それから……数日後。
良く晴れた午前、村人たちが日常的な農作業に勤しむ中……彼女と悟は、村はずれにポツンと設置された墓の前に居た。
それは、本当に小さな墓であった。村の共同墓地として使用されている墓石の、十分の一にも満たない小さな墓石だ。
間違って誰かが蹴飛ばさないようにと、周囲を囲うように石で小さな外柵を設けられてはいるが、それだけだ。
薄く日は当たるが、ともすれば見落としてしまいそうな……そんな離れた場所に、クレマンティーヌの墓は作られた。
墓石に刻まれた墓碑銘も、小さな墓石に合わせて簡素なものだ。
クレマンティーヌの名と、『安らかに眠る』という一文が刻まれただけの……それを前に手を合わせていた2人は、おもむろに顔を見合わせた
「では、アインズ。クレマンティーヌを頼む」
「それは構わないけど……本当に、俺に管理を任せるつもりなのですか?」
「構わない。彼女は、貴方の罪の象徴。そこにある限り、それを貴方が目にする限り、貴方の心を人へ戻してくれる」
「……俺は、加害者だぞ」
「それでも、だ。それに、私は……いや、それよりも、話していたとおり、しばらくこの村に留まってから、ナザリックにいったん戻るつもりなのか?」
尋ねられた悟は、骸骨の顔で頷いた。
しばらく、作物の育ち具合というか、進捗を見守った後に戻る予定だ。
本当はもっと早く戻るべきなのだろうが、そうも言っていられない事情が露見したからだ。
──それは、この計画の要であるマーレが、人間に対して欠片の関心も抱いていないという問題だ。
ナザリックの面々は大なり小なり人間に対する敵対心(あるいは、侮蔑)を抱いている。
それが如実に現れるかどうかは個々のNPCの性質によって異なるが、正直、『鈴木悟』……いや、悟は、マーレはそうでもないと思っていた。
他のNPCに比べて特別人間を見下した発言もしないし、餌扱いもしていない。
何処となくオドオドとした態度を取る事が多い事もあって、ナザリックの中では優しい方なのでは……と、思っていた。
……だが、蓋を開けてみたら……とんでもない。
優しいどころか、ある意味では守護者たちの中で一番残酷なのではと思ってしまうぐらいに、ぶっ飛んだ性格をしていた。
例えるなら、傍の木にへばり付いている昆虫を眺めるような感覚だろうか。
無関心であるが故に、心底人間たちがどうでもいいのだ。
今は悟(アインズ)の命令を受けているからカルネ村に来ているが、例えばそれが村人の皆殺しに変われば、マーレは顔色一つ変えずにそれをやるだろう。
喜ぶのでもないし、嫌がるわけでもない。ただ、部屋に入った土埃を箒で掃除する程度の感覚。マーレにとって、人間とは何処までいってもその程度なのだ。
当然ながら、それは作る作物とて同じこと。
仮に、出来うる限り美味しい野菜を作れと命令すれば、マーレは嬉々としてやるだろう。村人たち全員を中毒に引きずり込むほどの、麻薬染みた美味なる野菜を。
マーレからすれば、命令に従っただけだ。その結果、人間たちに如何な副作用が出たところで何の問題にも感じない。
10人の被害者が出ようが、10万人の被害者が出ようが、マーレにとっては悟に褒めて貰えるかどうか……それが全てであり、地を這う蟻と同程度の感覚でしかないのである。
ある意味、デミウルゴスとは方向性は異なるが、ソレに通じる氷のような残酷さだ。しかも、このマーレ……それでいて、変な所で非常に頑固なのだ。
なにせ、悟の言う事は内容に関係なく即答して従うというのに、メイドたちには違う。嫌だとか面倒だとか思ったら、梃子でも考えを変えないのだ。
これはマズイぞと、悟が危惧したのも当たり前である。
本音では人間などどうでもよいと思っているマーレが、何処で加減を誤ってヤバい物を作り出すか分かったものではない。
キツく言い含めようにも、それはそれでどのように誤解が生じて変になるかも分からない。
マーレの姉であるアウラを連れてくれば話が早いのだろうが、それはそれで、姉弟を揃えるのは怖い。
何故なら、アウラとマーレの二人がその真価を最大限に発揮するのは、2人が揃った時である。
それに、下手に守護者をナザリックの外に出せば、それに便乗して来そうなNPCに2人ほど心当たりがあった悟は、仕方なくマーレを監視する必要があった。
(──思い返せば、ナザリックに土を掛けて隠す事を躊躇なく提案したのもマーレだったな。思い切りが良いというか、なんというのか……)
とはいえ、それでも余りあるぐらいにマーレが優秀なのは事実。
一つ当たりの質を落とせば、短期間で大量に作物を用意出来るので、これも致し方ない事だと悟は納得していた。
「『世界樹の種』はあると思うか?」
──『世界樹の種』。
それは、ユグドラシルにおいて唯一の、『種族:アンデッド』を別種族へ変更させる事が出来るアイテムである。
この世界には他に方法があるのかもしれないが、少なくとも、ユグドラシルにはこれしか方法がない。
悟がいったんナザリックに戻る理由が、コレだ。宝物庫の中に有れば良いが……可能性は、非常に低いだろう。
なにせ、このアイテム……種族を変えるだけだというのに、実はワールドアイテムに分類される超希少なアイテムなのだ。
アイテムコレクターの気がある悟からすれば、一度でも所持していたら記憶の片隅にぐらい残っているはずなので、それが無いということは……なので、だ。
「それは、分からない。少なくとも、俺のアイテムボックスにはありませんでした」
悟としては、そう答えるしかなかった。
「でも、探していない場所があります」
しかし、全くの希望が無いわけではなかった。
「ナザリックには、まだ俺が把握出来ていない場所が幾つかある。もしかしたら、そこに現物のまま放置されている可能性がありますので、そこに期待を込めます」
「なるほど、宝物庫でも探るのか?」
「いえ、ギルドメンバーたちの私室です」
キッパリと、悟は答えた。
「各々のアイテムボックス内に保有したままであれば不明ですが、インテリア感覚で室内に設置していたり、整理するのが面倒で放置したままになっている可能性があります」
「……そういうことが、あるのか?」
「全盛期ならいざ知らず、晩年になると俺たちのギルドに攻め込んでくる者はいませんでしたから……私室内であれば、特に対策を取らなくとも盗まれる心配がありませんでした。だから、可能性は0ではありません」
そう言いながら、悟は……静かに空を見上げた。
思い出が、薄く輝く眼孔の奥に過っているのが、彼女の目には見えた。
「数か月に一回ログインして、タイミングが合わないままログアウトってのはザラでしたし、実際、俺の知らない間にメンバーの一人がアルベドにワールドアイテムを持たせていましたから」
「ワールドアイテムを所有していても、報告しなかったと?」
「可能性はあります。晩年は俺もほとんどアイテム関係には課金していませんでしたし、その課金アイテムもプレイヤー間で安く取引されていましたから」
「……なるほど」
それで、聞きたかった事を聞き終えたのだろう。
最後にクレマンティーヌの墓に頭を下げた彼女は、次いで、悟へ背を向ける。その背中を、悟は黙って見送──ろうとして、おやっと首を傾げた。
理由は、他でもない。颯爽とこの場を離れようとしていた彼女の足が、突如ピタリと止まったからだ。
行き先は……既に聞いている。悟も名前でしか確認していないが、『バハルス帝国』と呼ばれている国だ。
何故、帝国に向かうのかまでは聞いていない。
まあ、それとなく聞いたところで、『どうも、心がざわざわする』という理由なので、聞いたところで悟には分からなかったが……で、だ。
「……どうしました?」
「そちらに向かうのはまだ早いと、内なる私が訴えている」
「……? よく分かりませんが、このまま村に残るのですか?」
「いや、そうではない。『ざわざわ』が、増えたのだ。どちらも今はまだ大丈夫そうだが……しかし、どちらに向かうべきか……」
首を傾げる悟に対して、彼女は静かに首を横に振った。
この、『ざわざわ』とかいうやつは、当人もよく分かっていない不思議な感覚なのだろう。
「とりあえず、近い方に行けば良いのでは? 歩いて帝国に向かうとなると時間が掛かりますし、違うと思ったら帝国に向かえばロスは少ないと思います」
「そうか……そうだな。確かに、近い方を先に見てから、帝国に向かった方が効率的だな」
悟の言葉に、迷いが晴れたのだろう。
朗らかに笑みを浮かべる彼女を見て、悟も内心にて(骸骨なので、表情にほとんど出ない)笑みを浮かべた。
彼女は、こんな自分を想って動いてくれている。
もちろん、必要となれば彼女は己を殺すだろう。
しかし、その事に対して、悟自身に異存はない。
それも、仕方ないと思うからだ。そして、そうなった時、己はもう今の己ではなくなっている。
そんな自分が、自分の為に動いてくれている彼女の悩みを少しでも解決出来たら……そう思ったがゆえの提案であった。
……が、しかし、悟は気付いていなかった。
「しかし、良いのか?」
「え、何がですか?」
まさか、彼女の語る近い方というのが。
「近い方というのは、ここから……そうだな。方向から考えて、確実にあそこだと思うのだが」
「あそこ? それって……え、いや、ちょっと待ってください。近い方って、もしかして……っ!」
色々と察して狼狽し始めた悟を前に、彼女は……無言のままに村の外、森の奥へと指差した。
「お察しの通り、『ナザリック地下大墳墓』だ」
──えええええええ!!!!!??????
ぱっか~ん、と。
悲鳴こそ上げなかったが、今にも外れんばかりに大きく開かれた
(は、早い! 早くない!? いくらなんでもフラグ回収早すぎじゃない!?)
骸骨の身体と抑制によって、その驚きの大半がすぐさま抑制されたが、それでも、内心は吹き荒れる感情の嵐によって動揺しまくっていた。
だって、早いのだ。実際、早過ぎる。
つい数日前に覚悟を固め、それから彼女に村の中を見て貰い、その過程で村人たちの間に広げられていた誤解を解いて行き。
その過程で、いちいち付いて来ようとするメイドたち(マーレも同様)に、カルネ村内ではこちらから呼ばない限りは離れているように厳命し。
クレマンティーヌの埋葬地を決めて、墓石に墓銘を刻んでもらい、一区切りを終えて……さあ、これから……という時に、コレである。
(あ、アルベドか!? それともシャルティアか!? あいつら何をしたんだ!? いや、何をしようとしているんだ!?)
内心では、半ばパニック状態。しかし、傍から見れば、慌てふためく悟のその姿は、不敵に笑う骸骨そのものである。
だから、普通にその姿を見た限りでは、この本性を見破る事は不可能に近い。
おそらく、支配者ロールを続けていた後遺症だろう。あるいは、日夜支配者っぽく練習していたからなのかもしれない。
まあ、どちらにせよ……この場に、それを知る者は……骸骨当人を除いて誰も……いや、彼女は気付いていた。
「……向かっても良いのか?」
しかし、今の彼女は驚く理由を理解出来ても、その内心までは察せられなかった。いや、というより、壁一枚挟んだ他人事のような感覚でしか認識出来なくなっていた。
「ちょ、ちょっと待ってください! その、アルベドたちからナザリックの状況を確認致しますので!」
「そうか、分かった。少し待とう」
だから、彼女はかなり慌てた様子で『伝言』を使い、ナザリックの者たちと連絡を取り始めたその姿を見ても……何だか慌てているなあ……という程度の感覚であった。
──アルベド、お前は今何をしている……いや、世辞は良い。何をしているのかを簡潔に話せ。
──なに? 人間をナザリックに引き込む? その計画を進めている?
──どういうことだ? お前たちの事だから意図は想像出来るが……私は了承するつもりはないぞ。
──ふむ、ふむ、ふむ。
──確かに、お前の言う通りだ、アルベド。
──それは、ナザリックの利益に繋がる。大義名分も出来るだろう。
──だが、私は気乗りしない。どんな物であろうといずれ壊れるにしても、余所者をナザリックに入れるつもりはない。
──どんな利益であろうと、土足で踏み入れられたくないのだ。
──なんだと、パンドラが考えただと?
──どういうことだ、いや、そうじゃない。パンドラがそんなことを……?
──少し待て。区切りをつけ次第、一度ナザリックへ帰還する。それまで、その作戦は進めるな。
なので、だ。
「……大変だなあ」
動揺するあまり、虚空に向かって『伝言』の会話をそのまま口走っている、悟のその姿を見て。
「……?」
半ば無意識的に、己の腕を摩っていた事に気付いた彼女は……軽く、首を傾げていた。
そりゃあ、ゾーイが中で暴れ始めたら余波でアイテム壊されちゃうし、その中に世界樹の種があったらヤバいってもんじゃないものね