ケロイド   作:石花漱一

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二十四、ファン感謝祭とその後②

 それからも暫く二人で話しながら抱き合ったり寝転がったりしていたが、時間が経つというのは早いもので、あっという間に田上がトレーナー杯に出走する時間になった。その頃になると、タキオンは田上にべったりで離れたくなくなり、田上をトレーナー杯へ出走するように誘った事を少し後悔した。しかし、一度登録してしまったものは仕方がないので、タキオンは、最後に他人に気付かれないように一瞬唇が触れるようなキスをすると、田上を解放して、二人でスタートラインの所まで歩いて行った。

 スタートラインには、それなりに気合いの入った人が何人かいて田上は驚いた。勿論、自分が一着を取れるとは思っていなかったが、基本的にラフな格好な自分が何だか浮いているように感じた。別に、ラフな格好なのは、田上だけではなかったが、気合いの入った人が居る事が、田上には気になった。そして、他の走るメンバーを見てみると、遠くの方に霧島と田中がいるのが目に入った。田上は、知り合いを見つけてほっとしたので、少し緊張を緩めながらそちらの方に話しかけに行った。

「よう、田中と霧島。お前らも出るんだな」

「おお、田上じゃん」と言ったのは田中だった。霧島も驚いたように田上を見て言った。

「お前、こんなのに参加すると思ってなかったんだけど」

「ああ、タキオンがね、君も出走してみろって言ったから、仕方なく出てきた」

「はあはあ」と頷きながら、田中をニヤニヤと田上の方を見てきていた。その視線を無視しつつ、田上は二人に言った。

「一緒に走らない?」

 一人で走るのは、少し不安だった。

「え、いいよ。走ろうよ」と田中が言うと、霧島も「うん、いいよ」と答えた。

 それから、三人は、出走までの時間を少しウォーミングアップでもしながら、雑談をしてい過ごした。

 トレーナー杯にもちゃんとファンファーレが用意されているという丁寧さだったが、そのファンファーレに合わせる手拍子の他に野次も遠くから微かに聞こえてきた。そして、ファンファーレが終わると、トレーナーたちが入るゲートはないが、出走する人の名前と担当しているウマ娘やチームの名前が順々に呼ばれた。田上は、中間よりも少し後の方に名前を呼ばれ、その時に野次がワッと大きくなった。皆の見知っているアグネスタキオンとそのトレーナーの名前が出てきたからだ。霧島たちはその前に呼ばれていたが、あんまり野次は大きくならなかった。霧島の担当してるウマ娘は、タキオン程名前が大きくなかったし、田中の方も誰かを担当する道ではなく、チームの補佐になる道を選んでいたからだった。

 そして、ゲートが開くのではなく、パンッと一発空の銃声が響いて、トレーナーたちは走り出した。田上たちも走り出したが、大分後ろの方だった。田上は、走り始めた時点で少し体が怠かった。元々、こういう場は苦手なのだ。その上、下手に名前が大きいから、野次もその分多く飛んでくる。とても気持ち良く走れるものではなかった。その野次と観客に注目されている気持ち悪さを無視すれば、芝の上を走るというのは気持ちが良かったが、二キロとなると、また途方もなく長いように感じた。

 しばらく走ると、田上は段々と他の二人に置いて行かれているような気がした。田中も霧島も黙々と走る続けている。ここを走っている奴は、大体、走っている間は真剣になっているのだ。田上も例外ではなかったが、他の人よりも怠いとかきついとか、頭の中で色々と考えているような気がした。

 それからもう少し経つと、完全に自分が置いて行かれているのに気が付き始めた。霧島と田中はもう三バ身も四バ身も前に居るような気がする。田上の後ろにもあと一人二人いるような気がしたが、もうすでに田上の脇腹は痛くなりそうな気配がしていた。あとどれくらいこの走りが持つかは分からないが、田上はもう諦めて歩きたいような心地になっていた。それでも、なんとか走り続けたのは、ゴールに居るタキオンにかっこ悪い所をあんまり見せたくない漢の意地があったからだった。

 とうとう田上の速度は落ちて、脇腹の痛みはひどくなり、先頭の方はゴールし始めた。ワーと観客の歓声が聞こえるが、同時に「遅いぞ田上ー!!」という叫び声がどこからともなく聞こえてくるような気がする。そして、後ろにいた人にも抜かれ、田上はびりっけつになった。その頃には、もう観客の歓声は笑い声へと変わっていっていた。田上が、小学生の時はこんな物ではなかった。運動神経は悪くなかったので、持久走の時も必ず三分の一以上の順位に居た。それなのに、今では最下位だ。あの時は、足の遅い人の気持ちなど分からなかったが、今では良く分かる。とてつもなく恥ずかしかった。足を速めたいのに中々足が早まらないので、恥ずかしさはいや増すばかりだった。

 それで、ようやくゴールまで行くと、ダントツの最下位だった田上の為にゴールテープがまた張り直されていた。これは、大人の男としてはあまりにも見っともない。そのゴールテープが無かった方が、もしかしたら、田上にとってはまだマシだったかもしれないが、皆は田上がゴールテープを切る事を期待しながら見つめていた。だから、仕方なく田上はそのゴールテープをダラダラと走り抜けて、急いでタキオンの所まで行った。タキオンも苦笑しながら田上が来るのを待っていた。そして、田上が、タキオンの所まで来ると言った。

「君、バドミントンの時は、あんなにかっこよく張り合っていたのに、こんなに体力が無いのかい?最下位だよ?」

 タキオンの周りには、マテリアルとリリックもいた。どうやら、タキオンが連れてきたようだった。田上は、そのタキオンの話に応えることができずに暫くぜえぜえはあはあしてから言った。

「お前、……この距離を二分で走ったの?」

「そうだね。大阪杯も皐月賞もそのくらいだった」

「その上、坂があるんだろ?はーーー、…すげえ…。お前走る才能あるよ」

「はいはい、分かったよ」と言いながら、タキオンはマテリアルから手渡されたタオルを持って、田上の顔や首やどこそこから出てくる汗を拭ってやった。リリックは、田上が最下位だったことになぜだか爆笑していた。田上は、それについては特に不快に感じる事はなく、リリックがこんな風に笑うという事を初めて知って感心していた。マテリアルは、田上が一段落着いたとみると言った。

「足遅いんですね」

「バカ言うな、これが人間の当り前だ。…滅茶苦茶恥ずかしかったけど」

 すると、タキオンが会話に入ってきた。

「君、最下位とはなかなかやるね。大した度胸だよ」

「なりたくてなったんじゃないよ。…もうこうなったら、タキオンの所まで走り切るしかないから、もうホントに嫌々ながらだった」

「お疲れ様。飲み物要るかい?君の為に買っておいたけど」

 タキオンはそう言って、結露で濡れているスポーツドリンクを取り出した。当然、田上も喉が渇いていたので、喉をごくごく言わせながら目一杯それを飲み、最後に口の端についた飲み物を腕で拭うと言った。

「あーー、恥ずかしかった。もう二度としない」

「私は君の走る姿を見れて良かったよ。君への野次は、少し不快だったけどね」

「まぁ、こういう物だったからな、毎年。俺も分かってはいたけど、さすがにあれほど野次飛ばされるとは思わなかったね。GⅠを勝ち過ぎたな」

「宝塚記念も勝たないといけないのかな?」

 タキオンが、心持ち不安そうにそう言ったから、田上がもう一口飲み物を飲んで声をかけてあげようとしたら、マテリアルが先に口を開いた。

「次、私も走るんですよ。トレーナー杯、ウマ娘部門。絶対最下位にはならないので安心していてください」

 そう言うと共に、マテリアルは今まで上に来ていた服を一枚脱いで動きやすい服装になり、その上着をタキオンの方に放って寄越した。そして、自分は早くにスタートラインの方に向かった。今まで走っていたトレーナーたちもそこら辺で自分の担当の子たちや知り合いと走った後の感想を駄弁っていたのだけれど、係り員の人が「走った方々、迎えに立った方々は、こちらの方に移動してくださーーい」とメガホンで言いまくると、トレーナーたちはぞろぞろと移動を始めた。その時でも、まだ田上に野次を飛ばす奴がいて、「最下位ーー!」と野次が飛んできたときなどは、タキオンが何か言い返そうとしたくらいだった。それは、田上がなんとかやめさせた。

 

 暫くすると、田上に参加賞として小さな銀色のトロフィーが贈られた。一着の人には、金色のトロフィーが贈られていたが、それ以外の人は銀色だった。一着の人は田上の全然知らない人だったが、それぞれのトレーナーがトロフィーを貰った後に霧島が、汗をふきふき田上に話しかけてきた。

「いや~、一位には届かなかったな」

「何位だった?」

「四位、トップ3にも届かなかったわ」

「お前、俺と走ろうって言っただろ」

「ああ、あれねぇ。走ってたら忘れてたわ。田中も途中までついてきてたから、当然、田上も俺のすぐ後ろくらいに居るもんだと思ってたから、気付かなかったんだよ。それで、田中が遅れがちになったから、先に行くって言ったんだけど、お前はいなかったなぁ。はははは、ごめんな」

 霧島は、快活に笑いながら謝った。その快活さに田上が微妙な表情をしていると、霧島は田上の隣に居るタキオンとリリックを見つけて言った。

「ああ、アグネスさんと…ファーストさんだったよね?…そう、こんにちは」

 タキオンとリリックは揃って「こんにちは」と返した。

「二人共、次は何に出走するの?」

 今度は田上の方に霧島は聞いた。

「宝塚記念に頑張ろうと思ってる」

「二人共?」

「いや、リリーさんの方はデビュー戦だから」

「リリーさん?ファーストリリックさんのリリを取ってリリーさん?」

「ああ、そうだよ。そんな感じ」

「へ~」と霧島が頷くと、今度は田上の方が聞いた。

「お前、あれは?ササクレさんは?来てないの?」

「いやー、あの子は来ないよ。ただ、俺が出走しただけ。一応、声はかけてみたけどね。――ムリ、の一言で済まされた。…いいなー、お前のとこは。三人も待っててくれる人が居たの?」

「俺は、タキオンに言われたから出ただけだったんだけど、いつの間にか、タキオンが他の二人も引き連れてきてたな。…いつの間に?」

 田上が、タキオンにそう聞くと、彼女が答えた。

「二人共近くに来てて、あんまり探さなくても偶然見つかったんだよ。だから、誘ってここまで連れてきた。リリー君は、友達と一緒だったけど、もう行かなくてもいいのかい?」

「ああ、今、連絡手段がないので、見つけるまで暫く同行したいんですけど、いいですか?」

「ああ、別にいいけどね。君も構わないだろう?…霧島君も来るのかな?」

「いや、俺は帰ります。さようなら。ばいばい」

 田上と他の二人に向けて、それぞれ別れの言葉を告げると、霧島は田上たちから外れて、別の方へ歩いて行った。そして、田上も歩き出そうとしたのだが、タキオンが慌てて言った。

「圭一君、次マテリアル君が走るんだろ?ゴールで待たないのかい?」

「ああ、そうか。待つか。…いつ出走なの?」

「多分、そんなに遅くはないとは思うんだけどねぇ」

 タキオンがそう言うと同時に、ファンファーレが唐突に鳴り出した。あまりに唐突で、少し音重大きかったので田上はびっくりして「おっ」と声が出てしまった。そんな時に、リリックが田上とタキオンに言ってきた。

「すみません…」

「なに?」とタキオンと田上が揃って答えた。

「お二人って付き合っているんですよね?」

 その当たり前の問いにタキオンと田上は顔を見合わせたが、別にリリックに関しては秘密にしているような仲ではないので、「そうだけど?」と田上が答えた。

「…その、さっき同行しても良いって言いましたけど、お二人ってもしかして、デートとかしたかったんじゃ…?」

 その質問にまた田上とタキオンは顔を見合わせたが、今度はタキオンが答えた。

「別に、少しくらいだったら、君も居てもいいよ。クレープを一緒に食べるかい?」

「あっ、はい!食べれるなら食べたいです!」

「ふむ。じゃあ、私の彼氏の圭一君が奢ってくれるよ」

「俺?」

「じゃなきゃ、私が奢ってあげよう」

「…お前、金持って来てないだろ」

「だから、君が嫌なら私が寮に一っ走り帰って、財布を取ってこようかなって」

「じゃあ、俺が出すけど、…まぁ、屋台くらい俺が出してもいいか。元々、そのつもりだったし、リリーさんが増えた所で全然問題ない」

「ありがとうございます!」とリリックは喜びながらそう言った。

 そして、三人は出走の合図を待って、ゴール付近へと向かった。

 

 マテリアルの足は案外速かった。一位とはいかないまでも、そこら辺に居たウマ娘を蹴散らして十位に何とか滑りこんでいた。田上とは比べ物にならないまでも、たくさんの声援がマテリアルにも飛ばされた。これは、野次ではなく声援で、ゴールした後も「田上より早いぞーー!!」という声がたくさん聞こえてきた。中には、田上に向かって「そこ代われーー!!」と叫んでいる人もいたが、マテリアルはそれらの声援にはあまり気を留めずに田上に言った。

「速いでしょーーー!!!」

「凄いですね」

 田上は、苦笑しながら答えて、タオルをマテリアルの方に手渡した。マテリアルは、はあはあと肩で息をしてこそいたが、とても嬉しそうにニコニコと笑って、田上やらタキオンやらリリックやらに話しかけていた。三十人くらいで走っていた中のトップ10に滑りこめたのが、それ程嬉しかったようだ。タキオンは、少し微妙な表情だった。マテリアルが、嬉しそうにしているのを見ると、自分も嬉しいのだけれど、それを素直には喜べないといった表情だった。その表情を見て、田上は先程のタキオンの発言を思い出し、聞いた。

「お前、宝塚記念はまだ不安か?」

 田上の唐突な言葉にタキオンは「え?」と聞き返していたが、その言葉が聞こえていなかったわけではなく、数秒後に頭で理解をすると言った。

「私、…勝てるのかな?」

「分からない。今までの俺で、今までのお前だったら、俺はお前に――勝てる、と断言して励ましていたかもしれないけど、今の俺とお前じゃ、あんまり分からない」

「そうだよね。…勝てる見込みは?」

「分からない。トレーニングをしたって勝てるかは分からない。元々そういう競技だ。絶対はない。日本ダービーの時だって負けた。GⅠ三勝は、大したことだぞ。四勝目が挙げられるかは、誰にも分からない」

「…でも、予想はどうだい?予想はどうなると思う?」

「予想もつかない。そもそも、他の誰が出走するか、具体的な内容はまだ定まっていない状況だ。今は、トレーニングを続けて、もう少しすれば、徐々に作戦を立て始める事しかできない」

「…私が一番人気になると思うかい?」

「…多分、なるかもな。日本のトップが今のお前だし」

「……トップになんてなりたくなかった」

 タキオンがそう言うと、まだ走った後のアドレナリンが抜けきっていないマテリアルが、ニコニコしながら言った。

「そんな通夜みたいな顔しないでくださいよ!祭りですよ!祭り!トロフィー貰いに行きましょう!それが終わったら、皆で祭りを一通り見て回りましょうよ!」

 そのマテリアルの陽気さに引っ張られていくようにして、田上とタキオンはマテリアルの後を付いて行った。リリックは、果たして自分が付いて行っても良いのか迷った。勿論、タキオンが大変そうだという事は認識しているが、認識しているからこそ、二人だけの世界がより際立っているように見えた。あんまり自分の事は心配されていないんじゃないか。その事がリリックの脳裏をよぎったが、不図振り返ってきた田上と目が合うと、その迷いもなくなった。一応、今の所は、この人も自分の事を見てくれていた。

 

 マテリアルも参加賞のトロフィーを貰うと、そこで一段落が付いたが、さすがに小さいとは言っても手の平より大きいトロフィーは凄く邪魔なので、一度、寮の方にそれを置きに戻った。それから、四人は、仲良く祭りを見て回った。あれやこれを買いたいと言ったのはタキオンだったが、初めの方は、先程の宝塚記念の事を引きずっていてあまり元気が無かった。だから、田上が、元気づけようと「フライドポテトはどうだ?」とか「あ、回転焼きだよ。いらない?」と声をかけると、タキオンはそのどれもに「ほしい」と答えた。あんまり食べすぎると夜食に響くし、アスリートでもあるタキオンの体重も心配になったが、それよりも田上は、元気のないタキオンより笑顔のタキオンが見たかったので、あんまり気にせず欲しいと言ったものは買い与えた。そして、リリックもタキオンの欲しいと言ったものの中に自分の欲しい物を見つけると、それを田上にねだった。これも素直に買い与えてあげた。まだ、二人ともレースまでには時間があった。そう急かすときでもなかった。

 色んな物を食べていくと、タキオンの元気も次第に回復し始めた。それで、タキオンが十分に満足が行った時に、四人は体育館に行く事にした。

 体育館では、劇や吹奏楽や大道芸なんかの生徒たちの物が主にお披露目されている。田上たちが来たのは、丁度劇の時だった。体育館がまだ空いていた時だったので、四人並べて座れたが、その後になると、体育館の入り口まで人が埋まる満杯になった。そんな中で、照明は落とされ、体育館の窓はカーテンで遮られ、中は真っ暗になった。すると、タキオンは、田上に肩を寄せて、その肩にこてんと頭を乗っけて、劇を鑑賞し始めた。

 女子校の生徒がするので、男装している子もいた。それは、純愛物語だった。脚本を誰が書いたのかは知らないが、生徒が書いたにしては、結構しっかりとしている脚本だった。そして、演技も中々良かった。全体的に落ち着いたストーリーに合った、しっとりとした演技を見せてくれて、田上はこの劇に結構満足が行った。タキオンも同じ心地だったようだ。劇が終わり、照明がパッと点いたところで、田上の肩に寄り添いながら「面白かったね」と少し目を見開きながら言った。それから、こうも言った。

「あの主人公の男の子は、高校生だったけど悩み方が君に似てたよ。自分を責めるような」

「それを言ったらお前だって、自分を責めてただろ」

「あれは、私の意識としてあったから仕方がないが、君のはコンプレックスから自分を責め始めたんだろ?…もう今の所は良いんだから、こんなことで議論はやめよう?」

 タキオンにそう言われると、田上はまた静かに前の方を向いて、劇の後の余韻を楽しんだ。

 

 劇の次の合唱まで、四人はそこに居た。リリックとしては、もう合唱は面倒臭かったのだけれど、皆がそこに居ると言うので、自分の意見を言おうとはせずに、そこに残る事にした。合唱は、今流行りの曲と二十年くらい前の映画の曲を二曲歌っていた。二十年前の映画の曲と言っても、何回もテレビで繰り返し放送されるくらいヒットした映画の曲なので、リリックも十分に知っていた。どちらかというと、流行りの曲の方があまり耳に馴染みがなかった。たまに、聞いたりはするけど、しっかりと聞いた事の無い曲だった。

 それが終わると、皆は、また体育館から出た。もうすぐファン感謝祭も終わりに近づいていたので、道を歩く人は大分少なくなっていた。その代わりにどこそこにほったらかしにされているビニール袋やらゴミやらが目立つようになっていた。それを拾うボランティアの人たちもちらほら見かけた。皆黙々と拾い続けていた。

 田上たちも屋台は一通り回ったので、もう帰ろうかという雰囲気になっていた。リリックも帰りたかったのだが、田上のゴールを迎える為に友達と別れて以来、その友達と会えていない事が気がかりだった。どうせだったら、合唱の時には抜け出して一人で祭りを回った方がまだマシだったかもしれない。そんな後悔がリリックの胸にわだかまりを生んだのだけれど、とにかく、今日は慣れない人混みにもみくちゃにされて疲れ切っていた。

 タキオンとリリックは、二人でウマ娘寮の方に別れて、田上とマテリアルはそれぞれトレーナー寮の女子寮男子寮に別れた。タキオンと田上が別れる際には、チームメイトの目の前だと言うのに熱いハグを交わして別れていた。他の二人は、それを苦笑しながら眺めいた。

 タキオンとリリックがそれぞれの部屋に別れる時に、タキオンが言った。

「今日は楽しめたかな?」

「あ、はい。楽しかったと思います」

「それは良かった。圭一君が君の事を気にしているからね。チームに馴染めないんじゃないかって。だから、これからもよろしく頼むよ」

「あ、はい。頼まれます。はい。全然大丈夫です。はい」

 リリックは、タキオンから思いがけない一言を言われて、恐縮したのかどうなのか、何度も何度もぺこぺこしながら去って行った。その実、リリックの心の内では、少し嬉しがっていた。田上が自分の事を気にしているという事を、タキオンの口から明確に聞けたのは良い事だった。それは、タキオンが田上に下した評価なのかもしれないが、それならそれで尚の事良い。田上と恋人であるタキオンが良く観察をして、田上がリリックの事を気にしていると言うのならば、それ以上に信頼しやすい言葉はないだろう。リリックには、それが嬉しかった。まだ、自分は一人ぼっちじゃなかった。友達だけでなく、世話をしてくれているトレーナーもちゃんと自分の事を見てくれていた。

 リリックは、自分の部屋まで辿り着くと、もうすでに部屋に戻っていた同室のオータムに向かって「ただいま!」と元気よく言った。

 すると、今まで机の上のノートに色々と書いていたオータムが目を上げて言った。

「元気がいいね。 良い事があったの?」

「…あー、…いや、話す程の事でもないんだけど」

「どんな事?」

「…タキオンさんと田上トレーナーとマテリアルさんとなんか少し仲良くなれたような気がして」

「へぇ、良い事だね。あの後は、チームの皆でお祭りを巡ったの?」

「そう。田上トレーナーとマテリアルさんが走るのを見た後に、皆で体育館で劇と合唱を見て、それから、帰ってきた」

「へぇ、…良かったね。…カラオケの話はあった?」

「いや、…まだなかったよ」

 リリックがそう言うと、オータムは少し怪訝な顔をして言った。

「仕事が遅いの?」

 そんな真面目な顔で言われると、リリックは少し面白くなって、笑った。

「そんなに仕事が遅いっていうわけじゃないと思うけど、ここ最近、タキオンさんがちょっと大変らしいから、田上トレーナーもそのお世話が大変なんじゃない?」

「…あれ?…モルモット君とかいう噂?」

「モルモット君ってタキオンさんが言っているのは聞いた事がないけど、多分それじゃなくて、単純にタキオンさんがトレーニングをしたくないとかするとか微妙な感じなんだよね」

「へぇ、GⅠ三勝しててもそんな事になるの?」

「うん…。私にも詳しくは分からないけど、次の宝塚記念がプレッシャーになってるんじゃないかなぁってなってる」

「宝塚記念がプレッシャー?GⅠ三勝もしているんでしょう?なんで今更宝塚記念がプレッシャーになるの?」

「私にも分からないよ。…どうなのか知らないけど、田上トレーナーが頑張ってるし、大丈夫なんじゃない?って私は思ってるけど」

「へぇ…、GⅠたくさん勝っててもそうなるんだね。…難しいね。…そう言えば、私、噂って言うか何と言うか、噂かもしれない物を聞いたんだけど、田上トレーナーとタキオンさんが付き合っているって本当?前は、恋人じゃないみたいなことを言っていたけど、タキオンさんは田上トレーナーに好意はありそうだったよね?リリーちゃんは、田上トレーナーのそこらへん知らないの?」

 オータムに質問されると、リリックは、途端ににやりと笑みが零れた。真相は、全て自分の手の中にある。その真相を言っても良いのかダメなのか考えているニヤリ顔だったが、中学一年生は、この秘密を簡単に漏らした。

「オータムちゃん。秘密だよ?」

「ん?」

 オータムも何か面白そうな話が聞けそうなことに期待して、顔を少し輝かせた。

「絶対に秘密だからね。誰にも言わないでよ」

「言わない言わない。教えて」

「実はね、あの二人、本当は付き合ってるんだよ」

 リリックが、少々気持ちの悪い声でそう言うと、オータムがうふふふふふふと口から声を漏らして笑い始めた。そして、その笑いが終わると聞いた。

「え、本当?本当なの?」

「本当」

「リリックちゃんが見てそう思ったじゃなくて?」

「違う違う。キスをしたって言ってた」

「キッ、キス!どういう事?まだ、タキオンさん生徒だよね?危なくない?」

「だから、本人たちもあんまり広めたくないらしいんだけど、さっきも寮の前で別れる時に、私たちが前にいるのに恥ずかしげもなく抱き合ってたよ」

「え、じゃあ、隠すつもりはないって事?…でも、私たちの前では、恋人じゃないって必死に否定していたよね?タキオンさんも隠していたし」

「それは知らないけど、本人たちはバレないと思っているんじゃない?それか、私たちに否定した後にもう開き直っちゃったか」

「へぇ~…、凄いね。ドラマの世界だよ。…キスもしているんだね。…さすがに、リリックちゃんもキスのシーンは見てないよね?」

「見てない見てない。さすがにそこは田上トレーナーたちも人に見られないようにやっているんじゃない?」

「へぇ~…、凄いねぇ。本当に凄い。タキオンさんって大人な感じするもんね」

「ね。それでいて子供っぽい所もあるし、私的には、あの人は中々の策士だと思う」

「策士?」

「そう、策略家。だって、考えてもみて?タキオンさんは、外でハグするくらいの…度胸というか考えの足りなさはあっても、田上トレーナーは大人じゃん」

「…そうなのかな?」

「そうなの。少なくとも、田上トレーナーは、外で簡単にハグするような人じゃ無いのは分かるよね?」

「まぁ、そうかもしれないね」

「そうなの。多分、田上トレーナーは、まだ理性が働いている人なんだけど、その田上トレーナーを外でハグさせるんだからね?オータムちゃんは、見てないから信じられないかもしれないけど、まず初めに、タキオンさんが――私にハグしてくれよって頼んだんだよ。まぁ、これはタキオンさんだから仕方がない所がある。 それで、まぁ、当然田上トレーナーも嫌がるわけだよ。私とマテリアルさんが二人の事をちゃんと見てるわけだからね。それで、田上トレーナーがしかめっ面をしたんだけど、次の瞬間がもう凄い!次に、タキオンさんが、――良いだろ、ってもう一回頼むと、あら不思議。タキオンさんが伸ばしていた手に田上トレーナーが入って行って、タキオンさんをぎゅっと抱き締めたんだよ。まるで、タキオンさんがブラックホールなんじゃないかと思ったよ」

 この言い草にオータムは、ハハハと笑った。

「それでね、面白かったはその時の田上トレーナーの顔だよ。タキオンさんの顔は、私の方には背を向けていたから分からなかったんだけど、抱き合った時の田上トレーナーの顔が私には見えた」

「どんな風だったの?」

「良い顔で笑ってたよ。今までのしかめっ面はどこへ行ったのか、幸せそうに笑ってた。多分、あれはタキオンさんの前じゃないと見せない笑顔だね」

「へぇ~、凄い。…凄いね。どんな顔なんだろう?やっぱりでれでれしてたの?」

「でれでれしてたね。田上トレーナーはね、多分、タキオンさんには激甘だと思う」

「じゃあ、リリーちゃんには厳しいの?」

「そういうわけじゃないんだけど、…ほら、付き合ってたらやっぱり付き合っている方を優先するでしょ?」

「そうだね。…じゃあ、それってトレーナーとして良くない事なんじゃない?さすがに、リリーちゃんを放っておくなんてある?」

「いや、……どうなのかは分からないけど、タキオンさんが言うには、田上トレーナーは私の事をもちゃんと気にしているらしい」

「へぇ…。じゃあ、私、まだ勉強があるから」

「ええ?まだ、授業が始まって一週間だよ?宿題そんなにないじゃん」

「やるのなら、分からない所を徹底的に潰しておかないと気が済まないの。授業やって分かりませんでした、じゃ何のために授業を受けているのか分からない。やるからには、分からない所は絶対にない位に、自分の頭で全部理解できるようにしておかないと。将来の為にならない」

「へ~、頑張ってね」

「ありがとう」

 オータムは、そう言うとまた自分の机に向かって、ノートに色々と書き始めた。リリックは、その様子を不思議そうに見やりながら、自分のベッドにぽすんと座った。

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