星よきいてくれ   作:陸一じゅん

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『読まなくてもいいけど、読んだら本編がちょっと面白くなる』くらいの幕間です。


幕間 王に捧げる鎮魂歌

 それはまだ、フェルヴィン皇国が斜陽の国であったころ。

 七十八年も昔のこと。

 宮中では誅殺・わいろ・横領と揃い踏み。

【魔の海】があるために外国の脅威からは遠ざかっていたかわり、国土はくまなく内乱と暗殺に明け暮れていた。

 

 当時のフェルヴィン皇国は、まさしく修羅の国であった。

 

 レイバーン皇帝より三代前の、皇帝オーガスタスは、レイバーンの実父である。

 轟く異名は、吟遊王オーガスタス。またの名を、【無能王】。

 幼少のころより弱視であり、それゆえに音楽を始めとした芸術に傾倒。その情熱は執務には向けられず、実権を握っていたのは、十二も年の離れた姉・ユリアだった。

 そしてそのユリアは、偉才で知られた一方、類を見ない【毒婦】としても有名だった。

 

【無能王】オーガスタスが、なぜ皇帝などになったのかというと、彼には生まれながらにして語り部が寄り添っていたから、に尽きる。

 語り部トゥルーズは、今や皇子ヒューゴ付き語り部として知られている。

 彼がオーガスタスの語り部であったころは、八歳ほどの少年の姿をしていた。今の気性のままに、陽気で口が達者でないわりによく喋る彼は、いつも小さな体で楽譜の束を握りしめ、肥え太ったオーガスタスの傍に控えてニコニコしていた。

 オーガスタスは並外れて無口で内気だったが、トゥルーズと姉ユリアにだけは、はっきりとした喜怒哀楽を見せた。

 妻も子供も(八人も)いたというのに、彼が心より信頼していたのは、魔人を除くとユリアだけだった。

 

 さて、そのユリアはといえば、家庭を顧みずに執務と弟の世話に邁進する毎日であった。

 ユリアは美しく、優秀だった。

 夫は宰相。国務を取り仕切る王の片腕の地位である。

 幼き頃は、歩くより先に文字を読み、走るころには詩を暗唱した。金の髪にすみれ色の瞳。その輝く美貌も、誰もが知るところ。姫として上にも下にも置かれない扱いで育ち、稀代の我が儘娘の条件はそろっていたというのに、気が付けば倫理を知っていた。

 父王は、あまりに出来過ぎた娘の縁談先に困り果て、政略結婚にしてもあまりに旨味の少ない、しかし無難な片腕の宰相へと、娘を下賜するしかなかった。

 陰謀渦巻く宮中において、彼女は社交界でもうまく立ち回った。

 

 仔細は省略するが、当時の宮中は、前々代の皇帝が地位をばら撒いたせいで【貴族】と名乗る者が人口の0.7%を占めるほどにまで膨らんでいた。また、前前前々代の皇帝がおかしな法律を作ったせいで、彼らには例外なく税金を分け与えねばならなかった。それが国の金庫を圧迫して、つまり慢性的に王家は貧乏で、へたをすれば一部の貴族は王家より金持ちである、という状況があった。

 王家はその貴族から金を引き出さねば、権威ある(まつりごと)を行えない。しかし貴族側もそれが分かっている。分かっていて利用する。他の貴族もそれが分かっているので、王家ではなく、その貴族へ媚を売る。王家の権威が傾く。この間に、数々の政略が交わされては人死にが出るか、島流しになっている。すると、国が荒れる。王家はますます困窮する。

 そういう悪循環があったのだ。

 

 王家の姫で、宰相の妻であるユリア皇女に求められた役割は、優秀な諜報員であった。美しい彼女は当たり前のように社交界の大輪の華となり、時に蝶のように飛びまわった。ユリアは、それをやり遂げた。

 国政に必要な情報という名の蜜を吸い取り、やがては夫とともに、国を回す最も大きな歯車の一つとして働いた。

 

『ユリア皇女に語り部がいれば』と、誰もが口にした。まだ、ユリアのしていた悪行が明らかになっていなかったころだ。

 

 

 歴史に名を残した大淫婦ユリアの最初の悪行は、十五歳のとき。

 皇帝の娘であった彼女が、王の片腕である宰相の息子へ輿入れが決まった夏のこと。

 昼寝をしている三つの弟のベットに忍び寄り、目蓋に熱した油を垂らしたことだった。

 以来、オーガスタスの右目は光が分かる程度にしか見えず、左目は、おおまかな色が滲んでいるほどにしか分からない。

 

 ユリアは才媛であった。

 もし、生まれたのが、語り部の有無で王を決めない国であったのなら。上層の発展国で、王族でもない、貴族の娘でも、むしろ商人や政治家の娘、もしくは妻であったなら、彼女は偉人となったかもしれない。

 美貌も兼ね備えていた。

 彼女の息子はまさしくその生き写しで、後世、母譲りのその美貌で知られることになる。

 ユリアには、双子の息子がいた。

 ジーンとコネリウス。のちのフェルヴィンの英雄になる二人であるが、父親は夫ではない。

 

 歴史におけるユリアの第二の悪行は、この双子を身籠ったことだった。

 

 オーガスタス十三歳、ユリア二十五歳。ユリアが結婚して十年の時が過ぎていた。いまだ夫との間に子は出来ぬまま。

 それというのも、ユリアは四度妊娠の兆候があったが、どれも生せぬまま流れていると。

 しかし宮中、それも女官の、中でも、より闇深いところにいる女官たちの話では、ユリア皇女は自ら夫との子を殺していると。

 

 そんな話がまことしやかに流れるなかで、彼女の懐妊の知らせが宮中に轟いた。すでに六か月を過ぎており、もはや流れる心配は少ない。

 人々は言祝いだが、宮中で真相を知るものはユリアと、あと二人のみ。

 他にいた……たとえば、夜ごと姉が弟へ会いに行く伴をしていた女官や、当番だった護衛の兵などは、みな郷里の老いた父母が恋しくなり……もしくは、街をぶらぶらしているところを強盗に襲われ……もしくは、一家の住む屋敷ごと放火に……もしくは喰い合わせが悪く……などという理由で、宮中から姿を消していたのである。

 

 ユリアは弱視の弟へ微笑んだ。

 彼女の美貌は、弟にだけはきかなかった。それがとても嬉しかったのだと、彼女は弟に寄り添う語り部へと語った。

 

 自分の美貌を疎んでのことではない。

 弟の目が見えないことが嬉しいのでもない。

 

「”これが正しい形だから”嬉しい」のだと、ユリアは笑った。胸には弟との子供を抱き、十五歳の夏、なぜ弟の目を潰したのかということも口にした。

 

「わたくしを十二年も待たせたから、罰のつもりでした」

 何の後悔も無く、にっこりと。

「男が待つのはいいでしょう。しかし女のほうを十二年も待たせるなんて、とんでもない。わたくしは危うく他の男の子を孕むところでした。運命の人なら、わたくしを浚ってほしかったのに、この人がボンヤリしているから……」

 

「悪かったよ」

 弟も目を細めて笑った。ほとんど見えない目を姉に向けて、まるで恋人を見るように。指をしっかりと絡ませて。

「女ならば顔の傷なんて恐ろしいことだけれど、わたしは男だったからいいのだよ。この両眼は勲章なんだ」

 と、右の蟀谷(こめかみ)から目頭を貫き、左目へ、そして再び蟀谷と流れる火傷の痕を、血が滲むほど掻きながら。

 

 

 フェルヴィン皇国、皇太子。

 オーガスタス・ユリウス・アトラス。

 

 その姉。皇女にして宰相夫人。

 ユリア・リリ・アトラス・フロスト公爵夫人。

 

 この、類まれにみる頭のおかしい姉弟が、玉座に並び立った二十一年。

 

 皮肉にも、『資格ある無能の王』が『資格なき有能の姉』に玉座を預けた、この二十一年間が、荒れに荒れたフェルヴィン皇国において、束の間の平穏の時代だったことは、その息子にして次代皇帝のジーン・アトラスも、しぶしぶ認めるところであった。

 

 

 

 オーガスタスは『語り部』がいたから皇帝になることが出来たと記したが、オーガスタスの世代には、正確には三人の『皇帝候補』が存在していた。

 一人は現皇帝の弟ディアス、もう一人は前前皇帝から派生した血筋の遠縁にあたるクレメンスという役人。

 二人とも五十路と三十路で脂の乗った男ぶりで、それぞれ支持者も多かった。三人目のオーガスタスは、若すぎる事はもちろん身体的なこともあって、数にすら登らなかった。

 

 しかしそれも、()()()()()()()()()となれば別の話になる。

 下手人はただちに縛され、黒幕の貴族一派も罪に処された。

 こうしてオーガスタスは、10代と若くして次期皇帝候補筆頭へと躍り出た。

 

 運命に導かれて玉座に座ったというのなら、その運命は女の形をしていたのだろう。

 オーガスタスにとっての運命の女神は、前髪だけしかない醜女(しこめ)ではない。金髪にすみれ色の瞳をした、土エルフの姫君の姿を纏っている。

 美貌と、知恵と、情熱と、毒をあわせ持った運命の女神だ。

 

 オーガスタスには、姉と語り部以外には何もなかった。顔の火傷、太った体、内気な心。しかし語り部は、ユリアではなく、オーガスタスを選んだ。

 当時の皇帝ダミアンは、その事実をことさら重視した。

 

 皇帝候補者の立て続けの死。そこに、オーガスタスを祀り上げようとする意図があることは誰もが分かっていることだった。()()が皇帝になるほどならいっそ、という明け透けな声すら聞こえてきそうなほど、世論は揺れている。

 しかし、オーガスタスを廃嫡するなどは許されない。皇帝はユリアの夫の父、当時の宰相から、花嫁が孕んだものの真実を知ったときも、その腹の子に『語り部』がいる可能性を重視し、堕胎を許さないばかりか、ユリアを宰相宅から引き取り、厳重に保護した。

 

 生まれたのは双子の男の子であった。名はジーンとコネリウス。それぞれに付いた語り部は、ダイアナとルナ。

 語り部とその主には相性がある。語り部の経歴を見れば、どんな人物を『主』に選ぶのかという『好み』があるとわかる。

 ダイアナの過去の主は、聡明で知られたものがよく見られ、ルナの主は名の知れた将軍だった。皇帝は、この禁忌を背負って生まれた双子におおいに期待し、ユリアと『隔離』することこそ、最善であると判断した。

 皇帝は、嫌がるユリアのもとから有無をいわさずに孫二人を王宮へ取り上げ、みずからの養子とし、皇子として取り立てた。

 

「……語り部は、その者が生まれ持った王の器ではなく、運命に惹かれて付く」ダミアン帝は言った。

「激しく浮き沈みのある人生を歩むもの。あるいは、栄光ある道を歩むもの。あるいは、稀代の愚か者として名を残す器をもったもの……。

 語り部とは、蜜に誘われる甲虫のように、そういったものを好むのだ。

 ダイアナは、知恵あるものが栄光を築く物語を好むのだろう。ルナは、逞しいものが覇道を築く物語を書きたいのだ。

 ……『語り部』とは、そういうものだ。そうだろう……なあ、フィガロ」

 

 ダミアン帝の語り部は、にっこりとして言った。

「……ではわたくしは、激動の時代を生きた、とある苦労人の皇帝の物語を好むということですね? 」

「―――――ふん。面白がりおって。そういうところだぞ。そういうところが、語り部は悪趣味だというのだ」

 

 ダミアン帝の語り部フィガロは、方眼鏡をかけた、ひょろりとした痩躯の若者の姿である。丁寧に撫でつけられた艶のある黒髪と、色白で端正な顔立ちは、性別を超越した美術品のような魅力があった。

「……トゥルーズは、どういうものを好む語り部だ? 家系図を見ても、トゥルーズの主人となったものは、どうもパッとしない者ばかりだ」

 皇帝の問いに、フィガロのぽってりとした赤い唇が弧を描く。

「あれは好き者です」

「なんだと? 」

「トゥルーズは、我々の中でも極端な感覚派です。言うなれば、とびきりのグルメですよ。ただ賢く強いだけの主なんぞは好みじゃあない」

「……おまえの見立てでは、あの愚息に見込みがある、と? 」

「それはわたくしには何とも? しかし、あの皇子はまだ十三歳。愚か者かどうかを判断するには、まだまだ青すぎるのではないでしょうか。トゥルーズはただの愚か者に付くような語り部ではございません。げてもの好きではあるかもしれませんが。フフフ……」

「おまえは、も少しハッキリとした物言いはできんのか? 」

「そんなことをしたら、わたくしは誓約に触れて消えてしまいますよ。

 ……あのですねぇ、我が王よ。語り部はね、そんなに薄情なものではありませんよ? 語り部は、主に生涯の愛を誓うのです。どんな主であっても、どんなふうに扱われても、語り部は御主人様を嫌ったりはいたしません」

 ダミアン帝は片眉を上げて、かたわらの語り部を見た。

「もちろん、わたくしだって例外では無いのです。フフ……ウフフフフ……フフフフフフ……」

 

 ○

 

 細い喉笛に親指が食い込んだ。

 空気の通る管が、いびつな楕円に潰れる感触がする。

 組み敷いた体は細く小さい。脂肪で風船のように膨らんだ自分の身体と違って、骨と皮ばかりのような感触がした。

 語り部はもがきもしなかった。ただ、両腕をだらんと体の横に置いたまま、オーガスタスの好きなようにさせている。

「……苦しくないのか? 」

 指の力を強くして問うと、右腕が持ち上がり、オーガスタスの手の甲を軽く叩いた。

 しぶしぶ手を放してやると、語り部はゆっくりと起き上がり、ぺたりとシーツの上で足を広げて座り込んだ。トゥルーズの細い首に毒々しい赤黒い痕がついているのが、弱視のぼやけた目にもわかる。しかしトゥルーズの手が調子をみるように首を撫であげると、それはサッパリと消え去った。

 

「苦しいかっていえば、苦しいですけど」トゥルーズは、困った顔をしているようだった。

「でもガス、あのね。トゥルーズは魔人なんです」トゥルーズは小首をかしげて、オーガスタスの顔の前に指を立てた。

「トゥルーズは人間っぽく見えますけど、人間っぽく作られたイキモノなんです。なので、ほんとうは息をしなくてもいいのだけれど、人間っぽくするために、わざわざ呼吸をしているのですね」

「そうか……じゃあ、トゥルーズは首を絞めても苦しいだけなんだ」

「はい。そうなんです」トゥルーズはこっくりと、満足げに頷いた。

 

「じゃあ、どうすればお前は死ぬの? 」

「はぁ……どうすれば、といいますとぉ。あれ? ガスくんは自分の語り部を殺したいのですか? なぜ? 」

「なぜっておまえ。だって皇帝になんてなりたくないもの。失敗するに決まってるじゃあないか。おまえがいなけりゃ、ぼくは皇帝にならなくていいんだ」

「ハア、なるほどぉ」

 トゥルーズは、もういちど大きく鷹揚に頷いた。「確かに、語り部が先に死んでしまうと、その持ち主は皇帝になれません。でもトゥルーズは死にたくないと思います」

 その言葉にオーガスタスは悲しくなる。

「どうして? ぼくは、語り部に伝記なんてものを書かれるのも辛抱ならないんだ。だっておまえ、嘘を書いてはくれないんだろ。ぼくは絶対、後の世で馬鹿にされる。ぼくは目が悪いから文字なんてろくに読めないのに、ぼくが読めないものをおまえが書くのも我慢ならない」

「でも……それがトゥルーズのお仕事ですもの」

「いやだいやだ。だって、おまえは姉上のことも書くんだろう。そうしたら姉上まで悪く言われてしまうじゃあないか! 」オーガスタスは、目蓋を横に奔る火傷の痕をばりばりと掻きむしる。

 いつになく強く、語り部に向かってオーガスタスは声を張り上げた。「そんなのは駄目なんだよ! 」

 

 

 ○

 

 

「……そんなのは駄目なんだ」

 トゥルーズは、ぼんやりと昔のことを思い出していた。過去の主はすっかり大きくなって、トゥルーズを見下ろしている。

「ああ……いつしか大きくなられましたねぇ」

「おまえは小さいままだ……忌々しい。おまえのその幼い姿が、わしの器の小ささを象徴しているように思える」

「確かにトゥルーズの姿はあるじの心が作用いたしますが、それは器の大きい小さいとは関係ありませんよ」

「知っている。知っているともさ。しかし……それも駄目なんだ。おまえの全てが、わしにとっては許しがたい……」

 オーガスタスは、歯の音が軋むほど奥歯を噛み締めた。

 

「……後世に姉上の醜聞を広めることは看破できぬ。おまえの筆が我々の栄光を破滅させるのだ……死んでくれ、トゥルーズ」

 白く濁った両眼がトゥルーズを見下ろしている。大きな下膨れの白い顔に張り付くようにして、姉と同じ金髪が乱れていた。汗はとどまることを知らず、水をかぶったように濡れている。

 トゥルーズは静かに、その光を失った瞳を見返した。

 

 かつて色彩だけはかろうじて分かった眼は、年を重ねるにつれ、身体の体積が増えるにつれ、すっかり見えなくなっていった。

 皇帝となってから、オーガスタスは地下に造らせた『涼しい部屋』にこもりきり、一日のほとんどを大好きな音楽についやしている。反面、嫌いなのが絵物語のたぐいで、文字が読めないという事は彼の大きなコンプレックスになっていた。

 主人が地下にこもりきりのトゥルーズには、この部屋より上がどうなっているのか、いまいち分からない。

 地上の人々は―――――皇帝の庇護する民たちの姿は、もうとっくに遠い海の向こうの出来事と同じであった。

 

 オーガスタスは定期的に、こうした発作を起こす。トゥルーズを叱咤し、その存在を嫌悪している旨を叫び続けるのである。暴力が出ることもとうぜんあるが、『語り部』の身体はただの人間の拳では死ぬことも壊れることもない。

 だから、いいのだ。

 トゥルーズはそう思う。トゥルーズは、オーガスタスのことが好きだった。彼の中では、小さかったころの癇癪となんら変わりはない。

 

 やがて、暗い部屋の隅ですすり泣き始めた主人のもとへ、トゥルーズは必殺の道具をたずさえて近寄っていった。

「ねえ、ガスくん。トゥルーズは今から音楽をしますよ」

 楽器を奏で始めると、オーガスタスのすすり泣きは段々と小さくなっていく。トゥルーズはそれを十分知っていた。

 目が見えない主人のために楽器を触るうち、かなりの腕になったと自負もある。主人の涙を止められるのなら、それは物語を紡ぐよりも素晴らしいことだ。

 

「ねえガスくん。トゥルーズはね、ガスくんが嫌がるから、ガスくんの伝記は書かないことにしようと思います。そのかわり、ガスくんの曲をつくりましょう。それなら『読む』ことはいりません。『聴く』だけでいいのです。ねえ、ガスくんどうでしょう? いい案だと思いませんか。トゥルーズは、ガスくんの語り部ですから、ガスくんが嫌がることは何もしたくないんですよ」

 

 

 

 

 レイバーン・アトラスが母と会うことができたのは、まだ十一歳のときであった。

 レイバーンは、皇帝オーガスタスの八人いた息子のうちの、六番目である。宮中をくまなく侵した病によって、他の兄弟はすでに亡かった。

 オーガスタスには、妻のほかに愛妾が二人いて、レイバーンは妃であるメリッサの四番目の息子だった。レイバーンは生まれつき体が弱く、病が流行るよりずっと前から、療養のために湯治のできる田舎へ送られていたことで生き延びたのである。

 

 レイバーンは、母の顔を知らなかった。産後の肥立ちが悪く、そのまま亡くなったと知らされていた。

 父親のことも、肖像画以外の姿はよく知らない。もうずっと体が悪く、寝込んでいるということだった。

 レイバーンに母のことが知らされたのは、もうずいぶん体力がついて、長旅に耐えられるようになったと主治医が判断したためらしい。

 

 緑深い森の中の館は、五つのときから暮らしていれば、もはや暮らすべき家となっていた。馴染み深い森から離れ、山間を抜け、寂しい道ばかりを選んで馬足は向かう。

 

 母の住処は、それはそれは寂しい場所だった。周囲にあるのは寒村と呼ばれる寸前の集落だけ。誰も近寄らない荒れた藪のようなところに崩れかけた石塀があり、その石塀の向こうには、素っ気ない崩れかけの塔があった。その塔がかろうじて城の体裁を保っている。そんな廃れたところだった。

 

 そこは、古い城を改装して使った修道院だった。

 母はもうずいぶんと悪いという。老いた修道女は、「何度も手紙を送ったのに」と憤っていた。どうやら母とその息子の来歴は知らないらしい。ただ単に、親子を引き離した何者かに憤っている。『なぜ』引き離されたのかも知らないで。

 

 せめてまだ口が利けるうちにと思っていた。ほんに良かった、来てくれて感謝いたします。と、老婆は少年の小さな白い手を握って額に押し当て泣いていた。

「さあ」とうながされ、押し込められるように入った部屋は、独特の臭気が満ちていた。レイバーンは自身も病弱なので、その臭いの意味にすぐに察しがついた。

 

 

 誰が()()を皇帝の妃だと分かるのだろう。

 

 

 レイバーンはその日、はじめて実の母を見た。幼い少年に大きな傷を残す再会となった。

 父、オーガスタス皇帝崩御の知らせが首都を駆け巡るのは、奇しくも再会から十日後。レイバーンの耳に届くのは、さらに三か月も後のことである。

 

 

 

 祖父であるダミアン帝に養育された、ジーンとその弟コネリウスは、祖父亡きあと玉座についたオーガスタスと、その宰相ユリア皇女の手により、身体が弱いジーンの療養という名目で、幽閉生活を送るはめとなった。

 冷たい石造りの塔の上での三年間の幽閉生活から出た時、二人は……いや、コネリウスは、すっかり背も伸び、一見して立派な貴族子息の風格を兼ね備えていた。

 ユリアの血は、コネリウスには咄嗟の判断力と瞬発力、丈夫な肉体を与えていた。そしてジーンには、並外れた美貌と頭脳である。

 ジーンが考え、コネリウスが動く。二人はかび臭い幽閉生活の中、実母にして戸籍上の姉であるユリアへ、反旗を翻すことを決意していた。

 

 ユリア四十五歳、オーガスタス三十三歳の秋のことである。

 

 ジーンとコネリウスが石塔を出るきっかけとなったのは、年初めのころから皇族たちを席捲している熱病のせいだった。

 

 弱い子供たちを中心に流行り出したその病は、数日の高熱ののち、まず手足の末端に青黒い()()()ができる。そのしこりは三晩ほどで肩まで覆うほどに膨らみ、鎧のように硬くなった。血の流れがなくなった手足は、生きながらにして腐っていくほかないが、痛みは無いのだという。

 熱病にうなされたまま、熟れて木から落ちる果実のように命が奪われていった。子供の次は体力の落ちた老人たちである。

 不思議と、市井においては流行らなかったのは幸いであった。

 

 さて、そのころフェルヴィンの先、魔の海を越えたずっと上層での戦禍の音は、遠く離れたこの最下層にも聞こえるほどであった。

 戦時中の軍事開発により、皮肉にも、短時間で飛躍的に成長した航空技術は、フェルヴィンが長年求めていた技術だったのだ。

 宰相ユリアは、最新型の飛鯨船を手に入れることに成功していた。

 長年の鎖国体制によって、フェルヴィン皇国と上層世界の技術格差は大きい。そのことをユリアは以前より問題視していた。ユリアは、幽閉を解いた双子に、上層世界への大使を命じたのだった。

 

 重ねるが、そのころ上層世界は苛烈な戦禍のさなかである。

 ユリアは双子の後も二人の子供を授かったが、勢力争いによる暗殺で一人、此度の流行り病で、十歳になったばかりの娘を亡くしたばかりであった。

 自らの手で幽閉した息子たちであるが、奇しくも生き残った彼らを病から遠ざけようとしたのか、それとも双子の存在を脅威と思って厄介払いしようとしたのか、真意は誰にも分からなかった。

 のちに救国の英雄と呼ばれるようになる二人は、そうして未知の長い旅へと出たのである。

 

 やがて、魔の手はユリア自身へも伸びた。

 

 いまや宰相ユリア皇女は、夫亡きあと弟である皇帝を支えた、真の王といってもいい存在であった。

 用いたのは、政略と恐怖である。弟オーガスタスを飾りの王とし、資格なき姉ユリアは、恐怖によって貴族たちを沈黙させ、王家の名誉復活を果たしていた。

 その覇道の道中、叔父一家やオーガスタス以外の兄弟たち、彼女に心を寄せて来た数多の愛人たちを冥界に送った彼女は、年を重ねてもなお美しいまま、四人の子供を産み、二人の子供を亡くし、のこりの二人を自らの手で国から追い出し、何百年も叶わなかった一時の静寂を王宮へもたらしたのだ。

 

 もはや王宮には、誅殺もわいろも横領も無い。やるとしたらそれはユリアの主導のものである。

 この王宮だけに流行る病が、『玉座に座る資格のないものが皇帝を気取るからだ』と揶揄されるようになるまで、そうはかからなかった。

 ユリアはその声を捨て置いた。どうでもよかったからだ。彼女にとって、王宮へ静寂を取り戻すことは、愛する弟が安心して過ごせるようにするためのことだった。

 そのためには、この流行り病が邪魔である。

 

 ユリアは夜な夜な弟のいる地下へ逢瀬を交すことが日課であったが、病が流行り出したとたん、その日課をぴたりとやめた。

 

(オーガスタスにうつしてしまったら大変だわ……! )

 ユリアが病に倒れたのは、そんな時である。

 

 ユリアを亡くしたあとの王宮は、しばし不気味な沈黙にまみれていた。

 皇女ユリアという舵取りを失った宮廷内は、その事実を噛み締めるうち、混乱に陥った。

 すると、誰かが言った。『次の皇帝を立てねばならぬ』

 

 皇帝オーガスタスは、愛する自室から引きずり出された。【無能王】オーガスタスは、その度重なる怠慢により、処刑されることと相成ったのである。

 断頭台に引き出されたオーガスタスは、姉の死を直前に知り、自身がどこにいるのかも理解していなかった。処刑はオーガスタスを置き去りにして極めて機械的に行われ、次の日には次代皇帝の選定が始まっていた。

 

 民衆は、もはや『語り部』によって皇帝を選ぶことを望んでいなかった。

 青き王家の血筋をすこしでも引いているのであれば皇帝の選定に足りるとし、これという候補者の中から皇帝を選ぶ、ということを繰り返した。

 その間も、病は宮廷内を吹き荒れた。

 資格なき王たちは、次々に霊廟の石塔となった。ついには病床の十四歳の少女まで皇帝として引き出され、資格なき皇帝たちだけで、十七人もの石塔が並ぶこととなった。

 

 残るは、かの毒婦ユリアの息子たちか、無能王の末息子、レイバーン・アトラスのみである。

 彼らには語り部があり、()()()()()()()()()()()、皇帝となる正統な資格がある、とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 皇帝ジーン・アトラスは、ひとり地下の離れ部屋へと踏み入った。配下はとうぜんのように止めに入ったが、振り切って闇に沈んでいく石段を軽やかに降りていった。

 

 なんでも、ここには無能王オーガスタスの亡霊が出るというのである。数々の冒険を遂げた英雄ジーン・アトラスの足は、たかが幽霊ごときには止められなかった。

 石造りの回廊は、底なしの静寂に包まれていた。自らの呼気の音すら耳に付く。

 手に下げたカンテラの不安定な灯りでは、なるほど確かに幽霊でも引き寄せそうな雰囲気である。

 

 オーガスタス帝は、この地下の部屋を『涼しい部屋』と呼んでいたという。

 フェルヴィンは年中を20度を下回ることがない温暖なうえ、多湿である。たしかに、ジーンも久々に故郷へ帰ってきて、湿気ですぐに皺になる書類にうんざりしてきたところだった。

 

 やがて、ジーンの耳に、自らの足音以外のものが聴こえて来た。

 それはおそらくジーンも馴染み深い弦楽器で、たしかオーガスタス帝が数多の楽器の中でも、とくに好んだものだった。

 音色が聴こえる扉の中は、一部の隙もない暗闇に包まれている。

 おそらく、オーガスタス帝がここを出たそのままなのだろう。灯りを向けると、生活の名残りの上に埃が積もっている。

 ジーンは迷いのない足取りで、暗闇を灯りで引き裂いて、音のある場所へ突き進んだ。

 

 はたしてそこには、待ち続ける語り部がひとり。

 

 暗闇の中、主の物語を音にして奏で続けた語り部は、次代の皇帝となるものをずっと待ち望んでいたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、ジーン皇帝は三十年以上を、国外との外交と国内の近代化を重点的に務めた。

 腐敗した貴族は一掃され、議会を設立。

 ジーンは生涯独身であったが、その物語は、世界各地の言語に翻訳され、近代最も重要な人物として語られる一人となった。

 ジーンの没後、次代皇帝レイバーンの御世においては、兄の仕事を受け継ぐ形で、フェルヴィンは希少な地下資源を元手に、急速な成長を遂げる。

 

 レイバーン皇帝は、五人の子宝に恵まれた。

 グウィン、ヴェロニカ、ケヴィン、ヒューゴ、そしてアルヴィン。

 三男ヒューゴ皇子の語り部は『トゥルーズ』という陽気な男で、主とはたいそう仲が良いという。

 

 

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