原作にはないからね、注意してね
……調停の翼との合体を解除した彼女は、なおも暴れようとするアンデッドを抱き締める。
それをしているのが常人であれば、危険極まりない行為だ。何故なら、アンデッドというのは基本的にリミッターが外れている。
腕を折ろうが足を折ろうが苦痛を感じず、失血死や気絶もしない。その身に宿る負のエネルギー……偽りの命が尽きるその時まで、永劫の時をさ迷い続ける存在。
それが、アンデッド……とはいえ、アンデッドにも様々な種類が居る。
ユグドラシルにおいては、アンデッドは異形種にカテゴライズされており、アンデッドとは言っても異なる性質を持っている場合が多い。
アンデッドに属するのは、スケルトン・ゾンビ・アストラル・ヴァンパイア・その他の5種類だが、一般的にイメージされているアンデッドは、ゾンビだろう。
ゾンビは、肉の身体を持つアンデッド。
スケルトンは、肉の無い骨の身体を持つアンデッド。
アストラルは、非実体タイプのアンデッド。
ヴァンパイアは、その名の通り吸血鬼系を差す。
その他は、その名の通り特異な身体を持つアンデッドの総称だ。
そして、彼女が抱き留めているアンデッド……クレマンティーヌは、その中でも『ゾンビ』に属する、アンデッドの中では最下級に位置する
動死体は、最下級のアンデッドと位置付けられているだけあって、その能力は低い。
動作そのものが鈍く、知性は無いに等しい。生前の記憶は完全に失われ、己が何者なのかすら理解していない。
いや、そもそも、思考するという機能すら消失しているのが、動死体なのだ。
そんな動死体が行うのは、只一つ。
アンデッドとしての本能、生きる者を襲って食らおうとする欲求にのみ従う……ただそれだけ。
そこに、老若男女の違いはない。
生前が何者であろうと、『動死体』になれば等しくさ迷う亡者である。如何なる方法でも蘇生は不可能であり、それ以外にその魂を開放する手段はない。
……そして、ユグドラシルの設定は別としても、この世界において……アンデッドの蘇生は不可能、それは共通していた。
「──ごめんなさい。一度でもアンデッドに成ってしまったら、もう私には蘇生させる事は出来ないの」
そう、蘇生は不可能……『ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラ』は、彼女の顔を見る事が出来ないまま、沈痛な面持ちで現状を告げた。
──ラキュースは、イビルアイが所属している冒険者チーム『
神官戦士であると同時に、水神を信仰する信仰系魔法詠唱者であり、王都のみならず他所でもその名が知れ渡っている実力者である。
で、ラキュースはこれまで……王都の一角(つまり、オーロラの中)を襲っていた悪魔たちと戦っていた。
しかし、悪魔たちが一斉に姿を消し、街の一角を覆い隠していた光のオーロラ(パッと見、カーテン?)も消えた。
故に、急いでその中でもひと際派手な爆発音などが響いていた広場へと馳せ参じたラキュースだったが、当初は状況が分からなかった。
なにせ、そこにはバラバラにされた二体の遺体の前に項垂れているイビルアイと、遠目にも『動死体』であるのが分かるアンデッドを抱き留めている女が居る。
広場は、まるで爆弾をばら撒いたかのように酷い有様だ。
どうやったのか、大きく抉れた石畳の一部はいまもなお熱を持っており、どのような魔法を使えばこうなるのかすら、分からない。
分かるのは、ここで信じ難いような凄まじい戦闘が行われていたということ。
そして、その戦闘の犠牲者……項垂れているイビルアイの様子から、二体の遺体(大きさも考慮して)が誰なのかはすぐに分かった。
同じ『蒼の薔薇』に所属している、ガガーランとティアだ。
ガガーランは、男と見間違ってしまうような屈強な女戦士だ。
ハンマーなどの打突性のある武器を使用し、数千体のゾンビやスケルトンぐらいなら余裕で倒せる程の実力を持っている。
ティアは、元暗殺者の忍者だ。
直接的な戦闘でも十分に強いが、その本領はスピードを生かした戦術、時には毒をも使い、相手の不意を突く奇襲である。
この2人は、王都にもその名が広く知られている優れた冒険者だ……が、その二人が死んでいる事にラキュースはまず驚き、そして、心から悲しんだ。
けれども、悲しんでいる暇はない。急いで、イビルアイに事情を聞いて。
本当に、色々信じ難い情報が有り過ぎて納得するよりも前に混乱したが、とにかく、起こった事を一通り聞いたラキュースは。
……未だに、暴れ続けるアンデッドを抱き締めている彼女に、冒頭の言葉を告げたのであった。
「……より高位の蘇生魔法ならば、可能なのか?」
静かに頭を下げて、その場を去ろうとするラキュースの背中に、彼女は……縋る様な眼差しと共に問い掛ける。
──蘇生。
その言葉によって彼女の脳裏を過ったのは、己のアイテムボックスの中にある蘇生アイテムの事だ。
……彼女は、クレマンティーヌより、この世界の……正確には、教えられた情報から、ユグドラシルのアイテムが、この世界では現実のモノとして作用するということを知っていた。
例えば、以前より何度も使用している『グリーンシークレットハウス』が、それだ。
だから、これまで試した事はなかったが、蘇生アイテムを使えば死者を蘇らせることが出来るのでは……そんな、淡い期待を彼女は抱いた。
だが、同時に……不安もあった。
ユグドラシルの仕様では、アンデッドとなったキャラクターを蘇生させたとしても、アンデッドのままだ。
一度でもアンデッドになったキャラは、通常のアイテムでは他の種族に変更する事が出来ないのだ。
そんなアンデッドの種族変更を行うには、ワールドアイテムと呼ばれる非常に希少な高レアアイテムの、『世界樹の種』を使用する他ない。
そして、そのアイテムを……彼女は、保有していなかった。
元々、ロールプレイ用に作ったキャラクターだ。
アイテムボックス内のアイテムは趣味や好みに偏っており、それ以外はデバッグ&テストプレイ用に使ったアイテムの残りがあるだけ。
万が一にも可能性はないが、キャラデータをハッキングされる可能性を考慮して、それ以外のアイテムは所持していなかった。
だからこそ、縋った、
けれども、だ。
振り返ったラキュースは、一瞬ばかり辛そうに顔をしかめた。ついで、すぐに深呼吸して心を静めると……静かに首を横に振った。
「それは分からない。でも、少なくともアンデッドを蘇生させたって話は一度も聞いた覚えはないわ」
「…………」
その言葉を受けて、彼女はグッと唇を噛み締める。そのまま、視線を……ラキュースの隣に来ていたイビルアイに、向けた。
「残念だが……一度アンデッドに成った者を救う手立ては私も知らない」
「……貴女でも、分からないのか?」
「ああ、調停者ゾーイ。長く生きた私でも、アンデッドを蘇生させたという話は一度として聞いた覚えがない」
仮面越しでも、非常に言い辛そうに……イビルアイは、言葉を続けた。
「そもそも、死体とアンデッドは違う。見た目はほとんど変わらない事はあっても、その中身は全くの別物だ……それは貴女も理解出来ているだろう?」
「……ああ、理解している」
「アンデッドという異形種を蘇生させる事は出来ない。回復魔法すらアンデッドにとっては毒も同然……蘇生魔法を使用すれば、その身は緩やかに灰となって跡形もなくなってしまう」
「……どうしても、無理なのか?」
「無理だ。高位の蘇生魔法であればあるほどに、アンデッドにとっては逆効果だ。それこそ、一瞬にして塵になっても不思議じゃない」
「……そうか、分かった。ありがとう」
──どうにもならない。
その事を改めて思い知らされた彼女は……アイテムボックスより、
「これを使うといい」
「……これは?」
「
「だ、第九位階!?」
「試した事がないから、上手く発動するかは分からないが……物は試しだ、使ってくれ」
驚き慄くイビルアイとラキュースの姿を横目に、彼女は……私のワガママだと思ってくれ、と告げた。
「もう、クレマンティーヌの周りに死はいらない。せめて、天へ旅立つその時に、誰かの死を引き連れて行ってほしくない……ただ、それだけの傲慢なワガママだ」
「し、しかし……」
「気にするな。クレマンティーヌは……罪人だ。もしかしたら、こうなるのも天命……あるいは、報いだったのかもしれない。だから、気にしなくていい」
「…………」
「クレマンティーヌのとばっちりで、仲間たちの遺体が酷く損傷した……ラキュース、貴女の蘇生魔法は今の反応から見て、おそらく『
「え、ええ……」
「それで、あの二人は蘇生出来そうか? 私が教えてもらった限りでは、遺体の損傷が酷ければ酷いほどに、蘇生の成功率が下がるという話だが……」
「…………」
「不幸中の幸い、というやつだ。やつらも、焦っていたのだろう。いちいち、他のやつらまでアンデッド化させる余裕がなかったのだから」
「…………」
ラキュースは……無言のままに短杖を受け取ると、深々と頭を下げた。イビルアイも、同様に深々と頭を下げた。
ありがとう、その言葉を、今の彼女には言えなかった。
「──助けて貰ったのに、何も出来なくて……すまない」
そして、イビルアイは最後に告げると……ラキュースの袖を引いて、残された仲間たちの遺体の下へと向かった。
ラキュースも、後ろ髪引かれるといった感じで彼女を見ていたが……ペコリともう一度頭を下げると、イビルアイに従った。
……。
……。
…………後に残されたのは、彼女と……アンデッドと成ってしまった、クレマンティーヌだけ。
彼女は……無言のままに、抱き抱えたクレマンティーヌを下ろす。途端、クレマンティーヌは彼女へと襲い掛かり……しかし、その身体はビクともしない。
完全に力を抜いているならともかく、Lv.200の彼女と、最下級のアンデッドに成ってしまったクレマンティーヌ。
少し踏ん張るだけで、それは戦車を動かそうとする蟻も同然である。
空しく、その爪が、歯が、彼女の肌を傷付けようと動くが……薄皮一枚、傷付けることは出来なかった。
「──すまない、クレマンティーヌ」
……そんな中で……彼女は、頭を下げる。
ポロポロと滴り落ちる涙が石畳を濡らすが、もう、その涙を拭ってくれるハンカチは無い。宛がってくれた者はもう、居ない。
彼女の胸中を過るのは、後悔と自己嫌悪。
どうして、あの時一人で行かせたのか。
どうして、あの時一緒に行かなかったのか。
どうして、アイテムの一つぐらい持たせてやらなかったのか。
分かっていたはずなのだ。この世界でも、アッサリ人が死ぬことを。
あの世界とは異なる理由で、この世界の人達もアッサリ命を落とす。
この世界には、人間を食糧にする異形種が当たり前のようにいるということを……分かっていた、そのはずなのに。
……無言のままに、彼女は正面からクレマンティーヌを抱き留める。
途端、クレマンティーヌは再び彼女にしがみ付き、細い首筋に食らいつくが……構う事無く、彼女は……その手に、蒼き短刀を出現させる。
──アンデッドと成った者を救う手立てが彼女にはない。
──永劫、偽りの命が尽きるその時まで、さ迷い続ける。
──その魂を開放するには……終わらせるしかないのだ。
故に、彼女は……暴れるクレマンティーヌを抱き締めたまま、そっと……その刃を、剥き出しの背中に突き刺した。
位置は、心臓の中心。
普通なら激痛で飛び上がるはずも、アンデッドには関係ない。
じたばた、と。
心臓へと突き進む刃に気付いてすら、いないのか。
クレマンティーヌはなおも歯をむき出しにする。
食い込む刃がズレないように、彼女は腕に力を入れる。
少しずつ、少しずつ……刃は確実に奥へと食い込み、そして──何の手応えもなく、その刃は……クレマンティーヌの心臓を刺し貫いた。
「────っ」
瞬間、抱き締めたクレマンティーヌの四肢が跳ねた。
声すら出せないまま、緩やかに……その身体より力が抜けてゆくのを彼女は感じ取った。
……偽りの命、魔法に縛られた魂が解き放たれ、天へと還る。
赤く淡い光を放っていた瞳から、ソレが失われてゆくのが分かる。
合わせて、背中より抜き取った短刀はポロリと落ちて、空気に溶け込むように消えてしまう。
彼女は、その身体を……ギュッと、抱き締める。
──終わってしまう。
──本当の意味で、旅立ってしまう。
その事実を、彼女は改めて理解する。分かっていて、彼女はなおも強く抱きしめる。
もう、届かないと分かっていても、せめて終わるまでは温もりの中に居てほしいと思ったから。
「──っ、クレマンティーヌ?」
だからこそ……その魂が、完全に天へと飛び立つ……その直前。
冷たく、かさついた唇が、彼女の額に触れる。
キスされたのだと、驚いて顔を上げた彼女が目にしたのは。
「 」
それは、笑っていたのかもしれない。
それとも、悲しんでいたのかもしれない。
ただ、彼女は聞いた。僅かに動いた唇が形作った、彼女にしか感じ取れない言葉を……確かに、聞いた。
──あ
──り
──が
──と
──う
その5文字を、震える唇で表したクレマンティーヌは──直後、ガクンとその身体が崩れ落ちる。
慌てて抱き留めた彼女の眼前には、静かに目を瞑ったままの……物言わぬ亡骸だけが、そこに残されていた。
……。
……。
…………彼女は、その身体を抱き締める。
「うう、ううう、う~……うう~~……!」
そのまま、彼女は……涙を流し続けた。
冷たく固くなり始めたその腕がもう、抱き締め返してこないと分かっていても……彼女は、親友の胸に縋り付いて、涙を流し続けた。
それは……親友に送る、人間としての彼女の涙であった。
……。
……。
…………それから、彼女はしばらく王都を離れなかった。
理由は、単純にクレマンティーヌの遺骨を何処へ埋葬するか……それに悩んだからで。
二日、三日、四日……朝から晩まで悩んでも、これはという場所が思い浮かばなかった。
というのも、まず、王都において遺体は基本的に火葬され(場合によっては、神官の手で浄化してから)た後、各家の墓地か共同墓地に入れるようになっているらしい。
しかし、彼女は思うのだ。そういえば、クレマンティーヌは何処の国の生まれなのだろうか、と。
客観的に見れば、クレマンティーヌは生まれ育った国を捨てて逃亡し、彼女と出会うその日まで、様々な人たちの命を奪ってきた極悪人だ。
考えるまでもなく、犠牲者の関係者が住まう場所の近くには埋められない。万が一知られたら最後、墓を壊される可能性は高い。
というか、王都にも関係者が居ない保証はない。
犠牲者の事を思えば、墓を壊されても仕方がないとは彼女も思っているので、止めはしないが……それならそれで、穏やかな場所に作ってやりたいと思ったわけである。
……で、そんな時に思ったわけだ。祖国へ帰すのは、どうだろうか……と。
けれども、すぐに彼女は違うかなと思った。
だって、祖国に嫌気が差して飛び出して来たのに、生まれ育った国だからと戻すのも変な話ではないだろうか。
実際、祖国の事が大嫌いだとも話していたし。
とはいえ、縁も所縁も無い場所に埋めるのも、違うような気がする。というか、勝手に埋めて良いモノなのだろうか。
考え出すと、どうにも答えが出せないまま、王都の外に設置した『グリーンシークレットハウス』にて、唸るばかりであった。
……なので、だ。
突然の事ではあるし、ほとんど会話らしい会話をしていないけれども、人から人へと尋ね回り、王都で唯一の顔見知りである『蒼の薔薇』が拠点にしている宿屋を尋ねたわけであった。
「──よお、あんたがゾーイさんかい? ありがとう、アンタのおかげでこうして今日も飯と酒が楽しめるぜ」
そうして、案内された部屋に通された彼女は開口一番、男でもそうはいないぐらいに屈強な身体をした女……ガガーランより、感謝の言葉を貰った。
いきなりの事なので困惑したが、何てことは無い。
どうやら、色々と事後処理も一段落付いた『蒼の薔薇』は、お礼を言いたいが為に以前より彼女の行方を追っていたとの事だ。
けれども、探しても探しても見つからず、これはどうしたものか……と、考えていたところだったらしい。
なんという、すれ違いだろうか。
ただ、出会えなかったのにも理由がある。
それは、彼女は王都の宿を利用してはおらず、王都の外でハウスを使用しているからだ。
おまけに、貴族たちにちょっかいを掛けられるのが嫌なので、街道から少し外れた場所で使用していた。
対して、『蒼の薔薇』が探していた場所は、範囲や件数こそ広くて多いが、常識的な範囲である。
王都中の宿屋(安宿、高級宿、両方とも)を探し回り、酒屋や武器防具を取り扱う鍛冶屋を回り、名の売れている飲食店を回ったが、それでも見つからなかった。
なので、もうゾーイは王都を離れてしまったのか……そう思って諦めていたところに、わざわざ当人が尋ねに来たといった感じであり、ガガーランが喜ぶのも当然であった。
「あの、ゾーイさん。此度は本当にありがとうございました。おかげでガガーランもティアも、無事に蘇生する事が出来ました」
「気にしなくていい。貴方達は運が良かった、ただそれだけだ」
……で、だ。
『蒼の薔薇』のメンバーは、現在計5名。
リーダーの神官ラキュースと、女には見えない戦士のガガーラン。
暗殺者のティアと、あの時顔を合わせていない方の、双子のティナ。本当に、そっくりだ。
そして、魔力系魔法詠唱者である仮面の少女、イビルアイ。
これが、『蒼の薔薇』の構成メンバーである。
さて、それから簡単に自己紹介を終えてから……本当に、簡単にサラッと(最初から話すと長すぎるので)済ませた後。
イビルアイより何やら強い視線を感じながらも、改めて彼女は……その手に持った骨壺を『蒼の薔薇』の面々に見せると、用件を伝えた。
「ん~……詳しくは聞かないけど、祖国には戻さない方がいいのよね?」
「ああ、クレマンティーヌは自分の生まれ育った国が大嫌いだと言っていた。だから、祖国には戻さないつもりだ」
「祖国って、どこ?」
「知らない。話したくないと言っていたから、何処で生まれ育ったのかは知らない」
「判断材料少なすぎ」
「すまない、あまり気にしていなかったから……」
「いや、それはいいんだけどよ……さすがに、何処が駄目なのか分からないままってのは、こっちとしても候補を挙げられねえぞ」
リーダーであるラキュースを始めとして、『蒼の薔薇』の面々に質問された彼女は、思い出を振り返りながら答える。
まあ……祖国が分からないのに祖国は駄目っていう条件は、中々に難しい。
だって、下手に候補を挙げても、それが祖国でない保証がないからだ。
「……おそらく、『スレイン法国』だろう。名に覚えはないが、『疾風走破』の二つ名には聞き覚えがある」
その中で、ポツリ、と。仮面の少女イビルアイが、そう答えた。
「なんだ、有名なやつなのかい?」
「有名かどうかは別として、アダマンタイト級冒険者に引けを取らない実力者であるのは間違いない」
訝しむガガーランにそう答えれば、「マジで?」ティアとティナが同時に驚きの声を上げた。
ちなみに、アダマンタイト級というのは、冒険者のランクにおいて最高ランクとして位置づけされる……要は、それだけの実力があった、ということだ。
「素性や経緯は何にせよ、法国を飛び出して来たのであれば、法国から離れた場所が良いんじゃないか?」
「まあ、そうだよなあ……でもよ、そのクレマンティーヌって人は、けっこう色々とやらかしてきたんだろう?」
「ああ、本人がそう言っていた。少なくとも、これまで100人以上は殺していると……」
「……じゃあ、王都は駄目だな。ここは色んなやつらが居るし、どこで誰が関わっているか分からないからな」
そう言うと、ガガーランは部屋の奥へと向かい……大きくも年期を感じさせる色合いの……丸められた紙を持って来ると、それをグイッとテーブルにて広げた。
それは、地図だ。
この国を中心とした周辺国の地理が大きく記されていて……ガガーランの太い指先が、ツツーッと王都から街道へと動く。
「……と、なれば、法国からも王都からも離れた……『バハルス帝国』か、『竜王国』ぐらいか?」
そして、ピタリと指を止めた。
けれども、すぐに待ったの声が掛かった。
「『竜王国』は止めた方が良い。あそこは今、ビーストマンと戦争中。行くと、戦争に巻き込まれる可能性大」
「右に同じく。というより、あそこは遠過ぎ。行くなら『バハルス帝国』が良い。あそこなら、比較的安全な街道を通って行ける」
「……まあ、そこが妥当でしょうね。行くなら紹介状を用意するわね。それがあれば、王国領内の検問ぐらいはさっさと通れるようになるから」
次々に、『蒼の薔薇』は意見を出してくれる。
クレマンティーヌの素性を知ったうえでも、それはそれ、これはこれと意見や力を貸してくれることに、彼女は内心にて頭を下げた。
もしかしたら、『いくら恩人とはいえ、そんな大罪人など!』と断られる可能性を考えていたからこそ、余計に……と。
「……ところで、ゾーイさん。不躾な質問だったら申しわけないのだけれども、そもそも、何の目的で王都に来たの?」
ふと、思い出したと言わんばかりにラキュースより尋ねられた彼女は……そういえば話してなかった事に気付き、目的を話した。
「『アベリオン丘陵』? 帝国とは正反対になるわね……」
「あそこは亜人たちの巣窟みたいなものだろ? 何の為に、あんな場所へ行くんだい?」
想像していた目的とは違う事に目を瞬かせるラキュースを他所に、『アベリオン丘陵』のことを思い出したガガーランは、太い首を傾げた。
……実際、一般的には『アベリオン丘陵』なんて、よほどの目的が無い限りは足を踏み入れない場所だ。
何の準備も無しに向かえば現地の部族に捕らえられて食われるのがオチだし、そもそも、あそこは人間の領土ではない。
行っても金銭的な旨味は無いし、名誉を得られる何かが有るわけでもない。ガガーランの疑問は、もっともな事であった。
「それは……私にも分からない。ただ、行かなければならないと思ったから、そこへ向かっていた」
しかし、そこへ向かうと決めていた彼女も……その疑問には、答えられなかった。
「え、でも、仕方がないとはいえ『バハルス帝国』は反対側よ。その分だけ、アベリオンに向かうのが遅くなってもいいの?」
「ああ……それなら大丈夫だ。今は、行く理由が無くなったから」
「……今は?」
けれども、分かる事はある。
「何となくだが、分かるんだ。以前ならともかく、今は向かう必要はないと。むしろ、今は……バハルス帝国? とやらに、私の心がざわついている」
──だから、行き先が『バハルス帝国』だったら、都合が良いかもしれない
おそらくそれは、『調停者』としての感覚か……以前よりもハッキリ感じやすくなったその感覚に──っと。
「──調停者ゾーイ、一つ良いか?」
唐突に、直接質問された。
見やれば、何時の間にかテーブルの傍に来ていた仮面の少女が……そっと、『バハルス帝国』を指差した。
「出来うるならば、その『ざわつき』は、この地図の何処にそれを強く感じるのか……教えて貰っていいか?」
「どうしたいきなり?」
普段とは、違う行動を取っているのだろう。
『蒼の薔薇』の誰もが驚いた様子で互いの顔を見合わせる中、「分かった、教えよう」彼女は一つ頷くと……地図の上を、しばしの間指先でなぞった後……ふと、止めた。
「……位置的に、トブの大森林かしら?」
全員の視線が集まる中、ポツリとラキュースが呟いた。
そう、彼女が指差した場所は帝国ではなく、『エ・ランテル』の北側に広がる『トブの大森林』であった。
「……いや、違うな。ここには確か……開拓村があったはずだ。名前は……何だったか、カルネ村、だったか」
「開拓村? イビルアイったら、よくそんな場所を知っているわね」
「トブの大森林には色々あるからな、あの周辺は何度か見回った事があるだけだ」
そこで、イビルアイは顔をあげた。まあ、仮面を付けているので視線など分からないけど。
「ここに、何かあるのか? 役に立つかは分からないが、傍の『トブの大森林』に関してなら、幾つか知り得ていることを教えられるが……」
「いや、大丈夫だ。私の行き先は森林の奥じゃない。たぶん、この村の……そうだな、北東へと少し向かったところだ」
そう、イビルアイが提案してみれば、彼女は嬉しそうに笑みを零した後……静かに、首を横に振った。
「たぶん、ここに……やつが居る」
──アインズ。
そう、彼女は零して……『蒼の薔薇』より向けられる視線を前に、彼女は。
「アインズ、その単語には覚えがある。勘違いでなければ、ここに……『アインズ・ウール・ゴウン』のやつらが居るかもしれない」
その言葉と共に虚空を……カルネ村がある方角を、見つめたのであった。
ステンバーイ……ステンバーイ……ステンバーイ……