ケロイド   作:石花漱一

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二十二、ササクレ③

 LANEのメッセージの通り、タキオンは直ぐに来た。いつもとあんまり変わらない服装でドアを開けて「やあ」と入ってきた。今度は、ノックもしないで入ってきたので、タキオンの意識として、ここはもうすっかり自分の家のつもりらしい。田上は、当然、ノックがあって、タキオンが中に入ってくるものだと思っていたから、そのつもりでベッドの上でスマホをぼーっと眺めていたのだが、タキオンは何の断りもなしに入ってきたので、田上は途端に心臓をバクバクさせながら、玄関へと続く通路の方を見た。そこから、タキオンは少し田上を部屋の中に探しながら顔を出した。そして、ベッドでまだ寝転がっていて、自分をしかめっ面で睨みつけている田上を見つけると、タキオンは、口元をニヤリとさせて再び「やあ」と言った。田上は、暫く混乱したままでいたが、やがて、自分も「やあ」と挨拶を返した。タキオンは、その返事を聞きながら、部屋に置いてある椅子に座ると、それを田上の方に向けて、ベッドに寝転がっている田上を見下ろしながら言った。

「さっき起きたばっかりかい?」

「…いや、…それより前には起きてた…」

「じゃあ、私と同じくらいに起きていたんだね。…それで、あの記事を呼んだだろ?…私、あの記事を呼んで思ったのだけれど、世間は、案外私たちをお似合いのカップルだと思っている可能性だ」

 そこで、田上が反論しようと「え、…」と口を開いたが、タキオンは自分が話をしたかったため、それを遮って言った。

「まあまあ、まずは私の話を聞いてくれないか?…まずね、記事自体がそうだったじゃないか。田上トレーナーとアグネスタキオンさんは、ここがこうこうでこういう所が素晴らしいパートナーだと思います。そんな文章が散見されただろ?」

「…まぁ…」と田上は躊躇いながら頷いた。

「それでは、少なくとも、あの記者には良いパートナーだと思われているわけだ。それに、私たちのキスも知ってあの記事を書いているのだから、良いカップルだと思われていると言っても過言じゃないだろう。そして、次に、感想欄の存在だ。君はあの感想欄を他にも読んだかな?」

「まぁ、少しは…」

「なら、分かると思うが、あそこは想像以上に私たちの仲について言及する感想が多かった。勿論、大阪杯の時のウイニングライブのせいでもあるかもしれない。また、インタビューでも君が交際の是非についてお答えできないと答えたせいもあるだろう。これは、君も満更じゃなかったんじゃないのかい?」

 タキオンはそう言って、からかうような笑みを顔に浮かべたが、すぐにそれを消すと言った。

「それで、君もあのインタビューは、本当に私たちの仲を隠したかったのであれば、平気で嘘を吐けばよかったんだ。別に、君を責めてるんじゃないからね。今は、事実を整理しているだけだ。だから、君が平気で嘘を吐かなかった以上、私たちのファンはそれ見た事かと大騒ぎだ。元々、仲は良いで私たちは通ってただろ?私は、意識して仲良くしたわけじゃなかったけど。…それで、ファンが交際しているのかもしれない私たちを見て湧きあがった感情は喜びだ。あの感想欄を見る限りでは私はそう思う。君はどうだい?」

「…まぁ、思わない事もない」

「うん。すると、だ。ここから本題に入ろう。君は、私とは釣り合わない、君にとって私は高嶺の花だ。そんな風に思っているだろ?…まぁ、付き合っている付き合っていない以前の話だ。私のトレーナーであることも君は何処か不確かでもいる。これも、君が前に言っていたことだ。つまり、君は、自分に対する評価が低いわけだ。ここで、君は本当はできる奴なんだってことは言わない。そんな事を言っても君は納得できないだろうからね。だから、今回は別の方向で攻めてみることにした。そう。…君が他人の目を気にして、自分の評価を不当に下げるのであれば、周りの様子を観察してみればいい、というのが、今回の題だ。何か、言いたい事はあるかな?圭一君」

「……首疲れた」

「ああ、見上げる形になるからね。…じゃあ、どうしよう?…私が君の布団に入ればいいかな?一昨日のような形で」

「いいよ」

 田上はそう言うと、布団を広げてタキオンが中に入りやすいようにした。そうして、タキオンが中に入ると、その顔を嬉しそうに歪ませてクスクスと笑い始めた。それが、少々長く続いたので、田上は一向に話を再開しないタキオンに話を進ませるために「何がそんなにおかしいんだ?」と聞いた。そう言われると、タキオンは、クスクス笑いを堪えながら田上に言った。

「いや、…ね?私たちは、こうして布団の中で話すのが一番性に合っているのかな?と思って。だって、君の家に行った時も私たちはこうして話し合ったじゃないか。もしかしたら、布団の中というのは人の中身を引き出してくれる性質があるのかもしれない。うん、布団はリラックスできるからね。そして、君という恋人もいるわけで、私という恋人がいるわけで、布団の中で話すというのは実に良い事なのかもしれない。それを、私たちは無意識のうちにやっていたようだ」

 タキオンが嬉々としてそう報告すると、田上は苦笑しながら言った。

「布団万々歳って事?」

「そういう事だ。…で、何だったかな?」

「布団万々歳」

「それじゃない。…えー、…周りを観察してみようという事だ。周りを丁寧に観察してみれば、君と私が付き合うことに異論を持っている人が案外少ないという事が分かるんじゃないか?」

「いや、でも、それこそマイノリティの可能性があるんじゃないか?あの記事は、そんなに話題にはなっていなかったし」

「ふむ。でも、そうなると、君は世界中の人に私たちの関係を認めてもらおうという事になる。これは、別に極論でも何でもない。世界中だって日本中だって、『人口の多い社会』という意味ではあまり大差はない。一億人か、八十億人かと言ったところだ」

「それは、日本の八十倍だよ。大差あるよ」

「なら、君は一億人と八十億人の違いをはっきりと感じ取ることができるかい?一つ二つ三つと数えきれるくらいならいいよ。だが、一億人だ。例えば、君が今から一億秒数えてみたとしよう。一つ二つ三つ…と数えていく。そうするとどうだ?君が一億秒数え切る頃には、約三年二か月が経過している」

「そんな事よく知ってるね」と田上が口を挟んだ。

「そんな事は常識だ。…問題は、だね。問題は、君が、その『一億秒を感じれるのか?』という事だ。一億というと、大昔の村社会ではその数字は必要なかった。一億秒なんて感じることができないからだ。…つまりね?一億秒なんてのは、感じることができないから、本来は在りもしない数字なんだよ。一億人も同じだ。それらは、最早、人間の感覚を超越しているが、数学や天文学などが発展していくにつれ、その数字が使われるようになった。これらの数字は、その数字が好きな人たちに任せておくのが良かったが、人類としての暮らしが豊かになっていくと普通の人たちもその一億という数字を、目の当たりになんてしていないが、目の当たりにしているように感じるようになった。本来、一億とは、生活には必要のない数字だ。しかし、それを義務教育なんかで習う過程で、疑似的に感じるようになってしまった。一があって、千があって、万があって、億がある。それらが意識の中に存在していると、どうしてもそれらを感じなくてはいけないもののように思ってしまうが、物事には限度がある。私たちが、今住んでいるのは、トレセン学園で、私たちを今見てくれているのは、私たちのファンや周りにいる人たちだ。あの、…国近君だって、青い人と付き合うとか何とか言っていたじゃないか。つまり、国近君は反対していないと断定できる。自分が教え子と付き合っているんだから、私たちを非難するのは間違っているだろう。それで、国近君がもし私たちを非難してくるのであれば、それは、もう友達をやめた方がいい。そんな理不尽に構ってはいられない。しかし、…どうだい?国近君は良い人のように思うけど、君は?」

「まぁ、悪くない奴ではある」

「その国近君に今から連絡を取ってみようって事になったら、君はどうする?」

「…なんで国近に連絡を取るんだ?」

「少しでも私たちを認めてくれる人がいた方が、君も少しは気が楽になったりはしないかな?国近君という仲間が君にできれば、心強くなったりはしないかな?」

「…でも、連絡とって、国近に何か言ったところで、その後どうするんだ?」

「その後は、――あんまり自分たちの中を否定してくる人はいないんじゃないか、という確信を得るための君の心の一助になるんだよ。…どうだい?別に、あの彼女の方には言わなくてもいいよ。国近君に、――私たちが交際してるって言ったらどう思う?とそれとなく聞いてみればいいんだよ。君のスマホを貸してくれれば、私が言ってもいいよ」

「でも、それとなく聞くって言ったって、それじゃあ、大体バレるだろ」

「バレる事にはバレるが、それは、あの記事を見たら大体察せられる。ほとんど、私たち手を繋いでいるじゃないか」

「でも…」と田上が言おうとしたが、言いたい事がまとまらず後が繋がらなかったので、そのままタキオンの目を見つめた。すると、タキオンが後を促すように優しく「なんだい?」と聞いてきたから、田上も少し考えながら言った。

「でも、……まぁ、この話は俺の自信を戻そうって話か」

「そうだよ」

「…じゃあ、…国近が一番適任なのかな?」

「なんなら、赤坂先生の方に報告してみてもいい」

「赤坂先生は止めてくれ。嫌な顔をしそう」

「確かに、嫌な顔はしそうだけど、私たちなら、黙って睨みつけた後に、君に――タキオンの事を一生愛すんだぞって言ってきそうではある」

「…そうだね」

「…それで、…それでだね。えー、…国近君に電話してみる?君、番号は知ってるかい?」

「まぁ、知ってるよ」

「それじゃあ、私がかけてみよう。君じゃ、少し話し下手だから、私が話す方がスムーズに話せると思う」

「そうしてくれ」

 田上は、そう言うと、枕元に置いていたスマホを手に取ると、国近に電話を掛けてから、タキオンに手渡した。そして、自分は布団に少しだけ深く潜り直して、その行く末を見守ろうとした。その様子を見つめながら、タキオンは国近が電話に出るのを待った。

 プルル、プルル、プルルと三回ほどなった後、国近が電話に出て軽く「もしもし~。ゲームする~?」と聞いてきた。

 その口調に少しタキオンが笑いながら言った。

「トレーナーという職種は、朝っぱらからゲームに誘えるほど暇なのかな?」

「…アグネスさん?…あれ?これ田上じゃない?」

「このスマホは圭一君の物だが、今は、私が掛けさせてもらっているよ」

「へ~、なんでですか?」

「残念ながら、その質問には答えられないが、こちらから質問したい事がある」

「何ですか?」

「…国近君は、もし、私と圭一君が付き合っていると分かったら、どういう反応をするかな?」

「どういう?なんで、そんな質問を…」

「それは今はどうでもいいんだ。答えを言ってくれ、答えを。私も答えを聞ければそれでいい」

「ええ…?…まぁ、付き合うんならそれでいいんじゃない?お似合いだと思うよ」

 この電話は、田上にも聞こえるくらいの音量で流されていたため、国近の返答を聞くや否やにんまりとした笑顔で――それ見た事か、とタキオンが田上の顔を見た。田上は、相変わらずの表情でその顔を見つめ返したが、一先ず、国近の会話を打ち切るため、タキオンがこう言った。

「分かった。その返答を聞ければいい。ありがとう。協力感謝するよ」

「ええ…」と電話の向こうで国近がまだ話そうとしていたが、その話は聞かないで、タキオンは電話を一方的に切った。

 そして、早速田上の方を見ると、先程のにんまりとした笑顔のまま、タキオンが言った。

「聞いたかい!お似合いだって!国近君も分かる男だよ。君と私は似合ってるんだって。…君はどう思う?」

「…本当に似合ってると思う?」

「似合って無いんだったら、あんなことは言わないだろう?…まぁ、そもそもあの電話を聞いたわけは、果たして、世間がどう私たちを評価するのか?という事だから、これで国近君は私たちの事を肯定的には捉えている。または、お似合いだと捉えているという事だ。…どうかな?君は、君と私がお似合いだと思うかい?」

 その質問をされると、田上は、微妙な顔をしたまま微かに首を分からなさそうに傾げた。

「ふむ。…じゃあ、次は、もっと私と二人であの記事の感想を見てみよう。布団から出てきたまえ、圭一君」

 すると、田上は出来心が働いて「嫌だ」と一言いうと、さらに深く潜った。タキオンもこれに乗らない程、田上の扱いが雑なわけではない。顔に微笑みを浮かべると、足を動かして、その足先で田上をつんつんとつつきながら、「出てきてくれよぉ」と言った。そう言われると、田上は布団の奥の方から顔だけを覗かせたが、タキオンが再び田上のスマホを持って、「見る?」と問うと、また「嫌だ」と言って、布団の中へ潜ってしまった。こうなると、タキオンも少々興奮してきた。自分も深く潜る姿勢になりながら、田上とじゃれついてやろうと考え、最後にこう聞いた。

「圭一君は出てくるつもりがないのかな?」

「無い」と布団の中からくぐもった声が聞こえると、タキオンはすぐさま布団の中に潜り込んで、暗闇の中に所々光の射しこむ中で、田上の脇をくすぐり始めた。布団の中から、あはははは…という楽しげな笑い声が二つ聞こえてきた。すぐに、布団は引っ剥がされて、二つの笑い声は露わとなって、ベッドを軋ませながら、その上で暴れ回った。タキオンも田上がやり返そうと、少し脇を触られたことがあったが、すぐにそれはウマ娘の力で押し返して、田上の脇だけをくすぐり続けた。にも拘らず、タキオンも田上と同じくらい声を出して笑っていた。田上とじゃれ合うのが楽しくて楽しくて仕方がなかったようだ。田上も、なんだか胸の底から楽しさが込み上げてきたので、目一杯遊んだのだが、その後すぐに「ぎぶ…」と言って、肩で息をしながらベッドの上で楽しさの余韻に浸っていた。タキオンも肩で息はしていないが、それでも十分に楽しめたので、自分も田上と一緒に楽しさの余韻に浸りながら言った。

「どうだい?記事を見る気にはなったかい?」

 そう言うと、田上は顔を上げてタキオンの方を見たが、ただ見つめるばかりで何も言わなかった。そうすると、また先程の楽しげな雰囲気が漂ってきて、タキオンが半身を起こした。それで、今から何かが起こるかもしれない気配を察した田上だったが、堪え切れない様な嬉しそうな笑みを顔に作ると、再び「嫌だ」と言って、布団の中に潜った。そこで、日本ウマ娘トレーニングセンター学園、ベッドの上、布、二メートル(短距離)の第二レースが始まった。二人は、暫く、布団を被せ合ったり、抱き合って手をわちゃわちゃさせたり、くすぐりあって過ごした後、また田上が「ぎぶ…」と息も絶え絶えに言った。今度も田上の負けだった。しかし、タキオンもなんだか楽しさが収まりきらなくなって、田上がギブアップをした後でも暫くの間、田上の腰にしがみ付いて離れないでいた。そうすると、田上も嬉しさがまた込み上げてきて、自分の体勢を胡坐に変え、その上にタキオンを自分の腰にしがみ付かせると、そっとのその栗毛の髪を梳いてやった。タキオンも疲れでは無いが、興奮と共に大分息が上がっていたようで、ふーっふーっと荒げた息をしていたのだが、田上に自分の髪を梳かれるにつれ、その息も収まっていった。そして、田上のタキオンに対する愛おしさと嬉しさも満足に達し、タキオンの興奮も大分落ち着いてきた頃、タキオンが口を開いた。

「…私たち、お似合いだよ」

 その言葉に、田上はふふふと笑うだけで、何も答えなかった。しかし、タキオンはその笑いを肯定の意味として受け取ったようで、また次のように言った。

「私たち、最高のパートナだよ…」

 

 それから、また暫く、田上がタキオンの髪を梳き、タキオンが黙って髪をいじられながら、田上の腰にしがみ付くとういう時間が始まった。田上のタキオンに対する愛おしさも収まるところを知らず、ただひらすらに愛おしそうにその髪を触り、いじり、梳いた。タキオンもその心地良さにただ身を委ねるばかりだった。しかし、ある時、はっと気が付くと、タキオンが言った。

「一緒に記事を読もう」

「……読まないといけないか?」

「読もう。そんな甘えたような声をしたって無駄だよ。とりあえず、読まないと話が進まない。それとも、君は、私の恋人であることを心の底から認めているのかい?」

「んん…」と田上は頼りない声を出した後に、またタキオンの言う『甘えたような声』を出して言った。

「もう少しこのままでいようよ」

「あー、…うーん…」とタキオンは悩んだ。タキオンも田上にそのような声で、大して悪くない現状から無理に脱却するのも面倒臭いような気がしてきた。その様な気がしてくると、どんどんその気持ちが加速していき、タキオンも田上から離れたくなくなったので、妥協案としてタキオンがこう提案した。

「一緒にくっつきながら読もう。私が、音読するのでもいいや」

「でも、俺は、まだ少しこうしていたい」

「したいならすればいいさ。私の髪を触りたいんだろ?私も君の胡坐の上に頭を乗っけながら音読するから」

 そう言うと、タキオンは田上の返事も聞かないで、ベッドの頭の方に手を伸ばすと、そこから田上のスマホを取って、再び、田上の胡坐の上に頭を落ち着けた。しかし、今度は、顔を仰向けにして、田上の胡坐の上に居たので、田上は、タキオンの前髪を梳くしかなくなった。だが、タキオンの前髪の長さは、普通の人の二倍ほどはあるので、それがスマホを見る邪魔にならないよう、目に掛からないようにしながら梳かなければならなかった。だから、田上は、タキオンの髪を少しずつ持ち上げて、ゆっくりと梳いていった。

 タキオンは、記事を探すのに少し手こずっていたようだから、その間に田上が言った。

「お前、あんまり髪を短くしたがらないね。なんで?」

「…可愛いだろ?」とタキオンがスマホから田上の方に目を少し動かして言った。

 それに、田上は少し微笑みながら、「良いと思う」と答えた。

 そして、タキオンが記事を見つけると、寝転がりながらタキオンが話し始めた。

「ああ、あったあった。…はいはい。…色んな感想があるけど…、まぁ、甲乙つけ難い程に皆揃いも揃って私たちの事が好きだね。…えー、…まず初めに、先程の感想をおさらいしてみよう。――二人で海。つまり、デートに行ってたんだろ?記者さんもあんまり二人の時間を邪魔してやんなさんな。

 この男性、または、女性は、非常に良く私たちの事を想ってくれているね」

「うん」

「えー、第一に、私たちがもう恋人同士だという事を見抜いた上で、それに反対しない。そして、第二に、記者の方に私たちの時間を邪魔するなと呼びかけている。…私たちを守ろうとしてくれているという事だ。持つべきものは、こういうファンだね、圭一君。君は、この感想に対して思う事はあるかい?」

「思う事…?…あんまりないかな。お前が言ったし」

「ああ、悪かった。言い方を変えよう。…この感想を聞いて、君の自己意識の低さはどう変わったかな?私たちの仲を認めあえるほどになったかな?」

「…そりゃあ、…あんまり良く分からない…」

「ふむ。じゃあ、次の感想に移ってみよう。どれどれ…?…これはどうだろう?――タキオンと田上トレーナーが付き合ってるって事? という感想だ。こちらも私たちの仲を見抜いてくれている。…が、そんなに分かりやすかったかなぁ?」

「手とか繋いでる写真があったからだろ?…仲が良いって言っても、まだ、クラシック期の頃は、手は繋いでいなかった。…お前と俺の父さんの家に帰省してからだよ。手を繋ぐようになったのは」

「そうか…。…そうだね。あの時に、君との距離が大分近くなった。一緒に寝食を共にして、布団なんて同じ布団を使っていたからね。…ああ、そうだ。ゴールデンウィークに圭一君と一緒に帰る事を母さんに連絡しないといけない。…本当に、行くんだよね?」

「行くよ」と田上は、少し緊張した面持ちで答えたが、タキオンはそれには触れずに「良かった」と顔に笑みを浮かべて頷いた。

「それじゃあ、近いうちに連絡しておいた方がいいな。多分、布団とかも足りないだろうから。…買うかな?それとも、また、私たち一緒の布団で寝るかい?」

「お前の家に行って一緒の布団に寝る程、俺の度胸は据わっていないよ」

「…どうだったかな?多分、布団も足りなかったはずだから、そこら辺も母さんに言っておかないといけない。…これからも、ちょくちょく君と帰る予定もあるからね。買っておいて損はないだろう」

 彼女のその言葉に、田上の顔が少し強張ったのをタキオンは見逃さなかった。口元に微かに笑みを浮かべながらタキオンは田上に言った。

「どうしたのかな?私の家に帰る事に何か不安があるかい?あるなら、ぜひ、私に言ってほしい。混乱は望むべきものじゃないからね」

「……まぁ、……まぁ、…あの……その、……なんだろう。…あの…」と田上が、答えられずにいると、田上の緊張の原因を見抜いているタキオンが助け舟を出した。

「私との仲が解けてしまうと思っているのかい?」

「…まぁ、それだと思う」

「ふむ。…じゃあ、ね。…君は未来が信じられないんだろうね。…どうすればいいかな?」と言いながら、タキオンはスマホに目を移して、それを眺め始めた。そして、暫くしてから唐突にこう言った。

「――タキオンも田上の物になっちまったか…。いつかはこうなると思ってたぜ…」

 田上は、初め、その言葉が感想を読み上げているのだとは思わなくて、びっくりしてタキオンの顔を見つめたが、すぐにそれだと分かるとこう言った。

「大分失礼な人だな…」

「うん。…失礼には失礼だが、…どうだろう?この人は、私たちの仲がこうなると予測していたようだ。いつ頃くらいからその様に感じ始めたんだろう?」

「…分からない」

「んん…。うーん…。恐らく…、私はね。…恐らく、君の事が気になり始めていたのは、菊花賞の後頃じゃないかと思うんだよ。君の傍に居たいという想いが、少し芽生えつつあった。けれども、やっぱり、君のお義父さんの家に行かなければ、これ程急速に関係は発展しなかったと思う」

「じゃあ、その人は、菊花賞頃からそう思っていたのかな?菊花賞の後は、メディアの露出もなかったし」

「…そうかもしれないが…、うーん…。…この人には分かって、君に分からないものって一体どうだったんだろうね?この人は、私たちを文字通り客観的に見て、私たちが交際する事を予測していたわけだ。勿論、私たちの事情をあまり知らない分、楽観的に見ていたというのもあるだろう。…私はどうだったかな?…あの時、私が桜の木の下で君に思わずキスをしてしまった時から、君と私の関係はこれも急速に発展していった。あのキスが無ければ、私たちはまだうだうだ悩んでいたころかもしれない」

 タキオンがそう言うと、田上が少し笑いながら言った。

「思わずキスをしてしまった、ってどういう状況?」

「どういう?…そりゃあ、君が急に行かないで欲しいだなんて言うから、私も少し慌ててしまったんだよ。だけど、今は、キスをして良かったと思ってる。言葉で伝えるんだとしたら、君は逃げる可能性があった。逃げられたらさすがの私も追えないよ」

「タキオンが?すぐに捕まえられるでしょ?俺が逃げても」

「追えないんだよ。君が、私の前から逃げる事を選択してしまったら、それは正真正銘振られたという事になる。ならば、私も女泣きをするしかないよ」

「女泣き?」

「できるだけ君に聞こえるように泣く。で、君が振り向いてくれるのを待つしかない」

「でも、俺は逃げるんだろ?」

「そこが、難点だが、優しい君と逃げ出したい君のどちらかが勝つまでせめぎ合う事にはなると思う。泣いている私を置いて逃げるのは、例えば、それがこけて泣いていたとしたら、君はすぐに駆けつけるだろう?」

「うん」

「そこで、告白されたというシチュエーションが加わると、君は、泣いている私を助けるべきか否か、それについて悩む事になる。結果は、その時にならないと分からない。誰かの話し声が聞こえて、君ははっとなってまた逃げようとするかもしれないし、また、その逆の事をするかもしれない。ただね。私はこれで良かったと思うよ。例え、初めが何処かずれていたとしても、私と君の道は重なる事に成功した。…私、君を大阪杯の内に何とか勇気づけたかったんだけど、なんとか、てんやわんやする内に君の安定を少しは取り戻すことができたようだ。嬉しい事だよ」

「そんなこと考えてくれてたの?」

「当たり前だよ。好きな人を助けない奴がこの世のどこにいるんだい?私は、君を好きだからこそ助けた。後悔したくないのは勿論だけど、好きだからって理由もちゃんとある。もっとも、君が私のトレーナーであった時点で、助けようとはしていたのかもしれない。しかし、…どうかな?君を好きでなければ、もしかしたら、救う事は叶わなかったかもしれない。今、君の事が好きで、君にキスをしたからこそ、君は私と通じ合うようになった。最初は、多少の混乱もあった。しかし、今はもうこんなに寛いで、駄弁ってしまっている。もう、半分同棲しているようなものじゃないか」

「そうだぞ。ここは、トレーナー寮だった。そうだった。忘れてた。お前、本当は入ってきちゃいけないんだぞ」

「じゃあ、今から私を追い出すかい?」

 タキオンがニコニコしながら、そう反論すると、田上は、少々変な顔でタキオンを見て、言った。

「別にいいよ」

「むしろ、ここに居てほしいんじゃないのかな?」

 それで、田上が答える番になったのだが、口に出すのは少し恥ずかしかったようで、微かに口角を上げながら、田上は頷いた。それを見ると、タキオンはもっとニコニコ顔になって言った。

「なら、その内、私の歯ブラシや衣服なんかもここに持ってこよう。生活の拠点をここに移してもいいかもしれない」

「…それだと、同室のデジタル君が寂しがらないか?お前の事を結構慕ってるだろ?」

「んん?まぁ、そうだね。デジタル君が居る…。なら、いっその事、デジタル君も一緒にここに移り住むのは?」

「それは、止めてくれよ。デジタル君は、お前とは仲が良いかもしれないけど、俺とはそんなんじゃないんだから、目が合うだけで気まずくなるだけだよ。それに、あっちもさすがに嫌がると思うよ」

「ンン…。中々上手くはいかないね。だけど、歯磨きくらいはここに持って来ても良いかもしれない。こうして日々を過ごすのであれば、夜にあっちに戻ればいいだけで、昼食などの後に君の部屋に戻れば、歯磨きなどはここで済ませることができる。今度、歯ブラシを買いに行こう」

「入るなら入るで俺は嬉しいけど、それでも、程々にしろよ?寮長さんに目を付けられると、面倒臭いぞ?」

「それもそうだ…。…まぁ、上手く言いくるめておくさ。それに、君のとこの寮長も顔を見た限りでは、悪い人ではなさそうだしね」

「悪い人ではないな」

「じゃあ、人目につかないように、できるだけ目立たずに君の部屋に出入りすれば問題ないか」

「そうしてくれ」と田上が言ったところで、一旦話が止まったが、すぐに今の話の前にしていた話の内容を思い出して、タキオンが言った。

「また、話が逸れてる!君と話すと、話が思うように進まないよ。…えー、何だったかな?…そう、この感想の人がなぜ私たちが交際する事を予測できていたのか?という事だ。傍から見たら、私たちはもう交際しているくらい仲良く見えていたのかな?それで、この人は、私たちが付き合っていない事にじれったくなっていて、今回の写真を見て、実際に私たちが交際していることを確信していた。…ふむ。――タキオンも田上の物になっちまったか…。これは、私に好意を寄せられていたのかな?」

「そうかもね。お前も、一応アイドルだから」

 田上が、少しそわそわと落ち着かなげにタキオンが握っている自分のスマホをチラチラと見ると、その様子に気が付いたタキオンが微かに笑いながら言った。

「アイドルにしては、案外、君との交際を喜ばれているし、隣に仲の良い男が居るというのに、グッズの売れ行きも好調なようだね」

「それでも、尚、ファンはお前の事が好きなのかもな」

 今度も少し落ち着かなげだったから、タキオンもそれに触れた。

「どうしたのかな?私が、ファンになびくとでも思っているのかな?」

「知らない」

 田上は、すぐにそう答えたが、タキオンも田上の事が気になったので、ここで初めて、体を起こすと、田上と向き合って言った。

「キスをしよう」

「嫌だよ」

「良いじゃないか。とりあえずキスだ」

 そう言うと、タキオンは遮ろうとする田上の手を強引に押し退けて、その唇と唇を重ね合わせた。そして、十数秒くらいキスをしてから、唇を離すと、田上に聞いた。

「どうして、私のファンが私の事を好きだと、君はそわそわするのかな?」

「…なんで言わないといけないんだよ」

 田上は、タキオンの事を少しばかり睨みつけたが、タキオンは全く意に介さず、静かに田上の事を見つめながら再び言った。

「嫌ならまたキスをしよう。君が、訳を話すまで、私は君にキスをし続ける」

 すると、田上は少し歯痒いような顔をした後言った。

「ずるいだろ。お前、ずるいよ」

「でも、キスは嬉しいだろ?」

「そうやって、俺の本音を引き出そうとするのはずるい。どうしようもできないだろ」

「でも、嬉しいんだろ?」

「嬉しいよ。嬉しいけど、…ずるい。女子高生のするような事じゃない」

「なら、君の愛おしい恋人のする事だろう。どうだい?また、するかい?」

 すると、田上は一度目を逸らし、迷ったような仕草をした後に「もう一回…」と消え入りそうな声で言った。それで、タキオンは再び田上にキスをしてあげたし、先程よりも愛しさが充填されるように長くしてあげた。

 そして、唇を離すと再びタキオンが聞いた。

「どうだい?言う気になったかな?」

「……その、……みっともない奴なんだけど、しょうもない理由なんだけど、他の人がタキオンの事を好きだと思うと……」

「うんうん。それも、君の心に繋がっているだろう。今の悩みはそれだ。君は、信じられないんだ。私ですら、君は信じていない。…もしかしたら、君は、今までの人生のどこかで信じる事をやめてしまったのかもしれない。言葉という物に、君は飽き飽きしてしまったのかもしれない。…これを溶くには、大きな戦いをしなければいけないかもね。…それでも、君には私が付いているから、あんまり心配しなくてもいい。絶対に君の傍から離れないから、安心していてくれたまえ」

 タキオンは、自信満々にそう言ったが、それと反比例するかの如く、田上の意気は消沈していって、タキオンの話が終わると共に暗い顔、低い声になって「分かってるよ…」と誰に言うともなく呟いた。

 それを見ると、タキオンは苦笑した。

「私の言葉を聞くと、君は落ち込んでしまうんだろうけど、下を向いてばかりではいられないからね。それこそ、私が沈んでしまう時があるかもしれない。その時は、私を助けてくれ」

 その言葉で田上は少し、ほんの少しだけ活気づいて、微かに顔を上げてタキオンに目をやると、「いいよ」と呟くように言った。

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