ケロイド   作:石花漱一

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二十、走れウイニングライブ①

二十、走れウイニングライブ

 

 タキオンは、それほど遠くないライブ会場にバスに乗って行った。他よりも一段高いその景色でトレーナー君の居ないつまらなさを味わいながら、無機質な車たちを眺めた。車たちは、通りを行ったり来たり忙しそうにしながら、バスの道を開けた。バスは、車の混雑の中を進んでいく。遅々として進まない。レース終わりはいつもこうだ。タキオンは、長い間車の中で待たされた。

 そうしていくうちに、後ろに座っていた国近とソラの方からタキオンは話しかけられた。ぎりぎりの所で自分らを負けに追い込んだ当の本人だというのに、のほほんとのんきそうにタキオンに話しかけていた。お菓子はいらないか?との事だった。タキオンは、ソラが座席の上に高々と掲げている紫色のグミを見とめた。別に、欲しい気分ではなかったし、こののんきそうな顔を見ると、猶更欲しい気分ではなくなった。――トレーナー君が居てくれたらなぁ。もう少し暇を潰せたのに。タキオンはとりあえず受け取ったグミをころころと口の中で転がしながらそう思った。すると、タキオンがグミを食べ終わった頃にもう一度後ろから話しかけてきた。せっかく考え事に浸れていたタキオンは、煩わしそうに後ろの方を振り向いた。見ると、国近が自分のスマホを持ってタキオンの方にかざしてきていた。その画面は、電話の画面のようでもうすでに誰かと繋がっていた。その名前の方を見てみると、田上圭一と書かれていた。タキオンは、顔を少し嬉しそうに輝かして、「いいのかい?」と聞いた。それに「いいよ」と国近がソラに似たにっこり顔で笑った。タキオンもニコニコしながらスマホを手に取って電話に出た。

『もしもし?』といつもの田上の不愛想な声が聞こえる。それを聞くともっと嬉しくなって、もっとニコニコしながらタキオンは言った。

「トレーナー君?今、国近君がスマホを渡してくれたんだけど、案外君の友達も気が利くものだね」

『俺に対しては気が利いてないな。何にも言われずにタキオンに渡されたんだけど』

「国近君なりのサプライズだよ。良かったじゃないか話すことができて」

『…バスはまだ着いてないのか?』

「そうなんだよ。暇で暇でしょうがなくて、その時に国近君が渡してくれたんだよ。思いやりも考えれば出てくるものだね。思いやりの中でも最高峰だよ」

『…まぁ、そうだね。俺には考えつかなかった』

「考えつかなくたってしょうがないよ。これは国近君だからできたことなんだから」

『…そうか。…どうするんだ?このまま話し続けるのか?国近のスマホだろ?』

「そうか。あんまり使うのもあれか。私のスマホに切り替えるよ」

 その途端に国近の電話が切れて、代わりにタキオンの電話が震え出した。マナーモードにしているので音は出ない。タキオンは、やれやれと思いながら、国近に「ありがとう」と言ってスマホを返すと自身のスマホを取って電話に出た。電話に出ると開口一番田上がこう言った。

『どう?早かっただろ?』

「ああ、早かった。私の足じゃ到底追いつけないくらい早かった」

 そう言うと、田上が電話の向こうではははと笑った。

『そんな子供をあしらうみたいに言うなよ。悲しくなるだろ?』

「大いに悲しめばいいと思うよ?」

 タキオンは、冗談交じりにそう返した。その後に田上の笑い声を聞いてから言った。

「そっちはどうだい?マテリアル君のノートパソコンで一緒に見るとか言っていたけど」

 マテリアルは、ライブの関係者席の数の中にそもそも入っていなかったのだ。その為、「一人で見ますよ」と少々寂しそうにしていたのだが、この度急遽田上が行けなくなったことによりマテリアルのノートパソコンが大抜擢された。田上は、スマホしか持って来ていなかったのだが、そんな小さな画面じゃあんまりライブを堪能できないだろう。そこでマテリアルが持って来ていたノートパソコンの出番だ。田上とマテリアルは、ホテルのロビーの椅子と机を借りて二人で、ライブ前の待機をしながら開始するのを今か今かと待っていた。その時に国近から電話が来て、タキオンとのお喋りを開始したのだ。

 田上は、机の上に置いてあるノートパソコンの画面をチラと見ながら、タキオンの質問に答えた。

「マテリアルさんと二人で、ライブが始まるのを待ってるよ」

『そうかい。楽しんで見てってね。……実は、ちょっとしたこともやってみようと思っているんだ』

「…アドリブって事?」

 なんだか怪しい雰囲気だぞ、と言う風に田上が聞くと、タキオンが「ううん、違うよ」と答えた。

『いや、正確には違わない事は無いんだが、一応一緒に踊る子達には伝えておこうと思ってね。私のアドリブで取り乱されて踊れなくなると困るから。…演出の人たちには、…伝えておいた方がいいかな?…なんか少しばかりの変更を嫌がる頭の固い大人だと困るんだけど』

「…伝えておいた方がいいんじゃない?本当に少しなの?」

『ああ、少しさ。冒頭の部分にメッセージを入れてみようと思ってね』

「冒頭?…あの語りの所?」

『うん。言っとくけど、内緒だからね。あれは見てのお楽しみさ』

「見れるかも分からないんだろ?」

 田上がそう聞くと、タキオンが困ったようにごにょごにょ言った。それから、不意に『あ、着いた』と言った。

『着いたからもう切るね。また、暇になるときがあるかもしれないから、その時は君に電話をかけるとするよ』

「はい、ばいばい」

『ばいばい』とタキオンが言って電話を切った。それから、満足げにため息を吐いて、視線を辺りに彷徨わせるとマテリアルと目が合った。マテリアルは、嬉しそうにニヤニヤしていた。

「田上さん」

 清々しい程にいやらしい声でマテリアルは呼び掛けた。

「タキオンさんと仲が良いですね~。ホントは好きだったりするんじゃないですか~?」

 田上は、それに特に嫌そうな顔をして返した。

「好きじゃないです」

「そんな事あってたまるもんですか。あんなに見せびらかすように手を繋いで、好きじゃないって事ありますか?...じゃあ、聞きますけど、あなた方の仲の良さは常軌を逸していますよ?普通の人は、仲が良くても異性と手を繋がないし、一緒に同じベッドで寝たりしません。...お分かりでしょう?」

 ここで、マテリアルはレース場で自分を除け者にした田上に仕返しを少しした。それから、返答を求めるようにその顔をじっと見た。田上としては、この仕返しは自分の心の見てみぬ振りをしていた部分を的確に抉ってきていて、中々話そうと思っても言葉が出てこなかった。だから、その田上の様子に憐れみを感じると、先程まで少しだけ憤っていたマテリアルも心を落ち着かせて、「もう良いですよ」と言おうとした。その言おうとした丁度その時田上が苦しそうに口を開いた。

「......僕は、......少し見逃して貰えませんか?ちょっとだけタキオンと居るのが楽しいんです。手を繋いでいるときだったり、話しているときだったり、...あの子が僕に好意を寄せてくれているのは分かっているんですが、もう少し何かを忘れてこの時を享受していたいんです」

 ホテルのロビーには、誰も居なかった。だから、聞いている人も当然居ない。ロビーの受付の人も今は席を外していた。その為、ロビーは静まり返っていた。

 そんな中、マテリアルは不満そうに鼻を鳴らしたが、出てきた言葉は反省の色味を含んでいた。

「...そんなに責めるつもりはありませんでした。すいません。...ただ、いつかその日が来ますよ。あの子と向き合わなければならない日が」

「分かっています」と田上は、再び苦しげに答えた。それを聞くと、もうマテリアルも話すことを止めて、パソコンの方に目を戻した。まだ、開演まではもう少し時間がかかりそうだった。

 

 パソコンの前で座して待っていると、一人の少女がやって来た。少女と言っても、もう背の高い頃なのであまりその呼び方は似合わないかもしれない。ただ、顔色は田上と同じく芳しいとは言えず、その訳を聞くと、レースに出たのはいいがその後に体調が悪くなってウイニングライブは欠席したそうだ。そして、ホテルに戻って部屋で安静に努めようとしたが、一人だとあんまり落ち着かず、こうしてロビーの方までさ迷い歩いてきたそうだ。その子は、田上とマテリアル(少なくともマテリアル)が優しそうな人であることが分かり、パソコンでこれからウイニングライブを見ると分かると、自分も混ぜてほしいと提案した。マテリアルも田上も快く了承して、その真ん中にコツキリュウオウという名前の女の子を座らせた。田上も別に邪険に扱った訳ではなかったのだが、コツキリュウオウは田上には好奇の視線を向けたばかりで、マテリアルの方によくなついた。マテリアルは、もうその子を渾名で呼んでいて、コツキのコをとって「こっちゃん」と呼んでいた。田上は、その仲の良さそうに話している二人を見つめながら、暇を潰した。それから、始まるまでは結局タキオンから電話は掛かってこなかった。あちらの方もそれなりに忙しいのだろう。田上は、タキオンの事を考えながらパソコンに映し出されたライブの映像を眺めた。年齢こそばらばらだったが、皆初々しさがあった。バックダンサーとして踊っている子は、まだちょっと複雑そうな顔をしているし、センターで踊っている子は嬉しさを抑えきれずに顔をにこにこさせていた。その点では、タキオンは初めっからプロ根性で歌って踊っていて、周りの子から少し浮いていた。弥生賞くらいから、タキオンの舞台となった。周りの子もしっかりと踊るようになって、よりタキオンが引き立った。

 そんな事を考えていると、ライブの最中であるにも関わらず、タキオンから電話がかかってきた。ここで、やっと暇ができたようだ。田上は、心に浮かんだ嬉しさを隠しながら、電話に出た。

 まず始めに苦情を入れた。

「今、ライブを見てるんだけど」

『こっちは、やっと暇ができたところなんだ。少しくらい付き合いたまえ』

「あい」と田上は適当に返事をしたが、その後にキッとマテリアルを睨み付けた。マテリアルがこっちゃんの方に「彼女からですよ」と囁いて、要らぬ知恵を吹き込んだからだ。それだから、こっちゃんは尚の事田上を好奇の視線で見つめ始めた。それにはどうしようもないので、もうマテリアルを睨み付けるのも諦めて、タキオンとの電話に集中した。

 タキオンは、田上の返事を聞くと次にこう言った。

『それでね。あのアドリブの了承はなんとか得られたよ。演出する人の方にもだ。説得する順番が良かったね。まず先に一緒に踊る子の方から説得したんだ』

 すると、そこで突然後ろのガヤガヤした声の方から一つ大きな声が出てきて、電話越しの田上にも聞こえるような声でタキオンに言った。

『あれ?もしかして、それ、噂のトレーナー君ですか?』

 タキオンが、それに答えようか答えまいか考えている時間があって、それから田上の方に言った。

『ごめんね、トレーナー君。アホに話し掛けられた。ちょっと黙らすから待っててくれ』

 そう言った後に少しの間音声が途切れた。田上は、――どうやって黙らしてんだろうなぁ、と呑気に思いながら待っていると、電話の音声が繋がった。タキオンが、困ったように出てきた。

『参った参った。アホが黙らなくて参る。アホが君と話したいそうだから少しの間だけ代わるね』

 そう言うが早いか、アホと呼ばれた女の子がタキオンの電話に大きな声で『田上さーん』と言った。あまりに大きな声だったので、びっくりして田上は耳から電話を離した。この大声はきっと、タキオンと電話の間に割って入ったからなのだろう。これには、さすがの田上も苛ついて、「うるさっ」と言いながらまた電話を耳元に戻した。すると、もうアホに電話は代わっていた。

『あはは、私の第一印象最悪ですね』と笑っていたので、今の田上の「うるさっ」は聞こえていたようだ。それでも、反省しようとしないから田上はもっと苛ついた。しかし、苛つきはしたが、できるだけ丁寧に聞いた。

「それで、話は?」

『いや、ちょっと声を聞いて話してみたかっただけです。もう満足したんで大丈夫です。タキオンさんを大事にね』

 そう言うと、もう次の瞬間にはタキオンに代わっていた。

『頭イカれてただろ?』とタキオンが聞くと、田上が困惑しながらも「イカれてた」と返した。その後に二人で笑い合うと話は別の題目へと移った。

 しかしながら、タキオンはまだ先程のアホに考える力を持っていかれていて、話のネタは何も思い浮かばなかった。だから、田上にタキオンが「何かないかい?」と聞いた。

「何か?」

 唐突な質問にオウム返しに田上が言ったが、何かと言えば何かあった。目の前にいるコツキリュウオウだ。パソコンに映し出されているライブを見つつも興味ありげに田上の方を見ていた。そこで田上は言った。

「今、第四レースに出てた子と一緒に見てるよ」

『四レース?調子でも崩したのかい?』

 こっちゃんは、今自分のことを話されてると思って、田上の方をじっと眺めた。田上は、それを見て「話題にしても良かった?」という意味で首を傾げて見せたのだが、こっちゃんには通じなかったようだ。あまりよくわからなさそうに首を傾げ返された。それだから、田上は苦笑をしつつタキオンに返事をした。

「崩したらしい。それで、一人で居るのも暇だったらしいから、ロビーで見てる俺たちの所まで彷徨ってきたんだそうだ」

『じゃあ、今そこに居るんだね?』

「ああ」と田上が答えると、タキオンはそれ程興味がなさそうに「ふ~ん」と頷いた。すると、田上側の方で興味の湧いたものが一人いた。田上が、まだ話している最中だというのにこっちゃんが話しかけてきた。

「田上さん、彼女さんですか?」

 田上は、少ししかめっ面をして首を横に振った。

「じゃあ、誰ですか?」

 少し面倒臭かったが、田上は黙ってスマホをかざして『タキオン』という文字が見えるようにしてから、また耳にスマホを戻した。すると、タキオンが話し出した。

『あ~…。あんまりここだと落ち着いて話せないから、また後で話そう?』

「俺は、もう少し話しててもいいぞ」

『ふふ。そんなこと言うなよ。話したくなっちゃうじゃないか』

「話せばいいと思うよ。別に話さなくてもこのまま電話を繋いでいてもいいんじゃないか?」

『ええ?やけに勢いがいいね。…だけど、こっちも集中しなくちゃならないんだ。もうすぐ私たちの出番だしね。じゃ、もう切るよ。ばいばい、トレーナー君。愛してる』

 これで、田上がちょっとタキオンに強く出た仕返しをされた。田上は、最後の言葉を言われると、思わず立ち上がってスマホを地面に叩きつける体勢を取ったが、ぎりぎりで理性を取り戻してそれは止めた。そしてすぐに自戒した。――あれくらいで気を取り乱していてはこの先どうしようもない、と。

 もうすでに電話は切れていた。タキオンは、言い逃げを計った。それに少し悔しそうにしながらも、田上は楽しそうにスマホの画面を眺めた。まだ、タキオンが軽く言う分気が楽だった。前の日常に戻ったような気がした。だが、マテリアルたちは突然立ち上がった田上をしっかりと見ていて、楽しさに浸っている田上に驚きながらマテリアルが聞いた。

「トレーナー。…何があったんですか?」

「…え?…あ、いや別にちょっとタキオンに腹が立ったから立ち上がっただけだよ」

 田上は、綺麗に嘘を吐いたが、マテリアルは怪しそうに「ふ~ん」と田上を見て、そしてこう言った。

「腹が立ったにしては、やけにニヤニヤしてますね。また、タキオンさんとイチャイチャしてたんですか?」

「イチャイチャ?してないよ。コツキさんもそんな顔で見ないで?ライブ見てくれ」

 こっちゃんは、田上の事をニヤニヤしながら見ていたから、田上も声が少し上ずってしまった。すると、こっちゃんが田上に言った。

「田上さん、思ったよりも面白い人なんですね。タキオンさんとのお姿は拝見したことがありますが、そんな顔をするとは思いませんでした」

「俺の顔より、ライブの方を見てくれ」

 その言葉にニヤニヤしながらもこっちゃんは「はい」と頷いて、ライブの方を見た。今度は、田上とも少し仲良くなって、田上の方をたまに振り向いて見たりしながらライブを鑑賞した。

 

 そうしていくと、タキオンの番がやってきた。田上は、少しドキドキしてパソコンの画面を見つめる。今は照明が落ちているから真っ暗だ。その真っ暗な場面でタキオンはどこにいるのだろうと田上は必死に目を凝らした。しかし、結局見つける事はできずに急にぱっとタキオンと二着のソラと三着のテラーに上から照明が当てられた。タキオンは、ダラララッダラララッとドラムの音が聞こえると声を出した。最初の語りの部分だ。ここでタキオンは何かあると言っていた。

「なぁなぁ、トレーナー君。明日駅で待ち合わせをしようよ」

 それに、テラーが答えた

「嫌だよ。お前の事嫌いだもん」

「ええー」とタキオンが悲しそうに言って暗転した。

 田上は、――これかぁ…と頭を抱えてしまった。まさか、自分を引き合いに出されるとは思わなかった。会場内も少しざわめいているように感じられる。マテリアルも田上をニヤニヤしながら見ていたが、田上はそれを無視して画面を見続けるしかなかった。

 テラーの語りが終わると、先程の「嫌いだもん」という言葉とは裏腹に明るいポップな曲調が始まり照明が付いた。ちなみに、テラーの言った「嫌いだもん」という言葉はタキオンの作ったものではない。テラー自身が作った言葉である。タキオンが作ったのは、「なぁなぁ、トレーナー君」の所だけだった。本来は、女子高生とその彼氏がただ会話をしている描写のはずだった。

 そして、前奏が終わるとまずソラが歌い出した。

「 よくできた砂のお城を壊して走っていくのは青髪の子

  その後に続いて栗毛に鹿毛に葦毛に…分からなーい」

 その後にテラーだ。

「 ターフの上に着けば入り乱れに掻き乱れて合戦

  この前僕が応援していたあの子はどこだ?

  …あれ?いないぞ?いないぞ?いないぞ?

  …どこだーー!!」

 テラーの低めの叫び声が会場内に響き、客の方から「ここだー!!」と返ってきた。そして、次にタキオンの出番になる。再び照明は落とされて、今度はタキオンだけに当てられた。タキオンは、しきりに何かを数える動作をしている。

「 一枚二枚三枚…四枚?

  一枚二枚三枚…四枚?

  一体、こりゃなんだ?全部ダメだぞ!何もかもダメだぞ!!」

 ここは語りの部分だった。そして、暗転してまた光が付くとそのままタキオンが歌を続けた。

「 洋服を脱げば気付くものだと思って海に行ってみたけど

  いくら肌を見せたって見えるものはなかったんだ

  熱く彼女を応援すれば何もかも忘れられると思ってスタンドに行ってみたけど

  気が付くと見えなくなっていた

 

  暑さに溶けて消えてしまいそう

  もうだめだ。このまま死んでしまいそう

  呼んでる声がする。そちらに行こう

  朦朧とした頭の中で…」

 タキオンのパートは、先程とは一転して暗いパートだったが、ここはサビの前に下げただけの場所である。ここからが本番だった。タキオンが歌い切ると、照明が一気についてステージから炎が噴き出し、会場が燃え盛った。

「 走れウイニングライブ彼を迎えに行こう

  逃げる魂私は逃さない

  ウマ娘の走りをなめちゃあかんのでしょう

  壊れかけた時計を直して

  時を駆ける躊躇い見せず

  その手を掴むから」

 そして、また舞台は暗転し語りへと入る。

 まず、タキオンがドラムの音がする中で言った。

「 初めっからそんなのなかったんだよな。恋とか愛とか、受け入れがたし。受け入れるべからず。これが基本なんだよな」

 この声が、パソコンで見ている田上には少し震えているように感じたが、タキオンの表情に変わったところはなかった。

 そして、その後にソラが出てきて言った。

「言う程の事無いんじゃない?いつもそうだよ。期待外れ。結局こうなんだ。俺ってば、運のない奴」

 それから、この語りとは正反対の明るい演奏が流れて二番が始まった。

 テラーが、最初に歌った。

「 暑い夏が終わり景色の狭間に溶けていって

  君と過ごそう幸せな日々 チクタクチクタクチーン」

 次にソラ。

「 壊れそうな残暑が今も僕を責めてくる

  奔流に乗って河口へと続くパラダイス

  そうさ、探すのさ。いつだって俺は探すのを止めない。…止めない…」

 そして、また暗転だ。タキオンの泣く声が聞こえる。スポットライトは点かない。タキオンが暗闇で泣いているだけだ。そんな中、タキオンは絞り出すように言葉を吐いた。

「生きて…、生きて、未来を掴むんだ…。トレーナー君」

 ここでもまたタキオンのアドリブが入った。勿論、作詞した木下はここにトレーナー君とは入れていない。田上は、アドリブは冒頭の所だけと聞かされていたから、驚いてしまった。それと同時にどうしようもない気持ちに駆られて、それを発散するように手を口元へと持ってきた。

 そこから、曲は二番のサビへと続く。

 照明が明るく光って、タキオンもソラもテラーもバックダンサーの子たちも踊り出した。ただ、タキオンは様子がおかしかった。目元が涙で濡れていた。――演技なのだろうか?田上は訝しんだが、演技とかそれどころではなくタキオンは口をへの字に曲げて歌うことができていなかった。声を出したとしてもそれは震え声だった。それでも、皆で歌うパートなので歌は聞こえてきた。

「 走れウイニングライブ明日へ飛び出そう

  暑い夕日と彼の背中

  西の雲を追いかけ空へと連れてくから

  ターフに吹いてるその風と

  君の声がちょっぴり似てる

  だから私は走ってる」

 ここでタキオンだけのパートになった。なぜタキオンが泣いているのか田上には分からなかった。タキオンは、暗闇の中にスポットライトを当てられてぽつんと一人残された。小さな手にマイクを握って一生懸命歌っている。それを見ているとどうしようもない、早く彼女の下に行って手を取ってあげたいという気持ちになった。しかし、タキオンはパソコンの中だから田上にはどうすることもできなかった。

 タキオンは、時折鼻水を啜りながら歌った。

「 思い出の木の下で未来の事を話したね

  刈ったばかりの芝の匂いを覚えているよ

  君は茨の道から抜け出そうともがいてた」

 タキオンの声が、会場内に長く響き渡り、次いでドラムの音が聞こえた。それは段々大きく段々大きく響いていって、会場内に木霊し始めた時、ウマ娘たちが「は~し~れ~」と盛り上がりを溜めた。そして、唐突にドラムがリズムを変えドラララッと素早く鳴らした。すると、最後のサビが始まった。

「 ウイニングライブ彼を迎えに行こう

  もがく魂そっと手を取る

  もう苦しまなくたっていいから

  この街に吹いている風は

  いつもと変わらず君に語り掛ける

  ようやく。ようやくだ、と。」

 最後にタキオンが半分泣いて半分笑っている奇妙な顔を映して、舞台は終わった。これより後の曲は無い。タキオンたちが最後を飾って終わる。外は、もう陽が沈んで暗くなっている。ガラス張りのロビーから外の景色が見える。後は、タキオンたちが帰って来るのを待つだけとなった。パソコンの画面では、司会者がなんやかんや言った後、今まで舞台でしか点いていなかった照明が点いて、それからパソコンの画面が変わり『本日のウイニングライブは終了いたしました』と出てきた。田上は、悩み顔で自分のおでこを擦った。マテリアルは、隣にいるこっちゃんと頻りに「タキオンさんは凄いですねぇ」と言い合っていた。そして、それを言って満足するとこっちゃんが田上の方を向いて言った。

「田上トレーナーは、タキオンさんに思われてるんですね」

 田上は、曖昧に「うぅん」と頷いただけでこっちゃんの方を見もしなかった。その頭にあるのはタキオンの事だけで、タキオンが帰ってきたらどう接してやればいいのだろうと悩んでいた。今の田上は朝の鬱々とした気分から抜け出していて、上機嫌とまではいかずとも程良く機嫌は良かった。そんな中でまた悩みの種が出てきたのだが、鬱になりそうな種類の悩みではなかった。ちょっとの期待と迷いの含まれた悩みだった。それをどうしようかどうしようかと悩んでいたら、察したマテリアルが言った。

「…私は、別にお二人がくっつくこと自体は構わないと思いますよ。私は、曖昧なままうだうだしている関係が嫌いなだけですから」

 察したと言っても答えは望んだものではなかった。それどころか聞いていたこっちゃんに誤解を与えてしまうようなものだったから、田上からしてみれば迷惑極まりなかった。そして、予想した通りこっちゃんが不思議そうにマテリアルに聞いていた。

「田上トレーナーは、タキオンさんと付き合うことで悩んでいるんですか?」

 視界の端でマテリアルが、こっちゃんに向かって深刻そうに頷くのが見えた。これは非常に鬱陶しい。人の気も知らないで知った気になっている。田上は、少々マテリアルにムカついたが、こっちゃんがこちらの方も尋ねてくるように向くと、誤解を解くために田上は言った。

「…タキオンと付き合いたいだなんて思っていない。…ただ、……引っ掛かる事があるんだよ」

「なんですか?それは」とマテリアルが首を突っ込んできた。その突っ込んできた首に正面からパンチしたい気分でもあったのだが、そもそもマテリアルも悪気があって言っているわけではないのでそれをぐっと堪えて返答をした。

「…分からない。自分が何に引っ掛かっているか…」

「そうですか…」とマテリアルは相変わらず田上の心を見て知っているかのように、深刻そうな顔で頷いていた。実際の所、これは鬱ではない。本当に鬱ではないのだ。だが、マテリアルはまだ田上が鬱に悩まされていると思っているから困る。悪気がないから猶更困る。その事に少し苛つきながら、田上はタキオンの帰りを待った。

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