星よきいてくれ   作:陸一じゅん

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幕間 第七海層にて~邪神狂想曲~

 ✡

 

 

 

「……困ったなぁ。久々に」

 数日後。

 昼食の場所から数十キロ離れた海沿いの白い小道を、アズマはトコトコと歩みながら腕を組んでいた。

「いやほんと……ほんとうに困った」

 

 しみじみと呟く声色はため息交じりで、クロシュカと相対した時のどこか飄々(ひょうひょう)とした態度からは打って変わり、本心からの風情である。

 唇は真一文字に結ばれて、紫の袋をかけただけの細い肩を重そうに寄せている。『肩の荷が重い』とはこういうことだというようだった。

 

 思案にふけるアズマは、「よし」と拳を握って目線を海に向ける。手の中でぐしゃりと紙切れが潰れた。紙切れには三十を超える船の名前がつづられては、横線で消されている。

 

 そこは港だった。

 (いかり)を水面に落とした大小いくつもの飛鯨船(ひげいせん)が、糸のついた風船のようにプカプカと停泊している。

 すでにアズマは、そこにあるほとんどの船に乗船の申し入れをして断られている。ほぼ共通しているのが『ケツルの民が飛ぼうとしないから』という理由だ。

 この翼の民の言葉は、船乗りにとってはひどく重い。その助言を守るのは、もはや不文律、暗黙の了解というやつだ。ケツルの言葉を重んじない船乗りなんぞは、難破したって同情されない。

 アズマのよく知る船長の船ではケツルを乗せていなかったが、若い彼女もまたケツルの民の存在を非常にありがたがっていた。

 船乗りたちのそのスタンスは、一種の信仰そのものだ。

 そんな船乗りたちが、ケツルが「駄目だ」と言い放った進路へ舵を取るわけがない。

 

 しかしアズマは、ひとつだけ、ケツルの民の言葉に左右されない船を知っていた。

 そして知っていてもなお、避けていた船でもあった。

 

 信仰深くないわけではない。むしろ……その真逆なのだ。

 

 ✡

 

 

 船体に大きな目の模様を描く『航海無事のゲン担ぎ』は、ケツルの民への信仰の次くらいに浸透したおまじないである。

 しかしその船は、目玉は目玉でも『蛇の目』と呼ばれる二重丸の絵図を、それこそ鱗のようにびっちりと、流線形をした船体の上から下まで覆った派手なデザインだった。

 珊瑚色の地に、奇抜な光沢のあるターコイズブルーの二重丸なので、すでにこれだけでも派手派手しい。

 さらにはその鱗の上から、勢いのある筆さばきで、ばっくりと口を開いた龍の横顔がでかでかと炎を吐いている。

 

 たくさんの飛鯨船がある中でも眼に痛いほど目立っているこの船の名を、『ポルキュス号』。

 高さ三十二m、体長二百二十二m、『超大型』に分類される飛鯨船である。

 これが『表向きは』貨物船だといわれているのだから、豪快な益荒男(ますらお)ぞろいの船乗りたちも、曖昧に苦笑いするという一種の(ふだ)付きだった。

 

 そんなポルキュス号を見上げ、アズマは確認するように、外套にいくつもある内ポケットから封を切った手紙を取り出した。

 薄紫で金箔が散らされた、女性の薫香がいやでも漂う上品な封筒である。

 光沢のある銀鼠の便箋にも、端に紫の小花が散らされている。ほとんど黒に近い藍色のインクで『拝啓、父上様』から始まる『彼女』の言葉が綴られていた。

 

 

『拝啓、父上様。

 

 旅の御様子は如何なものでございましょうか。どうせ死んではいないとは思っておりますが、せっかくですので、大事在りませんようと申し上げておきます。

 こちらは何事もなく、暑くも寒くも無い場所でただ穏やかに日々を過ごし、時の移ろいを眺めるばかりです。

 はっきり申しまして、暇で仕方がありません。

 故郷の大事と、最初は簡単に引き受けたことでしたが、いつしか私は、あの張り詰めた戦いと安寧を繰り返す日々のほうがすっかり性にあってしまったのだと痛感して、旅をしている貴方様が羨ましく思っております。

「恋の一つでもすれば生活と肌に張りが出て良いのでは」などと言われましたが、煩わしさが増すばかりで、張りが出るより、ため息の数が増えるだけだと分かりました。

 いわゆる『良いとこの坊ちゃん』どもは、まったくぺらぺらに薄く、腰が入って無くていけません。

 

 さて、時候の挨拶と近況報告はこれくらいでよろしいでしょうか。本題に入ります。

 先日、貴方の麗しの姫君よりお手紙が届きました。

 いわく、貴方の行方がわからぬため、伝言を頼みたいとのことでした。

 彼女も忙しいというのに、じつに孝行娘です。

 

 伝言というのは他でもない、『ケトー号』の兄妹船、母艦である『ポルキュス号』についてです。

 先日のフェルヴィンでの一件で、ケトー号の船長はポルキュス号との別行動を決定いたしました。

 

 ポルキュス号は、『牡山羊の君』を仮の船長とし、『無貌の君』と『スレイプニルの母君』とともに、有事に備えて上層世界で待機することにしたそうです。

 貴方なら、これでお分かりになりますね?

 

 冬の間は、第7海層ネツァフに停泊すると思われます。

 なにぶん目立つ船とのことでしたので、ネツァフのどの港にいるのかは、御自分でお確かめください。すぐに見つかるはずです。

 船長からの紹介状も同封いたしますので、どうぞご活用くださいませ。

 

 貴方の最初の娘より』

 

 封筒を逆さにすると、言葉通りに細く折られた紙が入っていた。

 端を、お菓子の名前が刻まれた金色のラベルシールで止めてある。紙自体も洗濯屋のチラシの裏である。

 どうやら船長はテーブルにあった適当なもので紹介状をあつらえたらしいと知れて、アズマはこの紹介状が有効に作用するのかどうか一抹の不安を感じた。

 

 粘着力が著しく落ちたシールを剥がして、中身を広げてみる。

 そこには一言きれいな字で、『このチビは私の父親です。』と、大きく二段に別れて書かれていた。端に小さく署名がされているのがせめてもの救いかもしれない。

 

「……マジかよ」

 

 アズマは眉間を揉んで目をつむる。

 

 目を開けてもう一度見ても、

 

 

『このチビは

  私の父親です。』

 

 

 としか、無い。

 

 

(これを、その方たちに出せと……!? )

 

 想像するだけでひやりと冷たい汗が流れる。アズマは手紙を手に戦慄いた。

 つまりだ。

 このポルキュス号の住人たちの正体と、その意味を知っていて乗り込むということは、燃え盛る炎の中に油を被って入っていったり、深海で潜水艦から生身のまま飛び出したり、高度1000㎞からパラシュート無しでスカイダイビングしたりして、『きっとなんとかなるよ』とうそぶくレベルの、狂った脳みそが必要なのである。

 

 アズマはそれを知っているから、時にはそういう頭のおかしい決断が必要だということも分かっている。

 頭痛がする。

 

(おれ、うまくいかないと『こんどこそ』死ぬんじゃあないか? )

 

 アズマの心は臆病な鼠のように震えているが、しかしそこのあたりは、長年染みついた経験がものをいった。

 訓練を重ねた体は、必要だと(すくなくとも思考の上では)理解すれば、理性と本能が仲良く首を振って悲鳴を上げていようとも、動くようになっている。

 港の職員に連絡はしてあるので、桟橋はいつでも使えた。アズマは傍目にはちっとも動揺を見せず、ほんの数十歩、二十二段ある桟橋の階段を踏みしめ、ポルキュス号を訪ねた。

 

 

 貨物船と軍艦と客船では、そのつくりは明らかに違う。中でも、乗員が最初に目で見て実感する違いが、入口の位置と形である。

 貨物船は、荷物の積み入れのために、船の後部、鯨の尻の部分に大きく斜めに落ちる格納ドアがある。

 ゆるやかなスロープになって落ちたそこから、台車などを使って積み荷を鯨の腹の中に収め、人間も荷物に埋もれないよう気を付けて、奥にある窓ほどしかない鉄扉を開けて、ようやく乗組員席へと乗り込むしかない。

 貨物船における主役は積み荷であるから、人間のスペースはどうしても狭く、船員がカスタマイズしない限りは、どうしても居心地のいい空間ではない。

 

 軍艦の場合、優先される性能は、役目に応じた戦闘性能である。

 機動性や攻撃力のある武器を搭載できる砲台の計算ももちろん大切だが、操る人間が乗っている以上、彼らを守るために、ある程度の堅牢さと頑丈さは必須といえる。

 そのため、『出入口はひとつだけ』『とにかく頑丈で開けにくい』『出入りするようすが分かり易い』ということで、『額部にある小さな縦穴式のハッチ』という形に収まりやすい。(なお、ケトー号も旧式軍艦を改造しているので、このハッチ型の入口の名残りがある。)

 

 その点、客船の主役は、もちろんお客様だ。

 多くの場合、腹部分にスライドする扉がついている。とうぜん間口は、他の飛鯨船に比べて格段に広くつくられ、膝をつくほどかがむ必要も無く、立ったまま座席から座席へ移動できる。

 内装だって、背骨のようにまっすぐ通路が通り、その脇に座席や客室がある。一本道なので、不審者は不審になった瞬間に、誰かしらの目に留まるだろう。乗客の安全と快適さに注視したつくりだ。

 

 

 その壁面に触れるところにまで近づいて、アズマは思わず呟いた。

「……でかい」

 聳えるほどに。そして、やはり派手だ。

 

 派手だが、近づいてみると、珊瑚色の地の上にターコイズブルーで乗せられた二重丸の模様ひとつひとつに絶妙な濃淡がつけてあって、象嵌細工やタイル張りのモザイク絵のようにも見える。奇抜だという印象は変わらないが、もう一度遠目から見るときは、印象がガラリと変わるだろう。

 

 さて、ポルキュス号は、表向き貨物船のはずであったはずだが、その入口は、あきらかに客船のつくりをしていた。それも、超大型高級客船というやつである。

 外から見える丸窓は、縦にニ列から三列並んでいる。

 少なくとも、二階建てから三階建てであることは間違いない。

 

 遠い国の城のような、見慣れない煌びやかさを持つポルキュス号の扉は、前触れもなくスルリと内側に押し込むようにスライドした。

 扉の奥の闇を背負い、一段低い場所に棒立ちになっているアズマに覆いかぶさるようにして、背の高い人物が立ちふさがっている。

 

 扉のふちに枝垂れ掛かるようにして睥睨(へいげい)してくる鮮やかな緑の瞳に、アズマは思わず視線を下に下げた。

 

「………っあ、あの! 」

「あれェ? おきゃくさん、だあ」

 蕩けたような甘えた男の声だった。

 アズマの後ろ首が、ぶわわと総毛立つ。指が斜め上から降ってきて、フードの内側にあったアズマの髪をひと掬い取り上げ、温かい葡萄酒の芳香が顔全体にかかったかと思ったら、アズマの鼻先に緑色の瞳が弓なりに曲がっていた。

 

「……っ! 」

「お客さんかな? きみ、可愛いねぇ」

「いいいいいえいえいえいえ! そそそそんな! ことは! 」

「ううん」

 男の美しい貌の周りで、鬣のような黒い巻き毛がふさふさと揺れた。

 アズマの足は、いつのまにかつま先立ちになっている。腰に回っている長い腕が、引き寄せるようにして小柄な少年の身体を持ち上げ、慌てて腕を突っぱねると逞しい裸の胸に手が触れた。

 男の腰元を見ると何もない。

 

「なななななんっで裸なんですか!? うわっ酒臭い! 酔ってますね!? 」

 

「酔っているとも。でも障りはないだろうさ。ま、いいじゃあない。そんな小さなこと……」

 

「小さい!? 小さいかな!? すぐそこが外だけどおれがおかしいの!? ひぃっ! ちちちちがいます! そういうことをしにきたわけじゃあ無いんです! 用事があって来たんです! おれは違います! え、ちょっ、嗅がないで! 舐めないで!? ちょっ……ちがうんですゥウウ! 」

 

「……ちょっとぉ。なに騒いでンの」

 

 薄闇に沈んだ船の通路の奥から、声と共に、あらたな人物が現れた。

 その人物を一目見て、アズマは一瞬期待に輝いた顔を、絶望に染める。

 

 闇の中でも鮮烈な、燃え上がるような赤毛をふわふわと逆立たせ、盛り上がった胸元に真っ赤なレースで飾ったぴちぴちの―――――股間を覆うものと御揃いの紐のようなビキニを着た、逞しい―――――屈強な―――――胸毛が旺盛な―――――その男は、文字通り裸締めされそうな少年を見た瞬間、灰色の目を見開き、ルージュを引いた唇をニンマリと持ち上げて、口を開きかけた。

 

 

 そのとき。

 

「ごごごごごごめんなさぁあああい!!! 」

 叫んだアズマの右腕が跳ね上がった。

 

 

 カッと斜光線上に光があたりを白く塗りつぶす。

 アズマは大きく肩で息をしながら、ゆっくりと顔を上げた。頭の上に上げていた右手の横に、左手も上げる。

 そしてそのまま、右膝、左膝、と床に脚を折り(ポルキュス号には、入口からフカフカの絨毯が設えてあった)、両手を上げたまま腰から体を床に向かって倒置した。

 

 

 ―――――これ即ち、土下座という。

 

 

「たいっへんっ! もうしわけっ! ありませんでしたっ! どうかっ! 無礼をっ! おゆるしくだしゃいッ! 命ばかりは! 命ばかりはーッ!! 」

 

 黒髪と赤毛は、ずびずびと鼻をすする音がするアズマの頭の上で、顔を見合わせた。するとそこに、三人目の闖入者が、足音慌ただしく現れる。

 

 

「な、なにごとにござりますかーッ! 」

 

 

 どこかで聴いたような声である。まるで、つい先日聴いたような声である。

 

 

「刺客にござりますか! 曲者でござりますか! 悪漢でもよろしいですぞ! 吾輩がちょちょいのチョイと、圧し伸び広げてご覧にいれ……

 

 あれぇ? アズマどの? 」

 

 

 

 

「きぐうでございますな。そんなところで、いかがなされたのです? 」そう訊ねてくる『節制』の声を頭の上にして、アズマは薄っすらと微笑みすら浮かべながら、心の底から(いっそこのまま眠りたい)と、そう願った。

 

 

 ✡

 

 

 やんややんやと、全裸と褌仮面と裸より酷い恰好の男が騒いでいる。

 

 背もたれがハート型になったショッキングピンクのソファに埋まり、アズマは紫色の酒が入った冷たいグラスを抱え、(そうだ、現実逃避しよう)と、ふとそう考えた。

 

 そう。目を閉じれば、まざまざと懐かしい声が思い出される。

 その眼差しが。その姿すらも。昨日のことのようだ。

 

(アイリさん……)

 

 《え? なんだシオン、おまえ、またおかしなやつに絡まれたのか? 》

(そうなんだよ……困ったよね。アイリさん)

 

 《馬鹿め》

(……アイリさん? )

 

 《いい年をして何をグズグズしているんだ。まだ7海層だって? いつまで私を待たせる気なんだ。くだらんことにばかり首を突っ込みおって》

 《ええ。そうよ。母さんの言うとおりね。しかも何なの? その姿。普通、嫁入り前の妙齢の娘より若返る? わたしの父親が、こんなチンチク……いえ。実の父親だものね。過ぎたことを言いかけました。はしたないことだったわ》

 《いや、いいさ。いいのさ、エリカ。こいつはお前のおしめも替えられなかった放蕩男だ。遅れて来た娘の反抗期くらい、キッチリと受け止めていただかなくては》

 《あら。母さん。わたし自分で言うのもなんだけど、とても良い子で有名だったのよ。この人と一つ屋根の下で育っても、間違っても『ビチグソへたれ大馬鹿男』だなんて口が裂けても言いませんわ。……あら。淑女にあるまじきことを。ごめんあそばせ》

 《ほう? おまえがそこまで言うのなら、私も言わせてもらおうか? 》

 

 

(やめてくださいアイリさん。あなたの旦那は想像上の娘の言葉にもう重症です……)

 

 

「聞いてくだされぇ~アズマどのぉおお」

 右側に、どっかりとクロシュカが座った。

 丸太のような腕をアズマの肩に回し、雫が跳ねるほどグラスを揺らす。

 

「ロキロキどのったら酷いんですよぉ~」

「ロキロキ……? 」

「んもぉ~う! そんなこと無いってばァ~じょうだんじゃなァ~い! クロちゃんったら、マジメなんだからぁ~ 」

「……クロちゃん? 」

 

 アズマの指が一人一人を指す。クロシュカは厚い胸を反らしてどこか誇らしげに、『ロキロキどの』は目を細めてニッコリしている。

 

 アズマは溜息と悲鳴を一緒に飲み込んで、おそるおそる言った。

 

 

「あの……その。『スレイプニルの母君』は、今、下界ではどのように名乗っておられるのですか……? 」

 

「ロッキー、ロキロキ、ロキちゃん。なんでもいいよぉ。もちろん、ラウウェイの子でも、閉ざす者でも、終える者でも、狡猾の巨神ロキでも、敬意があるならお好きなように」

 ロキは燃えるような赤毛を掻き上げて長い足を組んだ。透明感のあるヌラリと濡れた灰色の瞳の影を、ほのかに赤い炎の色がよぎる。

 

 アズマは間近に迫るその瞳から目を逸らし、今度は上目遣いに黒髪の男のほうを見た。

 

 

「そう……。我々こそが、『ニンゲン大好きな神さま同盟』。死者の王なんてルール違反者に、我々の愛する下界の民たちを、みだりに蹂躙させるわけにはいかない。その一心で集った三柱がわたしたち。だからこのたび下界にて『最後の審判』における人類の監査役を勝手にすることにしたのだよ」

「……では、あなた様はやはり」

「いかにも。農耕神、酩酊の神ディオニュソス」

 

 絨毯とローテーブルの間にうつ伏せで挟まったまま、ディオニュソスは片手を挙げて名乗りを上げた。

 アズマからの位置だと、尻に腕が生えて喋っているように見える。

 

 

 シオンは頭を抱えた。

 

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