その日、その時、『帝都アーウィンタール』にある王城へと来襲したのは、一頭のドラゴンと、二人のダークエルフであった。
ドラゴンは、全身が黄金のように明るい色合いをしている。
身体は大きく手足も太く、ただそこに居るだけで、王国が誇る精鋭たちが怖気づくほどの迫力。
帝国周辺では見かけられたことはなく、兵士の一人が「評議国の者なのか?」と口走っていた。
──評議国とは、『アーグランド評議国』のことであり、言うなれば国民の大多数が亜人で構成された国だ。
兵士の一人がそう思ってしまったのは、その国の評議員が竜であるからで、関係性こそ薄いが、全く交流が無い……というわけではなかったからだ。
しかし、今回は違う。誰もが、薄らとそう思った。
何故なら、仮に評議員に限らず、評議国の者が来る場合は、事前に必ず通達がなされているはずだからだ。
それに、なによりも……中庭へと降り立ったドラゴンの目が、全てを物語っていた。
──はっきり言えば、冷たいのだ。
評議国に限らず、亜人という者は人間を見下す傾向にある。理由は、単純に人間が弱く、亜人が強いからだ。
もちろん、全ての亜人がそういうわけでもないし、亜人よりもはるかに強い人間だっている。
けれども、基本的には亜人が強い。生まれ持った自力が、亜人の方が上なのだ。そのうえ、一部の亜人は人食も行う。
そんな亜人たちの頂点に立つドラゴンとあっては……残酷な話だが、見下されるのも致し方ないのがこの世界の常識であった。
──だが、しかし。
それらを差し引いても、ドラゴンの瞳はあまりに冷たく、周りに集まっている者たちを虫けら程度にしか思っていないのが透けて見えた。
……そうして、明確な確証が困惑する兵士たちを他所に、そのドラゴンの背から降り立ったのは……二人のダークエルフ。
1人は、格好こそ少年ではあるが、声の高さから女であることが伺える……アウラ・ベラ・フィオーラ。
1人は、背丈よりも大きな杖を持ち、何処となく気弱そうな雰囲気の少女……マーレ・ベロ・フィオーレ。
2人は、王国の領内にある『ナザリック地下大墳墓』の者であり、今日はそこへ土足に踏み込み、内部の物を盗んで行った請負人について話をしに来た。
言い訳を聞くつもりはない。既に、請負人たちの背後には貴族が、その貴族の背後には皇帝の指示があることの調べは付いている。
その墳墓は、2人にとって至上の御方たちが作り上げた場所。如何な理由であろうと、盗人を送り込んだ皇帝を許すつもりはない。
しかし、寛大な心を持つ、2人の主である『アインズ様』は、謝罪と、謝罪の証として金銭を支払えば今回の蛮行は水に流すと仰った。
ゆえに、早急に謝罪の席を設け、謝罪金を支払うべし!
……白昼堂々と一通りの事を話し終えた2人は、集まる視線など気にも留めず、そのまま……信じ難い要求を言ってのけた。
「謝罪の内容を書面にして残し、謝罪金は金貨100万枚! 支払拒否する場合は、我がナザリックへの宣戦布告と見なします!」
──ざわっ、と。
空気が、一気に変わった。もちろん、悪い意味で。
何故なら、金貨100万枚というのは帝国の国庫をひっくり返しても用意出来ない額だ。
それは単純に貧乏なのではなく、そもそもそれだけの枚数が作られていないのだ。
まあ、本当に帝国全土の金庫や財布を片っ端から掻き集めれば、100万枚分を用意出来るかもしれないが……そんなの、無理な話である。
──ふざけるな!
当然ながら、そんな言葉が兵士たちの間から出た。
それは、城の上部より中庭を見下ろしていたジルクニフからしても、同意見であった。
ジルクニフがやったことは、確かに戦争の理由にはなる。なにせ、国のトップが直接命令して行ったのだ。
規模こそ小さいが、やっていることは大国による侵略、略奪行為でしかない。
なので、表面的には2人の言い分に正当性があった。たとえその中身が、明らかに戦争を起こさせるような滅茶苦茶な内容だとしても。
……しかし、その言い分は、そこにナザリック側の裏工作が関与していなければの話である。
幸か不幸か、ジルクニフは『調停者』より、内部の裏切りによって自作自演の片棒を担がされた事を知った。
裏切りなど信じたくはないが、状況証拠がそれを許さない。
痕跡は完璧に消したはずなのに、皇帝へとたどり着くまでの時間があまりに早過ぎる。
初めから手引きした相手を知っていなければ……あるいは、中枢に内通者が居なければ、ここまで素早く動けはしないだろう。
「……謝罪に関しては、後日書面にして正式に執り行う」
とはいえ、それで突いたところでいくらでも言い逃れされてしまう。むしろ、そこを起点にして、更にこちらの譲歩を引っ張る可能性がある。
ゆえに、まずは謝罪。事実である部分は確かに認めて、そこを一線とする。
傍に控えていた魔法詠唱者の手で発動された拡声魔法により、そのジルクニフの返答は、中庭全体に響いた。
「しかし、金貨100万枚は払えぬ。それをすれば、帝国全土に大多数の餓死者が出てしまう」
「それが、私たちナザリックと何の関係が?」
「……少し、待ってほしい。まずは、私たちの話を聞いてくれ」
ジルクニフは……皇帝として、妥当な落としどころを提示した。
「我ら帝国は、王国と長い間、友好的とは言い難い関係を続けてきた。それ故に、王国内にそれまで無かった謎の遺跡が突如出現したと知り、調査に向かわせたのだ」
「ふむふむ」
「人選に誤りがあって、結果的に貴方達を不安にさせてしまったことへは謝罪しよう。盗まれた物品……関与した貴族が所有していると思われるので、そのまま返還させる」
「ふむふむ、それで?」
「そのうえで、謝罪として幾らかの金銭は支払おう。だが、金貨100万枚はいくらなんでも吊り上げ過ぎだ」
「それほどの大罪を犯したからです」
「だとしても、それだけを支払えば我が帝国は確実に破産する。こちらとしても、民の日常を守らねばならぬ以上は抗戦という形になってしまうが……それは、互いに不本意であろう」
ジルクニフとしては、それが現時点で行える落としどころであった。
非は全面的に認めつつも、敵国の領土内にて突如出現した謎の遺跡の調査であり、侵略等の目的はなかった事を強調。
そう、あくまでも、敵国の軍事的な施設かどうかの調査を行った、不幸な行き違いという線を崩さなかった。
そこだけは、絶対に譲らない。
何故なら、相手は明らかに交戦狙いだから。
調停者がわざわざ顕現して平手打ちをしてくるような相手、たとえ山のような黄金と食料を出されたとしても、したくはない。
とにかく、ジルクニフのやる事は只一つ。
依頼した貴族を処分し、請負人も……いや、それは止めておいて、常識的な金銭を支払い、互いに水に流す。
ただ、それだけ。場合によっては、己の首を差し出すことも覚悟する。
結果を見れば『要求する金額』を除いて全面的に要求を受け入れた……形になるわけなのだが。
「不本意だろうが関係ありません。金貨100万枚、それがナザリックへの相応な謝罪であると私たちは判断しております」
ダークエルフ……アウラは、あくまでも『金貨100万枚』を提示した。
「……残念だが、その要求は受け入れられない」
当然ながら、ジルクニフは拒否する。
矜持でも誇張でも何でもなく、受け入れた時点で国が破産するとなれば、拒否するのが当たり前である。
「それでは、ナザリックへの……アインズ様への謝罪は行わない、と?」
「謝罪は行う。しかし、金貨100万枚という法外な金額を払えというのは……」
「では、徹底抗戦ということですね」
「違う、高すぎるというだけで、こちらには交戦の意思など──」
そこまでしか、ジルクニフは言えなかった。
というより、アウラが言わせなかった。初めから、問答を続けるつもりなど、なかったのだから。
そう、ジルクニフの予測していた通り、2人の狙いは『要求を帝国が拒否する』という大義名分を得る為。
むしろ、たった金貨100万枚も出し渋るジルクニフに、薄らと怒りを覚えてすらいた。
金貨100万枚など、2人にとっては安過ぎると思ったぐらいだ。
さすがに一億十億になると拒否されると思ったから、優しさを込めて100万枚に抑えたというのに……まったく!
「マーレ!」
「うん、えーい!」
──身の程知らずの不敬にも程がある。
そう、2人が判断した時にはもう……マーレの魔法が発動していた。
こつん、と。
マーレの身の丈以上の杖が、整備された中庭の大地を叩いた直後──凄まじい勢いで大地が割れ始めた。
あまりに想定外、あまりに異常な事態。
大地が割れることで生じる振動によって、精鋭たちとてその場から動けない。そんな彼らを前に広がり続ける、大地のひび割れ。
1人、また1人、穴の奥底へと落ちてゆく。
その中には、他国でもその名を知られた騎士が居た。
しかし、その騎士は空を飛べず、重力に従って穴の奥底へと……そうして、穴は閉じられた。
まるで、時が巻き戻ったかのように。
違うのは、集まっていた精鋭の兵士たちが軒並み大地の奥底へと消えてしまい、中庭に居るのはエルフとドラゴンだけであること。
あまりに異様な……常識外の力を見せ付けられたことで恐れ戦き、様子を伺っていた他の兵士たちが近づけないでいること。
それは、上から状況を見ていたジルクニフたちも例外ではない。
帝国が誇る精鋭たちが、一瞬で殺されてしまったことに……誰も彼もが凍りついたように動けなくなっており、呆然とするしかなかった。
そうなるのも、当たり前である。
大地をこじ開け、そのまま奥底へ落とす魔法など、帝国最強の魔法詠唱者であるフールーダですら不可能の領域。
それを成した……それも、容易く行えた時点で、その力量はフールーダを大きく超えているに他ならない。
そこに居るだけで、他国への牽制になるほどの力を持つ、フールーダを、だ。
それが、2人。そう、2人だ。付け加えるなら、そこにドラゴンまで居る。
まさか、強いのが杖を持ったエルフだけではないだろう。
言われずとも、誰もが相手の持つ力の一端を垣間見て……恐怖に逃げ出そうとする心を必死に抑え付けていた。
「──世界の均衡が崩れる可能性が生まれた時」
だが──しかし。
「私は、顕現する」
そんな者たちの中で、ただ一人だけ……剣と盾を手にした白髪の少女……ゾーイが、緩やかな足取りで姿を見せた。
「ぞ、ゾーイ殿……」
そう、思わず弱音を吐いたジルクニフの声は、普段の彼からは想像が出来ないぐらいに震えていた。
「しっかりしなさい、ジルクニフ。貴方は、皇帝なのだから」
そんな彼に対して、ゾーイは僅かばかりの微笑みと激励を送ると……たん、と床を蹴って空を舞い、中庭へ──襲撃者たちの前へと降り立った。
……。
……。
…………始まりは、即開戦……ではなく、対話から始まった。
「来たね、ゾーイ。でも、今回ばかりは出しゃばりは駄目だよ」
そう答えたのは、アウラであった。傍のマーレも、頷いていた。
全ては、アウラとマーレの……いや、ナザリック側の想定通りである。
あくまでも、ナザリックは被害者側で、帝国は加害者側だ。
一方的に狼藉を働いたのは向こう側。結局、誰一人殺さずに追い返したのはこちら側なのに、向こう側はさらに窃盗まで行っていた。
なので、落としどころを用意したというのに、高い払えないと突っぱねたのは向こう側。
非は、完全に向こうにある。こちらはあくまでも被害者であり、やられたから相応にやり返した……ただ、それだけなのだ。
「まさか、調停者とかいう者が、一方的な
だからこそ、アウラもマーレも、鬱陶しそうに手を振るだけで、あくまでもお前は部外者だとして追っ払おうとした。
「……前にも、似たような光景を見たな」
だが……2人は、いや、ナザリックの僕たちは、大事な事を見落としていた。
「その、見るに堪えない猿芝居を──」
それは──ゾーイに、いや、彼女に対して、全ての企みがバレている可能性を。
そう、『アインズに見捨てられるかもしれない』という恐怖で空回りしていた守護者たちは、この場において、絶対にやってはならないミスを犯してしまった。
「二度も、私に見させたな?」
それは──彼女を人の側へと繋ぎとめていた者が死んだあの日、『冒険者モモン』がやろうとしていた行為を、再び彼女へ見せ付けてしまった……である。
「──マーレっ!!!」
レンジャーのクラスを修めているアウラが、彼女の異変──いや、殺気を放ったのを瞬時に感じ取れたのは、単にレベルが100だったからである。
反射的に、アウラは後方へ飛ぶ。
マーレが、魔法を放とうと杖を掲げる。
ドラゴンが、雄叫びで威嚇する。
全てが、ほぼ同時に行われた。
そのどれもが、瞬きするだけで反応が遅れてしまうような、一瞬の出来事であった。
「やあっ!」
だが、しかし。
それでも、彼女を相手にするには……単純に、相性も悪かった。
本来、アウラの本領が発揮されるのは、アウラが修めているビーストテイマーの能力を駆使した、群に拠る制圧戦。
素早い身のこなしを有してはいるが、本人の直接戦闘力は低く……それゆえに、攻撃の軌道を逸らすことはおろか、傍を通り過ぎてゆく光を目で追いかける事しか出来なかった。
「──っ」
名を呼ぼうとした。ドラゴンの雄叫びが響く中で、聞こえないにしても。
でも、声が喉から出る前に──光線が、杖を振り下ろそうとしていたマーレの胴体を貫いていた。
……ドルイドのクラスを修めているマーレの得意は、味方への支援。そして、ナザリックにおける『広範囲殲滅最強』の称号を持っている。
反射的にマーレは、己が最も得意とする広範囲魔法攻撃を放とうとしてしまったのだ。
そこには、周囲の人間を巻き込むことで逃げる時間を作り、場合によってはダメージを与えられるかもという、打算があった。
「──かはっ!?」
その打算が、2人の明暗を分けた。
風穴が空き、魔法はキャンセルされる。鮮血が飛び散り、身体はくの字に、後方へと跳ねた。
「マーレ!!」
弟が受けたダメージを見て、アウラは反射的に止まる──だがそれは、悪手であった。
止まるのではなく、彼女へと攻撃するべきであった。効かないにしても、彼女の手を止める事を優先するべきだった。
「滅する、空星の狭間に去ね!」
──バイセクション!
銃から、蒼き剣へと変形していた刀身に力が込められ──振り下ろされると同時に、解き放たれた。
それは、空間にヒビを入れる程の力であり、向けられたわけでもない者たちすら、思わず悲鳴をあげたほど。
そんな攻撃を……直撃を受けたドラゴンの上半身は瞬時に蒸発し、余波を受けたアウラとマーレは正反対の方向へと吹き飛ばされた。
「ま、マーレ──っ」
それでもなお、受け身を取ったアウラはいち早く体勢を立て直した──のだが。
「でやああっ!!」
──スピンスラッシュ!
その時にはもう、マーレに接近していた彼女が、見た目通りに細いマーレの……杖を持っていた腕を斬り落とした後で。
「お姉ちゃん、逃げっ」
辛うじて──そう、辛うじて、マーレが、姉に向かってそれだけを叫んだ瞬間。
──青い残光と共に薙ぎ払われた剣が、『
宙を舞う、マーレの首。
それが地面に落ちるよりも前に、ギロリ……と。彼女の視線が、アウラを捉えた。
「──────!!!!!!!」
その瞬間、アウラは己が何を叫んだのか分からなかった。
ただ、逃げた。一切合財をその場に置いて、全速力でその場から逃げ出した。
後ろから追い掛けてくる気配がない事は分かっていたのに、アウラは脇目もふらずに全速力で足を動かし続けた。
マーレが死の間際に放った、『逃げて』の言葉に突き動かされたのか。
それとも、ここで死ねばナザリックに情報を持ち帰れなくなるとか。
あるいは、マーレの仇を取る為には、今は無理だと冷静に判断したのか。
それは、当人にも分からない。様々なナニカが、次々に脳裏を過っては、消えて行く。
(──怖い)
その、最中──ただ一つだけ。
(怖い、怖い、怖い、怖い、怖い)
それだけが、アウラの頭の全てを埋め尽くしていた。
たとえ、既にこちらが手を出してしまった以上、アウラの未来に待っているのは『死』、だけだとしても。
今のアウラに出来る事は……仲間たちが居る、ナザリックへと逃げ帰る──ただ、それだけしかなかった。
ナチュラルに地雷を踏んじゃう、それがナザリッククオリティ