今更語るまでもない話なのだが、あえて語ろう。
彼女が所有する『グリーンシークレットハウス』は、この世界の如何なる財力を持ってしても再現出来ない、非常に快適な空間である。
何処がどう快適かって、全てが快適なのである。
運営側の力は伊達ではなく、また、立場上一般的なプレイヤーの中に紛れるようなことはしなかったが彼女(当時は人間の男)は、とにかくハウスの中を改装しまくった。
ぶっちゃけ、完全に趣味の領域である。例えるなら、ひたすらクッキーをクリックするような感じだろうか。
当時は、前世の前世(ややこしい)の記憶が薄れないように、あるいは、日記代わりに残しておきたい……そんな思いもあって、彼女はひたすらに情熱を注ぎ込んだ。
……その結果。彼女が帝国に戻って、五日後の朝。
最初は明後日である二日後を予定していたが、思っていた以上にヘッケラン、イミーナ、ロバーデイクの疲労が重く、イミーナが体調を崩した事もあって、更に三日の休養期間の後。
「……アルシェ、何があったんだ?」
バハルス帝国の請負人たちが集う酒場兼宿屋の『歌う林檎亭』。
その、1階の酒場にて集合した『フォーサイト』……の、リーダーを務めているヘッケランは、開口一番に、ポツリと呟いた。
そして、それはヘッケランだけではない。
ようやく体調が回復したイミーナも、ロバーデイクも、同様の疑問を覚えていた。どうしてかといえば、答えは一つ。
「……その、ゆっくり休んだから」
向けられる視線の意味に、気付いているのだろう。
あるいは、後ろめたいナニカを覚えてしまっているからなのか、アルシェは気まずそうに仲間たちから視線を逸らした。
……3人が驚いたのは、他でもない。
それは、何時もの待ち合わせ場所にやってきたアルシェの風貌が、以前とはあまりに異なっていたからだ。
別に、顔の形が変わっていたわけでもない。派手な化粧をしているわけでもないし、同様に衣服が豪華になっているわけでもない。
ただ、結果的に綺麗になっていた。
より具体的に述べるならば、五日前にはなかった活力と瑞々しさが、アルシェの総身より滲み出ていたのだ。
まず、顔色が良い。
美形ではあるが痩せていて顔色も良くなかった以前とは違い、頬はほんのりと赤く、ローブの胸元より伸びる首筋には、栄養が行き届いているのが見て取れた。
次に、髪の色つやが良い。
栄養状態が改善したからなのかは不明だが、明らかに違う。以前は煤けた金髪といった感じだったのが、今は黄金のようにきらめいている。
……もちろん、3人は知る由もないことだが、原因は言うまでもなく『グリーンシークレットハウス』である。
アルシェは、この五日間、ず~っとそこで生活していた。
この世界では金貨の山を並べても得られない、前世においてもごく一部の者たちしか味わえない、極上空間で身体を休めた。
乾いたスポンジに水を垂らすかのように、若さで誤魔化していた身体に、適切な栄養と休息を与えられたのだ。
その結果、アルシェの身体は劇的に改善された。たった五日間とはいえ、10代の若者の回復力を舐めてはいけないのだ。
そして……なによりも3人にとって、アルシェの印象が以前と変わったと思う理由は。
(……アルシェって、こんなふうに笑える子なんだな)
それは、アルシェが……穏やかに笑っているからだった。
その理由を……言われずとも察した3人も、穏やかに笑った。
アルシェが請負人になった理由は、借金だ。
『フォーサイト』に所属したのは今より2年前だが、その時点でアルシェの肩には普通に働けば十数年は掛かる莫大な借金が圧し掛かっていた。
しかも、現在進行形でそれが増え続けていた。
返しても返しても、増え続ける借金。そのせいで優秀な成績を治めていたのに学校を辞め、請負人に成り、幾度となく死の危険を味わってもなお、借金は返せなかった。
全ては、親への愛情、お世話になった者たちへの恩がアルシェを縛り付けていた。
けれども、アルシェは踏ん切りを付けた。
義理は全て果たしたとして、今回の仕事にて得た報酬をお世話になった者たちに払い、その後は妹たちを連れて他所へ行くと明言していた。
だから、言うなれば……肩の荷を下ろした、といった感じだろう。
これから先、仕事を減らしつつも請負人を続けるのか、他所へと移って全く別の仕事に就くのか、それとも他の当てがあるのか、それは3人には分からない。
ただ、どこか張り詰めていた緊張の糸が切れて、穏やかに笑うアルシェを見て……誰もが、その未来に幸あれと願わずにはいられなかった。
……。
……。
…………ちなみに、だ。
恩人的な立場とはいえ、ほぼ部外者な己が出張るわけにもいかないと思った彼女は、『歌う林檎亭』の出入り口にて、こそっとアルシェたちを見守っていた彼女は、うんうんと頷いていた。
その姿は、前世の前世の言葉で言うなら、アレだ。
後方壁際にて腕組み師匠面(ワシが育てた系)……まあ、言葉はなんであれ非常に怪しく、周囲から不審な眼差しを向けられていたが……この時の彼女は全く気付いていなかった。
──だからこそ、だ。
「はあ? こんなワイン一つで証拠になると思っているのか? 嘘を付くならもう少しマシな嘘を付け!」
請負人……つまりは、『フォーサイト』に依頼を出した貴族の屋敷に赴き、証拠の品である『ワイン』を提出して、さあ報酬を頂いてオサラバしよう……そんな時であった。
まさかの──踏み倒しである。
疑うのではなく、始めから全てを否定した。言うまでもなく、払う気など無かったのは明白な口ぶりであった。
これには、『フォーサイト』も激怒した。
当然だ、やることをやったのに払わないというのは、殺されても文句が言えない恥知らずだからだ。
しかし、貴族の……依頼を出したぞの貴族は、そんな『フォーサイト』の怒りを前にしても、鼻で笑って受け取らなかった。
貴族にとっては所詮、はみ出し者の請負人でしかない。
いくら請負人たちの中では上位に入るチームとはいえ、国家権力の前には勝てない。貴族である己が本気を出せば、何時でも合法的に始末する事が出来る。
怒りに任せて向かって来るのであれば、傍に控えている騎士たちを動かせば良い。なんなら、そのまま『ワイン』も没収出来る。
諦めて去ってくれるのであれば、それでも良い。『ワイン』は気になるが、所詮は出所不明なモノ……後で幾らでも罪状をでっち上げられるから、その時に押収してしまえば良い。
そう思っていたからこそ、貴族は強気だった。傍で控える騎士たちも、下に見ている請負人たちを端から信用していなかった。
だから、向かって来るなら一切の同情なく切り捨てるつもりだったし、部屋の外で控えている者たちも同様に考えていた。
それを理解しているからこそ、『フォーサイト』の面々は歯痒く睨みつけることしか出来なかった。
相手が1人2人ならともかく、貴族を敵に回せば最後、後に出て来るのは国家だ。幾らなんでも、国家相手に勝ち目など無い。
ゆえに、『フォーサイト』は諦めかけていた。
ヘッケランも、イミーナも、アルシェも……怒りに頬を紅潮させ、目尻に涙を滲ませ、視線だけで相手を倒せたら……そんな思い、受け入れるしかなかった。
「まったく、高い前金を払っておいた結果がコレか。むしろ、前金を返せと言わない、私の慈悲深さに感──ひぃ、ヒィィ!!??」
──だが、しかし。
そんな完璧な計画に、一つの誤算が有った。
「……私の聞き間違いなら謝ろう。今、貴方は、何を言ったのだ?」
貴族たちの誤算が、一つ。
ここには、そんな国家権力では到底抑えられない理不尽の化身が、『嫌な予感がするので……』と、無理やり付いて来ていて。
「彼らは貴方の依頼を果たした。正当に仕事を終えた彼らに対して、貴方は正当な支払いを行わない……そう、私には聞こえたのだが?」
貴族が放った発言は……奇しくも、彼女の逆鱗に触れるには十分すぎるモノであった。
……直後からの、貴族の対応は、それはもう従順としか言い表しようがないぐらいにスムーズに事が進んだ。
まあ、それも仕方がない。なにせ、推定レベル200(難度600)の彼女が放つ、怒気だ。
直接向けられたわけでもない『フォーサイト』の面々ですら、思わず腰を抜かしかけたぐらいの迫力。
真正面からそれを向けられて、冷静さを保てるわけがない。
貴族(守ろうとした騎士も)は壊れた蛇口の如く小水を垂れ流し、命令を受けて金を持って来た執事も同じような結果となった。
その後、アルシェはその足で、借金取りや両親に見つからないようにしながらも、お世話になった者たちの下へ一人一人尋ねてゆく。
これまで家に付き従ってくれていた執事のジャイムスを始めとして、メイドたちにも少ないながらも給料と退職金を支払い、最後のお別れを済ませた後。
これが最後の親孝行だとして、慎ましく暮らせば三ヶ月は暮らせるだけの金貨を袋に入れて、もう二度と戻る事はない屋敷の玄関扉へと投げつけ。
屋敷の中から出てきた母が、そのお金の入った袋を手にして中に戻ったのを遠くより確認したアルシェは。
「……さようなら」
通りの向こうより姿が見えた、借金取りの男たちを尻目に……そっと、静かにその場を後にするのであった。
……で、さらに3日後。
下手に人前で話をすると、誰に狙われるか分からない
そういった考えから、彼女より『グリーンシークレットハウス』に案内された、『フォーサイト』一行は。
「──じゃあ、アルシェはいずれ帝国を離れるわけだな」
「うん。いくら法では関係ないとしても、借金取りは幾らでも理由を考えてこっちに来るだろうし……危害が、妹たちにまで向けられたら嫌だから」
照明等で調節された室内、事前に用意してあったスペースにて『フォーサイト』の今後について話し合っていた。
時刻は夜。
昼間は騒いでいた双子の姉妹も、寝室にて彼女に絵本を読んでもらい、今は深く寝入っている。だからこそ、この時間での話し合いである。
街道より外れているので周囲に人の気配はなく、モンスターの気配もない。まあ、居たところで特別性のこのハウスを破壊出来るモンスターは、この周辺には存在しない。
最初はハウスの中とはいえ、街道からも外れた場所で暢気に寝ることを不安視していたヘッケラン・イミーナ・ロバーデイクの3名も、城の奥深くに居るよりも安全であることを理解してからは、すっかりくつろいでいた。
まあ、無理もない。快適な空間に加えて、出される食事もまた美味なのだ。おまけに、風呂にも入れるし、娯楽もあるときた。
単純に宿屋として考えても、毎日金貨を積む必要がある部屋で寝泊まりしているとなれば、如何に快適なのかが想像出来るだろう。
「そうか、その方が良いかもな……ところで、ゾーイさんも一緒なのか?」
「ううん、ゾーイさんは帝国に残るって。詳しくは教えてくれなかったけど、役目を果たす為だって……」
「そうなのか……このまましばらくゾーイさんの下で暮らした方がいいんじゃないのか?」
「それは出来ない。何時までも甘えっぱなしにはいかないし、ここの生活に馴染むと後で苦労するのは私たちだから」
「まあ、そりゃあそうだけど……」
「あまり言うものではありませんよ、ヘッケラン。あの方は調停の神、何かしらの役目を果たす為にこの地に降り立ったのでしょうから」
アルシェの言葉に、ロバーデイクは理解を示した。宗教などには詳しくないイミーナは、曖昧な顔で頷くだけである。
「でもよ、それはそれとして、当てはあるのか? 俺も詳しくは知らないけど、王国の方は今、けっこう不穏な空気が漂っているって話だぞ」
「え、そうなの?」
初めて知ったと言わんばかりに目を見開くイミーナに、「お前が寝込んでいる時に、知り合いからな」ヘッケランはあっけらかんとした様子で答えた。
「なんでも、ちょっと前に王都が悪魔の侵略を受けたらしくてな。かなりの犠牲者が出たって話らしい」
「それ、本当なの?」
「俺も疑ったが、ガチだ。加えて、『エ・ランテル』でも大量のアンデッドが出現したとか……正直、今行くのはおススメしないぞ」
「それには私も同感です。悪魔云々を抜きにしても、王国は次期後継者問題が勃発し始めているというのは、前から噂されていましたから」
「こっちは鮮血帝のおかげでだいぶ風通しが良くなったけど、向こうはこれから混乱し始めるってわけね……」
口々に言い合う3人だが、彼ら彼女らも無責任に言っているわけではない。
事実として、今の王国は良くも悪くも不安定であり、どのように情勢が転ぶか分からない。だから、それは頭の片隅に入れておけという話である。
「……当ては有る……とは言い難いけど、相談してみる価値がある相手はいる」
だからこそ、アルシェからその言葉が零れた時、誰もが否定をしなかった。
「相談? 誰に?」
「私のお師匠だった、フールーダ様です」
──フールーダ。
その名が飛び出したことに、3人は目を見開いて驚いた。
何故なら、フールーダ……『フールーダ・パラダイン』という名の人物は、帝国どころか周辺諸国全てに名が知られた魔力系魔法詠唱者であるからだ。
魔力系・精神系・信仰系と呼ばれる三つの系統を修め、第六位階と呼ばれる魔法を使用する事が出来る実力。
文字通り、帝国に籍を置く魔法詠唱者たちの頂点。
大陸全土に4人しか確認出来ていない、逸脱者と呼ばれる御方なのである。
「……お前、そんな人の弟子だったのか?」
「『元』、だけど。学費が払えなくなったから、学校を辞めちゃってからは会ってない」
ぽかんと呆けた様子のヘッケランに、アルシェはそう答えた。
「お師匠様は、魔法に関してはとても真摯に応えてくれる。帝国にはいられないけど、他所で暮らしながら魔法の研究を進めたいって言えば、もしかしたら手を貸してくれるかもしれない」
「へえ、気前良いじゃん」
「もちろん、既に学校を辞めた身だから期待は薄いし、そもそも会える可能性も低い。お師匠様、とにかく忙しい御方だったから」
「そりゃあ、国のNo.2みたいな人だからな」
「否定はしない。だから、会える保証はほとんどない。そもそも、今更顔を見せたかと怒られるかもしれないけど」
思わずといった様子で零したヘッケランの呟きに、アルシェは苦笑交じりにそう答えた。
これまで色んな弟子を取って来たらしいが、特別アルシェに対しては覚えが良く、フールーダから可愛がってもらっていたので、よく覚えている。
だからこそ、一方的な都合で学校を辞めた自分が、一方的に押し掛けるのは少し怖い……という気持ちがあった。
けれども、これ以外に会う手段が無い以上は、これをするしかないというのも事実だ。
魔法に関する業務に携わっている時こそ、よほどの理由が無い限り邪魔をしてはならないという暗黙のルールがあったので平和であったが、それ以外の時に捕まえるのはほぼ不可能である。
なにせ、フールーダ・パラダインという人物は、言うなれば帝国のもう一つの心臓みたいなものだ。
帝国の、魔法関係の全てに関与していると言っても過言ではない。
フールーダに予約を取り付けるよりも、皇帝の方が予約を取りやすいという笑い話があるぐらいなのだか、如何に忙しいかが窺い知れるだろう。
「……駄目だったら、改めて冒険者登録をして出直すつもり」
「冒険者に?」
「第三位階の魔力系魔法詠唱者としての力を利用しない手はない。まずは目先の収入を確保しないと」
「それは最後の手段でしょう」
「分かっている。とりあえず、明日にでも早速向かってみる」
「そんなにすぐに会えるの?」
「予約を取ろうと思ったって、後ろ盾が無いと他の弟子や高官から却下される。だから、会うなら直接行った方がまだ──」
そこまで、アルシェが話したところだった。
「──明日、城へ向かうのか?」
双子の姉妹が眠っている寝室より、彼女が出て来たのは。
このハウスの主の登場に、『フォーサイト』の面々は居住まいを正す。次いで、「はい、明日、お師匠様に協力を仰ごうかと思っております」アルシェが代表する形で返事をした。
アルシェとしても、本音を言わせてもらえば、このハウスは非常に居心地が良い。出来ることなら、ずっとここに居たいぐらいだ。
しかし、この環境に慣れてしまえば、いざ外に出て暮らした時、相当に苦労するのは想像するまでもない。
分別の付いた自分でさえそうなのだから、まだまだ甘え盛りの妹たちにとっては余計に辛くなるだろう。
そう思うからこそ、一日でも早く此処を出て暮らさねば……と、アルシェは胸中にて強く思っているわけであった。
「では、私も明日ぐらいに用が出来ると思うから、同行させてもらっていいか?」
「え? それは構いませんけど……」
ちらり、と。
アルシェの視線が、寝室へと向く。「じゃあ、明日は俺たちが面倒みてやるから」それを察したヘッケランたちに言われて、アルシェは全員へ何度も頭を下げた。
……正直に言わせてもらうならば、フールーダに対して後ろめたい気持ちがアルシェにはある。
なので、彼女が同行すると言った時、知られたら怒られそうだけど、心強いかも……と、アルシェは思ったのであった。
……。
……。
…………だが、そんなアルシェの可愛らしい下心も。
「むむ!? 何者だ、お前は!」
「すまない、この先に行く必要があるので押し通らせてもらう」
「ええい、捕らえ──うわぁ、強いぞコイツ!」
「怪我をさせたくない。さあ、通してくれ」
「四騎士だ! 四騎士様を連れて来てくれ!」
「さあ、アルシェ。ついでだ、おそらく、フールーダとかいう人も、この先に居ると思うから会って行こう」
「おお、よくもまあ、たった2人で押し入──おぅ」
「すまない、ちょっと通させてもらう」
「ニンブル様がやられたぞ! 早く、他の方を呼べ!! 応援を、早く!」
「いつの間にかバジウッド様までやられているぞ!?」
「そこまでよ、この不届きモノ──」
「おや、もしかしてカースドナイトか? 呪いを纏ってまで騎士の務めを果たすとは、心から尊敬する」
「──、……、……貴女様は、この呪いの解き方を知っているのですか?」
「治したいのか? 幸いにも手持ちに解呪用のアイテムがあるから、欲しければ渡そう。だが、まずは私の用事を済ませてからだ」
「──このお方の邪魔をするのであれば、ワタクシがお相手になりましてよ!!!」
「うわぁー!? レイナース様が裏切ったぞ!?!?!?」
「ええ!? なんで!!??」
「ふ、フールーダ様を呼べ! 早く、早く呼ぶんだ!!」
──目の前で繰り広げられる、悪夢のような光景を前にして。
(……帰りたい。帰って、妹たちの相手をしていたい)
あっという間に萎んでしまい、己の浅はかさを嗤うしかなかった。
悪気は全くない。ただ、早くいかないと大変なことになりそうだから急いでいるだけ(なお、アポなし)