ケロイド   作:石花漱一

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十六、ホワイトデー②

 この頃になると、田上の予想通り、タキオンは明るさを取り戻して、自分の気になるものを見つけては、「ほらあそこに何々があるよ」と指差した。その時に、タキオンは真正面から田上に「手を繋ごう」と言ったから、田上はタキオンの真剣な顔に面倒臭くなってこう言った。

「…この前みたいに軽くね」

 少し後ろめたさがあったのかもしれない。この前は、自分から手を繋ごうと言ったのに、タキオンが言えば、それを断ってしまうのは、自分勝手すぎると感じたのかもしれない。それは、田上には分からなかったが、街中で女子高生と手を繋いでいる大人の男が自分であるということが、居心地が悪くて仕方がなかった。おまけに、タキオンは、田上がすぐ隣にいるというのに大声を上げて、「ほら、見てごらんよ!あれも美味しそうだねぇ!」と通りの店を指差すので、道行く人の注目を引いてさらに居心地が悪かった。タキオンと手を繋げるということが嬉しくないわけではなかったのだが、田上は、最近は自分の気持ちが何だかよく分からなくなっていた。タキオンが好きなのか嫌いなのか、手を繋いで嬉しいのか嬉しくないのか、タキオンは何なのか。そう言う事が分からなくなって、混乱していた。タキオンとの距離は、菊花賞の頃よりも掴めなくなった。今の様に物凄く詰め寄ってくるときがあれば、少し距離を置くときだってある。思春期特有の物なのか、もう大人になろうとしているのか分からなかったが、今現在は、――手を放してほしいなぁ、とタキオンの話を聞きながらぼんやりと思った。

 タキオンは、まんまと田上と手を繋ぐことができて有頂天になっていた。その為、声も抑えきれずに大きくなっていた。田上の顔は、いつもの通り仏頂面で、決して、タキオンと手が繋げて嬉しい顔には見えなかったが、そんな顔は、タキオンにとっては見慣れた田上の普段からの顔だったので、気にすることなんてせずに田上に色々と話しかけた。

 

 その内に、大きなショッピングモールに着いた。都会のショッピングモールだから、田上の父の家の近くにあるショッピングモールとは大違いで、どでかい上に人もたくさんいて、まるで羽虫の様にざわざわと鬱陶しかった。モールに着くと田上の眉間の皺はより深まったが、反対にタキオンの足取りは楽しみで速まった。田上は、半ば引っ張られるようにして、予定していたクレープ屋『spoon』まで歩いた。

 そして、その店に前に辿り着くと、なんと、予想しておくべきだった店が開くのを待つ列ができていた。モールはもうすでに開いていたが、当然のごとく店は開いていない時間であるのは知っていた。まだ、店の開く時間の一時間くらい前だからだろうか。人は、それ程並んでいるようには見えなかったが、店が開く前から並んでいるくらいだからこれより後になればもっと人は増えるだろう。田上とタキオンは顔を見合わせて話し合った。

「君、どうする?もう人が並んでいるけど、これに並ぶかい?…まだ一時間くらいあるけど」

 田上は、店の方を睨みながら少しの間悩んだ。それから、言った。

「一時間待つのは好きじゃないな。…三十分後にここに来て、人がこれより多く並んでいたらさすがに並ぼう。じっとしているのは、俺の性に合わない」

「ならばそうしよう。どこに行く?朝ご飯は食べていないんだ。少し摘まむのもいいんじゃないか?」

「…朝ご飯は、ご自由にしていいけど、俺はクレープを存分に食べたいから食べないよ」

 田上がそう言うと、タキオンは「う~ん」と唸りながら、言った。

「…じゃあ、ハンバーガーを一つほど頂こう。それと、その前に洋服を見に行こうよ。君の新しい服を見繕ってあげようか?君、いつもおんなじ服だし」

 田上は、少ししかめっ面をしたが、口では「いいよ」と答えた。それが、何だか可笑しくって、タキオンはふふふと笑った。

「君、本当は嫌なんだろ?それならそうと言えばいいのに。…分かった。君の服は、買うか買わないかはその場で決めよう。君は、今からモルモット君ではなくて、私の着せ替え人形なのだから反論はしちゃだめだよ?」

 田上は、しかめっ面で「オーケー」と答えた。それから、タキオンが田上の指先を軽く手に取って、歩き始めた。行き交う人の波の中に、何人か振り返ってタキオンと田上の姿をもう一度見ようとする人が居たが、タキオンはそれには構わず、田上を引っ張って洋服屋まで行った。その店は、ピンクを基調とした和やかな店だった。

 

 服屋に入ると、タキオンは田上をあっちへ引っ張りこっちへ引っ張りつつ、まずは自分の見たい服を見ていた。ベージュ色のゆったりとした長いスカートを見ては、「これ、私に似合うかな?」と田上に聞いてみたり、人面ピーマンの描かれた服を見ては笑い、「君に似合っているよ!」とからかってみたり、まるで夫婦か、それでなければ親子の様にタキオンたちは過ごした。そうしていくと、田上は自分が段々と分からなくなってきた。幸せ過ぎると、田上には毒なのだ。その毒は、田上の全身に気が付かないうちに回り、田上の体を蝕み始めた。そして、ようやく田上自身が、その毒に気が付いた時に、慌ててその毒を取り除こうと今まで繋いでいたタキオンとの手を放した。これは、田上も予期していないことで、田上の無意識が勝手にそれをしてしまったのだ。そうすると、田上はタキオンより一歩後ろに置いて行かれて、タキオンが不思議そうに振り返った。

「手を、繋がないのかい?」

 ゆっくりとタキオンが聞いた。すると、田上は何が何だか分からなくなって、悲しそうにこう言った。

「俺、…なんでここに来たんだろう?」

 タキオンは、その言葉を聞くと、尚も不思議そうに田上を見つめていたが、不意に気が付くと自分の袖を捲って、手首の時計を見て言った。

「ああ!時間が経つのは早いね。もう、クレープ屋を見に行く時間だよ。…どうする?行くかい?」

 タキオンは田上の方に近寄って、その手を取った。そして、田上が静かに頷くのを見ると、その手を引っ張って歩いた。田上は、あんまり急いで歩きたい気分ではなかったし、また、大して急ぐような時間でもなかったが、この時ばかりはなぜかタキオンが急かすように田上の手を引っ張った。楽しみで足取りが早くなっている物とは、また別の引っ張り方だった。

 

 タキオンたちが、再び店の前に着くと、列の人数は増えていてどうやら並んでいておいた方がよさそうな気配がした。ここに来ると、田上はタキオンの手を解こうと指をもぞもぞさせたが、どうにも取れる事はなく、それに気が付いたタキオンが振り返って言った。列の最後尾に着いた時だった。

「君、なんでここに来たんだろうって言ったけど、君がここに来ようって言ったからじゃないか。…君は、その質問をたまにするね。不安になったからなのかい?それとも、本当に自分の居場所が分からなくなったからなのかい?」

 タキオンは、心配そうに田上に問い詰めた。田上は、その顔をじっと見つめた。田上には、タキオンが本当に自分を心配してくれているだろうと言う事は分かったが、分かったところで何も話す気にはなれず、ただ微かに首を横に振った。ほんの僅か揺れたか揺れていないかくらいの首の動きだったが、タキオンはそれを見分けて悲しそうにこう言った。

「…あんまり心を閉ざさないでおくれよ。…前にも言ったろう?君は私の大切な人なんだ。なくてはならないパートナーなんだ。強制はしないけど、悩みを話してほしいって願っているんだよ」

 それでも、田上は何も言わなかったから、タキオンは諦めて列の前に居る人の背中をただ見つめ続けた。無表情でその背中に寄っている皺を人の顔の様に思いながら見つめ続けた。すると、後ろに並んでいた女子高生の二人組から声をかけられた。女子高生と言う事は、タキオンとほとんど同い年と言う事だろう。その二人組は、タキオンの肩をそっと叩いて呼び掛けた。

「あの~、すいません」

 そして、タキオンが振り向くと言った。

「もしかして、アグネスタキオンさんですか?」

 田上も振り向いて、女子高生を見た。タキオンは、黙ったままゆっくりと頷いた。二人組の女子高生の方が身長が少し高かったから、タキオンが何だかいつもより小さく見えた。

 タキオンが頷くと、その女子高生ははしゃぎ声を上げて、相方と嬉しそうに手を合わせた。それから、タキオンに言った。

「私、タキオンさんのファンなんです!サインとか頂けますか?握手は?」

「…サインは無理だけど、握手なら…」

 タキオンは、若干女子高生の勢いに押され気味のようだった。それが、少し可笑しくて田上はふふと鼻を鳴らして笑った。それで、女子高生が隣の髭の濃い男性の事を思い出したようで、タキオンに「隣の男性の方は…?」と聞いた。タキオンは、「トレーナー」とだけ不愛想に答えた。すると、再び女子高生がはしゃぎ声を上げて、今まで話していなかった、髪の側面を一筋赤く染めた女子高生が言った。

「もしかして、二人はお付き合いとかなさっていらっしゃるんですか?そうですよね!だって、休日に二人でこんなお店に来るなんて、付き合っていなきゃしないですよね!」

 女子高生は、特に不気味な髭の男性を見て、そう思ったようだ。それが、田上にも感じられたから――無礼な奴だ、と心の中で文句を言った。

 タキオンは、女子高生の勢いにたじたじになりながら「違うとも…」と答えた。女子高生は、自分の読みが外れてがっかりしたようだ。そのせいか、丁寧な口調も少し雑になった。

「じゃあ、お二人はなぜここに?」

「…私用だから、あんまり首を突っ込まないで貰えるとありがたい。少し落ち着いてもらえるかな?」

 ここで、ようやく自分の気を取り戻したタキオンが、冷静に女子高生に告げた。そして、前の方に向き直ったから、女子高生も怒らせたと思ってそれ以上話しかけてはこなかった。タキオンは、気晴らしに田上に話しかけようとも思ったが、先程、少し笑った田上はどこへやら、また重苦しい空気が漂った。それだけであれば、タキオンも話すことができたのだが、今や後ろの女子高生が聞き耳を立てていると思うと、喋ろうと思っても口なんて開きそうになかった。

 

 そうしていくうちに店が開いて列が進み始めた。ここで、タキオンは口を開いて「楽しみだね」と田上に言った。タキオンの予想通り、田上はタキオンの顔なんて見ようともしないし、口も開く気なんてなかったようだ。予想通りであったので、タキオンはそのまま田上の横に付いて店員に誘導された席へと座った。正面から向かい合う、二人掛けの席だった。タキオンはそれに座ると、正面に座った田上を覗き込むように、からかうように微笑みながら見つめた。そうされると、田上も居心地が悪かったようで、左の方に見える窓から外を見つめた。あんまり大したこともない街並みとその上にある空が見えた。それを一生懸命田上は見つめたが、机の上に置いてある手に物が触れる感覚がすると、思わず視線をタキオンの方に戻した。タキオンはメニューを持っていたようで、それが偶然田上に当たってしまったようだ。しかし、タキオンは田上がこちらを向いたのに気が付くと、まるで偶然当てたのが全て計算ずくでしたとでも言うように、ニヤリと笑った。それから、こう話しかけた。

「君は、何が欲しいんだい?何か色々な種類のクレープがあるし、クレープじゃないものもあるよ」

「……チョコたくさんかけたやつ…」

「…すると、これかな?ほんたらかんたらチョコクレープ。生クリームもたくさん入っているようだね。私好みだ。…そう言えば、君は甘いのって嫌いだったんじゃないのかい?」

「…いや、別に嫌いじゃないし、今日はクレープを楽しみに来たんだから、美味いクレープを食うつもりでいる」

 相変わらず陰気な物言いの田上に、タキオンは少し呆れて「そうかい…」と返事をした。それから、自分の分も選び始めた。「これは多分、死ぬほど甘そうだぞ」とか「ほう!見てごらんよ、トレーナー君。中々にイカレた具材が盛り込んであるぞ。…ミニハンバーグ?これ、クレープの生地と合うのかねぇ?…どう思う?トレーナー君」とか語り掛けてきて、田上は大いに面倒だったが、できるだけ返事をするようにはした。そのせいか、タキオンは少し機嫌をよくしてニコニコ顔になった。それで、店員を呼んで注文をすると、タキオンが机の上に置いている田上の手をいじりながら言った。その段になると、少しニコニコ顔が落ち着いた。

「……君は、…君なんだろうなぁ…。どうしても私には動かせないものなのかなぁ。…手遅れになる事だけが一番怖いよ」

「手遅れ?」

「君が自殺してしまうことさ。それが、一番怖い。前も死んでもいいって言ってただろ?あれが成長してしまうと、自殺に繋がってしまうんだ。……忘れないでおくれよ。君は多くの人から愛されているんだ。無くなっていい存在じゃないんだよ。私は君の事が大切だし、マテリアル君だって君が大切だろう。それに、君のお父さんだって、幸助君だって、君が大切だし、テレビの向こう側にいるファンだって君の姿を見て影響を受けているかもしれないんだよ。君の心の中にあるものは、孤独かもしれないけど、実はそうじゃないんだって事を受け止めてほしい。私は、今や君がいなけりゃ、アグネスタキオンここに在り、とは言えないんだよ。君は色んな人の心に影響を与えたんだ。…頼むから、その事を忘れないでほしい」

 タキオンは、そういうと、田上の手を殊に強く握った。少し痛いくらいだった。まるで、この痛みと共に今の言葉を忘れさせないようにしているようだった。田上は、無表情のままタキオンを見つめた後言った。

「やっぱり、お前に俺の心は動かせないよ。他人の心ってのはそんな簡単じゃないんだ。例え、タキオンが心を動かされた物語であろうと、他人はそれを良しとはしないかもしれない」

 そう言うと、タキオンが反論した。

「でも、君は『閉じられた物語』は好きだと言ったじゃないか。同じように感動したじゃないか」

「…あれは確かに面白かった。…切なくて響くようだった。…でもな、所詮他人は他人だ。俺じゃないんだから、俺の事なんて分かりっこない」

「それは、君が心を閉ざしているからじゃないか?君が、人と触れ合うのを避けているからじゃないか?前に言っていたじゃないか。人と触れ合うのが怖いって。そういう事じゃないのかい?」

 これには、田上にも思う事があって、言葉に詰まったが丁度いい時にクレープが運ばれてきて、田上はタキオンが美味しそうなものに興奮して話が逸れるに任せた。タキオンは、メニューの中にあった普通のハンバーグも頼んでいた。残念ながら、先程、ハンバーガーを食べに行くと言った時に、洋服屋を先に行ってしまったせいで、それを食べ損ねたのだ。タキオンとしては、ちょっと洋服を見るつもりだったのだろうが、それは、夢中になっているうちに長く延びてしまった。

 クレープは、チョコがたっぷりかけられていて、田上の口の中に涎が溢れた。だから、それにすぐにかぶりついた。すると、タキオンが笑い声を上げて言った。

「君、それはチョコかい?髭かい?分からないよ」

 田上は、慌てて口の周りを手で拭うと、親指にチョコが付いたのでそれを舐めとった。

「卑しいねぇ」とタキオンがニヤニヤしながら言ったから、田上はこう言い返した。

「卑しくて結構。俺は、大人になってもアイスの蓋を舐めるから」

 タキオンはまた笑った。その和やかな一時はしばらく続いたが、タキオンがハンバーグを食べ終わり、注文していたクレープ三つに移行すると、それが運ばれてくる前の話に急に戻って、田上をドキリとさせた。

「それで、…君さ。人と触れ合うのが怖いと言っている割に、今私と触れ合っているじゃないか。今の笑いは何だったんだい?触れ合い以外の何物でもないだろう?」

 そう言われると、田上は急に仏頂面に戻って目を空中に泳がせ始めた。その様子を見ると、これは不味いと思ったのか、タキオンが慌てて言った。

「別に、君に触れ合わないでほしいって言っているわけじゃないんだよ。ただ、触れ合うのが怖いと思った時に、今の様な一時を思い出してほしいだけで。…本当は怖くないんだよって事を君に知ってほしいだけさ」

 田上は、何も答えなかった。ただ、タキオンの顔を見つめた後、再びクレープにかじりついた。それを見ると、タキオンも仕様がなさそうに鼻からため息をついて、自分のクレープにかじりついた。口の中に甘さがぎゅんと広がった。それにタキオンは嬉しそうな声を上げて、田上を見た。何か言いたかったが、クレープを口に頬張っていたので、食べながら喋るという行儀の悪い事はできなかった。勿論、両手でクレープを持っていたので、手で口を隠すということもできなかった。その様子を察したのだろうか。田上は、自分のクレープを一旦皿の上に置くと、儚げに言った。

「美味しいか?」

 タキオンは、それに答えるために急いで口を動かして、中身を飲み込もうとしたから、田上が「そんなに急がなくてもいいぞ」と声をかけた。だが、それは無視されたようで、尚ももぐもぐと早く口を動かして中身を飲み込んだ後、タキオンは笑顔になって、「おいしい」と答えた。

 最近は、幸せという物も分からなくなった。前の自分であれば、今のような状況こそが幸せであると感じることができただろう。文字通り、それを肌で感じただろう。しかし、今タキオンの笑顔を目の前にすると、――幸せとは一体なんだろう?と考え込んでしまう。片思いの女子高生と遊びに行くのが幸せなのだろうか?そう頭の中で言葉にしてみると、少し違うような気がした。だが、具体的な言葉はそれ以上の物はなく、いつしかその事について考えるのを止めた。答えなんて出てきそうになかった。田上は、タキオンがクレープを頬張る姿をただ見つめ続けた。

 

 その後に再び、前の洋服屋へと戻った。タキオンが、まだあの店の服を見たいと言ったからだ。田上は、クレープを食べて今すぐにでも帰っていいという雰囲気を醸し出していたが、そんなことを気にするタキオンではなく、田上の手を放さないようにしっかりと握って引っ張って行った。

 タキオンは、今度はしっかりと田上の服を選ぶつもりだったようだ。人面ピーマンの服など目もくれず、一生懸命チェック柄の服を田上に重ね合わせて、「これは合わない」「これはいいかも」とぶつぶつ呟いていた。店にはたくさんの人がいた。もう昼近くだから、家から這い出てきた人が多いのだろう。その店の中に、カップルがちらほら見えて気まずかった。店から早く出て行きたかったが、この分では当分タキオンは田上を開放してくれそうにはなかった。田上は、終始無言のまま、タキオンのなすがままに任せて退屈そうに欠伸などもした。

 タキオンは、尚も彩度の高い青色の服を田上に重ね合わせて、服を選んでいた。元より、服に興味のなさそうな田上に意見を聞く気はなかったようだ。それは、長く長くかかって、やっと黒い服が並べられている手前で田上に言った。

「君、普段から無地の物しか着ないし、お洒落なんてしようとも思ってないから、君に服を選ぼうと思ってもちぐはぐになってしまうんだよ。…いっそのことあのピーマンの服が一番良いかもしれないな」

 タキオンがいよいよ狂った事を言ったから、田上がしかめっ面で「それだけは止めてくれ」と言った。すると、タキオンは「冗談だよ。冗談」と返した。それから、また目の前にあった服を眺め始めた。今度は、田上に話しかけながら、それを眺めていた。

「……君の好みの服はあったりするのかい?」

「…ない」

 面倒臭そうに田上が返すと、タキオンが苦笑した。

「そう邪険に扱わないでくれよ。今は、君の服を選んであげているんだぞ?」

「…言っておくけど、選んだところで俺は買わないよ?」

 そう言うと、タキオンが服から目を離して、田上の方に顔を向けた。

「勿論、それは承知の上さ。私が君にプレゼントしてあげるんだ」

「…金は持ってきたのか?」

「当たり前だとも。遊びに行くのに金を持ってこないバカがどこにいる?」

「…ここに」と田上が不機嫌そうに言ったから、タキオンが不思議そうな顔をして聞いた。

「…でも、今日は持ってきただろ?」

「それは、クレープをお前に奢るって約束したからだ。後は、服を買えるような金なんて持って来てないよ」

「じゃあ、何のために遊びに行くんだい?ぱっと見た物を買ったりはしないのかい?」

「そんな事はしないし、ぱっと見た物であれば、買うのくらい我慢できる」

 田上がそう言うと、タキオンが「ふ~ん」と頷いて、また服の方に目を向けた。

「まあ、君はそんなとこだろうね。…もう少しくらい欲を持ってもいいんじゃないか?金なんて余るくらいにあるんだろうから、…君、酒もあまり飲まないんだろう?この前の時は飲んでいたけど」

「酒は飲まないけど、ゲームはするよ。ゲームにはお金を使うよ」

「ふ~ん、…君、根っからのインドア派という事かい?なれば、お洒落もあんまりしないか…。う~ん、この服、…君にお洒落なものを着せてあげたいんだけどねぇ」

 タキオンは、今度は黒い布に白の線だけでゲームのコントローラーが描かれた服を手に取った。

「君、こんなのもいいんじゃないか?」

 田上の体に合わせて見てみる。別に似合わないことはなさそうだったが、田上は面倒臭そうにこう返した。

「…もういいだろ?俺は、プレゼントなんて要らないし、そもそも、クレープ屋に連れて行くことが俺のプレゼントだったんだ。ここで俺がプレゼントを貰っちゃ、何が何だか分からないだろ」

 そう言うと、タキオンは少し悩ましげな顔をして田上を見つめた。それから、言った。

「……君と少し遊んでもみたかったんだが、あんまりそういう雰囲気でもなさそうだね」

 独り言のように言うと、タキオンは田上の手を取り、気を取り直して言った。

「なら、フードコートに行って何か食べよう?君は着るより食べる方が好きなようだから」

 田上は、もう帰りたい気分ではあったが、またもやタキオンに無理矢理引っ張られてフードコートまで連れて行かれた。

 

「君は何が食べたい?」

 そこに着くや否やタキオンがそう聞いてきた。田上は、あんまり食べたい気分でなかったから、「なんにも」と答えると、タキオンは不満そうな顔をして言った。

「君、あんまり遊んでてて楽しい人じゃないな。もう少し元気を出したまえよ。私とせっかく遊びに来ているんだよ?もう少し笑顔になりなさい」

 そう言って、田上の口角を無理矢理上げようとするために、タキオンの手が田上の顔を触ろうとして来たから田上は身をよじって避けた。すると、横にあった柱に頭を思い切りぶつけてしまって、痛そうなたんこぶをおでこに作った。ちょっぴり涙が出そうにもなったが、それはぐっとこらえて言った。

「食いたいもの買ってこい。俺はあそこの席で待ってるから」

 それから、壁際の席を指差した。タキオンは、「すまない」と一生懸命謝っていたが、田上にそう言われると、少し不満そうな顔をした。田上と一緒に食べたかったのだろう。だが、今、自分が傷つけてしまった手前、強くは言えなかった。だから、仕方なく自分一人で何かを買いに行った。その間に田上は歩いて行って、壁際の席に座った。まだ、おでこのあたりがズキズキと痛むような気がした。ただ、それ以上に座ってみると、眠気が襲ってきて、田上は目を閉じた。壁に寄りかかって、まるでぼーっとしているようだったが、その目は瞑られていた。

 暫くすると、タキオンがたこ焼きを二つ持ってやってきた。一つは田上の分だ。田上が座っていた席は丁度、タキオンが来た方からは壁があって見えない死角となっていた場所だったので、予め場所は教えられていても――そこにいるのかな?と恐る恐るその席の方に顔を出した。勿論、田上はいる事にはいたのだが、眠り込んでいたので、タキオンは少し笑ってしまった。タキオンは、田上が本当に眠っているのか調べるために声をかけた。しかし、返事は返ってこなかったので、タキオンは妙に可笑しくなって口角を上げた。その後に座ったのだが、すると、今度は――この後どうしようか、と途方に暮れた。さすがのタキオンでも、寝ている人を無理矢理引っ張って行こうとは思えなかった。だから、たこ焼きを一つ食べた。それが熱くて熱くて、思わず涙が一粒ポロリと出てきた。それを手で拭うと、タキオンは田上の顔を見た。愛おしいその顔は、未だタキオンの為に笑ってくれそうにはなかった。今は、ただ口を開けて寝苦しそうに壁に寄りかかっていた。

 その内、タキオンはたこ焼きを自分の分の最後の一つと田上の分を除いて、全て食べ終わった。それから、居ても立ってもいられなくて田上を揺り起こした。田上は、本当に熟睡していたようだ。揺り起こすと、寝ぼけ声で「あ?」と間抜けな声を上げた。それに少しふふふと笑った後、寝ぼけている田上に向かってタキオンが言った。

「すまなかった。もう帰ろう。…嫌がる君を連れ回したりして本当に申し訳ない」

 そう言われると、寝ぼけながらも田上は頭を使えたようだ。少し目を細めて言った。

「…別に、嫌って訳じゃなかったけど…」

「君が何でも構わないけど、少なくとも私は嫌がる君を連れ回してしまったんだ。すまない。…実の所、楽しくて少し浮かれていたって言うのもあったんだ。他でもない君だからね。君が私を楽しくさせたんだ」

 タキオンは、何だか謝っているのだか、褒めようとしているのだか分からない口調で言った。それに田上が少し戸惑いながらも「ああ…」と返した。それから、差し出してきたタキオンの手を取って立ち上がると言った。

「今何時だ?」

「三時過ぎだよ。…もう帰ろう。……やっぱり、君との付き合い方はこんなものではなくて、花を見ながら散歩くらいの方が良かったんだ」

 田上には、タキオンは落ち込んでいるように見えたから、それを慰めるために言った。

「それはそうだけど、お前に引っ張られるのも…悪くはないんだ。ちょっと楽しいと感じると、すぐに疲れてしまうだけで」

「…本当かい?」

 その問いに田上は黙って頷いた。

「なら、やっぱり花を見ながら散歩くらいの方が良かった。元より、君はこんなところには興味はないんだもんね。クレープ食べればすぐに帰ればよかったよ」

「…でも、タキオンは服を見て楽しかったんだろ?」

 今度は、タキオンが黙って頷いた。

「だったら、俺もそれで良かったんだよ。お前が楽しかったのならそのくらいがいい」

「…でも、……でも、他人の楽しみの為に我が身を捧げるってどうなのかい?本当に良い事なのかい?…う~ん…、分からない。…でも、そう考えてしまうと、私はとんでもない大罪を犯してしまったかもしれないな…」

 これ以降は、タキオンはこの事に触れなかった。また、言葉数も少なくなって、帰りの電車でいくつか話したくらいに留まった。

 そうやって、バレンタインデーのお返しは終わっていった。後味はいい物とはならなかった。無論、次の日になりさえすれば、タキオンはまたいつものように戻っていたのだが、その日は終始黙りこくって考え込んでいた。田上は、タキオンがショッピングモールで最後に言った事が何か関係があるのだろうと思ってはいたのだが、これについては自分も分からず、助言なんてしてやれそうもなかったから、何の声もかけてやらなかった。タキオンも田上に声をかけてほしいとは思っていなかった。だから、後日、マテリアルの方にこう聞いた。

「我が身を捧げるとは、どういうことなんだろう?」

 すると、こう返ってきた。

「人を愛すると言う事ではなくて?」

 それは、タキオンの考えている物とは違った。少なくとも、タキオンは田上にあてはめて考えているので、それに当てはめて考えてみると、我が身を捧げるというよりも、我が身を委ねると言った方が正しかった。この問題について、タキオンが出せたものはこれだけで、これによって田上にどんな影響が出るかまでは把握できなかった。それで、一つ思ったのが、この胸の内に宿る想いを田上に伝えることができたらどんなにいいだろうか、という事だった。タキオンは、夜を昏々と眠り続けた。


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