ケロイド   作:石花漱一

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二十三、タキオンの誕生日プレゼント⑧

 タキオンは、チャイムが鳴って一二分してから、ドアの隙間から「やあ」と顔を覗かせた。そして、田上と目が合うと、おもむろにトレーナー室に入って、また田上の膝の上に座ろうとした。田上は、丁度作業をしている最中に、タキオンに膝に座られたそうに見つめられたので、鬱陶しそうに「椅子に座れば?」と言った。しかし、タキオンは口角を上げながら口を開いて「君の上に座りたい」と主張した。田上は、自分の作業とタキオンを天秤にかけた後に、タキオンの方を選んだ。椅子を机から引くと、タキオンの方に向けて手を誘うように広げた。タキオンは、嬉しそうにその手の誘いに乗って、抱き着くように田上の膝に乗った。そして、その首を最上の愛おしさを表すようにぎゅーと力強く抱きしめた。田上には少々苦しくもあったが、その行為により自分が愛されているというのが十分に伝わって、思わず嬉しくてふふふと笑った。すると、その幸せがタキオンにも伝わって、タキオンもふふふと笑った。二人は、幸福の最絶頂いるようだったが、長机の方でそれを見ていたマテリアルは違った。やっぱり、タキオンに説教されても尚、二人の関係が羨ましかった。チラチラとマテリアルの頭の中には、田上を奪い取るというあくどい考えが浮かんでいたが、それをするにはあまりにも浅はかな考えであるのは分かっていたし、それが自分自身のために行うのではなく、タキオンへの嫌がらせにしかならない事も十分に理解していた。だから、これは単なる思い付きでしかなかったのだけれど、そんな考えが浮かんでくること自体、あまり自分としてもいい気持ではなかった。

 そんな事を考えながら、二人がいちゃいちゃしているのを見ていると、トレーナー室のドアが急にガチャリと開いて、リリックが入ってきた。田上とタキオンは、その音が鳴った途端に弾けるようにそちらの方に顔を向けた。二人共、この姿を知らない誰かに見られたら不味いと考えていたからだ。しかし、入ってきたのがリリックだったことを確認すると、また元のようにいちゃいちゃし始めた。と言っても、タキオンがそのようにしようとしただけで、田上の目はリリックの方を見据えていて、二人がとんでもないバカップルのようにいちゃついているのを見て、戸惑っているリリックに言った。

「なんか聞きたい事でもあった?」

「…いや、…今日も明日も同じ服装で同じ場所で良いんですよね?」

「当分はそれでオーケー。筋トレとかをジムでするときもあるから、その時は、またちゃんと連絡するよ」

 そう言っている間中、タキオンは田上の気を引こうとその頬で遊んでいた。リリックはそれを見て呆れつつも、マテリアルの方に目を合わせると言った。

「あれ見てて気が滅入らないんですか?」

 丁度、滅入ったところにその質問をされたので、「ええ?」とマテリアルは返答に困ったが、別にこの二人を見ているのが嫌いというわけでもないので、「どうでしょう?」と明言を避けた。それで、不意に頭に浮かんだ事を、話題逸らしに添えて言った。

「そう言えば、いつかカラオケ行くという話になりましたけど、リリーちゃんは行きます?」

「カラオケですか?」

「カラオケです。タキオンさんと田上トレーナーと赤坂先生と私で行く予定、…もしかしたら、人数は変動するとは思いますけど…。タキオンさん!…タキオンさん!」

 一度呼んでもタキオンは田上に夢中で振り返らなかったので、二度呼ぶと、さすがにこれには気が付いて「え、何だい?」と幸福に浮かれている顔をマテリアルに向けた。

「どうでしょう?カラオケってどういう予定になるんですか?」

「ええ?カラオケかい?」とタキオンは一瞬悩んだ後に、自分の下にいる田上に言った。

「どうするんだ?いつするとか具体的な日程は君によるだろ?休みはいつ取るんだ?」

「ああ、そうだ。それで言いたい事があったけど、リリーさんにタキオン。二人のレースは六月の九日の宝塚記念の時に登録したからね。リリーさんが八日の第五レースのメイクデビュー。タキオンが、九日の第十一レースの宝塚記念。いい?」

 田上が二人の顔を交互に見やると、幸先が不安な事に、二人の顔は揃いも揃って固くなった。そして、タキオンはその心に宿った不安を解消するように椅子をギシシと言わせて、田上を深く抱きしめた。田上は、その背をぽんぽんと叩きながら、それでも、タキオンに隠れて見えなくなったリリックに励ましの言葉を投げかけてやりたくなったので、椅子を回転させると、リリックに向かって言った。

「初めは、レースがどんなものか掴みに行こう。そして、あわよくば勝ってやろうという精神で行こう。…タキオンもな。それで、負けたとしても、落ち込まない事が重要だ。いや、別に絶対落ち込むなって言っているわけじゃないんだけど、後に引くほど落ち込むとまた面倒だからね。とりあえず、走りに行こう。そしてあわよくば勝とう。…それでいいか?」

 リリックは黙ったままコクリと頷き、タキオンは田上の耳元で返事とも唸り声ともつかない声を微かに出した。そして、そのタキオンに田上は続けた。

「タキオンは、俺がいる事を忘れるなよ。俺が言えたもんじゃないけど、タキオンに支えられたからには俺もお前を支えてやらないといけない。タキオンが俺を想っているのと同じくらいに俺はお前を想ってる。その事を忘れるなよ」

「うん」と今度ははっきりと聞こえる声でタキオンは言った。そして、田上にそう言われて嬉しくなった心の照れ隠しの為か、唐突に田上に耳に息を吹きかけた。田上は、不意を突かれて「わっ!」と声を上げた。その声にタキオンが可笑しそうに笑いだすと、また二人きりの世界が始まりそうだったので、リリックは呆れて「じゃあ」とマテリアルに言うとその部屋から去って行った。その去って行った後も、少し表情は強張っていた。いよいよ身に迫る危険が現れ出てきたような気がした。選抜レースの時もそうだが、これまでもずっとずっと逃げたい逃げたいと思っていたレースが、いよいよ迫ってくる。今度は田上がいるとは言え、リリックにとってあの人はどうにも頼りになるかと言われれば怪しかった。教え子であるタキオンと二人でいちゃいちゃしているのがその猜疑心を煽る。マテリアルも頼りになるかと言われれば、あの二人よりはマシそうだったが、リリックにとってはどっちもどっちだった。むしろ、友達の方が頼りにはなりそうな気がしたが、二人のメイクデビューがいつになるのかは聞いていないし、同じレース場になるとも聞いていない。たった一人で挑まなければならないのだ。頼れる人は居ない。そんな中で、どうこの不安を解消していけばいいのだろうか?――タキオンさんはいい。田上トレーナーにあんなに頼りにできるのだから。…でも、自分は違った。頼りにしろと言われても、もうあのタキオンに付きっきりな田上には頼りにできなかった。頼りにしろというのならば、自分の事を一番に考えてほしかった。決して他の女を優先したりして、自分の事を疎かにしない様な、もし、自分が死にそうな時に真っ先に助けてくれるような…そんな人であれば自分も頼れるかもしれない。そんな事を考えていたが、どうも田上は、リリックとタキオンが二人同時に死にそうになった場合、やっぱりタキオンの方を先に救いに行きそうだった。勿論、恋人同士であればそれは当然だ。愛する人を救いに行くのが一番初めにすべき事だろう。しかし、トレーナーとしては、不安になっている自分をほっぽいて、彼女と遊ぶ人を信じるわけにはいかなかった。

 

 トレーナー室の方では、不意に我に返って田上が「あれ?カラオケの話は?リリーさん行っちゃったよ?」と言った。この場に居る誰もが、元々その話だったことを忘れていた。

「君のせいだよ」と相変わらず愛おしそうに恋人の事を見つめながら、タキオンは言ったが、丁度そこでチャイムが鳴った。タキオンは、「次は、昼食だから一緒に食べようね」と言うと、田上の頬を撫ぜ、またキスをし、部屋からにこやかに立ち去って行った。こうも愛されてしまうと田上も少し浮かれ心地になってきたのだけれど、そこにマテリアルが釘を刺しに来た。

「田上トレーナー」

 少し怒った調子だった。だから、田上は少し慌てて「はい」と答えた。

「さっきは少しリリーちゃんが可哀想じゃなかったですか?やっぱり、あんなに見せつけられちゃうと、さすがにリリーちゃんも嫌になりますよ。私も嫌です。それに、リリーちゃんが不安なのはみて分かるでしょう?あなたも十分に分かるでしょう?それなのにタキオンさんだけに俺を頼れとはちょっとどうなんでしょうかね?トレーナーとして」

「はぁ」と田上は言う他なく、あんまり罪の意識が湧いてこなかった。それと言うのも、やっぱりリリックの事は頭からすっぽり抜けていて、タキオンを大事にすることだけを考えていたのがこのトレーナーだからである。その様子を感じ取ると、マテリアルももっと釘を刺さねばと思い、もっときつく言った。

「いや、田上トレーナー、あなたがタキオンさんの事を大事なのはわかりますよ。分かりますけど、あなた自身がスカウトした教え子を蔑ろにしてまで大事にしないといけないんですか?タキオンさんにも然るべき所では節操を守るように言って貰わないと、リリーちゃんの不安は解消されませんよ?あなたが、これまでタキオンさんに救われてきた色々をお忘れですか?お忘れでなければ、タキオンさんへの恩返しも勿論重要ですが、リリーちゃんをまた救わなければいけませんよ。つまり!あの子があのまま走れなければ!あなたが救わなければいけませんからね!その事が身に染みて分かっていますか!ええ?」

 あんまりにもぼんやりしている田上に、マテリアルは段々と声が大きくなっていった。田上もそれによって段々と自分のせねばならない事が分かってきたが、それはちょっと辛かった。つまり、マテリアルの言う通り、タキオンを少しだけ突き放さないといけないのだ。少なくとも、然るべき場所・時だけは。それを提案するとタキオンは少し不満そうになるだろう。それは田上だって不満だった。こんなに愛されているのに、こんなに嬉しいのにそれをわざわざ消さねばならないのだから。すると、またマテリアルが言った。

「あなたもタキオンさんもお分かりだとは思いますけどね。いつまでもそうやってべたべたするのはできないんですよ。先の事を見据えるのならば、当然、あなた方は仕事中は離れ離れになるでしょう?まさか、あなたはタキオンさんが卒業してからもこのトレーナー室に置いておくおつもりですか?」

「…いや、そんな事はないです。…分かりました。僕の方からタキオンには言っておきます。ありがとうございます」

「分かったのならいいですけどね」と言ったマテリアルは、まだ少しぷんぷんと怒っていそうだった。田上は、その気配を感じ取りながら、どうタキオンに切り出そうか考えた。――まさか、俺に近づくなと言う事もできないし…。

 

 そんな事を考えながら、もう四時間目も終わり、タキオンがトレーナー室まで来た。二人は早速カフェテリアに行って昼食を取る事になったので、田上とタキオンは手を繋ぎながら行った。田上としてはあまり心地は良くなかったのだけれど、タキオンから言わせてもらうと、この前の記事のせいでトレセン学園の生徒たちには、少なくとも田上とタキオンが手を繋いで歩くというのは周知の事実だそうだ。若干、強引に説得された感じはあったけれども、田上は大人しく手を繋いでおいた。話は、カフェテリアの椅子にゆっくりと腰を落ち着けてからにしようと思った。

 カフェテリアに着くと、二人は昼食を受け取り、席を探し、壁際の方の席に腰を落ち着けた。それから、タキオンが、少し何かを隠していそうな田上に向かって言った。

「なにかあるのかな?先程から、表情が強張って見えるのだけれど」

「ああ…。どう言おうかな…。……あのマテリアルさんに怒られたんだけど…」

「なんて?」

「もう少しリリーさんを気にかけてあげてください。みたいなことを…」

「ふむ」

「…で、マテリアルさんが言うには、タキオンとは然るべき場所では節操を守るようにしてください、だって」

「ふぅん。…私は、トレーナー室は大丈夫だと思うんだけど」

「まぁ、向こうの言い分はね?リリーさんが不安になる、と。だから、…俺がリリーさんをスカウトしたからには、もっとリリーさんを見てやれ、と」

「ふむ。君は十分に見ているとは思うんだけどね。ちゃんと気にもかけてやってるだろ?」

「いや、…マテリアルさんが言ったので気が付いたんだけど、タキオンには俺を頼れって言っただろ?」

「言ったね」

「でも、リリーさんに言わなかっただろ?」

「…そうだね」

「それが、ダメらしい」

「なんで?」

「いや、…責任を持てって事。だから、あの、俺がスカウトしたんだから、せめて職場では平等に扱え、と。――あの子があのまま走れなければ、あなたが救わなければいけないんですからね!って怒られた」

「うん。…一理あるね。それで、私の理解は追いついたけど、…具体的にどうすればいいんだい?節操を守れって言われても、トレーナー室でくらい私は君と一緒に居たい」

「それが…、どうだろう?作戦会議をしたい。どうすれば、リリーさんの不安を解消できるか」

「えぇ?…まず、リリー君が不安になっているというのは憶測だろう?」

「憶測だけど、あんまり馴染めてない気はしない?」

「…どうだろう?私が君に馴染み過ぎているから、リリー君が馴染めていないように見えるだけで、実際の所はどこも皆同じようなものかもしれないよ?」

「でも、そうすると、心は離れていくだけだろ?少なくとも、トレーナー室がもっと落ち着ける場所の方がいいだろ?」

「まぁ、そっちの方が良いね」

「だろ?リリーさんは落ち着けているように見えるか?」

「……落ち着けているんじゃないかい?」

「いやぁ、どうだろう?分からないよ。俺だって、隣でいちゃいちゃされてると気は休まっらない。タキオンはどう?真正面に相席されて、恋人がなんか抱き合ってたら嫌だろ?」

「まぁ、嫌な事には嫌だよ。…でも、じゃあ、私たちはどこで抱き合ったらいいんだい?」

「…研究室とか…かな。…そもそも抱き合う必要ある?」

「あるだろ!?何言ってるんだい!?君も嬉しいだろ?嬉しくないとは言わせないぞ。いつもでれでれしているくせに」

「…嬉しくない事はないけど、…まぁ、とりあえず、…あんまり目に鬱陶しくないようにしなくちゃいけない」

「でも、それはどうするんだい?恋人であるという事が気になる人なら、私たちが恋人のようなそぶりをしただけでも気になる人は居るよ?その人々全てのニーズに応えるわけにはいかないだろ?…これは、ちょっと曖昧な議論なんだよ。私たちが目にうるさいマテリアル君の都合の良いやっかみなんじゃないのかい?」

 この言葉で田上は少し考えたが、その後に口を開いた。

「いや、やっぱりリリーさんはチームのTRUTHに馴染めていないような気もするし、俺たちもまだチームって実感はあまり湧いていないと思う。たった一人増えただけだったら、それは感じにくいかもしれないんだけど、それでも俺たちはチームとして一つなんだ。誰一人欠ける事があっちゃならない。リリーさんだけを隅に追いやる様な事があっちゃならない。それはタキオンにも分かるだろ?」

「まぁね」

「だから、俺たちはチームとして、一体感を高めていった方がいいように思う。勿論、お前の事は変わらず大切なんだけど、第一に、俺たちはここに走りに来ているんだ。恋人になりに来たわけじゃない。…分かるだろ?」

「…分かるけど、…分かるけどねぇ…」とタキオンは曖昧に言いながら、田上の顔を悲しそうに見つめてきた。だから、田上もタキオンを元気づけるように口元に笑みを浮かべながら言った。

「俺もお前の気持ちは分かるよ。俺に頼りたいって言うのも分かる。俺もお前を頼らせる。けどな、俺はお前だけの物じゃないんだよ。それを分かってくれ。本当に、今までお前を頼ってきた俺がこう言うと傲慢の恩知らずにも思うかもしれないけど、俺は、リリーさんも一生懸命育てないといけないんだ。…マテリアルさんが言ってた。――先の事を見据えるのならば、あなた方は仕事中は離れ離れになる、って。この通りだよ。いつまでもこうした浮かれ心地じゃいられないだろ?そりゃ、恋人同士になれたのは嬉しい。俺はお前の事がずっと好きだった。お前が俺を好きでいてくれるのも嬉しい。だけど、…分かるだろ?俺とお前が結婚して、家族寮とかに移ったとしよう。すると、俺の仕事は出張の多い仕事だ。一年に何回も家を空ける日がある。担当のレースに付いて行かないといけないからな。お前がどんなに我儘言ったって、俺はお前を優先できない瞬間が訪れるんだよ。…どう思う?」

「…私の父さんは、確か、トレーナー業を辞めていた。…君も辞めれば万事解決だ」

「それじゃあ、解決じゃない。問題は、俺の仕事かどうかじゃない。お前を優先できない瞬間があるって事だ。仕事じゃなくてもそれは起きる。お前の父さんが仕事を辞めたのかどうかは関係ない。…俺もお前が大切なんだよ…。だけどお前一人だけの物にされちゃうと、リリーさんがどうしようもなくなる。俺は、お前と一緒に走って、一先ず仕事上では成功を収めたように見えるけど、問題はここからだ。二人目三人目をどのように育て上げるかで、俺の株も変わってくる。…どう言えばいいのかなぁ。……お前だって十分に分かっているはずだろ?あんなに俺に色んな事を教えてくれたんだから。だから、今度は俺がリリーさんに教える番なんだよ」

 田上は、一生懸命にそう説いたが、タキオンはその間にもパクパクと急ぎ気味でご飯を食べると、田上の話が終わった時には皿を空にして、言った。

「一人で考える。ごちそうさまでした」

 そう言うと、タキオンは立ち上がって田上を残して行ってしまった。田上もここで話を終わらせるわけにはいかないので、急いで立ち上がるとタキオンを追いかけた。タキオンは、中々見事にカフェテリアにわんさかいる人混みの間をするすると縫うように速足で行って、田上をグングンと突き放した。田上は、置いてきた自分の皿の事が気がかりで仕方がなかったが、食べ終わった食器を洗い棚の上に置いてきたタキオンをようやく捕まえて言った。

「一人で考えたってしょうがないだろ?…俺は、先週に二人で一緒に生きようって言った。二人でだよ。…言い辛いのは俺にも分かる。俺も言い辛かったけど、タキオンだったから何とか言えたんだよ。…それとも、俺はタキオンにとって大切な人じゃないのか?」

 田上は、タキオンの手を放さないようにしっかりと掴みながらそう言うと、タキオンは眉を曇らせ、目を逸らしてから言った。

「…あれもダメ、これもダメ、じゃあ私はどうしたらいいんだい?混乱するよ。今までやってこなかった方法で考えろって君は言うんだろ?」

「…じゃあ、分かった。どうにかタキオンの意見も尊重しないといけない。その方法を考える。タキオンだけを押さえつけるのも妙だ。タキオンを押さえつけずに、リリーさんの不安を解決する。リリーさんを何とかこのチームに馴染ませる。その方法を一緒に考えよう?」

 タキオンは、拗ねてしまった子供のように俯きながら「うん…」と頷くと、田上の手をしっかりと握り返して、また元の席へと戻った。

 

 二人はまた席に座ると、とりあえず、田上が食べ物を口に運ぶのを見て、タキオンが少し落ち込んだ声で言った。

「どんな方法があるんだい?」

「…ちょっと待って、ご飯食べ終わるまで」

 そう言うと、田上は急いで御飯を口の中に掻きこんだ。その様子をタキオンは微かに笑みを浮かべ、でも、眉は悲しそうに下げて田上を見つめていた。

 そして、田上が食べ終わると言った。

「いや、全く以てトレーナーは難しい。こんなことで悩むとは思いもしなかった。…ごめんな。ちょっと考えの幅が狭まってた」

「ああ」とタキオンは陰気に頷いた。それが何だか田上には居た堪れなかったが、どうにもこの話題ではタキオンの気分を盛り上げられそうにないため、別の話題を振った。

「そう言えば、タキオンはもうゴールデンウィークに俺と二人でお前のお義母さんたちの家に行く事は言ったのか?」

「え?…ああ、まだだった」

「それなら、今ここで連絡して置いたら?俺もお義母さんの反応とか知りたいし」

「…婚約の話は伝えるのかい?」

 タキオンがまだ気落ちしている声でそう聞くと、田上は少し悩んだ後に言った。

「仄めかすくらいで、――圭一君と私の事で伝えたい事があるんだ…。みたいな感じで。…でも、どうしよう?反対されたりしないかな?」

「…反対はしないと思う。だって、あの二人が元々トレーナーでの契約関係なんだから。それで、反対してきたら、私はいよいよあの家と縁を切る。そして、君の所にしかいない」

 そこで田上が、はははと笑ってから、タキオンは少し活気づいて話を続けた。

「でも、本当に物分かりが悪い方ではないし、あの人たちもトレーナーとウマ娘なんだから、絶対に大丈夫だよ。絶対の絶対。前にも言ったろ?むしろ、君であれば存分に歓迎されるって。それが、またどこかのヤンキーになればまた話は別さ。でも、君は働いていて頼りがいのある人なんだから、十分に大丈夫」

「…そう言えば、前、俺が言った事があったよね…」

 田上は不図ある事を思い出して言った。

「なんだい?」

「…『いい男』を見つけてほしいって…」

「ああ、そんな事を言っていたね。…私は見つけたけどね、君を」

「…そりゃあ、良いんだけど…、……まぁ、良いのか」

「また、自分は器じゃないとか思ったのかい?」

 タキオンはもう――君の心はお見通しだぞ、というようなニヤニヤ顔をして言った。

「そんな感じ。…けど、まぁ、もうタキオンが俺と一緒に居たいって言うんなら、もうしょうがない。頑張るしかないよ」

「それでこそ私のいい男君だ。…どうする?今からメッセージを送ってみる?今からなら、私は一度教室まで戻らないといけないのだけれど」

「…じゃあ、戻るか」

 今度は、田上の食べ終わった食器を洗い棚の上に起きに行くと、二人は手を繋いでカフェテリアから出て行った。カフェテリアから出て行くと、そのままお昼休みなので外には生徒がちらほらと居た。この時も田上はどうにも居心地が悪かった。生徒たちは、皆タキオンと田上の事を物珍しそうにじろじろと見てきていた。田上はこれが嫌だったが、タキオンはそれとは正反対に、見られることを喜んでいるようだった。それで、田上が噂がもっと広がるからやめよう、と提案してもタキオンはこう返した。

「もう、この時点で噂は十分に広まるさ。言っただろ?もう周知の事実なんだから、こうすることくらいいいだろ?それでも私たちは付き合っていないんだから」

 タキオンがそう笑いかけると、田上は——もうどうにでもなればいいや、と呆れて、タキオンが手を繋いでくるのを放置した。どっちみち、あそこまで色々な人に見られたら、どうしようもないように思えた。一つの色恋を三人が知っていれば瞬く間に二十人が知るような学校だから、今はもう手遅れも同然だったし、言えば、元々タキオンと田上が仲が良いのは報道もされている周知の事実、それが最近はあのライブのせいで付き合っているのではないかと噂されているだけなので、どっちにしろ噂は噂として田上たちの周りをぐるぐると取り囲んでいるように思えた。

 二人は結局、手を繋いだまま教室まで戻ったので、その教室の手前で出くわしたある生徒の一団に興味を持たれて声をかけられた。その生徒が声をかけてくると、タキオンは露骨に嫌そうな顔をしたので、恐らく、午前中にタキオンが言っていた『面倒』に絡まれたのだと思う。田上はきゃあきゃあ言う女子の軍団に囲まれてその中の一人からこう声をかけられた。

「あれ?田上トレーナーとアグネスさん?…ホントに付き合ってないんですか?」

 その子がこう声をかけてくると、隣の子がその子に「え、付き合ってるって噂だよ」と口を挟んで、その子がまた「いや、アグネスさんはただ仲が良いだけって言ってた」と言った。すると、一団がワッと湧いて「ウソでしょーー!!」という黄色い声が上がった。そこでタキオンが田上に「スマホ取ってくるよ」と言うと、そそくさとその場から立ち去って行ったので、田上はその子たちから質問攻めを受けることになった。これには中々苦労した。田上の返答した全てを「ウソでしょーー!!」で片づけられたからだった。確かに嘘ではあったから田上も動揺したが、ここで折れてしまえば全て本当の事になってしまう。せめて、田上とタキオンが付き合っているという噂が事実としてではなく、実しやかに囁かれる噂として広まらなければならない。このために田上は尽力の上に尽力を重ねて、タキオンが戻ってくるまで何とか持ちこたえた。そして、強引にタキオンに手を繋がれるとその場を後にした。もう充分に田上で遊べた女子生徒らは、その後を追おうとはしなかった。それで少し田上も安心して、誰も居なくなったタイミングでタキオンに言った。

「面倒臭かったな」

「だろう?あんなのに絡まれたらたまったもんじゃないよ。だけど、私としてはいい効果を持てたと思うよ」

「効果?」

「そう。あの子たちで決定的に噂にはなった。あれだけ露骨に手を繋いでやれば、向こう一二週間は噂の種になるだろう」

「でも、それだとお前が面倒臭くないか?」

「いやいや、よっぽどの人じゃないと私なんかは遠巻きに見られているマッドサイエンティストだよ。それに、私は住みやすい居心地のいい学園作りを目指しているんだ。噂をしてもらった方が私には結構な事さ。その噂が十分に広がれば、付き合っていようがいまいが、――ああ、あの二人は仲が良いんだな、という事で片づけられる。その方が君にとっても楽だろ?」

「…俺は、…そんな周知はされたくないんだけどな」

「それはもう遅いよ。もう記事にもなってるし、変な報道のされ方もしたし、手を繋いでいる写真も出回ったんだ。あとは、もうキスをしている写真が出回るくらいだよね」

「…あ、あれも決めないといけない」と田上は唐突にまた思い出した。それにタキオンが「なんだい?」と聞くと、田上はこう答えた。

「あれだよ。ファン感謝祭。といっても俺が決めないといけないんだけど、…どうだろう?俺のサインなんかねだる人間がいるかな?」

「君がもし私の隣でサインをするというのなら、私は積極的に君のサインを推すつもりだけどね。――セットでお得だよ?みたいな感じで」

「嫌だなぁ、それ。…でも、まぁ、いいか。委員会の方にはもう連絡しておこう。タキオンがお義母さんの方に連絡した後にそうしよう」

「分かった」とタキオンが頷くと、二人はトレーナー室をゆっくりと目指しながら、幾つか仲良くお喋りをした。

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