田上は、タキオンをベンチに運んでいる間、何も言わなかったが、その沈黙がタキオンにはどうしても恐ろしく、何度この腕の中から逃げ出そうと思ったのか分からない。でも、そのたんびに田上が、タキオンの事をより一層強く抱きしめながらお姫様抱っこをしてくれるので、次第に涙も落ち着いていった。それでも、またベンチが見えてくると、タキオンは泣き始めた。これから、どんな酷い言葉を田上から浴びせかけられるのだろうと思うと、怖くて怖くて仕方がなかった。
田上は、タキオンをお姫様抱っこしたまま、ベンチにどっかと座り込んだ。そして、まだ何も言葉を発せずに、疲れた様にため息を吐きながら、抱えているタキオンの胸の中に顔を埋めた。その時に、タキオンは無性に田上の頭を撫でたくなったので、そろりそろりと手を伸ばすと、髪の毛を掬い上げるように撫で始めた。
すると、田上が言った。
「…お前は、精神病なんかじゃない」
田上の頭を撫でるタキオンの手は止まり、下ろされた。
「お前は精神病なんかじゃないよ、タキオン」
田上の黒い目は、真っ直ぐにタキオンの赤い瞳を捉えたので、タキオンは堪え切れなくなって目を逸らした。
「タキオン、俺を見て。ちょっとでいいから」
タキオンは、一瞬だけ田上の黒い瞳を見つめると、すぐに視線を下にした。
「お前は精神病なんかじゃない。精神病だと思うから精神病になるんだ。…お前の精神の問題は、お前の精神の中でしか起きていないんだぞ。……これから、お前が自分の事を精神病だと偽り続けるなら、……俺は、…お前の事を嫌いになるしかない。…お前が、俺のことを嫌いにならないでいてくれたことには感謝する。…でも、お前のように俺は一心に人を愛せない。お前が、走って逃げるのを俺はいつまでも追いかける事はできないんだ…」
「………でも、私は、…精神病だと言える」
「いや、言えない。言ったろ?精神の問題は、お前の精神の中でしか起きていない。精神病なんてものは存在せず、逃げ道として、精神病という単語が存在するだけだ。…依存症もそうだよ。そりゃ、薬物の事なんかは俺には分からないけど、不安を解消、ストレスを解消するためにその物事に依存するのであれば、それは精神病と何ら変わりはない。…お前は精神病じゃない。それは、断言できる。お前は真面だ。自分の事を真面じゃないと思う奴は、どんどん狂っていく。俺は、そんなお前を見たくない。…だから、認めてくれ。お前の事が本当に大切なんだ。お前も俺の事を大切に思ってくれているなら、どうか、そんな妄言は吐かずに俺の隣をゆっくりと歩いてほしい」
田上は、また頭をタキオンの胸の中に埋めた。その田上も頭を、またタキオンはそっと触れ、撫でた。暫く、タキオンの耳には田上が荒く息をする声だけが聞こえ、木の葉のざわめきや風の音がその二人を包んでいた。
タキオンの心は、田上のお陰で大分落ち着いたが、田上はまだ苦しそうに息をしていた。タキオンの体を痛い程抱き締め、自分の頭をもっと深くタキオンに埋めようとしていた。タキオンには、自分の服を通して、肌に熱を与える彼の吐息が感じられた。
暫く、そのままにして放っておいたが、タキオンも段々と田上の事が心配になってきて、小さい声で「圭一君?」と聞いた。すると、田上は、大きく息を吸い込んだ後、息を止め、何かを堪えた後に顔を上げてタキオンに言った。
「なに?」
「いや、苦しそうだったから…」
「ありがとう、心配してくれて。……お前とずっとこのままで居たいと思って…」
「君も…その、なんだ?……あれになったのか?…私を大好きに」
タキオンの言葉選びに田上は笑った。
「そう。……一緒に探しに行こう」
「何を?」
「何かを。一緒に探して、二人で掴み取ろう。人や物事や景色を見て、目には見えない何かを探しに行こう。…お前の家には俺も行くよ。…そう言えば、今回帰るのはお前の父さんの家?それとも、お前がここには来る前に暮らしてたお婆ちゃんの家?」
「…父さんの家だ。…そう言うと、私たちって似てるね。家が幼いころ暮らしていた場所と違う」
「そうだな。俺の家は元々鹿児島で、お前が東京だったか。で、お前の父さんの家は静岡だったよな?」
「そう、静岡。私もあっちに滞在は、結構しているからそれなりに懐かしい場所ではある。ここ最近は全然帰っていなかったしね。君と帰れるのなら、私は嬉しい。…あそこは、のんびりとした場所だよ。鹿児島に住んでいたというのなら、君は茶畑にも思い入れがあるかもしれない」
「ああ、茶畑も鹿児島にたくさんあった」
「静岡にもある。…一緒に行こう」
そう言うと、タキオンは田上の頬にちょんとキスをして、それから、照れ臭そうに田上の首にしがみ付くと、体勢も正面から抱き着くように変えて、言った。
「ごめん」
「それを言うのは俺じゃないよ。フジさんに言わないと。お前、女の子の大事な顔に傷をつけたんだから」
「……怒ってるだろうな…」
「だから、謝るのは早くしておいた方がいいぞ」
「…うん」
そう言ってから、タキオンは田上の首筋に頬擦りをした。
二人は私服に着替えると、休み時間を見計らってフジキセキのクラスを訪ねた。フジキセキは、足とおでこに絆創膏をつけていたが、それ以外は、大丈夫そうだった。田上は、それでも心配そうに怪我の具合を尋ねると、「大丈夫」と言い、こうも付け加えてくれた。
「あの事件があんまり騒ぎにならないように、根回しはしておいたよ。あの場に居た人たちには、トレーナーさんたち二人を信じるようにと言っておいた。私も君たちを信じている。…タキオンももう大丈夫なのかな?」
タキオンは、少しまだ自分がしてしまった事を後悔しているのか、神妙な顔つきをしながら、黙って頷いた。その様子を見ると、フジキセキはハハハと笑って言った。
「そう言えば、その時にトレーナーさんを出汁にしてしまったんだけど、悪く思わないでほしいな」
「出汁?」
「そう。つい一週間前にもタキオンに上手く誤魔化されてしまったんだけど、君たち二人は付き合っているんだろ?…まさか、さすがにあれはタキオンだけの妄言じゃないだろ?」
フジキセキがそう聞いた時に、教室から出て行く女学生が二人ほど、横を通り過ぎて行った。田上たちが話しているのは、教室の出入り口だったから、それなりに人は通るのだけれど、フジキセキは何にも構おうとはしなかった。タキオンも田上もその通って行った女学生を気にしていたのだが、フジキセキは、「どうなんだい?」とただ催促するだけだった。だから、タキオンが渋々答えた。
「まぁ、付き合っているけどね」
「だろう?だから、あの場に居る人たちに私は言ったよ。――タキオンは、トレーナーさんと恋人同士の関係らしいから、きっとトレーナーさんが助けてくれる。私は、タキオンが信頼できる人なら、私も信頼するから、あんまり騒ぎにしようとしないでね、と。そして、その後に一応――他言無用にしてくれと頼んだが、それは…、どうなんだろうね?お喋り好きの子のいるだろうから、本当に他言無用になっているのかは分からないよ」
それをフジキセキはあんまり反省もせずに言ってのけたから、タキオンも田上も少し気分が悪かった。それで、タキオンがフジキセキの顔を睨んでいると、彼女はまた笑いながら言った。
「そんなに交際しているのがばれるのが嫌なのかな?でも、その話があった方が、君の愚行は確実に揉み消せると思ったんだけど」
こう言われると、タキオンも田上も――まぁ、しょうがないかな…?という心地になってお互いの顔を見合わせた。そして、タキオンが田上に聞いた。
「どう思う?」
「……しょうがないかな」
すると、タキオンがふっと嬉しそうな顔を浮かべて言った。
「そう言ってくれて助かった。私はね、君との交際を隠すのは何だか嫌だったんだよ。一々、嘘を吐かないといけないじゃないか。こんなに怪しまれているのに」
「…でも、何か週刊誌に言われたりしないか?」
「こんな小さな学園の些細な出来事を週刊誌が楽しむと思うかい?それに、例え、週刊誌が楽しんだとしても、私たちは何もやましい事はしていないんだ」
タキオンはきっぱりと言ったが、田上の脳裏にはすぐにタキオンが自分の部屋を何回も訪ねてきている事が浮かんだ。しかし、それはどこかに放りやると、田上は言った。
「まぁ、いいか。しょうがない。もう止められない所まで来たし」
「そうだろう。…と言っても、私ももうあんまり隠す気はなかったんだけどね。…もう、聞かれたら素直に答えて良いのかな?」
そう言われると、田上は少し迷った後に言った。
「やっぱり、内輪だけの話にできないか?」
「…じゃあ、質問を変えよう。そんなにこそこそしなくていいだろ?」
「…まぁ、そこら辺は仕方が無いような気はするね。良いと思う」
「良かった。…あんまり変わっていないような気はするけど、とりあえず、それで行こう」
タキオンがそう言い終わると、フジキセキが横から口を挟んだ。
「もう話は終わりかな?恋人さん方。…タキオンは、制服には着替えていないようだけど、授業には出ないのかい?」
「…今日は出ない。君にあんなことしたし、もう少し落ち着いてから出るよ」
「その方が良いかもしれないね。君も噂の真相をあれこれ聞かれるだろうから」
「…どうだろうね?私に話しかけてくる人は、あんまり居ないと思うけど」
タキオンがそう言った後に、唐突に後ろから声をかけられた。
「あ、タキオン!アンタ最近見ないわね」
田上も以前に見た事のある魔女の帽子を被っていた子だった。だが、さすがに今は帽子は被っていないようで、手には教科書と筆記用具を持っていた。恐らく、移動教室に向かっている最中なのではないかと思われる。
その女の子に話しかけられたのがあまりにも突然だったので、タキオンは少し困惑したような顔をしながら言った。
「ああ、スイープ君。何か用かい?」
「アンタの研究室、最近空じゃない。もう実験はやめたの?」
「ああ…、やめたわけじゃないんだけど、どうにも進展はあまり芳しくはなくてね」
タキオンはそういう言葉で誤魔化そうとしたのだが、スイープと呼ばれた女の子の興味は、もうタキオンたちの後ろに居たフジキセキの方に向いたようだった。
「あら、フジさんじゃない。それと、タキオンのトレーナーでしょ?三人で何話してたの?」
「それは…」とタキオンが言い淀んだが、その隙にフジキセキが言った。
「タキオンが、トレーナーさんに恋の魔法をかけたんだって。その方法を今、伝授してもらっていた所だよ」
「本当!?教えて、タキオン!どんなふうに恋の魔法を掛けたの?タキオンのトレーナーも、今はタキオンの事が好きなの?」
「いや、…魔法かもしれないけど、実際、私にもどうやって魔法をかけたかが分からなくてね」
タキオンはしどろもどろしながら答え、その後に恨めしそうにフジキセキの方を睨んだ。しかし、スイープはそんなタキオンの視線には気付かずに廊下に響く大きな声で言った。
「もしかしたら、アンタの薬でトレーナーはアンタの事が好きになったんじゃない?教えてよ!何の薬を飲ませたの?」
田上もこれには参って、耳を真っ赤に染めた。しかし、別に大した知り合いでもないので何も言えずにいると、今度はスイープが、田上に話しかけてきた。
「トレーナーは、タキオンのどこが好きなの?」
今度は田上がしどろもどろする番だった。
「ああ」とか「うん」とか繰り返しながらやっとの事で、「色んな所かな」と誤魔化すことができた。スイープは、そんな曖昧な答えでは不満そうだったが、「まぁ、いいわ」と言うと、「またね」と手を振って去って行った。すると、今度はスカーレットが廊下の向こうから現れて、タキオンさんに話しかけてきた。
「タキオンさん。私、朝の騒動を聞いてしまったんですけど…、その…、トレーナーさんと付き合っているって本当ですか?」
スカーレットは頬を少し赤く染めてタキオンに聞いてきた。また、タキオンの後輩の襲来だった。タキオンは、その言葉にこちらも頬を赤く染めると、スイープの時より少し馴れ馴れしく返した。
「スカーレット君。それは例え噂で聞いたとしても本人たちに聞くような内容ではないと思うよ」
「すみません…。でも、実際の所が聞きたくて…」
「……まぁ、付き合ってはいるのだけれど…」
「まあ!本当ですか?」
スカーレットはそう言いながら、田上の方も向いてきたので、田上も「そう」と低い声で言いながら首を縦に振った。
「じゃあ、お二人は仲が良いんですね?」
「そういう事になるね」とスカーレットの勢いに若干引き気味のタキオンが言った。
「凄いです!前々からお二人の仲の良さがとても好きでしたが、まさか、付き合う程に仲が良いとは思っていませんでした!え、タキオンさんは、トレーナーさんのどこがお好きになられたんですか?」
「…ええ?…どこって言ったって、君に聞かせるには少々恥ずかしいよ」
「ああ、そうですよね。失礼なこと言ってすみませんでした。…でも、夢がありますよね!お二人は恋して付き合っているんですよね?」
「まぁ、そうだが…」
「恋する人と共にできるなんていいですよね。私、まだ、付き合うって事があんまり良く分かっていないので、タキオンさんって凄いです!」
「そんなに凄い事をしているつもりはないけどねぇ…」
「そんな事ないですよ!」スカーレットもこれまた廊下に響く大きな声で言った。
「この学園で大人の男の人と付き合っている人なんてそんなにいませんよ!タキオンさんだけですよ!凄いです!私もいつか誰かとタキオンさんたちのように付き合ってみたいです」
スカーレットがそう言うと、「別に私たちは、そんなに簡単じゃ…」とタキオンが口の中でごにょごにょ言ったのだが、それを遮ってまたスカーレットが言った。
「ああ、私、これから授業なので失礼します」
そう言った直後に、間髪入れずにタキオンに話しかけてきた人が居た。
「え、アグネスさん、トレーナーさんと付き合っているってホント?」と言ってきたのは、この前教室でタキオンに絡んで、田上にも絡んでくることのあった『あの人』だった。名前は、タキオンですらも未だに把握はしていない。そして、その人が話しかけてくると、タキオンは露骨に嫌そうな顔をした。しかし、その人はあんまり気にもせずに「どうなの?」と続けて聞いてきた。ここで言うと、名前も知らない『その人』は完全にタキオンの内輪の仲ではない。だから、田上の言い分では、交際している事実は隠した方が良かったのだけれど、今まで洗いざらい打ち明けてしまって、口のチャックが緩くなっていたからなのか、それとも、これだけ話したからどうでもいいと思ったのか、タキオンは正直に言った。
「付き合ってる」
きゃーとその人の後ろに居る女子数人から黄色い悲鳴が上がり、そして、田上の方に質問が押し寄せた。
「アグネスさんのどこが好きなの?」「アグネスさん可愛い?」「もうキスはした?」「どっちが先に告白したの?」「どんなとこが好き?」
こんな質問を田上は一度に食らってしまったから、さばききれない田上は困ったようにタキオンの方を見た。すると、タキオンが女子数人に向かって言った。
「圭一君は、そんなに口が軽くないから」
「じゃあ、アグネスさんは、トレーナーさんのどこが好きなの?」「アグネスさん、GⅠ勝ってて、ついでに好きな男もゲットしちゃうなんて隅に置けないね」
タキオンが喋れば、次の標的は自分の方に移ってきた。その後も二三個質問をされたが、タキオンは首を横に振って、「君たちに何かを教える義理はないよ」と答えた。それで、「ええーー」と女の子たちが残念そうな声を上げたが、タキオンが何も話しそうにないと分かると、興味を無くしたらしく「行こう」とタキオンに喋りかけてきた『その人』に言った。その人も特にタキオンと深い話をしに来たわけではないので、大人しくその言葉に従うと別れ際にこう言った。
「アグネスさん、彼氏に構ってないで、ちゃんと授業出なよ」
タキオンはそれにしかめっ面で返したが、その一団の最後尾の白い髪の子が、他の子たちに置いて行かれつつもタキオンに話しかけた。
「アグネスさん、私の事覚えてる?」
「……君?…確か、保健室に居たかな?」
「そう、それ。あの時はごめんね」
「……なにかあったかな?」
タキオンは、本気で何があったか忘れていた。
「覚えてないならいいけど、ちょっと変な事言ってたから」
「ふぅん…。何か用かい?」
「……いや、アグネスさんって可愛いところあるんだね」
「ええ?」
「いや、トレーナーと付き合うような人には見えなかったから」
「はぁ…」
タキオンが、困惑した風に返事をすると、その子はこうも言った。
「私の名前、ナツノシラサギって言うの。なっちゃんって呼ばれてる。…握手しよ」
シラサギは、そう言って片手を差し出してきた。タキオンは、その手と顔を怪しむように交互に見つめたが、そうすると、シラサギは田上の方を向いて「握手してくれませんか?」と言ってきた。田上は、唐突に自分に話が振られたので少し戸惑ったが、タキオンが特に何も嫌がるようなそぶりは見せなかったので、田上はおずおずと握手をして、その小さな白い手に触った。そして、その後にシラサギは、タキオンに無言で握手を求めてきた。しかし、その目は確かに、タキオンを少し挑発するように見てきていた。その為か、タキオンは中々しかめっ面のまま握手をしようとはしなかったので、ついにシラサギは口を開いた。
「仲良くしたいんだけど」
「わざわざ自分の彼氏と先に握手をしたような女と仲良くできると思うかい?」
「別に取って食おうとか思ってないよ」
「いや、不快感はあったね。見ず知らずの君と私の圭一君が握手をしたんだよ。そんな女に私が握手をする義理はあるかい?」
「えー、でも、仲良くしてみたいんだけど」
「なぜ?」
「ええ?…面白そうだと思ったから、じゃダメ?」
「却下」
「…じゃあ、アグネスさんとトレーナーさんが、凄いなぁと思ったから」
「なぜ?」
「そりゃあ、トレーナーと付き合うって並の事じゃないからね。興味は湧くでしょ?」
「一理ある」
「じゃあ、仲良くしてみようよ」
シラサギがそう言ったところで、田上が痺れを切らして言った。
「タキオン、何でもいいから握手するなりなんなりしてよ」
「…ふむ」とタキオンは田上の事を横目で見ながら頷いた。
「じゃあ、仲良くするつもりはないが、握手だけはしておくか」
「ホント?ありがとう」
そう言って二人は握手をした。と思ったら、お互い、相手の手を握りつぶさんばかりに力を込めて握手をしていた。勿論、最初に仕掛けたのはタキオンの方だったが、向こうの方も負けじと力を込め返したので、両者譲らない戦いを無言で繰り広げていた。その内に、異変に気が付いた田上が、「タキオン何してんの?」と聞くと、シラサギが急に笑い出し言った。
「ありがとう、仲良くしてくれて。これからも一緒に話そうね」
タキオンは何の反応も示さなかったが、そんな事はお構いなしに、タキオンの後ろでニコニコしながら、二人の戦いを見守っていたフジキセキに、シラサギは言った。
「寮長さんも握手しよー。仲良くなりたい」
「いいよー」とフジキセキが、軽く返事をすると、先程とは打って変わって、二人は和やかに握手をしていた。そして、その握手が終わると、シラサギは、もう遠く廊下のどこかへ消えてしまった仲間たちを探しに去って行った。
すると、フジキセキがタキオンに言った。
「案外居るじゃないか、君に話しかけてくる人。立て続けに何人も来たよ」
「……確かに、何人も来たが…、教室ではあまり…」
「いや、教室にも居るだろう?ハナミ君とアルト君だったかな?君の友達だろ?」
「まぁ、確かにあの人たちも友達ではあるが…」
「あんまり授業を休むと、その人たちも寂しがるだろう?」
フジキセキがこう言うと、タキオンは暫く黙りこくった。それから、田上をチラリとみると言った。
「まぁ、…まぁ、考えておこう。まだ、考慮の時間が必要だ」
「そうかい。じゃあ、話は終わりかな?」
「そうだね。…すまない。…本当にすまない。…許してほしい…」
「元から許すつもりだよ。私は、タキオンの事を信じているんだから」
フジキセキがそう言うと、タキオンは安心したような笑みを浮かべた。
「うん、そっちの方が君らしくてかわいいよ。道理で、トレーナーさんもタキオンに惚れるわけだ。こんな顔を毎日見ているんだろうからね。…それと、その首のネックレス、とっても素敵だよ」
タキオンは、にっこり微笑むと「ありがとう」と返し、田上と手を繋いでからその場を去って行った。
次の日は、タキオンはトレーニングに来るだけ来て、田上の横で何もせずに終わって。その次の日は、ちょっとだけ走ってすぐにやめて。その次の次の日は、やる事をやって田上と一緒にご飯を食べて、自分の寮へ帰った。
タキオンの調子は、いまいちではあったが、その翌日になるとタキオンは朝から田上に呼び出された。しかも田上の寮の部屋だ。タキオンは、今日が自分の誕生日だという事をすっかり忘れていたから、――なんだろう?と思いながら、田上の部屋に行ってみて驚いた。田上から微笑みながら、小さく細長い包みを渡され、「十八歳おめでとう」と祝われた。その上、田上からハグもされた。タキオンは、嬉しさに舞い上がりながら小さな包みを丁寧に開けると、中からまたタキオンの為のネックレスが出てきた。その田上とは対照的な月の形になっているてんとう虫を模ったネックレスは、窓から入る陽光を反射してキラキラ輝いていた。タキオンは、少し泣きそうになって、下唇を噛み締めながら「ありがとう」と言った。すると、田上がまたタキオンの頭を撫でてくれたので、遂に涙を抑えられずに、タキオンは泣きながら田上に抱き着いた。田上は、尚も優しくタキオンの頭を撫で、背中を軽く叩き、愛おしさと共にタキオンを抱いてくれた。
タキオンは、泣き止むと、今まで田上がタキオンに預けていた地球の背中を持つてんとう虫を田上に返した。その時に、タキオンはネックレスを着けてあげるついでに、田上とキスをした。あまり長いキスではなかったが、タキオンには満足が行った。
その後に二人はお揃いのネックレスを着けて、外に散歩をしに行ったが、途中でマテリアルから呼び出された。だから、二人はトレーナー室の方に行った。トレーナー室では、マテリアルが待っていて、タキオンに誕生日プレゼントを渡してきた。こちらも包みに入っていたので、丁寧に開けてみると、中には四葉のクローバーのモチーフの付いたヘアピンが送られた。タキオンはこれも喜んで早速頭に付けてみた。田上は、感想を求められたので素直に「可愛いよ」と答えた。すると、タキオンは嬉しそうにへへへと笑って、マテリアルもどことなく嬉しそうな微笑みを作っていた。
その日は、トレーニングもないし、授業もないし、天気は良いしで絶好の散歩日和だったので、タキオンは田上にべったりだった。一時も離れようとはしなかったし、田上も別に離れさせようとは思わずに、いつものベンチで日がな一日を、良い陽気にじんわりと汗を掻きながら、春の匂いとお互いの匂いを嗅ぎ、暑さと心地良さに思考を麻痺させながら過ごした。これは、田上にとっても良い事だった。タキオンとずっとこうしていたいというのが田上の望みだ。その永遠を一時でも感じれるのなら、思う存分感じるために、タキオンと共に過ごした。しかし、残念ながらその時は永遠ではなく、限りある時間のうちの一つに過ぎない。
二人の別れも陽が落ちれ来れば差し迫ってきた。だから、二人は夕食を食べ終わった後に目一杯キスとハグをして、お互いの部屋に戻った。ただ、戻った後も少しの間、電話をしていた。