ケロイド   作:石花漱一

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二十三、タキオンの誕生日プレゼント②

 リリックの方には、事前に連絡をしていたので、いちゃいちゃしていた田上とタキオンとは違い、しっかりと体操服を着て、早めに運動場の方へ来ていた。オータムとイツモは、今日のオリエンテーションの事を話したら、来たいと言ったので、今は土手の方でリリックの事を眺めたり、自分たちで会話したりしていた。リリックもその会話に混ざりたかったのだが、今は、田上トレーナーとマテリアルさんとタキオンさんを運動場で、ポツンと一人待っている最中だ。もうそろそろ約束された時間に達しようとしているが、マテリアルどころか田上の一人だって来ない。リリックとしては、田上はともかくマテリアルなら約束の時間を守っても良さそうと思っていたのだけれど、全然、来そうな気配はない。その内に約束の時間を過ぎ、三分程してから、田上とタキオンが手を繋ぎながら土手の方に現れた。田上は少し急ぎ気味だったのが、遠くからでも見てとれたが、タキオンの方はあんまり時間に遅れた事は反省していなさそうな面持ちで、田上に話しかけていたので、リリックは少し嫌になった。もしかしたら、トレーニングの度に、毎回この恋人たちを見せられるのか、と思ったからだ。

 そんなリリックの事は露知らず、田上は土手の上の方からリリックの事を見つけると大声でこう言った。

「ごめん、リリーさん!遅れた!」

 リリックは、それに答えることはせずに、向かってくる田上に自分も近づいて行った。近づくと、タキオンが「おはよう、リリー君」と挨拶をしてきたので、憧れの先輩に挨拶をされて心なしか嬉しくなったリリックは、「おはようございます」と小声で二人の方に挨拶をした。それで、田上も「おはよう、リリーさん」と挨拶をして、自分の持っているクリップボードから一枚紙を抜き取って、リリックに渡した。その後に、遅れてやって来たマテリアルがぜえぜえはあはあ言いながら、「おはようございます」と「遅れてすみません」をほとんど同時に言って、三人の輪の中に入ってきた。だから、田上も作っていた書類をマテリアルにも渡した。ただ、タキオンの分は残念ながら作ってきていなかったが、これは、二人がイチャイチャする口実となった。尤も、田上は初めからこうしたかったのではないが、タキオンをオリエンテーションに呼ぶか呼ぶまいかと悩んでいるうちに、タキオンの分の資料は作らない選択をしてしまったのだ。そのため、田上はクリップボードに挟んである自分の分の資料を、タキオンと一緒に肩を寄せ合って見つめながら、今からする事とこれからするであろうことの解説をした。

 そして、トレーニングの内容もタキオンのお手本を交えながら解説をした。リリックにも一二周運動場を走らせたりして、こんな感覚の物をこれからしていくという事を伝えた。それから、四人は、体育館やその近くのランニングマシンや筋トレに使う用具が置いてある方にも移動して、使い方などを解説した。しかし、ランニングマシンなどは雨の日などが主に使う時であることも伝えた。

 それから、体育館では、ダンスレッスンもする事を伝えた。これは、田上の管轄ではないから詳しくは言えなかった。だから、足りない所はタキオンが説明してもらったが、それにふ~んと感心したように頷いたのは、どちらかというとマテリアルの方だった。リリックの方は、興味がないというよりは、事務的にその話を聞いていて、ダンスレッスンに関してはあまり乗り気ではないようだった。しかし、トレーニングの話を聞いている時もあまり変わらない感じだったので、乗り気でないというよりかは、これから先の事に緊張していると言った方が正しいように思える。田上は、勿論それに気が付いていたが、元々口下手な方なので、気の利いた事の一つや二つを言ってみたいと思っても、中々口を開く事はできなかった。だから、丁度切りよく一時間たったくらいの時に体育館の外に出て、いよいよ解散となった時も、田上は少し躊躇いがちだったから、タキオンが聞いた。

「君、何か言いたい事があるんじゃないのかい?あるんだったら、そんな顔をしていないで言ってあげないと、リリー君は不安になるだけだよ」

 これをリリックの居る前で言ったから、田上は気まずそうにリリックの方を見たが、やはり言いたい事はあるので、タキオンの言葉に後押しされてこう言った。

「…まぁ、勝っても負けても他にも良い事はたくさんあるからな。気負わずに一緒にトレーニングをしてほしい、と俺は思ってる。とりあえず、リリーさんの目指す場所は楽しい学校生活だ。トレーニングは二の次だと思って良い。気軽に遊びに来るような感じで、トレーニングに参加してほしい」

 その言葉に、ただリリックは「はい」と頷いたが、少なからずこの言葉によって気が楽になった節はあった。その後に、田上が「じゃあ、これで…」と言ったので、皆は、それぞれ「ありがとうございました」と言って(タキオンは軽く頭を下げただけで)解散をした。それから、リリックは、走って友達の所へ行った。この後は、友達と遊ぶ約束をしていたからだ。体育館に行く際に、他の二人とこれからどうするのか、言葉を少しだけ交わしたので、そういう約束になった。今は、二人は、運動場周辺を歩いているはずだった。リリックは、その辺りが見える場所まで行くと、きょろきょろと辺りを見渡した。すると、そこで、二人して何かを見つめて屈みこんでいる後ろ姿を見つけた。リリックは、すぐに「おーい、終わったよー」と言いながら、喜びに満ちた顔で駆けて行った。リリックは、この二人の友の事が本当に好きなようであった。オータムとイツモもこの黒髪の少女の事を歓迎して、今まで自分たちが見つめていた物を見せてあげた。それは、ただの蟻の行列だった。しかし、彼女らにとっては興味深いものであるらしく、その後一時間くらいはこの蟻を見つめながら会話をして過ごしていた。

 

 マテリアルは、田上たちより早くトレーナー寮に帰ったが、その前に田上たちともう少し話したかったのかこう聞いた。

「田上トレーナーとタキオンさんはこれからどうするんです?」

 それに、田上が代表して答えた。

「僕とタキオンは、買い物に行くつもりです」

「ええ?買い物ですか?なんで?」

 すると、横からタキオンが言った。

「私の誕生日のプレゼントを圭一君と買いに行くんだよ」

 少し得意げに言っていた。それで、マテリアルもまた恋人事だと納得したので、田上に向かって少し意地悪くからかうように言った。

「私の誕生日は、今月の二十日ですけど。私とも買いに行っていただけるんでしょうか?」

「え…?…何か欲しいんですか?」と田上が困ったようにそれに返答したので、マテリアルはクスクス笑うと次の事を質問した。

「そう言えば、リリーちゃんの誕生日はいつでした?」

「三月の二日だったけど、…待てよ?…これだと、タキオンとリリーさんで誕生日プレゼントに差が生まれないか?」

 これを、田上がマテリアルの顔を見て言ったので、マテリアルも少し困ったが、その話にはタキオンが返答した。

「別に、リリー君だって私たちが付き合ってることくらい知っているんだから、あんまりその差については何も思わないんじゃないか?…だって、リリー君が君から高いネックレスなんて貰ったって、喜ばないと思うよ?」

「そりゃあ、…そうだけど、その差が、案外本人の疎外感に繋がったりはしないかな?現状、俺とマテリアルさんとタキオンとリリーさんの四人しかいないわけだ。このうちの二人が付き合っているとなれば、半分は付き合ってるっていう事になる。だから、付き合ってない人たちから見れば、仲が良すぎる二人っていうのは邪魔なんじゃないか?」

 それを付き合ってない人たちの一人であるマテリアルの目の前で、田上が遠慮なく論じたのだが、マテリアルがそれについて何か言おうとする前にタキオンが言い返した。

「けど、それはしょうがないだろ?今更、私たちは離れようがないし、仲が悪いふりをしろというのも、私は御免だ」

「でも、やっぱり、チーム内で一人ぼっちっていうのは不味いだろ。……マテリアルさんはどう思います?」

 ここで、やっとマテリアルが話のできる順番が来たので、少し嬉しくなって眉を上げてマテリアルは言った。

「付き合っていない側から言わせてもらいますと、別に、私の事は良いですが、やはりタキオンさんだけを特別扱いはダメですよ。デートをするな、までは言いませんが、田上トレーナーもちゃんとトレーナーなんですから、しっかりと担当の子のメンタルケアもしっかりとしてあげないと始まらないでしょう。タキオンさんだって、恋人なら彼の仕事の事も考えては上げないといけないんじゃないでしょうか?」

「まぁ、…確かにそうだね」とタキオンは少し考えながら頷いた。田上もまた同じような顔をして頷いていたから、マテリアルは良い物が見れたと思って再びクスクス笑ってから、最後にこう告げた。

「デートも良いですが、チームなんですから、皆でお出かけも楽しそうですよね。田上トレーナーの奢りで美味いラーメン屋に食べに行きたいです」

「僕の奢りですか!?」と田上が驚いているうちに、マテリアルは「それでは、さようなら。後で、美味いラーメン屋の場所をLANEで送っておきます」と言って去って行った。田上は、少し神妙な顔をして、その後を見つめていたが、その田上にタキオンが言った。

「私もあの案には賛成だね。仲を深めるには団欒の場所が必要だよ。私たちの場合は、それが研究室だった。…という事は、これからは、君は私だけの物ではないという事か。…少々、面倒臭くなったな」

「…お前も大人になったな」と田上はどことなく上から目線な口調で言ったので、タキオンはそれに対抗するように足で田上の脛を小突いた。

「うるさいよ。元々、君と付き合えるくらいには大人だ。…それとも、君は私の事を子供だと思って、付き合っているのかな?」

「……両方かな。…お前も、まだ少し幼い所があるよ」

 田上がそう静かに言ったものだから、タキオンもなんだか言い返し辛くなって、次の言葉を躊躇った。しかし、ここで言い返さないと、雰囲気が微妙なまま終わってしまうので、タキオンは次のように述べた。

「幼い?どういう所かな?言ってみたまえよ」

「まだ世間を知らないって所だよ。…多分、これから大人になっていくんだと思うよ」

「それじゃあ、君はロリコンって事でいいのかな?」

「…そんな事はないよ。…ただ、お前が好きだったってだけだよ」

「どういうことだい?」

 タキオンは、疑問を投げかけたのだけれど、田上は再び朝食の最後の時のように「行こう」と静かに言うと、タキオンの手を取って歩き出した。タキオンは、その田上に質問をする気にはなれなかった。それは、今質問しても田上は曖昧に答えるだけで、ちゃんとは答えてくれないだろうという事がなんとなく分かっていたからだった。

 タキオンは、自分たちが繋がっている意味を、その繋がっている手を見つめながら必死に考えた。なぜ繋がっているのか?なぜこの男の事が好きなのか?これから先、自分たちはどう繋がっていくべきなのか?

 あまりに難しい考え事だったので、田上とお出かけをするために、寮の自分の部屋に帰って準備をする間どころか、準備をし終わっても、電車に乗って目の前に立っている田上を椅子に座りながら見上げている時も、その答えは出てこなかった。

 

 タキオンたちが、ショッピングモールに着くと、早速アクセサリーショップに行くかどうかを話し合うことになった。女性とデートどころか、友達とこういうお出かけすらも碌にすることのない田上にとって、あんまり出掛ける時の予定という物は人生に絡んでこなかったからだ。だから、二人は、ショッピングモールの入り口の脇に避けて、立って話をした。

 まず、田上が言った。

「どうするんだ?もう、初めからアクセサリーショップの方に行くのか?」

「んん?どちらでもいいよ。決めてこなかったのかい?」

「…決めてきてはない。…ネックレス買いに行く?」

「…君が決めてごらんよ。私はどちらでもいいよ」

「……じゃあ、…今行く?」

「君がそうしたければ…」

 田上が幾ら聞いてもタキオンはそんな曖昧な調子だったので、彼はいよいよ困って、スゥと息を、口に当てた手の隙間から吸い込むと独り言のように言った。

「…今から…ってちょっと俺も大変なんだよな。…でも、昼からっていうのも、午前中がなんか曖昧になる…」

「そんなに重く考えなくてもいいけどね」とタキオンは少し苦笑しながら、田上の独り言に口を挟んだから、田上はその彼女の顔をじっと見つめると、暫く黙ってから言った。

「……別に、引き延ばす理由は特にないよな…」

「そうだね」

「……すると、…今行く?」

「君がそうしたいなら」

 タキオンはまた同じように答えた。それで、田上も今度は腹を据えてこう言った。

「じゃあ、行こう。先延ばしにしても意味はない。…でも、そうすると、ネックレスが昼食のときなんかに汚れたりしないかな?」

「その時は、入れ物に入れるなりなんなりをすればいいだろ?」

「…そうか。…ちょっと怖いな」

「何が怖いんだい?」とタキオンは田上に優しく聞いた。

「……これからだよ。…なんか、…こう、…一つ記念品ができるわけだろ?…そうすると、何か歴史が生まれるわけだ。…その歴史が、…後になってどう思い返されるんだろう?」

「…君は、私たちが別れる時の事を想像しているのかい?」

 タキオンは田上の事をじっと見つめた。その視線から目を少し逸らしながら、田上は答えた。

「…そりゃあ、未来に何が起こるかは分からない」とここで、田上が言葉を続けようとした時に、タキオンがそれを遮って言った。

「だけど、未来をそう悲観的に捉える必要もない。未来は、ただそこにあるだけだよ。君の思い通りに動くわけじゃない」

「動くわけじゃないから、少し怖いんだよ。最悪の場合は常にあるわけだ」

「何がその最悪か、君も私にちゃんと言ってみたまえ。詳しくだ」

「……お前と別れる事」

「それが本当に最悪なのかな?私や君が事故や病で死んでしまう事は最悪の事ではないかな?」

「…それもある」

「いや、私にはそれしかないように思える。天秤に乗せて比べてみたまえ。私が君の目の前で死んでしまうか、それとも、ただ単に別の道をとるか。しっかりと考えたまえ」

「…そりゃあ、死ぬのは嫌だけど、別の道に行くのも十分に嫌な事だよ」

「なら、その別の道に行くという根拠を述べたまえ。今の私は、君と別の選択肢を取るという事はないと思う」

「今のお前ならそうかもしれないけど、次の瞬間のお前はそうじゃないかもしれない」

「その心は?」

「心?…知らない」

 すると、タキオンは「知らない…。そうか…」と返しつつ、辺りを見渡した。そして、丁度よさそうな場所を見つけると田上にこう言った。

「キスをしよう。あの木の陰で」

 タキオンが指差したところには、観葉植物の気が二三本植えられていた。しかし、そこは隅と言うだけで、人は普通にいるし、暗がりに紛れる事もできない明るい場所だった。だから、当然の事、田上は「嫌だよ」と返した。けれども、タキオンも簡単に譲る事も出来ないので、こう言い返した。

「それなら、私も嫌だよ。こんな雰囲気のまま君とデートをしたくない」

「店に入れば、雰囲気も良くなるよ」

「店に入るまでが駄目だろ?だから、お互いの気持ちを確かめ合おう?君が安心するにはそれしかないよ思うよ」

「いや、さすがに、キスをするにしても、あそこじゃ不味いだろ。木の陰って言っても、あそこに隠れ切る事はできない。ただの大衆の目の前でキスをする人になるだけだよ」

「それならそれでいいさ」

「いや、良くないよ。前回は、たまたま記者の人が話の分かる人で良かっただけだ。ここで写真でも撮られてみろ。すぐにネットに上がって、ああだこうだ言われるだけだぞ」

「ああだこうだ言われないかもしれないよ?」

「分からん。風向きに依るけど、こんなところでキスしたって何の得にもならない。そりゃ、俺たちのファンは良いかもしれないけど、世間はそうじゃないかもしれないんだ。炎上したら損するだけだぞ。風向きが悪くなるだけ」

「炎上しないかもしれない。…とにかく、……じゃあ、分かった。私の頬を撫でて。撫でるくらいならいいだろ?私の頬を撫でて思い出してくれ。あの一週間、色々あっただろ?それで、私の事が心底大切になっただろ?それを撫でながら思い出してくれ」

 タキオンにそう懇願されると、田上も断りづらくなった。何より、タキオンが譲歩してくれたのだ。それを無下にするのは田上にもできなかった。だから、無表情のまま「いいよ」というと、タキオンと手を繋いで木の陰へと移動した。そして、タキオンを木の方へ深く押しやって、自分の体の陰にし、周りから何をやっているのかあまり確認できないようにすると、その柔らかな頬を撫で始めた。

 ただ撫でているだけではつまらないので、その頬を指で軽く摘まんだり擦ったりした。すると、タキオンは田上の目を見つめながらクスクス笑った。田上もその目を見つめていたのだけれど、見つめ合う行為に耐えられなくなると、そっと目を逸らした。それをタキオンは瞬時に気が付いて、自分も田上の頬を両手で掴むと言った。

「私の目を見て。どうだい私の目は?」

 田上は、チラッとタキオンの目を見ながら、「良いと思う…」と元気なく答えた。その答えにタキオンが満足できたのか分からなかったが、顔に微笑みを浮かべると、そのまま田上の頬を触り続けた。その後も、二人は黙ったまま、お互いの頬を揉んだり、撫でたり、摘まんだりし合ったので、何だか奇妙な構図ができた。物陰に隠れてやっている事と言えば、お互いの頬を触っているだけなのだ。他人から見れば奇妙で仕方がないが、二人は、少し満足しながら頬を揉み合っていた。田上は、タキオンの目を度々チラチラと見たが、目が合うと、その目を合わせる元気をなくして、直ぐに目を逸らした。どうにも正面から目を見つめるには活力が必要だった。タキオンは、何が可笑しいのか、飽きずにじーっと田上の顔を見つめてきていたが、田上にしてみれば少し視線が辛かった。だから、暫く頬を揉み合った後言った。

「……俺の顔が可笑しいか?」

「可笑しい?違うよ?」

「じゃあ、なんでそんなに俺の顔を見つめられるんだ?」

「なんで…?特に理由はないけど…、見つめてちゃおかしいかい?」

「…別に、おかしくはないんだけど、…そんなに人の事に興味を持てるのか?」

「…人って、…まぁ、全員じゃないけど、君の顔を見つめていれば思いは尽きないよ。かっこいいし、かわいいし、切ないし、可哀想」

「…バカにしてるの?」

「いいや、バカになんてしてないさ。言葉のままだよ。黙って頬を触られてる君は、普通に可愛いよ」

 タキオンは、その言葉の後に、田上をこれまでよりも少し目を開いて見つめた。そうすると、今まで会話をしている間は見つめていた目を、田上はすぐに逸らして、そして、またタキオンの顔をチラリとみてから言った。

「良い奴だよ、お前は」

「君も良い奴だよ。私を見ていてくれる」

「…そうだな…。…キスをしてやろうか?」

「おや?いいのかい?」

 今まで静かに話していた二人だったが、ここでタキオンが少し声の大きさを上げて、嬉しそうに口角を上げた。その後に、田上が「手を放して目を瞑って」と言うと、タキオンは大人しくそれに従って、田上のキスを待った。田上のキスは一瞬だった。タキオンと田上の唇が触れたその後には、もう離されていて、タキオンは少し戸惑いながら目を開けた。田上の体は、もう木の陰に隠れようとはせずに、タキオンと体を離していた。

 二人の体は、深く木の陰に入り込んでいたので、所々、小さな枝や葉っぱが付いていた。

田上は、目を開けたタキオンからその枝などを摘まんで取っていたが、タキオンは田上を見つめたまま動かなかった。田上は、タキオンの目は見ようとはせずに、淡々とタキオンの頭に付いた葉っぱを摘まんでいた。恐らく、田上もタキオンが不平満々に、自分の事を見つめてきているのは分かっているはずだった。しかし、絶対に田上はタキオンの頭に付いた葉っぱを取り終わるまで、その目と目を合わせたくないという気を感じたので、タキオンは黙ったままその顔を見つめ続けた。そして、田上が「はい…。終わったよ」と静かに言うと、タキオンは「君の頭にもついてるよ」と言って、田上の頭に手を伸ばして、小枝を一つ取った。それから、またその目を見つめると、田上が目を逸らすのを待って言った。

「君は私の目が見れないかい?」

「…見れない」

 田上は、意外にも正直に答えたから、タキオンはふふふと笑って言葉を続けた。

「別に、無理に私の目を見ようとしなくてもいいけど、…私を見るのは辛いかい?」

「辛くはない」

「じゃあ、ちょっと私の事を見つめ続けてみてくれよ」

 タキオンがそう頼むと、田上は渋々といった様子でタキオンの目を見つめた。しかし、それは、少しするとすぐに逸らされた。だから、タキオンは田上にできるだけ優しく言った。

「君は男の子だから、まだ、少し私に照れが残っているのかな?…それとも、何だろう…。やっぱり、見つめ合うのは辛いかい?」

「…辛くはない」

「…言い方を変えよう。…君は私と繋がっているだろ?」

 田上が、黙ったまま頷いた。

「それじゃあ、私の目を見る事なんて気にしなくていいんじゃないのかい?…恥ずかしいのかな?」

「…そうかもね」

「じゃあ、時が経てばその恥ずかしさも消えていくのかな?」

「…そうかもね」

「…なら、もっとキスをした方が良いと思う。時が経って恥ずかしさを忘れられるのは、私たちの仲がもっと深まるからだ。その時の事を想像できるなら、君はまだ捨てたもんじゃない。…キスをしよう」

 タキオンはそう言って、田上の顔を神妙な表情で見つめたが、田上は少し眉を下げてこう言った。

「帰ってからだ。今日は、それ以上はできない。ここでは少なくとも無理だ」

 田上の言葉は、的を射ていなくもなかったので、タキオンもここは渋々ではあるが大人しく引き下がって、その田上の固い手を繋いだ。そして、二人は歩き出した。目的地は、アクセサリーショップにすると定めた。その道中は、田上も少しは元気を取り戻したし、タキオンも田上がどうであろうと、その普段の調子を辞めずにいた。それが、少なからず、田上の調子を取り戻すことにも繋がった。しかし、アクセサリーショップの店内に入ると、田上は、先程と同じようにはタキオンに接しなくなった。それは、もしかすると、静かでお洒落な店内が田上をその様にさせたのかもしれないが、タキオンは、少し心配だった。少なくとも、道中の時よりは、田上は目を合わせてくれなかった。

 

 田上とタキオンは、二人で手を繋ぎながら、店内のネックレスを見て回った。どれもキラキラとしていて煌びやかで、ネックレスとしては申し分のないもののように思えたが、二人が欲している物としてはあまりに平凡な物のように思えた。けれども、タキオンは、田上と楽しくショッピングをしたかったから、どれそれを指差しては「これはどうかな?」「あれはどうかな?」と田上に聞いたが、田上は、曖昧な調子で「んん…」と否定の言葉を発するだけだった。その言葉を発する度に、タキオンは田上の顔を見つめたが、田上は、じっと今否定したばかりのネックレスに目を注いでいるばかりだった。だから、タキオンは念の為、もう一度是非を聞くと、その時になって田上はしっかりと否定の言葉を発した。

 一番初めに訪れた店には、二人の欲しそうな物はなかった。先程は、田上が否定する言葉を言っただけのように書き起こしたが、実を言うと、田上が否定していなければタキオンが否定していた所だった。やはり、どれもが単調で面白くなかったからだ。それは、二つ目の店も同じだった。二つ目の店には、面白そうな指輪が置いてあったが、生憎の所、今日は指輪を買う予定はなかったので見るだけで断念した。その時に、勿論田上との将来の事を空想したりもした。その空想の内容を田上にも言った。すると、田上は曖昧に口元に笑みを浮かべて、微かに声を出して笑った。それが、愛想笑いだったのかどうかは、タキオンにも分からなかった。何しろ、田上は全く目を合わせてくれなかった。目を合わせて、気を確かに話してくれればタキオンにも田上の感情がまだ分かりやすかったのだけれど、タキオンがどう目を合わせに行こうとしても、田上は巧みにその視線を避ける立ち位置について、決してタキオンの目を見なかった。

 その店では、指輪を試しに着けてくれるサービスをしていたので、タキオンはその指輪を薬指にはめてみた。そして、対になっている指輪を田上に渡して、「君も着けてみてごらんよ」と言ったのだが、田上は中々着けようとはせずに、その手の平に乗っている銀色の指輪をじっと眺めていた。どうやら、心ここに在らずといった心持ちであったようだが、タキオンがもう一度「着けてごらん」と言うと、田上はタキオンの方を見ずに、躊躇いを見せながら恐る恐るその指輪を薬指にはめた。タキオンは、別に「薬指に着けろ」とは頼んでいなかったので、何も言わずに薬指に着けてくれた田上に心躍ったが、それを言ってしまえば田上が嫌な顔をするだろうという事が分かっていたので、タキオンはニコニコとしながら「どうかな?」と聞くだけにした。田上は、暫く、また自分の薬指に着いている指輪をジーっと眺めた。近くに二人の為に指輪を持ってきた女性の店員も居たのだけれど、田上はその人の事なんて気にせずにじーっと見つめていた。タキオンも勿論気にしておらず、田上の事を見つめていたが、一つだけ、――店員が田上の邪魔をする事だけは無いように、とは願っていた。田上は、今、自分の心に整理をつけている最中なのだ。それをたかが店員に邪魔されては、続く物も続かない。しかし、店員も空気の読める人だったようで、しっかりと田上の長い指輪の観察の時間を待ってくれていた。

 田上は、暫くしてから二人の視線に気が付いて、タキオンの方を見た。今度は、普通にタキオンの顔を見つめていたが、タキオンが話し出すと、途端に指輪の方に視線を向けた。

「どうかな?指輪ってこんな感じだよ」

 田上は、また指輪をじっと見つめていたが、先程よりは早く言葉を発した。

「………これが、三十万か」

「正確には、両方で三十万だね」

 それでも、まだ田上がじっと指輪を見つめているのでタキオンが聞いた。

「三十万じゃ不服かい?」

「…いや、…不服じゃないけど…」

 田上が続きの言葉を躊躇うと、タキオンがそれを優しく掬い上げた。

「結婚の時は、この店で買うのも良いかもしれないね」

 そう言われると、田上はタキオンの顔を見つめたが、さすがの店員もここで痺れを切らして、セールストークを始めた。タキオンたちは、人気の婚約指輪を見せられた。中には、龍を模ったものもあったし、兎を模ったものもあった。しかし、元より指輪を買いに来たのではないので、そのセールストークは適当に受け流して、二人は次の店へと歩を進めた。店員は、残念そうではあったが、タキオンと田上に最後にこう言った。

「アグネスタキオンさん、田上圭一トレーナー。今後のご活躍を応援しております」

 この言葉にタキオンは少し顔を赤らめて、田上は動揺した。タキオンは、自分たちの正体が初めからバレていて、今の会話を聞かれていたのだと思うと、少し恥ずかしかった。田上は、今の内容がSNSなどに公開されて、変な騒ぎにならないかと不安になった。しかし、そこの所は店員もしっかりしている人なので、ウマッターという文章が主体のSNSにはこういう文章を投稿した。

『今日は、とてもとても素晴らしいカップルにあった。本当に、仲が良いんだなと思いました。結婚の時はうちの店に来てくれーー!!』

 

 田上は、その女性の店員が、余計な事を言わないかの不安を解決のできないまま、三つ目の店へと向かった。実の所、田上は、去り際に、余計な事を言わないでくれるよう、店員に頼もうかとも思ったのだけれど、タキオンと手を繋いで居ると、言い出せないままに一緒に歩いて、もう引き返せない所まできてしまった。それでも、田上は不安だったから、道中でタキオンに聞いた。

「…あの店員さんは、俺たちの事を何かネットで言わないかな?」

「私たちの事?…どうかな。…言わないんじゃないかな?さすがに、ここら辺の店は、ブランド物を扱っているんだから、店員の教育もしっかりとしていると思うよ?それに、あの人は、私が見るに良い人そうではあったけどね。君が指輪を堪能しているのを黙って待ってくれていたし」

 田上は、堪能という言葉に引っ掛かって、隣を歩いているタキオンの目を見つめたが、またすぐに逸らした。しかし、タキオンはそこの所を、田上が反応しそうだと思って言ったので、田上が何に引っ掛かって、なぜ自分の事を見つめてきていたのかは容易に想像がついた。だから、にこりと口角を上げると言った。

「堪能していなかったかな?」

「堪能?」

「ん?君はその言葉が引っ掛かって私の顔を見てきたのだと思ったけど」

「…まぁ、引っ掛かったけど」

 田上は、見事に見透かされたので、釈然としない様子ではあったが、素直にそう答えた。

「それなら良かった。…で、堪能は?」

「してたと思う?」

「おや、クイズか。難問だね。さっきのは冗談のつもりだったけど、…君があの指輪を見つめている時間で、何を考えていたのか、か。私には、そこまでは分からないが、…どうだろう?少し嬉しかったんじゃないのかい?」

「嬉しい?…そうかもしれない」

「じゃあ、正解かな?」

 タキオンが笑って言ったので、つられて田上も少し口角を上げてこう言った。

「いや、もう一つ二つあるかもしれない。嬉しい以外に」

「もう一つ二つ!?う~む、難問じゃないか。…嬉しい以外に……」

「悲しい?」

「君が言うなよ。気が散るだろ」

 タキオンがそう言ってから、前から来た人を避けるために少し体を田上の方に寄せた。

「…待ってくれ。…嬉しい以外に…、やっぱり、将来の事を考えていたんじゃないかな?私との生活を」

「…それもあるかもしれない」

「もう一つもあるのかな?」

「もう一つある」

「もう一つあるのか…。…う~む、圭一君、圭一君、圭一君…。…圭一君は、…思い出していた。私とのキスを」

「正解」

 田上は、そう優しく微笑んでタキオンの目を見つめながら言った。しかし、不意に我に返ると、またその目を逸らして、自分の薬指にあったかもしれないはずの指輪を空想した。龍のデザインの物は、中々に細かくて面白い指輪だと思った。見ていて飽きないものであったが、あれが結婚指輪だといわれると少し違う気もする。そう思うと、田上は自分の指に嵌っているはずの指輪はどういう指輪であるべきなのか分からなくなった。二人の一生物の品である。それを選ぶには後悔の無い選択をしなくてはならない。その『後悔の無い』というのが、田上には分からなかった。何が自分の後悔であるのか分からない。その考えに至ると、次にタキオンを見た。今日のタキオンの服装は、紺を基調とした服装で、下は長いスカートだった。腕は、海に行った時ほど露出しておらず、肘の手前くらいで袖の長さは止まっていた。所々に見れる白い布は、タキオンを良く飾り立てていて、タキオンらしい大人と子供の入り混じった可愛さを際立たせていた。そのタキオンを見ていると、なんだかその手を放したくなくなって、少し強めにぎゅっと握った。これは、全てタキオンが田上に話をしている最中の出来事であったのだが、田上がタキオンの手を少しだけ強く握ったのを、タキオンはちゃんと感じて、話を止めて不思議そうに田上の目を見た。田上も、タキオンの目をじっと見つめていた。その目は、愛おしい『今』を見つめているようでもあり、遥かな『未来』を眺めているようでもあった。しかし、田上は、やっぱり目を逸らして、それから、タキオンの話の続きに答えた。タキオンもそのまま話が進んでしまったので、それに乗るしかなかったのだけれど、店に着くまでは、その田上の顔をじっと興味深そうに見つめていた。

 

 三つ目の店は期待の持てそうな感じで、色んな種類のネックレスがあった。特に、田上たちはユニークな物が欲しかったから、そういうユニークさのあるネックレスがその店にはたくさんあった。中には、鳥獣戯画の蛙がネックレスの先についているものもあった。その品々を見ては、また、タキオンと田上は「これが良さそうだね」「あれが良さそうだね」と言った。その店のペアネックレスの置いてある区画には、二つを重ねると初めて形になる対の物が様々置いてあった。ハートの物がその代表だろう。ただ、そのハートを単純に分けさせるのでは縁起が悪いと思ったのか、田上たちが見た物は、太陰太極図のように別れたハートだった。タキオンはこれに大いに興味をそそられたようだったが、田上は、あんまりしっくりこずタキオンの顔を少しがっかりさせた。それでも、タキオンは諦められなかったのか、「君の選んだ奴と私の奴をちょっと見極めてから、今一度決めようね」と田上に言った。田上は、それに曖昧に頷いた。

 田上は、ぼんやりしながらそれらを見つめていた。種類は多く、形も様々で面白いとは思ったが、こう…、田上には自分が何を掴もうとしているのか、判じかねていた。果たして、何を選べば正解なのか…。田上には、それがあまり良く分からずに、タキオンの誕生日プレゼントとなるべき物と対峙していた。しかし、それでは始まらないと思ったので、田上はとりあえず、「これはどう?」と右手と左手が対になっている物を指差した。その言い方が曖昧だったので、タキオンは、田上のそのネックレスに対する興味が本物かどうか疑って、隣の田上の顔を考えながら見つめた。田上の顔は、相変わらず、タキオンの方を見ようとはしていなかった。それが少し悲しかったが、タキオンは一応自分の意見を述べた。

「私としては、これはあんまり好かないね。だって、これはつまり、鏡の世界とこの世の隔たりとしての解釈もできるはずだ。こっちでの右手は、鏡の世界での左手だからね。もしかしたら、デザインした人は、一心同体のつもりでやったんだろうけど、その解釈もできる。それに、私は、首元に手をぶら下げておくのはなんだか嫌だ。あんまりセンスはないだろう?」

 田上は、それに「そうだね」と簡単に答えたので、タキオンには田上がそのネックレスに何の思い入れが無い事が分かった。こうなると、暖簾に腕押しのような状態で、ネックレス選びにあまり手ごたえを感じることができなくなった。田上は、あれこれ指差して、タキオンの意見を聞き、否定されれば「そうだね」、肯定されれば「そうか…」と言って、また別のネックレスを指差してタキオンの意見を聞いた。タキオンとしては少しつまらなくなってきた。田上は、しまいには菩薩観音が付いたネックレスを指差して、「これはどう?」と聞いてきたので、タキオンは遂に少し感情を出して田上に注意した。

「あんまり色々聞かないでくれ。私だって分からないものは分からないんだ。君の好きな物を指差して私に提案してくれよ。それだったら、私も大好きなんだ。君が何を想っているのかは知らないけど、もっと見るものは他にあるだろう?」

「他?」

「そりゃあ、…私とか」

「…そう」

 田上はそう言って、話している間タキオンに向けていた目を、また、元のネックレスの方へと戻した。

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