ケロイド   作:石花漱一

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二十一、海岸線、白く染まる②

 すぐに秘書の方からメールの返信が来た。田上とタキオンが、寝転がって傍に生えている木の枝から伸びる木の葉を見ていた時だった。

『話すことには話せますが、あまり時間は取れません。今日であれば一時から一時二十分までの間でなら、応接室で可能です』との文言だった。だから、田上はそれに『ありがとうございます。今日の一時にアグネスタキオンと共に応接室にお伺いさせてもらいます』と返して一息吐いた。その後、またすぐに秘書から『では、一時に応接室にて』と返ってきたが、今度は何も返す必要がなかったため、一度文言を確認すれば後は隣に寝転がっているタキオンを見た。タキオンは「どうだった?」と聞いてきたから、「ん?ただの最後の確認のメールだった。一時に応接室ね」と返した。それから、またタキオンが聞いてきた。

「お昼は一緒に食べる?」

「食べてもいいよ?…購買でおにぎりを買ってここで食べるのもいいかもな」

「それもいいね。いよいよ、恋人らしくなってきた」

 タキオンがそう言うと、田上が複雑そうに顔を曇らせた。だから、タキオンは困ったように眉を下げて言った。

「私の事は好きなんだろ?」

「…好き。と言ってもいいのかどうなのか…」

「ああ、それを秘書さんに聞きに行くところだったね。今の質問は無粋だった。忘れてくれ」

「…でも、…でもな…」

「無理はしなくていいよ。私も君の気持ちは十分分かっているから」

「……好き…だよ。お前の事は好きだ。大切にしたい」

「嬉しいね…」とタキオンは木の葉を見上げながら呟いた。その様が、何か田上の不安を誘ったから、田上はタキオンの手を握って少し焦り口調で言った。

「本当に大切にするからな。…嘘じゃない…」

 そうすると、タキオンはゆっくり首を動かして田上を見てきた。そして、静かに微笑んだ。

「そんなことは分かってるよ。私の口調がおかしかったかい?」

「いや、…そんなことはないけど…」と今自分が言ったことを冷静に思い返し、少し不味いことをしてしまったという顔をしている田上が言った。それが少し可笑しかったので、タキオンはにやりと口角を上げて言った。

「嬉しいよ。君がそんな風に言ってくれるなんて」

「嬉しい?…やっぱり今のはダメだ」

「私を大切にしないということかい?」

「…そんなんじゃなくて、…少し本気にし過ぎた。バカみたいだ」

「私は、バカじゃないと思うけど…」

 そうタキオンが言うと、田上は今まで繋いでいた手を放した。

「バカだよ、俺は。…お前も大したことのないやつを好きになったもんだ。いずれ酷い目に遭うぞ」

「遭おうとも。どんな困難が待ち受けていようとも、私は君を絶対に見捨てはしない」

 そして、タキオンは田上と手を繋ぎ直した。田上は、自分を真剣な眼差しで見てきているタキオンと視線を合わせた。しかし、合わせこそしたものの、長くは耐えきれずにまた目を逸らした。視線を上げて上を見た先には、木の葉が風に揺れて揺らめき、田上の目に時折太陽の光を降らせた。その輝きに目を眩ませながら田上はため息一つ吐いて、言葉を発した。

「あんまり自信はないぁ…」

「何がだい?」

「んん?…これから先、生きていくことだよ。…何か、不図した拍子に死にそうだ」

「…死なないでくれよ。私も、もしかしたら、後追い自殺をしてしまうかもしれない」

「そりゃあ、大変だ…」

 その後に田上は、ははは…と力なく笑った。そして、唐突に体を起こすとタキオンに言った。

「購買に行っておにぎり買ってこようか?もうお昼近いだろ?」

「ん~、私も行こう。ここで一人で待ってるのもなんだか寂しいからね」

「じゃあ、そうしよう。体を起こせ。行くぞ」

 田上がそう言うと、タキオンが顔をニヤリとさせた。

「ええ~、体に力が入らないな~。起こして~。抱っこで連れて行ってくれよ~」

「抱っこは無理だ」

 それなので、田上はタキオンの手を引っ張って起こしてあげた。これが中々に手こずって、正月の時にもこのような事をしたことがあったのだが、それ以上にタキオンが抵抗したので難しかった。下が地面で、あんまりタキオンを汚すことにも抵抗があったのもその原因の一つだろう。しかし、タキオンの全力の脱力も中々のもので田上に全幅の信頼を置き、立つときに膝を曲げようとせず、常に後ろに重心を置いた。すると、田上もタキオンの体のどこそこを触りながら起こさなければならなかった。脇などを触られると、タキオンはくすぐったそうにクスクスと笑った。その内に、やっとの思いでタキオンと何故か抱き締め合うような体勢になって、その体を立ち上がらせる事ができた。その体勢になると、タキオンは急な衝動が襲ってきて、今自分を抱き締めている大好きな人の頬に短くキスをした。その田上という大好きな人は、キスをされると恥ずかしそうにニヤリと笑って言った。

「なんだよ」

「…私たちって想像以上にお似合いの夫婦だと思わないか?」

 その言葉を受けると、やっぱり田上は複雑そうな顔をして「どうだかな…」と言った。タキオンは、その顔を優しく撫でたがもう一度キスをすることはなく、ただ、「おにぎりを買いに行こう」と呼び掛けた。田上は、それに黙って頷いた。胸の内には、その柔らかな頬にキスをし返してやりたい想いが在ったが、その気持ちはそこにそのまま納めておくことにした。

 

 購買から帰ってくると、二人はベンチに腰掛けおにぎりをもぐもぐとしだした。あまり言葉は交わさなかった。二人とも景色を楽しんでいたし、話す内容もそれ程なかったからだ。それでも、体はぴたりと寄せていて、些か田上が窮屈そうに自分のおにぎりを食べていた。タキオンのおにぎりは、ウマ娘用のでかいおにぎり二つ組だった。田上も自分のおにぎりを二つ買っていたが、タキオンの物と比べると幾らか小さく見えた。二人の買ったおにぎりは中身がそれぞれ違っていたので、食べ比べる事もした。最初に食べ比べを提案したのはタキオンだったが、あまり乗り気でなかった田上もタキオンが自分のおにぎりを田上の方へ差し出せば有難く頂いて食べ比べをした。タキオンのは鶏そぼろの混ぜられたおにぎりだった。特別美味しいということはなかったが、タキオンのおにぎりを一口かじってもぐもぐしているうちに自分を見てきている赤い瞳と目が合うと、ニヤリと笑って言った。

「美味い」

 それを言うと、タキオンは何にも言葉を発さないままクスクスと笑いだした。それから、あーと口を開けると、自分の口に田上のおにぎりをくれるように催促した。田上のおにぎりは、ただのツナマヨおにぎりだった。これも、特に美味しくもなんともない。しかし、タキオンに食わせてみれば、大きい一口で美味しそうにニコニコ笑いながらもぐもぐしていたので、ツナマヨを買ってきて良かったと思った。

 そうやって時間は過ぎていった。なんだか今までの自分の人生に割が合わないような気がした。今まで、碌に人と接さず向き合う事から逃げてきた自分が、こんな形で報われていいものかと思った。タキオンと出会ったのは全くの偶然である。全くの偶然が、自分の人生を変えた。もしかすると、運命とも言うべきものかもしれないが、どちらにしろ自分に推し量れることではない。偶然も運命も全く持って似通っていて、違うものと言えば、言葉の意味の方向性だけであって、中身は全く同じだ。自分に推し量れるものではない。では、自分の人生とは偶然や運命に左右されて推し量れないものなのだろうか?いや、それでは少し有難くない。やはり、そこには自分の意思も少しは関係しているような気がした。

 ただ、タキオンと出会ったと言っても、出会いは生徒会長個人に引き合わされての物だった。こちらは、全くの策士である。慧眼にも程がある。田上が、タキオンの走りに夢を持って自分の身を捨ててもいい程に熱中するなど誰が思ったのだろうか?怪しい薬を持ったタキオンと相性の良い人物など限られに限られている。その中で、たった一人田上を選んだのだから意味が分からない。ここ最近は、生徒会長に会っていないので、また改めて挨拶をしておかないといけないと思った田上だった。

 

 早々におにぎりを食べると二人は麗らかな日和により、睡魔に襲われた。最初にうとうとし始めたのは田上の方だった。左隣に寄り添っていたタキオンに次第に体を預け、タキオンがそれに気付いて「私の膝で寝るかい?」と提案すると眠気に参ってしまっている頭で頷いて、その膝で寝た。すぐに眠りに落ちることができた。タキオンの膝枕で寝た記憶すらない。ベンチを占領して田上は横になって昏々と夢も見ずに眠った。その田上の顔を、少し微笑みながら見ていたタキオンも次第に睡魔に襲われて、うとうとと眠り始めた。背もたれのない椅子に座って寝ているので深い眠りには付けなかった。その代わりに、こっちの方は夢を見た。自分の父と母の夢だった。

 いくら「父さん」「母さん」と呼んでも一向に振り向いてくれない。父さんの方は、一度振り向いてくれたが、「ここはお前の場所じゃないよ」と言うとそれきり振り向かなくなった。母さんは、最初から振り向いてくれなかった。膝に抱いている小さな赤ん坊を嬉しそうにあやしながら父さんとだけ話をしていた。すると、そこに小さな猫が現れた。その猫はにゃあにゃあと鳴いてタキオンの気を引いた。タキオンも父母に呼び掛け続けるか、その猫の相手をするのか迷ったが、結局は猫の方の相手をした。猫の顎を撫でてあげると、嬉しそうににゃあと鳴き声を上げた。それから、急に猫は後ろを向くとスタスタと立ち去って行ってしまった。タキオンは、追いかける事もせずにその背を呆然として見ていた。すると、次に自分の後ろから背を叩かれた。振り向くと、そこに居たのは田上だった。今までのタキオンは、幼年時代の姿で夢の中にいたが、この時にトレセンに来た頃のタキオンになった。そして、タキオンは田上の姿を見ると、嬉しそうに「トレーナー君!」と言ってその体に抱き着いた。それで夢は終わった。田上が、夢の裏からタキオンを呼んでいる声がして目が覚めた。目が覚めると、固く広い手がタキオンの頬を撫でているのを感じ、自分の膝枕で寝ている田上と目が合った。その途端に自分の口から涎が垂れた。タキオンは、慌ててその涎を吸って自分の口へと戻そうとしたが、音を立てて吸ってもそれは下へ落ちていき田上の頬に垂れた。タキオンは、「ごめんごめん」と謝って自分の服でその涎を拭いてやったが、その間に田上が微笑みながら言った。

「涎垂らすときのお前、良い顔してたぞ」

 タキオンは、顔を赤らめて口を変に歪ませながら「恥ずかしいなぁ…」と田上に言った。そして、その後に田上がベンチに身を起こしながら言った。

「少し寝たくらいでよかった。危うく秘書さんとの話をすっぽかすところだったぞ」

「…ああ、そうか。そう言えば話があったんだね。すっかり忘れてた。ありがとう、私を起こしてくれて」

「どういたしまして。結局、お前が居ないと話にならないからな。起こす以外に選択肢はないんだけど」

 そう言って、二人は顔を見合わせると田上の「さぁ、行くか」という言葉を合図に立ち上がった。それから、手を繋いで寄り添って歩き出すと、タキオンが田上に言った。

「私、ここで交際の事を隠さないって事になったら、籍を入れても良いと思っているのだけれど」

 その言葉で、タキオンと手を繋いでいる田上が動揺するのを感じた。タキオンも田上がこのような反応をするのだろうと分かってはいたのだけれど、この質問をしてみたい気持ちは抑えられなかった。

 田上は、動揺こそしたものの返答はできうる限りした。

「俺は……」

 そこで躊躇うと、タキオンが口を挟んだ。

「私は、もう結婚できる年齢だよ?」

 すると、また田上はタキオンの顔をチラと見た後、「俺は…」と続けて言った。

「俺は…、正直、結婚なんて何か別の世界の話じゃないかと思うし、それに、俺たちは、まだあの時キスをしてから三日四日しか経ってない。時期尚早過ぎる」

「でも、私たちは出会ってもう二年は経っているんだよ?お互いがどういう人物かは結構理解しているものだと思うけど」

 タキオンがそう言うと、田上が意味有りげにタキオンの顔を眺めた。だから、タキオンは「なんだい?」と聞いたが、田上は「何にもない」と返して、先程の話を続けた。

「二年経ってても、俺がお前と向き合い始めたのは最近だ。俺だって、自分の事は完全には分からないし、お前の事も完全には分からない」

「それは、確かにそうでもあるけど、私はこれから先も君と添い遂げられる自信はあるよ」

「俺はない」と田上は淡白に返したが、その後で何か思う所でもあったのか「別に嫌いじゃない」と返した。その言葉に、まだタキオンとしては思うところがあったのだが、どうせこれを言ったとしても堂々巡りになるだけなので、堂々巡りにするならもっと落ち着いた場所で堂々巡りにしようと思い、言おうと思った言葉はまた後日かそれともこの後の秘書との議論に後回しにした。

 

 応接室に着くと、そこにはまだ誰も来ていなかった。ほとんど一時丁度ではあったのだが、向こうも人間だ。遅れるか何かあるのだろう。田上とタキオンは座って秘書を待った。理事長の秘書の名前は、柏田木之実(かしわだこのみ)という。タキオンが研究によってやらかしを行ってしまった時などに何度か事情を説明しに行った事がある。田上よりも年齢が上な人間なので、基本、田上には溜口で話している。最初から田上に、古くからの友人であるように話してきたときには何事かと思ったが、何度か話していくうちにこういう人なんだなと思うことができた。しかし、まぁこんなふざけたような人ではあっても仕事ができるという所が不思議なものだ。世の中、決して平等ではないという事がこの女性から見て取れる。同じような女性でも、こんな大きな学園の理事長の秘書になんてそうそう成れるものではないのだ。例え、ふざけていない「私は真面目です」と言える女性がその地位を所望していても簡単になれるものではないのだ。それをふざけている人が成ったのだから、何かと腹が立つ。賢い者は、堅物であるとの偏見は付きやすいものだが、例外はバカにしてはいけない。

 田上たちは、ぽつりぽつりと話しながら待った。その内容は、秘書の柏田さんの事だったりしたが、それとは関係なく、初めに座ったときに開いていたその距離は話していくごとに段々と縮まっていった。タキオンの緊張が緩んできたのだ。だから、最後にはタキオンは田上に肩を寄せて、その肩に頭ごと体重を預けていた。田上としては少し迷惑そうにしていたのだが、ここに柏田さんがドアを大きな音を立てて入ってくると、もっと迷惑になった。もうリラックスしてしまったタキオンは、柏田さんが部屋の中に入ってきても田上から離れようとしないで、そのままだらけた姿勢のまま柏田さんに「こんにちは」と挨拶をした。柏田さんもそれを咎めも何もしなかったので、これではタキオンの意のままだった。田上が声を上げるしかない。田上は面倒臭そうにタキオンに「もう少し離れろ。柏田さんに失礼だろ」と言うと、タキオンが田上の顔をニヤリと笑って見つめた。それから、田上の言葉を素直に聞いて、せめて体を預けるのは止めた。しかし、距離は相変わらずのままだった。田上もこれにはどうしようもないので、柏田さんの方を向いた。そちらの方を向くと、にやにやした柏田さんが居て、目が合った田上に言った。

「遅れてしまって申し訳ありません。話というのは?…交際の問い合わせ問題について話したい事があるということでしたよね?…あのメールには、交際の有無については書かれていませんでしたが、そこらへんのことはどうなのでしょうか?」

 柏田さんは、「あなたたちの関係なんて見れば簡単に分かりますけどね」という違っていたら失礼な目付きで田上を見て、タキオンを見た。田上は、ここぞという時に躊躇って何も言わなかった。ただ、体をモジモジさせて冷や汗をかくだけだった。それだから、タキオンが代わりに口を開いた。

「まぁ、隣の圭一君を見れば分かる通り、私と交際するのに迷っているようです。それで、返答にも迷っていて、あなたにご相談できればと思った次第です」

 すると、柏田さんの顔は見る見るうちに「おやおや、これは思ってたのと違うぞ」という顔になり、田上ではなくタキオンの方を向いて言った。

「するとぉ…、どういうことですか?てっきり私は、惚気話でも聞かされるものと思ってここに来たのですが、違うんですか?…迷っているというのは?」

 柏田さんがそう質問すると、タキオンは隣で体を強張らせて緊張している田上の手を握って言った。

「君も言わなくちゃならないよ。とりあえず、君が私をどう思っているかだけでも説明するんだ」

 そこで、田上は少し落ち着きを取り戻したが、やっぱり緊張して無意識のうちにタキオンの手を固く握り返しながら言った。

「僕は…、僕は、タキオンの事は好きには違いがないんですが、僕に自信がないもんですので、人と付き合うのが少し怖いんです」

「へ~」と柏田さんは頷いた。特に、何か厳しい事を言いそうな素振りもなく、ただ田上に次の質問をした。

「じゃあ、アグネスタキオンさんの事が好きなんだ?」

「はい…、まぁ、その通りになります…」

 躊躇いがちに頷いた田上だったが、柏田さんの興味は、次はタキオンに移ったようでこう言った。

「タキオンちゃんって呼んでいい?」

「ああ、どうぞ。構わないです」

 タキオンの方は妙に落ち着いていた。それが、なんだか田上には信じられなくて、首を動かすと隣のタキオンをチラッと横目で見た。すると、タキオンがその視線に気が付いたが、柏田さんにまた話しかけられたので、田上に対して言葉を発することはなく、ただ握られている田上の手をそっと優しく握り返した。そこで、田上も自分が緊張してタキオンの手を強く握りしめていたのに気が付いて、その力をふっと緩めた。手の力を緩めると、なんだか体の力も緩められて、田上は一息つくことができた。隣では、柏田さんとタキオンがこんな問答をしていた。

「タキオンちゃんは、勿論、田上君の事が好きなんでしょ?」

「はい」とタキオンが頷いた。その後に、柏田さんが再び「へ~」と相槌を打つと、今度はニヤニヤしてタキオンに聞いてきた。

「タキオンちゃんは、もう凄いウマ娘だけど、田上君のどこを好きになったの?」

 少し不躾な質問にタキオンはむっとしたが、田上に伝わるならそれでいいと思い、言った。

「全部です。この人には、何度も言っていますが、全部が好きなんです。固い手の平も、頼りがいのある肩も、私を受け入れてくれるその優しさも、全てが好きなんです。…なぁ、圭一君」

 タキオンが、話の最後に田上に聞くと、田上も少し慌てたが、タキオンには直接答えずに柏田さんの方を向いて言った。

「そのようです」

 それで、柏田さんはニコニコして言った。

「良い彼女じゃない~。今時、こんなにハキハキと物を言ってくれる彼女もそうそう居ないわよ。田上君、少しなよなよした草食系男子みたいなところあるから、タキオンちゃんよろしくね」

 すると、空気を読んでただ頷くことなんてタキオンはせずにこう反論した。

「お言葉ですが、圭一君はなよなよした男ではありません。その気になれば、私の事を何分でも何時間でも待ってくれる胆力があります」

 田上は少し驚いて隣のタキオンの顔を見つめたが、当の本人は、田上の方を見るとニヤリと笑って「だろ?」と同意を求めてきたし、柏田さんは嬉しそうにこう言った。

「そうよね。田上君、ただの男じゃないもの。数々のトレーナーの誘いを退けて選り好みをしてきたタキオンちゃんに選ばれた男だもの。そして、今、そのタキオンちゃんからこんなにも好かれている男だもの。ただのなよなよした男じゃないよねぇ!」

 そこで、柏田さんは不意に思い出したように、慌てて時計を見た。柏田さんが来たのは、一時から十分遅れた時だったので、話し始めた時からそれ程時間は残されておらず、今、時計を確認すると約束の一時二十分まで後に三分だった。それで、柏田さんは悔しそうな変な高い声を上げた。

「くう~ぅう!もっとタキオンちゃんと田上君と話したい!しかし、仕事は仕事だから仕方がない。本題をしましょ!交際については迷っているんでしょ?なら、対応は個人への問い合わせには対応しておりませんでいいか。そうよね、元々、ここはアイドル事務所じゃないもの。生徒と職員の個人情報を外に漏らす必要はないわ」

「ですが、一応、歌って踊ってグッズなんかも出してますが、そこら辺は大丈夫でしょうか?」と田上が心配そうに聞いた。すると、柏田さんは難しそうな顔をして言った。

「まぁ、…ファンへの対応ってのは難しいものね。実際に、あなたたちが交際しているか気になっているファンもいるでしょうしね。それに、週刊誌にだって付け狙われる可能性があるかもしれないわ。田上君、分かるでしょ?タキオンちゃんだって田上君だってもう、ただの個人ではないもの。その気になれば、週刊誌が何かスキャンダルをすっぱ抜きたくてうずうずしているはずよ。この前のお正月の時もあなたたち、大内県に二人で遊びに行っていたんでしょ?冬の雨の中追いかけっこして死にかけるのも中々なものだけど、次に二人で遊びに行くときは今度は記者も一緒に付いてくるかもね?」

 すると、タキオンが田上に向かって言った。

「圭一君、私は、週刊誌なんて気にしないけどね。気付かないうちに撮られるのならば構わないし、どうせ、外でそんなに痴態を晒すわけでもない。せいぜい私が君に抱き着くくらいさ。それならば、交際のなんちゃらも関係はないな。一番は、二人で居る時に口うるさく聞かれるくらいだな。…君はどう思う?」

「俺?」と田上は自信なさそうな小さな声で聞き返した。そして、少し考えた後言った。

「…俺は、もう週刊誌が勝手にすっぱ抜いてくれるんだったら、それでいいと思う…。ダメかな?」

 田上がタキオンにそう聞くと、タキオンは「私はそれでいいと思うよ」と返した。そこで、あまり時間の無い柏田さんが早く話をまとめるために言った。

「じゃあ、もう対応としては何も言わないでいいわね?」

 タキオンは、田上がそれに返答をしなさそうだってので、手を繋いだままその脇腹を肘で小突いた。すると、田上は慌てて「はい…」とこれまた自信なさそうに言った。

 それで、話は終わった。柏田さんは、田上が返事をすると、すぐにそそくさと自分の腕時計を見つめながら部屋から出て行った。その出て行く間際に柏田さんは、田上とタキオンに向かって言った。

「今度、私の暇ができたら、一緒にご飯食べに行きましょうね。もっと、田上君の話を聞きたいわ。この堅物が、なんでタキオンちゃんを好きと言えることになったのか」

 それにタキオンは、少し微笑みながら「堅物に間違いはないです」と答えた。柏田さんは、その答えを聞いてふふふと笑いながら応接室を出て行った。

 

 柏田さんが、応接室から出て行った後、まだ田上がそわそわと落ち着かなさそうにしていたから、タキオンがそれを和らげるために言った。

「君は、なんで私の事が好きなんだい?」

 そう唐突に聞かれたので、田上は初めのうちは「え?」と戸惑って聞き返したが、話を理解すると難しそうな顔をして言った。

「…言わなきゃいけないのか?」

「言いたくないんなら別に言わなくてもいいさ。ただ、君が私を好きになった理由ってなんだろうなー?って思ってね」

 それでも、タキオンは少し期待の籠った眼差しで田上の事を見つめたが、田上は首を振り振り言った。

「…あんまり分からん。何でお前を好きになったのか。好きでもいたくない…」

「そんな事言うなよ。悲しいだろ?私は、君の事好きだよ?」

「それは、分かってるよ。この三日四日で何回も聞かされた。でも、…あんまり良く分からないんだよ。お前の事が」

「んん?それは、どういう事かな?」

 タキオンがそう聞くと田上は、嫌そうな顔をして「言いたくもない…」と答えた。それだから、今度はタキオンが朗々と話し始めた。

「言いたくもない?それは自分の事だろうね?そうすると、君は秘密主義者という事でいいのかな?秘密主義者であれば、私にくらい打ち明けてもいいものだと思うけど」

「秘密主義者は、親友にも秘密は話さないよ。今のは、…少しお前の事が面倒臭くなっただけだ」

「ふむ、私の事が面倒だと。…じゃあ、どうすれば君に面倒がなくなるかな?」

 それに田上は、タキオンから目を逸らして「知らないよ…」と答えた。そして、その目を逸らした方向が扉の方を向いた事もあり、その直後に「帰ろう」と言って田上は立ち上がった。タキオンは、もう少し話したそうにもしていたが、結局ここは落ち着ける場所ではないので、そのまま田上後ろにくっついて部屋から出て行った。部屋から出ると、タキオンはこの後どこに行くのか聞いた。すると、田上はトレーナー室の方でリリックとの色々の手続きをしに行くと言った。その為、これからやる事もなかったタキオンは田上の横についてトレーナー室の方まで歩いて行った。今回は、手は繋がなかった。田上が繋ぎたいような雰囲気ではなかったし、校舎の中だと思うと人の目があるような気がして、タキオンも少し気が引けた。ただ、やっぱりタキオンが手を繋がなかった一番の原因は、田上が隙を見せなかったからだった。タキオンが、手を繋ぎたそうに傍に寄れば、田上は必ず固くこぶしを握り締めてそれを拒否した。タキオンも少し惜しかったが、そこで前述の人の目も少々気になるので、ここは大人しく引き下がった。それでも、田上とタキオンは、軽く会話をしながらトレーナー室へと向かった。

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