「はあ、はあ、ゆ、許してくれ……許してくれ……ああ、許して、ごめんなさい、許して、ごめんな──はっ!?」
──その日、自室のベッドにて目覚めた時。
「……まだ、悪夢は続いているのだな」
己の寝言によって目覚めた『鈴木悟』は、初めて己が己のままでいる事を辛いと思った。
理由は色々あるが、一番はアレだ。
つい先日、視察の名目で確認した、デミウルゴスが作っていたとされる『牧場』だ。
詳細を思い出したり語ったりすると、それだけで『鈴木悟』が寝込む期間が延びるので省くが……まあ、ざっくり言うと、だ。
──巻物の為に、とある生物の皮膚を生きたまま切り取る牧場……と言えば、想像が付くだろうか。
まあ、やっていたのはそれだけではない。どうやら、本来であれば互いに対して欲情しない種を無理やり交配させて子供を作る実験とかも行って……話を戻そう。
とにかく、それを目にした時……『鈴木悟』は正直、気絶しないでいられる己が不思議でならなかった。
アンデッドの特性により感情抑制が働いているおかげではある。
だが、それを持ってしても、『鈴木悟』は各部屋の惨状を目にした時、グニャグニャと視界が曲がり、足元が揺れている感覚を常に覚えていた。
その時……目の前の光景を、『鈴木悟』は信じられなかった。
『鈴木悟』とて、無知ではない。昔は家畜がどのように育てられ、処理され、食材として販売されていたのか……表面的な部分ぐらいは、知っていた。
だから、牧場の『家畜』が……どのような末路を辿っているのか、大まかには想像出来ていた。
……だが、甘かった。そう、甘かったのだ。
『鈴木悟』は、カルマ値が極悪の悪魔というものを、何処か甘く見ていたのかもしれない。
記憶の中のデミウルゴスは、かくも悍ましく恐ろしい悪魔である。だが、同時に、今は居ない仲間たちが作り出したNPCの一体でもある。
故に……心の何処かで、デミウルゴスにとっては人間など牛や豚といった餌でしかないと……いや、違う。
無意識に……考えないようにしていたのだ。
そう思えば想う程に、デミウルゴスを作った『ウルベルト』のことが……そうして、だ。
──『鈴木悟』は、見た。淡い赤き光を灯す眼孔の奥より、その地獄を見てしまった。
その瞬間……『鈴木悟』がその場にて嘔吐しなかったのは、単純に胃袋などの消化器官が存在しない、骸骨の身体だから。
仮に、『鈴木悟』が以前のままの身体であったなら、嘔吐しながら逃走するか、その場に失禁しながら嘔吐するか……そのどちらかだっただろう。
……言っておくが、一切の誇張はない。
その証拠に、お伴として付いて来たユリ・アルファは、目に見えて顔色を悪くした。ギクリ、と、その場で動きが止まった。
反射的に握り締めた拳がギリギリと軋み、瞳孔が細かく震えるほどに……凄まじい精神的ショックを受けているのが傍目にも分かった。
これを成したのが『ナザリック』であり、『守護者』であり、傍にアインズが居なければ……おそらく、悲鳴を上げながら救助に動いていただろう。
それほどに、牧場の光景はあまりに酷すぎた。
人ではない故に、『家畜』への同族意識の薄い彼女ですら、そこまで心をかき乱したのだ。
ナザリックを束ねるギルド長が、人の心を取り戻していたが故に、ナザリックの誰よりも精神的ダメージを受けたのは……正に、皮肉としか言い様がなかった。
……それから、『鈴木悟』はユリ・アルファに命じて、すぐさま牧場の解体を指示した。
生きている者は……王都より奪った金を渡すわけにもいかなかったので、ユグドラシル金貨を袋に入れて渡した。
金貨が使えなくとも、溶かすなり何なりすれば、金にはなる。経済的な影響がどれほどになるかが『鈴木悟』には分からなかったが、それしか思いつかなかったのだ。
次に……『鈴木悟』の目は、死者へと向けられた。
既に死亡している者は、全員手厚く丁重に弔った。中には己の腰にすら届かない子供の遺体もあって、それだけで出ない涙が出そうになった。
でも、それはまだマシだった。
生きてはいるが、精神的に廃人になっている者、もはや治療不可な者たちに対して、望むのであれば……『鈴木悟』自身の手で、安らぎを与えたのだ。
……理由は、他でもない。
知らなかった等という言い訳はもう、誰に対しても、何に対しても、言えないのだという事を、『鈴木悟』は理解していたからだ。
だって、許可を出したのは『鈴木悟』だ。
デミウルゴスが提案し、アインズ(モモンガ)が許可を出したとしても、そんなのは何の理由にもならない。
……己が仕出かしてしまった過ちを、己の手で清算しなければならない……そう、思ってしまったのだ。
幸いにも、モモンガの身体となった『鈴木悟』には、それを成す為の能力……魔法を、習得していたし、感覚的に使う事は可能であった。
だから、『鈴木悟』は己の義務を果たした。そうしなければ、それこそ……。
ナザリックの者たちに頼めば、ほとんどの者たちは嬉々として処分してくれるだろう。処分という名目で腹に納めてしまうNPCたちだって、大勢いる。
だが、そんな事はさせられない。というより、させたくない。
せめて、その身体を大地に返してやらなければ……その一心で、『鈴木悟』は魔法を幾度となく発動させ……痛みなく、家畜にされていた者たちに死を与えていった。
あとは……もう、あまり覚えていない。
道中、転ばなかったのは、『久しぶりに目に留まったから』という苦し過ぎる理由で装備していた杖で、こっそり身体を支えていたからだ。
それが無かったら、『鈴木悟』は牧場視察中に腰を抜かし、その場からまともに動けなくなっていただろう。
とにかく、牧場を破棄し、使役されていた悪魔(デミウルゴスが死亡しても、どうやら消えたりはしないようだ)を全て魔方陣の向こうへ帰らせたことまでは、覚えている。
それからは……ふらつく足取りで、ナザリックの自室にまで戻り……気付けば、『鈴木悟』は……ベッドの中で、ふっと目覚めていた。
これが、今に至るまでの経緯であった。
本来であれば眠る事が出来ないアンデッドが、実際は気絶なのかもしれなくとも、一時的に眠る事が出来たのは……それだけ、『鈴木悟』の精神に負荷が掛かってしまったからなのか。
(……アンデッドになって、初めて睡眠に近しいナニカを体験したかもしれないなあ……二度と、体験したくはないが……)
なんであれ、『鈴木悟』は最悪と言っても過言ではない目覚めの中で……心から、思い出したくはない光景を思い浮かべていた。
(ああ、嫌だ、嫌だ……)
そう、本当に思い出したくないのだと、『鈴木悟』は己の頭蓋骨を抱えるようにして、ベッドの中に隠れた。
……とてもではないが、牧場での一時は、最終学歴が小卒の『鈴木悟』の
けれども、それでも、思い出せる中で強いて当てはめる言葉を探すのであれば……あれは、地獄だ。
そう、『地獄』だ。
少なくとも、『鈴木悟』はアレ以上の地獄をこれまで目にしたことはなかった。現実世界以上の地獄があるなんて、夢にも思った事はなかった。
そして、そんな地獄を作り出したNPCを……かつては仲間の面影を感じるなと嬉しく思えていたなどと──ん?
ふと……ぬるり、と。
ナニカが、頭に触れた。生温かいそれが、頭に当てた己の両手にも広がるのを感じ取った。
えっ、と思った時にはもう、感触は液体のような何かに変わる。妙にべたつくそれに、『鈴木悟』は何とも表現し難い気持ち悪さを覚えた。
──雨漏り?
ナザリックにある鈴木悟の自室は、最下層の一つ上だ。
雨漏りするにしても、上は同じく地下なのだから……そう思いながら、何気なく濡れた両手を見やった『鈴木悟』は。
「──ヒッ!?」
思わず、ベッドから跳ね起きる勢いで飛び退いた。
そして、己の頭……いや、両手や胸元に広がっている。
「ちっ、血だ!? 血が、こんなに!!??」
今の己には存在しない液体を前に、『鈴木悟』はそのまま仰け反って──ベッドから転がり落ちる。
けれども、構う余裕はない。
天井を見上げても、血が垂れた痕はない。
同様に、己の身体から血が出ているわけでもない。
何故か、骸骨の身体が血に塗れている。
何者かの手でされたのか、気付かないままだったのか。
それを考える余裕など、ない。
濃厚な鉄臭さが、『鈴木悟』の脳天を震え上がらせる。
──血だ、血が、血がいっぱい、こんなに血が!
──と、とにかく洗わないと、血を流さないと!
完全にパニックになった『鈴木悟』は、忙しなく周囲を見回した後、アイテムボックスより『無限の水差し』を取り出し……ジャバジャバと身体に掛ける。
けれども、それでは身体を上手く洗えない。
なので、魔法にて、引っ掛けがある歪な台を作った『鈴木悟』は、『無限の水差し』を取りつけ……シャワーを浴びるように、シャバシャバと頭から浴びる。
──血だ、こんなに血が。
──綺麗にしないと。
──もっと、もっとだ。
ピッチャーの口より出る量は、お世辞にも大量ではない。
苛立ちを覚えるほどの焦れったさを堪えながら、『鈴木悟』は……特に汚れている両手を洗う。
──真っ赤だ、両手が。
──血だ、もっと、水を。
──流さないと、綺麗にしないと。
真っ白な骨の両手から、水混じりの鮮血が滴り落ちる。
よほど強固にこびり付いていたのか、洗っても洗っても手が綺麗になる様子はなく、赤い飛沫がパチャパチャと足元の水溜りに落ちる。
──血だ、血がこんなに。
──綺麗にしないと。
──血が、血を綺麗に。
──そうだ、綺麗にしないと。
──早く、洗い落さないと。
──もっと、もっと。
──綺麗に、もっと洗い流せ。
──もっとだ、もっと。
──もっと、もっと。
もっと、もっと、もっと、もっと。
流せ、流せ、流せ、流せ、流せ、流せ。
血が、こんなに。綺麗に、流せ、血が、綺麗に、こんなに、流せ、血が、もっと、綺麗に、流せ、こんなに、流せ。
──もっと。
──もっと綺麗に。
──もっと綺麗に洗え。
──早く、もっと綺麗に。
──洗わないと、洗わないと。
──もっと綺麗にしないと。
──駄目だ、もっと、もっと。
──綺麗に、綺麗に、きれ
「アインズ様!? 如何なされましたか!?」
──その、瞬間であった。
傍より掛けられた呼びかけに、『鈴木悟』はハッと我に返る。
慌てて振り返れば、驚いた様子で視線をさ迷わせている……ユリ・アルファが立っていた。
「ゆ、ユリ? どうして部屋に……」
とりあえず、理由を尋ねる。
何故なら、全NPCたちにはよほどの非常事態を除いて、自室に来るのを(同じ階層にすら、立ち入り禁止)禁じていたからだ。
例外は、『ユリ・アルファ』と『シズ・デルタ』……あとは、『セバス・チャン』ぐらいだ。
ペストーニャは、実際にこの目で確認していないので、判断は保留に……と、そうじゃない。
「も、申し訳ありません。その、アインズ様が自室に籠ってから5日間ほど経ちましたので、何かあったのではと一同心配しておりまして……」
「え、5日間も!?」
思わず、『鈴木悟』は目を(というより、眼光だけど)見開いた。
気絶なのか眠っていたのかは不明だが、しばらく意識を失っていたのは自覚していた。しかし、感覚としては小一時間程度だと思っていた。
それがまさか、5日間も経っているとは。
自室に時計が無いことに加え、アンデッド故に時間の感覚に鈍くなったのか……何にせよ、気になって覗きに来るのも致し方ないと『鈴木悟』は思った。
「……あ~、いや、すまない。少々、考え事と魔法の実験をな。夢中のあまり、時を忘れていたようだ」
「まあ、それは……えっと、魔法……ですか?」
「うむ、特殊な魔法を、な。実験段階ゆえに詳細は語らないが、おかげで室内が水浸しだよ」
「それは……アインズ様、どうかご自愛なさいませ。このユリ・アルファ、御身の為ならば如何様にも……」
「え、あ、うむ、気持ちは受け取っておこう。とにかく、自分ではどうも止めるタイミングが無かったのだ、良いキッカケになった」
──とりあえず、それっぽい言い訳をして誤魔化そう。
下手に黙秘を続けると、NPCたちがどんな行動を取るか分かったものではない。特に、気を付けねばならないのはアルベドだ。
なので、魔法の実験とでも言い訳を作れば、アルベドのみならず、NPCたちも勝手に各々の想像で納得するだろう。
アルベドは……正直分からないが、時を忘れる程に集中している実験を邪魔して不興を買うようなNPCではなさそうだから……と。
「……あの、アインズ様」
「ん、な、なんだ?」
思考の渦の中に、ユリの声が響く。
何とか威厳を意識しながら返事をすれば、ユリの視線が……濡れた身体を上下した。
「お召し物もそうですが、床もずいぶんと水浸しになっております。差し支えなければ、メイドを寄越して掃除致しますが……如何致しましょうか?」
「……あっ」
言われて、ようやく『鈴木悟』は己の惨状に意識が向いた。
率直に言って、酷い有様であった。
ベッドに飛び込む前に着替えたのか、何時もの『グレート・モモンガ・ローブ』ではない。
見覚えはあるけど、もっと質素で……言うなれば、現実(リアル)にて皆が着ていた衣服に雰囲気が似ている、『聖遺物級(レリック)』のコートであった。
そして、肝心の『グレート・モモンガ・ローブ』は……部屋の隅にて無造作に置かれている。
以前の『鈴木悟』であれば、装備が盗まれたらどうすると大絶叫を上げるところだが……不思議と、今の『鈴木悟』は、何も感じな……と、そうじゃない。
とにかく、今の『鈴木悟』は、酷い有様だ。
対水耐性が無いのだろう。『
……いや、もはやソレは、水たまりなんて範囲ではない。
敷き詰められた絨毯はスポンジのように水を含んでおり、立っているだけでジュワッと水気が滲み出ているのを感じる。
相当に長い間、浴び続けていたのだろう。
視線を向ければ、吸収しきれなかった水は室内だけでなく、廊下まで漏れ出ているのが、開け放たれた扉の向こうに確認出来た。
……これは、ますます仕方がない。
NPCたちの忠誠心は別として、だ。
『鈴木悟』とて、いくら上司より『立ち入り厳禁』と言われていても、中に入って5日も出て来なかったら、そりゃあ心配になって覗きに来るぐらいはする。
まだ、覗きに来たのがユリで良かった。
これでもし、色々と理由を付けたアルベドが来ていたらと思うと……改めて己の馬鹿さ加減に辟易した『鈴木悟』は、ジロリと室内を見回す。
「……そうだな、では、頼めるか? それと、実験の際に血液を使った。絨毯にもかなり付着してしまっているだろう。掃除に時間が掛かるようであれば、言ってくれ」
「──血液、ですか?」
チラリと、水浸しの足元を見やったユリは、軽く首を傾げ──直後に、ハッと我に返ると。
「──畏まりました」
深々と、ユリは『モモンガ』に向かって一礼した。
「……それでは、まずはお身体を拭いて、続いてお召し物を……」
「ああ、それならそこの──」
流れる様に、部屋の隅に転がっている『
「──いや、これにしよう」
して、気付けば『鈴木悟』は……アイテムボックスより、落ち着いた色合いのローブを取り出した。
(あれ? 俺、なんでアレを……)
──着たくない、そう思ったのか。
『鈴木悟』自身にも分からなかったが、どうしてかソレを目にした瞬間、嫌悪感を覚えた。
なので、『鈴木悟』は……チラリとソレを横目にしただけで、そのままユリへと視線を戻した。
「すまないが、着替えたい。少しばかり部屋を出て貰えるか?」
「それでしたら、お手伝いを──」
「え、あ、いや、それには及ばん。不自由を楽しむのもまた、今を楽しむコツなのだから」
自分でも意味不明な事を言っている自覚はある。
だが、NPCたちには、直接拒否をするよりも、こういった意味不明な言い返しをした方が、不思議と納得して身を引いてくれる。
「──畏まりました。それでは、廊下にて待機しておりますので」
実際、ユリは何か深い感銘を受けたかのように尊敬の眼差しを『モモンガ』へと向けると、一礼して部屋を出て行った。
……。
……。
…………一つ息を吐いた『鈴木悟』は、ふと、己の両手を見やる。真っ白な骨の両手を前に、ホッと安堵のため息を零した。
(……良かった、血は落ちたようだ)
血が中々落ちないというのは、リアルでも経験していた。少量でも、乾いて時間が経つと特に落ちにくいという話も、耳にはしていた。
なので、中々にこびり付いてしまっていた両手を見て、これは3,4日は取れないかもと焦ったが……綺麗に取れたのであれば、なによりだ。
……ただ、身体から汚れが落ちたということは、その分だけ床に広がったというわけだが。
(メイドたちには悪い事をしてしまった……)
考えれば考える程に憂鬱を覚えた『鈴木悟』は、心の中でメイドたちに謝りつつ……思考を切り替える。
(……とにかく、デミウルゴスが作った『牧場』は閉鎖させた。今後、俺の目が届いているうちは二度と作らせない……新たな犠牲者は出ないだろう)
思い出すだけで背筋がゾワゾワしてくるが、何とか我慢出来る範囲だ。
5日間も眠って(気絶?)いたおかげか、あるいは抑制が働いているおかけが、当初の時ほどに心がざわつかない。
(攫ってきた人たちは……出来うる限り、生きている者たちは全員戻してやりたいが……)
それが良い事なのか、悪い事なのか……現時点での判断は出来ないが、震えて動けなくなるよりはマシだと、『鈴木悟』は己に言い聞かせた。
(……そういえば、王都から奪って来たのは人だけではなく、物資や金銭も……だったな)
(単純に3000人分の資産じゃない。たしか……『八本指』が溜め込んでいた分も合わせてだから、相当な金額になる)
(それを王国へ返せば……いや、駄目だ。俺の頭では、NPCたちを納得させるだけの理由を思いつけそうにない)
(直情的に動いてしまえば、NPCから不審の目で見られかねない。なにせ、『ゲヘナ』ではデミウルゴスが死んだからな)
(NPCたちからすれば、仲間が死してまで得た成果をそのまま元に戻すようなものだ。いくら『モモンガ』を絶対視しているとはいえ、下手に動けばナザリックという組織が崩壊しかねない)
(それに、それだけでは駄目だ)
(すぐには返せない以上、王国が受けたダメージの長期化は確実……その間にも、疲弊した王国の人達は……何とかして、一時的だけでも援助する必要がある)
──だが、どうしたらいい?
思わず、『鈴木悟』は胸中にて唸った。
何せ、口実として便利だった『冒険者モモン』は、もう使えない。
あの時……ゾーイと共に居合わせた仮面の子供(?)が、モモンの正体を知っているからだ。
それ故に、今のモモンは冒険者モモンでもなければ、英雄モモンでもない。
悪魔の一味であり、人間の営みに潜入していたスパイのモモンだ。つまりは、人々を騙していた偽りの英雄となってしまった。
かといって……『鈴木悟』の脳裏を過る、NPCたちの姿。
NPCたちは、ごく一部を除いて、人間たちに対して餌か玩具程度の感覚でしか見ていない。
いや、それどころか、中には存在すらしてはならないとまで考えているNPCも……居る可能性だって、否定出来ない。
(と、なれば、新たなキャラクターを作る必要が……しかし、どうするか。今はまだモモンの事があるから、同じように顔を隠した冒険者なんぞ、警戒されるだろうし……)
──少なくとも、『完璧なる戦士』を使った偽装は駄目だな。というか、冒険者はもう諦めた方が良いかもしれない。
(そうなると、このまま……あ、いや、待てよ)
最悪、ユリかシズのどちらかが外部に……と、考え始めていた『鈴木悟』の背筋を、電流にも似た閃きが走った。
(カルネ村だ。カルネ村は、アインズとしてなら、俺が出て行っても大丈夫な場所だ。下手に土地勘も何も無い他所の国よりも、はるかに動きやすい!)
続いて……『鈴木悟』は、今の王国が、『ゲヘナ』を通じてどのような問題が生じているかに目を向ける。
(物資や金銭がごっそり減ったとなると……真っ先に困るのは、食料か!)
その瞬間、『鈴木悟』は……何も見えなかった道に、小さな道が姿を現したような気がした。
(食糧なら……たしか、マーレがドルイドの職業を習得していたな。スキルは覚えていないが、食糧生産に関する魔法なりスキルなりを習得している可能性は高い)
──『マーレ・ベロ・フィオーレ』
守護者であり、『頼りない大自然の使者』の異名を持つNPCだ。ダークエルフではあるが、他のNPCに比べて……まだ、中立的……だとは、思う。
加えて、マーレは精神的におとなしいというか、何処となく気弱な雰囲気をよく『モモンガ』に見せていた。
ならば、強く命令すれば……内心はどうあれ、そういうものだと納得して、しっかり言う事を聞いてくれる可能性が高い。
それに、なによりも……マーレならば、『モモンガ』に対して反旗を翻す可能性が……かなり低いと、『鈴木悟』は思った。
(これまでは、とにかく外にバレないようにと動いていた。少ないながらも、それが『ゲヘナ』を後押しする理由にもなった……が、しかし、今はコソコソしていられる状況じゃない)
正直、NPCたちの前に出るのは非常に勇気がいる。束になって向かって来られたら最後、『鈴木悟』はすぐに殺されてしまうだろう。
だが、それも言っていられる状況ではないし、なによりも……今の己は、そんな事を言える立場ではないと『鈴木悟』は……強く、強く、強く……己を戒める。
(王国の人達が飢えて倒れてしまえば手遅れだ……償いの為にも、少しでも早く食料を生産して王都へ寄付しなければ!)
──ヨシッ!
そう、ひとまずの方向性を定めた『鈴木悟』は……ふと、我に返って視線を落とし。
(……その前に、まずは着替えるのが先だな)
堪らず、苦笑した『鈴木悟』は、濡れたローブをゆるりと脱ぎ捨てた。
『鈴木悟』には見えていたのデス
真っ赤に濡れた、己の両手が