返した。

『三時の電車に乗って帰る。駅で待っててくれるか?六時頃にそっちに着く』

 そう送ると、すぐにタキオンからメッセージが返ってきた。

『了解。元よりそのつもり』

 田上は、ふふふと笑って、スマホをバッグにしまった。


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