星よきいてくれ   作:陸一じゅん

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5 叫び

 ✡

 

 

 

 相棒(サリヴァン)の気配が消えた。

 

 ジジは、じっと自分にしがみついたままのミケを抱きしめたまま振り返り、細く息をついた。

「ミケ、教えて。この星の海はどこ? 」

 顔を上げたミケの金眼は落ち着きを取り戻している。涙の痕をぬぐいながら、ミケは言った。

 

「ここは、簡易的な世界の中心。命さえあれば、誰もが、このあたりに――――」ミケの指が、ジジの胸の中心を突いた。「――——持っている場所。『宇宙』と呼ぶ場所と、物質世界の『境目』、と呼ぶのが正しいところでしょうね」

 

「物質世界っていうのが、いつもいるボクたちの世界だね? どうしたらそっちに戻れる? 」

 ミケは「行ってほしくない」というように瞼を震わせたが、すぐに立ち上がった。

「……案内します」

 

 ジジには、ミケが進む先が道なのかもわからない。ただ、水が果てしなく続いていて、空にはまばゆい星空があるだけの、そういう場所にしか見えなかった。

 しかしミケは、立ち止まることなく、水面を滑るようにするすると進んでいく。

 後ろのジジが付いてきているか、確認することもしない。

 

 ジジはふと、ミケの足元では、水が波を立てていないことに気が付いた。

 ミケが口を開く。

「わたしは物質世界には、もう戻れません。本体を失ったわたしは、もう魔人でもない」

「……そう。ねえ、キミに何があってそんなことになってるの」

 ミケは足を止めた。

「主を――――アルヴィン様を救い出すことを約束したのです」

「誰に? 」

「……レイバーン様に」

 ミケは何かを振り払うように頭を振った。

 

「もし……もしも、アルヴィン様が助かったなら、アルヴィン様に伝えて。レイバーン様は貴方を見捨てたりはしていなかった。お父様は貴方を想っておりました、と」

「……そういうのは、他人が言うより自分で言ったほうがいいだろ」

「アルヴィン様にとっては他人でも、わたしにとっては違うのでしょう? 」

「ミケ、あんた、自分のことは諦めるつもりか? 」

「いいえ」

 ミケは、今度は否定の意味で首を振った。

「諦めるわけではありません。違う形で、お役に立つだけです」

 

 風が無いのにジジの外套がふわりとなびいた。

「おい、ミケ! 」

「身を任せるだけで、あなたの主のもとへ帰れますよ」

 頑なに振り返らない背中が、暗闇に遠ざかる。

 

「死んだりするなよ! あんたには、まだ山ほど聞きたいことや話したいことが――――――」

「―――——わたしもあります! だから()()! あなたも死なないで! 」

 

 直前、星の海に取り残されたままのミケは振り返って、歯を見せてはにかんだ。

 

 

 ✡

 

 

 空が赤く燃えていた。

 どす黒い雲が厚く垂れこめ、まるで岩を切り出したようだ。

 全員が、知らずのうちに細かい土埃を被っていた。

 王城地下はやがて岩の洞窟に変わり、その出口は、鉱山跡とみられる山の中腹にあった。

 グウィンをはじめとしたアトラス兄弟たちは、サリヴァンの合図で外へ出た。低い裸木がまばらに繁っているだけで、見通しのいい急こう配の坂が、ずっと下のほうまで続いている。

 思っていたより小さく西の方向に王城が見えた。その下、南に城下町が広がり、さらにその先に墨を流したような黒い海が見える。

 ヒューゴがぺろりと唇を舐めた。

 

「こりゃあ二手に分かれるべきだな」

「そうだな。ケヴィンが限界だ」

「ちょっと待ってください! 」

 兄と弟の言葉に、洞窟の壁で休憩していたケヴィンは慌てて立ち上がった。

 

「兄さん、僕はまだ大丈夫です! 」

「これ以上はおまえの体力がもたない。二手に分かれて、おまえはヒューゴと先に船を待つんだ」

「兄さん、僕は」

「兄貴。あんたは足手まといになるって、兄さんは言ってるんだぜ」

 ケヴィンが鋭くヒューゴを睨んだ。ヒューゴは伸びた顎の髭を触り、逞しい肩をすくめる。

 

「体力の問題だけじゃない。兄貴は精神的にも追い詰められてるだろ。自覚無いのか? 」

「そんなことはない! 」

「じゃあ自覚させてやる。国を出てばっかりの俺たちと違って、父さんの一番近くにいたのはケヴィン兄さんだった。父さんのこと、アルヴィンのこと。一番責任を感じてるのはアンタのはずだ。

 分断する意味もあるんだぜ。アンタの頭の中には、父さんとの仕事の一切が入ってるだろう。

 グウィン兄さんが皇帝となった今、仕事を引き継ぐにはアンタが死んじゃあいけないんだ!

 ケヴィン・アトラスほどの人が、そんなことも分からなくなってンのがヤバイって言ってるんだよ! ここまで言ったら分かるだろ! 」

 

 ケヴィンは青ざめた顔で苦し気に呻いた。その息は浅く、肌に血の気は無い。青い光彩の瞳は充血し、疲労に暗く濁っている。

「……わかった。でもヒューゴ、おまえは兄さんたちと行け。体力馬鹿なんだから」

 ヒューゴは片方の眉を上げていたずらっぽく笑った。

「いいのかよ? 」

「一人じゃない。語り部(マリア)がいる」

「駄目だ! ヒューゴもケヴィンと行け! 」

 声を荒げたグウィンを、弟たちの四つの青い目が射貫く。

 

「いいや。おれは決めたぜ、兄さん。ケヴィンも港くらい行けるだろ。いい大人なんだから」

「陛下……いいえ、グウィン兄さん。これから父上に会いに行くのでしょう? なら、ヒューゴがいたほうがいい。こいつは逃げ足が速くて決断力にも優れている。成人男性一人の力は侮れません。親戚といえど、外国人の少年一人をあなたの伴にするのは、あまりに道理が違うでしょう。こいつなら、迷いなく迅速に、あなたの盾になるはずだ。そうだな? 」

「おーおー。ケヴィン兄上ったら言ってくれんじゃねーの」

「僕と違って、こいつは血の気も体力も残ってます。

 兄さん、僕は逃げるだけだ。でもあなたたちは戦いに行くんだ。ここでヒューゴを介助に借りて兄さんが死んだら、僕はヴェロニカ姉さんに顔向けできない」

「ケヴィン兄さんがこう言うんだから、おれは陛下のほうへ着いてくぜ」

 

「兄さん」

 

「王よ」

 

「……ああ、もう! わかった! 悪かったよ! 」

 

 

 グウィンは顔を拭うように手の平で覆って深いため息を吐いた。

「私にとってはね、お前たちはいくつになっても守るべき可愛い弟なんだってことを忘れないでくれ! 」

 

 ヒューゴとケヴィンは顔を合わせて肩をすくめた。

「兄さん、おれたちもう三十路男なんだけど? 」

「いくつになってもって言っただろ! 」

「爺さんになっても、『可愛い弟』なのか? 」

「当たり前だ! いいか、忘れるなよ。ぼくはまだまだモニカと結婚して我が子を抱くつもりだし、姪や、甥や、その子供や孫たちに囲まれて誕生日を祝ったり祝われたりするつもりでいるんだからな! いいか、お前たちの子孫もそこにいる予定だ! もちろんサリヴァンくん! キミもだぞ! おまえたち自身もだ! 一人残らず欠けるのは許さんからな! 」

「そこに……アルヴィンはいるのか? 」

 ケヴィンがはっと息を飲んだ。

 

「当たり前だろ! それがぼくの夢だ! 」

 

 グウィンは胸を張った。「アルヴィンも連れて戻る! この国で、みんなで……! それがぼくの夢だ! 」

 

 

 ✡

 

 

 

 熱が脳を蕩けさせる。

 乾いた眼球は景色を歪め、纏わりつく熱気はねばついて離れない。

 すべてが蜃気楼のように薄っぺらで頼りなく、ここがどこかも分からなかった。それでも体を動かせるのは、胸の内に、何よりも熱い激情の嵐が吹き荒れているからだ。

 

 強い怒りと喪失感。

 体の奥にぽっかりと空いた穴は、焼け爛れてひりひりと痛み、掻きむしりたくなる疼きをもって苛む。

 さまざまなことを忘れていることを、アルヴィン自身も分かっていたが、それすらも意識しないと忘れてしまう。

 

 この穴を埋めたい。

 

 ここにもともと在ったもの。奪われたものを取り戻したい。

 

 そうすれば、自分はもっと楽になれるはずだ。

 

 蕩けた脳みそから膿のように染み出る渇望が、アルヴィンの肉体を闘争へと駆り立てる。

 

 

 『あれ』は『それ』を持っていると思った。あの『青い騎士』と、目の前の『青い老人』。どちらも一目見たときから記憶を叩く存在だった。

 

 『青い騎士』はほとんど口を開かなかったが、『青い老人』は違った。

 自分の叫び声 (と、その金属音をアルヴィンは認識した)で、とっくに何も聞こえないが、大きく口を開いて何かを言っていたのは、肌と朧げな視界で理解できた。

 アルヴィンが振り上げた拳は、ことごとく金属の兵士たちに遮られるが、問題はない。

 この拳はもっと熱く、突きは鋼鉄の鎧を熔かしながら穴をあける。

 

 合間に、『青い騎士』が剣を振り上げて肉薄した。

 刃が、突き出した腕の表面を火花を散らしながら滑る。(ひじ)を掬い上げるようにして刃先をそらし、拳を打ち込んだ。

 

 ―――――動きも、こちらのほうがずっと早い。

 その確信が、アルヴィンの動きを、よりなめらかにする。

 弓は少し怖いが、突進するしかない楯や剣などは簡単に避けられる。

 青い騎士にいたっては論外だ。柱のように巨体の兵士たちが動き回る中で騎乗していることは、馬の巨体を持て余していてデメリットでしかない。剣戟は、灼銅の鎧に覆われた体には一撃が軽く、ひどく遅く見えた。

 

 『青い老人』は、この黒鉄の兵士たちの『王』であるようだった。

 『王』――――――その単語に至ったとき、ちくりと胸を刺すものがあったような気もしたが。まあ、どうでもいい。

 

 『青い王』を斃せば終わり。『青い騎士』は、驚異ではない。

 

 兵たちが『青い王』の前で円陣を組む。意図に気が付いたのだ。

 兵士どもは肩を組んで、自らの身体を防壁にして青い王を囲い込んだ。

 その前には重歩兵どもが楯を構えて陣取る。

 兵士で造ったドームの上には、仁王立ちの弓兵が油断なく弓を構えた。

 アルヴィンは一度壁際まで下がり、十分な距離を取る。

 壁を蹴って床と並行に跳ぶ。

 足首の骨が砕ける音がした。

 この身に纏う灼熱の泥は、壊れた箇所を修復する。かまわず、アルヴィンはひと筋の焼けた砲弾となって突進する。

 

 弓を構えたままの弓兵は立ち尽くしたまま何もできず、足場の円陣が崩れたことで手放した矢が弧を描いて飛んでいった。

 砕けた足を仮面から滴った銅が覆って補強するのを待って、アルヴィンは兵士たちの残骸の中、立ち上がる。

 ……仕留めたと思ったのに。

 

 踏み出そうとして、足が持ち上がらないことに気が付いた。

 見れば、熔け、砕けた黒鉄の兵士の残骸が、アルヴィンの足を縫いとめている。

 もう一度熔かしてやろうと叩いた腕も、黒鉄に掴まれた。

 

 膝。腰。肩。首―――――兵士の残骸が、冷たい黒鉄が、アルヴィンの身体に這い上がって飲み込んでいく。

 もがいても、熔かしても、次から次へと、圧倒的な質量が覆いかぶさる。

 

 もがけばもがくほど、鉄はアルヴィンの体に巻き付いていく。

 逃げられない。

 怖い。

 『青い騎士』が『青い王』に向かって何かを言い、空へと飛び去った。

 

 怒りが冷えていく。

 渇望が塗り替えられる。

 衝動が萎えていく。

 

 怖い。怖い。怖い――――。

 

 『青い王』が、アルヴィンへ歩み寄ってまた何かを言ったが、分からない。

 近くで見た『青い王』は、どこか疲れて、ひどく悲しげだった。

 アルヴィンの仮面を暴こうとでもしたのか、手を伸ばして触れた瞬間、驚いて飛びのく。

 

 『青い王』は、また何かを言った。

 何も聞こえない。

 何も分からない。

 

 ああ、×と×さ×。僕はもう駄目みたいです。

 

 ――――――――僕にはもう、何も……分からない……。

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